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  11. 土佐日記

土佐日記

ジャパンナレッジで閲覧できる『土佐日記』の日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典・国史大辞典のサンプルページ

日本大百科全書
土佐日記
とさにっき

紀貫之(きのつらゆき)作。『土左日記』とも書く。土佐守(とさのかみ)の任満ちた貫之が、934年(承平4)12月21日に任地をたち、翌年2月16日に帰京するまでの55日間の海路の旅をもとにした日記体の紀行文。帰京後まもなくに成立か。「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとて、するなり。」といい、筆者を女性に仮託して、全行程を1日も欠かさず、仮名文で書きつづる。仮名文による新しいジャンルを創始したものとして、画期的な意義をもつ作品である。女性に仮託したことについてはなお諸説あるが、公の立場を離れて私的な立場からの感懐を語るため、また、全編に57首もの歌を配するので、それを異和感なく繰り込むため、そして、虚実混交の記事内容を統一あるものにするため、などの理由が考えられる。それらはいずれも男性の漢文日記では不可能なことなので、仮名文による日次記(ひなみのき)を必要とした、という一点にかかわっていこう。ともかく、後の仮名文学全盛を促した意味でも『土左日記』の果たした先駆的役割は大きい。
内容は、旅の行程、天候、人々との離別、人情の厚薄、船中での人々の動静、自然景観、風波や海賊への恐れ、京へのあこがれ、ときに発する滑稽諧謔(こっけいかいぎゃく)、風刺などがあるが、なかでも印象的なのは彼地(かのち)で失った幼児への哀切な追懐である。また、歌とそれにかかわる歌論めいた言辞の多さにも目をひかれる。それらはかなりのフィクションを含んで、意図的に構成されてもいる。しかし、何がこの作品の中心的なテーマなのかは、かならずしも明らかではない。虚と実の、そのいずれでもない合間に、新しい世界をつくりだすこと自体がねらいであったといえよう。
諸本では、貫之自筆本を〔1〕藤原定家(ていか)が書写した前田家本、〔2〕定家の子為家(ためいえ)が書写したものの転写本である青谿書屋本(せいけいしょおくぼん)が有名である。〔1〕の末尾数行は貫之の手跡を模してある。〔2〕は原型本の再建を試みてほぼ成功した池田亀鑑(きかん)が多く用いた本である。なお、1984年(昭和59)になって発見されたものに〔3〕為家書写本がある。〔2〕の親本で、〔1〕よりさらに正確に原典の風姿を伝えているといわれる。
[菊地靖彦]


改訂新版・世界大百科事典
土佐日記
とさにっき

平安中期,935年(承平5)ころ成立の作品。作者は紀貫之。934年12月21日,新任の国司島田公鑒に国司の館を明け渡して大津に移った前土佐守紀貫之は,27日大津を出帆し,鹿児崎(かこのさき),浦戸,大湊,奈半(なは),室津,津呂,野根,日和佐(ひわさ),答島(こたじま),土佐泊,多奈川,貝塚,難波,曲(わた),鳥飼,鵜殿,山崎と,船路の泊りを重ね,翌年2月16日ようやく京のわが家へ帰り着いた。その間の知人交友との離別の事情,各地の風光や船中のできごと,または港々でのエピソード,水夫たちの船唄などを克明に日記しておいたのであろう。それは当然,真名(まな)の漢文日記であったと思われるが,土佐在国中に醍醐天皇をはじめ右大臣藤原定方,権中納言藤原兼輔ら有力な後継者をすべて失った貫之としては,大家族を扶養してゆくためには,権力者太政大臣藤原忠平父子に接近して官職を得なければならなかった。その就職請願の〈申文(もうしぶみ)〉ともいうべきものが,このかな書き和文の《土佐日記》であった。素材を旅の体験に取り,様式を日次(ひなみ)の記としてはいるが,単純な意味での日記紀行ではない。それは事実をはなはだしく朧化した虚構を加えているからである。作者を女性に仮託してかな文を用いたのは,土佐で失った女児を追慕するみずからの悲しみを見つめた自己観照の文学とするためであり,軽快な諧謔をまじえて一般国司の腐敗堕落や交通業者の不正行為を痛烈に風刺し,みずからの廉直清貧を主張するのは,権力者への訴えを兼ねた社会批判の書とするためである。老若男女さまざまな性格の人物を登場させた戯曲的構成のもとに,貫之が生涯を通じて追求し続けた高度の歌論をかみ砕いて具体的にわかりやすく楽しく説き明かすのは,権力者の子弟たる初心入門の年少者の教科書とするためであったと思われる。押鮎と鯔(なよし)の頭との恋を空想する童話性,船と並行して山も進むかに見える錯視を取り上げた動画的描写,幼児の感覚で思考するこの老歌人の感受性の柔軟さ,しかも緩急自在な文章のリズムに読者をひきこんでゆく技巧の達者なことは驚嘆に値する。歌論,風刺,自照と三つの主題をあやなしてゆくなかに,先祖の船守や敬愛する兼輔への鎮魂の文章をすら気づかれぬようにそっと忍ばせておく根性のしたたかさ,この掌編からくみ取られる効果のおそるべき多様さは,この作品が以後の日本文学の歴史に,日記文学,私小説,歌論書等の出発点となったことを認めただけではもの足りぬほどである。
[萩谷 朴]

[索引語]
紀貫之

国史大辞典
土佐日記
とさにっき
和文日記。古くは『土左日記』と書かれる。紀貫之(きのつらゆき)著。一巻。貫之の土佐守在任は延長八年(九三〇)正月二十九日発令、承平四年(九三四)四月二十九日に後任者が任命され、暮までその事務引継ぎがあり、翌年春に帰京したので、成立は承平五年ごろと考えられる。承平四年十二月二十一日に土佐の国府を出て、翌年二月十六日に帰京したように書かれており、これは旅中のメモなどに基づいたのであろうから、実際の日程を示すものと見てさしつかえあるまい。全体が前土佐守に随従して帰京する女性の見聞であるかのごとく設定されているのは、文芸としての日記たらしめようとするための仮構であり、ほかにも仮構は少なくないようである。旅中のメモは、必ずしも精細でなかったらしく、地理的に正確を欠く所のあることが指摘されている。この日記の全文を『大日本史料』一ノ六の承平五年二月是月条に掲載するけれども、すべての点に関して第一史料であるとは認めがたい。成立年代の確かな和文叙事作品として最古のものであり、文芸的な価値が高いけれども、国語学資料としてそれ以上に貴重であろう。その本文が、貫之自筆本にきわめて近いところまで再建できる、稀有の好条件に恵まれているからである。貫之自筆本がおそらくは十六世紀ごろまで存在し、それを藤原定家・藤原為家・松木宗綱・三条西実隆が写したのであり、特に昭和五十九年(一九八四)に発見された為家の写本は、貫之自筆本の再建にあたり、基幹となる貴重資料である。宗綱本と実隆本はその転写本しか現存しないけれども、書写態度は忠実度が高く、貫之自筆本の再建に有用である。
[参考文献]
池田亀鑑『古典の批判的処置に関する研究』、竹村義一『土佐日記の地理的研究―土佐国篇―』、山田孝雄「土佐日記に地理の誤あるか」(『文学』三ノ一)
(小西 甚一)
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1. 土佐日記
日本大百科全書
紀貫之(きのつらゆき)作。『土左日記』とも書く。土佐守(とさのかみ)の任満ちた貫之が、934年(承平4)12月21日に任地をたち、翌年2月16日に帰京するまでの ...
2. 土佐日記
世界大百科事典
得なければならなかった。その就職請願の〈申文(もうしぶみ)〉ともいうべきものが,このかな書き和文の《土佐日記》であった。素材を旅の体験に取り,様式を日次(ひなみ ...
3. とさにっき【土佐日記/土左日記】
デジタル大辞泉
平安中期の旅日記。1巻。紀貫之作。承平5年(935)成立とされる。任地の土佐を船出して都に帰るまでの55日間の出来事を、作者を女性に仮託して仮名書きで記したもの ...
4. とさにっき【土佐日記】
全文全訳古語辞典
[書名]平安中期の紀行日記。紀貫之著。成立は九三五年(承平五)頃。国司の任を終えた作者が、九三四年(承平四)十二月土佐(=高知県)の官舎を出て、翌年二月に都の自 ...
5. とさにっき【土佐日記】
国史大辞典
。 [参考文献]池田亀鑑『古典の批判的処置に関する研究』、竹村義一『土佐日記の地理的研究―土佐国篇―』、山田孝雄「土佐日記に地理の誤あるか」(『文学』三ノ一)  ...
6. 土佐日記
日本古典文学全集
〈男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり〉という書き出しで有名な、日記文学の先駆け。『古今集』の撰者でもある歌人・紀貫之(きのつらゆき)が、みずか ...
7. とさにっき【土左日記・土佐日記】
日本国語大辞典
紀行日記。一巻。紀貫之(きのつらゆき)著。承平五年(九三五)頃の成立。承平四年一二月二一日、任国土佐を発して翌年二月一六日に京都に着くまでの見聞や、海路の辛苦の ...
8. 『土佐日記』
日本史年表
935年〈承平5 乙未〉 この頃 紀貫之、 『土佐日記』 を著す。  ...
9. あおうまのせちえ【白馬節会】
国史大辞典
名、『万葉集』二〇)の歌をはじめ「今日はあを馬を思へどかひなしただ波の白きのみぞ見ゆる」(『土佐日記』)、「降る雪に色も変らで牽くものを誰あを馬と名づけ初(そ) ...
10. あかおかむら【赤岡村】高知県:香美郡/赤岡町
日本歴史地名大系
。近世赤岡の学者・文人に、仲井竹山の門弟で文化三年(一八〇六)に北固私塾を開いた田宮宇内、「土佐日記」にもみえる宇多の松原を保存するため松苗数千本を植え、私塾琴 ...
11. 明石(源氏物語) 224ページ
日本古典文学全集
荒波の静まる折がない須磨の情景をかける。「行く人もとまるも袖の涙川汀のみこそ濡れまさりけれ」(土佐日記)。「君惜しむ涙おちそひこの川の汀まさりて流るべらなり」( ...
12. 明石(源氏物語) 225ページ
日本古典文学全集
→須磨一六五・一八一・二一六・二一七ページ。従者たちがおびえて騒ぎ立てているので。さまざまの色彩の幣帛。『土佐日記』にも海神に幣を献げることが見える。五色の絹布 ...
13. あがた【県】
全文全訳古語辞典
すべて東の国と言った。❷平安時代、国司など地方官の任国。また、その任国で地方官を勤めること。 土佐日記 十二月二十一日 男もすなる(2) 「にき(日記)」ある人 ...
14. あきぐん【安芸郡】高知県
日本歴史地名大系
うち多気神社は現奈半利町、坂本神社は現奈半利町とも芸西村ともいわれ確定できない。なお紀貫之「土佐日記」には「なは」の地名がみえる。平安時代中期以降、郡内には荘園 ...
15. 排蘆小船(近世随想集) 284ページ
日本古典文学全集
ひとつの形式。ここは逆接の意で、「来るに」などとあるべきところ。『和訓栞』「からうた、詩をいふ。土佐日記に見えたり。万葉集、続日本後紀に歌を詩といへり」。『古今 ...
16. あすかいまさありにっき【飛鳥井雅有日記】
国史大辞典
また仏道修業に憧れることを述べたもの。(二)は同六年秋・冬、嵯峨に阿仏尼と暮らす藤原為家のもとへ通って『土佐日記』など日記文学を借用し、『伊勢物語』『源氏物語』 ...
17. 小豆粥
世界大百科事典
入れるのは,赤飯と同じく,特別な食物のしるしである。小正月の1月15日の朝の粥は小豆粥が多く,《土佐日記》の承平5年(935)1月15日の条にも,〈あづきがゆ〉 ...
18. あずきがゆ【小豆粥】
国史大辞典
た。中国では、冬至にも小豆粥を食することが行われ、わが国で正月十五日に小豆粥を食したことは『土佐日記』にみえている。江戸時代には、十五日に食べる粥、すなわち望( ...
19. あぶうら【阿部浦】徳島県:海部郡/由岐町
日本歴史地名大系
[現]由岐町阿部 志和岐浦の北東に位置する。南は海に臨み、鹿ノ首岬などが形成する口の広い入江がある。「土佐日記」に「まこにやあらむ、かいぞくおふといへば、よなか ...
20. あまがさきし【尼崎市】兵庫県
日本歴史地名大系
神崎川河口に位置する神崎は京と西国地方を結ぶ交通の要衝となり、その様子は三善清行の意見十二箇条、「土佐日記」「兵範記」などにみえる。神崎遊女で知られた歓楽の地で ...
21. あわのみと【あわのみと】徳島県:鳴門市
日本歴史地名大系
土佐日記」承平五年(九三五)一月三〇日条に「かいぞくはよるあるきせざなりときゝて、よなかばかりにふねをいだして、あはのみとをわたる。よなかなれば、にしひんがし ...
22. 池田正式
世界大百科事典
に移住,寛文末年ごろ自害したと伝える。著書は《毛吹草(けふきぐさ)》の難書《郡山》のほか,《土佐日記講注》《堀河狂歌集》等。〈今宵三五あすみん月やしゝが谷〉(《 ...
23. 池田正式[文献目録]
日本人物文献目録
【書誌】:0件 【図書】:0件 【逐次刊行物】:2件 『池田正式の遺文をめぐって』植谷元『土佐日記聞書は池田正式の講注か』小川寿一 ...
24. いしづごう【石津郷】大阪府:和泉国/大鳥郡
日本歴史地名大系
孝徳朝に伊岐宮の造営のために讃岐国から石を運ぶ津となったために石津川と称するに至ったとある。「土佐日記」には石津の海岸には見事な松原が連なっていたとあり、「更級 ...
25. いしづのしょう【石津庄】大阪府:堺市/上石津村
日本歴史地名大系
「伊岐宮」造営の物資を讃岐国から運ぶ時、その着岸港として設定されたことに始まるとしている。「土佐日記」承平五年(九三五)二月五日条に「いしづといふところのまつば ...
26. 泉大津(市)
日本大百科全書
大阪湾に臨む。1942年(昭和17)市制施行。市名は和泉(いずみ)国の国府(現、和泉市府中)の外港で、『土佐日記』の「小津の泊(おづのとまり)」の小津が転化した ...
27. 伊勢物語 183ページ
日本古典文学全集
その宮へなむおはしましける。その時、右の馬の 八十二 遊びをして。こじき爺。卑しめた言い方。『土佐日記』承平五年(九三五)二月四日条「このかぢとりは、日もえは ...
28. 伊勢物語 184ページ
日本古典文学全集
れている。「院」は貴族の邸宅。水無瀬宮へ来た親王一行は、交野で狩をして、渚の院で宴を開く。『土佐日記』承平五年(九三五)二月九日条に、土佐より帰京の紀貫之が淀川 ...
29. いたのぐん【板野郡】徳島県
日本歴史地名大系
れており、土佐国司であった紀貫之は承平五年(九三五)に土佐から都へこの道を通って戻っている(土佐日記)。なお郡頭駅付近に阿波郡衙を比定する説がある。阿波・名方・ ...
30. 逸文参考(風土記) 584ページ
日本古典文学全集
。(下河辺長流書入、慶安版本『土佐日記』巻頭〈『土佐日記抄』、朝日新聞社版『契沖全集』附巻『長流全集』上巻、所収〉)→森尻麒一郎「風土記逸文 ...
31. いひ-つか・ふ【言ひ使ふ】
全文全訳古語辞典
〔他動詞ハ行四段〕は・ひ・ふ・ふ・へ・へ言いつけて仕事をさせる。召し使う。 土佐日記 十二月二十三日(1) 全文用例 二十三日。八木のやすのりといふ人あり。この ...
32. いふかひ-な・し【言ふ甲斐無し】
全文全訳古語辞典
ご覧になると、(悲しさを)どうしようもなくて。❷言葉にならないほどひどい。なんとも言いようがない。 土佐日記 二月十六日 帰京(1) 全文用例 夜ふけて来れば、 ...
33. いま‐し【今─・乃─】
日本国語大辞典
「いまし〈略〉乃の字すなはちとよむべき所をいましとよむは取ちがへたるにやといへどこも古語にや土佐日記にいまし羽根といふ所に来ぬ〈略〉或は今先の義さき反しやといへ ...
34. イワシ
日本大百科全書
しき)』にもイワシの名がみられ、節分の夜に焼いたイワシの頭とヒイラギなどを戸口にさす風習は『土佐日記』にも記されている。これは全国的なもので、節分に訪れる鬼がヒ ...
35. 植松有信
世界大百科事典
人となる。師から厚く信頼され,《古事記伝》をはじめ多くの師の著書の刊刻をまかされた。著書に《土佐日記冠註》《形喰草》《長閑日記》などがあるが,宣長が死去したとき ...
36. うきつむら【浮津村】高知県:室戸市
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川河口に至る村で、土佐湾に面する。南東から北にかけては室津村の山地、西北隣は元村。紀貫之は「土佐日記」によると承平五年(九三五)一月、浦伝いに船で土佐湾を東行、 ...
37. うさいだむら【兎田村】高知県:香美郡/野市町
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富家往還(現県道山北―野市線)が通る。鹿持雅澄は「土佐日記地理弁」で、本来ウダといっていたのを、のちにウサイダとよんだものとみて、「土佐日記」にみえる「宇多のま ...
38. 宇治拾遺物語 379ページ
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同集仮名序の筆者、また『土佐日記』の作者。土佐国(高知県)の長官。貫之の土佐への赴任は延長八年(九三〇)。国司の任期満了の年すなわち承平四年(九三四)。その十二 ...
39. 歌枕
日本大百科全書
思い描くのである。また、この歌枕は、紀行文や道行(みちゆき)のような文章と不可分にかかわっている。『土佐日記』『伊勢(いせ)物語』はその最初期の例であるが、後世 ...
40. うだのまつばら【宇多の松原】高知県:香美郡/香我美町/岸本浦
日本歴史地名大系
議がある。「土佐物語」所々一見の事条に「赤岡の松原を見渡して(中略)彼土佐日記のうだの松原を行すぐ」とあり、また「土佐日記地理弁」は兎田村(現野市町)の名に注目 ...
41. うどのむら【鵜殿村】大阪府:高槻市地図
日本歴史地名大系
西方の集落道斎は近世の河港で、蔵米の津出しや北部山麓諸村の物資を浜積みしたが、梶原村の枝郷であった。「土佐日記」には、紀貫之が土佐国守の任を終えて淀川をさかのぼ ...
42. うみ‐まつ【海松】
日本国語大辞典
だにひかましものを」*俳諧・増山の井〔1663〕六月「海松(みる) うきみる みるぶさ うみまつ 土佐日記」(1)珊瑚(さんご)。《うみまつ》相模†018 新潟 ...
43. 浦戸
世界大百科事典
海港,城地。浦戸湾口に位置し,古代以来高知平野を後背地とする海上交通の要衝であったことは,《土佐日記》《廻船大法奥書》などからもうかがわれ,1596年(慶長1) ...
44. うらど【浦戸】
国史大辞典
た海岸聚落で、土佐湾に彎入する浦戸湾の湾口を扼する海港としてその名を知られていた。紀貫之の『土佐日記』承平四年(九三四)十二月二十七日条に「おほつよりうらとをさ ...
45. うらどみなと【浦戸湊】高知県:高知市/浦戸村
日本歴史地名大系
根部にある。浦戸湾は地形としては港に適するが深度が浅く、この浦戸湊が外洋への要港であった。「土佐日記」承平四年(九三四)一二月二七日条に「おほつよりうらどをさし ...
46. うらどむら【浦戸村】高知県:高知市
日本歴史地名大系
東西に連なる標高五〇メートルほどの丘陵によって強風が防がれ天然の良港となっている。吾川郡に属した。「土佐日記」承平四年(九三四)一二月二七日条に「うらど」がみえ ...
47. うらどわん【浦戸湾】高知県:高知市
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島・比島などはその入海に点在した島であったと考えられる。また大津は内海における港であった。「土佐日記」承平四年(九三四)一二月二七日条に「おほつよりうらどをさし ...
48. 往生要集 1 日本浄土教の夜明け 361ページ
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をえているかもしれない。 そしてこれと同様、日記文学でもあまり見ることのできるものはない。『土佐日記』はもちろん、『かげろう日記』にしても、『往生要集』の成立以 ...
49. 大津(高知市)
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食品団地、住宅地の造成など市街地化が著しい。土佐国府の外港所在地とされ、紀貫之(きのつらゆき)の『土佐日記』にも船出の地として記載。近世以降の干拓地が広がり、か ...
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古代には今の国道二十六号線の西方あたりまで入江で、海上交通の要港としての役割を果たしていた。『土佐日記』『更級日記』に「小津の泊」「大津といふ浦」などと散見され ...
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