NHK大河ドラマ「光る君へ」特集
ジャパンナレッジは約1900冊以上の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のオンライン辞書・事典・叢書」サービスです。
➞ジャパンナレッジについて詳しく見る
  1. トップページ
  2. >
  3. カテゴリ一覧
  4. >
  5. 歴史
  6. >
  7. 歴史上の人物
  8. >
  9. 日本史上の人物
  10. >
  11. 沖田総司

沖田総司

ジャパンナレッジで閲覧できる『沖田総司』の日本架空伝承人名事典・日本大百科全書・世界大百科事典のサンプルページ

新版 日本架空伝承人名事典

沖田総司
おきたそうじ
1844‐68(弘化1‐明治1)
 新撰組隊士。白河藩士の子として生まれる。天然理心流近藤周助の試衛館で剣を学び、同門の近藤勇とともに、新撰組に加わった。剣の才能は抜群であったものの、結核を患い、池田屋事件では、近藤らとともにわずか五名で、一番先に斬り込んだが、喀血して昏倒した。鳥羽・伏見の戦に敗れてのち江戸へ帰り、一八六八年肺結核のために、わずか二五歳でその生涯を閉じた。
 若くして病のために死んだ総司は、悲劇の天才剣士として語り継がれていたが、とくに司馬遼太郎原作の『新撰組血風録』『燃えよ剣』がテレビドラマ化され、総司の役を島田順司が演じて以来、眉目秀麗な美青年剣士(実在の総司はヒラメのような男であったといわれるが)として、女性たちの間で圧倒的な人気を博するようになる。東京元麻布の専称寺にある総司の墓には供花が絶えない。
[菊池 道人]


日本大百科全書(ニッポニカ)

沖田総司
おきたそうじ
[1842/1844―1868]

幕末の新選組隊士。父勝次郎は江戸詰の白河 (しらかわ)藩士で、総司2歳のとき死去。江戸・市ヶ谷の近藤周助(勇 (いさみ)の養父)の内弟子となり、天然理心流を学び剣技に優れた。のち塾頭となり、多摩郡に出稽古 (でげいこ)に歩いた。1863年(文久3)2月に近藤勇らと上洛 (じょうらく)し新選組副長助勤、のち一番隊組長。64年(元治1)池田屋事件では目覚ましい働きをした。新選組幹部として活躍したが、67年(慶応3)ごろより肺病が進み、慶応 (けいおう)4年5月30日没。墓は東京都港区元麻布の専称寺にある。

[小島政孝]



世界大百科事典

沖田総司
おきたそうじ
1844-68(弘化1-明治1)

新撰組隊士。陸奥白河藩士の子に生まれたが,数え2歳で父が死亡し,姉が沖田家を継いだ。天然理心流近藤周助の試衛館に入り,近藤勇とは同門。卓越した剣の使い手として知られ,1863年(文久3)京都で結成された新撰組の有力隊士となる。翌年6月の池田屋事件のとき喀血して昏倒したが,その後も一番隊長を務めた。鳥羽・伏見の戦後に江戸へ帰るが,悪化した肺患のため死去した。
[高木 俊輔]

上記は、日本最大級のオンライン辞書・事典・叢書サービス「ジャパンナレッジ」のサンプル記事です。

ジャパンナレッジは、自分だけの専用図書館。
すべての辞書・事典・叢書が一括検索できるので、調査時間が大幅に短縮され、なおかつ充実した検索機能により、紙の辞書ではたどり着けなかった思わぬ発見も。
パソコン・タブレット・スマホからご利用できます。


沖田総司の関連キーワードで検索すると・・・
検索ヒット数 26
※検索結果は本ページの作成時点のものであり、実際の検索結果とは異なる場合があります
検索コンテンツ
1. 沖田総司
日本大百科全書
幕末の新選組隊士。父勝次郎は江戸詰の白河しらかわ藩士で、総司2歳のとき死去。江戸・市ヶ谷の近藤周助(勇いさみの養父)の内弟子となり、天然理心流を学び剣技に優れた
2. 沖田総司
世界大百科事典
1844-68(弘化1-明治1) 新撰組隊士。陸奥白河藩士の子に生まれたが,数え2歳で父が死亡し,姉が沖田家を継いだ。天然理心流近藤周助の試衛館に入り,近藤勇と
3. おきた-そうじ【沖田総司】
日本人名大辞典
1842/44−1868 幕末の武士。天保(てんぽう)13/15年生まれ。陸奥(むつ)白河藩(福島県)藩士の子。江戸市ケ谷の試衛館で天然理心流の剣術をまなぶ。天
4. おきたそうじ【沖田総司】
日本架空伝承人名事典
新撰組隊士。白河藩士の子として生まれる。天然理心流近藤周助の試衛館で剣を学び、同門の近藤勇とともに、新撰組に加わった。剣の才能は抜群であったものの、結核を患い、
5. あざぶさくらだちよう【麻布桜田町】東京都:港区/旧麻布区地区地図
日本歴史地名大系
同宗法雲寺は明治三五年現渋谷区に移転。同宗長幸寺は寛永七年開創(一説に寛文二年)。浄土宗専称寺は寛永七年開創。沖田総司の墓がある(寺社書上・「麻布区史」「港区史
6. うちやま-ひこじろう【内山彦次郎】
日本人名大辞典
大坂町人からの御用金調達の任などにもあたった。元治(げんじ)元年5月20日天満橋上で新選組の沖田総司らに殺された。68歳。大坂出身。名は之昌。
7. 栗本 薫
日本近代文学大事典
書店 1981・11~1993・10、1巻の初出は『野性時代』1981・9、10)、新選組の沖田総司を主人公としてファンタジー世界を描いた伝奇SF「夢幻戦記」シ
8. 近藤勇画像
日本大百科全書
1863年(文久3)2月将軍徳川家茂いえもち上洛じょうらくに先んじて、門下の土方歳三ひじかたとしぞう、沖田総司そうじ、山南啓助やまなみけいすけらを引き連れて浪士
9. 近藤勇
世界大百科事典
の養子となる。63年(文久3)将軍徳川家茂の上洛にあたり幕府が募った浪士隊に同門の土方歳三,沖田総司,永倉新八らと加わった。上洛した浪士隊は洛外壬生村に屯集した
10. こんどういさみ【近藤勇】
国史大辞典
将軍の列外警衛として先発西上させた。その中に、勇は養父の門下であった一門の有志十余人、すなわち土方歳三・沖田総司・永倉新八らとともに平隊員として参加した。浪士隊
11. 早乙女貢[大河歴史小説「会津士魂」などで知られる作家、死去]
情報・知識 imidas
1巻を執筆。さらに続編として敗戦から昭和までの話を書く構想も練っていたという。他の代表作に「沖田総司」「竜馬を斬った男」「忍法かげろう斬り」「おけい」などがある
12. さおとめ-みつぐ【早乙女貢】
日本人名大辞典
生まれ。山本周五郎に師事。昭和44年「僑人(きょうじん)の檻(おり)」で直木賞。「おけい」「沖田総司」などおおくの歴史小説をうみだす。曾祖父がつかえた陸奥(むつ
13. しんせんぐみ【新〓組】
国史大辞典
名記』によると、芹沢鴨・近藤勇・土方歳三・原田左之助・藤堂平助・野口健司・新見錦・山南敬助・沖田総司・井上源三郎・平山五郎・平間重助・永倉新八の十三名であり、壬
14. せりざわかも【芹沢鴨】
国史大辞典
つくらせようと角屋その他を脅迫するなど、その乱行のために、ついに文久三年九月十六日芹沢鴨は近藤派の沖田総司・土方歳三により妾梅とともに暗殺された。 [参考文献]
15. せりざわ-かも【芹沢鴨】
日本人名大辞典
近藤勇,新見錦(にいみ-にしき)らと新選組を結成,局長となる。文久3年9月18日対立した近藤派の沖田総司らに暗殺された。変名は下村(木村)継次(つぐじ)。
16. 天然理心流
日本大百科全書
こちらはあまりはやらなかったという。4代勇は1862年(文久2)幕府の浪士徴募に応じて、門人沖田総司そうじ、土方歳三ひじかたとしぞうら7名とともに上洛じょうらく
17. 戸川 幸夫
日本近代文学大事典
さらにミステリーにまで筆をそめた。この時期の代表作は、『牙王』(「別冊文藝春秋」昭30・8)『沖田総司』(「講談俱楽部」昭31・11)などがあり、駿河台書房版『
18. 藤原竜也[映画、舞台などで多彩な活躍の人気俳優]
情報・知識 imidas
國屋演劇賞個人賞、第3回朝日舞台芸術賞寺山修司賞を受賞。同年、NHK大河ドラマ「新選組!」で沖田総司を演じ、06年には大ヒットした「デスノート」の映画版2作に主
19. みぎわ-なつこ【汀夏子】
日本人名大辞典
生まれ。39年宝塚歌劇団に入団。男役で活躍,「ベルサイユのばら」のオスカル役や「星影の人」の沖田総司役で人気を博す。55年退団。ミュージカルスターとして「マリウ
20. 三好徹
日本大百科全書
革命家ゲバラ、沖田総司そうじ、坂本龍馬りょうま、黒岩涙香くろいわるいこう、星亨ほしとおるらを主人公とする多彩な執筆活動を展開した。主要な作品に、『チェ・ゲバラ伝
21. やまね-さだお【山根貞男】
日本人名大辞典
日本の大衆娯楽映画を中心に批評活動をし,漫画評論もおこなう。大阪出身。大阪外大卒。著作に「映像の沖田総司」「手塚治虫とつげ義春」「映画の貌」「現代映画への旅」な
22. アートな時間 映画 CHAIN/チェイン 新撰組の“裏側”を描いた異色作 現在を点描し時間の連鎖浮き彫りに=寺脇研
週刊エコノミスト 2021-22
数多くの映画で取り上げられ、人気を高めていく。三船敏郎が近藤勇を演じた「新選組」(1969年)をはじめ、「沖田総司」(74年)、「御法度」(99年)、「壬生義士
23. アートな時間 舞台 八月納涼歌舞伎 新選組 手塚治虫原作を初歌舞伎化 若き2人の隊士に兄弟が挑む=小玉祥子
週刊エコノミスト 2021-22
自身が敵として狙われる立場になってしまう。  近藤勇(中村勘九郎)、土方歳三(中村七之助)、沖田総司(中村虎之介)、芹沢鴨(坂東弥十郎)らの新選組隊士や坂本龍馬
「沖田総司」の情報だけではなく、「沖田総司」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る▶

沖田総司と同じ日本史上の人物カテゴリの記事
真田幸村(真田信繁)(国史大辞典・日本大百科全書・日本架空伝承人名事典)
一五六七 - 一六一五 安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。幼名御弁丸、のち源次郎。左衛門佐と称す。名は信繁。幸村の名で有名であるが、この称の確実な史料はない。高野山蟄居中に剃髪して好白と号した。永禄十年(一五六七)信濃国上田城主真田昌幸の次男
上杉景勝(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一五五五 - 一六二三 安土桃山・江戸時代前期の大名。越後春日山城・会津若松城主、出羽国米沢藩主。幼名を卯松、喜平次と称し、はじめ顕景と名乗った。弘治元年(一五五五)十一月二十七日に生まれる。父は越後国魚沼郡上田荘坂戸(新潟県南魚沼郡六日町)
真田昌幸(国史大辞典)
安土桃山時代の武将。初代上田城主。幼名源五郎、通称喜兵衛。安房守。真田弾正幸隆の第三子として天文十六年(一五四七)信濃国に生まれる。信之・幸村の父。武田信玄・勝頼父子に仕えて足軽大将を勤め、甲斐の名族武藤家をついだが、兄信綱・昌輝が天正三年(一五七五)に
真田信之(真田信幸)(国史大辞典)
安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。初代松代藩主。幼名は源三郎。はじめ信幸、のち信之と改めた。号は一当斎。真田安房守昌幸の嫡男として永禄九年(一五六六)生まれた。母は菊亭(今出川)晴季の娘。幸村の兄。昌幸が徳川家康に属したため
本多正信(国史大辞典)
戦国時代から江戸時代前期にかけて徳川家康に仕えた吏僚的武将。その側近にあり謀臣として著名。通称は弥八郎。諱ははじめ正保、正行。佐渡守。天文七年(一五三八)三河国に生まれる。父は本多弥八郎俊正。母は不詳であるが松平清康の侍女だったという。徳川家康に仕え


「沖田総司」は幕末に関連のある記事です。
その他の幕末に関連する記事
沖田総司(日本架空伝承人名事典・日本大百科全書・世界大百科事典)
新撰組隊士。白河藩士の子として生まれる。天然理心流近藤周助の試衛館で剣を学び、同門の近藤勇とともに、新撰組に加わった。剣の才能は抜群であったものの、結核を患い、池田屋事件では、近藤らとともにわずか五名で、一番先に斬り込んだが、喀血して昏倒した。
長崎海軍伝習所の日々(東洋文庫)
日本海軍の黎明期を物語る史料。幕末の安政のころ,伝習所教官として来日したオランダ士官の目にうつる若き日の勝海舟,榎本武揚,開明の藩主島津斉彬,鍋島閑叟ら。生き生きと登場する幕末の群像。1964年09月刊
桂太郎(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一八四七-一九一三明治時代の軍人、政治家。弘化四年(一八四七)十一月二十八日、萩藩士馬廻役百二十五石の桂与一右衛門信繁と母喜代子の長男として、長州萩平安古(山口県萩市平安古町)に生まれる。はじめ寿熊と称し、のち太郎と改名。海城と号す。藤田与次右衛門
岩倉使節団(日本大百科全書・世界大百科事典)
1871年(明治4)11月から1873年9月にかけて、約1年10か月、米欧12か国を歴訪した、出発時46名よりなる使節団。特命全権大使は右大臣岩倉具視(いわくらともみ)で、副使は参議木戸孝允(きどたかよし)、大蔵卿(おおくらきょう)大久保利通


ジャパンナレッジは約1900冊以上(総額850万円)の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のインターネット辞書・事典・叢書サイト」です。日本国内のみならず、海外の有名大学から図書館まで、多くの機関で利用されています。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る▶