1. 荒木与次兵衛
世界大百科事典
歌舞伎俳優。初世は生没年不詳だが1707年(宝永4)までは生存を確認できる。立役。父は道外方(どうけがた)斎藤与五郎。延宝から元禄にかけて京坂劇壇を代表する役者
2. あらきよじべえ【荒木与次兵衛】
国史大辞典
歌舞伎俳優。江戸時代天保期までに五代を数えるが、初代が最も有名である。 初代 一六三七―一七〇〇 寛文から元禄期にかけて活躍した上方の俳優。寛永十四年(一六三
3. あらきよじべえ【荒木与次兵衛】
歌舞伎事典
歌舞伎俳優。【初世】生没年不詳。宝永四(1707)年までは生存を確認できる。立役。父は道外方斎藤与五郎。延宝から元禄にかけて京坂劇壇を代表する役者の一人で、堀
4. あらき-よじべえ【荒木与次兵衛(初代)】
日本人名大辞典
1637−1701* 江戸時代前期の歌舞伎役者。寛永14年生まれ。役者で作者でもあった福井弥五左衛門(やござえもん)に師事。寛文4年弥五左衛門作の「非人敵討(ひ
5. あらき-ぶへえ【荒木武兵衛】
日本人名大辞典
?−? 江戸時代前期の歌舞伎役者。初代荒木与次兵衛の門下。万治(まんじ)2-延宝7年(1659-79)ごろに立役(たちやく)として京都,大坂,江戸の舞台をつとめ
6. うえむら-きちや【上村吉弥(2代)】
日本人名大辞典
?−? 江戸時代前期の歌舞伎役者。はじめ初代荒木与次兵衛の門人。のち初代上村吉弥の養子となり,天和元年ごろ2代を襲名。天和から元禄(げんろく)はじめごろにかけて
7. えど‐やくしゃ【江戸役者】
日本国語大辞典
かかる人もいできぬるかや」*浮世草子・新色五巻書〔1698〕五・一「同じ江戸役者猿若三左衛門は、大坂荒木与次兵衛座に済ぬ」*随筆・翁草〔1791〕一二六「辻能。
8. おいだし‐だいこ[おひだし‥]【追出太鼓】
日本国語大辞典
鼓。打ち出しの太鼓。追い出し。果て太鼓。*浮世草子・武家義理物語〔1688〕二・二「壱人は荒木与次兵衛が追(ヲイ)出し太鞁(タイコ)の鳴しまふまで、田舎(いなか
9. おおやま-ぎえもん【大山儀右衛門】
日本人名大辞典
?−1687 江戸時代前期の歌舞伎役者。初代荒木与次兵衛の弟子となり,大坂荒木座で敵役として出演。貞享(じょうきょう)3年嵐三右衛門座の舞台にたつ。大男で眼がお
10. 敵討襤褸錦
日本大百科全書
文耕堂ぶんこうどう・三好松洛みよししょうらく合作。1736年(元文1)5月、大坂・竹本座初演。荒木与次兵衛や姉川新四郎の演じた歌舞伎かぶき狂言『非人の仇討あだう
11. 敵討襤褸錦
世界大百科事典
文耕堂・三好松洛の合作。1736年(元文1)5月大坂竹本座初演。寛文期(1661-73)の初世荒木与次兵衛に始まり享保期(1716-36)の初世姉川新四郎に継承
12. かたきうちつづれのにしき【敵討襤褸錦】
歌舞伎事典
文耕堂・三好松洛の作。元文一(1736)年五月大坂・竹本座初演。寛文期(1661‐1673)の初世荒木与次兵衛に始まり享保期(1716‐1736)の初世姉川新四
13. かねこ-ろくえもん【金子六右衛門】
日本人名大辞典
?−? 江戸時代前期の歌舞伎役者。金子系の祖。寛文-延宝のころに初代荒木与次兵衛とともに実事の名手といわれた。延宝6年ごろから大坂で座本をつとめ,初代坂田藤十郎
14. 際物
日本大百科全書
すぐ取り入れて脚色した作品をいう。1678年(延宝6)1月、大坂新町・扇屋の遊女夕霧ゆうぎりの死を翌2月から荒木与次兵衛座で脚色上演した歌舞伎かぶき狂言『夕霧名
15. 好色一代女(井原西鶴集) 535ページ
日本古典文学全集
紋といへる悪口。「見るにをかしげなる顔つき、八橋の吉と浜芝居の千歳老。 嵐三右衛門の紋。荒木与次兵衛の紋。大和屋甚兵衛の紋。「はるかなる大江の橋は造りけん人の
16. 好色敗毒散(浮世草子集) 67ページ
日本古典文学全集
勤め、才と美貌で鳴らした。後若女方に転じ貞享(一六八四~八七)ごろ没。大坂の代表的な立役の一人荒木与次兵衛(寛永十四年〈一六三七〉~宝永〈一七〇四~一一〉)の父
17. しょだい【初代】 : 竹島幸左衛門/(一)
国史大辞典
貞享の初めごろ帰坂して認められ、貞享四年(一六八七)正月刊『野郎立役舞台大鑑』に、当時の名優藤田小平次・荒木与次兵衛と並ぶ武道・実方の三幅対の一と称えられている
18. 心中物
日本大百科全書
とやいちのじょうと呉服屋の御所ごせの長右衛門が心中を遂げた事件を、大坂の嵐あらし三右衛門、荒木与次兵衛、大和屋甚兵衛の3座で脚色競演したのが最初とされる。以後、
19. じょう[ジャウ]【上】
日本国語大辞典
組み合わせて、役者、遊女などの位付けをあらわす。*評判記・野良立役舞台大鏡〔1687〕荒木与次兵衛「上 荒木与次兵衛」*評判記・吉原丸鑑〔1720〕六「
20. 世間胸算用(井原西鶴集) 400ページ
日本古典文学全集
覚えられないものではない。ここまで、冒頭の一文を受けて、霜先からの小商人の心得を説く。立役、武道事の名人荒木与次兵衛。大坂の俳優兼座元。元禄十三年(一七〇〇)没
21. たけしまこうざえもん【竹島幸左衛門】
国史大辞典
貞享の初めごろ帰坂して認められ、貞享四年(一六八七)正月刊『野郎立役舞台大鑑』に、当時の名優藤田小平次・荒木与次兵衛と並ぶ武道・実方の三幅対の一と称えられている
22. たけしま-こうざえもん【竹島幸左衛門(初代)】
日本人名大辞典
日本左衛門を名のる。延宝のころ江戸で演じたのち大坂にもどり嵐三右衛門座の大立者となる。藤田小平次,荒木与次兵衛とともに三幅対の名人と称された。正徳(しょうとく)
23. たにしま-もんど【谷島主水】
日本人名大辞典
?−? 江戸時代前期の歌舞伎役者。元禄(げんろく)2年(1689)大坂荒木与次兵衛座に「けいせい小夜の中山」の傾城(けいせい)うらは役で出演。3年江戸へいき,市
24. つづききょうげん【続き狂言】
歌舞伎事典
面を区切っていたものと考えられる。上方における最初の続き狂言は、寛文四(1664)年大坂・荒木与次兵衛座・福井弥五左衛門作《非人敵討》、江戸においては、同じく寛
25. 続狂言
世界大百科事典
で場面を区切っていたものと考えられる。上方における最初の続狂言は,1664年(寛文4)大坂荒木与次兵衛座の福井弥五左衛門作《非人敵討》,江戸においては,同じく6
26. 鳶が=鷹〔=孔雀〕
故事俗信ことわざ大辞典
「鳶が鷹を生む」の略。とん鷹。 評判記・難波立聞昔語(1686)荒木与次兵衛「親父の与五郎はとんびがたかの御子息なり」やぶにまぐわ(1718)一・一「鳶(トビ)
27. とんび が 鷹(たか)
日本国語大辞典
「とんび(鳶)が鷹を生む」の略。*評判記・難波立聞昔語〔1686〕荒木与次兵衛「親父の与五郎はとんびがたかの御子息なり」*歌舞伎・月欠皿恋路宵闇〔1865〕二幕
28. 男色大鑑(井原西鶴集) 445ページ
日本古典文学全集
寛文・延宝期の上方の歌舞伎作者福井弥五左衛門作の「非人敵討」。寛文四年(一六六四)、大坂の荒木与次兵衛座で初めてこの続き狂言を上演。これが上方歌舞伎における続き
29. 男色大鑑(井原西鶴集) 499ページ
日本古典文学全集
、いと殊勝に思はれける。しかもその日は二月朔日、それよりこの若衆にうつり気になりて、すぐに荒木与次兵衛が芝居見物せしに、今日より初狂言のかはり三番つづきの口上に
30. 男色大鑑(井原西鶴集) 500ページ
日本古典文学全集
も申したり」と讃めける詞の下より、色香のふかき桜は顔にあらはるる若女方、幕切つて見えそむるより、「いよう〳〵、千さま、千之助様、万人の中にも又とござるまい。今の
31. 男色大鑑(井原西鶴集) 532ページ
日本古典文学全集
「かはりさんさのふしも、色にうつりて人皆悩みふかく」(武道伝来記四の一)。→役者一覧。大坂堀江の荒木与次兵衛座。荒木与次兵衛→役者一覧。
32. 男色大鑑(井原西鶴集) 556ページ
日本古典文学全集
大阪市西成区今宮の飛田墓地と、中央区千日前の千日墓地。ともに大阪七墓の一。→五三〇ページ注二。大坂堀江芝居荒木与次兵衛(→役者一覧)座の太夫元与次兵衛方の座敷で
33. 非人仇討物
世界大百科事典
相手に悲壮な立回りを演ずるという典型的な〈手負い事〉の場面が作中最大の眼目とされている。この役は初演の初世荒木与次兵衛の当り芸となり,次いで初世姉川新四郎に受け
34. ひばりやまひめすてまつ【
山姫捨松】
歌舞伎事典
人形浄瑠璃では、元禄九(1696)年四月大坂・竹本座の《当麻中将姫》、歌舞伎では、元禄一一年大坂・荒木与次兵衛座の《当麻中将曼陀羅の由来》など、多くの作品に脚色
35. 鶊山姫捨松
世界大百科事典
人形浄瑠璃では,1696年(元禄9)4月大坂竹本座の《当麻中将姫》,歌舞伎では,98年大坂荒木与次兵衛座の《当麻中将曼陀羅の由来》など,多くの作品に脚色されてい
36. ひょうし‐ごと[ヒャウシ‥]【拍子事】
日本国語大辞典
〔名〕(1)拍子をとって踊ること。また、所作事の別名。*評判記・難波立聞昔語〔1686〕荒木与次兵衛「拍子(ヒャウシ)事はいかな観世も思ひよらず」*浮世草子・男
37. 武家義理物語(井原西鶴集) 354ページ
日本古典文学全集
道頓堀の芝居の果てを心掛け、一人は嵐三右衛門が木戸につき、又一人は大和屋甚兵衛が表に立ち、一人は荒木与次兵衛が追出し太鼓の鳴りしまふまで、田舎らしき人に気を付け
38. ぶ‐どう[‥ダウ]【武道】
日本国語大辞典
伎で、武術に達した忠義な武士に扮(ふん)する役。武道方。*評判記・難波立聞昔語〔1686〕荒木与次兵衛「さすが荒木の誉人(めいしん)凡孝子をまなび。平等古文真宝
39. ほりえざ【堀江座】
国史大辞典
と東側(阿弥陀池門前)の二つの芝居について記述があり、南側芝居には中村富菊座、東側芝居には荒木与次兵衛座の興行が記録されている。この二つの芝居は興行と閉鎖を繰り
40. みいけどおりよんちょうめ【御池通四丁目】大阪府:大阪市/西区地図
日本歴史地名大系
る和光寺があり、東門を東に突当った所には荒木の芝居という小屋があった。明暦元年(一六五五)荒木与次兵衛が芝居小屋建設の許可を得、のちに当地に設けたと伝え、文政一
41. め に 染(し)みる
日本国語大辞典
くらいに、姿、形、景色などがあざやかで印象深く思われる。*評判記・役者大鑑合彩〔1692〕荒木与次兵衛「太鞁つづみ本間の狂言めにしみておもしろし」*鷹〔1953
42. ゆうぎり‐いざえもん[ゆふぎりイザヱモン]【夕霧伊左衛門】
日本国語大辞典
また、その情話を扱った浄瑠璃・歌舞伎脚本の系統の称。歌舞伎「夕霧名残の正月」(延宝六年大坂荒木与次兵衛座初演)、同「夕霧七年忌」、浄瑠璃「夕霧阿波鳴渡」「廓文章
43. よしかわ-たもん【吉川多門(1)】
日本人名大辞典
?−? 江戸時代前期の歌舞伎役者。大坂の荒木与次兵衛(よじべえ)座に若女方としてつとめ,貞享(じょうきょう)3年(1686)京都の岡村座の立女方となる。元禄(げ
44. りょう‐とく[リャウ‥]【両得】
日本国語大辞典
)一度に二つの利を得ること。二重の利益。「一挙両得」*評判記・野良立役舞台大鏡〔1687〕荒木与次兵衛「かたき打の狂言にてかねももうけ手をいの上手(ず)もいよい
45. 1700年〈元禄13 庚辰〉
日本史年表
8・20 鉄牛道機(73、黄檗僧)。 12・6 徳川光圀(73、常陸水戸藩主)。 12・16 荒木与次兵衛(初代)(64、歌舞伎俳優)。 【世界】 1・‐