1. 河原者
日本大百科全書
背景にしていろいろな特権を得て、とくに諸種の芸能の勧進かんじん興行は河原で催されることが多かったので、河原者がその支配権を握り、説経、浄瑠璃じょうるり、操り、か
2. 河原者
世界大百科事典
種類にわたっていたが,室町時代末期には作庭にすぐれた才能を持つ河原者が輩出したことが知られている。著名な京都竜安寺の石庭も,河原者の創造であったとされる。近世に
3. かわら‐もの[かはら‥]【河原者】
日本国語大辞典
下
河原者了」*親元日記‐寛正六年〔1465〕一二月二日「典薬頭御胞衣を蔵申候、土を懸そめて、
河原者うつみ終て上に松
4. かわらもの【河原者】
国史大辞典
府へ訴えられた「河原者小五郎子」について、特に河原者だからということで法的に過当なあつかいをうけた気配はない。近世に入ると河原者の生業はそれぞれ個別の職業に分散
5. 河原者(かわらもの)
古事類苑
政治部 洋巻 第3巻 874ページ
6. かわらもの【河原者】
歌舞伎事典
実にさまざまの種類にわたっていたが、室町時代末期には作庭にすぐれた才能をもつ河原者が輩出したことが知られている。著名な京都龍安寺の石庭も、河原者の創造であったと
7. よしまさとかわらもの【義政と河原者】 : 東山文化
国史大辞典
〔義政と河原者〕 さきにもふれたように東山殿はその資質により、河原者善阿弥にも行き届いた愛情をもって遇し、庭園芸術の完成に協力を惜しまなかったが、そのような「
8. 河原者
古事類苑
政治部 洋巻 第3巻 967ページ
9. 河原者
古事類苑
武技部 洋巻 第1巻 667ページ
10. 河原者
古事類苑
樂舞部 洋巻 第2巻 155ページ
11. あいぞめや【藍染屋】
国史大辞典
京都の九条座など、座の結成も見られる。その際、淀川・鴨川などの河原に集団的に居住することもあり、河原者・坂の者と同一視される場合もあった。『雍州府志』に「如
12. あしかがよしまさ【足利義政】画像
国史大辞典
東山山荘その他を造営したことが刺激となって、建築技術が進歩し書院造が発生し、ことに彼が庭園に執心し河原者善阿弥らを寵用し自由に手腕をふるわせたので造庭術が大いに
13. 足利義政[文献目録]
日本人物文献目録
1‐2』芳賀幸四郎『足利義政の政治と女性』三浦周行『足利義政の像』-『足利義政の内閨』黙雷『将軍義政と河原者善阿弥』芳賀幸四郎『定家卿及義政将軍墓改葬記実 附義
14. いしやまほんがんじあと【石山本願寺跡】大阪府:大阪市/東区地図
日本歴史地名大系
また坂東屋・戻屋・平野屋・荒川屋・木村屋・木津屋・大文字屋などの屋号を有する商人であって、その他河原者や国人領主の被官などの名もみえ、中世末期の諸種の身分の人々
15. いぬおうもの【犬追物】
国史大辞典
呼ぶ晴儀には鬮振(くじふり)・鉦打(かねうち)・射手奉行・馬場奉行が参加し、馬場内外の雑用に河原者二百人を配置した。馬場は七十杖(弦をはずした弓の長さを一杖とす
16. いぬ‐はなし【犬放】
日本国語大辞典
直垂に大帷を重、袴にくくりを可
入、
河原者手より犬を執て、検見を後になし、右方へ見返て御犬にげ候と申也」*犬追物之式〔1747〕(古事類
17. えた
国史大辞典
のちには河原の住民を意味する「河原者」と同意義になっていったことがわかる。それ以前の十三、四世紀には『天狗草紙』『師守記』などに「穢多」の文字がみえるにすぎない
18. えた[ゑた]【穢多】
日本国語大辞典
了」*文明本節用集〔室町中〕「穢多 ヱタ 屠児河原者」(2)江戸時代、幕藩体制の民衆支配の一環として、非人とともに士農工商より下位の身分に置かれ、過酷な差別
19. えった[ゑった]【穢多】
日本国語大辞典
ぞ」*運歩色葉集〔1548〕「穢多 ヱッタ 屠児」*天正本節用集〔1590〕「穢多 エッタ 河原者」*羅葡日辞書〔1595〕「Alutarius 〈略〉yett
20. 演劇
日本大百科全書
プラトンの憂いにも一理あるわけで、歌舞伎が徳川幕府に遊廓ゆうかくと並ぶ悪所として取り締まられ、役者や作者は河原者として低い地位に置かれたこと、また大正から昭和前
21. 甲子夜話 1 12ページ
東洋文庫
あらはせしと云〕。小なる別荘を本庄の地に補理して住り。御放鷹杯此辺に御成あるときは、人に言て日、河原者の身として、御通路の傍に居ること畏憚るべきこと也連、その日
22. 甲子夜話 1 104ページ
東洋文庫
れば、幼時のことゆゑ恐ろしくなりて住居に立還り、後は不レ知。〔量〕 享保中、御医師望月三英、河原者の市川団十郎が重病を治療し、効験ありしとて人々沙汰せしを、橘収
23. 甲子夜話 1 142ページ
東洋文庫
し所なり。時に傍に勝与八郎居て云。平家をかたるも、能役者には検校等伝へずと。是も始て聞たり。河原者を賎しめる古風の遺なり。〔…〕 予が竪士に越前生れのものあり。
24. 甲子夜話 4 38ページ
東洋文庫
或人のもとに出入大工の歎息して話せしと聞く。吉原町焼後の造作、都下のよろしき大工ども争て銘々作事す。昔は河原者の住る賎き生業の家作はすまじきこととて、相応に富る
25. 甲子夜話 6 169ページ
東洋文庫
俳諧、碁、将棊等の遊びの業有レ之、今にては御籏本に似合ざる、専ら三味線をひき浄瑠理をかたり、又は河原者の真似をいたす族も間々有レ之由、是皆本妻といふものなく召仕
26. 甲子夜話三篇 1 14ページ
東洋文庫
折節御役者どもも来りて、酒席へ出て取持せしが、或坐の大夫を本庄頻に罵りて、汝等はこの席へ出る者に非ず。河原者なれば我が中間よりも遥に下りたる輩なり◎我が中間と云
27. 甲子夜話三篇 3 282ページ
東洋文庫
或は揚屋、茶屋へ大名の家来を誘引参り、高価の酒を湯水を呑も同様に致し、此難渋の時節絹服をまとひ、河原者、妓女共を迎へ、平常同様之遊楽に耽り候は何等の事に侯哉。紺
28. 甲子夜話続篇 2 227ページ
東洋文庫
同姓なればとて、此川勝家の女を、不可院と号せし左近、迎へて妻とせしと、今の左衛門語れり。能役者は河原者ゆゑ、他と縁辺することならず。然るときは同姓のゆゑを以てな
29. 甲子夜話続篇 4 37ページ
東洋文庫
或は連歌、俳諧、碁将棋等の遊びわざ有レ之候処、御籏本に似合ざる三絃を弾き、浄瑠璃をかたり、かうじては河原者の真似をいたす族も間々有レ之候由。是皆本妻といふ者なく
30. 歌舞伎画像
世界大百科事典
った。したがって,俳優が歌舞伎の構造の上に占める位置はきわめて大きかった。しかし,社会的には河原者,河原乞食などと呼ばれ,士農工商の四民以下に属させられていた。
31. 歌舞伎(演劇)画像
日本大百科全書
うかがえる。河竹登志夫俳優とくに歌舞伎では、役者すなわち俳優の比重が非常に大きい。社会的には河原者かわらもの、河原乞食こじきとよばれ、士農工商の下に甘んじたが、
32. 皮/革画像
世界大百科事典
来の官営工房から流出した技術者たちがその技能をもって荘園領主に抱えられたり,技能を受けついだ河原者たちが斃牛馬(たおれぎゆうば)の解体処理を生業の一環としたりし
33. 皮多
日本大百科全書
馬具の必要性によって、集団的、地域的に編成、把握され、製品の上納義務を負わされた。畿内きないとその周辺では、河原者かわらものなどが皮多として把握され、「きよめ」
34. 河原
世界大百科事典
もって知られる集団が現れ,禁裏河原者,公方御庭者などとして,給恩の土地を保証されて百姓から白砂・夫役を弁済させるような特権を持つ人もあった。善阿弥もその一人であ
35. かわら[かはら]【河原・川原】
日本国語大辞典
ゑらい軽業師なア。河原へ出して曲馬の小芝居さしたら、いんつうてまへるであろぞい」(3)「かわらもの(河原者)(1)」の略。*蔭凉軒日録‐文正元年〔1466〕正月
36. かわら‐かぶきこ[かはら‥]【河原歌舞伎子】
日本国語大辞典
〔名〕「かわらもの(河原者)(2)」に同じ。*仮名草子・似我蜂物語〔1661〕中「今の都のはやり物、河原(カハラ)かぶき子、いらぼの茶わん、をれがきままのくまで
37. かわら‐こじき[かはら‥]【河原乞食・川原乞食】
日本国語大辞典
〔名〕(初め京都の四条河原で興行したところから)歌舞伎役者を卑しめていった語。河原者。*雑俳・西国船〔1702〕「ふしぎやな・川原乞食にあたる風」*譬喩尽〔17
38. かわら の 者(もの)
日本国語大辞典
「かわらもの(河原者)(2)」に同じ。*わらんべ草〔1660〕三「かはらの者とはかくべつたるべし、しからば能もかはらものに成べし」[辞書]下学・文明・黒本・日葡
39. かわら の 役者(やくしゃ)
日本国語大辞典
(江戸時代、京都賀茂川の四条河原に芝居小屋があったところから)京都の歌舞伎役者。河原者。*浮世草子・俗つれづれ〔1695〕三・二「おのおの河原(かハラ)の役者ま
40. かわら‐ぶし[かはら‥]【河原節】
日本国語大辞典
〔名〕(河原者がうたった歌の意)江戸時代、京都賀茂川の河原にいた人々の間からおこった歌謡を軽蔑(けいべつ)の意で名づけたもの。*増補江戸咄〔1694〕六・一「四
41. かわら‐やくしゃ[かはら‥]【河原役者】
日本国語大辞典
〔名〕「かわらもの(河原者)(2)」に同じ。*浮世草子・嵐無常物語〔1688〕上・一「嵐三右衛門は古今かはら役者(ヤクシャ)のまれもの」[発音]
42. かんべのしょう・かんべごう【神戸庄・神戸郷】兵庫県:宍粟郡/一宮町
日本歴史地名大系
有している。「蔭涼軒日録」明応二年(一四九三)五月二三日条には「中村・皆木・大河原者兄弟三人之流也、皆木者号中村、大河原者不号中村」とあり、中村二家と大河原家の
43. きたやまぶんか【北山文化】
国史大辞典
然観や世界観を表わしたものとして枯山水の庭園がつくられ、夢窓疎石のような石立僧やすぐれた山水河原者が現われた。唐物唐絵に対する関心は将軍家の場合、能阿弥・芸阿弥
44. 近世説美少年録 165ページ
日本古典文学全集
、「私は数年来、陶瀬十郎に恨みがあります。まず、その理由を申し上げましょう。末松木偶介という河原者は、笠屋夏の夫で、私の親の亀六の借家におります。ところが、御家
45. 小法師
日本大百科全書
禁裏きんり御所の庭園の清掃、植樹、庭木の手入れなどに使役された賤民をいう。中世末には御庭者おにわもの、河原者と表記された例があり、荼毘だびのことにもかかわってい
46. こぼうし【小法師】
国史大辞典
記録には、河原者と肩書きされて二名の小法師が現われている(『言継卿記』)。かれこれ考えあわせてみると、賤民としての小法師の主たる部分は禁裏御所の庭のことに従事し
47. ごけんちゃや【五軒茶屋】宮城県:仙台市/仙台城下/河原町
日本歴史地名大系
、対橋楼・観水楼の名は四代綱村が与えたものと伝える。当地西方の新河原町裏通りの広瀬川沿いには河原者が住し、芝居・軽業・手品などの芸を荒町以南に限って行い、その北
48. 細工
世界大百科事典
課役として負う〈細工座〉があり,板金剛座とも〈両座ノエムタ〉とも呼ばれ,〈上利は河原者の沙汰〉といわれている点から,この細工が河原者に重なることはまちがいない(
49. さむらいどころ【侍所】画像
国史大辞典
その末端構成員の多くは、解体した旧検非違使庁の下部の系譜をひく者や侍所の支配下にあった雑色四座、および散所・河原者などとのつながりが考えられる。中期における室町
50. さるひきちょう【猿牽丁】宮城県:仙台市/仙台城下
日本歴史地名大系
と記す。「仙台鹿の子」に猿引小路とあり、町名は猿引が住したことに由来するという。毎年一月には河原者らの田植踊・大黒舞などが練り歩くが、当町の猿引も加わった。なお