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  11. 伊賀越道中双六

伊賀越道中双六

ジャパンナレッジで閲覧できる『伊賀越道中双六』の新版 歌舞伎事典・日本大百科全書のサンプルページ

新版 歌舞伎事典

伊賀越道中双六
いがごえどうちゅうすごろく
 (1)人形浄瑠璃。時代物。十段。近松半二・近松加作の作。天明三(1783)年四月大坂・竹本座初演。上杉家家老和田行家の子息志津馬が姉婿唐木政右衛門の助力を得て父の敵沢井股五郎を討つまでを描いた作品。安永五(1776)年一二月大坂・嵐座上演の奈河亀輔作の歌舞伎を翌年三月浄瑠璃化した当り作《伊賀越乗掛合羽いがごえのりがけがっぱ》に依拠するところが大きいが、敵を追う主人公たちの移動につれてさまざまな人々の義理と恩愛とにからんだ悲劇が次々と東海道筋に展開されていくという構想は本作独自の風趣を生み出すものとなっている。なかでも志津馬の愛人お米の父である雲助平作が久しぶりに再会したわが子の呉服屋十兵衛から敵股五郎の消息を聞き出すために自害する〈沼津の段〉(六段目)や、政右衛門が旧師山田幸兵衛の面前でわが子を殺して義心を示す〈岡崎の段〉(八段目)などが繰り返し上演され、また、作品としての出来もよい。演奏上では、〈沼津〉の口に初世竹本咲太夫、切に初世竹本染太夫、〈岡崎〉の切に初世竹本住太夫の風が伝えられている。(2)歌舞伎狂言。時代物。右の半二らの浄瑠璃は同年九月大坂・嵐他人座(中)で歌舞伎に脚色上演された。政右衛門=二世三保木儀左衛門、十兵衛・幸兵衛=初世尾上菊五郎、平作=初世加賀屋歌七(前名初世中村歌右衛門)。その後、先行作《伊賀越乗掛合羽》と継ぎ合わせた台本が用いられることもある。作中、出立に際して政右衛門が志津馬の幼い妹と祝言をあげる〈饅頭娘まんじゅうむすめ〉や主君に別れを告げる〈奉書試合〉の場面などの見せ場も多いが、やはり中心は〈沼津〉〈岡崎〉の二幕で、特に前者における瀕死の平作の悲痛な告白や、股五郎の行方をそれとなく知らせる十兵衛の幕切のせりふ、また、後者においては義のために苦難に耐え抜く政右衛門の男らしい姿などが、観客に深い感銘を与えるものとなっている。なお前者の両花道を活用した演出も効果的である。
伊賀越物
[原 道生]


日本大百科全書(ニッポニカ)

伊賀越道中双六
いがごえどうちゅうすごろく

浄瑠璃義太夫節 (じょうるりぎだゆうぶし)。時代物。10段。近松半二、近松加助合作。1783年(天明3)4月大坂・竹本座初演。1634年(寛永11)荒木又右衛門 (またえもん)が義弟渡辺数馬 (かずま)を助けて舅 (しゅうと)の仇 (あだ)河合又五郎を討った事件を脚色。奈河亀輔 (ながわかめすけ)作の歌舞伎 (かぶき)脚本『伊賀越乗掛合羽 (のりかけがっぱ)』(1776初演)を土台にした作で、題名どおり仇討の過程を道中双六に見立て、鎌倉から郡山 (こおりやま)、沼津、岡崎などを経て伊賀上野の敵討 (かたきうち)で終わる。同年9月には歌舞伎に移され、以後「伊賀越物」の代表作になった。

 第一(鎌倉)~第五(郡山)―上杉の臣沢井股五郎 (さわいまたごろう)は同藩の老臣和田行家 (ゆきえ)を殺して逐電する。行家の娘お谷の夫唐木政右衛門 (からきまさえもん)は義弟志津馬 (しづま)の助太刀 (すけだち)をするため、主君誉田内記 (ほんだないき)から暇 (いとま)をもらう。第六(沼津)―志津馬の愛人お米 (よね)は、沼津に住む父親の雲助平作 (へいさく)のもとで敵股五郎の行方を探している。ある日、平作が昔、他家へ養子にやった息子の呉服屋十兵衛がこの家に泊まる。平作は十兵衛が沢井にゆかりある者と知り、千本松原で敵のありかを聞こうとするが、義心厚い十兵衛が明かそうとしないので、自害して末期の耳に股五郎の行方を聞き、お米に立ち聞きさせる。第八(岡崎)―敵を尋ね、藤川の関所を破った政右衛門は、岡崎で偶然にも旧師の山田幸兵衛の家に泊まる。幸兵衛は娘の許婚 (いいなずけ)の股五郎に味方しようと、いったんは政右衛門に助太刀を頼むが、妻のお谷を追い返し嬰児 (えいじ)のわが子まで殺した政右衛門の義心に感じ、助太刀を断念する。「沼津」は平作の気骨と、義理と恩愛の板挟みになる十兵衛の苦衷を劇的に描いた名場面で、とくに歌舞伎では花道と客席を使って旅の情趣を色濃く表現する。「岡崎」は雪を背景にした重厚な悲劇で、義太夫では有数の難曲になっている。

[松井俊諭]

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1. いがごえだうちゅうすごろく【伊賀越道中双六】
全文全訳古語辞典
[書名]浄瑠璃。時代物。十段。近松半二・近松加作の合作。一七八三年(天明三)大坂竹本座初演。『伊賀越乗掛合羽』の書き替えで伊賀越物の中でも最も著名。荒木又右衛門
2. 伊賀越道中双六
日本大百科全書
浄瑠璃義太夫節じょうるりぎだゆうぶし。時代物。10段。近松半二、近松加助合作。1783年(天明3)4月大坂・竹本座初演。1634年(寛永11)荒木又右衛門またえ
3. 伊賀越道中双六
世界大百科事典
双方で行われたほか,83年4月には本系統のもう一つの代表作である近松半二らの人形浄瑠璃《伊賀越道中双六》(大坂竹本座)の粉本としても用いられている。以後,近世に
4. いがごえどうちゅうすごろく[いがごえダウチュウすごロク]【伊賀越道中双六】
日本国語大辞典
「いがごえ(伊賀越)〔二〕(2)」に同じ。[発音]イ〓〓エドーチュー
5. いがごえどうちゅうすごろく【伊賀越道中双六】
国史大辞典
時代物の浄瑠璃。十段。近松半二・近松加助の合作。天明三年(一七八三)四月大坂竹本座初演。三大仇討の一つ、荒木又右衛門の伊賀の敵討を脚色した歌舞伎狂言『伊賀越乗
6. いがごえどうちゅうすごろく【伊賀越道中双六】
歌舞伎事典
 (1)人形浄瑠璃。時代物。十段。近松半二・近松加作の作。天明三(1783)年四月大坂・竹本座初演。上杉家家老和田行家の子息志津馬が姉婿唐木政右衛門の助力を得て
7. 『伊賀越道中双六』
日本史年表
1783年〈天明3 癸卯〉 4・‐ 近松半二・近松加助合作 『伊賀越道中双六』 、大坂竹本座で初演(義太夫年表)。
8. 伊賀越道中双六(著作ID:89065)
新日本古典籍データベース
いがごえどうちゅうすごろく 近松 加作(ちかまつ かさく) 近松 半二(ちかまつ はんじ) 浄瑠璃/義太夫 天明三初演、同刊
9. 伊賀越道中双六(著作ID:89076)
新日本古典籍データベース
いがごえどうちゅうすごろく 脚本 天明三初演
10. 伊賀越道中双六(著作ID:89087)
新日本古典籍データベース
いがごえどうちゅうすごろく 絵本番附 天明四刊
11. 伊賀越道中双六(著作ID:89098)
新日本古典籍データベース
いがごえどうちゅうすごろく かたきうち/伊賀越道中双六 歌川 貞秀(うたがわ さだひで) 作・画 合巻 嘉永六刊
12. 伊賀越道中双六(著作ID:4358192)
新日本古典籍データベース
いがごえどうちゅうすごろく 若松 若太夫 一世(わかまつ わかたゆう 1せい) 浄瑠璃 説経 
13. 伊賀越道中双六(著作ID:4358193)
新日本古典籍データベース
いがごえどうちゅうすごろく 浄瑠璃/常磐津 
14. 伊賀越道中双六(著作ID:4397343)
新日本古典籍データベース
いがごえどうちゅうすごろく 絵本/伊賀越道中双六 中邑 長秀(なかむら ながひで) 画 
15. あい‐もん[あひ‥]【合紋・合文】
日本国語大辞典
(ふくさ)に包みし印札を渡す」(3)物事がぴったり一致すること。符合すること。*浄瑠璃・伊賀越道中双六〔1783〕六「何心なき話の合紋(アヒモン)、一々胸にこた
16. あか‐ら【赤─】
日本国語大辞典
二「先祖より酒の家に生れ、あから呑(のめ)といはれて此かた終に上戸に出あはず」*浄瑠璃・伊賀越道中双六〔1783〕五「三々九献まだ済まぬ。殿御の盃戴くものぢゃ。
17. あさはら の=丸薬(がんやく)[=茶粥(ちゃがゆ)・=茶(ちゃ)の子(こ)]
日本国語大辞典
卜先生糖俵後篇〔1778〕下「かさね草履蛇の目傘位は朝腹の茶の子にもさしかけ」*浄瑠璃・伊賀越道中双六〔1783〕沼津の段「何のお前さん、此位いの荷物は朝(アサ
18. 朝腹の=丸薬〔=茶粥・茶の子〕
故事俗信ことわざ大辞典
売卜先生糖俵後篇(1778)下「かさね草履蛇の目傘位は朝腹の茶の子にもさしかけ」浄瑠璃・伊賀越道中双六(1783)六「何のお前さん、此位いの荷物は朝(アサ)はら
19. あずま‐そだち[あづま‥]【東育】
日本国語大辞典
欲をしらず物に恐れず、心底まことはありながら、かつて色道の慰みにはなりがたし」*浄瑠璃・伊賀越道中双六〔1783〕六「東育(アヅマソダチ)の張もぬけ、恋の意気地
20. 仇討物
世界大百科事典
読本,講釈などが,互いに影響しあって作品を生みつづけ,おびただしい作品群を成立させた。→伊賀越道中双六 →亀山の仇討物 →忠臣蔵物服部 幸雄 敵討 曾我物 曾我
21. あぶら‐け【油気・脂気】
日本国語大辞典
「当分油けの男にほだされて、かかる薬をのみなどする時は、一生のかたはになる事」*浄瑠璃・伊賀越道中双六〔1783〕六「上手な娘の饗応(もてなし)に、ころりとなれ
22. あまりちゃ に 福(ふく)がある
日本国語大辞典
(アマ)り茶に福(フク)ありとは、元朝(ぐゎんてう)の大福に本づけるなるべし」*浄瑠璃・伊賀越道中双六〔1783〕七「是はきつい御馳走、余り茶に福がある。然らば
23. 余り茶に福がある
故事俗信ことわざ大辞典
元朝(ぐゎんてう)の大福に本づけるなるべし」言彦鈔(18C中)「あまり茶に福かある」浄瑠璃・伊賀越道中双六(1783)七「是はきつい御馳走、余り茶に福がある。然
24. あらき‐またえもん【荒木又右衛門】
日本国語大辞典
妻の弟渡辺数馬を助け、数馬の弟(一説に父)源太夫の仇河合又五郎らを討つ。伊賀越の仇討として、浄瑠璃「伊賀越道中双六」などに脚色された。慶長四~寛永一五年(一五九
25. あり‐つき【有付】
日本国語大辞典
〔1735〕四「それより武士奉公のあり付きなく、此国の土民となっては候へども」*浄瑠璃・伊賀越道中双六〔1783〕八「只今の住所は何国(いづく)、有付(アリツキ
26. いが‐ごえ【伊賀越】
日本国語大辞典
中の芝居嵐七三郎座初演。→伊賀越の仇討。(2)浄瑠璃。時代物。一〇段。近松半二、近松加作の合作「伊賀越道中双六」の通称。天明三年(一七八三)大坂竹本座初演。(1
27. 伊賀越の敵討
世界大百科事典
〈諸士法度〉で,旗本が他家の犯罪者を庇護することを禁じ,領主の犯罪者追及権を明定した。→伊賀越道中双六 →伊賀の水月平松 義郎 池田忠雄 渡辺数馬 河合又五郎 
28. いがごえのかたきうち【伊賀越の敵討】
国史大辞典
・江戸外記座・紀上太郎作)、『伊賀越乗掛合羽』(安永六年・大坂中の芝居・奈河亀助作)、『伊賀越道中双六』(天明三年・大坂竹本太市座・近松半二作)などの芝居になり
29. いがごえもの【伊賀越物】
歌舞伎事典
ほか、天明三(1783)年四月には本系統のもう一つの代表作である近松半二らの人形浄瑠璃《伊賀越道中双六》(大坂・竹本座)の粉本としても用いられている。以後、近世
30. いき‐やくし【生薬師】
日本国語大辞典
〕「終夜(よもすがら)此本草を読誦する〈信章〉 南無いき薬師来迎の時〈芭蕉〉」*浄瑠璃・伊賀越道中双六〔1783〕九「御存じの流行(はやり)医者、あそこからも竹
31. いけ【生・活】
日本国語大辞典
活(イケ)の魚」(2)仮死状態の人や気絶した人を生き返らせること。活(かつ)。*浄瑠璃・伊賀越道中双六〔1783〕八「倒れ伏したる組子ども、引起して死活(しくゎ
32. 一樹の陰一河の流れも他生の縁
故事俗信ことわざ大辞典
皆これ他生の縁ぞかし」俳諧・毛吹草(1638)二「一樹(いちジュ)のかげ一河(いちガ)のなかれ」浄瑠璃・伊賀越道中双六(1783)六「上手な娘の饗応(もてなし)
33. いちま【市松】[方言]
日本方言大辞典
いちまにんぎょ【―人形】》 香川県仲多度郡829香川県方言辞典(近石泰秋)1976浄瑠璃伊賀越道中双六五「持遊びの市松いちま人形」《ちま》 香川県三豊郡・小豆島
34. いちま‐にんぎょう[‥ニンギャウ]【市松人形】
日本国語大辞典
〔名〕「いちまつにんぎょう(市松人形)」の上方での称。*浄瑠璃・伊賀越道中双六〔1783〕五「持遊びの市松(イチマ)人形」*随筆・摂陽奇観〔1833〕二七・寛保
35. いち を 聞(き)いて=十(じゅう)を[=万(ばん)を]=知(し)る[=悟(さと)る]
日本国語大辞典
王御事「承鎮親王の御門弟と成せ給ひて、一(イチ)を聞て十を悟(サト)る御器量」*浄瑠璃・伊賀越道中双六〔1783〕八「一手二手と教ゆる中、一を聞いて十を知る頓智
36. 一を聞いて=十を〔=万を〕=知る〔=悟る〕
故事俗信ことわざ大辞典
聞て十を悟(サト)る御器量」俳諧・毛吹草(1638)二「一をもちて万(バン)をしれ」浄瑠璃・伊賀越道中双六(1783)八「一手二手と教ゆる中、一を聞いて十を知る
37. いとさま‐ごりょう[‥ゴレウ]【幼様御寮】
日本国語大辞典
〔名〕上方で幼い妻をいう敬称。*浄瑠璃・伊賀越道中双六〔1783〕五「七つ計のいと様御寮(ゴレウ)、丈にも合ぬ襠(かいどり)ほらほら」
38. 妹背山婦女庭訓(浄瑠璃集) 388ページ
日本古典文学全集
又山止ト云フ。人皆止リテ住フ山故シカ云フ」(下学集)。「昔は山の跡なれや。今も名のみは郡山」(伊賀越道中双六・五)。「国の初の其昔。誰名付てや郡山」(同・四)。
39. 妹背山婦女庭訓(浄瑠璃集) 391ページ
日本古典文学全集
るが、一般には仮名表記。「気が付いて」に、「お付きの者」の意味を添える。「心付き〳〵」(伊賀越道中双六・五、仮名写安土問答・三)の形も。「認めおく」と「奥山」を
40. 妹背山婦女庭訓(浄瑠璃集) 401ページ
日本古典文学全集
蔓のからむ雑草。武士としての表向き。面目、体面。「聞キ捨テに致しては武士道の表が立タぬ」(伊賀越道中双六・二)。切腹者の介添人が、首を掻き落すこと。侍としてのう
41. 妹背山婦女庭訓(浄瑠璃集) 408ページ
日本古典文学全集
武士として君命に従い、常に命を捨てる覚悟。「身共故に一ッ国の騒ぎと成ルが気の毒さに。命惜まぬ武士の覚悟」(伊賀越道中双六・三)。目前に差し迫ったいざという時。婚
42. 妹背山婦女庭訓(浄瑠璃集) 409ページ
日本古典文学全集
『古今集』の「春霞立つを見すてて行く雁は花なき里に住みやならへる」(春上)による。同じく親子の死別を描く「伊賀越道中双六」第六末尾にも、「親子の名残リ跡に。見捨
43. いわ ぬ 事(こと)は聞(き)こえぬ
日本国語大辞典
「かならず其請合(うけあひ)はならずはじめからいはぬ事は聞(キコ)えぬといふ」*浄瑠璃・伊賀越道中双六〔1783〕一「よござります。が申し言はぬことは聞えぬ、利
44. 言わぬ事は聞こえぬ
故事俗信ことわざ大辞典
四「かならず其請合(うけあひ)はならずはじめからいはぬ事は聞(キコ)えぬといふ」浄瑠璃・伊賀越道中双六(1783)一「よござります。が申し言はぬことは聞えぬ、利
45. いんま の うち
日本国語大辞典
「いまのうち(今内)」に同じ。*浄瑠璃・伊賀越道中双六〔1783〕九「御本復も本望も今(いンま)の中でござりましょ」
46. うきよ‐わたり【浮世渡】
日本国語大辞典
〔名〕この世を生きて行くこと。渡世。*浄瑠璃・伊賀越道中双六〔1783〕六「浮世渡りは様々に、草の種かや人目には荷物もしゃんと供廻り」*歌舞伎・吹雪花小町於静(
47. うさん‐もの【胡散者】
日本国語大辞典
*浄瑠璃・長町女腹切〔1712頃〕上「伯母(をば)と名乗りて、刀屋に見するはうさん物なりし」*浄瑠璃・伊賀越道中双六〔1783〕八「順礼でも幽霊でも、在の中に寝
48. うしろ‐だて【後楯】
日本国語大辞典
伝受紙子〔1710〕三・二「其外の紋日に後立(ウシロダテ)の大臣様のない時は」*浄瑠璃・伊賀越道中双六〔1783〕八「まさかの時の後楯、力に成って下さらば」*社
49. うじち【氏地】[方言]
日本方言大辞典
氏神の鎮守している土地。 大阪市637方言と大阪(猪飼九兵衛)1948浄瑠璃伊賀越道中双六六「丁度今年二十八。鎌倉八幡宮の氏地の生まれ」
50. うじ‐ち[うぢ‥]【氏地】
日本国語大辞典
〔名〕氏神の鎮守している土地。*浄瑠璃・伊賀越道中双六〔1783〕六「丁度今年二十八。鎌倉八幡宮の氏地(ウヂチ)の生まれ」*風俗画報‐一五二号〔1897〕人事門
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