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  11. 春の深山路(中世日記紀行集)

春の深山路(中世日記紀行集)

ジャパンナレッジで閲覧できる『春の深山路(中世日記紀行集)』の日本古典文学全集のサンプルページ

新編 日本古典文学全集
春の深山路(中世日記紀行集)
はるのみやまじ(ちゅうせいにっききこうしゅう)
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【現代語訳】
〔一〕 
都住まいも、思いがけず、今年で四年になったであろうか。過ぎ去った三年の間は、ひきつづき、近親の不幸ゆえに、闇に惑う心持で過ごしながら、涙の間々には、出仕することもあったけれども、万事につけて物憂く思われて、日記に書き記すこともしなかった。

〔二〕 
今日は正月の一日である。高位高官にある身ではないので、元旦の出仕はする気にならず、家にこもっていた。御所に近い家の利点として、出仕の人々を家の中から見て、心を慰めた。亡き祖父の参議の時代から、和歌所といって、その頃は、和歌の世界も格別にはなやかな状況であったし、亡き父の兵衛督の代にも、初め頃には、歌人たちも多く、盛りであったことだ。しかし、父の代の終り頃の、私が実際に見させていただいた頃は、順々に古い和歌の数寄者たちも、和歌だけは残しておいて、大半は冥途へ旅立ってしまったので、とくに歌人も少なくなっていったが、さらに、私の代になってからは、和歌の道に志す同志もいなくなって、ひとり心のうちで嘆き悲し

【目次】
春の深山路(扉)
梗概
〔一〕序―日次記の開始にあたって
〔二〕和歌の現状と着到和歌の開始
〔三〕年賀の出仕
〔四〕東宮御所の懸の植え替えと賀茂神社参詣
〔五〕東宮の蹴鞠始め
〔六〕東宮の歌会始め
〔七〕松尾神社の石の塔供養
二月
〔八〕東宮御所へ自邸の桜を移植
〔九〕後深草院の蹴鞠始め
〔一〇〕内裏での数鞠と祈年穀の使
〔一一〕東宮の帰り足と内裏の勝負の蹴鞠
三月
〔一二〕無文の燻革の襪の勅許
〔一三〕毘沙門堂の花見
〔一四〕千本の花見と雨宿りの念仏
〔一五〕内裏の蹴鞠の雪辱戦と左方の負けわざ
〔一六〕内裏の蹴鞠の雪辱戦の負けわざ
〔一七〕大柳の懸庭における東宮の蹴鞠
四月
〔一八〕郭公の初音の勝負
〔一九〕郭公の勝負の争論と再勝負
〔二〇〕郭公の勝負の負けわざ
五月
〔二一〕内裏の物忌の宿直と方違えの行幸
〔二二〕東宮御所の蹴鞠と暁の東宮との物語
〔二三〕内裏の連歌連句の勝負と東宮御所の音楽
〔二四〕連歌連句の負けわざと探り題百首歌の開始
六月
〔二五〕探り題百首歌の結願と祇園会の馬長
〔二六〕古今集の談義と探り題の百首の再開と結願
〔二七〕東宮御所の触穢と鎌倉よりの使者
〔二八〕東宮御所の千首歌の清書
七月
〔二九〕東宮の百日の歌の開始と千首歌の誓状
〔三〇〕東宮の歌合の雪辱戦と続百首歌
〔三一〕東宮への日本書紀進講
〔三二〕作者の和歌や博学についての評判
八月
〔三三〕硯くらべで一位となることと唐硯の御下賜
〔三四〕八月十五夜の東宮の歌合と内裏の駒牽き
〔三五〕句抄と古今集の問題点の集成
九月
〔三六〕東宮への忠勤の評価と読書に関する進言
〔三七〕院御所での名残の盃と東下延引の要請
十一月
〔三八〕東宮御所の続百首歌の主要な和歌
〔三九〕東宮御所の別れの宴
〔四〇〕御深草院の仰せ言と土産の鞠と扇拝領
〔四一〕鎌倉への出発、都より鏡の宿まで
〔四二〕老蘇より番場の宿まで
〔四三〕醒井より墨俣まで
〔四四〕杭瀬河より萱津まで
〔四五〕熱田神宮より八橋の宿まで
〔四六〕山路を通り、由比へ出、車返まで
〔四七〕黄瀬河より三島神社まで
〔四八〕箱根山より鎌倉到着まで
〔四九〕十二月晦日の東宮の手紙
校訂付記

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20. 梁塵秘抄 374ページ
日本古典文学全集
ここは平清盛のこと。太政大臣で出家した人をいう。言うことがよく当たる。「ゆゆしくまさしき童かんなぎ」(春の深山路)。
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