浄瑠璃義太夫節 (じょうるりぎだゆうぶし)。時代物。11段。竹田出雲 (いずも)、三好松洛 (みよししょうらく)、並木千柳 (せんりゅう)合作。1748年(寛延1)8月、大坂・竹本座初演。赤穂 (あこう)浪士の仇討 (あだうち)に取材した古今の戯曲中の代表作で、通称「忠臣蔵」。近松門左衛門の『碁盤太平記 (ごばんたいへいき)』をはじめとする多くの先行作に基づき「太平記」の世界を借り、吉良上野介 (きらこうずけのすけ)は高師直 (こうのもろなお)、浅野内匠頭 (たくみのかみ)は塩冶判官 (えんやはんがん)、大石内蔵助 (くらのすけ)は大星由良之助 (おおぼしゆらのすけ)などの役名で脚色している。名題は、いろは仮名の数に合致する四十七士の意味、武士の手本となる忠臣を集めた蔵の意味のほか、大石内蔵助の蔵を利かせたもの。
本筋は、塩冶判官の妻顔世 (かおよ)御前が足利直義 (あしかがただよし)の面前で新田義貞 (にったよしさだ)の兜 (かぶと)を鑑定した日、執事高師直の横恋慕に悩まされる(大序―鶴が岡 (つるがおか)社頭)のを発端とし、師直が恋のかなわぬ恨みから殿中で判官を侮辱、刃傷 (にんじょう)になり(三段目―松の間)、扇が谷 (おうぎがやつ)塩冶館 (やかた)の判官切腹の場へ駆けつけた城代家老大星由良之助が仇討の決意を固めること(四段目―判官切腹・城明け渡し)へと発展。この間に、判官の同僚桃井若狭之助 (もものいわかさのすけ)の家老加古川本蔵が主人の無事のために師直へ金品を贈ること(二段目―桃井館、三段目―進物)、判官の家来早野勘平 (かんぺい)が腰元お軽との恋愛のため主君の大事に遅れること(三段目―裏門)などを挟む。ついで、浪人した勘平の再起を計る資金調達のためお軽が身売りすること、その金を持った親与一兵衛 (よいちべえ)が山賊斧定九郎 (おのさだくろう)に殺されること、定九郎を鉄砲で撃った勘平が舅 (しゅうと)を殺したと思い込んで切腹して死ぬこと(五段目―山崎街道、六段目―勘平腹切)など、波瀾 (はらん)に富んだ筋が展開する。さらに、祇園 (ぎおん)で敵の目をくらます由良之助の遊興、遊女になったお軽と兄寺岡平右衛門 (へいえもん)の再会(七段目―一力 (いちりき)茶屋)、本蔵の妻戸無瀬 (となせ)が娘小浪 (こなみ)を大星の息力弥 (りきや)に嫁がせるための苦労、本蔵が刃傷のときに判官を抱きとめた申し訳に一命を捨てて娘の恋をかなえさせる話(八段目―「道行旅路の嫁入」、九段目―山科 (やましな)閑居)、討入りの武器調達を頼まれた商人天河屋義平の侠気 (きょうき)(十段目―天河屋)などを経て、討入り本懐(十一段目)に至る。
史実にとらわれない自由な脚色だが、作劇、人物描写ともに優れ、とくに観客が劇中の判官と同じように主役の登場を待ちかねる四段目と、観客が知っている真相を主人公の勘平が知らずに破滅する六段目は、劇的な盛り上がりの点で双璧 (そうへき)といえる。浄瑠璃初演の同年11月に早くも歌舞伎 (かぶき)に移されてから、演出面に代々の名優のくふうが積み重ねられ、「独参湯 (どくじんとう)」(特効薬)とよばれるほど、不入りのときでも景気を挽回 (ばんかい)する人気狂言になった。数多い義太夫狂言のなかでは通しで上演されることがもっとも多いが、三段目の「裏門」はたいていの場合、三升屋二三治 (みますやにそうじ)が清元 (きよもと)舞踊として改作した『道行旅路の花聟 (はなむこ)』(1833。通称「落人 (おちうど)」)で代行する。また、二段目と十段目の上演は少なく、十一段目の「討入り」は明治以後にできた実録風の脚本・演出によって演じられることが多い。
人形浄瑠璃。時代物。2世竹田出雲・三好松洛・並木宗輔(千柳)作。1748年(寛延1)8月,大坂竹本座初演。11段。《菅原伝授手習鑑》《義経千本桜》と並ぶ人形浄瑠璃全盛期の名作。前年,京中村粂太郎座で上演され,初世沢村宗十郎の大岸宮内(大石内蔵助)の名演で評判となった《大矢数四十七本》に刺激されて作られたもので,〈忠臣蔵物〉の最高峰に位置する。興行中,九段目の演出をめぐって人形遣い吉田文三郎と太夫竹本此太夫とのあいだに争いが生じ,此太夫らは退座して豊竹座に移り,代わって豊竹座から竹茂都大隅らを迎えて続演,それを機として竹本・豊竹両座の曲風が混淆するという,浄瑠璃史上,注目すべき事件が起こったことでも名高い。竹本座での成功の跡を受けて,同年12月大坂角の芝居の舞台に取り上げられたのをはじめ翌年には江戸三座で競演。爾来,歌舞伎の独参湯(どくじんとう)(起死回生の妙薬)と称され,大入りを呼ぶ人気狂言の一つに数えられ,演技や演出にもさまざまな工夫がこらされてきた。初世中村仲蔵が五段目の定九郎に新演出を試みた話などエピソードも少なくない。なお,幕末以後,歌舞伎では二段目を〈建長寺の場〉に改めて演じたり,三段目の切にあるおかる・勘平の件を割愛して《道行旅路の花聟》(《落人》)を四段目の後に付けたり,十一段目を実録風に仕立て直し,立回り本位の討入りに〈両国橋引揚げの場〉を添えるなど一部改作して上演することが多い。
(1)第一(鶴岡の饗応) 暦応1年2月,鶴岡八幡宮が造営され,将軍足利尊氏の代参として弟足利直義が鎌倉に下向。それを迎えるのは在鎌倉の執事高武蔵守師直(もろなお)。御馳走役に桃井若狭助安近と塩冶判官高定。尊氏の命によって,討死した新田義貞の兜を奉納することとなり,その是非をめぐって師直は若狭助に恥辱を与えるとともに,兜の鑑定に召された判官の妻かほよ(顔世)御前に懸想して付け文を送り口説く。(2)第二(諫言の寝刃) 若狭助は,師直から受けた数々の恥辱に憤懣やるかたなく,ついに師直を討ち果たそうと決意する。それを知った家老加古川本蔵は,主人の危機を未然に防ぐべく,師直のもとに赴く。(3)第三(恋歌の意趣) 本蔵から膨大な賄賂を贈られた師直は,若狭助に対する態度を改め,逆に,かほよからてきびしくはねつけられた恨みを判官に向け,散々に辱める。判官は堪えかねて師直に切りつけるが,本蔵に抱きとめられて浅傷(あさで)を負わせたにとどまる。殿中で刃傷したとがによって屋敷は閉門,判官は網乗物で帰邸。その間,主人の大事も知らずに腰元おかると逢瀬を楽しんでいた供の早野勘平は,おかるの勧めに従ってその場を立ち退く。(4)第四(来世の忠義) 判官は切腹を命じられ,従容として死の座につく。駆けつけた国家老大星由良助は,形見の短刀を握りしめ,〈鬱憤を晴らさせよ〉という判官の遺言を胸に刻んで復讐を誓い,忠義の志厚い人々に決意を披瀝して,館を去る。(5)第五(恩愛の二玉) 猟師となった勘平は,偶然千崎弥五郎に出会い,仇討の企てを知って,御用金の工面を約束する。一方,勘平を再び世に出そうと,おかるは祇園の廓に身を売り,その半金五十両を入れた縞の財布を持って,父親与市兵衛が帰ってくる。不義士で山賊に落ちぶれた斧定九郎は,与市兵衛を刺し殺して金を奪うが,勘平の鉄砲に撃たれて死ぬ。勘平はその懐から財布を取って道を急ぐ。(6)第六(財布の連判) おかるを連れにきた一文字屋の亭主の話から,勘平は,自分が与市兵衛を殺したものと思い込み,姑もまた勘平を責める。訪れた千崎と原郷右衛門は勘平に詰め腹を切らせるが,勘平の述懐から死骸の傷口を改め,すべてが誤解であったと知り,勘平を仇討の連判に加える。(7)第七(大尽の鈷刀(さびがたな)) 祇園一力で遊興する由良助のもとに,嫡子力弥がかほよの密書を届ける。それを盗み読んだのが,おかると,師直に内通する不義士の斧九太夫。おかるを身請して口をふさごうという由良助の心を察したおかるの兄寺岡平右衛門は,おかるを我が手にかけ,それを手柄に連判の数に入れてもらおうとおかるを説得,おかるも父と夫の死を知って,命を捨てようと決意する。二人の心底を見届けた由良助は,平右衛門に仇討の供を許し,おかるの手に刀を持たせて床下に潜む九太夫を刺させる。(8)第八(道行旅路の嫁入) 本蔵の娘小浪は,母となせに連れられて,許嫁の力弥のもとへと急ぐ。(9)第九(山科の雪転(ゆきこかし)) 二人を迎えた由良助の妻お石は,本蔵が抱きとめたばかりに師直を切り損ね,切腹して果てた判官の無念を思えば,その本蔵の娘を嫁にはとられぬ。それをあえて嫁にするからには,本蔵の首を婿引出にもらいたいと主張。そこへ本蔵が訪れ,わざと力弥の手にかかり,引出物の目録代りと師直邸の絵図を由良助に渡す。(10)第十(発足の櫛) 夜討の支度いっさいを頼まれた天河屋義平は俠気のある商人。秘密の漏れぬようにと奉公人には暇を出し,妻おそのをも親里に帰すのみならず,九太夫につながる舅に疑いを抱かすまいと,去り状まで書く。夫婦の心を知る由良助は,おそのの髪を切らせ,自分たちが本望をとげた後,再び結ばれるようにと諭し,天河屋の屋号を合言葉に定めて出立する。(11)第十一(合印の忍兜) 義士たちは師直を討ってその首を判官の位牌に手向け,焼香。駆けつけた若狭助の勧めに応じて,菩提所光明寺に引き揚げることとする。
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