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  11. 江戸っ子

江戸っ子

ジャパンナレッジで閲覧できる『江戸っ子』の改訂新版・世界大百科事典のサンプルページ

江戸っ子
えどっこ

都市江戸で生まれ育った,きっすいの江戸の人の意。根生いの江戸住民であることを自負・強調する際に多く用いられた。それも武士ではなく,おもに町人の場合である。江戸っ子は,物事にこだわらず金ばなれがよく,意地と張りを本領とし正義感が強かったが,反面,けんかっ早くて軽率だといわれた。江戸っ子といった場合,江戸者,江戸生れ,江戸人,江戸衆などというより,もっと根生いの江戸住民であることを強調する言葉としての響きが強い。

田沼時代に登場

このような江戸っ子意識は,近世前期にはない。江戸っ子という言葉の文献上の初見は意外に遅く,管見の範囲では1771年(明和8)の川柳〈江戸ッ子のわらんじをはくらんがしさ〉である。ついで73年(安永2)の川柳〈江戸ッ子の生(うまれ)そこない金をもち〉,同じく〈江戸ッ子にしてはと綱はほめられる〉などがある。このほか洒落本にも,77年の《中洲雀(なかずすずめ)》に江戸っ子がみえ,84年(天明4)の《彙軌本紀序(いきほんぎじよ)》には,〈大金ヲ費スコト小銭ヲ遣フガ若(ごと)シト。是東都子(えどつこ)ノ気情ヲ顕ハス〉とある。すなわち江戸っ子という言葉は,18世紀後半の田沼時代になってはじめて登場してくる。江戸っ子意識とか江戸っ子気質といわれるものも,ほぼこの時期に成立したのであろう。

二つの成立契機

なぜ田沼時代に江戸っ子意識が成立したのであろうか。それには二つの契機が考えられる。一つは,この時期は経済的な変動が激しく,江戸町人のなかには金持ちにのしあがる者と,没落して貧乏人になる者との交代が顕著にみられた。おそらく,この没落しつつある江戸町人の危機意識の拠りどころ=精神的支柱として,江戸っ子意識は成立したといえよう。1783年の川柳にも〈江戸ッ子の妙(たえ)は身代(しんだい)つぶすなり〉とある。江戸っ子意識には,一流町人としてのかつての栄光に誇りをもつ意地と張りがみなぎっていた。しかもこの時期には,江戸に支店をもつ上方の大商人たちが大いに金をもうけ,江戸経済界を牛耳っていたので,とくに経済的に没落しつつあるような江戸町人にとって,〈上方者〉への反発は大きかった。そこに金ばなれのよい気風のよさを強調する,江戸っ子意識が成立する背景があった。〈江戸っ子は宵越しの銭を持たねえ〉と突っ張るのも,金もうけの上手な上方者に対する経済的劣等感の,裏返し的な強がりとみられる。しかし政治の中心都市であり,人口100万余の大消費都市江戸には,働きさえすれば金のもうけ口はいくらでもあり,食べていくのに事欠かないという,江戸っ子なりの経済的自信もあったのである。

江戸っ子意識が18世紀後半に成立したもう一つの契機は,重い年貢や小作料の収奪に苦しみ,農村では食べていけなくなった貧農たちが,この時期にいまだかつてないほど大量に江戸へ流入したことである。そのため江戸には,田舎生れが大勢生活するようになった。しかもこれら〈田舎者〉が,江戸者ぶりをひけらかすことに対して,江戸生れどうしの強烈な〈みうち〉意識が芽生え,やがてこの面からも江戸っ子意識の成立が促されたといえよう。1787年の洒落本《通言総籬(つうげんそうまがき)》に,〈金の魚虎(しやちほこ)をにらんで,水道の水を産湯に浴て,御膝元に生れ出ては,拝搗(おがみづき)の米を喰て,乳母日傘にて長(ひととなり)(中略),本町の角屋敷をなげて大門を打は,人の心の花にぞありける。江戸っ子の根生骨,万事に渡る日本ばしの真中から〉とある。作者の山東京伝は,江戸っ子の典型を,将軍のお膝元しかも下町の中心街に生まれ育った粋な町人とすることにより,はっきりと〈田舎者〉の野暮に対置している。さらに,一等地にある屋敷を売り払っても吉原を総揚げするという,金ばなれのよさや尻の穴の大きさに江戸っ子の典型をみることにより,明らかに〈上方贅六(ぜいろく)〉のけちとも対置している。

江戸っ子意識の変容

18世紀後半の江戸社会の変質を契機として成立した江戸っ子意識は,やがて19世紀前半の文化・文政期には,さらにひろく江戸の下層社会にまで浸透した。そして〈おらァ江戸っ子だ〉などと,江戸生れをやたらに自慢する者が多くなった。幕末期に西沢一鳳が著した《皇都午睡》には,〈二親共に江戸産れの中に出来たは真の江戸子なれど(中略),二親の内何れぞ江戸の者なれば,相手は皆他国の者也。然れば大方が斑(まだら)といふ者にて,江戸子一歩,斑三歩,残り六歩は皆他国在郷ものゝ寄合の中にて江戸へ出会して出生せしなれば,やはり田舎子也。それが生長すると,おらァ江戸子だ江戸子だといふから,イヤハヤ何とも詞なし〉とある。たとえ本人は江戸生れでも,片親ないしは両親が他国生れの場合は,本当の江戸っ子ではないときめつけている。

明治期に入り江戸は東京となったが,江戸っ子意識は形をかえて再びよみがえった。一つは,東京の山手(やまのて)に他県より来住した官吏や知識人に対して,下町の根生いの住民がもった反感や抵抗感から生まれた,いわば伝統的な町人型の江戸っ子意識である。もう一つは,薩長の藩閥政府に対する旧幕臣らの批判意識であり,明治20-30年代にさかんに江戸っ子の復権が叫ばれた。1899年には《江戸ッ子新聞》が創刊され,主として旧旗本らが健筆をふるい,義俠心に富む江戸っ子魂の再興を主張した。いわば武士型江戸っ子である。しかし江戸っ子意識は,前者の下町庶民の中に東京っ子の代名詞という形で,深くうけつがれていった。
→江戸 →町人
[竹内 誠]

[索引語]
町人 江戸者 田沼時代 上方者 田舎者 通言総籬(つうげんそうまがき) 山東京伝 上方贅六 西沢一鳳 江戸ッ子新聞
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10. えどっこ‐ぎ【江戸子気】
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11. 江戸っ子侍
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日本国語大辞典
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15. 江戸っ子「みこしー」
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17. あずまっ‐こ【東っ子】
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18. あずまっ‐こ[あづまっ:]【東子】
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19. ありがた‐さ【有難─】
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20. あんどう‐つるお【安藤鶴夫】
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32. うぬ‐ぼ・れる【自惚・己惚】
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33. うまれ‐おち【生まれ落ち】
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39. えど‐かたぎ【江戸気質】
日本国語大辞典
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40. えどざ【江戸座】
国史大辞典
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日本国語大辞典
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46. えどっこ は 宵越(よいご)しの銭(ぜに)は=使(つか)わぬ[=持(も)たぬ]
日本国語大辞典
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48. えど の 水(みず)
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