阿波鳴門物
あわのなるともの
人形浄瑠璃・歌舞伎の一系統。夕霧伊左衛門の情話に、阿波のお家騒動や阿波十郎兵衛の伝説をからませたもの。延宝六(1678)年一月六日、二七歳で没した大坂新町扇屋の遊女夕霧と、その馴染客藤屋伊左衛門との恋愛を脚色した戯曲は多く〈夕霧伊左衛門物〉と呼ばれる。夕霧に執心した客に大坂の阿波屋某がいた。この実説の〈阿波の大尽〉にヒントを得て、夕霧伊左衛門劇は、阿波のお家騒動や、放蕩 して盗賊となり巡礼を殺したという阿波十郎兵衛の伝説などと結びつく。これらを総称して阿波鳴門物というが、広義には、夕霧伊左衛門物として扱うこともできる。阿波鳴門物は、主として構成の複雑さ、筋の錯綜した展開を眼目とする人形浄瑠璃において展開をみせた。それに対して、夕霧伊左衛門物は、歌舞伎の特色である傾城買 狂言として発展した。相異なった二要素が、人形浄瑠璃と歌舞伎の枠をこえて重層・交流するところに、夕霧伊左衛門物、阿波鳴門物の面白さがある。
最初は正徳二(1712)年春、大坂・竹本座初演の《夕霧阿波鳴渡》。近松門左衛門作。世話物。三段。夕霧の三五回忌追善曲。夕霧と伊左衛門とのあいだの子を、阿波の武士平岡左近の妻が引き取ろうとするが、左近は断る。夕霧は病重く、伊左衛門の母によって身請される。この改作、影響作に、寛延四(1751)年《浪花文章夕霧塚 》、明和五(1768)年《傾城阿波の鳴門》や、寛政五(1793)年の初演と思われる《廓文章 》(初演の名題《曲輪》)などがある。豊後節の《夕霧阿波鳴渡》は、近松原作の上巻〈吉田屋〉によったもの。《傾城阿波の鳴門》は、夕霧・伊左衛門の筋に、阿波玉木家のお家騒動と十郎兵衛をからませたもので、この系統の代表作。十郎兵衛が、わが子と知らずに巡礼おつるを殺す八段目の〈巡礼歌の段〉が優れている。新内節の《阿波の鳴門》は、〈巡礼歌の段〉の転用。天保期(1830‐1844)の成立か。
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