1. 本居宣長(国学者、神道学者)
日本大百科全書
江戸時代中期の国学者、神道(しんとう)学者。鈴迺屋(すずのや)と号する。享保(きょうほう)15年5月7日に生まれる。伊勢(いせ)国松坂の木綿問屋小津定利(おづさ ...
2. 本居宣長(小林秀雄の評伝)
日本大百科全書
古代のことばを求めている点で、歴史と人間と言語の一致の追求でもあったといえる。なお、その後に刊行された『本居宣長補記』(1982・新潮社)は宣長の「真暦考」など ...
3. 本居宣長
世界大百科事典
1730-1801(享保15-享和1) 江戸中期の国学者。伊勢国松坂に生まれる。旧姓は小津氏,のち先祖の姓に復し本居を称する。幼名を富之助というが,何度か改名し ...
4. もとおり‐のりなが【本居宣長】
デジタル大辞泉
[1730〜1801]江戸中期の国学者。国学の四大人の一人。伊勢の人。号、舜庵(春庵)・鈴屋(すずのや)。京都に出て医学を
...5. もとおり‐のりなが【本居宣長】
日本国語大辞典
江戸中期の国学者、語学者。伊勢国(三重県)松坂の人。通称、彌四郎。号は鈴屋(すずのや)。京に出て、堀景山に漢学を学び、堀元厚について医学を修業したが、契沖の書に ...
6. もとおりのりなが【本居宣長】
全文全訳古語辞典
[人名]⇒もとをりのりなが(本居宣長) ...
7. もとおりのりなが【本居宣長】
国史大辞典
分割して継承された。『(増補)本居宣長全集』全十巻(『(増補)本居全集』一―一〇、吉川弘文館)、『本居宣長全集』全二十巻別巻三(筑摩書房)がある。なお、宣長の稿 ...
8. もとおり-のりなが【本居宣長】
日本人名大辞典
1730−1801 江戸時代中期-後期の国学者。享保(きょうほう)15年5月7日生まれ。伊勢(いせ)(三重県)松坂の木綿商小津定利の子。本居は先祖の姓。母勝のす ...
9. 本居宣長[文献目録]
日本人物文献目録
』三上於兎吉『本居宣長』-『本居宣長』小田切秀雄『本居宣長』栢原昌三『本居宣長』黄葉子『本居宣長 1‐11(継続中)』小林秀雄『本居宣長』子安宣邦『本居宣長』デ ...
10. もとをりのりなが【本居宣長】
全文全訳古語辞典
[人名]江戸後期の国学者。一七三〇年(享保十五)~一八〇一年(享和元)。伊勢松坂(=三重県松阪市)の人。初め、京都に出て、儒学・医学を学んだが、契沖の書物を読ん ...
11. Motoori Norinaga 【本居宣長】
Encyclopedia of Japan
1730−1801 Classical scholar of the Edo period (1600−1868) who was largely respon ...
12. 本居宣長おを所屬之辨 (見出し語:本居宣長)
古事類苑
文學部 洋巻 第1巻 91ページ ...
13. 本居宣長和學 (見出し語:本居宣長)
古事類苑
文學部 洋巻 第2巻 665ページ ...
14. 本居宣長神道説 (見出し語:本居宣長)
古事類苑
神祇部 洋巻 第2巻 1442ページ ...
15. 近世随想集
日本古典文学全集
3年ごろ)、和学者・戸田茂睡(もすい)の江戸名所巡り『紫の一本(ひともと)』(1682年)、本居宣長の和歌論の処女作『排蘆小船(あしわけおぶね)』(1757年ご ...
16. もとおりのりながきゅうたく【本居宣長旧宅】三重県:松阪市/松坂城下/殿町
日本歴史地名大系
[現]松阪市殿町 もと魚町にあり、明治四二年(一九〇九)一〇月以降は鈴屋遺跡保存会によって松坂城跡隠居丸に移転され、現在に至っている。国指定特別史跡。宣長の生家 ...
17. 本居宣長旧宅(鈴屋)[百科マルチメディア]
日本大百科全書
江戸時代の国学者本居宣長(もとおりのりなが)が12歳から72歳で没するまで起居した家。2階の書斎を、床の間に鈴をかけてその音色を楽しんだところから「鈴屋(すずの ...
18. 本居宣長蔵書印[図版]
国史大辞典
鈴屋之印 須受能屋蔵書 (c)Yoshikawa kobunkan Inc. ...
19. 本居宣長の母[文献目録]
日本人物文献目録
【書誌】:0件 【図書】:1件 【逐次刊行物】:1件 『本居宣長の母』上田万年『本居宣長の母』佐佐木信綱 ...
20. あいなめのまつり【相嘗祭】
国史大辞典
ある)の意であろうとする説(『倭訓栞』)もあるが、一般には天皇と相伴に新饗し奉る故の名とする本居宣長の説(『玉勝間』)がよしとされている。しかしそれも後世的説明 ...
21. あお‐うま[あを:]【青馬・白馬】
日本国語大辞典
(2)一〇世紀中頃より漢字文献において「青馬」から「白馬」へと文字表記が統一される理由については、本居宣長、伴信友は馬自体が白馬に換えられたからであるというが、 ...
22. あおやぎ-たねのぶ【青柳種信】
日本人名大辞典
江戸時代後期の国学者。明和3年2月20日生まれ。筑前(ちくぜん)福岡藩士。加藤千蔭(ちかげ),本居宣長(もとおり-のりなが)らにまなぶ。文化9年伊能忠敬(ただた ...
23. あおやまとうげ【青山峠】三重県:名賀郡/青山町/伊勢地村
日本歴史地名大系
伊勢側には伊勢茶屋があり、伊賀茶屋の向い側に青山大師とよばれる霊場がある。明和九年(一七七二)吉野旅行をした本居宣長は「菅笠日記」に「かいとをはなれて、阿保の山 ...
24. あからめ さす
日本国語大辞典
(「さす」は、語源、語義未詳。本居宣長は「為(す)」というのに同じで、「目をさす」は「物を見やること也」という。また、「映(さ)す」と当てる説もある)にわかに、 ...
25. 県居派
日本大百科全書
万葉調の作歌が県居派の特色である。和歌では後世、古今主義の桂園(けいえん)派と相対して、二大潮流をなした。本居宣長(もとおりのりなが)、揖取魚彦(かとりなひこ) ...
26. あがたい‐は[あがたゐ:]【県居派】
日本国語大辞典
〔名〕(県居は賀茂真淵の号)賀茂真淵門下の歌人や国学者。田安宗武、楫取魚彦(かとりなひこ)、加藤千蔭、村田春海、本居宣長、加藤宇万伎(うまき)、荒木田久老(ひさ ...
27. あがたいは【県居派】
国史大辞典
ここにとどまり、この歌風が江戸を中心に大いにふるった。これを江戸派と呼ぶが、真淵とは別の歌風を興した本居宣長の鈴屋派とともに、真淵晩年の「ますらをぶり」を基調と ...
28. 秋田(市)
日本大百科全書
。同じく国史跡として平田篤胤(あつたね)墓がある。平田篤胤は江戸時代末期を代表する国学者で、本居宣長(もとおりのりなが)の古道説を継承し、復古神道の鼓吹に尽力し ...
29. あきつしま【秋津洲】奈良県:御所市
日本歴史地名大系
という地名説話を載せる。同書雄略天皇四年八月二〇日条にも、蜻蛉に付会した説話がみえる。これについて、本居宣長の「国号考」は次のように述べている。秋津嶋は、古事記 ...
30. あ‐ぎょう[:ギャウ]【あ行】
日本国語大辞典
通じて五十音図は一般にあ行を「あ・い・う・え・を」のように書いたが、江戸時代に入り、富士谷成章、本居宣長らによって「お」「を」の位置が正された。ア ...
31. あこうむら【赤桶村】三重県:飯南郡/飯高町
日本歴史地名大系
寛永一八年(一六四一)検地帳(徳川林政史蔵)に「赤桶村」と記されている。寛政六年(一七九四)和歌山に向かう本居宣長は「紀見のめぐみ」で「閼伽桶といふ里の名を聞て ...
32. あざ‐な【字】
日本国語大辞典
も、皆正しく定まれる名としもなくて、よびならへるをいへり」(1)本居宣長の「随筆・玉勝間‐二」に「古へより、正しき名の外によぶ名を、字(アザナ)といへること多し ...
33. 『排蘆小船』
日本史年表
1757年〈宝暦7 丁丑〉 この頃 本居宣長 『排蘆小船』 成るか。 ...
34. 排蘆小船
世界大百科事典
本居宣長の歌論書。成立年は不詳だが,宣長の京都遊学時代(22~26歳)に成ったかとされる。歌論の処女作である。問答体で和歌に関する諸問題を論じているが,歌の本質 ...
35. あしわけおぶね【排蘆小船】
国史大辞典
注目すべきものである。『日本歌学大系』七、『本居宣長全集』二に所収。→本居宣長(もとおりのりなが) [参考文献]大久保正『排蘆小船』解題(『本居宣長全集』二)、 ...
36. 排蘆小船(近世随想集) 255ページ
日本古典文学全集
浄瑠璃などにも見える。宣長は、「ことわりや」の歌同様、謡曲、浄瑠璃などを通して知っていたと思われるが、のち『本居宣長随筆』五に『古今著聞集』より抄出する。平安前 ...
37. 排蘆小船(近世随想集) 264ページ
日本古典文学全集
切紙、抄物などによって、師から弟子へ授受する。宣長は「伝受」と「伝授」の両様の表記を用いる。『本居宣長随筆』二、景山先生不尽言曰「伝授の名目は東の野州に始まり、 ...
38. 排蘆小船(近世随想集) 268ページ
日本古典文学全集
伝授されて以来、御所伝授となる。『本居宣長随筆』二、景山先生不尽言曰「是より代々天子の事となり、古今伝授、近代に至ては事々しき重典のやうになれり」。本居宣長記念 ...
39. 排蘆小船(近世随想集) 269ページ
日本古典文学全集
見はべると云と同じ。…みな人に対してさきを敬ふ詞也」。ただし、ここの用例は唐突。口述で伝え教えること。『本居宣長随筆』二、景山先生不尽言曰「契沖師の説に、…古よ ...
40. 排蘆小船(近世随想集) 274ページ
日本古典文学全集
この説は堀景山のものであるが、ここでは自説のように述べており、距離が保たれていないことを注意すべきである。『本居宣長随筆』二、景山先生不尽言曰「さて和歌の歌の字 ...
41. 排蘆小船(近世随想集) 293ページ
日本古典文学全集
→二四五ページ注一。ここは、一方に儒学を意識しているため、あえて倭歌、和歌の語を用いている。『本居宣長随筆』二、景山先生不尽言曰「欲といへば悪き事のやうにのみ心 ...
42. 排蘆小船(近世随想集) 299ページ
日本古典文学全集
観れば、少陵(杜甫)の詩博く世故に渉れども、夫婦に出る者常に少くして、風人の義或は缺く」。『本居宣長随筆』二、景山先生不尽言曰「さて人情の事を論ぜば、即ち礼記に ...
43. 排蘆小船(近世随想集) 301ページ
日本古典文学全集
しるよりいで、物の心をしるは、世の有さまをしり、人の情に通ずるよりいづる也」。世間。世の中。『本居宣長随筆』二、景山先生不尽言曰「夫婦は人倫之始也ともの玉ひて、 ...
44. 排蘆小船(近世随想集) 302ページ
日本古典文学全集
自然と詞の美しきに随うて、意も深く 〔三五〕 〔三六〕 堀景山の所説で、宣長は多少批判的であった。『本居宣長随筆』二、景山先生不尽言曰「和歌は我朝の大道也。す ...
45. 排蘆小船(近世随想集) 314ページ
日本古典文学全集
詩にはいつはらぬ心のまことをいひづればこそ、いみじき物にして孔子も六経の一つには備へ給へれ」。『本居宣長随筆』二、景山先生不尽言曰「詩と云ものは恥かしきものにて ...
46. 排蘆小船(近世随想集) 318ページ
日本古典文学全集
この中に古今雅俗のけぢめはあれども、ことごとく歌にあらずといふことなし」。また佐佐木信綱著『増訂賀茂真淵と本居宣長』宣長伝補遺に紹介される堀景山、寛延二年七月稿 ...
47. 排蘆小船(近世随想集) 339ページ
日本古典文学全集
固なり。しかれども詩の用、もと作者の本意に在らずして、読む者の感ずるところいかんというに在り」。『本居宣長随筆』二、景山先生不尽言曰「詩三百篇の内には、邪念より ...
48. 排蘆小船(近世随想集) 356ページ
日本古典文学全集
神代口訣に日無の義也といへり」。いったん衰えたことが、再び盛んになること。決して。さらさら。『本居宣長随筆』二、景山先生不尽言曰「その上公家ならでは歌はよまれぬ ...
49. 排蘆小船(近世随想集) 358ページ
日本古典文学全集
後半は「伝授」。事実でないことを、本当のように作り立てること。判断力がある。見分ける力がある。『本居宣長随筆』二、景山先生不尽言曰「古今伝授の事、世上に流布せる ...
50. 排蘆小船(近世随想集) 366ページ
日本古典文学全集
同五日掾大伴宿祢池主の守家持に答ふる詩一首、題詞「山柿の歌泉は此に比ぶれば蔑きが如し」など。『本居宣長随筆』三「此方の上代に、道と云詞はただ道路の意ばかりにして ...