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誹風柳多留

ジャパンナレッジで閲覧できる『誹風柳多留』の国史大辞典のサンプルページ

国史大辞典

誹風柳多留
はいふうやなぎだる
川柳風狂句集。百六十七冊。初篇明和二年(一七六五)より二十二篇天明八年(一七八八)まで呉陵軒可有編。二十三篇寛政元年(一七八九)如猩編。二十四篇同三年一口編。二十五篇より二十九篇まで和笛編。三十篇文化元年(一八〇四)一口編。三十一篇より七十篇文政元年(一八一八)まで二世川柳編。七十一篇から七十三篇まで三世川柳編。七十四篇から百四十五篇まで四世川柳賤丸編。百四十五篇から百六十七篇天保九年(一八三八)まで五世川柳編。なお、寛政の改革によって三十篇まで、初板本の句のさし替えが行われて異版が出された。初篇の呉陵軒序がいうように、川柳評万句合入勝句の中から、わかりやすい句を題をはぶいて撰ぶ勝句集形式は、初代撰句時代で終り、川柳風狂句独立とともに、単独詠の一句を撰ぶように変化して、四世川柳の「俳風狂句」、五世の「柳風狂句」集と変貌したものである。江戸における雑俳前句付は、享保の収月によって都会的生活句に変化し、『俳諧武玉川』調の影響もあって、初代川柳の軽妙な人事人情作品に至る。それを鑑賞用に、一句として抜いた本『柳多留』が、逆に、前句付形式を破壊し、一句立へ転身させたともいえよう。江戸の風俗人情嗜好をこれほど端的に表現し得た作品集は他にはないが、句として風韻をもつのは、いわゆる「古川柳」(初代撰句)までで、あとは、政治に屈服し、かつ、前句を捨てたためにかえって余情を失い、観念的知的な勧善懲悪的道徳作品か、さもなければわざとらしい卑猥句に墜ち、「狂句」というと俗悪下劣で文学性のないものと考えられるような、作品群を量産したのである。翻刻は、『岩波文庫』の二十四篇まで、全篇としては『誹風柳多留全集』全十二巻が総索引一巻も付して定本となろう。
[参考文献]
沼波瓊音『柳樽評釈』、武笠山椒『誹風柳樽通釈』、宮田正信校注『誹風柳多留』(『新潮日本古典集成』)、浜田義一郎校注『誹風柳多留』初―一〇(『現代教養文庫』D二三六―二四五)
(鈴木 勝忠)
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検索コンテンツ
1. 『誹風柳多留』
日本史年表
1765年〈明和2 乙酉〉 7・‐ 呉陵軒可有編 『誹風柳多留』 刊。
2. はいふうやなぎだる【誹風柳多留】
日本国語大辞典
川柳集。一六七冊。呉陵軒可有ほか編。明和二~天保一一年(一七六五~一八四〇)刊。一~二四編前半までは初代柄井川柳、以下五世まで代々の撰集。「川柳評万句合」の中か
3. はいふうやなぎだる【誹風柳多留】
全文全訳古語辞典
[書名]江戸後期の川柳集。初代から五世まで代々の柄井川柳選句を集めたもの。略して、『柳多留(柳樽)』とも。一七六五年(明和二)の初編から一八三八年(天保九)の百
4. はいふうやなぎだる【誹風柳多留】
国史大辞典
『岩波文庫』の二十四篇まで、全篇としては『誹風柳多留全集』全十二巻が総索引一巻も付して定本となろう。 [参考文献]沼波瓊音『柳樽評釈』、武笠山椒『誹風柳樽通釈』
5. 柳多留(著作ID:7705)
新日本古典籍データベース
やなぎだる 誹風柳多留 誹風/柳多留 柳樽 呉陵軒可有(ごりょうけんあるべし) 等 編 雑俳 明和二‐天保九刊
6. はいふうやなぎだるしゅうい[ハイフウやなぎだるシフヰ]【誹風柳多留拾遺】
日本国語大辞典
〇年(一七九六~九八)に刊行。これを享和元年(一八〇一)星運堂が蔦屋から板木を譲り受けて「誹風柳多留拾遺」と改題板行したもの。「古今和歌集」の部立にならい、川柳
7. 『誹風柳多留拾遺』
日本史年表
1801年〈享和元(2・5) 辛酉〉 この年 『誹風柳多留拾遺』 刊。
8. あおとふじつな【青砥藤綱】
日本架空伝承人名事典
れた。[小池 章太郎]なまくらな武士に青砥はあわぬ也編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):13‐32刊行/開き:
9. あかししがのすけ【明石志賀之助】
日本架空伝承人名事典
ようになった。[池田 雅雄]角力にも昔荒にし志賀之助編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):92‐34刊行/開き:
10. あかしのおんかた【明石御方】
日本架空伝承人名事典
目をひく。[今井 源衛]胸をあかしの入道のしんせつさ編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):91‐6刊行/開き:1
11. あかぞめえもん【赤染衛門】
日本架空伝承人名事典
まえだという感想。寝なましものを小夜更ケてまだうせず編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):65‐10刊行/開き:
12. あさのたくみのかみ【浅野内匠頭】
日本架空伝承人名事典
れば。仮名手本忠臣蔵四段目判官で見るのはいたひ芝居也編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):66‐6刊行/開き:1
13. あさひなよしひで【朝比奈義秀】
日本架空伝承人名事典
坂東訛り(もさ詞)を使う)男伊達初買曾我小林の朝比奈苗字計りなり編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):40‐28
14. あしかがたかうじ【足利尊氏】
日本架空伝承人名事典
それぞれ見立てたおかしみ。尊氏はとほうづもなくにげて行編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):12‐4刊行/開き:
15. あべのさだとう【安倍貞任】
日本架空伝承人名事典
:1779(安永8年)(開き)衣川敵と味方で一首出来編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):39‐29刊行/開き:
16. あべのやすな【安倍保名】
日本架空伝承人名事典
776(安永5年)(開き)安名には九百余歳の大としま編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):11‐24刊行/開き:
17. あまかわやぎへい【天河屋義平】
日本架空伝承人名事典
絞め殺すべき其矻相。仮名手本忠臣蔵十段目忠臣の蔵元もする天川屋編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):95‐1刊行
18. あまてらすおおかみ【天照大神】
日本架空伝承人名事典
レ。沙石集巻一「太神宮御事」神代さへ海山陸と家督分け編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):40‐22刊行/開き:
19. あらきまたえもん【荒木又右衛門】
日本架空伝承人名事典
キの無いことを言いかける。大イそうな助太刀四十七騎也編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):37‐40刊行/開き:
20. ありわらのなりひら【在原業平】
日本架空伝承人名事典
、今業平という語さえある。色事にかけてはまめな男なり編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):16‐22刊行/開き:
21. いけのぜんに【池禅尼】
日本架空伝承人名事典
96~97(寛政8~9)(刊)頼朝は海より深い池の恩編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):66‐7刊行/開き:1
22. いざなきのみこといざなみのみこと【伊弉諾尊・伊弉冉尊】
日本架空伝承人名事典
よみ給ふ歌の心なり。玉伝深秘巻せきれいは一度おしへてあきれはて編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):68‐25刊
23. いしかわごえもん【石川五右衛門】
日本架空伝承人名事典
順礼に御報謝。金門五山桐二幕目しらなみが打と千鳥は音をはつし編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):32‐26刊行
24. いちかわだんじゅうろう【市川団十郎】
日本架空伝承人名事典
き:1782(天明2年)(開き)妨が団十冠を引おろし編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):88‐26刊行/開き:
25. いっきゅう【一休】
日本架空伝承人名事典
卓絶の滑稽和尚として認識された。一休ははしはわたらず中通り編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):73‐35刊行/
26. いわふじ【岩藤】
日本架空伝承人名事典
ことであろうとのキョクリ。念力で岩もとをしたかゞみ山編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):55‐10刊行/開き:
27. うえすぎけんしん【上杉謙信】
日本架空伝承人名事典
常山紀談巻之二「信濃国川中島合戦の事」川中嶋ハしんけんの勝負なり編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):79‐1刊
28. うきふね【浮舟】
日本架空伝承人名事典
妙境トモ神境トモ云ベシ。孔雀楼筆記巻之三花ちる里へ浮舟で息子行キ編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):94‐32
29. うすゆきひめ【薄雪姫】
日本架空伝承人名事典
劣りはせじと打ち笑う。新薄雪物語薄雪は三年が内とけぬなり編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):84‐4刊行/開き
30. うたん【雨譚】
日本国語大辞典
江戸中期の川柳作者。小山氏。江戸の人。医師。柄井川柳と親交をもち、天明五年(一七八五)刊「誹風柳多留」二〇編に序文を寄せる。旧蔵書として雨譚自身が注を施した「川
31. うとうやすかた【善知鳥安方】
日本架空伝承人名事典
いふかと思へば失せにけり。謡曲善知鳥いゝ声でうたふ安方面白し編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):84‐5刊行/
32. うめのよしべえ【梅の由兵衛】
日本架空伝承人名事典
奪うという設定になっている。[法月 敏彦]由兵衛を口の酢くなるほど誉る編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):26
33. うめわかまる【梅若丸】
日本架空伝承人名事典
以来カモメが都鳥と改名されたとの説。梅若の地代は宵に定マらず編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):初‐2刊行/開
34. うらしまたろう【浦島太郎】
日本架空伝承人名事典
5(安永4年)(開き)浦島ははぐきをかんでくやしがり編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):37‐10刊行/開き:
35. うんけい【運慶】
日本架空伝承人名事典
はない」と云つた。夢十夜うんけいの作のそばから乗て行編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):7‐24刊行/開き:1
36. えじまいくしま【江島・生島】
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(安永8年)(開き)まんぢうに成ルは作者も知らぬ智恵編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):初‐4刊行/開き:17
37. おうしゅう【逢州】
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消えて形はなかりけり。」けいせい浅間嶽暁の反吐に其角の名のたかさ編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):72‐21
38. おうじんてんのう【応神天皇】
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あらはれ給ふ八幡大菩薩御縁起雑兵に宿禰はやめを買に遣り編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):39‐26刊行/開き
39. おおいしくらのすけ【大石内蔵助】
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、この説もかなり流布された。煤掃の日迄は顔を汚してる編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):27‐31刊行/開き:
40. おおくにぬしのかみ【大国主神】
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汝命獲たまはむ。」とまをしき。古事記上巻耳長く波濤を経たる御聟入編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):96‐40
41. おおくぼひこざえもん【大久保彦左衛門】
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→一心太助[小池 章太郎]麩のごとく大久保にぎりたてまつり編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):55‐29刊行/
42. おおたどうかん【太田道灌】
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常山紀談巻之一「太田持資歌道に志す事」気のきかぬ人と山吹おいてにげ編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):25‐3
43. おおもりひこしち【大森彦七】
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見失いてぞ失せにける。大森彦七彦七も初手は業平気取也編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):49‐40刊行/開き:
44. おかるかんぺい【お軽・勘平】
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待てお詫せん。仮名手本忠臣蔵三段目うろたへてか勘平どのそこは臍編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):120‐5刊
45. おきく【お菊】
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雨は頻りに降り頻る。播州皿屋舗皿のかはりに丼りとむごいこと編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):55‐11刊行/
46. おぐりはんがん【小栗判官】
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当流小栗判官二段目「小栗鬼鹿毛曲乗の段」にげ尻でかいばくわせる寺おとこ編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):5‐
47. おしゅんでんべえ【お俊・伝兵衛】
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れる。[小池 章太郎]ソリヤ聞へません聾さん耳ツとう編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):159‐15刊行/開き
48. おたけ【お竹】
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うかがわせる。[森下 みさ子]仏ともしらず壱両弐分で置き編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):28‐17刊行/開
49. おに【鬼】
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766年(明和3)(開き)渡辺へ伯母より先へ山師くる編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):127‐80刊行/開き
50. おにおうどうざぶろう【鬼王・団三郎】
日本架空伝承人名事典
される)恋便仮名書曾我鬼の目になみだをながす曾我の貧編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):10‐32刊行/開き:
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川柳風狂句集。百六十七冊。初篇明和二年(一七六五)より二十二篇天明八年(一七八八)まで呉陵軒可有編。二十三篇寛政元年(一七八九)如猩編。二十四篇同三年一口編。二十五篇より二十九篇まで和笛編。三十篇文化元年(一八〇四)一口編。三十一篇より七十篇
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