NHK大河ドラマ「光る君へ」特集
サンプルページ一覧
オンライン辞書・事典サービス「ジャパンナレッジ」に掲載されているコンテンツの項目本文のサンプル一覧です。
※更新等により実際の内容と一部異なる場合があります。
ジャパンナレッジは日本最大級のオンライン辞書・事典サービスです。
「国史大辞典」「日本古典文学全集」「日本国語大辞典」「世界大百科事典」「日本大百科全書」など80種類以上の辞書・事典をパソコン、タブレット、スマートフォンで利用できます。

長宗我部盛親(国史大辞典)
一五七五-一六一五。安土桃山時代の武将。土佐国の大名。幼名千熊丸、右衛門太郎(増田右衛門尉長盛を烏帽子親として右衛門、盛親を名乗る)、土佐守。天正三年(一五七五)岡豊(おこう)城(高知県南国市)に生まる。長宗我部元親の四男、母は斎藤氏。
毛利勝永(日本人名大辞典)
織豊-江戸時代前期の武将。毛利勝信の子。関ケ原の戦いで西軍に属し,敗れて父とともに土佐高知藩主山内一豊(かずとよ)にあずけられる。慶長19年子の勝家と脱走して大坂城にはいり
後藤基次(後藤又兵衛)(改訂新版・世界大百科事典)
織豊政権期の武将。通称又兵衛。氏房,政次ともいう。播磨三木城主別所氏に仕えた新左衛門の子。豊前黒田氏に養われ,孝高・長政父子に仕えた。長政に従って豊臣秀吉の九州征伐,文禄・慶長の役に従軍,関ヶ原の戦にも戦功をあげる。
台風(日本大百科全書(ニッポニカ))
北太平洋西部の熱帯の海上で発生・発達し、日本列島・フィリピン諸島・アジア大陸南部などに襲来して大きな被害をもたらす熱帯低気圧。熱帯低気圧はいくつかの限られた熱帯の海域で発生し、それぞれ特有の名前がついているが、そのうち東経180度より西の北太平洋にある熱帯低気圧はその域内の最大風速によって分類されている。
温帯低気圧(日本大百科全書(ニッポニカ))
中緯度または高緯度で発生する低気圧。周りに比べて気圧が低くなっていて、その中心に向かって風の吹き込んでいるところが低気圧である。低気圧のうち、熱帯の洋上に発生するものを熱帯低気圧という。熱帯低気圧以外のものは普通は単に低気圧とよばれるが
熱帯低気圧(日本大百科全書(ニッポニカ))
広義には熱帯地方で発生する低気圧。狭義には最大風速が風力7以下の熱帯地方で発生する低気圧。最大風速が風力8以上(毎秒17.2メートル以上)の熱帯低気圧を日本では台風という。1952年(昭和27)以前は熱帯性低気圧と性の字を入れ
サイクロン(日本大百科全書(ニッポニカ))
インド洋に発生する発達した熱帯低気圧。性質は台風と同じである。世界気象機関(WMO)では、この地域の熱帯低気圧のうち最大風速が毎秒32.7メートル以上(風力12)のものをサイクロンとよぶが、日本の台風の基準と同じ最大風速が毎秒17.2メートル以上(風力8以上)のものをさすことも多い。
梅雨前線(日本大百科全書(ニッポニカ))
6月から7月の梅雨期に日本の南岸にほぼ定常的に発生し、ぐずついた天気をもたらす前線。停滞前線の一種で、成因や性質は秋雨(あきさめ)前線に似る。オホーツク海気団と小笠原(おがさわら)気団の間に形成され、寒帯前線の一種でもある。
秋雨前線(日本大百科全書(ニッポニカ))
9月前半から10月前半に日本の南岸沿いに現れる停滞前線。秋霖(しゅうりん)前線ともいう。真夏の亜熱帯高気圧が南へ遠ざかり、日本海や北日本へ張り出してきた寒帯高気圧との境にできる前線で、成因や性質は梅雨前線によく似ているが
ハリケーン(日本大百科全書(ニッポニカ))
北大西洋および北太平洋東部で発生する発達した熱帯低気圧。性質は台風と同じである。世界気象機関(WMO)では、この地域の熱帯低気圧のうち最大風速が毎秒32.7メートル(64ノット)以上のものをハリケーンとよび
法隆寺(日本大百科全書・世界大百科事典)
奈良県生駒(いこま)郡斑鳩(いかるが)町にある聖徳(しょうとく)宗総本山。斑鳩寺(鵤寺、伊可留我寺とも書く)、法隆学問寺などの異称がある。南都七大寺の一つ。草創の由来は、金堂の薬師如来坐像(やくしにょらいざぞう)光背銘によると、用明(ようめい)天皇が病気平癒を念じ
孝徳天皇(日本国語大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
第三六代天皇。茅渟王の子。斉明天皇の同母弟。名は軽皇子、天万豊日尊。大化元年(六四五)即位し、在位一〇年。難波の長柄豊碕宮に遷都。中大兄皇子、中臣鎌足らとともに、大化の改新を行なう。推古天皇五〜白雉五年(五九七〜六五四)
大日本帝国憲法(改訂新版・世界大百科事典)
1889年2月11日発布され,90年11月29日より施行され,形式的には1947年5月2日まで存続した憲法典で,〈明治憲法〉あるいは〈旧憲法〉とも呼ばれる。制定過程、明治維新にあたり政府は五ヵ条の誓文
摂政(改訂新版・世界大百科事典)
君主に代わって万機を執り行う者,または執り行うことをいう。君主が未成年の間,あるいは君主に事故があった場合などに置かれる。日本 古代~近世 摂政はその出自より大別して,皇族摂政と人臣摂政に分けられる。
女系(法律用語辞典)
厳密には、女子だけを通じた血族関係をいうが、広く、中間に一人でも女子の入った、男系でない血族関係を指して用いられることもある。女系の血族を女系親という。
男系(法律用語辞典)
家系において、男子の方のみを通してみる血縁の系統的関係。すなわち、血縁系の間に女子が入らない者相互の関係。皇室典範は、「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」としておりこれが男系と女系を法律上区別している唯一の例である。
尖閣諸島(日本大百科全書(ニッポニカ))
沖縄県石垣市に属し、八重山列島北方の東シナ海中にある。主島の魚釣(うおつり)島(面積3.82平方キロメートル、中国名は釣魚島(ちょうぎょとう)または釣魚台(ちょうぎょだい))、北小島(面積0.31平方キロメートル)および南小島(面積0.4平方キロメートル)を含むグループと
明正天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一六二三-九六。一六二九―四三在位。幼称は女一宮。諱は興子。後水尾天皇の第二皇女、母は皇后和子(東福門院)。嫡出の第一子で、将軍徳川秀忠の外孫にあたる。元和九年(一六二三)十一月十九日誕生。寛永六年(一六二九)十月二十九日内親王宣下が行われ、ついで十一月八日父天皇の突然の譲位決行により受禅
元明天皇(国史大辞典)
六六一-七二一。七〇七―一五在位。天智天皇の第四皇女。諱は阿陪(阿閉)。母は蘇我倉山田石川麻呂の娘姪娘。斉明天皇七年(六六一)生まれる。草壁皇子の妃となり、文武・元正両天皇と吉備内親王を生む。慶雲四年(七〇七)六月文武天皇崩御し、七月十七日遺詔によって即位。これは不改常典による嫡子相承実現のための中継ぎ
元正天皇(国史大辞典・世界大百科事典・日本人名大辞典)
六八〇 - 七四八 七一五―二四在位。草壁皇子の皇女。諱は氷高(日高)。新家(にいのみ)皇女ともいう。母は元明天皇。天武天皇九年(六八〇)に生まれる。霊亀元年(七一五)正月、一品を授けられたが、同年九月二日皇太子首皇子が幼年のため元明天皇の譲りをうけて
持統天皇(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
六四五-七〇二。六八六―九七在位。ただし正式即位は六九〇年。白鳳時代の女帝。諱は高天原広野姫、大倭根子天之広野日女ともいう。天智天皇の第二女、母は蘇我倉山田石川麻呂の娘の遠智娘。大化元年(六四五)誕生。斉明天皇三年(六五七)十三歳で叔父の大海人皇子(天武天皇)と結婚。
皇極天皇(斉明天皇)(国史大辞典)
五九四-六六一。六四二―四五在位。のち重祚して斉明天皇となり、六五五―六一在位。敏達天皇の曾孫、押坂彦人大兄皇子の孫。推古天皇二年(五九四)茅渟王を父、吉備姫王を母として生まれる。諱は宝皇女。天豊財重日足姫尊と称す。
後桜町天皇(国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典)
一七四〇-一八一三。一七六二―七〇在位。元文五年(一七四〇)八月三日桜町天皇の第二皇女として誕生。母は関白二条吉忠の女、皇太后舎子(青綺門院)である。諱は智子、幼称は初め以茶宮、のちに緋宮という。寛延三年(一七五〇)三月親王宣下。宝暦十二年(一七六二)七月桃園天皇の崩御に際し
孝謙天皇(称徳天皇)(国史大辞典)
七一八-七〇。七四九―五八在位。のち重祚して称徳天皇となり、七六四―七〇在位。養老二年(七一八)聖武天皇の第一皇女として誕生。母は光明皇后。諱を阿倍といい、天平宝字二年(七五八)上台宝字称徳孝謙皇帝の尊号を上られ、また高野姫尊・高野天皇とも称された。
豊臣秀頼(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一五九三-一六一五。豊臣秀吉の第二子。文禄二年(一五九三)八月三日大坂城内に生まれた。母は側室浅井氏(茶々、淀殿)。秀吉は実子に恵まれず、浅井氏との間に鶴松を得たが三歳にして死別した。このため秀頼誕生の喜びは大きく、みずから肥前名護屋の陣中より正室北政所に書状を送り
穀雨(日本国語大辞典・日本大百科全書・平成ニッポン生活便利帳)
二十四気の一つ。清明の次に来る季節。春の季節中の最後にあたる。四月二一日頃。《季・春》*延喜式〔927〕一六・陰陽寮
清明(日本国語大辞典)
清く明らかなこと。また、そのさま。二十四節気の一つ。天文学的には、太陽が黄道上の一五度の点を通過するときで、暦の上では、陰暦三月、春分のあと一五日目、新暦の四月五、六日ごろに当たる。清明節。晴明。《季・春》
春分(日本国語大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
太陽が黄経0度の春分点を通過する時刻。ふつうはその日をいう。二十四節気の一つ。春の彼岸の中日で新暦の三月二一日頃にあたり、昼夜はほぼ同時間。《季・春》
啓蟄(日本国語大辞典)
冬ごもりの虫が地中からはい出ること。また、その虫。蟄虫。二十四気の一つ。陰暦二月の節気。太陽暦の三月五日頃にあたる。《季・春》
雨水(日本国語大辞典)
二十四節気の一つ。天文学的には、太陽が黄道上の三三〇度の点を通過するときで、暦の上では、陰暦正月の中、新暦の二月一八日ごろに当たる。《季・春》
立春(日本国語大辞典・世界大百科事典・日本大百科全書)
二十四節気の一つ。太陽の黄経が三一五度のときをいう。雑節の基準日、八十八夜・二百十日などの起算日。新暦二月五日頃に当たり、昔の中国および日本ではこの日から春になるとした。立春節。和語では「春立つ」が用いられ、陰暦の時代は、その年のうちにこの日を迎えることもあった。
大寒(日本国語大辞典)
二十四節気の一つ。陰暦の一二月の節気。太陽の黄経が二八五度の時。太陽暦では一月五、六日頃に当たる。寒の入り。またその日から一五日間をいう。大寒に先立ち、大寒の一五日と合わせて寒とよぶ。《季・冬》
小寒(日本国語大辞典)
二十四節気の一つ。陰暦の一二月の節気。太陽の黄経が二八五度の時。太陽暦では一月五、六日頃に当たる。寒の入り。またその日から一五日間をいう。大寒に先立ち、大寒の一五日と合わせて寒とよぶ。《季・冬》
冬至(日本国語大辞典・国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
二十四節気の一つ。太陽の黄経が二七〇度のときをいう。新暦一二月二二日頃。旧暦では一一月の中に当たる。この日、北半球では太陽の南中高度が最低で昼間が最も短い。この日から日照時間が伸びるので、生命力が復活する節日として祝う習慣があった。
立冬(日本国語大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
二十四節気の一つ。太陽の黄経が二二五度のときをいう。新暦の一一月七日ごろにあたり、昔の中国および日本ではこの日から冬になるとした。《季・冬》
処暑(日本国語大辞典)
二十四節気の一つ。立秋と白露の中間。太陽の黄経が一五〇度となる日。陰暦七月の中旬頃、太陽暦八月二三日頃に当たる。《季・秋》
二十四節気(改訂新版・世界大百科事典)
12個の中気と12個の節気の総称で,中国の戦国時代に成立した。節気ないし二十四気とも略称する。中国 12個の中気と12個の節気は交互におかれた。二十四節気は,太陰太陽暦を使用してきた中国の暦法の場合,各月を決定し季節を知るうえでの目印であった。
推古天皇(国史大辞典)
五九二―六二八在位。和風諡号は豊御食炊屋姫尊。諱は額田部。欽明天皇の皇女で、母は大臣蘇我稲目の娘堅塩媛。用明天皇の同母妹。崇峻天皇の異母姉。五五四年生まれる。七一年皇太子(敏達天皇)妃となり、七六年、前皇后広姫死没の後をうけて異母兄敏達天皇の皇后に立てられた。時に二十三歳。
光格天皇(国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典・日本人名大辞典)
一七七一-一八四〇 一七七九―一八一七在位。明和八年(一七七一)八月十五日東山天皇の皇孫である閑院宮典仁親王の第六王子として誕生。生母は贈従一位岩室磐代である。幼称は祐宮、諱は初め師仁、ついで兼仁と改められた。誕生の翌年聖護院宮忠誉入道親王の附弟となり、将来出家して聖護院門跡を継ぐ予定であったが
象徴(日本国語大辞典)
ことばに表わしにくい事象、心象などに対して、それを想起、連想させるような具体的な事物や感覚的なことばで置きかえて表わすこと。また、その表わしたもの。たとえば、十字架でキリスト教を、白で純潔を、ハトで平和を表わす類。比喩が感覚的に把握しやすい類似した具象と具象との関係をたとえで表わすのに対し
皇室典範(国史大辞典)
皇室および皇族の基本であり、皇位継承をはじめ、結婚・摂政・皇族などが定められている。明治二十二年(一八八九)非公式に発表され、明治四十年と大正七年(一九一八)に増補を加えた。第二次世界大戦後の昭和二十一年(一九四六)、現在のものに改正されている。
女性宮家(日本大百科全書(ニッポニカ))
女性皇族が当主となる宮家。現行の皇室典範は、「皇族女子は、天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる」(第12条)と規定しているが、皇室典範を改正し、女性宮家を創設すれば、女性皇族は結婚後も皇族にとどまることができる。
関白(国史大辞典)
万機に関与する重職で摂政に類似する。したがって摂政と合わせて摂関・摂ろく・一の人・一の所などと称し、執柄・博陸・殿下などの唐名がある。関白の語は『漢書』霍公伝に、宣帝が諸事まず霍光に関白してから奏上せしめたとみえているが
摂政(国史大辞典)
天皇に代わって万機を摂り行う者、または摂り行うことをいう。関白に類する職として関白とともに摂関といい、関白と同じく、摂ろく・執柄・博陸などの唐名があり、その地位に因んで一の人・一の所などと称され、殿下ともいわれた
皇位継承(改訂新版・世界大百科事典)
7世紀末までの皇位継承を《古事記》《日本書紀》によってみると,16代の仁徳天皇まではほとんどが父子間の直系相続であり,仁徳以後持統までは,父子間相続6,母子間1,兄弟間10,姉弟間2,叔父・甥間1,夫婦間2,三親等以上をへだてた相続3の計25例で
天皇(改訂新版・世界大百科事典)
日本国憲法に定める日本国および日本国民統合の象徴。天皇の歴史前近代の天皇オオキミとスメラミコト〈天皇〉は〈オオキミ〉とも〈スメラミコト〉とも呼ばれた。しかしこの二つの日本語は決して同義ではなく,むしろ両者の質の違い,それぞれの用いられる次元の相違に注目することが
藤原不比等(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
六五九-七二〇奈良時代の政治家。鎌足の第二子。史とも書く。母を車持国子の女与志古娘とし、不比等を天智天皇の皇胤とする説があるが、信用しがたい。斉明天皇五年(六五九)生まれる。幼時山科の田辺史大隅の家に養われたといわれ
続日本紀(日本大百科全書・東洋文庫・改訂新版 世界大百科事典)
『日本書紀』に続く勅撰の歴史書。40巻。「六国史」の2番目。697年(文武天皇1)より791年(延暦10)に至る95年間を編年体で叙述する。797年(延暦16)に全40巻が完成・奏上されたが、それまでの編集過程は複雑である
六国史(日本大百科全書・世界大百科事典・日本国語大辞典)
官撰の6種の国史の総称。奈良・平安時代に編纂された『日本書紀』『続日本紀』『日本後紀』『続日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代実録』がそれである。国史の編纂は古く、7世紀、聖徳太子のときに『天皇記』以下が完成したといわれるが
舎人親王(日本大百科全書(ニッポニカ))
天武天皇の第三皇子。母は天智天皇の娘新田部皇女。知太政官事穂積親王の亡きあとは皇親の長老として重んぜられ、新田部親王とともに皇太子首親王(聖武天皇)を輔翼する責務を負った
沙汰(日本国語大辞典・全文全訳古語辞典・国史大辞典)
焼いた薩摩芋。《季・冬》*評判記・秘伝書〔1655頃〕下ほんの事「やきぐり、やきいもは、いきくさくなる也」*俳諧・骨書〔1787〕上「朝の月狩の竹鑓手束弓〈青蘿〉 来かかるものが焼芋を喰ふ〈樗良〉」
情報(日本国語大辞典)
事柄の内容、様子。また、その知らせ。状況に関する知識に変化をもたらすもの。文字、数字などの記号、音声など、いろいろの媒体によって伝えられる。インフォメーション。
黄表紙(日本国語大辞典・国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典・日本古典文学全集)
黄色の表紙。草双紙(くさぞうし)の一つ。江戸後期、安永四年(一七七五)から文化三年(一八〇六)頃にかけて多く刊行され、黄色の表紙で、内容はしゃれ、滑稽、風刺をおりまぜた大人むきの絵入り小説
ジャパンナレッジは約1700冊以上(総額750万円)の膨大な辞書・事典などが使い放題のオンライン辞書・事典・叢書サービス。
日本国内のみならず、海外の有名大学から図書館まで、多くの機関で利用されています。
利用料金・収録辞事典・会員登録はこちら