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愚管抄

ジャパンナレッジで閲覧できる『愚管抄』の国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典のサンプルページ

国史大辞典
愚管抄
ぐかんしょう
鎌倉時代初期に成った日本の通史。慈円(慈鎮)作。七巻。『本朝書籍目録』に六巻とあるのはあるいは第一・二巻を合わせた表現か。また『愚管抄』第二巻記述中に、山門のことを記した「一帖」があるとみえるのは、別に現存する、延暦寺勧学講の記録断簡にあたると思われる。第一・二巻は年代記。第三―六巻は本文。第七巻は付録。第一・二巻の年代記ははじめに「漢家年代記」を簡単に記し、ついで「皇帝年代記」には、わが国の天皇歴代を追って治世年数、その間の主要な政治家・僧侶名などを列記し、あわせてその治世中の事件を摘記する。年代記の典拠の一つに藤原資隆著の『簾中抄』が用いられている。本文は神代を除くことを明記し、神武天皇から順徳天皇時代までの政治史を述べる。わが国の政治は王法であるとし、この王法の盛衰がすなわちわが国の歴史とされる。王法ははじめ正しく行われたが、時とともに衰えてこれを輔ける力を要するようになる。仏法渡来以後は王法・仏法相依の国となる。ついで国家に功労のあった藤原氏が輔佐する。藤原氏は天皇の外戚として摂政・関白を出し、子孫相ついだ。この摂〓はやがて師輔・道長の一流に限られ、その盛世が道長・頼通の時代である。この天皇と摂〓との協力政治を「魚水合体」の政とよぶ。次にこの外戚関係の喪われたところに院政が生まれる。院政においては院の近臣の進出によって天皇と摂〓とが阻隔される。ここに政治が破綻し保元の乱が胚胎する。この乱によって武士が政治上に勢力を築く。これ以後を武者の世とし、本書はこの武者の世をえがくことを第一の問題としている旨をここで明記する。乱勃発までの経緯およびそれ以後の記述は、それ以前に比して詳細・具体的で迫力が加わってくる。事件当局者・責任者、および目撃者などの記録や見聞、世人の噂の類をも極力あつめて記述の正確を期しており、宮中・政界の機密、遠隔の地の報告・伝聞にも広く注意をくばり、したがって他書に求められぬ秘事や伝えも多くなり、史料としても重要さを増してくる。著者が名を匿していることもこれに関連するかと思われる。保元の乱後、武士の力は直ちに王法と摂〓とを圧する。平清盛の専権、源義仲の粗暴、そして帝王の入水など、未曾有の事態が相つぎ、武士は王法の反逆者と観られる。しかし、源頼朝の力によって天下の秩序が回復されると、武士は見直され、かえって朝家の守りと観られるようになる。ことにこの思想的転機となったのは平氏滅亡の際の三種神器の一たる宝剣の喪失問題であった。武士は今や宝剣に代わる朝家の守りであり、したがって剣は不要な時代が到来したのであるとされる。したがって、朝廷は武士を憎むことなくかえってこれにわが国の政治の中にその席を与うべきであるとした。これを文武兼行という。魚水合体・文武兼行は偶然的なものでなく、実は皇室・藤原氏・源氏の守護神たる天照大神・天児屋根命・八幡大菩薩の約諾による予定計画にもとづくものとされる。しかして、建保六年(一二一八)には、九条家を外戚とする懐成親王(仲恭天皇)の立太子、九条道家の左大臣就任、また翌承久元年(一二一九)には、関東に道家の子三寅(頼経)の将軍継承者としての下向の実現を見た。慈円には、これは、九条家をめぐっての、魚水合体・文武兼行の政と思われた。そして同時に現在における王法のあるべき姿の復帰の兆であった。この明るい見通しの生まれた時点で本文の叙述を終えている。第七巻付録は日本史の総論であり、歴史の全体を一つの「道理」が貫いているという史観を詳細に展開する。この思想は本文の叙述の中で史実の解釈法として終始用いているが、ここであらためて、日本の歴史を七段階に分け、道理が純粋に行われている時代から、全く喪われる時代に至ったとしている。しかし道理は本来、下降だけでなく、上昇の方向もあり、悪を排除したものではなく、僻事をも含んだものであることを力説している。この道理の語は随所に繰り返しあらわれてくるが、常に異なった複雑な説明がなされる。かくて、歴史は道理や神意などに定められた、あらがいがたい運命的なものとされるが、他方なお、人間の器量や心術・行為の善悪によっても左右し得る余地を認めている。したがって道理を悟ってこれに従うことが大切とされ、これを説くことが本書の使命の一つである。すなわち当時の朝廷の対武家政策に警告するための時務策の意味ももっていた。特に当時幼少であった懐成親王や三寅の将来の参考に備えるの期待も含めていたと考えられる。仮名で書き、平易な日常語を用いているのもそのためでもあったとも想定される。がそれは日本人は当然日本字・俗語を以て書くべきだとの平生の主張の実現でもある。しかし今日からは耳遠い詞もあり、またよい古写本多からず、仮名も本来、片仮名・平仮名いずれであったか不明で、かたがた本文の校訂はなお不充分である。本書の成立年代は、古来、問題とされ、諸説相つぎ、批判と論争が繰り返されてきている。この問題は本書の性格、その著作目的などと深く関連しており、特に承久の乱の前後のいずれにおくかに問題の焦点がある。早く江戸時代に伴信友がその著『比古婆衣』にこれを論じて承久の乱直後の貞応年間(一二二二―二四)ごろとしている。大正年代に入って、津田左右吉は本書の内容にもとづいて承久の乱後説をとなえた。が大正十年(一九二一)に、三浦周行が新たに発見した慈円の書状によって、本書の著者が慈円であることを確認したに伴って、本書の成立の年次を承久二年として承久の乱前説を新たに提唱、「皇帝年代記」には追記あることを指摘した。津田はさらにこれを批判して、乱前成立ならば当然想定さるべき時務策がみられない点を強調して再び乱後説を主張した。これに対して村岡典嗣は記事内容は承久元年までであることを論証しつつ執筆は承久二年説をとって三浦説を支持した。ついで赤松俊秀は慈円自筆願文によって承久二年説をとって乱前説を主張。友田吉之助は貞応元年説によって乱後の作とした。が塩見薫は慈円の行実と本書の本文との検討によって赤松説に賛成し、石田一良は承久元年説をとった。本文は乱前・乱後説に対立しているが「皇帝年代記」の追記については諸説大体一致している。『(新訂増補)国史大系』一九、『日本古典文学大系』八六、『岩波文庫』『大日本文庫』、いてふ本などに収められている。
[参考文献]
中島悦次『愚管抄評釈』、岡見正雄・赤松俊秀『愚管抄』解説(『日本古典文学大系』八六)、多賀宗隼『慈円の研究』、同「愚管抄」(坂本太郎・黒板昌夫編『国史大系書目解題』上所収)、津田左右吉「愚管抄及び神皇正統記に於ける支那の史学思想」(『日本の神道』所収)、三浦周行「愚管抄」(『日本史の研究』所収)、村岡典嗣「愚管抄の著作年代編制及び写本」(『(増訂)日本思想史研究』所収)、同「末法思想の展開と愚管抄の史観」(『日本思想史上の諸問題』所収)、赤松俊秀「愚管抄について」(『鎌倉仏教の研究』所収)、同「愚管抄」(『続鎌倉仏教の研究』所収)、石田一良「『愚管抄』と慈円」(福井博士頌寿記念論文集刊行会編『(福井博士頌寿記念)東洋文化論集』所収)、同「愚管抄の成立とその思想」(『東北大学文学部研究年報』一七)、萩野懐之「愚管抄の著者及び脱文」(『国学院雑誌』一四ノ二)、友田吉之助「愚管抄皇帝年代記の原拠について」(『島根大学論集』人文科学三)、塩見薫「愚管抄の研究」(『史学雑誌』六四ノ一〇)、同「愚管抄の校訂」(『奈良女子大学文学会研究年報』一)、同「愚管抄のカナ(仮名)について」(『史林』四三ノ二)、Delmer M.Brown and Ichirō Ishida:The Future and the Past,a translation and study of the Gukanshō(1979).
(多賀 宗隼)


日本大百科全書
愚管抄
ぐかんしょう

1219年(承久1)、前天台座主(ざす)大僧正慈円(じえん)(慈鎮(じちん)和尚)が著した歴史書。『神皇正統記(じんのうしょうとうき)』(北畠親房(きたばたけちかふさ)著)、『読史余論(とくしよろん)』(新井白石(あらいはくせき)著)とともに、わが国の三大史論書といわれている名著である。7巻からなり、巻1~2に「漢家年代」「皇帝年代記」を置き、巻3~6で保元(ほうげん)の乱(1156)以後に重きを置いた神武(じんむ)天皇以来の政治史を説き、付録の巻7では、日本の政治史を概観して、今後の日本がとるべき政治形体と当面の政策を論じている。
すなわち、慈円は、一方では武士の出現によって宮廷貴族の間に生まれた「近代末世の意識」を「仏教の終末論の思想」によって形而上(けいじじょう)学的に根拠づけ、一方では藤原氏の伝統的な「摂関家意識」を「祖神(天照大神(あまてらすおおみかみ)・八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)と天児屋命(あめのこやねのみこと))の冥助(みょうじょ)・冥約の思想」によって形而上学的に根拠づけ、この両方の思想群を結合して彼の史論を構築した。その際、彼がこれら2組、四つの思想史的要素の接合剤としたのは、理想を現実にあわせて変化させるという、伝教(でんぎょう)大師最澄(さいちょう)以来比叡山(ひえいざん)の思想的伝統となって深化してきた「時処機(ときところひと)相応の思想」であった。こうした思想をよりどころとして、いまは摂関家と武家を一つにした摂〓(せつろく)将軍制が、末代の道理として必然的に実現されるべき時であると論じ、後鳥羽院(ごとばいん)とその近臣による摂関家排斥の政策と幕府討伐の計画は歴史の必然、祖神の冥慮(みょうりょ)に背くものと非難した。彼は承久(じょうきゅう)の乱(1221)ののちもこの考えを捨てず、この書の皇帝年代記に筆を加え続けているのである。
[石田一良]


『愚管抄』[百科マルチメディア]
『愚管抄』[百科マルチメディア]
巻3 慈円(じえん)(慈鎮(じちん))著 写本 国立国会図書館所蔵


改訂新版・世界大百科事典
愚管抄
ぐかんしょう

鎌倉時代初頭の歴史書。7巻。慈円著。《愚管抄》は内容からみて3部に分けることができる。第1部は〈皇帝年代記〉と題される部分で,巻一,二がそれに当たり,神武から後堀河までの歴代天皇の摘要と,治世の主要な事項を列挙する形をとっている。それに対して,第2部は神武天皇以来の日本国の歴史を叙述し,道理の推移を読み取ろうとした部分で,巻三~六がそれに当たる。さらに第3部は道理を基準とした歴史の総論で,巻七がそれに当たる。以上のように《愚管抄》は複雑な構成を持ち,かたかなまじりの特異な文章で書かれている。現在までの研究によると,慈円はまず第2部を書き,第3部から第1部へと進み,一応の完成をみたのが1221年(承久3),承久の乱の直前であったが,乱後になって第1部の末尾に2度の加筆をして,現在の形にしたと考えられる。また,別に比叡山の歴史を記した巻があったと思われるが現存しない。

《愚管抄》の歴史書としての特色は,まず第1に,歴史の推移の中に道理の顕現を見ようとしたところにある。慈円は歴史の流れを凝視し,独自の時代区分を試みている。第2に,慈円が生きた時代,つまり貴族社会が大きく変わり,武家の政権が成立した時代の歴史がよくとらえられていることがあげられる。第2部の叙述の5分の3は,慈円の同時代史にあてられているが,摂関家に生まれ,天台座主(ざす)となり,和歌や祈禱によって後鳥羽院にも近く,親幕派を代表する公家であった同母兄九条兼実を通じて鎌倉の動静にもくわしかった慈円は,鎌倉時代初頭の錯綜した歴史を身近に,しかも多面的にとらえうる希有(けう)の人物であった。そして第3に,九条家を中心に公家政権と武家政権との調和を実現させようと望み,そのために討幕の動きを牽制しようとした慈円の立場が,その歴史観の根底にあり,歴史の叙述や解釈の中に,当時の公家の政治思想をさまざまに読み取ることができる点があげられる。
[大隅 和雄]

[索引語]
慈円
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1. 『愚管抄』
日本史年表
1220年〈承久2 庚辰〉 この頃 慈円, 『愚管抄』 を著す。  ...
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1219年(承久1)、前天台座主(ざす)大僧正慈円(じえん)(慈鎮(じちん)和尚)が著した歴史書。『神皇正統記(じんのうしょうとうき)』(北畠親房(きたばたけち ...
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世界大百科事典
鎌倉時代初頭の歴史書。7巻。慈円著。《愚管抄》は内容からみて3部に分けることができる。第1部は〈皇帝年代記〉と題される部分で,巻一,二がそれに当たり,神武から後 ...
4. ぐかんしょう[グクヮンセウ]【愚管抄】
日本国語大辞典
鎌倉前期の歴史書。七巻。九条兼実の弟、天台座主慈円の著。承久二年(一二二〇)の成立とされる。和漢の年代記や、神武天皇から順徳天皇までの歴史及び著者の歴史観を仮名 ...
5. ぐかんしょう【愚管抄】
国史大辞典
同「末法思想の展開と愚管抄の史観」(『日本思想史上の諸問題』所収)、赤松俊秀「愚管抄について」(『鎌倉仏教の研究』所収)、同「愚管抄」(『続鎌倉仏教の研究』所収 ...
6. ぐくゎんせう【愚管抄】
全文全訳古語辞典
[書名]鎌倉初期の歴史書。慈円著。一二二〇年(承久二)成立か。神武天皇から順徳天皇に至る歴史を編年体で記述し、仏教的道義に基づく歴史論を展開している。⇒慈円  ...
7. 『愚管抄』[百科マルチメディア]
日本大百科全書
巻3 慈円(じえん)(慈鎮(じちん))著 写本 国立国会図書館所蔵 ...
8. あい‐あ・う[あひあふ]【相合・相逢】
日本国語大辞典
(かみ)の、かく面だたしきことに思ひて、受け取り騒ぐめれば、あひあひ似たる世の人の有様を」*愚管抄〔1220〕四・後三条「京極大殿と云ふ運者又殊勝の器量にて、白 ...
9. あい‐あた・る[あひ‥]【相当】
日本国語大辞典
〔自ラ四〕(1)(「あい」は接頭語。「あたる」の改まった言い方)相当する。あてはまる。釣り合う。*愚管抄〔1220〕七「昔よりなりゆく世をみるに、すたれはてて又 ...
10. あい‐しょう[‥シャウ]【哀傷】
日本国語大辞典
哀傷〓」*愚管抄〔1220〕三・冷泉「昔は徳有る人のうせたるには、挙哀といひて集まれる人、声をあげて哀傷するこ ...
11. あい‐しょう【哀傷】
仏教語大辞典
人の死を悲しみいたむこと。哀悼。 愚管抄 三・冷泉 「昔は徳有る人のうせたるには、挙哀といひてあつまれる人、声をあげて哀傷することありけれど」  ...
12. あい‐・する【愛】
日本国語大辞典
〔1130頃か〕五八「えもいはずよき馬に乗りたる人、この馬をあひしつつ、道をもゆきやらず」*愚管抄〔1220〕三・称徳「此女帝、道鏡と云ふ法師を愛せさせ給て、法 ...
13. あい‐とう[‥タウ]【哀悼】
日本国語大辞典
〔名〕人の死をかなしみいたむこと。哀傷。くやみ。*愚管抄〔1220〕二・宇多「関白太政大臣基経〈略〉寛平三年正月十三日薨。五十七。天皇甚哀悼、詔賜 ...
14. あい‐まじ・る[あひ‥]【相混】
日本国語大辞典
〔自ラ五(四)〕(「あい」は接頭語)互いに混じる。混じり合う。*愚管抄〔1220〕三・桓武「この人の中に因果善悪あひまじりて」 ...
15. あい‐ま・つ[あひ‥]【相待】
日本国語大辞典
〔他タ四〕(「あい」は接頭語)「待つ」の改まった言い方。*将門記〔940頃か〕「扶等陣を張り、将門を相待」*愚管抄〔1220〕四・後白河「今は参るらん。しばしあ ...
16. あお・ぐ[あふぐ]【仰】
日本国語大辞典
かかん物」(3)(目上の人、尊敬する人などの)教えや命令、援助などを求めたり、受けたりする。請う。*愚管抄〔1220〕四・後三条「長者の身面目をうしなふ上に神慮 ...
17. あお‐どうしん[あをダウシン]【青道心】
日本国語大辞典
字)(1)ちょっとした思いつきで起こした信仰心、また、慈悲心。生(なま)道心。にわか道心。*愚管抄〔1220〕三・花山「たがひにわかき心に青道心とて、その頃より ...
18. あお‐どうしん【青道心】
仏教語大辞典
四・住吉大物二ケ所合戦の事 「末も通らぬ青道心」 3 剃りたての坊主頭。また、できたての坊主の姿。 愚管抄 三・花山 「たがひにわかき心に青道心とて、その頃より ...
19. あかがね‐ざいく【銅細工】
日本国語大辞典
〔名〕銅で細工をすること。また、その物。その職人。*愚管抄〔1220〕六・土御門「あか金ざいく何かと申候ともがらの」*日葡辞書〔1603〜04〕「Acagane ...
20. あく‐おう[‥ワウ]【悪王】
日本国語大辞典
無道の君。*将門記〔940頃か〕「地類呵嘖して、悪王の便(やす)からざる念を憎(そね)む」*愚管抄〔1220〕一・武烈「限りなき悪王なり。人をころすを御遊にせら ...
21. あ・げる【上・揚・挙】
日本国語大辞典
始め」*平家物語〔13C前〕四・還御「国司菅原在経、しなあげられて加階、従下の四品、院の殿上ゆるさる」*愚管抄〔1220〕六・土御門「右大臣頼実を太政大臣にあげ ...
22. あさみ‐なげ・く【浅嘆】
日本国語大辞典
〔自カ四〕事の意外さに驚き悲しむ。*愚管抄〔1220〕五・後鳥羽「かやうにて平氏は西国に海にうかびつつ国々領したり。坂東は又あきたれど未だ落居せず、京中の人あさ ...
23. あさ・む【浅】
日本国語大辞典
ひき避(よ)きて行き過ぐるを、車を驚きあさみたること限りなし」(2)けいべつする。さげすむ。あなどる。*愚管抄〔1220〕六・順徳「猶申しゆるさんとする卿の二位 ...
24. あざ‐やか【鮮─】
日本国語大辞典
上あざやかに、すこし料理も心がけ」(6)際立って見事であるさま。非の打ちどころがない様子。*愚管抄〔1220〕三・崇峻「ままこにておやのかたきなれば、道理もあざ ...
25. あしがらとうげ【足柄峠】静岡県:駿東郡/小山町/竹之下村
日本歴史地名大系
もっていた。また保元の乱を起こした源為義も「足柄山」を伐り塞いで坂東の防衛線とする構想を語ったという(愚管抄)。「更級日記」の作者菅原孝標の娘は寛仁四年(一〇二 ...
26. あてがう【宛行】[方言]
日本方言大辞典
調書(本間・柴野他)1900 島根県隠岐島725島根県方言辞典(広戸惇・矢富熊一郎)1963愚管抄七「新院、当今、又二宮、三宮の御子など云ひて、数しらずをさなき ...
27. あてが・う[あてがふ]【宛行・充行】
日本国語大辞典
内の御有様のおぼつかなさをさへ苦しうおぼさる。宮の御装束、女房の事などしげうおぼしあてがう」*愚管抄〔1220〕七「新院、当今、又二宮、三宮の御子など云ひて、数 ...
28. あと【跡】
日本国語大辞典
年七月(寛文版訓)「人の後(つき)を為す者は、能く先(おや)の軌(アト)を負荷(にな)ひ」*愚管抄〔1220〕六・順徳「鎌倉は将軍があとをば母堂の二位尼総領して ...
29. あな‐くち【穴口】
日本国語大辞典
〔名〕穴の入り口。穴のあいている所。*愚管抄〔1220〕五・二条「よくかきうづみたりと思けれど、穴口に板をふせなんどしたりける、見出してほり出たりければ」*大乗 ...
30. あぶ【虻】[方言]
日本方言大辞典
った人が抜けて張り合いなく寂しいことのたとえ。 新潟県佐渡348佐渡方言集(矢田求)1909愚管抄五・二条「かかりける程に内裏には信頼・義朝・師仲、南殿にてあぶ ...
31. あぶ・す【浴】
日本国語大辞典
【一】〔他サ四〕(1)湯水などをからだにかける。あむす。*愚管抄〔1220〕五・二条「湯わかしてあぶさんとしけるに」(2)(刃物をあびせる意から)傷つける、殺す ...
32. あぶ の 目(め)が抜(ぬ)ける
日本国語大辞典
どうしたらよいかわからず、まごまごする。また、おもだった人が抜けて張り合いなく寂しいことのたとえ。*愚管抄〔1220〕五・二条「かかりける程に内裏には信頼・義朝 ...
33. あま‐にゅうどう[‥ニフダウ]【尼入道】
日本国語大辞典
能々学すとも、一文不知の愚どんの身になして、尼入道の無知のともがらに同して、智者のふるまひをせずして」*愚管抄〔1220〕六・土御門「不可思議の愚痴無智の尼入道 ...
34. あまり‐さえ[‥さへ]【剰─】
日本国語大辞典
*方丈記〔1212〕「明くる年は立ち直るべきかと思ふほどに、あまりさへ疫癘(えきれい)うちそひて」*愚管抄〔1220〕六・土御門「それらがあまりさへ云はやりて、 ...
35. あま・る【余】
日本国語大辞典
前〕四・道隆「よろづのこと身にあまりぬる人の、もろこしにも、この国にもあるわざにぞ侍なる」*愚管抄〔1220〕六・後鳥羽「手にあまりたる事かなともや思ひけん」* ...
36. あや‐にく【生憎】
日本国語大辞典
*源氏物語〔1001〜14頃〕宿木「さらに見ではえあるまじくおぼえ給ふも、かへすがへすあやにくなる心なりや」*愚管抄〔1220〕三・桓武「淳和と嵯峨とは、あやに ...
37. あやま・つ【過・誤】
日本国語大辞典
枕草子〔10C終〕一〇〇・ねたきもの「げにあやまちてけりとは言はで、口かたうあらがひたる」*愚管抄〔1220〕七「これは将軍が内外あやまたざらんを、ゆゑなくにく ...
38. あやめ‐いだ・す【怪出】
日本国語大辞典
〔他サ四〕不審に思い始める。不思議に思い始める。*愚管抄〔1220〕五・安徳「暁にこの事あやめ出して、六波羅さわぎて」 ...
39. あゆみ‐くだ・る【歩下】
日本国語大辞典
〔自ラ五(四)〕歩いて下る。*愚管抄〔1220〕七「この道理の道を、劫初より劫末へあゆみくだり、劫末より劫初へあゆみのぼるなり」 ...
40. あら れる
日本国語大辞典
」*方丈記〔1212〕「すべてあられぬ世を念じすぐしつつ、心をなやませる事、三十余年なり」*愚管抄〔1220〕七「この官位の事はかくはあれども、さてあらるる事に ...
41. あらわ‐か・す[あらは‥]【現─・顕─・表─】
日本国語大辞典
〕二・四句神歌「にはかに仏法僧達の二人(ふたり)おはしまして、行なひあらはかしたてまつる」*愚管抄〔1220〕三・推古「このことわりとこの二をひしとあらはかされ ...
42. あり‐あ・う[‥あふ]【有合】
日本国語大辞典
りくだりしときに、みな人、子どもなかりき。いたれりし国にてぞ、子うめるものどもありあへる」*愚管抄〔1220〕六・順徳「ひきが子共、むこの児玉党(こだまたう)な ...
43. ありだぐん【有田郡】和歌山県
日本歴史地名大系
〔中世〕平治元年(一一五九)一二月、熊野参詣の道中にあった平清盛は、源義朝挙兵の報を聞いて急遽上京したが、「愚管抄」に「湯浅ノ権守ト云テ宗重ト云紀伊国ニ武者アリ ...
44. あり‐なし【有無】
日本国語大辞典
も不知(しらざ)りければ」(2)存在が認められるかどうか、勢威があるかないか、ということ。*愚管抄〔1220〕五・二条「わが世にありなしはこの惟方、経宗にあり」 ...
45. あんらく【安楽】
国史大辞典
するものがあらわれ、熊野参籠から帰った後鳥羽上皇は怒り、安楽らを処罰したという所伝もある。『愚管抄』には、院の女房らが安楽らを呼びよせ、密通にまで発展したと記さ ...
46. あんらくじ【安楽寺】京都市:左京区/鹿ヶ谷村地図
日本歴史地名大系
起きた専修念仏・六時礼讃の禁圧による法然法難の発端の舞台として知られる。住蓮・安楽の事件は「愚管抄」巻六で、慈円が次のように記している。安楽房トテ、泰経入道ガモ ...
47. いい‐すす・む[いひ‥]【言進】
日本国語大辞典
と云進(イヒススム)」*とりかへばや物語〔12C後〕上「時々はいひすすめて、われは知らずがほにて」*愚管抄〔1220〕六・後鳥羽「かやうの事を浄土寺の二位もとが ...
48. いい‐なら・う[いひならふ]【言慣・言習】
日本国語大辞典
、猶、源中納言にこそと、とりどりにいひならふなるこそ、我がおぼえの口惜しくはあらぬなめり」*愚管抄〔1220〕六・順徳「日頃わか宮とぞ、この社は云ならいたりける ...
49. いい‐の・ける[いひ‥]【言退】
日本国語大辞典
いひの・く〔他カ下二〕自分の考えを主張する。ためらわずにあえて言う。言い負かす。*愚管抄〔1220〕二・後堀河「さしもなき口弁にてまことの詮意趣をばいひのけたる ...
50. いい‐はや・る[いひ‥]【言流行】
日本国語大辞典
〔自ラ四〕言いふらされて流行する。広く話題になる。*愚管抄〔1220〕六・土御門「それらがあまりさへ言はやりて、この行者に成ぬれば、女犯(にょぼん)をこのむも魚 ...
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扶桑略記(日本大百科全書・世界大百科事典)
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神皇正統記(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
南北朝時代に書かれた歴史書。北畠親房著。片仮名まじりの文で書かれ、当初の巻数は未詳であるが、流布本の多くは六巻。親房は、暦応元年(延元三、一三三八)九月、南朝の頽勢を挽回するために、義良親王・次子顕信とともに海路伊勢から東国に
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野白内証鑑一之巻目録自分の行状の弁解をした野郎の話秘密の色遊びはばれたが、始めより末に至って情勢が好転した野郎の大臣。その相手は羽ぶりのよい撞木町の女郎。悪性をささやいてすすめる耳塚の駕籠屋。客に肌を見せない白人の話 外面は菩薩のようだが内情は
豊後国風土記(日本古典文学全集)
豊後の国。郡は八所、〔郷は四十、里は百十〕駅は九所、〔みな小路〕烽は五所、〔みな下国〕寺は二所〔一つは僧の寺、一つは尼の寺〕である。

豊後の国は、本、豊前の国と合わせて一つの国であった。昔、纏向の日代の宮で天下をお治めになった大足彦の天皇
魯迅 その文学と革命(東洋文庫)
中国近代文学の父であり,偉大な思想家でもある魯迅は,知識人としての苦悩のなかで,中国の「寂寞」を見つめ,自らをも傷つける「革命」を志向する。著者会心の魯迅伝。1965年07月刊
論語徴(東洋文庫)
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近世和歌集(日本古典文学全集)
年内立春 去年と今年の二本の緒で縒り合わせて掛けて同じ年が一本にまとまらないように、こんがらがってなかなか理解できない春はやって来た。やや趣向倒れの感がある。長嘯子としては機知を働かせたのだろうが。鶯 軒端の梅が咲いていて、一晩中鶯の到来を
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