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  11. 神皇正統記

神皇正統記

ジャパンナレッジで閲覧できる『神皇正統記』の国史大辞典・世界大百科事典のサンプルページ

国史大辞典
神皇正統記
じんのうしょうとうき
南北朝時代に書かれた歴史書。北畠親房著。片仮名まじりの文で書かれ、当初の巻数は未詳であるが、流布本の多くは六巻。親房は、暦応元年(延元三、一三三八)九月、南朝の頽勢を挽回するために、義良親王・次子顕信とともに海路伊勢から東国に向かった。しかし、暴風に逢って親王・顕信の船は伊勢に戻され、親房の船だけが常陸国に着いた。筑波山麓の小田城に入った親房は、結城親朝に書状を送るなど、南朝方の強化をはかったが、情況を好転させることはむずかしかった。小田城で起筆された本書は、義良親王のために書かれたものとされてきたが、近年は、結城親朝に対して南朝を中心とする日本国のあるべき姿を説いたものとする見方も、多くの支持を得ている。暦応二年八月、後醍醐天皇が吉野で没し、義良親王が後村上天皇となった知らせを受けた親房は、かねて書き進めていた本書にそのことを記して、全巻の筆を擱いた。その後も常陸を転戦した親房は、康永二年(興国四、一三四三)に、関城で初稿本に修訂を加えた。全篇の構成は、最初に日本国の国号の由来と、世界の中の地理的な位置について説明した序があり、ついで天地の開闢について、天竺・震旦の諸説を概観した後、日本の天地開闢から〓〓草葺不合(うがやふきあえず)尊までの神代の概略を述べる。いわゆる日本神話を簡潔に記した後、親房は、神武から後村上までの人皇の時代の歴史を叙述することになるが、それは歴代天皇について、代数・世数・称号・諱・系譜上の位置・即位の年・改元の年・都・在位年数・享年、の十項目を記して行くという、鎌倉時代に盛行した年代記の形式を骨格としている。そして、この歴代天皇の年代記的記述の間に、親房独自の論述を書き込む形で本書は成り立っており、皇位継承の経緯を説明する部分が、本書の本体である。中でも、後醍醐天皇の部分は、記述も詳しく、政道を論じて政策を批判するなど、生彩に富み、本書の特色がよくあらわれている。本書は、その明確な歴史への態度と、強い意志を表わす明晰な文章とによって、広く読まれ、『大日本史』の編纂や、山鹿素行・新井白石・頼山陽などに多大の影響を与えた。本書は、天皇の系譜を中心にして日本国の歴史を書こうとする記紀以来の立場をとっているが、皇位継承が直系で一貫してはいないことを、儒教的な歴史論と政道思想によって説明しようとしている。つまり、皇位は常に天照大神の子孫に受け継がれてはいるが、実際はその中でいくつにも枝分かれした皇統の間を移動しているわけであるから、皇統間の移動を儒教的な思想で正当化しようとする。他方、天皇の超越的な性格を説明するために、親房は、伊勢で交わった度会家の神道説を援用した。親房が本書に先立ってまとめた神道書の『元元集』は、本書述作の基礎となっている。親房は、皇位の象徴である三種神器を、鏡は正直、玉は慈悲、剣は智恵の本源を現わすものと説いて為政者の三つの徳を論じ、三種神器が人間の歴史を超えて神代から伝えられたものであり、それを受け継ぐ天皇には、三つの徳が具現されると主張するが、それは中世の神道的な歴史論をよく示している。神皇の正統(皇位の継承)の中に、天照大神の神意を見ようとする本書は、神国思想を代表する古典として、明治以降特に重んぜられた。歴史の動きを凝視して、歴史の道理を考えた慈円の『愚管抄』と、皇位継承の通観から読み取ったものを論拠にして、政治のあるべき姿を論じた『神皇正統記』とは、中世の歴史書の双璧といえよう。伝本については、初稿本・修訂本ともに原本が伝わらないが、平田俊春は、宮地治邦所蔵本(一冊、残欠)をもとに、竜門文庫蔵阿刀本(一冊、残欠)が伝える初稿本の形が成立したと説明している。修訂本系統の本では、白山比〓神社本(四冊、永享十年(一四三八)写)が、現存最古の写本として知られるほか、国学院大学蔵旧猪熊信男本(三冊、永享ころ写)、天理図書館蔵諸本(三冊、享禄二年(一五二九)写をはじめ十一種)など、写本の数は多く、『日本古典文学大系』八七など複刻も少なくない。
[参考文献]
『阿刀本神皇正統記』(『阪本竜門文庫覆製叢刊』八)、『神皇正統記諸本集』(『天理図書館善本叢書』和書之部一九)、山田孝雄『神皇正統記述義』、平田俊春『神皇正統記の基礎的研究』、我妻健治『神皇正統記論考』
(大隅 和雄)


改訂新版・世界大百科事典
神皇正統記
じんのうしょうとうき

南北朝時代に北畠親房が著した歴史書。3巻。神代から後村上天皇即位までの歴史を,簡潔で力強いかなまじり文で叙述し,広く読まれた。摂関家藤原氏につぐ門地を誇る村上源氏の一門に生まれた親房は,後醍醐天皇に仕えた後,いったん出家の身となったが,建武新政の下で政界に復帰し,新政崩壊後は吉野の朝廷の中心として活動した。1338年(延元3・暦応1),親房は関東の政局を打開するために海路伊勢を出発したが,途中暴風にあって常陸国に漂着した。その後,関東を転戦しながら南朝軍の組織拡大につとめた親房は,戦陣の閑暇に本書や《職原鈔》を書いた。本書は,39年小田城で完成したが,その後も補筆が加えられ,親房は43年(興国4・康永2)に大宝城で修訂を終えた後,関東での活動を断念して吉野に帰った。戦陣で書かれたこの史書は,後醍醐天皇の皇子義良親王(後村上天皇)のために書かれたと考えられているが,近年は結城親朝ら関東の武士に読ませるために書かれたとする意見も強い。

本書は天皇の絶対的な権威を説き,補佐の臣とともに進められる政治のあり方を論じたもので,まず冒頭に,神代の物語の要旨を掲げて日本国の基本的なあり方を示す。ついで人王の時代に入るが,そこでは神武天皇以下96代の天皇について,代数,世数,称号,諱(いみな),系譜上の位置,即位の年,改元の年,都,在位年数,享年という10項目を記していくという当時の年代記の形式を枠組みとしながら,各項目の間に親房独自の論評を適時挿入するという形になっている。親房の思想的な立場は,儒教と律令を中心とする公家社会の正統的な学問と,新興の伊勢神道の国家・天皇についての思想に支えられており,後醍醐天皇の時代についての論述には,内乱期の公家の政治思想があらわれている。史書として注目されるだけでなく,ことばや文体の面で,文学史上重要な位置を与えられている。
[大隅 和雄]

[索引語]
北畠親房
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1. 『神皇正統記』
日本史年表
1339年〈【北朝】暦応2・【南朝】延元4 己卯〉 この秋 北畠親房, 『神皇正統記』 を著す(白山本本奥書)。  ...
2. 神皇正統記
日本大百科全書
南北朝時代に南朝の柱石であった北畠親房(きたばたけちかふさ)の著。親房は本書の初稿本を1339年(延元4・暦応2)常陸(ひたち)国(茨城県)小田城にあって足利( ...
3. 神皇正統記
世界大百科事典
南北朝時代に北畠親房が著した歴史書。3巻。神代から後村上天皇即位までの歴史を,簡潔で力強いかなまじり文で叙述し,広く読まれた。摂関家藤原氏につぐ門地を誇る村上源 ...
4. じんのうしょうとうき[ジンワウシャウトウキ]【神皇正統記】
日本国語大辞典
南北朝時代の史論。六巻(また、二巻、三巻など)。北畠親房著。延元四年(一三三九)成立、興国四年(一三四三)改訂。日本建国の由来から後村上天皇践祚まで約二〇〇〇年 ...
5. じんのうしょうとうき【神皇正統記】
国史大辞典
[参考文献]『阿刀本神皇正統記』(『阪本竜門文庫覆製叢刊』八)、『神皇正統記諸本集』(『天理図書館善本叢書』和書之部一九)、山田孝雄『神皇正統記述義』、平田俊春 ...
6. じんわうしゃうとうき【神皇正統記】
全文全訳古語辞典
[書名]南北朝時代の史論書。北畠親房の著。一三三九年(延元四)成立、一三四三年(興国四)修訂。日本の建国から後村上天皇即位に至る二千年の通史によって、南朝が正統 ...
7. 『神皇正統記』[百科マルチメディア]
日本大百科全書
上巻 北畠親房(きたばたけちかふさ)著 江戸時代初期 写 国立国会図書館所蔵 ...
8. ぞくじんのうしょうとうき【続神皇正統記】
国史大辞典
室町時代の歴史書。小槻晴富著。一巻。文明年間(一四六九―八七)の成立。『神皇正統記』の形式を継いでいるが、北朝を正統とする立場をとり、光厳・後醍醐(重祚)・光 ...
9. Hermann Bohner【ボーネル】[人名]
能・狂言事典
一九五三年(昭和二八)に出版した『花鏡 Blumenspiegel』の序文に記している。能の研究は「神皇正統記」など日本史研究を経て始まり、一九四三年に『至花道 ...
10. あい‐か・す[あひ‥]【相嫁】
日本国語大辞典
〔自サ変〕(「あい」は接頭語)夫婦の契りを結ぶ。結婚する。*神皇正統記〔1339〜43〕中・村上「やがて御堂の息女に相嫁せられしかば、子孫もみな彼外孫なり」 ...
11. あい‐す・む[あひ‥]【相住】
日本国語大辞典
住む。*後拾遺和歌集〔1086〕雑一・八九四・詞書「叔母なりける人のあひすみける方より」*神皇正統記〔1339〜43〕上・彦火々出見尊「天神の御孫にめでたてまつ ...
12. あい‐どの[あひ‥]【相殿】
日本国語大辞典
合わせまつること。また、その社殿。あいでん。*皇太神宮儀式帳〔804〕「相殿坐神御装束嚢二口〈員八種〉」*神皇正統記〔1339〜43〕上・雄略「天孫瓊瓊杵(あめ ...
13. あい‐ふ・れる[あひ‥]【相触】
日本国語大辞典
下二〕広く告げ知らせる。通知する。言いふらす。*名語記〔1275〕二「あひふるるよし也」*神皇正統記〔1339〜43〕下・高倉院「国々にある源氏の武士等にあひふ ...
14. あきつ‐しま【秋津島・秋津洲・蜻蛉洲】
日本国語大辞典
讚には、仁秋津嶋(アキツシマ)の外に流(つたは)る、恵みつくば山のかげよりもしげしと云へり」*神皇正統記〔1339〜43〕上・序論「又此の国をば秋津洲といふ。神 ...
15. あき の 収(おさ)め
日本国語大辞典
秋の稲のとり入れ。また、その時期。秋おさめ。*神皇正統記〔1339〜43〕中・後三条「四月より位にゐ給しかば、いまだ秋のおさめにもおよばぬに、世の中のなほりにけ ...
16. あしかがたかうじ【足利尊氏】
国史大辞典
鎮守府将軍に任ぜられ、従四位下左兵衛督となり、天皇の諱の尊治の一字を与えられて尊氏と改めた。『神皇正統記』によると、このころ三ヵ国の国司と守護に任命され、あまた ...
17. あずかり‐もう・す[あづかりまうす]【関白】
日本国語大辞典
〔他サ四〕(「かんぱく(関白)」の訓読語)政治にたずさわって意見を言う。関白の職務を行なう。*神皇正統記〔1339〜43〕中・光孝「万機の政猶霍光に関白(アヅカ ...
18. あのくだつ【阿耨達】
日本国語大辞典
「あのくだっち(阿耨達池)」に同じ。*神皇正統記〔1339〜43〕上・序論「此の海中に四大洲あり。〈略〉南洲の中心に阿耨達(あノクタツ)と云ふ山あり。山頂に池あ ...
19. あばさきじょうあと【阿波崎城跡】茨城県:稲敷郡/東村/阿波崎村
日本歴史地名大系
霞ヶ浦・筑波山を眺望できる要害の地である。県指定史跡。城主・築城の時期などは不明であるが、「神皇正統記」に「東ヲサシテ常陸国ナル内ノ海ニツキタル船ハベリキ」とあ ...
20. あまの 逆鉾(さかほこ)
日本国語大辞典
*播磨風土記逸文(釈日本紀所載)〔1274〜1301〕「其の土を天之逆桙に塗りて、神舟の艫舳に建て」*神皇正統記〔1339〜43〕上・神代「国常立尊、伊弉諾、伊 ...
21. あまの 益人(ますひと)
日本国語大辞典
む雑雑の罪事は」(2)(「天の」は「天つ神の意による」の意)数が増して栄える人民。百姓。*神皇正統記〔1339〜43〕上・大日〓尊 ...
22. あみ の 一目(ひとめ・いちもく)
日本国語大辞典
それだけではとらえることができないの意から)協力して初めて実をあげることができるものだの意にいう。*神皇正統記〔1339〜43〕上・天津彦々火瓊々杵尊「魚をうる ...
23. あめの 宮(みや)
日本国語大辞典
天上界にあるという想像上の宮殿。*神皇正統記〔1339〜43〕上・神代「五十鈴の河上に霊物をまぼりおける所をしめし申ししに、かの天の逆矛、五十鈴、あめのみやの図 ...
24. あわせ‐う・く[あはせ‥]【合受】
日本国語大辞典
〔他カ下二〕広く一様に受け入れる。*神皇正統記〔1339〜43〕上・天津彦彦火瓊瓊杵尊「此三徳を翕(アワセ)受けずしては」 nbsp;...
25. あんざい‐しょ【行在所】
日本国語大辞典
行在所〓」*神皇正統記〔1339〜43〕下・崇徳「皇弟高宗江をわたりて杭州と云所に都をたてて行在所とす」*史記‐衛青伝「囚 ...
26. あん‐ねい【安寧】
日本国語大辞典
海内晏静、区夏安寧」*平家物語〔13C前〕一一・腰越「仍年来の愁眉を開き、一期の安寧を得ん」*神皇正統記〔1339〜43〕中・第六一代「延喜の御代さしも安寧なり ...
27. いえ ば
日本国語大辞典
ばそふじゃおれはいかいあはうじゃ」(2)言ってみれば。表現するなら。極言すれば。いわば。*神皇正統記〔1339〜43〕下・後醍醐「武士たる輩、いへば数代の朝敵也 ...
28. い‐がく【異学】
日本国語大辞典
〕「異学・異見(イガク・いけん ことごとをならひまなぶひとなり)のともがらにやぶられず」*神皇正統記〔1339〜43〕上・応神天皇「異朝にも人の心まちまちなれば ...
29. い‐ぎょう【意巧】
仏教語大辞典
心を用いてさまざまに工夫すること。優れた思いつき。 神皇正統記 中・嵯峨 「真言天台の二宗は祖師の意巧、専鎮護国家のためと心ざされけるにや」  ...
30. い‐ぎょう[‥ゲウ]【意楽・意巧】
日本国語大辞典
念ずるに」*雑談集〔1305〕六・大樹譬事「菩薩の意楽(いゲウ)、ことに徳行の浅深顕なる歟」*神皇正統記〔1339〜43〕中・嵯峨天皇「真言・天台の二宗は祖師の ...
31. いく‐い[‥ゐ]【生井】
日本国語大辞典
に白(まを)さく、生井(イクゐ)、栄井(さくゐ)、津長井、あすは、はひきと御名は白して」*神皇正統記〔1339〜43〕下・後嵯峨院「昼夜に生井(イクゐ)栄井(さ ...
32. いざなぎ‐の‐みこと【伊邪那岐命・伊弉諾尊】
日本国語大辞典
表わす〔神代史の新研究=白鳥庫吉〕。(3)梵語のイシャナテン(伊舎那天)、イシャナクウ(伊舎那后)からか〔神皇正統記〕。イザナ ...
33. いざな‐てん【伊舎那天】
日本国語大辞典
伊舎那天后〓」*神皇正統記〔1339〜43〕上・大目〓尊 ...
34. い‐しょ【異書】
日本国語大辞典
ころのある書。異本。(3)儒書に対して道家の書をいう。仙術など神秘的なことを書いた書物。*神皇正統記〔1339〜43〕上・神代「但異書の説に、混沌未分のかたち、 ...
35. い‐じょう[‥ジャウ]【以上・已上】
日本国語大辞典
大郡〓」*神皇正統記〔1339〜43〕下・二条院「参議已上にあがるもありき」*足利本論語抄〔16C〕学而第一「我より学の以上なる者 ...
36. いせしんとう【伊勢神道】
国史大辞典
伊勢神道を発展させ吉田神道をはじめ他の神道説へと影響を及ぼしている点で重要である。また北畠親房の『神皇正統記』や『元々集』が伊勢神道の影響を強く受けていることは ...
37. いせじんぐう【伊勢神宮】三重県:伊勢市
日本歴史地名大系
行は「類聚神祇本源」を著して伊勢神道を大成した。彼は南朝方に参じて北畠親房とともに戦い、「神皇正統記」の成立に影響を与えた。伊勢神道は度会神道とも称される。〔参 ...
38. 伊勢国
世界大百科事典
が,外宮の神官度会家行は南朝を支持し,その神道思想は北畠親房に多大な影響を与えた。親房の《神皇正統記》にはその影響が明瞭に見られる。 1392年(元中9・明徳3 ...
39. いちぞう‐いちげん【一増一減】
日本国語大辞典
増して八万四千歳に達する間と、これと反対に、八万四千歳より百年ごとに一歳を減らして一〇歳に至る間とをいう。*神皇正統記〔1339〜43〕上・序論「一増一減を一小 ...
40. いち‐にん【一任】
日本国語大辞典
衣食〓」*神皇正統記〔1339〜43〕下・後醍醐「彼等其功たかしといへども、一任四五ケ年の職なり」(3)(感動詞 ...
41. いち の 阿闍梨(あじゃり)
日本国語大辞典
東寺の長者。阿闍梨の第一の位にあるもの。一の長者。*神皇正統記〔1339〜43〕上・嵯峨「延喜の御宇に綱所の印鎰を東寺の一阿闍梨(いちのあじゃり)にあづけらる」 ...
42. いち‐ぶ【一分】
日本国語大辞典
之一分〓」*神皇正統記〔1339〜43〕下・後醍醐「官位といへるは、上三公より下諸司の一分にいたる、これを内官と云」 ...
43. いち‐へん【一辺】
日本国語大辞典
〔名〕一方。一面。一隅。また、中央から遠く離れた辺地。*神皇正統記〔1339〜43〕上・序論「震旦ひろしと云へども五天にならぶれば一辺の小国なり」*詩経‐秦風・ ...
44. いち‐もく【一目】
日本国語大辞典
往生大事〓」*神皇正統記〔1339〜43〕上・天津彦々火瓊々杵尊「魚をうることは網の一目によるなれど、衆目の力なければ是 ...
45. い‐ちょう[‥テウ]【異朝】
日本国語大辞典
異国。特に中国をさす。→本朝。*平家物語〔13C前〕一・祇園精舎「遠く異朝をとぶらへば」*神皇正統記〔1339〜43〕上・序論「我国のみ此事あり。異朝には其たぐ ...
46. いち‐りゅう[‥リウ]【一流】
日本国語大辞典
平家一流氏族〓也」*神皇正統記〔1339〜43〕中・清和「良房の大臣摂政せられしより彼一流につたはりてたえぬことになりたり ...
47. いっ‐けつ【一決】
日本国語大辞典
一決〓」*神皇正統記〔1339〜43〕上・神代「彼書の中猶一決せざること多し。況(いはんや)異書におきては正とす ...
48. いっ‐とう【一統】
日本国語大辞典
【一】〔名〕(1)(─する)一つにすべ合わせること。統一。*神皇正統記〔1339〜43〕中・推古「後に南朝の陳をうちたひらげて、一統の世となれり」*太平記〔14 ...
49. いつき‐めぐ・む【寵恵】
日本国語大辞典
〔他マ四〕世話し大切にする。*神皇正統記〔1339〜43〕上・天津彦々火瓊々杵尊「第三代、天津彦々火瓊々杵尊。天孫とも皇孫とも申。皇祖天照太神・高皇産霊尊いつき ...
50. いつ‐ねんごう[‥ネンガウ]【逸年号】
日本国語大辞典
〔名〕正史に逸した年号。「白鳳」「朱雀」の類。逸号。いねんごう。「神皇正統記‐中・第四二代」に左の記述がある。「大宝と云。これよりさきに、孝徳の御代に大化・白雉 ...
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神皇正統記(国史大辞典・世界大百科事典)
南北朝時代に書かれた歴史書。北畠親房著。片仮名まじりの文で書かれ、当初の巻数は未詳であるが、流布本の多くは六巻。親房は、暦応元年(延元三、一三三八)九月、南朝の頽勢を挽回するために、義良親王・次子顕信とともに海路伊勢から東国に
先代旧事本紀(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
平安初期に編纂(へんさん)されたと推定される歴史書。本書の序には、620年(推古天皇28)聖徳太子、蘇我馬子(そがのうまこ)らの撰録(せんろく)するところと記すが、『古事記』『日本書紀』『古語拾遺(しゅうい)』などからの引用があるので、本書は807年
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