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  11. 南方熊楠

南方熊楠

ジャパンナレッジで閲覧できる『南方熊楠』の日本大百科全書・世界大百科事典のサンプルページ

日本大百科全書(ニッポニカ)

南方熊楠
みなかたくまぐす
[1867―1941]

生物学者、民俗学者。和歌山県に生まれる。博覧強記、国際人、情熱の人として、日本を代表する人物の一人に数えられる。大学予備門(東京大学教養課程の前身)を中途退学してアメリカ、イギリスに渡り、ほとんど独学で動植物学を研究。イギリスでは大英博物館で考古学、人類学、宗教学を自学しながら、同館の図書目録編集などの職につく。1900年(明治33)に帰国後は和歌山県田辺 (たなべ)町(現、田辺市)に住み、粘菌 (ねんきん)類(変形菌類)などの採集・研究を進める一方、民俗学にも興味を抱き、『太陽』『人類学雑誌』『郷土研究』『民俗学』『旅と伝説』などの雑誌に数多くの論考を寄稿し、民俗学の草創期に柳田国男 (やなぎたくにお)とも深く交流して影響を与えた。まとまったものとしては『十二支考』などが著名。

 南方が心血を注いで研究した粘菌類は森林の中に生息する小生物であるが、明治政府の進めた神社合祀 (ごうし)によって小集落の鎮守 (ちんじゅ)の森が破壊されることを憂い、1907年から数年間にわたって激しい神社合祀反対運動を起こす。これが後の自然保護運動のはしりとして再評価されている。1929年(昭和4)には田辺湾内の神島 (かしま)に天皇を迎え、御進講や標本の進献などを行う。南方没後の1962年(昭和37)両陛下南紀行幸啓の際、神島を望見した天皇は「雨にけぶる神島を見て紀伊の国の生みし南方熊楠を思ふ」という御製を詠んで追懐した。和歌山県白浜町には南方熊楠記念館がある。

[井之口章次]2019年2月18日



世界大百科事典

南方熊楠
みなかたくまぐす
1867-1941(慶応3-昭和16)

生物学者,人類学・民俗学者。和歌山市の金物商の次男として生まれる。1883年和歌山中学を卒業し,上京して大学予備門に入ったが,石器や土器,動植鉱物の標本採集に熱中し,ついに退学した。同窓には秋山真之,正岡子規,芳賀矢一,本多光太郎などがいた。86年に21歳で渡米,一時ミシガン州立ランシング農学校に在籍したが,曲馬団の事務員となって中南米,西インド諸島を巡遊し,その間も各種の標本や地衣類,菌類の採集に努めた。92年イギリスに渡り,ロンドン学会の天文学懸賞論文に第1位となってその名を知られ,大英博物館東洋調査部員に任ぜられた。イギリスの科学雑誌《Nature》や《Notes and Queries》にもしばしば寄稿し,また当時亡命中の孫文と親交を結び,後年も交流は続いた。7年余の滞英ののち1900年に帰国,ふたたび和歌山,勝浦,那智を中心として隠花・顕花植物の採集とその分類整理に最晩年に至るまで没頭した。その一方で,《人類学雑誌》《植物学雑誌》《太陽》《日本及日本人》などに次々と寄稿して,その古今東西を兼ねた博大な学識と,ナチュラリストとしての着実な識見は高く世に評価された。しかし根っからの野人だった彼は,官学をはじめ体制側の権威に対する反抗心が一貫し,たとえば神社合祀への反対は過激な行動にまで及んだ。また一方,大蔵経,《法苑珠林(ほうおんじゆりん)》など大部の仏典を読んだ知識を駆使して,柳田国男らの日本民俗学に欠けていた歴史的観点を大いに補訂した。というよりは,そもそも日本に民俗学を根づかせたのは,彼によるヨーロッパ民俗学の導入であり,しかも彼はそれにグローバルで歴史的な肉付けを与えたのであった。

 彼の書く文章は,該博な知見に裏づけられながら,アカデミックなしかつめらしさはまったくなく,ときにはユーモアを交え悪口を挟み,読む者を飽かせない。とくに長大な履歴書や書簡類には興味深いものが多い。〈雑学者〉とそしられたり,〈百科学者〉と持ちあげられたり,また奇人として敬愛されもしたが,彼は一貫して在野の学者として,おのれの好むところに従い,それに徹した人であった。南方の主要な業績は,《南方熊楠全集》全12巻(平凡社)に集成されたが,菌類の膨大な図譜は未刊のまま残されている。
[入矢 義高]

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南方熊楠の関連キーワードで検索すると・・・
検索ヒット数 258
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検索コンテンツ
1. みなかた‐くまくす【南方熊楠】
日本国語大辞典
民俗学者、生物学者。日本民俗学の創始者の一人。和歌山出身。アメリカ・イギリスに渡り、大英博物館東洋調査部に勤務しながら動植物学・考古学・宗教学などを独学で研究。
2. 南方熊楠[文献目録]
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植物学者南方熊楠翁』渡辺篤『燈下私語 3 南方熊楠の手紙』浦松佐美太郎『南海奇人伝 郷土の大先輩南方熊楠先生を語る』佐藤春夫『南方熊楠翁』中山太郎『南方熊楠翁を
3. 南方熊楠
日本大百科全書
、神島を望見した天皇は「雨にけぶる神島を見て紀伊の国の生みし南方熊楠を思ふ」という御製を詠んで追懐した。和歌山県白浜町には南方熊楠記念館がある。井之口章次201
4. 南方熊楠
世界大百科事典
て在野の学者として,おのれの好むところに従い,それに徹した人であった。南方の主要な業績は,《南方熊楠全集》全12巻(平凡社)に集成されたが,菌類の膨大な図譜は未
5. みなかたくまぐす【南方熊楠】
国史大辞典
[参考文献]笠井清『南方熊楠』(『人物叢書』一四五)、同『南方熊楠―人と学問―』、同『南方熊楠―親しき人々―』、同『南方熊楠外伝』、同編『南方熊楠書簡抄―宮武省
6. みなかた-くまぐす【南方熊楠】画像
日本人名大辞典
1867−1941 明治-昭和時代前期の博物学者。慶応3年4月15日生まれ。大学予備門を中退し明治20年渡米。のちイギリスで大英博物館嘱託となり,「Nature
7. 南方 熊楠
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8. みなかたくまぐす【南方熊楠】
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9. 十二支考 1
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柳田国男とともに草創期の日本民俗学を先導した“巨人”南方熊楠。十二支の動物をめぐって,東洋から欧米にわたる古今の典籍を駆使し,鋭い自然観察と自由闊達な文体でつづ
10. 十二支考 2
東洋文庫
柳田国男とともに草創期の日本民俗学を先導した“巨人”南方熊楠。十二支の動物をめぐって,東洋から欧米にわたる古今の典籍を駆使し,鋭い自然観察と自由闊達な文体でつづ
11. 十二支考 3
東洋文庫
柳田国男とともに草創期の日本民俗学を先導した“巨人”南方熊楠。十二支の動物をめぐって,東洋から欧米にわたる古今の典籍を駆使し,鋭い自然観察と自由闊達な文体でつづ
12. 南方熊楠文集 1
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草創期の日本民俗学の先達,南方熊楠の英文をふくめた論考ほか,随筆,書簡文の代表的なものを精選した。『十二支考』(215-)とあわせて,南方の広範な業績のエッセン
13. 南方熊楠文集 2
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14. 南方熊楠(みなかた くまぐす)
岩波 生物学辞典
植物学者,民俗学者.和歌山生まれ.大学予備門を退学して,アメリカ経由でイギリスに渡り(1892),大英博物館東洋部で多くの翻訳や論文執筆を行う.1900年帰国,
15. 南方熊楠日記(著作ID:4373375)
新日本古典籍データベース
みなかたくまぐすにっき 南方 熊楠(みなかた くまぐす) 日記 明治一四‐昭和一六
16. あお‐うま[あを‥]【青馬・白馬】
日本国語大辞典
青馬と呼んだのは、純白の色は青ざめて見えることがあることからか〔世諺問答・白馬の節会に就て=南方熊楠〕。[発音]アオ〓
17. あたま‐うち【頭打】
日本国語大辞典
天井打ち。ずうち。〔取引所用語字彙{1917}〕(2)物事が限界に達して、進展の見込みがないこと。*南方熊楠の学風〔1952〕〈桑原武夫〉「やがてその上昇は頭打
18. アラビアン・ナイト 2 11ページ
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貞聖善猷 夫誤解  校α有 住石畝有 仕有 仕  仕右 仕首  細首 訳者 試着 覗者  壮者㎜咄南方熊楠文集12全二巻 岩 村  忍 編㎜ジーボルト最後の日本
19. アワビ画像
世界大百科事典
供したのが,現今の熨斗紙の起りである。また,各地にアワビを祭る神社のあることが知られているが,南方熊楠は,アワビが一枚貝で内面の真珠質の部分に光線のぐあいで神仏
20. イスラムとヨーロッパ 前嶋信次著作選 2 422ページ
東洋文庫
この説話集を研究材料として積極的に活用してきたのは、むしろ歴史学以外の領域の研究者であった。南方熊楠(一八六七-一九四一年)が一九〇七年にパートン版の英訳を入手
21. イスラムとヨーロッパ 前嶋信次著作選 2 423ページ
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「原文の表現に最も忠実」として無批判に利用していた点に問題があった。やはり装飾・付加の多いパートン版を利用した南方熊楠や、文化人類学者の石田英一郎(一九〇三-六
22. イスラムとヨーロッパ 前嶋信次著作選 2 445ページ
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p. 12.(28) 南方熊楠は一九〇七年九月二十二日にパートン訳『千夜一夜物語』全十二巻(一八九四年版)を入手 し、翌日から翌年一月十一日まで読み続けた。『
23. いそ‐の‐たちはき
日本国語大辞典
る)が刀をはいて、不浄参詣人を追いはらったという伝説、旧慣から。イソは神祠の前をさす古名か〔南方熊楠全集〕。
24. 一寸の虫にも五分の魂
故事俗信ことわざ大辞典
一寸の虫にも五分の魂(タマシヒ)とやら、武蔵潟には四尺八寸の魂がありそうな訳で」十二支考(1914~23)〈南方熊楠〉一・兎に関する民俗と伝説「扱一寸の虫にも五
25. いとう-よしあき【伊藤嘉昭】
日本人名大辞典
アメリカシロヒトリの総合研究を推進。沖縄のサトウキビの害虫防除の研究でも知られた。平成19年南方熊楠賞。平成27年5月15日死去。85歳。東京出身。東京農専(現
26. 井原西鶴[文献目録]
日本人物文献目録
著したか』森銑三『西鶴晩年の生活と芸術』暉峻康隆『西鶴晩年の心境 置土産の研究』寺沢良雄『西鶴対問』南方熊楠, 三田村鳶魚『西鶴無学文盲の説』村田穆『西鶴論』片
27. いわた-けいじ【岩田慶治】
日本人名大辞典
東南アジアの少数民族を調査,日本との比較民族学的研究をおこなう。アニミズムの再考を提唱。平成18年南方熊楠賞。平成25年2月17日死去。91歳。神奈川県出身。京
28. いわた-じゅんいち【岩田準一】
日本人名大辞典
譚」「鏡地獄」などに挿絵をかく。郷里三重県志摩地方の民俗伝承の研究や,男色の研究でも知られ,南方熊楠(みなかた-くまぐす)との往復書簡がある。昭和20年2月14
29. 陰毛
世界大百科事典
経》巻五十六には生ずる所にしたがって陰毛の色が変化する天人の話がある。〈七難のそそ毛〉の話は南方熊楠や柳田国男らの興味をそそり,互いに情報を交換している。それに
30. うえだ-まさあき【上田正昭】
日本人名大辞典
会を多面的にとらえる。また金達寿(キム-ダルス)らと朝鮮文化の日本文化への影響を研究。12年南方熊楠(みなかた-くまぐす)賞。兵庫県出身。著作に「日本神話」(毎
31. うじ[うぢ]【宇治】
日本国語大辞典
奈良県675 [語源](1)兎が群れて通ったことから起こったウヂ(兎道)からか〔兎に関する民俗と伝説=南方熊楠〕。(2)川の名に負うか〔日本古語大辞典=松岡静雄
32. うすべ‐どり【臼辺鳥】
日本国語大辞典
部鳥狐にはめばや新まくら」[語源]臼のあたりに付き纏って米を拾うことからか〔鶏に関する伝説=南方熊楠〕。[辞書]下学・文明・書言・言海[表記]【臼辺鳥】下学・文
33. 江戸川 乱歩
日本近代文学大事典
長谷川伸、土師清二、平山蘆江と大衆文芸合作組合耽綺社を結成。このころ同性愛文献の収集をはじめ、南方熊楠ゆかりの研究家岩田準一と交わりがあった。この面では『幻影の
34. 鸚鵡七十話 インド風流譚 213ページ
東洋文庫
第七日、第六話  は二人の情人こそ親子ではないが、その他の点においては全く本話と同巧である。南方熊楠「南方  随筆」(七九ページ)にはデカメ・ンの話とともに「三
35. 大岡政談 1 333ページ
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さらに遠くインドの説話にまでさかのぼることができる。これについて南方熊楠の考証を次に掲げよう。  〔南方熊楠「伝吉お六の話」『南方熊楠全集』第二巻所載〕    
36. おおやまじんじやあと【大山神社跡】和歌山県:日高郡/川辺町/入野村
日本歴史地名大系
れ、現在、旧社地は柑橘園となっている。明治四一年(一九〇八)頃より神社合祀反対運動を展開した南方熊楠は、当社の由緒・歴史を訴え、合祀に強く反対、県知事より存続許
37. オプチミズム
日本国語大辞典
*外来語辞典〔1914〕〈勝屋英造〉「オプティミズムOptimism (英) 楽天主義。楽観主義。楽天教」*南方熊楠の学風〔1952〕〈桑原武夫〉「彼のいわば底
38. 思う事言わねば腹ふくる
故事俗信ことわざ大辞典
考へた事は云ひたくなり、云った事は実現し度くなる、之が人情である」十二支考(1914~23)〈南方熊楠〉馬に関する民俗と伝説「もの言はねば腹膨るる抔理屈を付て喋
39. かい‐りょく‐らん‐しん[クヮイ‥]【怪力乱神】
日本国語大辞典
語ところと耳を洗ふといへども」*雑俳・柳多留‐一四〔1779〕「くゎいりょくらんしんのかたるたいこ持」*南方熊楠の学風〔1952〕〈桑原武夫〉「父の怪力乱神を語
40. かしま【神島】和歌山県:田辺市/新庄村
日本歴史地名大系
、林床に神島特有の粘菌などがあることで著名。また昭和四年(一九二九)の天皇行幸に際し、神島で南方熊楠が粘菌類について進講したことでも知られている。島の入口に熊楠
41. かわぞえ-のぼる【川添登】
日本人名大辞典
菊竹清訓らとメタボリズム・グループを結成。47年日本生活学会を設立し,理事長。62年郡山女子大教授。平成9年南方熊楠(みなかた-くまぐす)賞。CDI(Commu
42. かわの-しょういち【河野昭一】
日本人名大辞典
日本生物多様性防衛ネットワーク代表幹事,立山連峰自然保護ネットワーク理事長をつとめ,自然保護に尽力。23年南方熊楠賞。北海道出身。北大卒。
43. 川村 二郎
日本近代文学大事典
折口信夫、南方熊楠から現代作家藤枝静男、吉行淳之介にいたる一一人の作家と江戸の狂言作者たちを取上げて、その作品の幻想と現実の関わりを論じた連作エッセイ。従来ほと
44. 閑板 書国巡礼記 201ページ
東洋文庫
よく採録していた。この小形は第六号まで玉、昭和五年一月の第七号から普通の菊判に改めた。斯界の権威南方熊楠氏なども折角執筆の事だから永続させたいものである。 前後
45. キセルゴケ画像
世界大百科事典
は深山の腐木上に稀産する。キセルゴケと異なり,蒴柄がごく短く(約3mm),蒴は長卵形である。南方熊楠が和歌山県熊野で発見した標本に基づき命名された。北川 尚史 
46. 共古随筆 349ページ
東洋文庫
た著作は共古の仕事のうちの数十分の一にすぎず、ほとんどが未刊行の稿本としてまとめられていた。南方熊楠が厖大な写本や珍本の抜書帖を残したことは有名であるが、山中共
47. 共古随筆 361ページ
東洋文庫
沢衛彦、中山太郎、南方熊楠など性神を含めた性や物の問題に関心をもつ者や近世の考証学に連なる文献派は次第に学史や学界から異端者として弾き出されていくことになったの
48. 義経記 1 11ページ
東洋文庫
   ツ治了次三セ  ベ菊治静彦意郎男ル信ルニ彦軒校  訳    校注著 注著訳著 注著識謝南方熊楠文集12金簪 岩㎜ジーボルト最後の日本旅行熱…場南嶋探験12
49. 臭い者身知らず
故事俗信ことわざ大辞典
1906~08)「臭(クサ)い者(モノ)、身(ミ)知(シ)らず」十二支考(1914~23)〈南方熊楠〉蛇に関する民俗と伝説「今の欧米人之を聞たら笑ふに極て居るが
50. くた‐かけ【鶏】
日本国語大辞典
(2)百済から渡来した鶏であるところから、クダラカケ(百済鶏)の略〔北辺随筆・名言通・鶏に関する伝説=南方熊楠〕。(3)東国で家をクダ、鶏をカケというところから
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