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独ソ戦争

ジャパンナレッジで閲覧できる『独ソ戦争』の日本大百科全書・世界大百科事典のサンプルページ

日本大百科全書(ニッポニカ)

独ソ戦争
どくそせんそう
Russo-German War

第二次世界大戦の重要な一局面をなす1941~45年のソ連とドイツ・イタリアなど枢軸同盟国との戦争。ソ連では「大祖国戦争」Velikaya otechestvennaya voina Sovetskogo Soyuzaとよぶ。41年6月22日ドイツ軍の全面的なソ連領侵攻で始まった。ここに1939年9月以来の英独戦争は、英ソ対ドイツの戦争に拡大された。初め不意をつかれたソ連軍は敗退し、ヒトラーは短期決戦によるソ連征服を豪語したが、ソ連国民はスターリンの指導下に祖国擁護に立ち上がり、ヒトラーの世界戦略を破綻 (はたん)させただけでなく、連合国側の勝利に大きく貢献した。43年初めのスターリングラード(ボルゴグラード)におけるソ連軍の勝利は第二次大戦の決定的な転機となり、以後ドイツ軍は敗退を重ねたからである。45年5月8日、ドイツ軍の無条件降伏で独ソ戦争は終了した。

[吉田輝夫]



世界大百科事典

大祖国戦争
だいそこくせんそう
Velikaya otechestvennaya voina Sovetskogo Soyuza

1941-45年のソ連邦とドイツおよびその同盟国との戦争に与えられたソ連側の呼称。第2次世界大戦の一部を構成するもので,1941年6月22日,ドイツ側の奇襲攻撃に始まり,45年5月8日,ベルリン近郊カールスホルストにおけるドイツ軍の無条件降伏文書の調印をもって終わった。ソ連側では3期に区分しており,第1期(1941年6月~42年11月)は防衛戦闘から戦線の膠着(こうちやく)化まで,第2期(1942年11月~43年12月)はスターリングラード(現,ボルゴグラード)における反撃から総反攻への移行まで,第3期(1944年1月~45年5月)はウクライナ解放からベルリン陥落までとしている。ソ連が勝利のために支払った代償はあまりにも大きく,2000万人の人命を失い,富の1/3が灰燼(かいじん)に帰した。なおこの名称は,1812年6月~12月,ナポレオンのモスクワ遠征を撃退した戦争が同じく祖国戦争と呼ばれていたことにちなんだものである。
→第2次世界大戦
[平井 友義]

[索引語]
Velikaya otechestvennaya voina Sovetskogo Soyuza 第2次世界大戦 祖国戦争
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検索コンテンツ
1. 独ソ戦争
日本大百科全書
的な転機となり、以後ドイツ軍は敗退を重ねたからである。45年5月8日、ドイツ軍の無条件降伏で独ソ戦争は終了した。吉田輝夫
2. どくソ‐せんそう[‥センサウ]【独ソ戦争】
日本国語大辞典
第二次世界大戦中の主要な戦いの一つ。一九四一年六月二二日独ソ不可侵条約を破って、ドイツはソ連に攻撃を開始、四二年秋までにレニングラード(現サンクトペテルブルク)
3. 尾崎秀実時評集 日中戦争期の東アジア 388ページ
東洋文庫
つまり反ソ戦線形成の可能性がこの期に及んでも毫も根本的に払拭されてゐないことを意味してゐるのである。 独ソ戦争は世界戦争の抗争態勢を猛烈にかき乱したのである。し
4. 尾崎秀実時評集 日中戦争期の東アジア 438ページ
東洋文庫
一九四一年(昭和一六年) 一月、企画院事件、一斉検挙はじまる。 四月一三日、日ソ中立条約調印。 六月二二日、独ソ戦争はじまる。 九月、関東軍特別演習の動静をさぐ
5. 尾崎秀実時評集 日中戦争期の東アジア 470ページ
東洋文庫
 その後、一九四一年六月には独ソ戦争がはじまり、情勢は一気に緊迫する。この年四月にはすでに日ソ中立条約がむすばれていたが、日本ではこれを機に対ソ開戦し、ドイツと
6. 尾崎秀実時評集 日中戦争期の東アジア 472ページ
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言及している。 尾崎は早くから、抗日戦争をつうじて中国の社会革命がすすむと考えていた。また、独ソ戦争によって危機に陥ったソ連については、国家の正規軍同士の戦闘に
7. カルガ
日本大百科全書
ロシアの南境を守る要塞ようさいであった。17~19世紀に商業の中心地として発展した。1941年に始まった独ソ戦争ではドイツ軍に占領された。中村泰三
8. ソコロフスキー(Sokolovsky, Vasily Danilovich)
世界人名大辞典
9[21]~1968.5.10〕 ソ連の軍人.ポーランドで生まれ,赤軍で軍務につく[1918].独ソ戦争[41-45]では西部戦線司令官となり[43],ついでウ
9. ソビエト連邦画像
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策を追求した。しかし,ついに41年6月22日,ナチス・ドイツはソ連を電撃的に奇襲攻撃した。 独ソ戦争 スターリンがこの時点での攻撃を予想せず,また正確な情報をも
10. ソれんのたいにちさんせん【ソ連の対日参戦】
国史大辞典
対象となった場合には他方の締約国は中立を守ることを約した。その直後の六月にドイツの攻撃により独ソ戦争が勃発すると、国内には対ソ攻撃を主張する北進論と南進論とが対
11. 大祖国戦争
日本大百科全書
独ソ戦争
12. 第二次世界大戦画像
日本大百科全書
近い将来の独ソ戦争を不可避とみていたが、この6月とは予想しなかったようである。各方面から警告は受けていたけれども、独ソ間はまだ調整できると思っていたのではあるま
13. だいにじ‐せかいたいせん【第二次世界大戦】
日本国語大辞典
世界的規模の戦争。一九三九年九月、ドイツのポーランド侵入によって開始され、英・仏の対独戦争、独ソ戦争、太平洋戦争と拡大した。はじめ、枢軸国が優勢であったが、一九
14. チェルヴェンコフ(Chervenkov, Valko Velyov)
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15. ナチス
日本大百科全書
界大戦を引き起こした。40年9月27日、日独伊三国同盟を結び、41年6月22日ソ連に侵入して独ソ戦争を起こし、ついに敗れて45年4月30日ヒトラーは自殺し、5月
16. 日米交渉
世界大百科事典
決意して内閣総辞職を決行,7月18日第3次近衛内閣が成立した(外相豊田貞次郎)。しかしその間6月22日の独ソ戦争勃発を契機に米英ソ3国による反枢軸連合が形成され
17. 日ソ中立条約
世界大百科事典
和国の,ソビエトは満州国の領土保全と不可侵を尊重するとの声明が発表された。しかしこの条約は,独ソ戦争が起こったときには矛盾する性格をもち,しかもドイツは40年1
18. にっソちゅうりつじょうやく【日ソ中立条約】
国史大辞典
積極化する上で有利な外交的布石であった。重慶政権に与えた精神的打撃も見逃しえない。十六年六月下旬突如勃発した独ソ戦争に際して、参謀本部その他に擡頭した対ソ開戦論
19. 仏印進駐
世界大百科事典
日禁輸を発表し,イギリスも10月18日援蔣ビルマ・ルートを再開した。ついで日米交渉が難航し,独ソ戦争が開始された直後の41年6月25日,大本営政府連絡会議は〈南
20. ブイカウ(Bykau, Vasil Uladzimiravich)
世界人名大辞典
Bykov)〔1924.6.19~2003.6.22〕 ソ連・ベラルーシの作家.自らも従軍した第二次大戦(独ソ戦争)を描く作品が多い.《三番目の信号弾:Трэц
21. ミコヤーン(Mikoyan, Anastas Ivanovich)
世界人名大辞典
を支えた.人民委員会議副議長(副首相)兼外国貿易人民委員(外国貿易相)となり[38-49],独ソ戦争中は国家防衛委員会委員として食糧,燃料の確保に努めた.副首相
22. 冷戦史(年表)
日本大百科全書
談、ドイツ軍がチェコスロバキアのズデーテン併合1939第二次世界大戦。独ソ不可侵条約1941独ソ戦争開始1943テヘラン会談(米、英、ソ3巨頭会談)、戦後のドイ
「独ソ戦争」の情報だけではなく、「独ソ戦争」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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