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崇徳天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一一一九-六四 一一二三―四一在位。諱は顕仁。元永二年(一一一九)五月二十八日、鳥羽天皇の第一皇子として誕生。母は藤原公実の女、皇后璋子(待賢門院)。保安四年(一一二三)正月二十八日、曾祖父白河法皇の意向により、父天皇の禅りを受け五歳で践祚し
鳥羽天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一一〇三-五六 一一〇七―二三在位。堀河天皇の第一皇子。母は大納言藤原実季の女、贈皇太后苡子である。康和五年(一一〇三)正月十六日、左少弁藤原顕隆の五条邸に誕生、その年六月親王宣下あり、宗仁と命名され、八月には早くも皇太子に立った
堀河天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一〇七九-一一〇七 一〇八六―一一〇七在位。白河天皇の第二皇子。母は関白藤原師実の養女、皇后賢子(実父は右大臣源顕房)。承暦三年(一〇七九)七月九日誕生。同年十一月親王宣下あり、善仁と命名。応徳三年(一〇八六)十一月二十六日立太子
白河天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一〇五三-一一二九 一〇七二―八六在位。諱は貞仁。天喜元年(一〇五三)六月十九日、皇太子尊仁親王(後三条天皇)の第一王子として誕生。母は権中納言藤原公成の女、贈皇太后茂子である。茂子の養父で、関白藤原頼通の異母弟である春宮大夫能信の庇護のもとに成長し
後三条天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一〇三四-七三 一〇六八―七二在位。諱は尊仁(たかひと)。長元七年(一〇三四)七月十八日、東宮敦良親王(後朱雀天皇)の第二王子として誕生。母は三条天皇の皇女禎子内親王(陽明門院)。同九年父親王の践祚後間もなく親王宣下をうけ
後冷泉天皇(国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典)
一〇二五-六八 一〇四五―六八在位。万寿二年(一〇二五)八月三日、東宮敦良親王(後朱雀天皇)の第一王子として誕生。母は藤原道長の女嬉子。諱は親仁。長元九年(一〇三六)十二月二十二日、親王宣下。長暦元年(一〇三七)七月二日、十三歳で元服
後朱雀天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一〇〇九-四五 一〇三六―四五在位。寛弘六年(一〇〇九)十一月二十五日、一条天皇の第三皇子として誕生。母は藤原道長の女彰子。諱は敦良。同七年正月十六日、親王宣下。寛仁元年(一〇一七)八月九日、敦明親王の皇太子辞意により、後一条天皇の
後一条天皇(国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典)
一〇〇八-三六 一〇一六―三六在位。寛弘五年(一〇〇八)九月十一日一条天皇の第二皇子として誕生。母は藤原道長の女彰子。諱は敦成。同年十月十六日親王宣下。同八年六月十三日三条天皇の皇太子となる。時に四歳。長和五年(一〇一六)正月二十九日九歳で受禅
仁徳陵(改訂新版 世界大百科事典・現代用語の基礎知識)
大阪府堺市堺区大仙町に所在する大型前方後円墳。全長486m,後円部径249m,後円部高35m,前方部幅305m,前方部高34mを測る。外周に三重の濠がめぐり,葺石(ふきいし)をそなえ,墳丘および中堤に埴輪を樹立する。梅原末治の算出によれば
応神天皇陵(日本国語大辞典・改訂新版 世界大百科事典)
大阪府羽曳野(はびきの)市誉田(こんだ)にある応神天皇の陵。古市古墳群に属する前方後円墳。全長四一五メートル。封土量は一四三万三九六〇立方メートルで、容積では日本最大の古墳といわれる。濠を巡らし、周辺に数基の陪塚(ばいちょう)がある
三条天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一〇一一―一六在位。貞元元年(九七六)正月三日、冷泉天皇の第二皇子として誕生。母は藤原兼家の女超子。諱は居貞。天元元年(九七八)十一月二十日、親王宣下。寛和二年(九八六)七月十六日、十一歳で兼家の南院第において元服。同日、立太子
花山天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
九八四―八六在位。諱は師貞(もろさだ)。出家ののち入覚と号した。冷泉天皇の第一皇子、母は太政大臣(一条摂政)藤原伊尹の女の女御懐子。安和元年(九六八)十月二十六日誕生、同二年八月十三日立太子、永観二年(九八四)八月二十七日叔父円融天皇
円融天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
九六九―八四在位。諱は守平。天徳三年(九五九)三月二日村上天皇の第五皇子として生まる。母は藤原師輔の女安子。康保四年(九六七)九月一日、同母兄冷泉天皇の皇太弟となり、安和二年(九六九)八月十三日受禅、同九月二十三日即位。永観二年(九八四)
冷泉天皇(日本大百科全書(ニッポニカ))
第63代天皇(在位967~969)。村上(むらかみ)天皇第二皇子。母は藤原師輔(もろすけ)の娘安子。諱(いみな)は憲平(のりひら)。藤原元方(もとかた)の娘元子の生んだ広平親王を越えて皇太子となったので、元方は落胆のあまり病死し、天皇が物の怪
村上天皇(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
第62代天皇(在位946~967)。醍醐(だいご)天皇第14皇子。名は成明(なりあき)、母は太政(だいじょう)大臣藤原基経(もとつね)の女(むすめ)穏子(おんし)。朱雀(すざく)天皇の同母弟。944年(天慶7)19歳で皇太子となり、946年禅を受け即位
朱雀天皇(国史大辞典・日本大百科全書)
九三〇―四六在位。延長元年(九二三)七月二十四日、醍醐天皇第十一皇子として誕生。母は藤原基経の女皇后穏子。諱は寛明。延長三年に三歳で皇太子となり、同八年九月二十二日八歳で受禅。在位中藤原忠平が摂政・関白として執政する。穏子の偏愛の中で育ち
醍醐天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
八九七―九三〇在位。仁和元年(八八五)正月十八日、宇多天皇の第一皇子として誕生。母は内大臣藤原高藤娘贈皇太后胤子。諱は維城、のち敦仁。寛平元年(八八九)親王宣下、同五年立太子、同九年七月三日、十三歳で元服、同日宇多天皇の譲位で践祚
宇多天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
八八七―九七在位 貞観九年(八六七)五月五日、光孝天皇の第七皇子として誕生。母は桓武天皇皇子仲野親王の女班子女王、諱は定省(さだみ)。元慶年間(八七七―八五)侍従となり王侍従と称された。同八年四月十三日
光孝天皇(国史大辞典・日本大百科全書)
八八四―八七在位。天長七年(八三〇)仁明天皇第三皇子として誕生。諱は時康。母は贈太政大臣藤原総継女贈皇太后沢子。承和十三年(八四六)四品、嘉祥元年(八四八)常陸太守。翌々年中務卿、仁寿元年(八五一)三品、貞観六年(八六四)上野太守
陽成天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
八七六―八四在位。貞観十年(八六八)十二月十六日、清和天皇の第一皇子として染殿院に誕生。母は藤原長良の女の女御高子。諱は貞明(さだあきら)。同十一年二月一日、清和天皇の皇太子となり、同十八年十一月二十九日
清和天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
八五八―七六在位。文徳天皇の第四皇子。母は藤原良房の女明子。諱は惟仁。嘉祥三年(八五〇)三月二十五日、良房の一条第で生まれ、同年十一月二十五日第一皇子で紀名虎の女の生んだ惟喬親王を越えて皇太子となり、天安二年(八五八)八月二十七日に
文徳天皇(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
第55代天皇(在位850~858)。仁明(にんみょう)天皇の第一皇子。母は藤原冬嗣(ふゆつぐ)の娘順子(じゅんし)。諱(いみな)は道康(みちやす)。承和(じょうわ)の変(842)で皇太子恒貞(つねさだ)親王が廃されたので、かわって皇太子となり
仁明天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
八三三―五〇在位。弘仁元年(八一〇)、嵯峨天皇の第一皇子として誕生。母は橘清友の女嘉智子。諱は正良(まさら)。弘仁十四年四月、叔父にあたる淳和天皇の皇太子に立った。時に十四歳。天長十年(八三三)二月二十八日
淳和天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
八二三―三三在位。延暦五年(七八六)桓武天皇の第三皇子として生まれた。母は藤原百川の女、旅子。諱は大伴。弘仁元年(八一〇)九月の薬子の変のため、同月十三日に皇太子高岳親王が廃されたので同日中務卿から皇太弟となり、同十四年四月十六日嵯峨天皇
嵯峨天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
八〇九―二三在位。平安時代初期の天皇。諱は賀美能(神野)。桓武天皇と皇后藤原乙牟漏との間に、延暦五年(七八六)九月七日生まれ、三品中務卿を経て、大同元年(八〇六)五月十九日同母兄平城天皇の皇太弟となり、同四年四月一日受禅した
平城天皇(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
第51代とされる天皇(在位806~809)。名は安殿(あて)。桓武(かんむ)天皇の長子。母は皇后藤原乙牟漏(おとむろ)。785年(延暦4)皇太弟早良(さわら)親王が藤原種継(たねつぐ)暗殺事件に座して廃されたあと、皇太子となり、806年(大同1)即位
桓武天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
七八一―八〇六在位。天平九年(七三七)天智天皇の孫の白壁王(光仁天皇)の長子として誕生。母は高野新笠。諱は山部。乳母の山部子虫の姓氏によったと考えられる。天平宝字八年(七六四)十月、従五位下を授けられ、天平神護二年(七六六)十一月
光仁天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
七七〇―七八一在位。和銅二年(七〇九)十月十三日、天智天皇の皇子施基(しき)親王の第六子として誕生。母は贈太政大臣紀諸人の女橡(とち)姫。諱は白壁。天平九年(七三七)九月無位より従四位下、同十八年四月従四位上、天平宝字元年(七五七)
称徳天皇(日本大百科全書(ニッポニカ))
第48代とされる天皇(在位764~770)。第46代とされる孝謙(こうけん)天皇(在位749~758)が再即位して称徳という。女帝。高野(たかの)天皇とも称せられる。名は阿倍(あべ)。聖武(しょうむ)天皇の皇女。母は光明(こうみょう)皇后
淳仁天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
七五八―六四在位。諱は大炊(おおい)。天武天皇の孫、舎人親王の第七子。母は当麻山背。天平五年(七三三)生まれる。藤原仲麻呂の男真従の未亡人粟田諸姉を娶って仲麻呂の田村第に住んだが、天平勝宝八歳(七五六)聖武上皇が崩ずると
聖武天皇(日本大百科全書(ニッポニカ)・改訂新版 世界大百科事典)
第45代とされる天皇(在位724~749)。名は首(おびと)、法号勝満(しょうまん)。文武(もんむ)天皇の第1皇子、母は藤原不比等(ふじわらのふひと)の女(むすめ)宮子(みやこ)。文武が崩じたとき幼少で即位できず、祖母元明(げんめい)
文武天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
六九七―七〇七在位。諱は軽(珂瑠)。諡は天之真宗豊祖父(あまのまむねとよおおじ)天皇。天武天皇の孫、草壁皇子の子。母は阿閇皇女(天智天皇の娘、のちの元明天皇)。天武天皇十二年(六八三)生まれる。持統天皇三年(六八九)、七歳のとき父を失う
天武天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
六七三―八六在位。父は舒明、母は皇極(斉明)天皇で、天智天皇・間人皇女(孝徳天皇皇后)の同母弟。幼名を大海人(おおしあま・おおあま)皇子といい、諡号を天渟中原瀛真人天皇(あまのぬなはらおきのまひとのすめらみこと)という。『一代要記』などに
弘文天皇(日本大百科全書(ニッポニカ))
第39代に数えられる天皇(在位671~672)。大友皇子、伊賀皇子ともいう。天智(てんじ)天皇の嫡皇子。母は伊賀采女宅子娘(うねめやかこのいらつめ)。皇后は天武(てんむ)天皇の皇女十市(といち)皇女で、葛野(かどの)王を生む
天智天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
六六一―六八称制、六八―七一在位。大化改新の中心人物。和風諡号は天命開別尊(あめみことひらかすわけのみこと)。淡海(近江)大津宮天皇とも。推古天皇三十四年(六二六)の生。父は田村皇子(舒明天皇)、母は宝皇女(舒明皇后、皇極・斉明天皇)
斉明天皇(日本大百科全書(ニッポニカ))
女帝。第35代とされる皇極(こうぎょく)天皇(在位642~645)が重祚(ちょうそ)して第37代とされる斉明天皇(在位655~661)と諡(おくりな)される。名は宝(たから)。和風諡号(しごう)は天豊財重日足姫(あめとよたからいかしひたらしひめ)天皇
舒明天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
六二九―四一在位。和風諡号は息長足日広額天皇。父は敏達天皇の皇子押坂彦人大兄皇子。母はその異母妹糠手姫皇女、またの名は田村皇女で、天皇の諱田村はこれに因む。推古天皇三十六年(六二八)推古天皇の没後、田村皇子を推す大臣蘇我蝦夷は
崇峻天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
『日本書紀』によると五八七―九二在位。諱は泊瀬部、また長谷部若雀命という。欽明天皇の皇子、母は大臣蘇我稲目の娘小姉君。同母兄に穴穂部皇子、異母兄に敏達・用明天皇、異母姉に推古天皇らがいる。五八七年用明天皇の崩後、蘇我馬子と物部守屋が戦端を開くと
用明天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
六世紀末の天皇。『日本書紀』によれば五八五―八七年在位。異母兄敏達天皇の死去をうけて即位。橘豊日尊、大兄皇子と称す。父は欽明天皇、母は蘇我稲目の女、堅塩媛。異母妹の穴穂部間人皇女(母は堅塩媛の妹、小姉君)を妃として、厩戸・来目・殖栗・茨田の諸皇子を得た
敏達天皇(日本大百科全書(ニッポニカ))
6世紀中葉の天皇で、記紀では第30代に数えられる。『日本書紀』によれば在位は14年間とする。渟名倉太珠敷(ぬなくらふとだましき)(沼名倉太玉敷)天皇(命(みこと))、譯語田(おさた)天皇ともいう。息長真手(おきながまて)王の娘広姫(ひろひめ)
欽明天皇(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
記紀に第29代と伝える天皇。継体(けいたい)天皇と手白香(たしらか)皇后(仁賢(にんけん)天皇の女(むすめ))の嫡子。名は伝わらず、和風諡号(しごう)は天国排開広庭天皇(あめくにおしはらきひろにわのすめらみこと)という
宣化天皇(国史大辞典・日本大百科全書)
『日本書紀』によれば、生没年は四六七―五三九年、五三六―三九年在位。名は檜隈高田(ひのくまのたかだ)、諡を武小広国押盾(たけおひろくにおしたて)天皇という。継体天皇の皇子、母は尾張連草香の女の目子媛(めのこひめ)、安閑天皇の同母弟
安閑天皇(国史大辞典・日本大百科全書)
『日本書紀』によれば、生没年は四六六―五三五、五三四―三五在位。名は勾大兄(まがりのおおえ)、おくり名を広国押武金日(ひろくにおしたけかなひ)天皇という。継体天皇の第一子、母は尾張連草香の女の目子媛(めのこひめ)。同腹の弟に宣化天皇がある
継体天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
『日本書紀』によれば、生没年は四五〇―五三一、五〇七―三一在位。諱は男大迹(おおど)、袁本杼・乎富等とも書く。応神天皇の五世の孫と伝えられる。父の彦主人(ひこうし)王は近江国にいたが、越前坂井郡の三国にいた振媛を妃とし、継体天皇を生んだ
武烈天皇(国史大辞典・日本大百科全書)
『日本書紀』によれば、生没年は?―五〇六で、四九八―五〇六在位。名は稚鷦鷯(わかさざき、『古事記』は若雀)。仁賢天皇の皇子で、母は雄略天皇の皇女の春日大娘皇后。仁賢のあとをついで即位。泊瀬列城(奈良県桜井市初瀬の周辺)を都とし、春日娘子を皇后にたて
仁賢天皇(国史大辞典・日本大百科全書)
『日本書紀』によれば第二十四代天皇、在位十一年。『古事記』には意祁王とみえる。他に大脚・大為・大石尊・嶋郎・島稚子などの通称が伝わる。父皇子が雄略天皇に殺されたあと、難を逃れて弟弘計(おけ、顕宗天皇)とともに播磨に潜伏。見出されて大和に戻ると
顯宗天皇(国史大辞典・日本大百科全書)
『日本書紀』によれば第二十三代天皇、在位三年(四八五―八七)。『古事記』に治世八年、崩年三十八歳とみえるが、いずれも確かでない。在位の実年代はもう少しおそく、五世紀の末であろう。父は履中天皇の皇子市辺押磐皇子、母は蟻臣の娘媛。仁賢天皇の同母弟。子はない
清寧天皇(国史大辞典・日本大百科全書)
『古事記』『日本書紀』で第二十二代と伝える天皇。白髪武広国押稚日本根子天皇(記には白髪大倭根子命)・白髪皇子などという。父は雄略天皇、母は葛城円大臣の娘韓媛。雄略天皇二十二年立太子、二十三年雄略天皇崩後、異母弟星川皇子の反乱を討って磐余甕栗宮に即位
雄略天皇(国史大辞典・新版 日本架空伝承人名事典・改訂新版 世界大百科事典)
『日本書紀』では第二十一代で、大泊瀬幼武(おおはつせわかたける)天皇と表記し、『古事記』では大長谷若建命と表記する。允恭天皇第五子。母は忍坂大中姫命。兄の安康天皇が眉弱(まよわ)王に暗殺されると、王と王を保護した葛城円
安康天皇(国史大辞典・日本大百科全書)
『日本書紀』では第二十代の天皇。諱は穴穂皇子。允恭天皇第二子。母は忍坂大中姫命。兄の木梨軽皇子を物部大前宿禰の家に殺して即位し、宮を大和山辺郡石上(奈良県天理市)に移して、石上穴穂宮と称した。さらに大草香皇子を殺し、その妻を皇后としたため、皇后が大草香皇子との
允恭天皇(国史大辞典・日本大百科全書)
『日本書紀』では第十九代の天皇。諱は雄朝津間稚子宿禰。仁徳天皇皇子。母は磐之媛。履中・反正天皇の同母弟。忍坂大中姫を皇后とし、刑部を定め、木梨軽皇子、安康・雄略両天皇を生み、また皇后の妹衣通郎姫を妃とし、そのため藤原宮をたて、藤原部を定めたという。甘檮岡の盟神探湯により
反正天皇(日本大百科全書(ニッポニカ))
生没年不詳。記紀では第18代の天皇とする。5世紀中葉の天皇で、『日本書紀』には、河内(かわち)の丹比柴籬宮(たじひのしばかきのみや)(大阪府羽曳野(はびきの)市丹比付近か)で在位5年にして崩ずと記す。「多遅比瑞歯別(たじひのみずはわけ)(水歯別)天皇(命(みこと))」ともいう。
仲哀天皇(国史大辞典・日本大百科全書)
『古事記』『日本書紀』に伝える第十四代の天皇。和風諡号は足仲彦(たらしなかつひこ)尊。景行天皇の皇子日本武尊の子で、母は垂仁天皇の女両道入姫(ふたじのいりびめ)皇女。紀によれば、子に皇后気長足姫尊(神功皇后)の生んだ誉田別皇子(応神天皇)のほか、坂(かごさか)
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