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荒城神社(日本歴史地名大系)
[現]国府町宮地 宮垣内荒城川右岸にあり、祭神は大荒木之命・国之水分神・天之水分神・弥都波能売神。旧県社。「延喜式」神名帳の荒城郡五座のうちの一つ。「和訓栞」に「荒木ハ生ノママナルヲ云ナルベシ、地名ニ荒木、新城ナドカケリ
荒井家住宅(日本歴史地名大系)
[現]矢板市立足立足(たつあし)集落の西端、東下りの山際にある。荒井家は代々立足村の名主を勤めた。敷地は広く南面し、入口に長屋門を構え、主屋は長屋門より一段高所にある。主屋と長屋門は国指定重要文化財。家伝では延宝四年(一六七六)火災にあい
鳳凰の舞(日本大百科全書)
東京都西多摩郡日の出町下平井に伝わる風流踊の一種。鳳凰の舞と奴(やっこ)の舞からなり、かつては干魃(かんばつ)の際の雨乞(あまご)いや悪疫退散を祈願して行われたが、現在では9月29日に近い日曜日の春日(かすが)神社例祭に奉納される
山王祭(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
江戸の山王権現(現日枝神社)の祭礼で、天下祭ともいわれ、江戸三大祭の随一。近江の日吉山王社の祭礼は歴史上は「日吉祭」とよばれた。江戸の山王社は南北朝時代にはすでに存在したが、その祭礼は江戸開府とともに活気づいたのである
三社祭(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
東京都台東区浅草公園に鎮座する浅草神社の祭り。浅草神社は土師真中知(はじのまち)命・檜前浜成(ひのくまのはまなり)命・檜前武成(たけなり)命の三神を祭るところから三社権現と称されてきたが、明治元年(一八六八)、三社明神社
里神楽(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
宮廷以外の諸社・民間で奏される神楽。里は平安京の内裏の外の市街地をいう。平安時代には、石清水・賀茂・祇園・北野・大原野・吉田・春日・住吉などの諸社に、宮廷の楽人を差し向けて奏する場合に里神楽と称した。このとき宮廷では試楽があり
神楽(日本大百科全書・世界大百科事典)
神前に奏される歌舞。神座を設けて神々を勧請(かんじょう)して招魂・鎮魂の神事を行ったのが神楽の古い形で、古くは神遊(かみあそび)とも称した。神楽の語源は、神座(かむくら)の約音とするのが定説である。神楽の起源説話として有名なのは
出雲神楽(国史大辞典・日本大百科全書)
出雲地方の神楽。佐太神社(島根県八束郡鹿島町)の神楽をその中心とする。佐太神社の「御座替祭」(九月二十五日、もと八月二十四日・二十五日)に、古くは島根・秋鹿・楯縫・意宇(西半分)の三郡半の神職が祭事に奉仕し、その後に天下国家の御祈祷として
佐陀神能(世界大百科事典)
民俗芸能。島根県松江市佐陀の佐太神社に伝承される神能。9月24,25日に行われ,24日の御座(茣蓙)替神事の夜には七座の神事が,25日の例祭には御座替神事を奉祝して,七座の神事《式三番》神能がいずれも境内の神楽殿で演じられる
鷺舞(日本大百科全書・世界大百科事典)
鷺の作り物を身に着けて舞う芸能。島根県鹿足(かのあし)郡津和野(つわの)町弥栄(やさか)神社の祇園(ぎおん)祭に行われる鷺舞は、7月20日と27日の両日、神輿(みこし)に供奉(ぐぶ)して神社・御旅所(おたびしょ)・頭屋(とうや)などへ練り込んで舞う
明石城下(日本歴史地名大系)
明石川河口に近い東岸の洪積台地(通称人丸山)上に築かれた明石城を扇の要とし、その南方に広がる明石海峡に至る東西約一二〇〇メートル・南北約七〇〇メートルの地域に開かれた城下町。〔城下町の成立と発展〕元和三年(一六一七)明石に入部して
ミトコンドリアゲノム(岩波 生物学辞典 第5版)
mtゲノム,mtDNAなどと略記.《同》ミトコンドリア核様体(mitochondrial nucleoid),ミトコンドリア核(mitochondrial nuclei),ミトコンドリア染色体(mitochondrial chromosome).ミトコンドリアが保有する独自のゲノム.一般に環状二本鎖DNAであるが
DNA(岩波 生物学辞典 第5版)
deoxyribonucleic acidの略.《同》デオキシリボ核酸.糖成分がD-2-デオキシリボースである核酸.核酸研究の初期に,DNAは胸腺から大量に抽出できることから胸腺核酸(thymonucleic acid, thymus nucleic acid)と呼ばれた.遺伝子の本体.塩基としてアデニン
朝鮮労働党(日本大百科全書・世界大百科事典・イミダス)
北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の支配政党。1945年10月10日に発足した朝鮮共産党北部朝鮮分局を起源とし、この日が現在の朝鮮労働党創建記念日とされている。北朝鮮憲法では、「朝鮮労働党の領導のもとにすべての活動を行う」(第11条)と明示しており
金正恩(世界人名大辞典・日本大百科全書)
1984.1.8~北朝鮮の政治家.金正日(キムジョンイル)の3男.生年は1983年説もある.北朝鮮で生まれ,スイスの公立学校に在学しドイツ語などを学んだ [96-2000].帰国後,金日成総合大学を経て,金日成軍事総合大学特設班で砲術を学んだ [02-07]とされる
鹿鳴館(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
明治初期の国際的社交場として建てられた洋館。東京府麹町(こうじまち)区内幸(うちさいわい)町山下門の元薩摩(さつま)藩装束(しょうぞく)屋敷跡(千代田区内幸(うちさいわい)町、帝国ホテルの隣地)にあった。1879年(明治12)外務卿(きょう)に就任して
エリオプス(日本大百科全書・世界大百科事典)
古生代ペルム紀(二畳紀)前期の、約2億8000万年前に北アメリカにいた大形両生類の迷歯類中でも代表的な肉食動物。堅固な頭骨をもち、全長約2メートル。体が頑丈で、扁平(へんぺい)の大きな頭骨の口蓋(こうがい)の左右両側に、大きな眼球や眼筋があり
イェーツ(日本大百科全書・世界大百科事典)
アイルランドの詩人、劇作家。6月13日ダブリン郊外のサンディマウントに生まれる。父ジョンは画家。1867年に一家はロンドンに移ったが、母の郷里スライゴーに帰ることも多く、幼時からアイルランド北西海岸の風景や、農民の語る妖精(ようせい)談になじんだ
天津神社(日本歴史地名大系)
[現]吉川町前田近世の宮(みや)村をはじめ一三ヵ村を氏子とする。旧郷社。祭神は天津彦根命・活津彦根命・天之穂日命・天之忍穂耳命・熊野久須日命。垂仁天皇二五年四月、小神野(おがみの)(現富岡字神谷)に明神が天降ったので、里人たちが現在地へ遷座したと伝える
阿仁鉱山(日本歴史地名大系・国史大辞典・世界大百科事典)
阿仁金・銀・銅山の総称。北流する阿仁川上流の両岸、標高五六二メートルの九両山の南・北・西麓、および標高七一〇メートルの芝森南・西麓一帯に分布する。板木沢・向・七十枚・小沢・萱草・二ノ又・真木沢・三枚・一ノ又・大沢・天狗平・黒滝・糠内・深沢の各鉱山を含む
穴切大神社(日本歴史地名大系)
[現]甲府市宝二丁目相(あい)川東岸、穴切小学校脇にある。祭神は大己貴命・少彦名命・素盞嗚命。旧郷社。「延喜式」神名帳記載の山梨郡「黒戸奈(クロトナノ)神社」を当社に比定する説がある(甲斐国志)。創建は元明天皇の代ともいう。創建と社名の由緒については
阿蘇神社(日本歴史地名大系・国史大辞典・世界大百科事典)
[現]一の宮町宮地宮地(みやじ)市街地の西方にあり、約一万坪の境内を有する。祭神は健磐龍命を主神とする阿蘇十二神。古代は式内社として、中世は肥後国の一宮として、近代は官幣大社としての伝統をもつ九州の名社。。現社殿は南面する三本殿・拝殿・楼門・回廊
足助八幡宮(日本歴史地名大系)
[現]足助町足助 宮ノ後国道一五三号の道沿いにある。巴(ともえ)川が支流足助川を合わせて大きく湾曲するところの左岸に位置し、右岸の飯盛(いいもり)山が笠形の山容で眺められる地点である。祭神は品陀和気命・帯中日子命・息長帯比売命・瀬織津比売命・菊理媛命・日本武尊
葦守八幡宮(日本歴史地名大系)
[現]岡山市下足守下足守(しもあしもり)のほぼ中央の小丘上に鎮座。主祭神は応神天皇。旧足守藩領の総鎮守。旧郷社。「日本書紀」応神天皇二二年条にみえる行宮「葉田葦守宮」の旧跡に吉備中彦命が社殿を建立したのが起源と伝える
朝倉神社(日本歴史地名大系・国史大辞典)
[現]高知市朝倉朝倉の北部にある小高い赤鬼(あかぎ)山の東南麓に鎮座する。東方を鏡(かがみ)川が流れ、南方に本山氏の朝倉城のあった城(じよう)山がそびえる。祭神は天津羽羽神、天豊財重日足姫天皇(斉明天皇)。旧県社。「延喜式」神名帳に土佐郡五座の一として
浅草神社(日本歴史地名大系・国史大辞典)
[現]台東区浅草二丁目浅草寺境内東側にある。旧郷社。祭神は隅田川から観音像(のち浅草寺本尊)を引上げたという檜前浜成命・檜前竹成命とそれを安置したという土師真中和(土師直中知)で、大国主命・東照宮などを合祀する。江戸時代末までは三社権現と称された
明石城跡(日本歴史地名大系)
[現]明石市明石公園東を朝霧(あさぎり)川、西を明石川に画された洪積台地の南西端部(通称人丸山)に築かれた江戸時代の城跡。標高約二四メートル、前面の沖積地との比高は約二〇メートルの平山城。明石藩の政庁。元和三年(一六一七)七月信濃国深志
赤神神社(日本歴史地名大系)
[現]男鹿市船川港本山門前 祓川本(ほん)山の南麓に位置し、南に日本海を望む。祭神は天津彦火甕甕杵尊・誉田別命など。旧村社。古来本山赤神神社と称され、本山中腹の五社(ごしや)堂を本縁とする。開基年代は明らかではないが、当社に残る木造十一面観音菩薩立像など
祭囃子(日本大百科全書・世界大百科事典)
祭礼囃子ともいう。神輿(みこし)が御旅所(おたびしょ)に渡御(とぎょ)するいわゆる神幸(しんこう)祭に、付祭(つけまつり)と称して氏子たちが出す山車(だし)(山、鉾(ほこ)、だんじり、屋台など車付きのもの、山笠(やまがさ)、きりこのように担ぐもの
日吉山王祭(国史大辞典)
近江坂本(滋賀県大津市)日吉大社の祭礼のこと。各地の山王祭はこの祭の伝わったもの。平安時代以来日吉祭、近世には山王祭または日吉山王祭とよばれる。古来、四月の中の申の日を中心に午から酉の日まで四日間行われた。平安時代から多くの書物にみえるが
長浜曳山狂言(日本大百科全書(ニッポニカ))
滋賀県の長浜八幡宮(はちまんぐう)(長浜市宮前(みやまえ)町)の春祭(4月13~16日)に曳山(ひきやま)の上で行われる子供歌舞伎(かぶき)。羽柴(はしば)(豊臣(とよとみ))秀吉が城主のとき男子出生を祝って町民に賜った砂金を基金として曳山を整えた
神幸祭(国史大辞典・世界大百科事典)
神社祭祀のうち、神霊が本社より他所に渡御する祭。「おわたり」「みゆき」「おいで」などとも称し、その帰りを還幸祭と呼ぶ場合もある。起源は不詳であるが、古代末期にはすでに行われていた社があり、中世以降多くの社でなされるようになったものとみられる
秩父夜祭(日本大百科全書・世界大百科事典)
埼玉県秩父市の秩父神社で12月2、3日に行われる例祭の夜間行事。華やかなので夜祭として有名。近世は霜月(旧暦11月)1、2、3日であった。祭りでもっとも盛大で重要なものは、神馬(しんめ)の奉献と、二台の笠鉾(かさぼこ)、四台の屋台が神輿(みこし)に続いて巡行
よさこい節(日本大百科全書・世界大百科事典)
高知県の代表的なお座敷唄(うた)。民謡というより俗謡に近く、唄の文句の最後の囃子詞(はやしことば)をとって曲名にしている。この唄の起源にはさまざまな説がある。1601年(慶長6)領主となる山内一豊(やまうちかずとよ)が入国して高知城を築くとき
精霊流し(国史大辞典・日本大百科全書)
盆行事の最終段階で、精霊を送り出す儀礼。先祖の霊は、七月十三日の精霊迎えを経て、十五日または十六日夕方まで各家に滞在したのち、精霊流しによって、再びあの世へ送り返されると信じられていた。祖霊をはじめ、死者の霊は山の彼方の世界に行っているが
能郷の能・狂言(日本大百科全書(ニッポニカ))
岐阜県の白山(はくさん)神社(本巣(もとす)市根尾能郷(ねおのうごう))の例祭(4月13日)に奉納される能と狂言。地元では「猿楽(さるがく)」という古称でよんでいる。東北地方の山伏神楽(やまぶしかぐら)や番楽(ばんがく)、静岡県下の西浦田楽(にしうれでんがく)
拍子木(日本大百科全書・世界大百科事典)
方柱形の短い二つの木を打ち合わせ、合図・拍子を知らせる用具。拍子木の起源は明らかではないが、合図をし、拍子をとり、また人々の注意を促すために、木や竹を打ち合わせる方法は、原始時代からあらゆる民族で行われていた。おそらくわが国では、拍子木は、古くは
チャッキラコ(日本大百科全書・世界大百科事典)
神奈川県の海南神社(三浦市三崎)の1月15日の祭りに踊られる小歌(こうた)踊。花暮(はなぐれ)と仲崎(なかさき)地区の7歳から13歳ぐらいまでの少女約20名で踊るが、歌は中年の女性たちが受け持つ。伝承曲目は『ハツイセ』『チャッキラコ』『二本踊』
あばたも靨(故事俗信ことわざ大辞典)
好きになると、醜いあばたさえ可愛らしいえくぼに見える。惚れた目には欠点までも長所に見えるというたとえ。*洒落本・伊賀越増補合羽之龍(1779)通菴内之だん「巖石にひとしき菊石(アバタ)も壱っによってゑくぼと成り」 *人情本・郭の花笠(1836
後の祭(故事俗信ことわざ大辞典)
時機を逸して無意味になり、気がついてもいまさら取り返しがつかないことのたとえ。*虚堂録臆断(1534)五「死して後に紙銭を焼て不祥を除く也。をかしいこと也。無用処也。あとのまつり也」*俳諧・毛吹草(1638)二「あとのまつり」
麻の中の蓬(故事俗信ことわざ大辞典)
「麻に連るる蓬」に同じ。*十訓抄(1252)五・序「人者善友にあはむ事をこひねがふべき也。麻のなかの蓬はためざるにおのづから直しといふたとへあり」*ささめごと(1463~64頃)下「麻の中の蓬なれば、つたなき心も、さすが友によりて直かるべし」
悪事千里を走る(故事俗信ことわざ大辞典)
悪い行ないや悪い話は、たちまち世間に知れ渡る。悪事千里。*曽我物語(南北朝頃)一〇・伊豆二郎が流されし事「扨も、悪事千里をはしるならひにて、伊豆二郎未練なりと、鎌倉中に披露有ければ」*明徳記(1392~93頃か)中「悪事千里に走て、此事世には隠有べからず
秋の日は釣瓶落とし(故事俗信ことわざ大辞典)
秋の日は、井戸の釣瓶が落ちるように早く沈み、暮れてしまう。秋の日暮れが早いことのたとえ。*歌舞伎・勧善懲悪覗機関(村井長庵)(1862)六幕「もう入相でござりますれば、秋(アキ)の日(ヒ)の釣瓶落(ツルベオト)し。日が暮れるに間もござりませねば、今日はお暇致しませう」
秋の扇(故事俗信ことわざ大辞典)
秋になり、不用となった扇。また、男の愛を失った女のたとえ。前漢の成帝の宮女班婕妤(はんしょうよ)が、君寵の衰えたわが身を秋の扇にたとえて詩を作った「文選‐怨歌行」の故事による。班女が扇。*和漢朗詠(1018頃)上・雪
青は藍より出でて藍より青し(故事俗信ことわざ大辞典)
弟子が師よりまさっていることのたとえ。藍より出でて藍より青し。出藍(しゅつらん)の誉。氷は水より出でて水より寒し。*世俗諺文(1007)「青レ於レ藍〈略〉青取二之藍一而青三於二藍一」*十訓抄(1252)一〇・序「道々の才芸も又父祖には及がたき習ひなれば
青菜に塩(故事俗信ことわざ大辞典)
青菜に塩をふりかけた時のように、元気だった者が何かをきっかけにすっかりしょげてしまうさま。*俳諧・世話尽(1656)曳言之話「青菜(アヲナ)にしほ」*諺苑(1797)「青菘(アヲナ)に塩 蛭に塩とも云、なめくじに塩とも云」
会うは別れの始め(故事俗信ことわざ大辞典)
人と人とが出会うことは、すでに別れの始まりである。出会うものは、必ずいつか別れるものだ。*風に紅葉(鎌倉末~南北朝初期)二「『とてもかくても、あふはわかれのはじめなれば、さてしもはつまじきわざにこそ』とて、うちなき給」
ああ言えばこう言う(故事俗信ことわざ大辞典)
他人の意見や忠告に対して、何やかやと理屈を言って従わないさま。どう言えばこう言う。*人情本・春色雪の梅(1838~42頃か)初・二回「ああ云(イ)へばかう云(イ)ふと言ってぢれったいねえ」*諺語大辞典(1910)「ああ言(イ)へばかう言(イ)ふ」
イブン・バットゥータ(世界人名大辞典・世界文学大事典)
1304.2.24~68・9(77)アラブの大旅行家.モロッコのタンジール生まれ.21歳の時にマッカ(メッカ)巡礼に出立 [1325],エジプトに入り,アラビア半島,イラク,イラン,シリア,アナトリア,東アフリカ,南ロシア,コンスタンティノポリスを歴訪
ダンテ(世界人名大辞典・世界文学大事典)
1265.5.21(-6.21)~1321.9.13(14)イタリアの詩人,哲学者.フィレンツェに生まれる.若い頃から詩人カヴァルカンティやチーノ・ダ・ピストイアらと交友があり,ラティーニに師事して修辞学を学ぶ.この頃イタリア語での詩作を始め,いくつかは《詩集:Rime》に収められている
マルコ・ポーロ(世界人名大辞典・世界文学大事典)
1254~1324.1.8ヴェネツィアの商人,東洋旅行家.父(Niccolo P.)および叔父(Matteo P.)は,クリミア半島からキプチャク・ハン国に至ったが,戦乱のため帰路を閉ざされてさらに東方に向かい,モンゴル帝国の首都ドロンノール(上都開平府)においてクビライに拝謁した
トマス・アクィナス(世界人名大辞典・世界文学大事典)
1225(-27)~74.3.7イタリアの盛期スコラ学最大の神学者,哲学者,聖人.アクィーノ伯家に生まれる.モンテ・カッシーノおよびナポリで教育をうけ,ドミニコ会に入った [1244].パリおよびケルンに赴き,主としてパリに滞在して [45-59],アルベルトゥス・マグヌスに師事
クビライ(世界人名大辞典・国史大辞典)
尊号:セチェン・カーンSečen Qaγan 諡号:聖徳神功文武皇帝 廟号:世祖〔漢〕忽必烈1215.9.23~94.2.18[世祖至元31.1.22]モンゴル帝国の第5代カーン(元朝皇帝) [1260/94].トルイの4男,チンギス・カンの孫,生母はソルカクタニ・ベキ.モンケがカーンに即位すると
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