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後桃園天皇(国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典)
一七五八 - 七九 一七七〇―七九在位。宝暦八年(一七五八)七月二日桃園天皇の第一皇子として誕生。母は関白一条兼香の女、皇太后富子(恭礼門院)。諱は英仁(ひでひと)。嫡出の皇子であるので、誕生の翌年正月十八日早くも儲君に定められ
桃園天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一七四一 - 六二 一七四七―六二在位。諱は遐仁(とおひと)、幼称ははじめ八穂宮(やほのみや)といい、のちに茶地宮(さちのみや)と改称。桜町天皇の第一皇子として寛保元年(一七四一)二月二十九日誕生。母は開明門院(権大納言姉小路実武の女定子)
桜町天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一七二〇 - 五〇 一七三五―四七在位。諱は昭仁(てるひと)、幼称は若宮。中御門天皇の第一皇子として享保五年(一七二〇)正月元日誕生。母は近衛家煕の女贈皇太后尚子(新中和門院)で、天皇を分娩後二十日にして病没した。同年十月儲君に治定
中御門天皇(国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典・日本人名大辞典)
一七〇一 - 三七 一七〇九―三五在位。元禄十四年(一七〇一)十二月十七日東山天皇の第五皇子として誕生。母は新崇賢門院(内大臣櫛笥隆賀の女賀子)。諱は慶仁(やすひと)、幼称は長宮(ますのみや)。宝永四年(一七〇七)三月儲君に治定
東山天皇(国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典・日本人名大辞典)
一六七五 - 一七〇九 一六八七―一七〇九在位。諱は朝仁(あさひと)。幼称五宮。延宝三年(一六七五)九月三日霊元天皇の第四皇子として誕生。母は内大臣松木宗条の女宗子(敬法門院)。天和二年(一六八二)三月儲君に治定、同年十二月親王宣下
霊元天皇(国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典・日本人名大辞典)
一六五四 - 一七三二 一六六三―八七在位。諱は識仁(さとひと)、幼称は高貴宮(あてのみや)。後水尾天皇の第十九皇子として承応三年(一六五四)五月二十五日誕生。母は新広義門院(贈左大臣園基音の女国子)。誕生の年、後光明天皇の養子と定められ
後西天皇(国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典)
一六三七 - 八五 一六五四―六三在位。寛永十四年(一六三七)十一月十六日後水尾天皇の第八皇子として誕生。母は贈左大臣櫛笥隆致の女隆子(逢春門院)である。幼称は秀宮、諱は良仁(ながひと)という。正保四年(一六四七)十一月叔父にあたる
後光明天皇(国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典)
一六三三 - 五四 一六四三―五四在位。寛永十年(一六三三)三月十二日後水尾天皇の第四皇子として誕生。母は贈左大臣園基任の女光子(壬生院)。諱は紹仁(つぐひと)、幼称は素鵞(すが)宮という。同十九年十二月十五日親王宣下、翌二十年十月三日
後水尾天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一五九六 - 一六八〇 一六一一―二九在位。慶長元年(一五九六)六月四日後陽成天皇の第三皇子として誕生。母は関白近衛前久の女前子(中和門院)。諱は政仁(ことひと、初訓「ただひと」)。同五年十二月二十一日親王宣下、同十六年三月二十七日
後陽成天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一五七一 - 一六一七 一五八六―一六一一在位。元亀二年(一五七一)十二月十五日正親町天皇の皇子誠仁親王(陽光太上天皇)の第一王子として誕生。母は贈左大臣勧修寺晴右の女晴子(新上東門院)。初名和仁(かずひと)、慶長三年(一五九八)十二月周仁
正親町天皇(国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典)
一五一七 - 九三 一五五七―八六在位。諱は方仁(みちひと)。永正十四年(一五一七)五月二十九日生まる。後奈良天皇の第二皇子、母は参議万里小路賢房の女贈皇太后栄子(吉徳門院)である。天文二年(一五三三)十二月親王宣下および元服の儀を挙げ
後奈良天皇(国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典)
一四九六 - 一五五七 一五二六―五七在位。明応五年(一四九六)十二月二十三日後柏原天皇の第二皇子として権中納言勧修寺政顕第において誕生。母は豊楽門院藤原藤子(贈左大臣勧修寺教秀の女)。諱は知仁(ともひと)。永正九年(一五一二)四月八日親王宣下
後柏原天皇(国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典)
一四六四 - 一五二六 一五〇〇―二六在位。寛正五年(一四六四)十月二十日後土御門天皇の第一皇子として誕生。母は贈皇太后源朝子(贈内大臣庭田長賢の女)。諱は勝仁(かつひと)。文明十二年(一四八〇)十二月十三日親王宣下、同月二十日元服の儀あり
後土御門天皇(国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典)
一四四二 - 一五〇〇 一四六四―一五〇〇在位。嘉吉二年(一四四二)五月二十五日後花園天皇の皇子として誕生。母は嘉楽門院藤原信子(藤原孝長の女、贈太政大臣大炊御門信宗の養女)。諱は成仁(ふさひと)。長禄元年(一四五七)十二月十九日親王宣下あり
後花園天皇(国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典)
一四一九 - 七〇 一四二八―六四在位。名、彦仁(ひこひと)。応永二十六年(一四一九)六月十八日生まれる。父は、早世した兄治仁(はるひと)王のあとを継いで伏見宮第三代となった貞成(さだふさ)親王(後崇光院)。母は、右近衛少将庭田経有の娘幸子
称光天皇(国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典・日本人名大辞典)
一四〇一 - 二八 一四一二―二八在位。応永八年(一四〇一)三月二十九日、後小松天皇の第一皇子として生まれる。母は日野資国の女資子(光範門院)。諱は躬仁(みひと)、のち実仁。同十八年親王宣下、元服。翌十九年八月二十九日後小松天皇の譲りを受けて践祚
後小松天皇(国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典)
一三七七 - 一四三三 一三八二―一四一二在位。名、幹仁(もとひと)。永和三年(一三七七)六月二十七日、前内大臣三条公忠の押小路(おしこうじ)殿で生まれた。父は北朝五代後円融天皇、母は公忠の娘厳子(通陽門院)。永徳二年(一三八二)四月七日
後円融天皇(国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典)
一三五八 - 九三 一三七一―八二北朝在位。延文三年(一三五八)十二月十二日後光厳天皇の第二皇子として誕生。母は広橋兼綱の女崇賢門院藤原仲子(実父は石清水八幡宮祠官紀通清)。応安四年(一三七一)三月二十一日親王宣下あり、緒仁(おひと)と命名
後光厳天皇(国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典)
一三三八 - 七四 一三五二―七一北朝在位。暦応元年(一三三八)三月二日光厳天皇の第二皇子として誕生。母は三条公秀の女陽禄門院藤原秀子。諱は弥仁(いやひと)。仏門に入る予定で日野資名に養育されたが、政局の急変によりにわかに皇位についた
崇光天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一三三四 - 九八 一三四八―五一北朝在位。諱は興仁(初め益仁)。建武元年(一三三四)四月二十二日、光厳上皇の第一皇子として誕生。母は三条公秀の女、典侍秀子(陽禄門院)。のち徽安門院寿子内親王を准母となす。暦応元年(一三三八)光明天皇の皇太子に立ち
光明天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一三二一 - 八〇 一三三六―四八北朝在位。元亨元年(一三二一)十二月二十三日後伏見天皇の皇子として誕生。母は西園寺公衡の女広義門院藤原寧子である。翌二年二月親王宣下あり、豊仁(とよひと)と命名。建武三年(延元元、一三三六)六月
光厳天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一三一三 - 六四 一三三一―三三在位。正和二年(一三一三)七月九日、持明院統の後伏見天皇の第一皇子として一条内経の一条邸で生誕。母は前左大臣西園寺公衡の女寧子(のちの広義門院)。名は量仁。大覚寺統の後醍醐天皇の皇太子には、同統の邦良親王
後亀山天皇(国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典)
 - 一四二四 一三八三―九二在位。南朝第四代の天皇。父は後村上天皇。母は阿野実為の女であることはほぼ確実で、吹上本『帝王系図』の付紙にもこの事実がみえる。実為女は嘉喜門院らしいが、確かなことはわからない。諱は煕成。弘和三年(北朝永徳三、一三八三)末
長慶天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一三四三 - 九四 一三六八―八三在位。南朝第三代の天皇。名寛成。後村上天皇の皇子。興国四年(北朝康永二、一三四三)生まれる。母は嘉喜門院と考定される。晩年出家して覚理と号したらしく、同天皇の称号長慶院は禅宗寺院の一坊たる長慶院に
後村上天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一三二八 - 六八 一三三九―六八?在位。南朝第二代の天皇。後醍醐天皇の第七皇子。母は阿野公廉の女新待賢門院廉子。諱は義良(のりよし)、のちに憲良(のりよし)。嘉暦三年(一三二八)に生まれる。元弘三年(一三三三)後醍醐天皇が鎌倉幕府を
後醍醐天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一二八八 - 一三三九 一三一八―三九在位。正応元年(一二八八)十一月二日後宇多天皇の第二皇子として誕生。母は藤原忠継の女談天門院忠子。諱は尊治。延慶元年(一三〇八)九月十九日、持明院統の花園天皇の皇太子となり、文保二年(一三一八)
花園天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一二九七 - 一三四八 一三〇八―一八在位。伏見天皇の第四皇子(一説に第二皇子)。母は左大臣洞院(とういん)実雄の女、顕親門院季子。名は富仁。永仁五年(一二九七)七月二十五日誕生。正安三年(一三〇一)八月十五日、着袴の儀があり、同日親王宣下
後二条天皇(国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典)
一二八五 - 一三〇八 一三〇一―〇八在位。名、邦治(くにはる)。弘安八年(一二八五)二月二日生まれる。父は大覚寺統の後宇多天皇。母は亀山天皇の女御准三宮近衛位子(新陽明門院)の官女、前内大臣堀川具守の娘(後年、西華門院と宣下されたときに
後伏見天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一二八八 - 一三三六 一二九八―一三〇一在位。名胤仁(たねひと)。正応元年(一二八八)三月三日生まれる。持明院統の伏見天皇の第一皇子。母は前参議五辻(藤原)経氏の娘、典侍経子。同年八月十日、親王宣下
伏見天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一二六五 - 一三一七 一二八七―九八在位。名は煕仁(ひろひと)。文永二年(一二六五)四月二十三日誕生。後深草天皇の第二皇子、母は左大臣洞院実雄の娘。建治元年(一二七五)十一月、大覚寺統の後宇多天皇の東宮となり
後宇多天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一二六七 - 一三二四 一二七四―八七在位。名は世仁。文永四年(一二六七)十二月一日、亀山天皇の第二皇子として土御門殿で誕生。母は左大臣藤原実雄の女の皇后佶子(京極院)。翌五年六月親王宣下、八月立太子。当時院政を行なっていた後嵯峨上皇が
亀山天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
正嘉二年(一二五八)八月、兄後深草天皇の東宮にたつ、時に十歳。正元元年(一二五九)八月二十八日、十一歳で元服。同年十一月二十六日、父母のはからいで践祚、同十二月二十八日、即位。皇子世仁親王も文永五年(一二六八)二歳で東宮となる
後深草天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
寛元元年(一二四三)六月十日今出川殿で生まれ、二十八日久仁と命名、親王に立てられた。同四年正月四歳で践祚、父の後嵯峨上皇が院政を行なった。康元元年(一二五六)十一月母の妹公子(東二条院)が入内、翌正嘉元年(一二五七)正月中宮となった
後嵯峨天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一二二〇 - 七二一二四二―四六在位。名は邦仁。承久二年(一二二〇)二月二十六日誕生。土御門天皇の第三皇子。母は参議源通宗の女で典侍の通子(贈皇太后)。翌三年の承久の乱の結果、父の土御門上皇が土佐(のち阿波)に流されて以後は母の叔父の
四条天皇(国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典)
一二三一 - 四二 一二三二―四二在位。諱は秀仁(みつひと)。寛喜三年(一二三一)二月十二日一条室町亭で誕生。後堀河天皇の第一皇子。母は藻壁門院藤原子(九条道家の娘)。同年四月十一日親王、十月二十八日皇太子となる
後堀河天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一二一二 - 三四 一二二一―三二在位。名は茂仁(ゆたひと)。建暦二年(一二一二)二月(一説に三月)十八日生まれる。父は高倉天皇の皇子守貞親王(持明院宮行助入道親王、後高倉院)で安徳天皇と以仁王の弟、後鳥羽天皇の兄。母は前権中納言持明院
仲恭天皇(国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典)
一二一八-三四 一二二一在位。順徳天皇の皇子。母は九条良経女の立子(のち東一条院)。諱は懐成(かねなり)。建保六年(一二一八)十月十日に生誕し、間もなく翌月二十六日に立太子。順徳天皇が後鳥羽上皇(順徳父)の討幕計画に熱心に関わり譲位したため
順徳天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一一九七-一二四二 一二一〇―二一在位。諱は守成(もりなり)。後鳥羽天皇の第二(または第三)皇子として建久八年(一一九七)九月十日卯刻に生誕した。生母は、従三位式部少輔藤原範季を父とする重子(のち修明門院)、乳母は又従兄弟
土御門天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一一九五-一二三一 一一九八―一二一〇在位。諱は為仁。後鳥羽天皇の第一皇子。母は内大臣源通親女の在子(のち承明門院)、実は法印能円の女ともいう。建久六年(一一九五)十一月一日(または十二月二日)生まれる。同九年正月十一日、四歳で践祚
後鳥羽天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一一八〇-一二三九 一一八三―九八在位。高倉天皇の第四皇子。母は修理大夫坊門信隆の娘殖子(七条院)。治承四年(一一八〇)七月十四日、五条町の亭に生まれた。この年五月には平氏打倒の兵を挙げた以仁王が敗死し、六月には遷都があって祖父後白河法皇
安徳天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一一七八-八五 一一八〇―八五在位。治承二年(一一七八)十一月十二日高倉天皇の第一皇子として誕生。母は平清盛の女の中宮平徳子(のちの建礼門院)。諱は言仁。十二月八日親王宣下をうけ、十二月十五日皇太子となる。時に生後一ヵ月余
高倉天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一一六一-八一 一一六八―八〇在位。後白河天皇の第四皇子。諱は憲仁。母は贈左大臣平時信の女建春門院滋子。応保元年(一一六一)九月三日生誕。永万元年(一一六五)十二月親王宣下、翌仁安元年(一一六六)十月立太子。同三年二月十九日六条天皇
六条天皇(国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典)
一一六四-七六 一一六五―六八在位。二条天皇の子で、母は伊岐致遠の女。諱は順仁。長寛二年(一一六四)十一月十四日に生まれる。永万元年(一一六五)六月二十五日親王宣下をうけその日に受禅、七月二十七日即位。父二条天皇が病弱であったための即位
二条天皇(国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典)
一一四三-六五 一一五八―六五在位。後白河天皇の第一子。諱は守仁。母は大炊御門経実の女贈皇太后懿子。康治二年(一一四三)六月十七日生まれる。鳥羽天皇の皇后美福門院得子に養育され、仁和寺覚性法親王の弟子となったが、久寿二年(一一五五)
後白河天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一一二七-九二 一一五五―五八在位。大治二年(一一二七)九月十一日、三条殿で誕生。鳥羽上皇第四皇子。母は権大納言藤原公実の娘、待賢門院璋子。同年十一月雅仁と命名、親王宣下。近衛天皇の死去に伴い、久寿二年(一一五五)七月二十四日
近衛天皇(国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典)
一一三九-五五 一一四一―五五在位。諱は体仁(なりひと)。保延五年(一一三九)五月十八日、鳥羽上皇の皇子として誕生。母は権中納言藤原長実の女得子(美福門院)。同年七月親王となり、八月早くも皇太弟に立つ。永治元年(一一四一)十二月
崇徳天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一一一九-六四 一一二三―四一在位。諱は顕仁。元永二年(一一一九)五月二十八日、鳥羽天皇の第一皇子として誕生。母は藤原公実の女、皇后璋子(待賢門院)。保安四年(一一二三)正月二十八日、曾祖父白河法皇の意向により、父天皇の禅りを受け五歳で践祚し
鳥羽天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一一〇三-五六 一一〇七―二三在位。堀河天皇の第一皇子。母は大納言藤原実季の女、贈皇太后苡子である。康和五年(一一〇三)正月十六日、左少弁藤原顕隆の五条邸に誕生、その年六月親王宣下あり、宗仁と命名され、八月には早くも皇太子に立った
堀河天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一〇七九-一一〇七 一〇八六―一一〇七在位。白河天皇の第二皇子。母は関白藤原師実の養女、皇后賢子(実父は右大臣源顕房)。承暦三年(一〇七九)七月九日誕生。同年十一月親王宣下あり、善仁と命名。応徳三年(一〇八六)十一月二十六日立太子
白河天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一〇五三-一一二九 一〇七二―八六在位。諱は貞仁。天喜元年(一〇五三)六月十九日、皇太子尊仁親王(後三条天皇)の第一王子として誕生。母は権中納言藤原公成の女、贈皇太后茂子である。茂子の養父で、関白藤原頼通の異母弟である春宮大夫能信の庇護のもとに成長し
後三条天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一〇三四-七三 一〇六八―七二在位。諱は尊仁(たかひと)。長元七年(一〇三四)七月十八日、東宮敦良親王(後朱雀天皇)の第二王子として誕生。母は三条天皇の皇女禎子内親王(陽明門院)。同九年父親王の践祚後間もなく親王宣下をうけ
後冷泉天皇(国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典)
一〇二五-六八 一〇四五―六八在位。万寿二年(一〇二五)八月三日、東宮敦良親王(後朱雀天皇)の第一王子として誕生。母は藤原道長の女嬉子。諱は親仁。長元九年(一〇三六)十二月二十二日、親王宣下。長暦元年(一〇三七)七月二日、十三歳で元服
後朱雀天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一〇〇九-四五 一〇三六―四五在位。寛弘六年(一〇〇九)十一月二十五日、一条天皇の第三皇子として誕生。母は藤原道長の女彰子。諱は敦良。同七年正月十六日、親王宣下。寛仁元年(一〇一七)八月九日、敦明親王の皇太子辞意により、後一条天皇の皇太子
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