1. ことぶき‐きょうげん[‥キャウゲン]【寿狂言】
日本国語大辞典
市村座の「海道下り」、森田座の「仏舎利」などをいう。*三座家狂言并由緒書〔1819〕「豪家へ寿狂言御見物を願ふしるしと袴羽折にて摺物を配りければ江戸一般の大評判
2. 寿狂言
世界大百科事典
く,各座では,由緒正しい家を誇り格式を重んじて,家の狂言を制定し記念劇として上演した。それが寿狂言で,中村座の《猿若》《新発意太鼓(しんぽちたいこ)》《門松》,
3. ことぶききょうげん【寿狂言】
国史大辞典
)には長い伝統があり、開場当時好評を得た当り狂言を記念劇として儀式的に扱うようになり、これを寿狂言または家狂言と称した。これらはその座の記念的な興行、たとえば創
4. ことぶききょうげん【寿狂言】
歌舞伎事典
、各座では、由緒正しい家を誇り格式を重んじて、家の狂言を制定し、記念劇として上演した。それが寿狂言で、中村座の《猿若》《新発意太鼓(しんぼちたいこ)》《門松》、
5. 寿狂言披露口上(著作ID:4364947)
新日本古典籍データベース
ことぶききょうげんひろうこうじょう 鸚鵡石
6. 家狂言
世界大百科事典
→寿狂言(ことぶききょうげん)
7. いえきょうげん【家狂言】
歌舞伎事典
寿狂言(ことぶききょうげん)
8. 江戸繁昌記 1 258ページ
東洋文庫
聞えないため、俗にこの称があった (九)金磨『三座家狂言井由緒書』(作者不明)に、文化元年「寿狂言之図」を附載し、「文化元年四月廿日ヨリ三日ヵ間拝受之品披露」と
9. 海道下り
世界大百科事典
1)ころ江戸村山座に下ってこの舞で評判をとったと伝えられる。のち,村山座の後身である市村座の寿狂言(家狂言)として《海道下り》が定められるが,右近源左衛門が村山
10. かいどうくだり【海道下り】
歌舞伎事典
慶安一(1648)年ごろ江戸・村山座に下ってこの舞で評判をとったと伝えられる。のち、村山座の後身である市村座の寿狂言(家狂言)として《海道下り》が定められるが、
11. 金井三笑
世界大百科事典
界の表面から姿を消し,市村座の親類として陰で作者を支配した。86年(天明6)中村座の寿興行(寿狂言)を機に3世大谷広次・3世沢村宗十郎・3世市川八百蔵・尾上松助
12. かぶきじゅうはちばん【歌舞伎十八番】
国史大辞典
出したのに始まる。天保三年三月、市村座で、七代目が四度目の『助六』を上演した際には「市川海老蔵流寿狂言十八番の内」と称した。その特色は、いずれも市川家の創演とさ
13. きねや-きさぶろう【杵屋喜三郎(6代)】
日本人名大辞典
方。杵屋宗家6代。享保(きょうほう)8年江戸中村座の猿若勘三郎百年忌(猿若座創立100年目)寿狂言「猿若」「新発意太鼓(しんぽちだいこ)」を子の喜三郎(宗家7代
14. きねや-きさぶろう【杵屋喜三郎(7代)】
日本人名大辞典
江戸時代中期の長唄三味線方。杵屋宗家6代喜三郎の子。宗家7代。享保(きょうほう)8年の江戸中村座の寿狂言「猿若」「新発意太鼓(しんぽちだいこ)」を父とともにつと
15. 杵屋六左衛門
世界大百科事典
-1713(正徳3)) 3代勘五郎の実子,前名喜三郎。1684年(貞享1),江戸の中村座における初めての寿狂言に父,弟とともに出演する。また桐長桐(きりちようき
16. きねやろくざえもん【杵屋六左衛門】
歌舞伎事典
‐1713? 三代勘五郎の実子、前名喜三郎。貞享一(1684)年、江戸・中村座における初めての寿狂言に父・弟とともに出演する。また桐長(きりちょう)桐座の脇狂言
17. ことぶき‐こうぎょう[‥コウギャウ]【寿興行】
日本国語大辞典
〔名〕江戸時代、江戸の歌舞伎三座、中村、市村、森田の各座で座の創立を記念して行なわれた特別興行で、
寿狂言が上演された。[発音]コトブキコー
ョー
18. さるわか【猿若】画像
日本国語大辞典
諸種の演目があったが伝わらず寛永(一六二四~四四)頃に初代中村(猿若)勘三郎が創始し、猿若座(中村座)の寿狂言または家狂言として伝えられた「猿若」は、歌舞伎最古
19. さるわか【猿若】画像
国史大辞典
(二) 道化役の猿若を主人公にして仕組んだ、初期の歌舞伎狂言。江戸の猿若(中村)勘三郎座が、寿狂言あるいは家の狂言と称して大切に伝承してきた台本(『三座家狂言并
20. さるわか【猿若】 : 猿若/(二)
国史大辞典
(二) 道化役の猿若を主人公にして仕組んだ、初期の歌舞伎狂言。江戸の猿若(中村)勘三郎座が、寿狂言あるいは家の狂言と称して大切に伝承してきた台本(『三座家狂言并
21. ざつき‐きょうげん[‥キャウゲン]【座付狂言】
日本国語大辞典
〔名〕(1)特定の劇場で由緒あるものとして演じられる吉例の歌舞伎狂言。寿狂言、脇狂言など。(2)京阪の歌舞伎の顔見世興行の際に、新加入の役者を見物にひきあわせる
22. しんぼち‐だいこ【新発意太鼓】
日本国語大辞典
意太鼓(シンボチダイコ)の狂言師にゆづり」【二】江戸時代、若衆歌舞伎の頃に初演された中村座の寿狂言。太鼓を盗もうとした盗人が、新発意を欺いて酒を飲ませ、衣を盗ん
23. 助六由縁江戸桜
世界大百科事典
れが狂言名題としてほぼ固定した。洗練を重ね,7世団十郎の4度目の上演のとき(1832年),〈寿狂言十八番の内〉と記して,団十郎家の〈家の芸〉として完成した。 助
24. すけろくゆかりのえどざくら【助六由縁江戸桜】
歌舞伎事典
明治以降はこれが狂言名題としてほぼ固定した。洗練を重ね、七世団十郎の四度目の上演のとき(天保三年)、「寿狂言十八番の内」と記して、団十郎家の〈家の芸〉として完成
25. 増訂 武江年表 1 126ページ
東洋文庫
西北風烈しく、芝西の久保迄焼くる。武家方町屋類焼啓し。○二月十五日より三日の間、中村勘三郎芝居百年の寿狂言、新発意太鼓、猿若大名等を興行す。○二月二十二日、佐々
26. 増訂 武江年表 1 147ページ
東洋文庫
○同月より浅草寺内松尾明神開帳。○二月十五日より三日の間、中村勘三郎芝居興行の初年より、百二十一年の寿狂言興行。○矢口新田神廟の碑を立て、南郭、文を撰す。〇四月
27. 増訂 武江年表 2 30ページ
東洋文庫
妻恋稲荷明神開帳。O同日よわ浅草清水寺観世音開帳。〇四月二十日より三日の闇十一代目中村勘三郎座にて寿狂言興行(寛永元年士り八十一年めなり)。○〔笏補〕五月十六日
28. 増訂 武江年表 2 48ページ
東洋文庫
七十にみとせの花を咲そへてまたな瓦そぢの目をながめん〇五月二十日より五日の問、九代目森田勘弥寿狂言興行。〇五月二十日、狂歌師手柄岡持卒す(七十九歳。平沢氏、名常
29. 増訂 武江年表 2 60ページ
東洋文庫
寅薬師縁起の説妄誕笑ふべし。寅やく一の事「嬉遊笑覧」にいへり。〇五月五日より十日零で、葺屋町都伝内芝居にて、寿狂言興行。○〔箱棟五月十四日、相模浦賀へ諸厄利亜船
30. 増訂 武江年表 2 72ページ
東洋文庫
(六十二歳、名質、称健蔵)。∩四月十七日より三日の間、中村勘三郎寛永の初興粁より、二百年目の寿狂言興行。〇四月五月早天、訴月下旬より霧雨。〇五月より回向院にて、
31. 増訂 武江年表 2 122ページ
東洋文庫
千住宿二丁目より出火、五丁目まで博くる。去年焼け残りし処なり。○同十七日より七目の間、十三代目中村勘三郎代替り寿狂言興行。○同十七日夜、北品川(東海寺)、山上牛
32. 増訂 武江年表 2 124ページ
東洋文庫
○〔無補〕正月十四日より十七日迄降雪。○同十九日より十日の間、狂言座十三代目市村羽左衛門、析之丞と改名、相続き寿狂言興行。○春より所々に芋居興行あり。谷中惣持院
33. 増訂 武江年表 2 202ページ
東洋文庫
通ぜしめられ又飛鳥山の下に反射炉錐台を建築あり。〇九月十日より十日の間、猿若町一丁目中村勘三郎が芝居寿狂言興行す(去年六十一年目に当るを延ばしたるなり)。○同十
34. 増訂 武江年表 2 34ページ
東洋文庫
豆一238結城座 ∬一219九代森田勘弥寿狂言 ∬一48竹之丞相続寿狂言 皿一124都伝内 1-33,豆一60中村座寿狂言
35. 道行
世界大百科事典
言葉である。歌舞伎ではその初期の時代に右近源左衛門が《海道下り》を得意とし,のちに市村座の〈寿狂言〉として伝えられた。また〈道行事〉は元禄期(1688-1704
36. みちゆき【道行】
歌舞伎事典
言葉である。歌舞伎ではその初期の時代に右近源左衛門が《海道下り》を得意とし、のちに市村座の〈寿狂言〉として伝えられた。〈道行事〉は元禄期(1688‐1704)以
37. わき‐きょうげん[‥キャウゲン]【脇狂言】
日本国語大辞典
言。後には、顔見世や正月元日などに儀礼的に演じられた。江戸三座では各座別に特有の狂言があり、寿狂言と称した。前狂言。*浮世草子・嵐無常物語〔1688〕上・一「脇