NHK大河ドラマ「光る君へ」特集
ジャパンナレッジは約1900冊以上の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のオンライン辞書・事典・叢書」サービスです。
➞ジャパンナレッジについて詳しく見る
  1. トップページ
  2. >
  3. カテゴリ一覧
  4. >
  5. 文学
  6. >
  7. 古典文学
  8. >
  9. 歴史書・政治書・法令・法典
  10. >
  11. 日本大王国志

日本大王国志

ジャパンナレッジで閲覧できる『日本大王国志』の東洋文庫のサンプルページ

東洋文庫
日本大王国志
にほんだいおうこくし
東洋文庫90
F.カロン原著 幸田成友訳著
徳川家光の時代,第3代のオランダ商館長として赴任したカロン。東南アジアの海洋を駆けめぐった苛烈な彼の一代記と,辛辣な観察眼がとらえた封建日本の細密画。17世紀東西関係史を浮き彫りにする。
1967年05月刊

【閲覧画面サンプル】
日本大王国志 全体

【上記の拡大画像】
日本大王国志 拡大

【目次】
表紙
(扉)
フランソア・カロンの生涯 第一章 料理方手伝から通訳まで
料理方手伝から通訳まで(一六〇〇年―二九年)
第二章 平戸及び江戸 付「カトリック教師の大陰謀」
平戸及び江戸 付「カトリック教師の大陰謀」(一六三〇年―三五年)
第三章 カロンと長崎奉行
カロンと長崎奉行(一六三六年―三八年)
第四章 日本における商館長
日本における商館長(一六三九年―四〇年)
一 臼砲献上
二 日葡貿易
三 日支貿易
四 平戸商館の破壊
第五章 カロン夫人
カロン夫人(一六四一年―四二年)
第六章 セイロン島遠征隊司令長官
セイロン島遠征隊司令長官(一六四三年―四四年)
第七章 台湾長官
台湾長官(一六四四年―四六年)
第八章 バタビヤ商務総監
バタビヤ商務総監(一六四七年―五〇年)
第九章 失意時代
失意時代(一六五一年―六五年)
第十章 仏蘭西に仕えて
仏蘭西に仕えて(一六六五年―七三年)
一 仏国東印度会社首席理事
二 スーラットにおける英仏の競争
三 仏国波斯艦隊の来援
四 トリンコマリ陥落
五 カロンの最期
第十一章 人物
人物
第十二章 著作
著作
付録
其一 カロンの子女
其二 日本大王国志の写本及び版本
強き王国日本の正しい記事
第一問 日本国の大きさは如何に、また日本は島嶼なりや
第二問 如何に多くの州を含むか
第三問 日本における最上支配者の有する特質と権力とは如何に
第四問 陛下は如何なる住所・地位及び行列を有するか
第五問 兵士の員数と彼らの武器
第六問 顧問官及び臣下の権力
第七問 諸侯及び領主の特質とその勢力
第八問 彼らの収入は如何に、またその収入は何より成るか
第九問 処刑の方法は如何に
第十問 如何なる罪科が厳罰に処せられるか
第十一問 住民は如何なる宗教を奉ずるか
第十二問 如何なる寺院を有するか
第十三問 如何なる僧侶を有するか
第十四問 如何なる宗派を信ずるか
第十五問 ローマ派耶蘇教徒の迫害
第十六問 如何なる家屋に住し、如何なる建具を使用するか
第十七問 何を以てまた如何に来客を接待するか
第十八問 結婚生活について
第十九問 子供の教育
第二十問 遺言なき時の相続は如何に
第二十一問 国民は信用すべきか、すべからざるか
第二十二問 その国にては如何なる貿易が如何なる国民によって行なわるるか
第二十三問 如何なる内地商業及び外国航海を有するか
第二十四問 商業の利益
第二十五問 外国との交際
第二十六問 日本の物産
第二十七問 貨幣及び度量衡
第二十八問 鳥獣類
第二十九問 鉱泉
第三十問 如何に国王・諸侯・領主及び貴族は陛下に謁見するか、彼らは如何なる行列を有するか
第三十一問 彼らの言語・写字・計算の方法、子孫に歴史を公開するか
付録
日本においてローマン・カトリック宗なるため、恐るべく堪え難き呵責を被りあるいは殺された殉教者の歴史
一六二六年十月二十日、内裏が日本の皇帝陛下を訪問せられた時、京の町で挙行せられた大豪華の祝典の記事
長崎の町長シラゲモンドノから総督その他に宛てた日本文の手紙の翻訳
日本の貿易に関し、印度総督から本社の理事会に送った報告の抄録
日本における東印度合衆和蘭会社が支那貿易を獲得した場合に受くる利益・有用及び効果の略説
暹羅王国における政治・勢力・宗教・風俗・商業・その他著名の事項に関する記事
フランソア・カロン関係年譜(片桐 一男)
十七―十八世紀の東南アジア地図
幸田先生のこと(吉田小五郎)
幸田成友著作目録(吉田小五郎)
人名索引
裏表紙
上記は、日本最大級のオンライン辞書・事典・叢書サービス「ジャパンナレッジ」のサンプル記事です。

ジャパンナレッジは、自分だけの専用図書館。
すべての辞書・事典・叢書が一括検索できるので、調査時間が大幅に短縮され、なおかつ充実した検索機能により、紙の辞書ではたどり着けなかった思わぬ発見も。
パソコン・タブレット・スマホからご利用できます。


日本大王国志の関連キーワードで検索すると・・・
検索ヒット数 52
※検索結果は本ページの作成時点のものであり、実際の検索結果とは異なる場合があります
検索コンテンツ
1. 日本大王国志
東洋文庫
徳川家光の時代,第3代のオランダ商館長として赴任したカロン。東南アジアの海洋を駆けめぐった苛烈な彼の一代記と,辛辣な観察眼がとらえた封建日本の細密画。17世紀東
2. 日本大王国志[文献解題]長崎県
日本歴史地名大系
カロン著 解説 一六六一年刊行。平戸オランダ商館長を勤めたカロンの日本論。 活字本 平凡社東洋文庫
3. にほんだいおうこくし【日本大王国志】
国史大辞典
⇒カロン日本大王国志
4. カロンにほんだいおうこくし【カロン日本大王国志】
国史大辞典
テン・イタリア・スウェーデンなど各国語に翻訳され、ヨーロッパ中に広く読まれた。幸田成友訳『日本大王国志』(昭和二十三年(一九四八))は、これに訳註をつけ、付録文
5. アラビアン・ナイト 2 5ページ
東洋文庫
    確騨源樹脚校瀦889598㎜徳川慶喜公伝-~4  鰍瓶 蝋史解鵡    全四巻90日本大王国志      フ彰ソ町ワ.伽口却鯨籍㎜三十三年の夢     
6. いこくそうしょ【異国叢書】
国史大辞典
堅固訳解説『日本渡航記』は昭和十九年に十一組出版部、フランソア=カロン原著・幸田成友訳著『日本大王国志』は同二十三年に東洋堂からそれぞれ刊行されている)。その後
7. 江戸参府旅行日記 327ページ
東洋文庫
後に台湾長官・政務総監等を歴任した。長年にわたる滞日中、対日貿易の発展のために力を尽した彼の著書『日本大王国志』(幸田成友訳・「東洋文庫90」)は当時のヨーロッ
8. カロン(François Caron)
世界大百科事典
総監を歴任。のち,フランス東インド会社の理事となる。《日本大王国志》の著書がある。永積 洋子 Caron,F. オランダ商館 日本大王国志
9. カロン
日本国語大辞典
平戸のオランダ商館長。日本女性と結婚し、日本・オランダ貿易の確立に努力。日本に関するオランダ人最初の書「日本大王国志」を記す。(一六〇〇~七三)
10. カロン【François Caron】
国史大辞典
一六七三年四月五日に乗船がリスボン港外で沈没した際、溺死した。著書に『日本大王国志』がある。 [参考文献]フランソア=カロン『日本大王国志』(幸田成友訳 『東洋
11. カロン
日本人名大辞典
事となる。帰国途上の1673年4月5日乗船の沈没で死去。73歳。ブリュッセル出身。著作に「日本大王国志」。
12. カロン(大)Caron, François
世界人名大辞典
フランス勢力の拡大に尽くし,帰欧の途中,リスボン港口で難船,溺死した.日本滞在中に著した《日本大王国志:Beschryving van het Machtigh
13. カロン(François Caron)
日本大百科全書
インドで活動したが、現地で軍人らと対立した。73年帰国途中リスボン湾で乗船が座礁沈没して死亡。『日本大王国志』を著す。沼田 哲
14. 近世の日本・日本近世史 270ページ
東洋文庫
店、参照)、外国人の観察の中にも同様のものがいくつかある。フランソア"カロン・幸田成友訳『日本大王国志』(東洋文庫90)、前掲ケンプェル『鎖国論』、ゴローニン『
15. 義経記 1 5ページ
東洋文庫
   砺麟源概瀞校灘889598……徳川慶喜公伝-~4  鰍瓶 餅キ解糖    全四巻90日本大王国志      フ彰ソ剛ワ.働口却鯨舗o           
16. 幸田成友
日本大百科全書
『江戸と大阪』などがあるほか、日欧交通史にも開拓的研究があり、さらにフランソワ・カロンの『日本大王国志』の翻訳もある。没後『幸田成友著作集』(中央公論社)が刊行
17. 今昔物語集 2 本朝部 5ページ
東洋文庫
      遠 藤 鎮 雄84幕府衰亡論889598㎜徳川慶喜公伝-~4    全四巻90日本大王国志㎜三十三年の夢3呪蟹7011シーボルト先生-~3〈その生涯
18. 小シーボルト蝦夷見聞記 81ページ
東洋文庫
八折り判、一冊[ニコライについては一三七頁*19を参照のこと]。注3 フランシス・カ・ン著『日本大王国志』(Beschryvinghe van het mach
19. 小シーボルト蝦夷見聞記 186ページ
東洋文庫
て帰国後フランス東インド会社の理事となったが、リスボン港で客死した。日本滞在中に著わ  した『日本大王国志』(ゆΦω9憂くぎ閃くき『卑ζ碧窪一閃げ09ぎ良三臭Φ
20. シーボルト先生 2 その生涯及び功業 5ページ
東洋文庫
       遠 藤 鎮 雄田幕府衰亡論889598㎜徳川慶喜公伝-~4    全四巻90日本大王国志㎜三十三年の夢3罵り¶」011シーボルト先生-~3〈その生
21. 菅江真澄遊覧記 3 5ページ
東洋文庫
    硫騨源糺脚校瀦889598㎜徳川慶喜公伝-~4  麟紙 疎外解講    全四巻90日本大王国志㎜三十三年の夢㎜価㎜シーボルト先生-~3   〈その生涯及
22. 太平天国 1 李秀成の幕下にありて 5ページ
東洋文庫
道郎 雄基郎 謙一 一一 解  校      校   訳 説著 注著 編著 訂編 注著90日本大王国志㎜三十三年の夢3【0¶」011シーボルト先生-~3〈その生
23. 朝鮮幽囚記 242ページ
東洋文庫
 訳者は不明、フランソア・カロンの『日本大王国志』、ヨースト・スハウテソの『シャム国志』、ヨハン・ヤコプ・メルフレインスの『東インド紀行』の翻訳と合刻。その中の
24. 東方への私の旅 リフの山々から中国へ 5ページ
東洋文庫
源  幾保貞栄裕一鎮太利栄文一 道郎 雄基郎 謙一解  校    校説著 注著 編著訂編90日本大王国志……三十三年の夢3藍07011シーボルト先生-~3〈その
25. ながさきまち【長崎町】長崎県:長崎市
日本歴史地名大系
元和二年に二万四千六九三人(長崎略縁起)、寛永三年に四万五八八人(ただしキリシタン数、カロン「日本大王国志」)。寛文三年当時で内町が間数三千八三五間で家持七二五
26. 日本研究
世界大百科事典
使えるのは平戸,長崎のオランダ商館に居住を許される者のみになった。約20年間在日したF.カロンは《日本大王国志》(1648)をオランダ語で書き,1690年(元禄
27. 日本大王国志 0ページ
東洋文庫
東洋文庫 90 平凡社 日本大王国志  フランソア・カロン原著 幸田成友 訳著
28. 日本大王国志 1ページ
東洋文庫
日本大王国志』について 岩生成一 日本滞在二十余年、その間に日本婦人を娶って六子をもうけ、日本語も巧みであって、当代随一の日本通ともいえるオランダ商館長(第八
29. 日本大王国志 5ページ
東洋文庫
 序 本書は十七世紀の前半日本在留二十余年に及んだフランソア・カロンの『日本大王国志』、及び同書に付載せられたライエル・ハイスベルツの『日本殉教者の歴史』ほか五
30. 日本大王国志 10ページ
東洋文庫
某温泉に静養を試みた。彼が。ハタビヤの新商務総監フィリップス・ルカスゾーンの質問に応じ、『日本大王国志』を執筆したのは本年秋冬の頃であったろう。 カロンと館長ク
31. 日本大王国志 44ページ
東洋文庫
吾人の知る所は甚だ少ない。彼がハ!グに住し、日本及び台湾に関し絶えず理事会の諮問を被ったことは確である。『日本大王国志』認定版(一六六一年刊)の準備に多忙であっ
32. 日本大王国志 60ページ
東洋文庫
またカロンは日本人の忠実にして信頼するに足ることを再三ならず激賞したとある。カロソは日本婦人を賞讃し、著書『日本大王国志』中に、婦人が一身を犠牲に供した逸話を挿
33. 日本大王国志 64ページ
東洋文庫
 第十二章 著 作 カロγの『日本大王国志』は全部で九十余頁の小才クターボ判に圧搾されている。之をケンペルまたはフォン・シーボルトの大著、若しくは時に紆余冗長の
34. 日本大王国志 72ページ
東洋文庫
 其二 日本大王国志の写本及び    版本   写 本(一) Copie-Antwoord en verkiaring op versche-iden vra
35. 日本大王国志 83ページ
東洋文庫
 デュオデシモ判、前付二四頁、本文一一四八頁、後付三六頁。 本書は十七篇より成る。カロンの日本大王国志(一-三四六頁)、スハウテンの遙羅記事(七〇八一1八一〇頁
36. 日本大王国志 210ページ
東洋文庫
本書は一六三七年アムステルダムで『日本人の暴虐と残酷』と題し、    単行本として発行、以来カロンの『日本大王国志』の諸版に必ず付載せられている。但しマン   
37. 日本大王国志 277ページ
東洋文庫
ソは逞羅の和蘭商館長であった。カ・ンがバタビヤの商務総監ルカス    ゾーンの命によって『日本大王国志』を書いたように、スハウテソの逞羅記事も多分同人の命   
38. 日本大王国志 293ページ
東洋文庫
で静養。     秋冬、バタビア新商務総監フィリップス・ルカ     スゾーンの質間に応じて『日本大王国志』を執     筆。    ・四月、オランダはカソボジ
39. 日本大王国志 295ページ
東洋文庫
、 コイ 四五歳 エットと結婚する。    7月、コンスタγチヤ夫人台湾着。    著書『日本大王国志』オランダで出版。    この年、七隻七〇万二一四四フ・リ
40. 日本大王国志 312ページ
東洋文庫
)(慶応通信教材)        昭和二三年凡人の半生 共立書房            〃日本大王国志(フランソア・カ・ン) 東洋堂  〃史話南と北 慶応出版社
41. にほんにじゅうろくせいじんじゅんきょうち【日本二十六聖人殉教地】長崎県:長崎市/岩原村
日本歴史地名大系
人と日本人八人を含む一八人が火罪または斬罪、九月にも同会士二人を含む二四人が処刑された(「日本大王国志」、バルトリ「日本イエズス会史」)。刑場はキリシタンのみな
42. 日本風俗備考 1 261ページ
東洋文庫
   れた『日本大王国志』寒象鳶な蔑薦鳶G§ぴミ§§鳶⑬>Ω§~ミ奪嘗神智辱§"》ヨ総同母P   一〇δ・は多くの国語に翻訳された。巴年一旦オランダに帰り、翌年
43. バタヴィア城日誌 1 51ページ
東洋文庫
茜三矢石〇九八を初めとして、その後一般にフランソア・カロソの『日本大王国志』に収められて出版され、世に知られている(東洋文庫90、幸田成友訳著、二四〇1二五三ぺ
44. バタヴィア城日誌 1 143ページ
東洋文庫
が、当時最良のシャム案内書であった。普通、カロンの『日本大王国志』とともに一本にされている(東洋文庫90、カロソ、幸田成友訳著『日本大王国志』二五四一二八二ぺー
45. バタヴィア城日誌 1 190ページ
東洋文庫
ス9魯88の浅瀬に擱坐し、乗船は破壊沈没して数奇な一生を終えた。彼の行蔵に関しては、幸田『日本大王国志』東洋文庫90、三一六三ページに詳しい。なお同文庫版に収め
46. バタヴィア城日誌 2 104ページ
東洋文庫
八日および九日の条に見える(永  積、『平戸日記』四輯、四二八一四三一ページ参照)。なお幸田、カロソ、『日本大王国志』二二-  二四ページ、同、『日欧通交』三七
47. ひらどおらんだしょうかんあと【平戸オランダ商館跡】長崎県:平戸市/平戸城下/大福町
日本歴史地名大系
実際に平戸で武器密輸を計画した明人二人とその売却にかかわった日本人五人が磔刑・斬首刑に処されている(日本大王国志)。これはオランダに戦略の大幅な変更を迫り、いわ
48. ひらどじょうあと【平戸城跡】長崎県:平戸市/平戸城下
日本歴史地名大系
そのほかの記念物にせよ、ことごとく海に投じられ、敷地は荒れ、その永眠の地は知りがたくなったという(日本大王国志)。生月島では全員を集めて転びを強要し、拒絶した雪
49. フランス画像
世界大百科事典
一方,1619年には19歳のF.カロンが平戸に上陸し,41年まで在留して日本語に熟達した。《日本大王国志》をオランダ語で著し,日本の姿を西欧に知らせたカロンは,
50. ミリンダ王の問い 3 インドとギリシアの対決 5ページ
東洋文庫
編84幕府衰亡論889598㎜徳川慶喜公伝-~4    全四巻石福購遭戴撒貞栄遡校潴詐諺90日本大王国志㎜三十三年の夢3縄」¶」011シーボルト先生-~3〈その
「日本大王国志」の情報だけではなく、「日本大王国志」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る▶

日本大王国志と同じ歴史書・政治書・法令・法典カテゴリの記事
扶桑略記(日本大百科全書・世界大百科事典)
神武天皇から堀河天皇までの漢文編年体の歴史書。平安末期の成立で、著者は阿闍梨皇円(?―1169)。仏教関係に重点が置かれている。堀河天皇の1094年(嘉保1)で終わっているので、この後に成立したことは確かである。13世紀後半に成立したと考えられている『本朝書籍目録』によれば30巻
薩藩旧記雑録(日本歴史地名大系・国史大辞典)
前編四八巻・後編一〇二巻・追録一八二巻・付録三〇巻 別称 旧記雑録(原名) 伊地知季安・伊地知季通編 分類 記録 写本 国会図書館・国立公文書館・九州大学・東京大学史料編纂所・鹿児島県立図書館など 解説 幕末鹿児島藩の史学者・記録奉行であった父季安の志を継ぎ
愚管抄(国史大辞典・世界大百科事典)
鎌倉時代初期に成った日本の通史。慈円(慈鎮)作。七巻。『本朝書籍目録』に六巻とあるのはあるいは第一・二巻を合わせた表現か。また『愚管抄』第二巻記述中に、山門のことを記した「一帖」があるとみえるのは、別に現存する、延暦寺勧学講の記録断簡にあたると思われる
神皇正統記(国史大辞典・世界大百科事典)
南北朝時代に書かれた歴史書。北畠親房著。片仮名まじりの文で書かれ、当初の巻数は未詳であるが、流布本の多くは六巻。親房は、暦応元年(延元三、一三三八)九月、南朝の頽勢を挽回するために、義良親王・次子顕信とともに海路伊勢から東国に
先代旧事本紀(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
平安初期に編纂(へんさん)されたと推定される歴史書。本書の序には、620年(推古天皇28)聖徳太子、蘇我馬子(そがのうまこ)らの撰録(せんろく)するところと記すが、『古事記』『日本書紀』『古語拾遺(しゅうい)』などからの引用があるので、本書は807年
歴史書・政治書・法令・法典と同じカテゴリの記事をもっと見る


「日本大王国志」は古典に関連のある記事です。
その他の古典に関連する記事
連獅子(日本大百科全書・世界大百科事典)
歌舞伎(かぶき)舞踊。長唄(ながうた)。河竹黙阿弥(もくあみ)作。能『石橋(しゃっきょう)』の替(かわり)の型からの名称で、1861年(文久1)5月、2世杵屋勝三郎(きねやかつさぶろう)が作曲、初世花柳寿輔(はなやぎじゅすけ)が子芳次郎(よしじろう)
青砥稿花紅彩画(国史大辞典・世界大百科事典)
歌舞伎の世話狂言。二代目河竹新七(黙阿弥)作、五幕。文久二年(一八六二)三月、江戸市村座で十三代目市村羽左衛門(のちの五代目尾上菊五郎)らにより初演。「弁天小僧」「白浪五人男」などの通称で知られる。日本駄右衛門・弁天小僧菊之助・赤星十三郎・忠信利平
(国史大辞典・世界大百科事典)
歌舞伎の荒事劇の一つ。元来独立の狂言ではなく、江戸歌舞伎の狂言中に設定された類型的な一場の通称。危機的な場面に「しばらく、しばらく」と声をかけて主人公が登場することから『暫』と呼ばれた。初代市川団十郎の創始と伝えられ、内容を確認できる最古のものは
大塔宮曦鎧(新版 歌舞伎事典)
(1)人形浄瑠璃。時代物。五段。角書「太平記/綱目」。別名題《太平記曦鎧》。竹田出雲・松田和吉作。近松門左衛門添削。享保八(1723)年二月大坂・竹本座初演。《太平記》に題材を仰いだ作品で、北条氏討伐を図って挙兵した大塔宮が苦難の後に六波羅を攻略する
伊賀越道中双六(新版 歌舞伎事典・日本大百科全書)
(1)人形浄瑠璃。時代物。十段。近松半二・近松加作の作。天明三(1783)年四月大坂・竹本座初演。上杉家家老和田行家の子息志津馬が姉婿唐木政右衛門の助力を得て父の敵沢井股五郎を討つまでを描いた作品。安永五(1776)年一二月大坂・嵐座上演の奈河亀輔作
古典に関連する記事をもっと見る


ジャパンナレッジは約1900冊以上(総額850万円)の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のインターネット辞書・事典・叢書サイト」です。日本国内のみならず、海外の有名大学から図書館まで、多くの機関で利用されています。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る▶