airplane
人間が乗って空気の中を飛ぶ乗物を総称して航空機といい,その中で,ジェットエンジン,プロペラなどの推進装置の力で前進し,その際,固定翼(回転したり,羽ばたいたりすることのない翼)に生ずる動的な上向きの空気力,すなわち揚力によって自分の全重量を支えて飛ぶものが飛行機である。航空機には,飛行機のほか,推進装置のないグライダー,回転翼の揚力を利用するヘリコプター,空気より軽いガスをいれた袋に働く空気の静浮力を利用する気球,飛行船などいろいろの種類がある。この中で気球や飛行船は原理が簡単で楽に作れるので,早くも1783年にはフランスのモンゴルフィエ兄弟の気球で人類最初の飛行が行われた。しかし飛行機は原理的にむずかしく,実現までにはいろいろの問題を解決しなければならなかったので,それより120年も遅れて,1903年になって,やっとアメリカのライト兄弟の飛行機が人類最初の動力飛行に成功した。
しかしいったん道が開けると,飛行機のほうが進歩が速かった。今や飛行機は,速度,上昇力,搭載量,航続距離などの性能や実用性などの点ではるかに他を引き離し,すべての航空機の中で世界の保有機数がもっとも多く,主役的役割を果たしている。これは飛行機が他の航空機に比べて原理的に優れているためである。気球や飛行船の場合は,浮き上がるのに利用しているのが空気の静浮力であるため,発生できる浮力は速度と関係なく,容積1m3について1kgfあまりしかない。これに反し,飛行機の翼に生ずる揚力は速度とともに増えるので,翼面積1m2の出せる揚力をどんどん上げることができた。例えば1903年のライトフライヤー機の翼は面積1m2につき7kgfの揚力しか出せなかったが,現在のジャンボジェット(ボーイング747)の翼は1m2で700kgfあまりの揚力が出せる。このため,同じ重量に対して外形がコンパクトになり,空気抵抗が減り,いろいろな性能がよくなるのである。
飛行機の歴史
鳥の模倣からの脱却
鳥が大空を自由に飛んでいるようすを見て,自分たちもあのように飛んでみたいと願い,またくふうすれば飛べるかも知れないと人間が考え始めたのはずいぶん古いことに違いない。有名なイカロスとダイダロスのギリシア伝説をはじめ,多くの物語や古代の遺跡がそれを証明している。しかし鳥の基本的な飛び方である羽ばたき飛行は,羽ばたきという一つの動作で,自分の目方を支える上向きの揚力を出すと同時に空気抵抗にうち勝って前進するための推力も発生するという,きわめて巧妙,複雑な原理からなっている。これをそのまま外見的に模倣しようとしたため,人間の飛行の夢はなかなか実現しなかった。科学技術の分野でも天才といわれ,ヘリコプターや羽ばたき機の研究にも取り組んだダ・ビンチでさえ,人間の飛行の実現に対しては,何の貢献もしていない。
鳥の羽ばたき飛行を模倣するという長い間の迷いから覚めて,人間の飛行の可能性へ向かって第一歩を踏み出したのは,イギリスのG.ケーリーであると考えられる。彼は揚力・推力分離説を提唱し,1799年,揚力を発生する固定翼と推力を発生する手動のフラッパー(板をばたばたさせるもの)からなる飛行機の設計を発表し(図
91年ドイツのO.リリエンタールは,固定翼グライダーを製作,彼自身が操縦して滑空実験を始めた。失速事故で墜死するまでに2000回の実験を行い,固定翼の空力特性について,貴重な資料を残した。彼に続いて多くの研究家がグライダーの実験を始めたが,アメリカのシャヌートOctave Chanute(1832-1910)は,自然界には見られない複葉翼のグライダーを考案した。複葉とは主翼の翼面積を2枚に分けて上下に配置する形式で,単葉翼に比べて全体がコンパクトにまとまる利点があり,その後の飛行機設計者に大きな影響を与えた。(図
ライト兄弟の成功
〈固定翼グライダーによる滑空実験により,翼の空力特性や,飛行中の安定性や操縦性を十分に研究しておき,これにエンジンとプロペラからなる推進装置をつけて飛行機を完成する〉。これがそのころの研究者の考えていた飛行機完成への道程であり,それに沿って世界最初の飛行機を飛行させるのに成功したのがアメリカのライト兄弟である。こういう時代になっても,フランスのアデールClément Ader(1841-1925)はグライダー実験をまったく行わず,いきなり蒸気機関付きの飛行機を製作して1890年と97年に実験を行ったが,滑走中ジャンプするにとどまり,飛行はできなかった。しかしフランスでは,アデールを飛行機のパイオニアとしてある程度評価している。
ライト兄弟は19世紀末に現れた各国の研究者の中でも,一頭地を抜くすばらしい人物であった。当時の多くの研究者が試行錯誤的に仕事を進めていったのと対照的に,彼らは飛行の実現に必要な項目を一つずつ実験的に解明して成果を積み上げていった。また,他の研究者がとにかく地面を離れることだけに気をとられていたのに対し,彼らは,飛び上がった後の飛行機の操縦性や安定性についても,グライダー実験で十分研究を積んでいた。推進装置についても,家業である自転車製造の技術を生かして,軽くて馬力のある12馬力のガソリンエンジンを自作した。
こうしてライト兄弟は,自作第1号飛行機フライヤー1号の飛行に十分自信をもっていたに違いない。1903年12月17日,ノース・カロライナ州キティホークで行われた第1回のテスト飛行では,離陸すると思われる地点にカメラを三脚で据えつけ,シャッターを押す人員を待機させていた。かくして人類最初の動力飛行という世紀の瞬間はみごとにカメラにとらえられた(図
ライトを追い越したフランス勢
空飛ぶ乗物に関しては,熱気球(1783,モンゴルフィエ兄弟),水素気球(1783,シャルル),落下傘(1797,ガルヌラン),飛行船(1852,ジファール)と“世界最初”を独占してきたフランスも,飛行機に関してはライト兄弟のアメリカに後れをとってしまった。フランスで初めて飛行機が飛んだのは1906年で,それもパリ在住のブラジル人,サントス・デュモンAlberto Santos Dumont(1873-1932)によるものであった。しかし,フランスは研究者の層が厚く,19世紀末から多くの研究者が独自の発想で飛行機の研究に取り組んでいたので,その研究成果が1908年ころから一斉に開花して,性能の優れた飛行機が次々に現れた。09年7月25日,L.ブレリオは自作のⅪ型単葉機(図
第1次世界大戦
1914年7月,第1次世界大戦が勃発した。この時点で飛行機の世界記録を見ると,速度203.9km/h,高度6120m,航続距離1021kmですべてフランスが独占していたが,ライト兄弟による初飛行からわずか10年の間にかなりの水準にまで達していたことがうかがわれる。世界の航空先進国は,飛行機の軍事的価値を認識し,アメリカでは1909年ライト複葉機を通信隊に配属させ,フランス,ドイツ,イギリスなどの諸国は10年から12年にかけて航空部隊を発足させた。しかし特別に軍用を目的として開発した飛行機はなく,形式からいっても単葉,複葉,三葉,トラクター式(プロペラが機首にあるもの),プッシャー式(プロペラが座席の後ろにあるもの)など種々雑多の状態であった。
飛行機はこういう状態で戦場にかり出され,偵察,爆撃,攻撃,戦闘など種々な任務についた。その結果,一つの機種ですべての目的に対応するのは無理で,目的に応じて特徴を生かした単能機が要求されるようになった。つまり戦前までは飛行機はすべて〈飛ぶための機関〉であったが,戦争の経験によって,爆撃に適した爆撃機,戦闘に適した戦闘機というように目的によっていろいろの機種ができた。
また機体の形式からいうと,単葉は空気抵抗が少なくてスピードを出すには有利だが,複葉は激しい運動に耐えるじょうぶな構造を軽く作るのに有利であり,両者の得失を比較検討すると,当時の性能のレベルでは総合的に複葉のほうが有利だという結論になって,しだいに形式の淘汰が行われ,大戦末期には,両軍のほとんどすべての機種が複葉,トラクター式に統一された。また構造的には,ドイツのユンカースやドルニエのようにアルミニウム合金製の機体も現れたが,一般的には当時の性能,大きさでは木製のほうが軽くて実用的という結論になって,ほとんどすべて木製構造になった。これより四半世紀後の第2次大戦では結論がまったく逆になって,軍用機のほとんどすべてが単葉,金属製に統一されたことと比較すると興味深い。
第1次大戦で,飛行機の行動量は平時に比べてけた違いに増したので,その経験の集積で飛行機はたくましく成長し,実用性が飛躍的に向上した。しかし飛行機の設計方針としては,木製複葉という保守的な線に固まってしまったので,20年代に平和な時代を迎えても,なかなかそこから脱却できなかった。その意味で飛行機発達史上,20年代,とくにその前半は暗黒時代であったといってもよい。
高性能化への要求
第1次大戦が始まるまでは,飛行機の性能も幼稚だったので,大戦が終わってみると世界中の空がほとんど未開拓のまま残されていた。一方,4年間の大戦の試練で飛行機の航続性能も信頼性も大幅に向上していたので,各国の飛行家たちによって,空路開拓への挑戦が盛んに行われた。これらの開拓飛行では,飛行機のもつ性能に対してかなり無理な冒険的な企画が多かったので,成功すれば無名の飛行家が一躍空の英雄とたたえられる反面,目的を果たさず挫折するものも多かった。アメリカとヨーロッパの間に横たわる北大西洋横断飛行の場合は,1919年から30年までの12年間に,挑戦61回に対し成功はわずかに17回,あとは離陸に失敗するか,故障で引き返したり,不時着するか,行方不明になるかであった。
新空路に対する挑戦は,第1次大戦と第2次大戦の間続き,地球上のほとんどすべての部分が開拓された。そのうちのおもな飛行を表に示す。このような長距離飛行を行うには,飛行機の航続性能の向上が要求されるわけだが,一方,第1次大戦直後からヨーロッパ,アメリカを中心に本格的に開始された定期航空輸送もしだいに発展してきて,輸送機の高性能化に対する要求が強くなってきたことにもよる。とくに国土の広いアメリカではこの要求は切実で,1920年代の終りころからノースロップ,ロッキードなどアメリカのメーカーによって,近代化革命ののろしが上げられたのである。これは,当時いまだに幅をきかしていた空気抵抗の大きい複葉や支柱付き高翼単葉から,低翼片持翼単葉へ,固定脚から引込脚へ,木製や金属の骨組みに羽布を張った旧式な構造から薄いアルミニウム合金の応力外皮構造へと思い切った改革をし,さらに主翼フラップ,過給機付きエンジン,可変ピッチプロペラなどの近代装備を加え,画期的な高性能化をはかろうとするものであった。1930年代半ばに就航したダグラスDC3,ロッキード・エレクトラ,ボーイング247などの輸送機はその代表的な例(図
プロペラからジェットへ
1939年9月,ドイツ軍がポーランドに侵攻し,第2次大戦が始まった。前の第1次大戦でも多数の飛行機がいろいろの目的に活躍したが,当時は兵器としての威力がまだまだ不足で,陸軍,海軍の行動に対して補助的な役割を果たしたにすぎなかった。ところが第2次大戦では,飛行機の性能が飛躍的に向上していたので,空軍の優劣,勝敗が戦局の帰趨を決定するまでになった。このため参戦国は,少しでも早く敵にまさる優秀機を開発,生産して戦場に送ることに全力をあげたから,各機種の性能は飛躍的に向上した。各機種の中でもっとも高速を要求される戦闘機の最大速度は平均して600km/h台に達し,大戦末期には700km/hを超すものも現れた。
プロペラ機がこのような高速で飛行すると,高速で回転しつつ高速で前進するプロペラの羽根の先端部は音速に近づき,プロペラ効率の急激な低下を招く。この見地から,プロペラ機には最大速度の限界があるはずで,大戦末期の戦闘機はその限界に近づいてきたのである。
この障害を突破して,より高速を求めるならば,ジェット機によるよりほかはない。その動力となるジェットエンジンについては,すでにイギリスのW.ホイットルの1930年の特許があるが,ドイツやイギリスのいくつかの会社が自社の企画としてジェットエンジンの開発に着手したのは30年代の後半であった。その結果,39年8月24日にはドイツのハインケルHe178(図
しかし,ちょうど大戦中で各国とも実用機の改良,生産に追われていたので,ジェット機の実用化はおくれ,大戦末期の44年ころになって,ドイツのメッサーシュミットMe262,イギリスのグロスター・ミーティアなどが戦線に現れた。これらは最大速度850~900km/hと断然プロペラ機をしのいだが,初期のターボジェットエンジンは燃費がきわめて悪かったため航続時間が短く,空軍で主力の座を占めるまでには至らなかった。
それにしても,プロペラ機の性能が限界に近づいたとき,タイミングよくジェット機が出現し,このため飛行機の性能が,図
ジェット機の時代
1945年8月,第2次大戦が終了するとともに,ジェット機の実用化が急速に進展した。初めのうちはジェットエンジンの燃費が著しく悪く,航続時間が短くなるので,速度や上昇力に重点をおく戦闘機がまずジェット化され,エンジンの燃費改良につれて,爆撃機,攻撃機などの機種にもジェット化が及び始めた。さらに燃費が改善され,経済的な運航が見込まれるようになって,ジェット輸送機も登場した。その第1号はイギリスのデハビランド・コメット1型機で52年5月に定期航空に就航したが,与圧胴体の外板の疲労破壊で空中爆発事故が2回続けて起こり,就航停止になってしまった。このため,58年10月,アメリカのボーイング707,イギリスのコメット4型の大西洋横断空路就航が本格的なジェット輸送時代の幕あけとなった。
続いて60年ころまた一つの革新が起こる。ターボジェットにおけるターボファン方式の導入である。60年ころまず出現したターボファンはバイパス比0.5~1.0程度であったが,70年ころからバイパス比5.0以上のいわゆる高バイパス比ターボファンが実用化された。これは,高バイパス比の採用により推進効率が向上したうえに,エンジン本体の熱効率や要素の効率も改良されたので,ストレートジェットはもちろん,初期の低バイパス比ターボファンに比べても,著しい燃費や騒音の低減が達成された。一方,これらの高バイパス比ターボファンは出力のうえでも目覚ましい向上を示し,離昇推力20~25tという強力なエンジンが生産されるようになった。これに伴って,従来の輸送機より幅の広い胴体(いわゆるワイドボディ)をもったボーイング747,マクダネル・ダグラスDC10,エアバスA300などの大型輸送機が70年ころから次々と就航した。ジェット機の出現は,飛行機のスピードアップだけでなく,大型化をも可能にしたのである。
超音速飛行
ジェット機の出現により,すべての機種にわたって飛行機のスピードが飛躍的に増加したのはいうまでもない。とくに軍用機の高速化は目覚ましく,各国の第一線戦闘機はマッハ2.0~2.5の高速に到達した。世界でいちばん速いのはロッキードSR71A偵察機で3529.56km/h(約マッハ3.3)の記録をもっている。
しかし民間輸送機は経済性の見地から一般に音速の少し手前の800~950km/h(マッハ0.8内外)を巡航速度としている。これは初期のボーイング707以来,今日まで変わらない。将来ともこの速度範囲は民間輸送機にもっとも適した速度として,永久に使われるであろう。
民間輸送機の分野でも超音速輸送機(SST)としてフランスとイギリスで共同開発したコンコルドが1976年以降就航している。ふつうの亜音速輸送機に比べて2倍以上のマッハ2.0の巡航速度をもつが,客席が約100内外と少なく,航続距離も6000kmともの足りないため,開発国以外からの注文がなく,わずか16機で生産を打ち切ってしまった。しかし現代の技術をもってすれば,さらに高速で,搭載量も航続距離もコンコルドよりはるかに優れた第2世代SSTの開発は可能である。近い将来に実現する可能性がある。
図
性能と構造
飛行の原理
地面の上を走る電車や自動車は,その重量が車輪に働く上向きの地面反力で支えられている。また水の上を走る船は,その重量がアルキメデスの原理に基づく水の浮力で支えられている。これらの場合は,支えられているという事実がわれわれの目に見えるので,別に物理学的な説明を聞かないでも直観的にそれを認めることができる。飛行機の場合は,その重量,つまりそれに働く重力が揚力で支えられているわけだが,空気は地面や水と違って目に見えないので,この現象の理解は直観的というわけにはいかない。だから,多くの人間や貨物を乗せた何百tもある金属の塊がどうして空を飛ぶのか不思議でならないという疑問も生まれてくるのであろう。
飛行機を支える揚力は,空気の流れ,いい換えると風の力の一種である。風というと,われわれはすぐ自然の風を連想するが,静止した物体にある速さ(V)の風が当たる場合と,物体が同じ速さ(V)で静止した空気の中を反対方向に走る場合とは,現象としては同じであり,風の力の生じ方は変わらない。これは自転車で走って見ればすぐわかることで,自然の風がまったくないときでも,5m/sの速さで走れば,5m/sの風が進行方向と反対の前方から身体に当たってくる。ジェット輸送機が270m/s(970km/h)という速さで静止した空気の中を飛べば,270m/sというものすごい風が前方から機体に当たってくるのである。この場合,風の力は速度の2乗に比例して増していく。風速50~60m/sの台風ですら,家や塀を倒す力をもっているのだから,ジェット機に働く空気力がどんなに大きいものか想像できるだろう。問題は風の力の方向である。ふつうの物体は空気の流れの中に置かれると,流れの方向に押される力,つまり空気抵抗を受ける。同じように飛行機も空気抵抗(抗力)を受けるが,ただ飛行機が一般の物体と違う点は,その翼に抗力と同時に流れに直角上向きの力,すなわち揚力を生ずることである。
翼に揚力を生ずる現象は,原理的には野球のボールのカーブと同じである(図
翼の断面の形を調べてみると,一般に上面のほうが湾曲度が大きく,下面のほうは小さくなっており,気流方向に対していくらかの迎え角(翼断面の基準線と飛行方向,つまり流れの方向とのなす角度)がついている。こういう形の翼が空気中をある速さで進むと,翼のまわりに図
翼の揚力は,同じ迎え角では速度の2乗に比例して増加する。また同じ速度では迎え角が大きくなるほど揚力は増加する。ただしそれには限界があって,迎え角がある大きさに達すると,翼上面の気流が表面からはがれて渦ができ,その結果揚力が著しく減り抗力が急激に増して飛行が困難になる。この状態を失速stallという。飛行機がある速さを保って水平飛行を続けるためには,揚力が重力とつりあい,推進装置の推力が飛行機全体に働く抗力とつりあっていなければならない。このため高速で飛ぶときは迎え角を小さくし,低速で飛ぶときは迎え角を大きくし,翼の揚力が重力とつりあうよう調節してやらなければならない。翼の迎え角をどんどん増していけば,飛行機の速度を下げていけるわけだが,迎え角がある限界に達すると失速状態になるので,それ以下の速度では揚力が重力を支えられなくなってしまう。つまり飛行機には安全に飛行できる速度の最小限度があるわけで,それを最小速度または失速速度と呼んでいる。ジェット輸送機の最小速度は一般に200~250km/hで新幹線の最高速度と同じくらいである。地上や水上の乗物はもちろんのこと,ヘリコプターでも飛行船でも,どんなに遅い速度でも走ることができる。これに反しそれぞれに最小速度が決まっていて,それ以下の速度では飛ぶことができないのは,飛行機のもつ致命的な欠陥といえる。
→翼
離陸および着陸と失速速度
飛行機は最小速度以上の速度でなければ飛ぶことができないので,離陸の場合は,静止の状態から離陸に適する速度まで加速するために,地上を滑走する必要がある(垂直離着陸機は除く)。また着陸のときも,適当な速度で進入してきて接地し,減速停止するまでに地上滑走をしなければならない。どちらの場合も,むずかしい操作なので,安全を期するために操作のしかたにいろいろの規定が設けられている。ジェット輸送機の場合を例にとって,まず離陸の場合を説明すると,滑走路端から滑走を始め,だんだん加速してV
翼面荷重と高揚力装置
飛行機の失速速度を小さくするにはどうしたらよいか。第1に飛行機の総重量のわりに翼面積を大きくして発生できる揚力を増す,つまり総重量を翼面積で割った値(翼面荷重)を小さくすればよいことは直観的に理解される。しかし翼面荷重を小さくすると,同じ総重量に対して機体の外形が大きくなり,空気抵抗も増えるし,機体の構造重量も増すので,速度や航続性能の点では不利である。そうかといって,あまり離着陸滑走路長がのびても困るので,失速速度を増さないで,しかも翼面荷重を十分大きくするくふうが必要になる。そこで考えられたのが高揚力装置である。今日ふつうに使われている高揚力装置は主翼の後縁につけた後縁すきまフラップであるが,フラップの効果をさらに強くするため,翼の前縁に前縁すきまフラップを併用したものもある(図
→高揚力装置
推進装置
翼に揚力を発生させるには,空気抵抗に打ち勝って,飛行機に必要な速度を与える推進装置が必要である。推進装置として現在実用されているのは,(1)ピストン機関でプロペラを駆動して推力を得る方式,(2)ガスタービンでプロペラを駆動する方式,すなわちターボプロップ,(3)ガスタービンでつくった高温高圧のガスを後方に噴出し,その反動で推力を得る方式,すなわちターボジェットの三つの形式である。現在広く使われているターボファンはターボジェットの変形で,ふつうのターボジェットにファンを追加したものである。ファンで圧縮した空気の一部をエンジン本体に送り,圧縮,燃焼,タービン駆動の行程を経て後方に噴出するとともに,残りの空気はファンから直接後方に噴出して推力を得ている。ターボファンに対しターボジェットをストレートジェットという。このほかラムジェット,ロケットなども航空機用推進装置として使われることがある。
飛行機はその推進装置によって,ピストンエンジンやターボプロップエンジンでプロペラを駆動するプロペラ機,ストレートジェットやターボファンなどのいわゆるジェットエンジンを利用して推力を得るジェット機に大別される。またターボプロップ,ターボジェット,ターボファンなどのガスタービン推進装置をもつ飛行機を総称してタービン機ということもある。
プロペラ機とジェット機を比べてみると,前者は後者に比べて大きな欠点をもっている。プロペラの羽根は高速で回転しながら空気中を前進しているので,とくに羽根の翼端に近い部分は,空気に対してきわめて大きな相対速度をもっている。この相対速度がだんだん大きくなって音速に近づくと,空気の圧縮性の影響が現れてきて,プロペラの効率が著しく低下する。したがってプロペラ機が効率よく飛行できるのは,マッハ0.7(音速の0.7倍,例えば高度6000mで約800km/h)程度の速度までである。これに対してジェット機にはこのような制限はない。またプロペラの吸収馬力(プロペラがエンジンから吸収する馬力)を増すには,直径を大きくする必要があり,現在最大のプロペラ機,ソ連のアントノフAn22輸送機の1万5000馬力エンジンのプロペラは,8枚羽根で直径6.2mに達しているが,このあたりが実用上の限界とされている。つまりプロペラ機ではプロペラの吸収馬力の実用上の限界から,機体の大きさにも限界が生ずるが,これに対してジェットエンジンには出力に対する実用上の限界はなく,したがってジェット機では,ボーイング747(総重量372t)よりさらに機体を大型化することも可能である。さらに一定の燃料を消費して飛べる距離,つまり燃料の経済性でも,現在ではジェット機のほうが優れた性能をもつようになり,航続性能も勝っている。ただプロペラ機は低速時の効率がいいので,離陸滑走距離が短いという長所がある。以上のような比較から,ジェット機の優位は明らかであり,このため大型機から中型機,小型機としだいに使用範囲が広くなり,将来はプロペラ機はごく限られた用途だけのものとなろう。
飛行機には,推進装置の数によって,プロペラ機,ジェット機とも,推進装置が1組ついた単発機,2組ついた双発機,以下3発機,4発機などの種類がある。まれには6発機とか8発機とかいうものもあるが,あまりエンジンの数が多いと取扱いが不便で,維持費も高くなるので実用的でない。単発機は手軽で使いやすいので,軽飛行機などに多く使われるが,エンジンが故障などで止まった場合はどうすることもできない。そこで輸送機はじめ各種の実用機の多くは,双発以上にするのがふつうである。現代の双発機,3発機,4発機は,プロペラ機でもジェット機でも,一般にエンジンのうちの一つが止まっても,残りのエンジンだけを使って,水平飛行はもちろん,離陸や上昇までできるようになっている。
航空エンジンに使う燃料は,ピストンエンジンではガソリン,ターボプロップやターボジェットではガソリン,ケロシンを含むジェット燃料が使われる。燃料は主として主翼あるいは胴体内の燃料タンクに収められているが,軍用機などでは,航続性能を増すために,さらに流線形のタンクに入れて翼の下などに懸吊することもある。
→ジェットエンジン →プロペラ
操縦装置
飛行機は飛行中や地上滑走中に速度や姿勢や飛行経路などを自由に変えるために,3種類の舵,すなわち昇降舵,補助翼,方向舵をもっている(図
前述したように,飛行機がある速さで水平飛行を続けるためには,翼の揚力と重力がつりあうと同時に,プロペラあるいはジェットエンジンの推力が飛行機の抗力とつりあっていることも必要である。このため操縦者は操縦桿で昇降舵を操作して翼の迎え角を加減して揚力と重力とのつりあいをとり,同時にエンジンのスロットルレバー(絞り弁ともいう。自動車のアクセルに相当する)を操作して推力を加減し,抗力に等しくなるようにしなければならない。上昇,下降にも,水平飛行の場合と同じように昇降舵操作と同時にスロットルの操作が必要で,与えられた速度に対し,水平飛行に必要な推力より大きな推力を与えると,その余裕推力で機は上昇し,推力が不足すれば機は下降する。飛行機が着陸進入して高度を下げていくときは,下げ舵でなく上げ舵をとるのがふつうである。上げ舵にすると水平飛行に必要な揚力を得る速度を下げることができ,着陸に安全だからで,このときスロットルを絞って推力を減らすと,機は上げ舵をとっているにもかかわらず推力不足で降下する。上げ舵は上昇するための舵ではなくて,迎え角を大きくして速度を遅くするのに用いる舵,反対に下げ舵は迎え角を小さくして速度を速くするのに用いる舵である。一般に上昇のときは上げ舵をとるが,これは速度を遅くしたほうが上昇に必要な馬力が少なくてすむためで,上昇のときにはその馬力を出すためにスロットル弁を開いてやらなければならない。
補助翼は主翼の左右の翼端の後縁にヒンジづけされている。補助翼はふつうフラップと並んでその外側についていて,フラップが左右同時に同じ角度で下がるのに対し,補助翼は一方を上げると,他方は下がるようになっている。いま左の補助翼を下げ右の補助翼を上げると,左翼は揚力が増し,右翼は揚力が減るので,機を右に傾けるようなモーメントが働く(図
方向舵は垂直安定板の後縁にヒンジづけされている。操縦席の左のペダルを踏むと,方向舵後縁が左に動き,垂直尾翼に右向きの力を生ずるので,機首を左に向けようとするモーメントが生ずる(図
飛行機の方向舵は船の舵と同じ働きをするが,左右どちらかに旋回する場合,船では方向舵に相当する舵を操作するだけでよいが,飛行機の場合は,補助翼と方向舵をうまく使い,旋回の中心のほうへ機を傾け,図
現在の飛行機では,以上の三つの舵のほかに,スポイラーをつけたものがある。スポイラーは翼の上面,後縁フラップの前の部分にあり,これを垣根のように立てると翼上面の気流が激しく乱れて揚力が減り抗力が増える。飛行機あるいはグライダーが動力を使わないで滑空するとき,その滑空比(下がる高度Hに対して進む水平距離Sが何倍になるかを表す。すなわちS/H)は飛行機あるいはグライダーの揚抗比(揚力と抗力との比)に等しい。したがってスポイラーを立てて,揚力が減り,抗力が増せば,揚抗比,したがって滑空比が小さくなり,降下角が大きくなる。すなわち,スポイラーの操作で滑空角を加減することができる。また地面に降りてからスポイラーを立てると,まだスピードがあっても,揚力が減るので機の重量が地面にかかり,車輪ブレーキの効きが増すという利点もある。
以上の三つの舵,スポイラー,フラップなどは操縦席にある操縦桿,ペダル,レバーなどと操縦索,あるいはてこなどで機械的に連結され,操縦者の意のままに動かすことができる。しかし飛行機が高速化,大型化するに伴い,舵などを作動するのに要する力が大きくなり,人力だけではむりになってきた。そこで各舵などに油圧の作動筒(アクチュエーター)をつけ,それを操縦席と機械的に連結して操作できるようになっている。また最近は油圧作動筒の代りに電動機を取り付け,これを操縦席と電気的に連結し,操縦者が電気信号を送ればそれに対応して舵が動くというシステムもある。これをフライ・バイ・ワイヤfly-by-wireという。
→舵
最大速度と巡航速度
飛行機は,昇降舵を操作して迎え角を変え,スロットルレバーを操作して推力を加減することにより,任意の速度で水平飛行ができるようになっている。しかしだんだん速度を増していくと抗力が増大してくる一方,エンジンの出せる推力には限りがあるので,水平速度にも限界があって,それ以上は速度が出せない。その限界の速度を最大速度という。つまり飛行機には最小速度と最大速度があって,その範囲なら,自由に水平飛行ができるのである。現在一般に使われている飛行機の最大速度は,音速よりも遅く,亜音速機といわれている。亜音速機では一般に最大速度が最小速度の3~4倍である。
音速は大気温度で変わり,標準大気では高度0で1225km/h,高度1万1000m以上(成層圏)で1062km/hである。音速に対する速度の比をマッハ数という。飛行機の速さが音速に近づくと,マッハ0.8とか0.9あたりで抗力が急に大きくなるので,そこを超えて音速以上(超音速)で飛ぶには,強力なエンジンが必要であり,機体の設計にも超音速時の抗力を減らすためにいろいろのくふうが必要である。このような音速を超えることのむずかしさを形容して音の壁ということばもある。軍用機の中でとくに高速を要求される戦闘機,爆撃機,偵察機などには超音速機が多い。超音速機の中にはロッキードSR71A偵察機のように,マッハ3を超すものもあるが,一般に戦闘機の最高速度はマッハ2.0~2.5である。民間機ではフランスとイギリスが共同で開発したコンコルドがただ一つの超音速機で,巡航速度はマッハ2.0である。コンコルドのような超音速輸送機をSSTという。現在SSTがあまり使われないのは,亜音速機に比べて,航続性能,搭載量,経済性,騒音などで評価が劣るためである。
超音速機はもちろんだが,音速に近い高亜音速(マッハ0.8~0.9)で飛ぶ場合にも,抗力の低減に特別の配慮が必要である。とくに重要なのは主翼の平面形で,後退角θをつけるのがふつうである(図
後退角の大きな後退翼は,高速時には抗力が小さくて有利であるが,低速時には出せる揚力の値が後退角のない直線翼に比べて低く不利である。そこで高速で飛ぶときには後退翼,低速で飛ぶときには直線翼に近くなるよう,飛行中後退角を自由に変えられる可変後退翼variable geometry wing(略してVG翼)が一部の高性能多用途軍用機で使われている。
高亜音速機や超音速機では翼型の選定も重要で,いろいろな研究がなされている。高亜音速ジェット輸送機用の翼型として広く使われるようになったスーパークリティカル翼supercritical wingと呼ばれる翼型もその一つである。これは,理論的に翼面上の風圧分布を計算し,高亜音速で翼面に衝撃波が発生して抗力が急激に増すマッハ数をできるだけ遅らせる(高くする)ようくふうしたものである。例えば図
飛行機は最大速度と失速速度(最小速度)との間で,目的に応じて任意の速度を選んで飛ぶことができる。しかし最大速度は,エンジンを全開またはそれに準ずる状態にして得られるので,エンジンの耐久性から考えても,こういう状態をそう長くは続けられない。また失速速度に近づきすぎても危険である。そこで飛行機は,最大と最小の中間で,燃料消費の点からもなるべく経済的な速度を選んで飛ぶのがふつうである。これが巡航速度である。巡航速度は飛行の目的やいろいろな条件に対応して,かなり広い範囲で自由に選ぶことができる。輸送機の場合は,長い距離を安全確実に,また経済的に飛行することが要求されるので,巡航速度の選び方はとくに重要である。輸送機がある高度をある重量で飛ぶとき,その航続率(燃料1kgで飛べる距離)は図
→超音速飛行
上昇限度と与圧室
飛行機は速度だけでなく,高度についても飛べる範囲が決まっている。高度をとるほど空気密度が減るので,抗力が減りスピードが出しやすくなる。しかしその反面,高空にいくにつれ,空気の密度の低下とともにエンジンの出力も低下してくる。その結果,ある高度以上では,推進装置の出せる推力が抗力を下回り,水平飛行ができなくなり,飛行機はそれ以上上昇できなくなる。この高度を上昇限度という。上昇限度のこれまでの最高記録(定常飛行ができたもの。1995年末現在)はアメリカのロッキードSR71Aの2万5929mである。
飛行機は地上と上昇限度の間で,いろいろな条件からみて最適の高度を選んで飛ぶ。今日のタービン輸送機は長距離路線の場合,1万m内外の高度を巡航し,近距離路線でも,6000m内外というようなかなりの高空を巡航する。これは,タービン輸送機は高空にいくほど燃料消費量が減って航続率が大きくなり,また気象的にも安定しているからである。
しかしこのような高空を飛んでいると,気圧が下がり酸素量が減るので,乗っている人間がいわゆる高山病にかかる心配がある。そこで,今日では高空を飛行する飛行機では,乗員室,客室,貨物室などを空気のもれない気密構造にし,その中に外気より圧力の高い室空気を循環させる与圧室が装備されている。民間輸送機は,機がどんな高空を飛んでいようと,室内の気圧は高度2400m相当の気圧以上に保たれている。また室内圧力の変化率はあまり大きいと耳が痛くなるなどの不快感を与えるので,高度に換算して90~150m/min程度に調整されている。与圧の空気源としては,プロペラ機ではキャビンスーパーチャージャーという特殊な圧縮機をエンジンで駆動するが,ジェット機ではジェットエンジンの圧縮機から直接空気を抽出して客室に送るようになっている。この場合,空気は適当な室温になるよう温度調整がなされている。客室には空気を外に流すバルブがついていて,その開閉で換気量を調整する。民間輸送機では,乗客1人当り最小0.283m3/minの換気量が規定されている。
→与圧胴体
胴体
胴体は飛行機の中枢をなす部分で,乗員室,客室,貨物室,各種の装備(電気系統,油圧系統,空気系統,電子装置など)を収容し,かつ主翼,尾翼,操縦装置,推進装置,着陸装置などの部分をまとめて,飛行機としての機能を発揮させる役目をする。その長さや直径は機の特性に応じて定められるが,最近輸送機の大型化に伴い,客室の幅を増すため,胴体直径をとくに大きくした機体が現れている。これを広胴型機(ワイドボディ機)といい,そのはしりは1970年に就航を始めたボーイング747である。従来の輸送機(広胴型機に対して狭胴型機,あるいは標準型機という)の客室は,幅3.0~3.8mで,これは鉄道車両や大型バスなど地上交通機関のそれと同程度で,中央の通路をはさんでその両側に2~3並列の座席を配置するのがふつうであった。このような客室配置は,標準型式として今後も広く使われると思われるが,200席以上の大型機に標準胴体を用いると,胴体が長くなりすぎて不便なので,客室幅を5.0~6.5mくらいにし,2列の通路をはさんで3-4-3列,2-5-2列などの座席配置をする広胴型胴体が実現したのである。客席配置の融通性,居住性の向上などからみて,この広胴型は最近における飛行機の目だった進歩の一つといえよう(図
ボーイング747では胴体前方の一部が2階客室になっていて,いろいろな用途に利用されているが,この2階部分をもう少し延長して,2階だけで69席の座席(エコノミークラス)を配置した型が1983年に就航,将来は2階部を垂直尾翼のところまで延長することにより,現在の350~500席から600~800席に発展できる可能性がある。
尾翼と安定性
飛行機は,主翼,推進装置,操縦装置の働きにより,ある範囲内で任意の高度を任意の速度で飛ぶことができる。この場合,飛行機に働くいろいろな力は,互いにつりあって定常状態になっているのがふつうである。しかし,もし突風を受けるなどの外乱によってつりあいが破れたとき,飛行機が自分の力で元の状態に戻ることができることが望ましい。この性質が安定性である。
一般に飛行機の尾翼は水平尾翼と垂直尾翼に分かれている。水平尾翼(水平安定板と昇降舵からなる)は縦方向の安定(縦安定)を保つのが役目である。定常状態にあった飛行機が何かの原因で機首を上げ迎え角が大きくなると,水平尾翼も迎え角が増し,水平尾翼には上向きの空気力(揚力)が生ずる。水平尾翼の位置は重心からずっと後方にあるので,この揚力が,重心のまわりに機首を下げるモーメントを生じ,主翼の迎え角を自動的に元に戻す(図
垂直尾翼は方向の安定(方向安定)を保つものであるが,その原理は水平尾翼と同様である。すなわち,何かの原因で機首が右を向くと,垂直尾翼が左側から風を受け,重心まわりに機首を戻そうとするモーメントを生じ,機の向きを元に戻す(図
飛行機が横に傾いた場合の安定は上の二つとようすが違う。図
降着装置
一般の飛行機では,離着陸に地上滑走が必要なので,車輪と油圧緩衝装置(オレオ)のついた着陸装置(脚)をもっている。脚の配置は,重心のすぐ後方に主脚,機首に前脚をもつ三脚式(前輪式)着陸装置が多く,重心のすぐ前に主脚,尾部に尾輪をもつ尾輪式着陸装置はあまり用いられなくなった。三脚式は地上静止時,地上滑走時,水平飛行時に胴体の姿勢があまり変わらないという利点があり,また地上滑走中の安定がよく,急にくるりと機首を振るグラウンドループの傾向もない。車輪1個の負担できる重量には限界があるので,機の総重量が大きくなるにつれ,荷重を分担するため車輪の数も多くする必要がある。ボーイング747では車輪4個をもつ主脚が4本左右に並び,計16個の車輪が主脚についている。着陸装置は飛行中には無用なので,ナセル(エンジン装着部)や主翼内に引っ込めて空気抵抗の減少をはかっている。これを引込脚といい,出し入れの操作には油圧または電動機を利用している。
このような陸上機に対して,水上で離発着するために,車輪の代りにフロートをつけたものをフロート水上機,胴体部に浮力をもたせて艇体としたものを飛行艇という。かつて1930年代に太平洋や大西洋の洋上長距離輸送に飛行艇が華やかな活動をしたことがあった。これは,飛行艇は海上を滑走するので滑走路の長さに制限がなく,燃料を多量に積んで高翼面荷重にしても離水できること,洋上でエンジンの故障などのため不時着しても長時間水上に浮かんでいられること,水上基地の建設が陸上に滑走路をつくるより容易なことなどの理由によるものであったが,現在では技術の進歩により,陸上機でも安全に長距離の洋上飛行ができるようになったので,空気抵抗や構造重量が大きく,地上の取扱いでも不利を免れない飛行艇は,ごく限られた用途にのみ使用されるようになった。また一つの機体で陸上用と水上用と両方の降着装置をもつものを水陸両用機という。
機体の構造と強度
飛行機を構成する主翼,胴体,尾翼,降着装置などの機体部分は,それぞれの部分が十分な機能を果たせるよう,じょうぶでしかも軽量にできており,そのうえ長期間の使用に耐えなければならない。とくに重量を軽くする要求は,他の乗物に比べてはるかにきびしく,このため新しい材料や工作法をどんどんとり入れて改良をはかっている。
主翼,胴体,尾翼の標準的構造は軽合金の骨組みに軽合金の外板を張った全金属製構造である。外板は単に飛行機の外形を保持するだけでなく,骨組みと一体になって,機体にかかる曲げとかねじりとかの荷重を負担するのがふつうである。このため外板の局部的変形を防ぐため,その内側に縦通材などの補強材が取り付けられている。
軽合金としては,多年アルミニウム合金が主用されているが,最近はチタン合金が,400℃近くまでの中温域で強度低下がなく十分な耐熱性があること,比重は4.5でアルミニウム合金と鋼との中間であるが,強度重量比はこれらの材料中でもっとも優れていること,疲労,応力腐食などに強く,耐食性も優れていることなどの長所をもつので,耐熱材としてだけでなく,高応力部材にも使われ,機体の軽量化に寄与している。例えば最近のマクダネル・ダグラスF15戦闘機では,チタンの使用量が全構造重量の25%に達している。また最近では,各種の繊維強化プラスチック(FRP)が機体の構造材料としても使われ始めた。これは各種の有機繊維をエポキシ樹脂などの媒体で固めた複合材料である。このうちガラス繊維複合材は,レーダー電波の透過性をもつ材料としてレドーム(レーダーアンテナのカバー)などに古くから使われてきたが,剛性が足りないため強度部材には使えなかった。ところが,炭素,アラミドなどの繊維を使った複合材は,比重のわりに強度や剛性が従来の航空機用金属材料をしのぐものが多く,これを適所に利用することにより,機体構造重量の大幅な軽減が期待できる。図
→航空機材料
装備
飛行機の高性能化,大型化に伴い,近代的飛行機では各種の装備が充実し,価格の点からも重要度の点からも飛行機全体の中で装備の占める比率が大きくなってきた。つまりかつてはもっぱら人間の感覚や運動神経や体力などに頼って飛行機を運航していたが,だんだん人間の手に負えなくなって,その代理あるいは助手をつとめる装備品が必要になってきたのである。
まず飛行機の現在の状態,あるいはおかれている環境についての正しい情報を乗員に提供する装置として,計器類,航法装置,通信装置がある。計器類には,飛行機の速度,高度,上昇率,飛行機の姿勢,エンジン,プロペラの状態などを指示するものが多数あり,これらは操縦席の計器板に取り付けられている。航法装置は地上の各種の施設から送られてくる電波を受けたり機上のレーダーを使って,機の現在位置,方位などの情報を知らせる。また加速度計とコンピューターを組み合わせ,加速度から速度,速度から進んだ距離と方向を算出して,現在位置を正確に知らせる慣性航法装置も用いられている。通信装置は地上あるいは他機と交信をするためのもので,航空交通管制部などからの指示や気象通報を伝達する。乗員はこれら各種の情報に基づき飛行機を運航するのであるが,最近はディジタル電子技術の導入によって各種の情報量を多色CRT(cathode ray tubeの略,いわゆるブラウン管)に数字,文字,記号,図形などで表示する方式が実用になり,目盛と指針による従来の計器表示に比べて読取りが容易で,かつ精度が高められるようになった。同様の情報量を操縦者前方の風防ガラスに写し出し,外部視界といっしょに読み取れるようにしたヘッドアップディスプレーという方式もあり,着陸進入時や射撃のとき便利である。また最近はとくに燃料節約などの目的で飛行管理システム(FMS。flight management systemの略)も実用化されている。これは,飛行機の性能に影響する諸情報(飛行機の重量,飛行高度,外気温,風など)によって,例えばある区間を飛ぶのに燃料がもっとも経済的になる飛行速度,経路などを機上のコンピューターで計算し,その信号でエンジンの出力制御,飛行制御を自動的に行うと同時に,操縦者のモニター用に,CRTで必要な情報を提供するシステムである。そのほか最近の電子技術の目覚ましい発達で新しい装置,システムが次々に実用化され,操縦室周辺に革命を起こしている。
→航空計器
世界の航空宇宙工業
飛行機産業,航空機工業はミサイル,宇宙開発等の進展により,今日では広く航空宇宙工業として包括的にとらえられている。ここではこうした観点から世界の航空宇宙工業について記す。なお,日本については〈航空宇宙工業〉の項を参照されたい。
世界の航空宇宙工業(共産圏を除く)の売上げのシェア(市場に占める割合)をみると,1980年代の初めでアメリカが約70%,続いてイギリス,フランス,西ドイツ,さらにカナダ,イタリア,日本となる。またアルゼンチン,ブラジル,イスラエル,インドネシア,中国などでは,航空機工業はおもに先進諸国からの技術移転によってスタートし,技術先端産業のため工業化のリーディング産業として,また安全保障上の見地から各国政府とも育成に力を入れている。その結果,かなりの数の航空機を輸出している国や,先進国と共同開発を行っている国(ブラジルはイタリアと,インドネシアはスペインとなど)もある。さらにイスラエル,インド,中国では高度な技術を必要とするジェット戦闘機の開発を独自に行っている。
アメリカ
アメリカの航空宇宙工業は共産圏を除き,世界最大の規模をもっている。1960年代にはアポロ計画とベトナム戦争による緊急調達で好況を呈したが,68年をピークとして,ベトナム和平に伴い需要は減退していったが,78年ころから再び上昇に転じた。売上高の対GNP比率でみると,1968年の3.4%が76-79年には1.8%まで下がり,83年には2.3%となった。83年の売上高は758億ドルで,内訳は民間機122億ドル,軍用機290億ドル,ミサイル91億ドル,宇宙関係139億ドル,その他116億ドルである。その需要先は国防省393億ドル,NASAなどの政府機関59億ドル,民間190億ドルなどとなっている。また航空宇宙製品の輸出額が161億ドル(うち,民間向け106億ドル,軍用向け55億ドル)に対し輸入は35億ドルで,126億ドルの出超である。同時期のアメリカの貿易収支が607億ドルの入超であることを考えると,航空宇宙工業はアメリカの貿易バランスに貢献しているといえる。
またアメリカの航空宇宙工業は,小型の単発機から巨大なジェット旅客機や超音速軍用機,さらに大型ロケットまでを大量に生産できる能力を備えている。この背景には,政府が自国の安全保障上からも自由陣営のリーダーとしても性能のすぐれた航空宇宙製品を開発し生産する能力を必要と考えており,このため国防省による研究開発や生産基盤に対する莫大な投資と併せて,大規模な研究施設と優秀なスタッフを有するNASAによる研究の成果が企業に提供されていることがある。上記の理由に加えて,国内に大きな市場をもつメリットも無視できない。しかし,ワイドボディ旅客機の分野ではヨーロッパの国際協同会社のエアバス・インダストリー社Airbus Industrieが進出してきている。
ヨーロッパ
ヨーロッパの航空工業は第2次大戦で大きな被害を受けたが,アメリカの軍用機,ヘリコプター,エンジンなどのライセンス生産などにより,その立直しがなされた。各国とも政府の強力な施策のもとに,航空機工業の実力が向上してきたが,同時に開発費の上昇,市場の確保,アメリカに対する対抗等のため,ヨーロッパ内での国際共同開発・生産が行われている。主要な例は,民間機では超音速旅客機コンコルド(イギリス,フランス),旅客機F28(オランダ,ドイツ,イギリス),エアバスA300,A310(フランス,ドイツ,イギリス,スペイン,オランダ,ベルギー),コミューター機のATR42(フランス,イタリア)等があり,軍用機ではトランザール輸送機(フランス,ドイツ),ジャガー攻撃/練習機(イギリス,フランス),アルファジェット攻撃/練習機(フランス,ドイツ),トーネード戦闘機(イギリス,ドイツ,イタリア)等がある。
上記のうち,コンコルドは16機の生産で航空会社への引渡し14機にすぎず,経済的には失敗に終わったがアメリカに先がけて超音速輸送機を開発したという実績はヨーロッパの航空機工業に大きな自信と誇りを与えた。また民間機の共同プロジェクトで最も成功を収めているのはエアバス・インダストリー社である。1970年12月に設立され,1980年代半ばのメンバーとその責任分担率は,フランスのアエロスパシアル社37.9%,ドイツのドイツ・エアバス社37.9%,イギリスのブリティッシュ・エアロスペース社20%,スペインのCASA社4.2%である。このほかにオランダのフォッカー社とベルギーのベルエアバス社が協力メンバーとなっている。1980年代半ば,1980年代半ば当時,ワイドボディ・2通路型のA300(300席クラス。1969開発開始)とA310(200席クラス。1978開発開始)の生産販売が行われている。78年には2通路型旅客機の販売で,ボーイング社に次ぐ世界第2位のメーカーとなった。
宇宙の分野でも欧州宇宙局European Space Agency(ESA)が1975年に発足し,ヨーロッパ諸国が協力して宇宙関係の基礎研究,科学分野と実利用分野の衛星等の研究開発を実施している。加盟国はベルギー,デンマーク,フランス,ドイツ,イタリア,オランダ,スペイン,スウェーデン,スイス,イギリスおよびアイルランドの11ヵ国であり,オーストリアとノルウェーが準加盟国となっている。
ヨーロッパでは共同開発・生産と併せて企業の統合と国有化が強力に推進された。イギリスでは1949年には機体33社,エンジン12社があったが,主要な航空機メーカーはブリティッシュ・エアロスペース社(50%国有),ショート社(100%国有),ヘリコプターメーカーは,ウェストランド社(民間),エンジンメーカーはロールス・ロイス社(100%国有)となっている。フランスも同様に統合と国有化が行われ,機体会社はアエロスパシアル社(75%国有),ダッソー・ブレゲー社(46%国有),エンジンメーカーはSNECMA社(90%国有)およびチュルボメカ社(民間)となっている。ドイツは機体会社がMBB社とドルニエ社の2社,エンジンはMTU1社となっているが,いずれも民間会社である。イタリアではアエリタリア社とアグスタ社に統合されており,政府の開発機関や特殊会社を通じてアエリタリア社の100%,アグスタ社の51%の株式を国が保有している。
主要国の航空宇宙工業の規模を数字でみると,イギリスは売上げが約55億ポンドで,うち約34億ポンドが輸出(1983),フランスは売上げが513億フランで,うち321億フランが輸出(1982),西ドイツは売上げが127億マルクで,うち64億マルクが輸出(1982),イタリアは売上げが2兆9000億リラで,うち1兆9000億リラが輸出(1982),となっている。
カナダ
カナダの航空宇宙工業はアメリカと密接な関係にあり,1980年では輸出の53%,輸入の95%がアメリカとの取引である。機体会社としてはデ・ハビランド・カナダ社とカナダエア社があるが,いずれもカナダ政府の航空機産業振興政策により国営企業となった。STOL輸送機やビジネスジェット機を独自に生産しているが,そのほかにカナダ国防軍用にアメリカ機のライセンス生産やアメリカ企業の下請生産を行っている。また,プラット・アンド・ホイットニー・カナダ社では小型ガスタービンエンジンの開発生産を手がけている。1981年の総売上高は25.5億カナダ・ドルである。