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校閲

ジャパンナレッジで閲覧できる『校閲』の日本国語大辞典のサンプルページ

日本国語大辞典

こう‐えつ[カウ‥] 【校閲】

解説・用例

〔名〕

(1)調べ検討すること。検査すること。調査すること。

*新撰字解〔1872〕〈中村守男〉「校閲 カウエツ シラベギンミ」

*魏書‐太宗紀「冬十一月壬午、詔〓使者〓、巡〓行諸州〓、校〓閲守宰資財〓、非〓自家所〓齎、悉簿為〓贓」

(2)特に、原稿、印刷物などを調べ、誤りや不備な点を正すこと。

*小説神髄〔1885~86〕〈坪内逍遙〉下・主人公の設置「青砥の石文といへる冊子は馬琴の校閲(カウエツ)を経たりしものにて」

*改正増補和英語林集成〔1886〕「Ko〓yetsu カウエツ 校閲」

発音

コーエツ

〓[0]〓[0]


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検索コンテンツ
1. こう‐えつ[カウ‥]【校閲】
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冊子は馬琴の校閲(カウエツ)を経たりしものにて」*改正増補和英語林集成〔1886〕「Ko〓yetsu カウエツ 校閲」[発音]コーエツ
2. 【校閲】こう(かう)えつ
新選漢和辞典Web版
①調べて見ること。 ②文書の誤りなどを調べ見ること。
3. こうえつ‐しゃ[カウエツ‥]【校閲者】
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趣味の比較・八「内容は大砲の図解で、文明移入資料としての外は一向面白くないものだが、巻末に一々校閲者杉田成卿の自署がある」[発音]コーエツシャ
4. えんじょき【袁汝琦】(Yuán Rǔqí
世界人名大辞典
17世紀末-18世紀初,中国清代のイスラーム学者.金陵(現,南京)の人.父の袁盛之は胡登洲(ことうしゅう)の五伝の弟子で,袁巴巴と尊称されたアホン(回族の宗教指
5. しんりん【紀振倫】(Jǐ Zhènlún
世界人名大辞典
歴不明.秦淮墨客の名は,戯曲《折桂記》《三桂記》等の校正者,小説《楊家府世代忠勇通俗演義伝》の校閲者および序の筆者として見え,明末の出版界で活動していた文人と思
6. しんし【李慎之】(Lǐ Shènzhī
世界人名大辞典
〔1923.8.15~2003.4.22〕中国の学者.江蘇無錫出身.北京の燕京大学で学ぶ[1945].重慶の《新華日報》国際版資料担当[46-49],延安の新華
7. てんけい【李天経】(Lǐ Tiānjīng
世界人名大辞典
〔1579~1659〕中国の暦学者.河北省呉橋の人.読書人の家に生まれる.挙人[1603:万暦31],進士[13].キリスト教の洗礼を受ける[30:崇禎3以前]
8. 赤松則良半生談 幕末オランダ留学の記録 229ページ
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なお山田昌邦編の数学教科書「小学対数表」(明治十七年、一巻)と「小学幾何初歩」(明治十八年、二巻)に赤松則良校閲と印刷されたものが現存している(赤松照彦蔵)。因
9. アンジェホン【安在鴻】(An Jae-hong
世界人名大辞典
〔1891.11.30~1965.3.1〕韓国の独立運動家,歴史家,言論人,政治家.平沢(ピョンテク)生まれ.早稲田大学政経学部に入学[1911],朝鮮人留学生
10. アーネスト・サトウ 神道論 304ページ
東洋文庫
岩波書店 小笠原春夫『国儒論争の研究』、昭和六三年、ぺりかん社 『国学者伝記集成』、上田万年・芳賀矢一校閲、明治三七年、大日本図書(一九六七年
11. イエシェデ
日本大百科全書
集)編纂へんさんに参加し、当時のチベットで行われた国家的仏典翻訳事業の中心的立場にあった。「大校閲翻訳者」という称号をもつ。翻訳者としてかかわった仏典は二百数十
12. イエズス会士中国書簡集 3 乾隆編 50ページ
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、ひとりの場合には総理事務荘親王という具合に呼ばれた。首席は荘親王であった。地方官の題本を接受校閲することを主とする中央官庁。題本については注一九参照。満州八旗
13. 出雲国風土記(風土記) 277ページ
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信ずれば「勘造風土記并氏之本記」とあるのが唯一例。「勘」は、『唐律』名例律の「勘読」(文書の訛誤を校閲して誦読する)、『唐書』徐堅伝の「勘当」(罪を考えて法に当
14. 伊勢斎宮記(著作ID:632075)
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いせさいぐうき 伊勢 貞丈(いせ さだたけ) 校 伊勢 貞春(いせ さだはる) 著 伝記 神社 天明四貞丈校閲
15. いのうえよりくに【井上頼〓画像
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ともに発起人となって皇典講究所を設立した。これより後、皇典講究所講師・国学院講師・『古事類苑』校閲員・宮内省図書寮御系譜課長・華族女学校教授・学習院教授・図書寮
16. いりきいんもんじょ【入来院文書】
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17. いりきいんもんじょ【入来院文書】 : 入来院文書/(二)
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18. うえはら-さんせん【上原三川】
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でて教職につく。結核で療養中の明治29年から正岡子規に師事。31年直野碧玲瓏(へきれいろう)と編集し,子規が校閲した日本派最初の類題句集「新俳句」を刊行した。明
19. 上原 三川
日本近代文学大事典
のちに正岡子規に親しむことになった。病中碧玲瓏と共編した『新俳句』(明31・3 民友社)は子規の校閲を経た日本派最初のアンソロジーとして特筆されている。 正岡子
20. 内村鑑三[文献目録]
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『内村鑑三研究文献目録』国立国会図書館調査立法考査局(編刊)『内村鑑三年譜』豊田勝義(編), 土肥昭夫校閲『内村鑑三全集 20巻20冊』-『内村鑑三小伝』宮部金
21. 漆山 又四郎
日本近代文学大事典
露伴の評あり)『雀踊』(「読売新聞」明38・6・11)『高踏』(「黄橙」昭6・1)を発表。露伴校閲、漆山訳の『陶淵明集』(昭3・9 岩波文庫)はじめ岩波文庫の『
22. 「絵入朝野新聞」
日本近代文学大事典
社説、雑報、続きもの、雑録、相場、広告よりなる。編集は局長友部安徳、編集長勝正寛、印刷長前島和橋、校閲山田風外とあるが、実質的には風外子山田孝之介が中心であった
23. エジプトの神々 10ページ
文庫クセジュ
られていた。デール・エル・バハリに百年もの間をへだてて読みとれる《神の誕生》にまつわる神秘的な校閲の一致、あるいはまた、時代はほぼ近いが三百キロもはなれたデンダ
24. えつ〔字音語素〕
日本国語大辞典
(1)調べる。観る。/検閲、査閲、観閲/閲読/簡閲、校閲、親閲、熟閲、精閲/閲兵、閲武/(2)経る。過ぎる。/閲歴/閲年/(3)いえがら。/閥閲/
25. 閲(〓
新選漢和辞典Web版
容(い)れる、の意味となる。音エツは、兌の音タツの変化。み・かど 【逆引熟語】査閲(さえつ)・校閲(こうえつ)・検閲(けんえつ)
26. 閲(〓)画像
字通
按閲 一閲 簡閲 掘閲 検閲 考閲 校閲 講閲 査閲 坐閲 熟閲 親閲 省閲 精閲 大閲 探閲 伐閲 閥閲 繙閲 披閲 門閲 容閲 臨閲
27. 閲微草堂筆記
世界大百科事典
中国,清の紀昀(きいん)の著。文言の志怪小説。門人が紀昀の校閲をうけて1800年(嘉慶5)に《灤陽銷夏録(らんようしようかろく)》以下5種を合刊した。すでに《四
28. 江戸繁昌記 3 95ページ
東洋文庫
、定かでないが、孔子後、孟子前の人である。『漢書芸文志』に、七一篇ありといい、万暦九年に茅坤が校閲した本は五二篇であった。孟子以前にその説の行われたことは、孟子
29. 袁枚 十八世紀中国の詩人 354ページ
東洋文庫
ごく自然に両者の分担が決まった。私は詩の部分を英訳から訳す。それだけに専念したのであり、散文の部分では校閲者として協力をしたにすぎない。     三 本書『袁枚
30. 袁枚 十八世紀中国の詩人 360ページ
東洋文庫
『袁枚伝』と題するのも如何なものか。そこで、翻訳作業を続行し、一九九三年四月に加島が詩の訳稿を完成、同時に本文の校閲も完了。その後、古田島が本文の修訂作業と同時
31. おうあんしんしき【応安新式】
国史大辞典
応安五年(一三七二)十二月に二条摂政良基が編修し、救済(きゅうぜい)法師の校閲を経て成立した連歌の式目。連歌百韻の構成に変化と均整の美をもたらすため、題材・用
32. おうご【応其】画像
国史大辞典
応其も連歌をよくし、連歌の式目・作法についてまとめ、『無言抄』を天正八年脱稿していたが、紹巴の校閲は同十四年の冬というから、この会談の後のことである。この後、秀
33. 王船山詩文集 修羅の夢 10ページ
東洋文庫
得、刊行の出資をしたのである。この『船山遺書』は王船山六世の孫、王承佳家蔵の遺書に拠り、郡顕鶴が校閲を行ったもので、湘潭の王氏本と称せられる。道光二十七年(一命
34. おうばくしんぎ[ワウバクシンギ]【黄檗清規】
日本国語大辞典
、木庵性〓(もくあんしょうとう)校閲、高泉性〓(こうせんしょうとん)編集
35. 嚶鳴雑誌
世界大百科事典
1879年10月25日,沼間守一(ぬまもりかず)主宰の政治結社嚶鳴社を母体に創刊された。初期のころは末広重恭校閲で,沼間,末広,青木匡ら嚶鳴社メンバーの政談演説
36. 「嚶鳴雑誌」
日本近代文学大事典
明治一二・一〇~一六・五。毎月二回あるいは一回刊行。七五号をもって終刊し、「東京輿論新誌」と合併。校閲末広重恭、編集吉田次郎。求友社発行。本誌は沼間守一、島田三
37. 岡松参太郎
日本大百科全書
しゃく民法理由』3巻は、諸外国の立法例、学説を引用し、民法典各条項の立法理由を逐条的に説明し、校閲者富井政章まさあきらをして、「其その学力の優秀なると其の研究の
38. おがた-のぼる【緒方昇】
日本人名大辞典
1907−1985 昭和時代の詩人。明治40年10月3日生まれ。毎日新聞社にはいり,東京本社校閲部長や写真部長,「毎日グラフ」編集長をつとめる。「日本未来派」の
39. 沖縄の犯科帳 11ページ
東洋文庫
遂に乾隆五十一年(天明六)『琉球科律』十八巻の制定を完了した。制定成った『琉球科律』は、法司(三司官)らが逐一校閲した上、尚穆王に上呈した。穆王は、『法を用いる
40. おだぐんき【織田軍記】
国史大辞典
と名付け、のち信長の諡号をとって『総見記』と改め、さらに信長の庶孫貞置(信長の九男信貞の子)に校閲を依頼して成立したものであるという。甫庵の『信長記』は太田牛一
41. かいこくごじゅうねんし【開国五十年史】
国史大辞典
大隈が日本の古代以来の歴史を略述した「開国五十年史論」を置き、以下、憲法制定を伊藤博文、政党史を板垣退助と大隈の校閲により浮田和民、外交史を副島種臣、財政史を松
42. 開拓使事業報告(事業報告)[文献解題]北海道
日本歴史地名大系
はじめ、同一五年に大蔵省内の開拓使残務整理委員の下で主任奥並継以下、旧開拓使官吏が編纂にあたった。校閲者も鈴木大亮ほか旧開拓使高官がしめた。 構成 本編五、附
43. 開拓使日誌[文献解題]北海道
日本歴史地名大系
出張所の簿冊中にも「日誌」と題されたものが若干残っている。開拓使日誌は札幌本庁でとりまとめ、さらに東京出張所で校閲・編集して刊行された。一冊一〇丁ほどの小冊子で
44. 改訂 京都民俗志 286ページ
東洋文庫
給仕になって各役の勤めを親しく練習した。たびたび尋ねて習練し、許しを得、それによって記述し、さらに今一度校閲を受けたものである。 この杯の儀はまた「むさしの杯」
45. 甲子夜話
日本大百科全書
1821年(文政4)11月甲子(17日)の夜に起稿、20年間書き続けたが未完成に終わった。巻ごとに述斎の校閲を受けたという。述斎からの聞き書きも多い。内容は宮廷
46. 甲子夜話続篇 1 273ページ
東洋文庫
予が家は古より今に至って、血統絶ること無し。先年家伝を撰しけるが、近頃肥州又『統胤譜』を作りて、予に校閲を乞ふ。且つ念ふに、遊突たる神武帝の崩〔丙子〕より今絃文
47. かつらたかしげ【桂誉重】
国史大辞典
な経済的支援者となり、また重胤の最も信頼する門人として、その主著『祝詞講義』や『日本書紀伝』の校閲者とされている。彼はまた佐藤信淵の学説をもその子昇庵を通して学
48. カトリック神学入門 177ページ
文庫クセジュ
れば、この上ない幸せである。  訳稿はイエズス会司祭で『神学ダイジェスト』編集長の田渕文男師に校閲していただき、数々の有益な助言をたまわった。心から感謝の意を表
49. カトリックの歴史 6ページ
文庫クセジュ
白水社の要望もあり、改訂新版を上梓するにあたって名古屋司教松岡孫四郎師ならびに溝口正勇神父のご校閲と故大岩誠教授の子息大岩睿氏夫妻および息女マルタ大岩修道女の協
50. かわきたちょうりん【川北朝鄰】
国史大辞典
この年から洋算書出版のことを志し、数理書院を作り、上野清・長澤亀之助らに反訳させた数学書の原稿を整理、校閲して出版した。出版書は全部で十六種、微分方程式の高さに
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校閲(日本国語大辞典)
解説・用例〔名〕(1)調べ検討すること。検査すること。調査すること。*新撰字解〔1872〕〈中村守男〉「校閲カウエツシラベギンミ」*魏書‐太宗紀「冬十一月壬午、詔使者、巡行諸州、校閲守宰資財、非自家所齎、悉簿為贓」(2)特に、原稿、印刷物などを調べ


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明六社の機関誌。1873年7月に設立された明六社の月2回の例会における講演内容の公表を目的として,74年3月創刊された。月2回ないし3回刊。半紙半截二つ折りの体裁に片仮名交りの漢文で,哲学,宗教(キリスト教採用論),教育,社会一般(男女同権論や死刑廃止論など)
日本の雑誌 1(国史大辞典)
日本の雑誌 草創期の雑誌 日本最初の新聞・雑誌といわれる『官板バタビヤ新聞』と『ジャパン=パンチ』が現われたのは、ともに文久2年(1862)のことだった。前者は半紙半折1葉を1号分とした小冊子で、江戸幕府の蕃書調所が海外の情報を伝えるために木活字で印刷発行したものだ。


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