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日本書紀

ジャパンナレッジで閲覧できる『日本書紀』の日本古典文学全集・国史大辞典・世界大百科事典・日本語大辞典のサンプルページ

新編 日本古典文学全集
日本書紀
にほんしょき
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日本書紀 全体

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日本書紀 拡大

【現代語訳】
日本書紀 巻第一 神代 上 〔一〕
昔、天と地が分れず、陰の気と陽の気も分れず、混沌として未分化のさまはあたかも鶏の卵のようであり、ほの暗く見分けにくいけれども物事が生れようとする兆候を含んで

【目次】
目次
古典への招待
凡例

日本書紀(扉)
日本書紀 巻第一(扉)
神代 上
〔一〕天地開闢と三柱の神
〔二〕四対偶の八神
〔三〕神世七代
〔四〕おの馭慮島での聖婚と大八洲国の誕生
〔五〕天照大神・月夜見尊・素戔嗚尊の誕生
〔六〕素戔嗚尊と天照大神の誓約
〔七〕素戔嗚尊の乱行と追放
〔八〕素戔嗚尊の八岐大蛇退治
日本書紀 巻第二(扉)
神代 下
〔九〕葦原中国の平定、皇孫降臨と木花之開耶姫
〔一〇〕海幸・山幸説話とう草葺不合尊の誕生
〔一一〕神日本磐余彦尊ら四男神の誕生
日本書紀 巻第三(扉)
神日本磐余彦天皇 神武天皇
〔一〕神武天皇の東征
〔二〕天皇軍の進撃―霊剣ふつの霊と頭八咫烏
〔三〕兄猾と弟猾
〔四〕兄磯城と弟磯城
〔五〕長髄彦との決戦―金鵄の飛来
〔六〕大和の平定
〔七〕橿原宮の造営
〔八〕即位と立后
日本書紀 巻第四(扉)
神渟名川耳天皇 綏靖天皇
磯城津彦玉手看天皇 安寧天皇
大日本彦耜友天皇 懿徳天皇
観松彦香殖稲天皇 孝昭天皇
日本足彦国押人天皇 孝安天皇
大日本根子彦太瓊天皇 孝霊天皇
大日本根子彦国牽天皇 孝元天皇
稚日本根子彦大日日天皇 開化天皇
日本書紀 巻第五(扉)
御間城入彦五十瓊殖天皇 崇神天皇
〔一〕即位と遷都
〔二〕疾疫の流行と敬神祭祀
〔三〕四道将軍と武埴安彦の反逆、三輪山伝説
〔四〕課役、御肇国天皇の称号、嗣子決定
〔五〕出雲神宝の献上、造池勧農と任那朝貢
日本書紀 巻第六(扉)
活目入彦五十狭茅天皇 垂仁天皇
〔一〕誕生と即位
〔二〕任那と新羅の抗争
〔三〕狭穂彦王の謀反
〔四〕当麻蹶速と野見宿禰、立后
〔五〕誉津別王
〔六〕伊勢の祭祀の始り、出雲の神宝検校
〔七〕殉死の禁令―埴輪
〔八〕石上神宮と神宝
〔九〕天の日槍と神宝
〔一〇〕田道間守と非時香菓
日本書紀 巻第七(扉)
大足彦忍代別天皇 景行天皇
〔一〕即位と立后
〔二〕諸妃と八十人の皇子・皇女
〔三〕天皇西征と神夏磯媛の提言
〔四〕碩田国の土蜘蛛討伐
〔五〕熊襲平定と九州巡幸
〔六〕日本武尊の熊襲征討
〔七〕日本武尊の東征と弟橘媛の入水
〔八〕日本武尊の病没と白鳥の陵
稚足彦天皇 成務天皇
〔一〕即位と詔勅
〔二〕造長・稲置の設置
日本書紀 巻第八(扉)
足仲彦天皇 仲哀天皇
〔一〕天皇即位、父日本武尊を追慕
〔二〕熊襲征討
〔三〕天皇神託を疑い、崩御
日本書紀 巻第九(扉)
気長足姫尊 神功皇后
〔一〕神功皇后神託を得て、まず熊襲征討
〔二〕神助により新羅親征
〔三〕凱旋の途次、かご坂・忍熊二王の謀反
〔四〕誉田別皇子の立太子
〔五〕百済国との親交開始の契機
〔六〕朝貢をめぐり、百済・新羅の確執
〔七〕新羅再征討
日本書紀 巻第十(扉)
誉田天皇 応神天皇
〔一〕誕生と即位
〔二〕甘美内宿禰の武内宿禰讒言
〔三〕日向の髪長媛
〔四〕弓月君・阿直岐らの来帰
〔五〕妃兄媛の帰省を追い吉備に行幸
〔六〕枯野船と縫工女の渡来、立太子問題

校訂付記
解説
一 書名と体裁
二 編纂の過程
三 文章の述作
四 『日本書紀』と史実
五 『日本書紀』の訓読について
六 古写本と版本
七 研究史と本書の方法
参考文献
付録(扉)
日本書紀年表(神武天皇~応神天皇)
神名・人名・地名索引
奥付



国史大辞典
日本書紀
にほんしょき
神代より持統天皇十一年(六九七)八月に至る歴史書。舎人親王ら撰。三十巻、系図一巻(現存せず)。養老四年(七二〇)五月二十一日完成、奏上。書名は、現存の古写本には皆「日本書紀」とあり、この名は『令集解』公式令詔書式所引の古記にもみえるが、完成を記す『続日本紀』の記事には「日本紀」とあり、本書に続く国史の書名は『続日本紀』『日本後紀』『続日本後紀』とあって「書」の字はなく、『万葉集』には両方がみえ、本来の書名については定説はないが、一般には『日本書紀』としている。巻一・二は神代巻で、巻三神武天皇から巻三〇持統天皇に至る。そのうち、巻九は神功皇后にあて、本文には即位したとみえないにかかわらず天皇と同じ扱いをし、また巻二八は天武天皇元年で、大友皇子の即位・称制を認めなかった。この二例は後世議論を呼びおこし、神功は歴代天皇の列に認めず、大友は明治政府が弘文天皇の号を贈り歴代天皇に加えた。神武を除く他の天皇の即位元年条に必ず太歳記事があるにかかわらず、神功については摂政元年条以外に三十九年・六十九年条にもあり、天武については元年条になく、二年条にみえ、例外の記載になっている。本書の記事は巻三以降天皇が中心で、即位前紀に天皇の諱、父母、性格、立太子、先天皇の崩年を記し、即位の年を元年とし、記事は月日にかけ、月日不明の時は是月・是歳とする。立后の記事には母と子女を列挙する。記事の範囲には特定の限定はなく、天皇の行動、政策、天文、災異、瑞祥、外国関係などが記され、中国の皇帝実録とも異なる。一天皇の記事は原則として他巻にまたがることはないが、巻二八は特別で、天武天皇元年(六七二)の壬申の乱の記事のみである。年は太歳記事によって計算すれば干支が明らかになり、月日は「冬十月甲申朔己酉」のように四季・月・月朔・干支を記している。月朔と干支を記すには暦が必要であるが、小川清彦の計算によれば、允恭までは儀鳳暦、安康以後は元嘉暦であるという。儀鳳暦は本書編纂当時の最新の暦である。辛酉革命説により神武紀元を設定し、それよりの暦を計算して、それに紀年の不明瞭な記事をあてはめたために矛盾が生じ、後世紀年論がおこった。文体は漢文であるが、歌謡は漢字一字を日本語の一音にあて、日本語の歌によめるようにしてある。歌謡を表記する漢字は本文にみえる普通の漢字ではなく、字画の繁雑な漢字を意識的にえらんでいる。これには漢訳仏典の呪(じゅ)で梵語の音を表記するのに用いられた漢字が多くみえる。本文の漢文は『古事記』の漢文のような国語脈が入ったり、日本語を漢字音によって示したりすることはなく、比較的純粋な漢文である。しかし古写本に残る古訓、『日本書紀私記』『釈日本紀』などによると、音読はせず、訓読していたらしい。本書編纂の材料となったと推測されるものには、早く推古天皇二十八年(六二〇)に聖徳太子らが録した『天皇記』『国記』以下があり、天武天皇十年三月川島皇子らに記定せしめた「帝紀および上古諸事」、持統天皇五年八月大三輪氏ら十八氏にたてまつらしめた「墓記」がある。和銅七年(七一四)二月十日紀清人・三宅藤麻呂に国史を撰ばしめ、本書の編纂が始まっていたことを示している。天武天皇十年の「帝紀」は『古事記』序文にみえる「帝紀」および「帝皇日継」にあたり、「上古諸事」は同じく「本辞」と「先代旧辞」にあたるのであろう。『古事記』の綏靖から開化まで、および宣化から推古までの記事は天皇の名・宮・在位年数・年齢・皇后・子女・陵・崩年などの事項のみからなっているが、「帝紀」はこれらの事項をさし、「上古諸事」は同書にみえるこれ以外の事項にあたる。本書にもこの二項目が記載されているが、『古事記』よりはるかに多くの記事を記しているし、また引用文献名を多く記している。「一書曰」「一云」は特に神代巻に多く、また「一本」「旧本」「或本」などとみえるが、これは書名ではなく、本文と同じ性格のもので、編纂過程で一時本文にとりこまれたものが、のちに参考として残されたものであろう。書名としては『百済記』『百済新撰』『百済本記』『日本旧記』『魏志』『晋起居注』『譜第』『伊吉博徳書』『難波男人書』『高麗沙門道顕日本世記』『(鎌足)碑』がみえる。書名はないがその性格を推測できるものは、諸氏の祖を記し、その伝承を伝えるものは諸氏から提出させた資料にもとづくものであり、寺院関係記事は『元興寺縁起』などの縁起類を利用したものであろう。また壬申の乱の記事は『釈日本紀』に引用されている調淡海・安斗智徳らの日記が使用されている。大社の起源の記事は伝承と深く関係しているので、直接神社から提出した資料以外に伝承そのものの中にも資料があったと考えられる。また、神代巻を例にとると、「此れ桃を用ゐて鬼を避くる縁なり」「土俗、此の神の魂を祭るは花の時には亦花を以て祭るなり」のように編纂時における社会的習慣を丹念に記している。このような記事は他の資料にはみえないもので、諸所に記されている地名伝説とともに、『書紀』編纂者の現実的関心が強いことを示している。ただしこれらが風土記のようなものによったかどうかは明らかではない。最近本書の各部分の詳細な研究により各巻執筆は一人の手によるものではなく、複数の人物が参加していることが指摘されるようになった。記載事項の特徴、用字、用語、分注の分布状況など、さまざまの項目の各巻における状況の比較によって、(一)巻一・二(神代)、(二)巻三(神武)、(三)巻四―一三(綏靖―安康)、(四)巻一四―一六(雄略―武烈)、(五)巻一七―一九(継体―欽明)、(六)巻二〇・二一(敏達―崇峻)、(七)巻二二・二三(推古・舒明)、(八)巻二四―二七(皇極―天智)、(九)巻二八・二九(天武上・下)、(一〇)巻三〇(持統)に分類することができ、さらに(二)と(九)、(二)(三)と(七)、(四)(五)と(八)には共通の特徴があると指摘されている。これらの特徴は内容の必然性によるものではなく、各巻の担当者の文章の癖によるものであって、執筆者がただ一人であるならば生じないものである。谷川士清(ことすが)の『日本書紀通証』、河村秀根の『書紀集解』および以後の個別研究によって本書の漢文・漢語の中国文献上の出典がかなり明らかとなった。この結果を逆に推測すると、『書紀』の筆者はそれぞれの古典を熟知していて、適宜漢語を駆使し文章を作成したと考えられ、その学識のほどを驚嘆されていた。また普通の漢文以外に有名な例は欽明天皇十三年(五五二)十月条の仏教伝来の記事中の百済の聖明王の表文で、この文章は『金光明最勝王経』の一部であることが明らかにされた。この経典は七〇三年(大宝三)に漢訳されており、養老二年遣唐使の帰朝とともに将来され、同四年に完成、奏上された『日本書紀』に採用され、おそらく最終の修正に間に合ったものであろう。漢語出典の研究に新しい見地を開拓したのは小島憲之(のりゆき)の研究であった。それによると、『書紀』の筆者は古典の原典にさかのぼって引用している場合もあるが、かなりの部分が『芸文類聚(げいもんるいじゅう)』のような類書(文章を作るために便利なように関連のある文章・熟語を項目別に集めた書物)を参考にして文章を作成していることが明らかとなった。このような文章作成過程は『書紀』編纂者の特有のものではなく、六朝・隋・唐・宋の文人の常であった。この指摘によって『書紀』編纂の具体的過程の一部が明らかとなった。本居宣長は『書紀』の文章の潤色によって古伝の真実を歪曲したと非難しているが、その指摘は一部はあたっている。現在の漢文的修飾の濃い文章から原形を推測することは困難であって、たとえば歴代の天皇の性格は『古事記』にもみえないものが多いが、本書には『魏志』『東観漢記』『芸文類聚』『唐高祖皇帝実録』などによって叙述している。これらは編纂者が推測したものにすぎない。しかし漢文的表現をとった記事がすべて架空のものであるかというと、そうした記事の中には、もともとある程度の事実があって、それを既成の漢文を借りて表現したものもあると考えられる。また本書の漢文は既成の漢文から必要な部分を切りとってならべただけではなく、必要な漢文をもととして、構文をかえ、熟語をならべかえるなどの努力の跡がみられ、さらに神代巻の本文と一書とを比較すると、文章上の変化の跡を辿ることができ、漢文作成能力はかなりの程度のものであった。『日本書紀』の古写本には以下のものがある。(一)古本系統(神代巻の一書は細字二行となっている)。(1)最古の写本。四天王寺本(『(新訂増補)国史大系』一上口絵写真)、佐佐木信綱旧蔵本(『秘籍大観』)、猪熊本(古典保存会複製)。いずれも巻一の断簡で僚巻。奈良時代末期より平安時代初期の書写。(2)田中本。巻一〇。(1)と僚巻。(3)岩崎本。巻二二・二四。平安時代中期の書写。(4)前田本。巻一一・一四・一七・二〇。平安時代後期の書写。(5)宮内庁書陵部本。巻二・一〇・一二―一七・二一―二四。院政期の書写。(2)―(5)は『秘籍大観』所収。(6)北野本。二十八巻のうち巻二二―二七。院政期書写(複製あり)。(7)鴨脚(いちょう)本。巻二。嘉禎二年(一二三六)書写(古典保存会複製)。(8)丹鶴叢書本。巻一・二。嘉元四年(徳治元、一三〇六)書写本の模刻。(二)卜部家本(神代巻の一書が一字下げの大字となっている)。(1)兼方本。巻一・二。弘安九年(一二八六)以前書写(複製あり)。(2)乾元本。巻一・二。乾元二年(嘉元元、一三〇三)書写(『天理図書館善本叢書』)。(3)水戸彰考館本。巻一・二。嘉暦三年(一三二八)書写(『日本文献学会叢刊』)。(4)兼右本。巻三―三〇。天文九年(一五四〇)の浄書(『天理図書館善本叢書』)。(5)内閣文庫本。三十巻。卜部家本を永正十年(一五一三)三条西実隆が写した本の近世初期の写本。(6)熱田本。巻一―一〇・一二―一五。永和元年(一三七五)ころ熱田神宮に奉納。(7)北野本。二十八巻のうち古本系統を除いた巻。各時代の書写がある(複製あり)。(8)伊勢本。道祥らが応永三十年(一四二三)ころ、卜部家本を写した本の写本。書陵部・穂久邇(ほくに)文庫(『神道大系』)・神宮文庫(『神宮古典籍叢刊』)などに分蔵されている。木版本は慶長四年(一五九九)の神代巻の勅版、慶長十五年の木活字版、これに訓点を加えた寛永ころの整版本、その重刻の寛文九年(一六六九)版があり、その後これを基にした多くの版本がある。活字本に『(増補)六国史』一・二、『(新訂増補)国史大系』一、『日本古典全書』、『日本古典文学大系』六七・六八などがある。
[参考文献]
井上光貞編『日本書紀』(『日本の名著』一)、丸山林平編『定本日本書紀』、国学院大学日本文化研究所編『校本日本書紀』、中村啓信編『日本書紀総索引』漢字語彙篇、日本書紀撰進千二百年紀念会編『(撰進千二百年紀念)日本書紀古本集影』、内田正男『日本書紀暦日原典』、小島憲之『上代日本文学と中国文学』上
(山田 英雄)
©Yoshikawa kobunkan Inc.

改訂新版・世界大百科事典
日本書紀
にほんしょき

日本最初の編年体の歴史書。720年(養老4)5月,舎人(とねり)親王らが完成。30巻。添えられた系図1巻は散逸。六国史の第1で,後に〈日本紀〉ともよばれ,《古事記》と併せて〈記紀〉という。

内容

巻一と巻二を神代の上と下,巻三を神武紀,以下各巻を1代または数代の天皇ごとにまとめ,巻二十八と巻二十九を天武紀の上(壬申紀とも)と下,巻三十を持統紀とする。文体は漢文による潤色が著しく,漢籍や仏典をほとんど直写した部分もある。記述の体裁は巻三以下を中国の歴史書にならって編年体,すなわち記事を年月日(日は干支で記す)順に排列したために,暦も記録もない古い時代については,物語をその進行に従って分断し適当な年月日に挿入する始末となり,史実としての疑わしさを増し,物語としてのまとまりを失わせた。しかも神武即位を西暦紀元前660年にあたる辛酉の年に設定したので,初期の天皇は不自然な長寿となり,神功(じんぐう)皇后紀でも皇后を《魏志倭人伝》の卑弥呼と考えたので,また120年ほど年代を繰り上げている。

編集に使われた資料は《古事記》のように特定の帝紀(ていき)や旧辞(きゆうじ)だけでなく,それらの異伝も〈一書に曰く〉として注記し,また諸氏や地方の伝承,寺院の縁起,朝鮮や中国の歴史書なども参照している。7世紀初の推古紀のころからはようやく書かれ始めた朝廷の記録も利用し,7世紀後半には個人の日記も加えて,今日から歴史的事実を究明するための資料は豊富となった。ただ大化改新以後も天智紀までは潤色や記録の錯乱があり,ほぼ史実と認められるのは天武紀と持統紀である。なお表記に用いられている漢字や語法は巻ごとに微妙に異なるので,相違に着目して全巻を分類すると,(1)巻一~二,(2)巻三,(3)巻四~十三,(4)巻十四~十六,(5)巻十七~十九,(6)巻二十~二十一,(7)巻二十二~二十三,(8)巻二十四~二十七,(9)巻二十八~二十九,(10)巻三十の10区分,あるいは(2)と(3),(4)と(5)を同類とみる8区分などが可能である。したがって全巻は複数の編集者群により分担して整理執筆されたと想定される。

成立

編集の由来を述べた序文を欠いているために成立過程は明らかでないが,天武紀(下)の10年3月丙戌(17日)条に,川嶋・忍壁(おさかべ)両皇子以下12人の王臣に帝紀と上古諸事(旧辞)の記定を命じたとあるのが,編集の開始とみられている。その後,持統朝には撰善言司が教訓的な歴史物語を作ろうとし,有力豪族の18氏が墓記を提出して諸氏の伝承を記録化し,元明朝には風土記の提出を命じて地方の伝承を集め,紀清人(きのきよひと)と三宅藤麻呂(みやけのふじまろ)に国史の編集担当を命じたことなど,みな《日本書紀》の編集に役立ったのであろうが,これは天智紀以前と天武紀以後との内容の懸隔や,天武紀と持統紀との表現の相違からも確かめられ,結局編集の開始から完成までには40年を要したと認められる。しかし最終段階の編集者は舎人親王以外に明らかでない。太安麻呂(おおのやすまろ)が参加したというのは,子孫の多人長(おおのひとなが)の主張に過ぎず,《日本書紀》が8年前の《古事記》を,内容においても表記においても参考にしていないことは明らかである。

注釈・研究

朝廷では最初の正史として尊重され,完成後まもなくから平安前期まで7回にわたって講書の会が開かれ(日本紀講筵(こうえん)),その記録は《日本紀私記》,講書後の宴会での和歌は《日本紀竟宴和歌》として残された。鎌倉時代には最初の総合的な注釈書として《釈日本紀》,室町時代には《日本書紀纂疏》が書かれたものの,考証学的な研究は近世に入ってからであり,江戸中期以後《日本書紀通証》《書紀集解》《日本書紀通釈》など,いずれも全巻にわたる注釈書が刊行された。明治以後は津田左右吉らによって徹底的な記紀批判が推進される一方,国民教育の分野では記紀の記述をそのまま信ずることが要請されて敗戦を迎えたが,今日では考古学,神話学,文化人類学など関連分野からの分析も深化している。
[青木 和夫]

[索引語]
日本紀(歴史書) 記紀

日本国語大辞典
にほんしょき【日本書紀】

解説・用例

日本最初の勅撰の歴史書。六国史の一つ。「日本紀(にほんぎ)」「書紀」とも。全三〇巻。養老四年(七二〇)舎人(とねり)親王の主裁のもとに完成、朝廷に献じられた記録がみえるが、その編修過程は未詳。第一・二巻は神代、第三巻以下は神武天皇の代から持統天皇の代の終わり(六九七)までを、年紀をたてて編年体に排列してある。その記事内容は、(一)天皇の名・享年・治世年数・皇居の所在地を列記した帝紀、(二)歴代の諸説話・伝説などの旧辞、(三)諸家の記録、(四)各地に伝えられた物語、(五)詔勅、(六)壬申の乱の従軍日記などの私的記録、(七)寺院縁起、(八)朝鮮・中国の史書の類で構成されている。基本的資料としては「古事記」と関係が深く、「古事記」の撰録者である太安万侶(おおのやすまろ)も編輯者として参加している。「古事記」と同じく天皇を中心とする中央集権国家の確立にあたっての理論的・精神的な支柱とすることを目的としているが、「古事記」が一つの正説を定めているのに比し、諸説を併記するなど史料主義の傾向がある。また、「古事記」が国語表現をでき得る限り表記しようとしているのに対し、歌謡など一部を除いて徹底的な漢文表記である。漢籍、類書、仏典を用いた漢文的潤色が著しく、この点に文学的特色がある。

発音

〓[ショ]〓[ショ]


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うずのやまかげ)』、谷川士清(ことすが)の『日本書紀通証』、河村秀根の『書紀集解(しょきしっかい)』、平田篤胤・伴(ばん)信友・鈴木重胤の『日本書紀伝』に依存し ... ...
23.日本書紀通証
世界大百科事典
注釈書。谷川士清(ことすが)著。1748年(寛延1)成る。35巻。《日本書紀》全体にわたる最初の詳細な注釈である。〈神代紀〉については中世の神道思想や垂加神道の ... ...
24.にほんしょきつうしょう【日本書紀通証】
デジタル大辞泉
日本書紀全巻にわたる最初の注釈書。35巻。谷川士清(たにかわことすが)著。宝暦12年(1762)刊。 ... ...
25.にほんしょきつうしょう【日本書紀通証】
日本国語大辞典
注釈書。三五巻。二三冊。谷川士清著。宝暦元年(一七五一)成立、同一二年刊。「日本書紀」全巻にわたる最初の注釈書。語義・字訓などに創見が多く、儒仏の書などをも参照 ... ...
26.にほんしょきつうしょう【日本書紀通証】
国史大辞典
『日本書紀』全巻の註釈書。伊勢の人谷川士清(ことすが)の著。三十五巻二十三冊。宝暦元年(一七五一)に成稿、同十二年刊。巻一に序、例言、総目、次に通証一として編 ... ...
27.日本書紀伝
世界大百科事典
筆をはじめ,63年暗殺されたときに〈天孫降臨章〉まで書かれていたが,未完に終わった。しかし《日本書紀》神代巻について比類のない詳細な注釈を試みたものである。字句 ... ...
28.『日本書紀通証』
日本史年表
1762年〈宝暦12 壬午④〉 この年 谷川士清 『日本書紀通証』 刊。 ... ...
29.日本書紀竟宴(見出し語:竟宴)
古事類苑
文學部 洋巻 第2巻 839ページ ... ...
30.日本書紀竟宴(見出し語:竟宴)
古事類苑
樂舞部 洋巻 第1巻 198ページ ... ...
31.にほんしょきくけつ【日本書紀口訣】
国史大辞典
⇒神代巻口訣(じんだいのまきくけつ) ... ...
32.にほんしょきしき【日本書紀私記】
国史大辞典
⇒日本紀私記(にほんぎしき) ... ...
33.こじきおよびにほんしょきのしんけんきゅう【古事記及び日本書紀の新研究】
国史大辞典
い研究』を著作したが、それにつづき、前著のあとをうけ、神武天皇から仲哀天皇に至る『古事記』『日本書紀』の歴代天皇の系譜と各代にかけられている説話との性格を解明し ... ...
34.『古事記及日本書紀の研究』
日本史年表
1940年〈昭和15 庚辰〉 2・10 津田左右吉 『古事記及日本書紀の研究』 発禁(12日、 『神代史の研究』 など発禁)。 ... ...
35.『古事記及び日本書紀の新研究』
日本史年表
1919年〈大正8 己未〉 この年 津田左右吉 『古事記及び日本書紀の新研究』 刊。 ... ...
36.『日本書紀』[百科マルチメディア]
日本大百科全書
古活字版(慶長勅版(ちょくはん)) 巻1 神代上 1599年(慶長4)刊 ©国立国会図書館 ... ...
37.講二日本書紀一(見出し語:講書【篇】)
古事類苑
文學部 洋巻 第2巻 839ページ ... ...
38.As・ton音声
ランダムハウス英和
アストン:William George,(1841-1911):アイルランド生まれの英国の外交官・日本学者;『日本書紀』を翻訳;Shinto『神道』(1905) ... ...
39.chron・i・cle音声
ランダムハウス英和
Garcia-Marquez の小説(1982)[文学・著作物]Chronicle of Japan『日本書紀』(720).[中期英語 cronicle<アング ... ...
40.ああ【嗚呼】
日本国語大辞典
「阿々 私記曰咲声也」(2)ものごとに感じて、驚き、悲しみ、喜び、疑問などを表わすことば。*日本書紀〔720〕神武即位前(北野本訓)「嗟乎(アア)、吾が祖(みお ... ...
41.ああ‐しや‐を
日本国語大辞典
〔連語〕(「を」は強意の間投助詞)「ああしやごしや」に同じ。*日本書紀〔720〕神武即位前戊午年・歌謡「皇軍(みいくさ)大きに悦びて、天(あめ)を仰ぎて咲(わら ... ...
42.合いことば
日本大百科全書
暗号ともいう。ある特定の意味をもったことばや、発音に際だった特徴のあることばが用いられる。『日本書紀』「天武(てんむ)天皇 上」の巻に、大友皇子(おおとものおう ... ...
43.あいごう【安威郷】大阪府:摂津国/島下郡
日本歴史地名大系
「和名抄」高山寺本・東急本ともに「阿井」と訓ずる。安威の地名は、「日本書紀」雄略天皇九年二月条の「三島郡の藍原」、同継体天皇二五年一二月条の、天皇を「藍野陵に葬 ... ...
44.あい‐さ・る[あひ:]【相去】
日本国語大辞典
〔自ラ四〕(「あい」は接頭語)(1)互いに遠ざかる。別れ合う。*日本書紀〔720〕雄略九年七月(前田本訓)「其の駿(ときうま)に乗れる者、伯孫が所欲を知りて、仍 ... ...
45.あいじんじゃ【阿為神社】大阪府:茨木市/安威村地図
日本歴史地名大系
比定される。旧村社。苗森明神ともいい、社伝によると藤原鎌足の勧請という。鎌足と当地の関係は「日本書紀」皇極天皇三年正月一日条に中臣鎌子(鎌足)が神祇伯に任命され ... ...
46.あい‐たくみ[あひ:]【同伴巧者】
日本国語大辞典
〔名〕(「あい」は、一緒の、連れの、の意)仲間の工匠。連れの大工。*日本書紀〔720〕雄略一三年九月(前田本訓)「爰に同伴巧者(アヒタクミ)有りて、真根を歎惜( ... ...
47.あいたげ‐ひと[あひたげ:]【共食者】
日本国語大辞典
の意。「たげ」は、飲食する意の動詞「たぐ(食)」の連用形)客とともに飲食する人。陪食する人。*日本書紀〔720〕雄略一四年四月(図書寮本訓)「天皇、呉人に設(あ ... ...
48.あい‐たす・ける[あひ:]【相助】
日本国語大辞典
あひたす・く〔他カ下二〕(1)助力する。力を貸す。*日本書紀〔720〕雄略九年三月(前田本訓)「天皇〈略〉吉備上道の采女大海を以て紀小弓宿禰に賜ひて身に ... ...
49.あいだ[あひだ]【間】
日本国語大辞典
撞(かねつき)も心あり明の月や見るらんサ」(3)人と人との関係。事物相互の関係。間柄。仲。*日本書紀〔720〕神武即位前(北野本訓)「教ふるに天(きみ)人(たみ ... ...
50.あいだも無(な)く
日本国語大辞典
始終。ひまもなく。*日本書紀〔720〕斉明四年五月・歌謡「飛鳥川漲(みなぎら)ひつつ行く水の阿比娜謨儺倶(アヒダモナク)も思ほゆるかも」*歌舞伎・綴合於伝仮名書 ... ...
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