1. 桂太郎画像
日本大百科全書
明治時代の軍人、政治家。弘化こうか4年11月28日生まれ。長州藩出身。幕末戊辰戦争ぼしんせんそうに従軍。1869年(明治2)横浜語学校生徒、1870年8月より約
2. 桂太郎
世界大百科事典
1847-1913(弘化4-大正2) 明治時代の軍人,政治家。長州藩士族の出身。早くより洋式銃陣を学び,戊辰戦争では長州藩第4大隊2番隊司令として奥羽を転戦。維
3. かつら‐たろう【桂太郎】
日本国語大辞典
政治家、陸軍大将。公爵。長州藩出身。山県有朋の直系として陸軍次官、各内閣の陸相を経る間にドイツ式兵制の確立、北清事変への出兵などにあたった。明治三四年(一九〇一
4. かつらたろう【桂太郎】
国史大辞典
世田谷区若林)に葬られた。法名は長雲院殿忠誉義道清澄大居士。 [参考文献]徳富猪一郎編『公爵桂太郎伝』、徳富猪一郎『政治家としての桂公』、岡義武『山県有朋』(『
5. かつら-たろう【桂太郎】画像
日本人名大辞典
1848*−1913 明治-大正時代の軍人,政治家。弘化(こうか)4年11月28日生まれ。参謀本部にはいり,山県有朋を補佐して陸軍の軍制改革に着手。日清(にっし
6. 桂太郎[文献目録]
日本人物文献目録
原敬につらなる人々 』服部之総『桂太郎』川原次吉郎『桂公功過録』-『桂侯と予との接触点』建部遯吾『桂公の薨去』-『桂太郎』上杉重二郎『近代政治家伝 桂太郎』阿部
7. 桂太郎[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
©小学館ライブラリー
8. 桂太郎自伝
東洋文庫
長州閥嫡流の軍人・政治家として生き,日英同盟・日露戦争・韓国併合を主導した桂は,ニコっと笑ってポンと相手の肩をたたくところから“ニコポン宰相”とよばれた。半生の
9. かつらたろうかんけいもんじょ【桂太郎関係文書】
国史大辞典
十五通である。書類に分類されているものでは、桂太郎自伝稿本が自筆本・浄写本合わせて十三冊、覚書その他の文書を綴った桂太郎伝記参考書十冊、その他桂太郎覚書・意見書
10. 桂太郎内閣画像
日本大百科全書
桂太郎を首班として組織された第一次~三次の内閣。山本四郎第一次(1901.6.2~1906.1.7 明治34~39)第四次伊藤博文いとうひろぶみ内閣が総辞職し、
11. 桂太郎内閣(第一次)[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
合は順次後任を示し、同一人名がある場合は専任となったことを示す。外務大臣は小村寿太郎のときに桂太郎が二度臨時兼務©Shogakukan
12. 桂太郎内閣(第三次)[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
※(兼)は兼任。一つの職名に複数の人名がある場合は順次後任を示す©Shogakukan
13. 桂太郎内閣(第二次)[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
※(臨兼)は臨時兼務、(兼)は兼任。一つの職名に複数の人名がある場合は順次後任を示す。農商務大臣は一時小松原英太郎が臨時兼務©Shogakukan
14. あきづき-けいたろう【秋月桂太郎】
日本人名大辞典
1871−1916 明治-大正時代の舞台俳優。明治4年2月12日生まれ。銀行員から俳優に転じ,明治26年横浜蔦(つた)座で初舞台。33年大阪朝日座で高田実らと第
15. かもん-けいたろう【加門桂太郎】
日本人名大辞典
1864−1935 明治-昭和時代前期の解剖学者。元治(げんじ)元年12月生まれ。京都府立医学校の教諭をへて明治32年校長となる。ドイツに留学後,39年京都帝大
16. 第2次桂内閣
日本史年表
1908年〈明治41 戊申〉 7・14 第2次桂太郎内閣 成立。
17. ひきだ-けいたろう【疋田桂太郎】
日本人名大辞典
1870−1933 明治-昭和時代前期の実業家。明治3年2月生まれ。東京高工(現東京工業大)の教授をへて,化学工業協会専務理事をつとめる。昭和8年3月8日死去。
18. かんぎ【簡義】(Jiǎn Yì)
世界人名大辞典
攻撃,占拠したが,日本軍がすぐさま反撃奪回したため,同山に逃げ帰った.日本軍は懐柔策を採り,台湾総督桂太郎は投降を勧告,辜顕栄(こけんえい)らにも投降を勧められ
19. 青木周蔵自伝 15ページ
東洋文庫
郎の家来となっている。専業は産科医、好生堂で種痘を伝習した 記録がある。実弟泰輔は明治七年、桂太郎兄弟らとドイツへ留学、甲武鉄道、エビスビール、 京浜電鉄社長を
20. 青木周蔵自伝 26ページ
東洋文庫
得て、挙国大本営に就て観戦し、両国の和約成りし〔フランクフルト・アム・マイン講和条約〕後には、桂太郎氏来り、池田謙斎氏等一行
21. 青木周蔵自伝 65ページ
東洋文庫
知るに苦み、自若として少しも動かざりしが、異様の響音に驚きたる夫人は、当時同邸に予と同く食客たりし桂太郎氏と共に倉皇階を上り来れり。此時翁は大喝一声、 汝等の
22. 青木周蔵自伝 109ページ
東洋文庫
一人も予の意見に同意を表するものなかりき。当時、予は本冊子を霜に参謀本部次長川上操六、陸軍次官桂太郎両氏に送りて其の注意を喚起したりしが、両氏は之を陸軍部内の将
23. 青木周蔵自伝 322ページ
東洋文庫
当時、駐日ドイツ大使館書記官であったドイツ、シュレーヂエン州伯 爵ハッツフェルトと、首相桂太郎が媒酌人となって結婚した。花子はハナ・エリサベット・フ ォ
24. 青木周蔵自伝 336ページ
東洋文庫
示されたものではないかと推察している。七 伊藤はワルデルゼー総指揮官問題について、八月八日、桂太郎陸相より聞知し、ドイツの申出 について各国の意向をも確めずに承
25. 青木周蔵自伝 354ページ
東洋文庫
とくに長州系要人への工作で、太政大臣三条実美、右大臣岩倉具視はじめ、長州出身の木一尺井上、伊藤、山県、桂太郎などに、ベルリンから書翰で、或いは帰国の際、面談で働
26. 赤旗事件
世界大百科事典
荒畑に1年6月の重科を科した。社会主義に比較的寛大だった西園寺公望内閣は7月に総辞職し第2次桂太郎内閣に代わり,反動性を強めていく。また,赤旗事件当時高知にいた
27. あきやまさだすけ【秋山定輔】
国史大辞典
約三万人を東京向島に集めて、日本で最初の労働者の大デモンストレーションを実現した。その成功に対し翌年桂太郎内閣は集会を禁止し二六新報社員三十八人を逮捕した。秋山
28. 秋山定輔
世界大百科事典
されたが,かつての勢力は失われた。以後は政界の黒幕的存在として政治裏面で暗躍。特に大正初期の桂太郎新党結成や昭和期の近衛文麿新党工作に深く関与した。また明治期以
29. 朝日新聞
世界大百科事典
07年には夏目漱石が入社し,次々と作品を発表した。大正政変に際しては憲政擁護運動の一角を担い桂太郎内閣を攻撃,18年の米騒動では悪徳業者を批判するとともに寺内正
30. 安達謙蔵画像
日本大百科全書
士に選出され、官僚派に属して大同倶楽部くらぶ、中央倶楽部の結成に努めた。1913年(大正2)桂太郎かつらたろうの立憲同志会創立に参画し、以後憲政会の幹部として活
31. 安達謙蔵
世界大百科事典
の熊本国権党幹部となり,1902年の第7回総選挙に帝国党から当選,以後連続14回当選。13年桂太郎の立憲同志会創立に参加し,以後憲政会,立憲民政党に属す。この間
32. 安倍晋三
日本大百科全書
9月16日首相を退任した。連続在職日数は2822日で佐藤栄作の2798日を、通算在職日数は3188日で桂太郎の2886日をいずれも上回り歴代1位であった。 政権
33. 一木喜徳郎
世界大百科事典
地方制度研究のためドイツ留学。帰国後1894年東京帝国大学教授兼務。天皇機関説を提唱。第1次桂太郎内閣の法制局長官,第2次桂内閣で内務次官に就任。この間貴族院勅
34. いとう-きん【伊藤きん】
日本人名大辞典
江戸吉原の花魁(おいらん)。明治17年東京築地に料亭新喜楽をひらく。日露戦争開戦のとき,首相桂太郎に贅沢(ぜいたく)をいましめた話がのこる。大正4年4月14日死
35. 伊藤博文
世界大百科事典
しかし次年度の財政政策をめぐって閣内対立し,01年5月総辞職した。これ以後,政友会総裁として桂太郎内閣との折衝を任とする一方,元老として日露協商の可能性を打診す
36. いとうひろぶみ【伊藤博文】
国史大辞典
衆議院過半数の政友会を背後に擁しながら七ヵ月足らずの短命をもって終った。後継内閣首班に山県系の桂太郎が登場したことは、当時巨大な派閥網の上に立つ山県有朋とそれを
37. 伊東巳代治
世界大百科事典
責任を負って辞任した。1900年伊藤の政友会結成を周旋したが入党せず,このころから山県有朋や桂太郎らへの接近度を深めた。1899年に枢密顧問官となって以後,しだ
38. いとうみよじ【伊東巳代治】
国史大辞典
負って辞任した。続く第一次大隈内閣がわが国最初の政党内閣として発足したのに対して、同内閣に留任した陸相桂太郎と通謀して内閣倒壊のため暗躍。翌三十二年枢密顧問官に
39. 犬養毅
世界大百科事典
援助するなど,大陸問題への強い関心ぶりを示した。1910年立憲国民党を結成し,大正政変に際しては桂太郎の新党に党員の過半を奪われたが,政友会の尾崎行雄らと提携し
40. いのうえ-さぶろう【井上三郎】
日本人名大辞典
1887−1959 明治-昭和時代前期の軍人,政治家。明治20年2月6日生まれ。桂太郎の3男。井上勝之助の養子。井上光貞(みつさだ)の父。大正6年陸軍省軍務局に
41. 井上光貞
日本大百科全書
日本史学者。東京都生まれ。井上馨いのうえかおるの曽孫そうそん、首相となった桂太郎の孫。1942年(昭和17)東京帝国大学文学部国史学科を卒業し、大学院に進む。坂
42. いのうえ-みつさだ【井上光貞】
日本人名大辞典
1917−1983 昭和時代の日本史学者。大正6年9月19日生まれ。井上馨(かおる)の曾孫。桂太郎の孫。東京帝大在学中から坂本太郎の指導をうけ,古代政治史・仏教
43. いわした-きよちか【岩下清周】
日本人名大辞典
岩下壮一の父。三井物産パリ支店長,三井銀行支配人などをへて明治30年北浜銀行設立にくわわり,36年頭取。桂太郎,原敬らとしたしく,41年衆議院議員(当選2回)。
44. いわしたせいしゅう【岩下清周】
国史大辞典
ど多数の会社に関係し、役員となったが、大正三年(一九一四)同行が破綻し、頭取を辞した。なお、桂太郎・原敬らとも親しく、明治四十一年より大正三年まで衆議院議員に在
45. インブリー(Imbrie, William)
世界人名大辞典
成立に尽くす.日本基督教会創業時代より信仰告白,教会規則の改正に貢献した.また日露戦争の際,桂太郎首相と対談し,その内容を英文にして日本の立場を欧米人に紹介した
46. うつのみや-たろう【宇都宮太郎】
日本人名大辞典
使館付武官。のち参謀本部第二部長,第四師団長などをへて,大正7年朝鮮軍司令官。翌年陸軍大将。桂太郎,仙波太郎とともに陸軍の三太郎とよばれた。大正11年2月15日
47. えんいち【円一(2)】
日本人名大辞典
慶応4年京都で奥羽鎮撫副総督沢為量(ためかず)の知遇をえて戊辰(ぼしん)戦争に従軍。長門(ながと)(山口県)の桂太郎の隊にはいり,出羽(でわ)角間川(秋田県)で
48. 大石正巳
世界大百科事典
る大隈内閣に農商務相として入閣。憲政本党,次いで立憲国民党の幹部として活動したが,1913年桂太郎の立憲同志会結成に参加し,15年政界を引退。自由・進歩両党間に
49. 大浦兼武
世界大百科事典
山口,熊本各県知事を歴任,98年警視総監となる。1900年勅選貴族院議員となり,03年第1次桂太郎内閣の逓信大臣,08年第2次桂内閣の農商務大臣,第3次桂内閣で
50. おおくまないかく【大隈内閣】画像
国史大辞典
で無傷であり、しかも改進党・憲政本党以来の民衆政治家としてのイメージも強く残っていた。大隈は桂太郎の遺産である立憲同志会を基礎に尾崎行雄の中正会や貴族院の山県系