1. 土佐日記
日本大百科全書
紀貫之(きのつらゆき)作。『土左日記』とも書く。土佐守(とさのかみ)の任満ちた貫之が、934年(承平4)12月21日に任地をたち、翌年2月16日に帰京するまでの ...
2. 土佐日記
世界大百科事典
得なければならなかった。その就職請願の〈申文(もうしぶみ)〉ともいうべきものが,このかな書き和文の《土佐日記》であった。素材を旅の体験に取り,様式を日次(ひなみ ...
3. とさにっき【土佐日記/土左日記】
デジタル大辞泉
平安中期の旅日記。1巻。紀貫之作。承平5年(935)成立とされる。任地の土佐を船出して都に帰るまでの55日間の出来事を、作者を女性に仮託して仮名書きで記したもの ...
4. とさにっき【土佐日記】
全文全訳古語辞典
[書名]平安中期の紀行日記。紀貫之著。成立は九三五年(承平五)頃。国司の任を終えた作者が、九三四年(承平四)十二月土佐(=高知県)の官舎を出て、翌年二月に都の自 ...
5. とさにっき【土佐日記】
国史大辞典
。 [参考文献]池田亀鑑『古典の批判的処置に関する研究』、竹村義一『土佐日記の地理的研究―土佐国篇―』、山田孝雄「土佐日記に地理の誤あるか」(『文学』三ノ一) ...
6. 土佐日記
日本古典文学全集
〈男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり〉という書き出しで有名な、日記文学の先駆け。『古今集』の撰者でもある歌人・紀貫之(きのつらゆき)が、みずか ...
7. とさにっき【土左日記・土佐日記】
日本国語大辞典
紀行日記。一巻。紀貫之(きのつらゆき)著。承平五年(九三五)頃の成立。承平四年一二月二一日、任国土佐を発して翌年二月一六日に京都に着くまでの見聞や、海路の辛苦の ...
8. 『土佐日記』
日本史年表
935年〈承平5 乙未〉 この頃 紀貫之、 『土佐日記』 を著す。 ...
9. あおうまのせちえ【白馬節会】
国史大辞典
名、『万葉集』二〇)の歌をはじめ「今日はあを馬を思へどかひなしただ波の白きのみぞ見ゆる」(『土佐日記』)、「降る雪に色も変らで牽くものを誰あを馬と名づけ初(そ) ...
10. あかおかむら【赤岡村】高知県:香美郡/赤岡町
日本歴史地名大系
。近世赤岡の学者・文人に、仲井竹山の門弟で文化三年(一八〇六)に北固私塾を開いた田宮宇内、「土佐日記」にもみえる宇多の松原を保存するため松苗数千本を植え、私塾琴 ...
11. 明石(源氏物語) 224ページ
日本古典文学全集
荒波の静まる折がない須磨の情景をかける。「行く人もとまるも袖の涙川汀のみこそ濡れまさりけれ」(土佐日記)。「君惜しむ涙おちそひこの川の汀まさりて流るべらなり」( ...
12. 明石(源氏物語) 225ページ
日本古典文学全集
→須磨一六五・一八一・二一六・二一七ページ。従者たちがおびえて騒ぎ立てているので。さまざまの色彩の幣帛。『土佐日記』にも海神に幣を献げることが見える。五色の絹布 ...
13. あがた【県】
全文全訳古語辞典
すべて東の国と言った。❷平安時代、国司など地方官の任国。また、その任国で地方官を勤めること。 土佐日記 十二月二十一日 男もすなる(2) 「にき(日記)」ある人 ...
14. あきぐん【安芸郡】高知県
日本歴史地名大系
うち多気神社は現奈半利町、坂本神社は現奈半利町とも芸西村ともいわれ確定できない。なお紀貫之「土佐日記」には「なは」の地名がみえる。平安時代中期以降、郡内には荘園 ...
15. 排蘆小船(近世随想集) 284ページ
日本古典文学全集
ひとつの形式。ここは逆接の意で、「来るに」などとあるべきところ。『和訓栞』「からうた、詩をいふ。土佐日記に見えたり。万葉集、続日本後紀に歌を詩といへり」。『古今 ...
16. あすかいまさありにっき【飛鳥井雅有日記】
国史大辞典
また仏道修業に憧れることを述べたもの。(二)は同六年秋・冬、嵯峨に阿仏尼と暮らす藤原為家のもとへ通って『土佐日記』など日記文学を借用し、『伊勢物語』『源氏物語』 ...
17. 小豆粥
世界大百科事典
入れるのは,赤飯と同じく,特別な食物のしるしである。小正月の1月15日の朝の粥は小豆粥が多く,《土佐日記》の承平5年(935)1月15日の条にも,〈あづきがゆ〉 ...
18. あずきがゆ【小豆粥】
国史大辞典
た。中国では、冬至にも小豆粥を食することが行われ、わが国で正月十五日に小豆粥を食したことは『土佐日記』にみえている。江戸時代には、十五日に食べる粥、すなわち望( ...
19. あぶうら【阿部浦】徳島県:海部郡/由岐町
日本歴史地名大系
[現]由岐町阿部 志和岐浦の北東に位置する。南は海に臨み、鹿ノ首岬などが形成する口の広い入江がある。「土佐日記」に「まこにやあらむ、かいぞくおふといへば、よなか ...
20. あまがさきし【尼崎市】兵庫県
日本歴史地名大系
神崎川河口に位置する神崎は京と西国地方を結ぶ交通の要衝となり、その様子は三善清行の意見十二箇条、「土佐日記」「兵範記」などにみえる。神崎遊女で知られた歓楽の地で ...
21. あわのみと【あわのみと】徳島県:鳴門市
日本歴史地名大系
「土佐日記」承平五年(九三五)一月三〇日条に「かいぞくはよるあるきせざなりときゝて、よなかばかりにふねをいだして、あはのみとをわたる。よなかなれば、にしひんがし ...
22. 池田正式
世界大百科事典
に移住,寛文末年ごろ自害したと伝える。著書は《毛吹草(けふきぐさ)》の難書《郡山》のほか,《土佐日記講注》《堀河狂歌集》等。〈今宵三五あすみん月やしゝが谷〉(《 ...
23. 池田正式[文献目録]
日本人物文献目録
【書誌】:0件 【図書】:0件 【逐次刊行物】:2件 『池田正式の遺文をめぐって』植谷元『土佐日記聞書は池田正式の講注か』小川寿一 ...
24. いしづごう【石津郷】大阪府:和泉国/大鳥郡
日本歴史地名大系
孝徳朝に伊岐宮の造営のために讃岐国から石を運ぶ津となったために石津川と称するに至ったとある。「土佐日記」には石津の海岸には見事な松原が連なっていたとあり、「更級 ...
25. いしづのしょう【石津庄】大阪府:堺市/上石津村
日本歴史地名大系
「伊岐宮」造営の物資を讃岐国から運ぶ時、その着岸港として設定されたことに始まるとしている。「土佐日記」承平五年(九三五)二月五日条に「いしづといふところのまつば ...
26. 泉大津(市)
日本大百科全書
大阪湾に臨む。1942年(昭和17)市制施行。市名は和泉(いずみ)国の国府(現、和泉市府中)の外港で、『土佐日記』の「小津の泊(おづのとまり)」の小津が転化した ...
27. 伊勢物語 183ページ
日本古典文学全集
その宮へなむおはしましける。その時、右の馬の 八十二 遊びをして。こじき爺。卑しめた言い方。『土佐日記』承平五年(九三五)二月四日条「このかぢとりは、日もえは ...
28. 伊勢物語 184ページ
日本古典文学全集
れている。「院」は貴族の邸宅。水無瀬宮へ来た親王一行は、交野で狩をして、渚の院で宴を開く。『土佐日記』承平五年(九三五)二月九日条に、土佐より帰京の紀貫之が淀川 ...
29. いたのぐん【板野郡】徳島県
日本歴史地名大系
れており、土佐国司であった紀貫之は承平五年(九三五)に土佐から都へこの道を通って戻っている(土佐日記)。なお郡頭駅付近に阿波郡衙を比定する説がある。阿波・名方・ ...
30. 逸文参考(風土記) 584ページ
日本古典文学全集
。(下河辺長流書入、慶安版本『土佐日記』巻頭〈『土佐日記抄』、朝日新聞社版『契沖全集』附巻『長流全集』上巻、所収〉)→森尻麒一郎「風土記逸文 ...
31. いひ-つか・ふ【言ひ使ふ】
全文全訳古語辞典
〔他動詞ハ行四段〕は・ひ・ふ・ふ・へ・へ言いつけて仕事をさせる。召し使う。 土佐日記 十二月二十三日(1) 全文用例 二十三日。八木のやすのりといふ人あり。この ...
32. いふかひ-な・し【言ふ甲斐無し】
全文全訳古語辞典
ご覧になると、(悲しさを)どうしようもなくて。❷言葉にならないほどひどい。なんとも言いようがない。 土佐日記 二月十六日 帰京(1) 全文用例 夜ふけて来れば、 ...
33. いま‐し【今─・乃─】
日本国語大辞典
「いまし〈略〉乃の字すなはちとよむべき所をいましとよむは取ちがへたるにやといへどこも古語にや土佐日記にいまし羽根といふ所に来ぬ〈略〉或は今先の義さき反しやといへ ...
34. イワシ
日本大百科全書
しき)』にもイワシの名がみられ、節分の夜に焼いたイワシの頭とヒイラギなどを戸口にさす風習は『土佐日記』にも記されている。これは全国的なもので、節分に訪れる鬼がヒ ...
35. 植松有信
世界大百科事典
人となる。師から厚く信頼され,《古事記伝》をはじめ多くの師の著書の刊刻をまかされた。著書に《土佐日記冠註》《形喰草》《長閑日記》などがあるが,宣長が死去したとき ...
36. うきつむら【浮津村】高知県:室戸市
日本歴史地名大系
川河口に至る村で、土佐湾に面する。南東から北にかけては室津村の山地、西北隣は元村。紀貫之は「土佐日記」によると承平五年(九三五)一月、浦伝いに船で土佐湾を東行、 ...
37. うさいだむら【兎田村】高知県:香美郡/野市町
日本歴史地名大系
富家往還(現県道山北―野市線)が通る。鹿持雅澄は「土佐日記地理弁」で、本来ウダといっていたのを、のちにウサイダとよんだものとみて、「土佐日記」にみえる「宇多のま ...
38. 宇治拾遺物語 379ページ
日本古典文学全集
同集仮名序の筆者、また『土佐日記』の作者。土佐国(高知県)の長官。貫之の土佐への赴任は延長八年(九三〇)。国司の任期満了の年すなわち承平四年(九三四)。その十二 ...
39. 歌枕
日本大百科全書
思い描くのである。また、この歌枕は、紀行文や道行(みちゆき)のような文章と不可分にかかわっている。『土佐日記』『伊勢(いせ)物語』はその最初期の例であるが、後世 ...
40. うだのまつばら【宇多の松原】高知県:香美郡/香我美町/岸本浦
日本歴史地名大系
議がある。「土佐物語」所々一見の事条に「赤岡の松原を見渡して(中略)彼土佐日記のうだの松原を行すぐ」とあり、また「土佐日記地理弁」は兎田村(現野市町)の名に注目 ...
41. うどのむら【鵜殿村】大阪府:高槻市地図
日本歴史地名大系
西方の集落道斎は近世の河港で、蔵米の津出しや北部山麓諸村の物資を浜積みしたが、梶原村の枝郷であった。「土佐日記」には、紀貫之が土佐国守の任を終えて淀川をさかのぼ ...
42. うみ‐まつ【海松】
日本国語大辞典
だにひかましものを」*俳諧・増山の井〔1663〕六月「海松(みる) うきみる みるぶさ うみまつ 土佐日記」(1)珊瑚(さんご)。《うみまつ》相模†018 新潟 ...
43. 浦戸
世界大百科事典
海港,城地。浦戸湾口に位置し,古代以来高知平野を後背地とする海上交通の要衝であったことは,《土佐日記》《廻船大法奥書》などからもうかがわれ,1596年(慶長1) ...
44. うらど【浦戸】
国史大辞典
た海岸聚落で、土佐湾に彎入する浦戸湾の湾口を扼する海港としてその名を知られていた。紀貫之の『土佐日記』承平四年(九三四)十二月二十七日条に「おほつよりうらとをさ ...
45. うらどみなと【浦戸湊】高知県:高知市/浦戸村
日本歴史地名大系
根部にある。浦戸湾は地形としては港に適するが深度が浅く、この浦戸湊が外洋への要港であった。「土佐日記」承平四年(九三四)一二月二七日条に「おほつよりうらどをさし ...
46. うらどむら【浦戸村】高知県:高知市
日本歴史地名大系
東西に連なる標高五〇メートルほどの丘陵によって強風が防がれ天然の良港となっている。吾川郡に属した。「土佐日記」承平四年(九三四)一二月二七日条に「うらど」がみえ ...
47. うらどわん【浦戸湾】高知県:高知市
日本歴史地名大系
島・比島などはその入海に点在した島であったと考えられる。また大津は内海における港であった。「土佐日記」承平四年(九三四)一二月二七日条に「おほつよりうらどをさし ...
48. 往生要集 1 日本浄土教の夜明け 361ページ
東洋文庫
をえているかもしれない。 そしてこれと同様、日記文学でもあまり見ることのできるものはない。『土佐日記』はもちろん、『かげろう日記』にしても、『往生要集』の成立以 ...
49. 大津(高知市)
日本大百科全書
食品団地、住宅地の造成など市街地化が著しい。土佐国府の外港所在地とされ、紀貫之(きのつらゆき)の『土佐日記』にも船出の地として記載。近世以降の干拓地が広がり、か ...
50. おおつ【大津】
国史大辞典
古代には今の国道二十六号線の西方あたりまで入江で、海上交通の要港としての役割を果たしていた。『土佐日記』『更級日記』に「小津の泊」「大津といふ浦」などと散見され ...