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古事記

ジャパンナレッジで閲覧できる『古事記』の国史大辞典・世界大百科事典・日本古典文学全集のサンプルページ

国史大辞典
古事記
こじき
「ふることぶみ」とよむ説もあるが、今日一般には「こじき」が慣用されている。建国の由来と第一代神武天皇から第三十三代推古天皇までのことを記した現存最古の典籍。その素材は神話・伝説・歌謡・系譜などである。三巻。上巻のはじめに漢文の序(実は上表文)が添えてあり、この序が古事記の成立事情を知り得る唯一の資料である。それによると、壬申の乱を経て即位した天武天皇は、当時諸家の持っている『帝紀』と『本辞』とが正実を失い多く虚偽を加えていることを憂慮し、この邦家の経緯(国家行政の根本組織)であり、王化の鴻基(天皇徳化の基本)である『帝紀』と『旧辞』(『本辞』)を討究し、撰録して、正説を後世に伝えようとの考えから、側近に奉仕していた聡明な舎人(とねり)の稗田阿礼(ひえだのあれ)に勅語して『帝皇日継』(『帝紀』)と『先代旧辞』(『本辞』)とを誦習させたが、そのことが実現しないうちになくなり、そのままになっていたところ、元明天皇の代になってその遺業は継承され、天皇は『旧辞』と『先紀』の誤謬を正そうと意図し、和銅四年(七一一)九月十八日に太朝臣安麻呂(おおのあそんやすまろ)に詔して、稗田阿礼が誦むところの勅語の『旧辞』(『帝皇日継』を含む)の撰録を命じたので、安麻呂は詔旨に随って子細に採り拾って上中下三巻に録し、同五年正月二十八日にこれを献上したというのである。ところでこの序の解釈については学者の間に異見が多く、今日まだ定説をみないありさまであるが、その中でみるべきものは、山田孝雄『古事記序文講義』、倉野憲司『古事記全註釈』一などであろう。またこの序は安麻呂ならぬ後人の偽作したものとする説、ひいては『古事記』全体を偽書とする説が、江戸時代以後一部の学者によって提唱されて来た。その論旨や論拠は必ずしも一様ではないけれども、一応もっともと思われる疑問点を含んでいる反面、明らかに誤りと認められる点や論拠薄弱な点も多く、今日これらの偽作説や偽書説がそのまま一般に是認されるものでないことは、倉野憲司『古事記論攷』所収の「古事記偽書説を駁す」、および西宮一民『日本上代の文章と表記』の第一章第一節二をみれば明らかであろう。『古事記』の撰録に際してその直接の資料となったものが『帝皇日継』と『先代旧辞』であったことは記序の語るとおりであるが、その『帝皇日継』というのは、(一)天皇の御名、皇宮の名称、治天下のこと、(二)后妃皇子女、(三)その御世における国家的重要事項、(四)天皇の享年、御陵の所在、つまり天皇の即位から崩御に至る皇室の整然たる漢文の記録であって、これを皇位継承の順序に従って配列したものであったと思われ、完成した『古事記』についてみると、綏靖天皇から開化天皇までの八代、仁賢天皇から推古天皇までの十代、成務天皇・反正天皇の各記は、すべて『帝皇日継』のみを資料としており、その他の天皇の記は、『帝皇日継』と『先代旧辞』を組み合わせたものといえる。次に『先代旧辞』というのは、国文体で記された物語の形をとり、神話・伝説・歌物語などを内容としたものであって、国土の起源、皇室の由来、国家の経営、歴代の天皇および皇族に関する物語、諸氏族の出自および本縁譚などであり、『古事記』全篇から『帝皇日継』を資料としたと推定される部分を除いた残余がそれであると思われる。こうしてでき上がった『古事記』をみると、上巻は天之御中主(あめのみなかぬし)神から鵜草葺不合(うがやふきあえず)命まででいわゆる神代の物語、中巻は第一代の神武天皇から儒教渡来の応神天皇まで、下巻は儒教的聖天子の思想に彩られた仁徳天皇から仏教興隆の推古天皇までのことが記されている。上巻はそれだけで一つのまとまった神話体系を構成しており、その主題は「建国の由来」である。すなわち、(一)伊耶那岐(いざなき)神・伊耶那美(いざなみ)神の男女両神の結婚による大八島国(豊葦原水穂国)の生成、(二)皇祖天照大御神を主宰者とする天上国家(高天原)の成立、(三)その天上国家の地上への移行、すなわち天つ神の御子の降臨による日本国家の建設の三つが緊密に結びつけられて、「建国の由来」がきわめて有機的、立体的に語られており、より下位の、また局部的な神話や神統や歌謡は、それぞれこの三者に集中させられてこれを支えている。まことに驚嘆すべき見事な構成美であるが、これを貫くものは皇室中心の国家的精神である。これに対して中下の両巻は、天皇一代ごとに系譜や物語や歌謡がまとめられて、これを皇位継承の順序に随って配列し、その構成は平面的である。しかしそれを貫くものとして「皇位を重んずる心」と「人間的な愛の精神」とがみられる。上巻の「神の代」の物語に対して「人の代」の物語であるが、中巻における「人の代」の物語は、まだ神と人との交渉がきわめて深く、人は神々から十分解放されていないが、下巻における「人の代」の物語は、神から解放された人間そのものの物語であり、道徳の彼岸にある透明でほがらかな美しい人間性が端的に素朴に描き出されていて、一つの文芸作品ともいえるのである。
『古事記』が作られたのは奈良時代の初めの和銅五年であるが、それから中世までは、神道の方面では尊重されていたように思われるけれども、研究はほとんど行われなかったといってもよく、わずかに卜部兼文が文永十年(一二七三)に注を加えた『古事記裏書』という零細な注釈書があるくらいで、『古事記』の研究が本格的に行われるようになったのは近世からであり、その頂点は何といっても本居宣長の『古事記伝』である。近世の国学はわが国の古典によって古代日本の真実を求めようとしたが、『古事記』はその目的に適う最上の古典として、宣長は三十五年の歳月と彼の学問を傾け尽くして不朽の名著『古事記伝』四十四巻を著わした。『古事記』の真の発見者は宣長であり、もし『古事記伝』が出なかったら、『古事記』は今日ほど研究されなかったであろう。宣長以後はほとんどみるべき研究はなかったが、大正時代に入ると盛んな自由主義の風潮に棹して、『古事記』の科学的研究が行われるようになり、和辻哲郎・津田左右吉・次田潤などのすぐれた著書が公刊され、ついで昭和時代に入ると、倉野憲司・山田孝雄・武田祐吉・松岡静雄・松本信広らにみるべき研究があり、太平洋戦争後は、『古事記』研究はかえって活発となり、古事記学会が設立されて『古事記年報』が刊行されているが、『古事記大成』全八巻が公刊されたことと、『(諸本集成)古事記』全九冊補遺二冊が公刊されたことは、戦前にも企てられなかった綜合研究の偉大な成果であり、また個人的研究においてもみるべきものがつぎつぎと公刊された。なお現存『古事記』のテキストは、真福寺本系統の諸本と卜部家本系統の諸本の二つに帰することができ、校訂本には延佳本・古訓本があり、刊本には『日本古典文学大系』一、『日本古典全書』、『校本古事記』、『神道大系』古典編一、『新潮日本古典集成』二七、『日本思想大系』一などがある。また、名古屋市の宝生院(真福寺)には最古の写本である賢瑜筆の『古事記』三帖(国宝)が現存する。
[参考文献]
古事記学会編『古事記逸文集成稿』、津田左右吉『日本古典の研究』(『津田左右吉全集』一・二)、松村武雄『日本神話の研究』、倉野憲司『古事記の新研究』、和辻哲郎『日本古代文化』(『和辻哲郎全集』三)、武田祐吉『古事記研究』一(『武田祐吉著作集』二)、同『古事記説話群の研究』(同三)
(倉野 憲司)


世界大百科事典
古事記
こじき

奈良初期に編纂された天皇家の神話。上巻は神々の物語,中・下巻は初代とされる神武天皇から推古天皇に至る各代の系譜や,天皇,皇子らを中心とする物語である。

成立

これまで《古事記》は史書とされてきたが,全巻ひっくるめて本質的には神話とみなした方がよい。編纂が最初に企てられたのは天武朝(673-686)である。壬申の乱を経過して聖化された王権の由来を語るためにつくられた天皇家の本縁譚,それが《古事記》である。その点,それは律令国家の正史たろうとした《日本書紀》とはやや異質であるといえる。《古事記》の編纂事情を語るのは序文だけである。それによると,天武天皇が稗田阿礼(ひえだのあれ)に資料となる〈帝紀・旧辞〉を誦習させたが,完成せず,三十数年後,元明天皇の詔をうけて太安麻呂(おおのやすまろ)がこれらを筆録し,712年(和銅5)正月に献上したとある。稗田阿礼は男性であったとする説もあるが,神の誕生を意味するアレという名や《古事記》の内容からして,巫女とみた方がよい。《古事記》には,巫女の霊能が生きていた神話時代への共感がうかがえる。〈誦習〉とは,記録されていた諸伝承を,いったん神話として誦することであったかと思われる。口誦文化である神話を外国文字たる漢字で書きとどめることには,二重の困難があった。苦心の末,安麻呂は漢字の音を用いる音仮名方式と,意味を用いる訓字方式の混用を考えたのである。歌謡を記すには前者を用い,散文を記すには後者を主としながら前者もまじえた変体漢文体を用いて,神話的伝誦形式をできるだけ生かそうとしている。なお,《古事記》の最古の写本は,南北朝時代に成った真福寺本である。

主題と構成

神話には,現存の自然や社会のかくある由来を神代にさかのぼって語るという類のものが少なくない。それは現在の社会秩序を正当化し,かつ永遠化しようとする働きをもつ。この神話の機能を利用すべく支配者は競って自家の始祖神話を創出した。たとえ人代の話でもそれが上のような働きをもつなら神話といえる。諸氏族中の一氏にすぎなかった天皇家が,古代日本の支配者となったとき,自己および諸氏族がもち伝えた神話や系譜伝承を,天皇家の立場から整理し直し,その地位を確認させるための神話としてまとめあげたものが,《古事記》なのである。その主題とするところは,大八洲国(おおやしまぐに)や天皇家の始祖の誕生の由来,またその始祖が地上界の支配者となり,さらに大和を中心とする国家を築き上げた由来などである。《古事記》はその主題を展開すべく相互に連関する物語構造をもつ。

上・中巻

まず上巻は,天地創成に始まり,伊邪那岐(いざなき)・伊邪那美(いざなみ)(伊弉諾尊・伊弉冉尊)2神による国生み神話,皇祖神にして日の神天照大神(あまてらすおおかみ)の誕生,日神の天の岩屋戸(あまのいわやど)がくれ,その弟須佐之男(すさのお)命(素戔嗚尊)の出雲での大蛇退治,スサノオの6世の孫大穴牟遅(おおなむち)(大己貴)の根の国訪問,オオナムチが大国主(おおくにぬし)神として再生し地上界の頭目として天孫に国譲りする国譲り神話,アマテラスの孫番能邇邇芸(ほのににぎ)命(瓊瓊杵尊)の天孫降臨神話,隼人(はやと)服属の由縁を語る海幸・山幸(うみさちやまさち)の話などからなる。中巻は,ニニギノミコトの4代目の孫神武天皇が大和に都を定め,続く各代が支配領域を広げ,英雄倭建(やまとたける)命(日本武尊)の活躍により東西の辺境の蛮族も平定されるという話などを収める。そして,15代天皇とされる応神が,母神功(じんぐう)皇后の胎内にありながら海の彼方の韓国(からくに)まで服属させ国家統一は成ったという話で終わる。

即位儀礼-大嘗祭等の投射

これらの物語には,構造を枠づける鋳型があった。即位儀礼大嘗(だいじよう)祭あるいはそれと一連の鎮魂祭,八十島(やそしま)祭などである。天の岩屋戸神話と天孫降臨神話が緊密に連関しているのも,鎮魂祭と大嘗祭という一連の儀礼がそれぞれに投射しているからである。即位儀礼は,成年式を君主誕生の儀礼として昇華させたものである。若者が儀礼的な死と復活の過程を経ておとなとして再誕する成年式をなぞって,新君主の誕生もまた死と再生のドラマとして演じられた。ニニギが子宮を模した真床覆衾(まどこおおうのふすま)にくるまれて降臨すること,神武が未開の熊野でほとんど死にかけたところをアマテラスの助けでよみがえること,応神が母の胎内にあったまま征韓することなど,あきらかに死と再生のモチーフをうかがうことができる。儀礼の投射がとりわけ顕著なのは,これらを主人公とする話である。自然のリズムと結びついている儀礼は無時間的であるから,新君主はつねに始源の初代君主として誕生した。即位儀礼を通じて生まれる歴代君主を説話的に典型化したのが,これらの物語の主人公にほかならない。ニニギは神代の,神武は人代の,そして応神は文明時代のそれぞれの初代君主であった。《日本書紀》と異なり,《古事記》に日付のないのも,このことと関連する。

下巻

下巻になると,天皇の代替りごとの反乱の話と,歌物語風の天皇の恋愛譚が主となり,儀礼を鋳型とした物語構造は痕跡的となる。さらに25代とされる武烈天皇以下は系譜的記事のみとなっている。大八洲国の支配者としての天皇家の由来は,応神まででほぼ尽くしえたからであろう。また武烈に次ぐ継体朝,《古事記》がそこで終わる推古朝(592-628)は,大陸文化の流入,官僚国家形成などの歴史における画期にあたっていた。そして,それは神話的精神が衰滅していく過程でもあった。《古事記》の叙述の変化はこのような歴史に照応する。また《古事記》には,歌謡を配した物語も多く,とくに中・下巻にそれが目だつ。歌謡が物語の文学的興趣を高めているといってよい。歌謡の多くは宮廷雅楽寮で伝承保存されてきたもので,天皇家の縁起譚をつくる際に物語にとりこまれた(記紀歌謡)。

氏族系譜の神話

《日本書紀》に比べて《古事記》は氏族系譜を重視している。《古事記》の神々や皇子たちには,多数の大小氏族が後裔として結びつけられている。古代氏族社会の基盤は,網目状に結ばれた血縁組織であり,支配・被支配の関係も擬制的血縁関係として表現された。皇室系譜を幹とし,そこから枝葉のごとく諸氏族が茂り出ている擬制的一大系譜は,天皇家が支配者になるに至った経緯を物語るもう一つの神話であったといえよう。

研究史

作品にはさまざまな読み方がありうる。《古事記》を一貫した主題をもつ神話として読むという志向は,比較的新しいものといってよい。こうした読み方は西欧の社会・文化人類学の方法の適用によって可能になったものである。従来《古事記》は,歴史学,民俗学,神話学等諸分野で研究されてきた。これらに共通するのは,《古事記》を諸説話に解体し,個々の話の原型・核となった歴史的事実や祭儀,外来の神話的モティーフなどを探るという方法である。しかしこれらは《古事記》を資料とした諸研究にはなりえても,必ずしも《古事記》のもつ神話の論理を読みとることにはならない。なお,数ある注釈書の中で,今なお筆頭にあげるべきは,本居宣長の《古事記伝》(1798完成)である。《古事記》を神典視した誤りはあるにせよ,恣意的観念的解釈はしりぞけ,文脈にそって一言一句の意味を究めようとした研究態度や方法は学ぶべきであり,彼の解釈には今なお傾聴すべきものが多い。
→日本神話
[倉塚 曄子]

[索引語]
稗田阿礼 太安麻呂


新編 日本古典文学全集
古事記
こじき
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古事記 全体

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古事記 拡大

【現代語訳】
そ、混沌とした始めの気が既に凝結して、きざし・形はまだ現れない。名付けようがなく、働きもないから、だれがその形を知りえようか。しかしながら、天地が初めて分れると、三神が万物の始まりとなった。陰と陽とがここで分れて、二柱の神がすべてのものの生みの親となった。そうして、この二神は、黄泉国・現し国に行き帰り、禊して目を洗う時に日神・月神が現れた。海水に浮き沈みして禊する時に神々が現れた。さて、世界の始めのさまは奥暗いけれども、語り伝えによって国土を孕み島を生んだ時のことを知る。元始の様子ははるかに遠いけれども、先聖によって神・人を生み立てた世のことを知る。まことによく知ることができるのは、鏡をかけ、珠を嚙み吹き捨てて神を得て百王相続くこととなり、剣を嚙み吐き出して女神を得、大蛇を斬って神々が栄えたことである。かくて、天の安の河原で神々が相談して天下を平らげなさり、小浜で説得して国土を平定なさった。

こうして、番仁岐命が、初めて高千穂の峰に降っていらっしゃって、神武=

【目次】
目次
古典への招待
凡例

古事記(扉)
古事記 上巻 序并
〔一〕古代の回想
〔二〕古事記撰録の発端
〔三〕古事記撰録の完成
初発の神々
伊耶那岐命と伊耶那美命
〔一〕淤能碁呂島
〔二〕神の結婚
〔三〕国生み・神生み
〔四〕伊耶那美命の死
〔五〕黄泉の国
〔六〕みそぎ
〔七〕三貴子の分治
天照大御神と須佐之男命
〔一〕須佐之男命の昇天
〔二〕うけい
〔三〕天の石屋
〔四〕須佐之男命の追放
〔五〕八俣の大蛇退治
〔六〕須賀の宮
大国主神
〔一〕稲羽の素兎
〔二〕根の堅州国訪問
〔三〕八千矛の神
〔四〕大国主神の系譜
〔五〕大国主神の国作り
〔六〕大年神の系譜
忍穂耳命と邇々芸命
〔一〕葦原中国の平定
〔二〕天若日子の派遣
〔三〕建御雷神の派遣
〔四〕大国主神の国譲り
〔五〕天孫降臨
〔六〕猿女の君
〔七〕邇々芸命の結婚
日子穂々手見命と鵜葺草葺不合命
〔一〕海神の国訪問
〔二〕鵜葺草葺不合命の誕生
〔三〕鵜葺草葺不合命の系譜
古事記 中巻
神武天皇
〔一〕東征
〔二〕五瀬命の戦死
〔三〕熊野の高倉下
〔四〕八咫烏の先導
〔五〕兄宇迦斯と弟宇迦斯
〔六〕久米歌
〔七〕皇后の選定
〔八〕当芸志美々命の反逆
綏靖天皇
安寧天皇
懿徳天皇
孝昭天皇
孝安天皇
孝霊天皇
孝元天皇
開化天皇
崇神天皇
〔一〕后妃と御子
〔二〕神々の祭祀
〔三〕三輪山伝説
〔四〕建波邇安王の反逆
〔五〕初国を知らす天皇
垂仁天皇
〔一〕后妃と御子
〔二〕沙本毘古と沙本毘売
〔三〕本牟智和気の御子
〔四〕丹波の四女王
〔五〕多遅摩毛理
景行天皇
〔一〕后妃と御子
〔二〕大碓命
〔三〕倭建命の熊曾征伐
〔四〕倭建命の出雲征討
〔五〕倭建命の東征
〔六〕野火の難
〔七〕弟橘比売命
〔八〕酒折宮
〔九〕美夜受比売
〔一〇〕伊服岐の山の神
〔一一〕尾津の一つ松
〔一二〕望郷の歌
〔一三〕八尋の白千鳥
〔一四〕倭建命の子孫
成務天皇
仲哀天皇
〔一〕后妃と御子
〔二〕仲哀天皇の崩御と神託
〔三〕神功皇后の新羅親征
〔四〕鎮懐石と釣魚
〔五〕忍熊王の反乱
〔六〕気比大神
〔七〕酒楽の歌
応神天皇
〔一〕后妃と御子
〔二〕三皇子の分担
〔三〕矢河枝比売
〔四〕髪長比売
〔五〕吉野の国主の歌
〔六〕百済の朝貢
〔七〕大山守命の反乱
〔八〕宇遅能和紀郎子の死
〔九〕天之日矛
〔一〇〕秋山の神と春山の神
〔一一〕応神天皇の子孫
古事記 下巻
仁徳天皇
〔一〕后妃・御子と御名代
〔二〕聖帝の世
〔三〕吉備の黒日売と皇后の嫉妬
〔四〕天皇と黒日売
〔五〕八田若郎女と皇后の嫉妬
〔六〕山城の筒木宮
〔七〕三色の奇虫
〔八〕八田の一本菅
〔九〕速総別王と女鳥王
〔一〇〕雁の卵
〔一一〕枯野という船
履中天皇
〔一〕后妃と御子
〔二〕墨江中王の反乱
〔三〕水歯別命と曾婆訶理
反正天皇
允恭天皇
〔一〕后妃と御子
〔二〕即位と氏姓の正定
〔三〕軽太子と軽大郎女
安康天皇
〔一〕大日下王の殺害
〔二〕目弱王の復讐と大長谷王子
〔三〕市辺之忍歯王の難
雄略天皇
〔一〕后妃と御子
〔二〕若日下部王
〔三〕引田部赤猪子
〔四〕吉野の童女
〔五〕阿岐豆野
〔六〕葛城山の大猪
〔七〕葛城の一言主大神
〔八〕金すきの岡
〔九〕三重の采女
〔一〇〕袁杼比売との唱和
清寧天皇
〔一〕允恭皇統の途絶
〔二〕二王子の舞
〔三〕歌垣
〔四〕二王子の互譲
顕宗天皇
〔一〕置目の老媼
〔二〕猪甘の老人
〔三〕御陵の土
仁賢天皇
武烈天皇
継体天皇
安閑天皇
宣化天皇
欽明天皇
敏達天皇
用明天皇
崇峻天皇
推古天皇

校訂付記
解説
一 成立
二 文字テキストとしての『古事記』
三 各巻の意義と内容
四 伝来と諸本
五 『古事記』の表記形式
六 『古事記』の用字法と訓読
七 『古事記』を読むこと
参考文献
付録(扉)
神代・歴代天皇系図
大和国要図
河内・和泉・摂津国要図
飛鳥周辺史跡地図
古代の五畿七道
重要語索引
地名索引
神名・人名索引
奥付

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日本国語大辞典
奈良時代の歴史書。三巻。天武朝に企画され、天武天皇の命で稗田阿礼(ひえだのあれ)が誦習(文字化された資料の読み方を習い覚えること)した帝紀(天皇の系譜・皇位継承 ... ...
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国史大辞典
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文學部 洋巻 第2巻 858ページ ... ...
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国史大辞典
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日本史年表
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デジタル大辞泉プラス
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20. こじきでん【古事記伝】
デジタル大辞泉
古事記の注釈書。44巻。本居宣長著。寛政10年(1798)完成。文政5年(1822)全巻刊。最初の文献学的な古事記研究書。宣長の国学思想の基礎をなしている。 ... ...
21. こじきでん【古事記伝】
日本国語大辞典
「古事記」の注釈書。四八巻。本居宣長著。明和元年(一七六四)頃から執筆準備を始め、同四年起稿、寛政一〇年(一七九八)完成。寛政二〜文政五年(一七九〇〜一八二二) ... ...
22. こじきでん【古事記伝】
国史大辞典
なかった。その結果、『古事記伝』は前人未踏の精確詳細な注釈として成就し、今日に至るまでこれを超える『古事記』注釈はない。テキストとしては、板本四十八冊のほか、『 ... ...
23. 古事記による天皇の名および没年干支[百科マルチメディア]
日本大百科全書
©Shogakukan ... ...
24. 神武
デジタル大辞泉プラス
安彦良和による漫画作品。「ナムジ」の続編。ナムジの息子のツノミを主人公とし、仮説や創作を取り込んで神武天皇の東征を描く歴史物語。描き下ろし作品。徳間書店から19 ... ...
25. こくんこじき【古訓古事記】
デジタル大辞泉
長瀬真幸が、師の本居宣長の「古事記伝」に従って、古事記の本文に訓を加えた書。3巻。享和3年(1803)刊。新刻古事記。 ... ...
26. こくんこじき【古訓古事記】
日本国語大辞典
長瀬真幸が、師の本居宣長著「古事記伝」によって「古事記」の本文に訓を加えたもの。寛政一一年(一七九九)成立。享和三年(一八〇三)刊。宣長の序と真幸の後記を付す。 ... ...
27. 『古事記伝』[百科マルチメディア]
日本大百科全書
本居宣長(もとおりのりなが)自筆稿本 巻1 1785~1788年(天明5~8) ©国立国会図書館 ... ...
28. ナムジ
デジタル大辞泉プラス
安彦良和による漫画作品。記紀に描かれているナムジ=大国主を、2世紀後半の日本を舞台に、その半生を描く描き下ろし作品。徳間書店から1989年~1991年に全5巻で ... ...
29. Palace under the Sea[タイトル]
e-プログレッシブ英和
《アート》「わだつみのいろこの宮」 青木繁の絵画(1907) ◆『古事記』中の海幸彦,山幸彦の物語をテーマに,海底の世界を夢幻的な色彩で描く;カンバス 油彩 1 ... ...
30. あ【吾・我】
日本国語大辞典
〔代名〕自称。私。あれ。中古以降は「わ」が使われて衰えた。*古事記〔712〕上・歌謡「阿(ア)はもよ、女(め)にしあれば」*万葉集〔8C後〕五・八九〇「出でて行 ... ...
31. あ【畔】
日本国語大辞典
〔名〕「あぜ」のこと。上代、中古に用いられた。*古事記〔712〕上「天照大御神の営田(つくだ)の阿(ア)〈此の阿の字は音を以ゐよ〉を離ち、其の溝を埋め」*岩淵本 ... ...
32. ああ‐しやご‐しや
日本国語大辞典
をこめたはやしことば。ああいい気味だ。ああばかものめ。上代歌謡にだけ見られる。ああしやを。*古事記〔712〕中・歌謡「ええしやごしや、此はいのごふぞ。阿阿〈音引 ... ...
33. あい[あひ]【合・会・相】
日本国語大辞典
〕動詞の上に付く。(1)ともに関係することを表わす。(イ)ともに。ともどもに。いっしょに。*古事記〔712〕中・歌謡「道の後(しり)古波陀嬢子(こはだをとめ)を ... ...
34. あい‐い・う[あひいふ]【相言】
日本国語大辞典
〔自ハ四〕(「あい」は接頭語)互いに語る。ことばを交す。ことばでむつみ合う。男女が恋を語り合う。*古事記〔712〕下「吾は、汝命(いましみこと)の若し墨江中王と ... ...
35. あい‐いど・む[あひ:]【相挑】
日本国語大辞典
〔自マ四〕(「あい」は接頭語)互いに力を張り合う。両方が挑発し合う。戦いをしかけようとして臨む。*古事記〔712〕中「其の建波邇安王軍を興して待ち遮(さきき)り ... ...
36. あい‐おも・う[あひおもふ]【相思】
日本国語大辞典
〔他ハ四〕(「あい」は接頭語)互いに思う。互いに慕う。両方がともに思い合う。*古事記〔712〕下・歌謡「大猪子が 腹にある 肝向ふ 心をだにか 阿比淤母波(アヒ ... ...
37. あいかわごう【藍川郷】岐阜県:美濃国/不破郡
日本歴史地名大系
不破郡の他の地域と方向をまったく異にする条里遺構が約二〇町歩程度推定できるという。当郷を含む相川流域には「古事記」などにみえる喪山神話の地とする伝承があり、垂井 ... ...
38. あいごう【安威郷】大阪府:摂津国/島下郡
日本歴史地名大系
「日本書紀」雄略天皇九年二月条の「三島郡の藍原」、同継体天皇二五年一二月条の、天皇を「藍野陵に葬る」(「古事記」には「三島之藍陵」とある)、「延喜式」(諸陵寮) ... ...
39. あいだ[あひだ]【間】
日本国語大辞典
継起の用法から出たものである。この用法は、敦煌変文等に認められるとの指摘もあるが、日本では「古事記‐中」に「将©殺 ... ...
40. 愛知(県) 画像
日本大百科全書
徳川美術館は、大名道具など一万数千点を収納する大規模な私立博物館である。寶生院の「真福寺文庫」は国宝『古事記』(賢瑜(けんゆ)書写)など4点をはじめ、重要文化財 ... ...
41. 会津(あいづ) 画像
日本大百科全書
古代から近代初期まで存在した郡名で、奈良時代初期の一時期石背(いわせ)国に所属した。相津(『古事記』)、安比豆(『万葉集』)、阿比豆(『和名抄(わみょうしょう) ... ...
42. あいづ[あひづ]【会津・相津】
日本国語大辞典
(「古事記‐崇神」の、大毘古命(おおびこのみこと)がその子建沼河別命(たけぬなかわわけのみこと)と会った故事による)福島県西部の地域名。また、旧郡名。古代の会津 ... ...
43. あいづ【会津】
国史大辞典
福島県の会津若松・喜多方の二市を含む、大沼・河沼・耶麻・北会津・南会津五郡の総称。『古事記』には四道将軍に関わる地名伝説があるが、会津が次に文献に現われるのは ... ...
44. あいづぐん【会津郡】
国史大辞典
陸奥国(福島県)南西部にあった郡。『古事記』には「相津」とみえ、四道将軍大©古命(おおびこのみこと)と建沼河別命(たけぬなかわ ... ...
45. あいづぐん【会津郡】福島県:陸奥国
日本歴史地名大系
十里越がある。〔古代〕「国造本紀」に会津国造はみえない。「和名抄」に「阿比豆」と訓を付す。「古事記」崇神天皇段に、大©古命は高志道 ... ...
46. あい‐はか・る[あひ:]【相計】
日本国語大辞典
〔他ラ四〕(「あい」は接頭語)(1)相談する。共に企てる。*古事記〔712〕上(兼永本訓)「故、其の木の上に坐さば、其の海神の女(むすめ)、見て相議(あひはか) ... ...
47. あい‐まくらま・く[あひ:]【相枕纏】
日本国語大辞典
〔自カ四〕(「まくらまく」は枕にして寝るの意)共寝をする。*古事記〔712〕中・歌謡「道の後(しり) 古波陀嬢子(こはだをとめ)を 神の如(ごと) 聞えしかども ... ...
48. 会見
日本大百科全書
手間山は大国主命(おおくにぬしのみこと)が兄神らに欺かれて、山上から落下する焼け石を抱いて死んだという『古事記』神話伝承地。県指定文化財の金田瓦窯跡(かねだがよ ... ...
49. あい‐・みる[あひ:]【相見・逢見】
日本国語大辞典
賀す」(【一】について)(1)上代では動詞と接頭語を書き分ける「古事記」でも「相」と接頭語表記されていて、「互いに眼を見る」の意味が強力だったが、平安時代になる ... ...
50. あいらぐん【姶羅郡】鹿児島県:大隅国
日本歴史地名大系
の表記でみえる。郡名は「日本書紀」神代下の吾平山上陵、同書にみえる神武の妃の「吾平津媛」、「古事記」神武天皇段の「阿比良比売」と関連するとみられる。なお近世以降 ... ...
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天照大神(世界大百科事典・日本架空伝承人名事典)
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