戦争に関連するサンプルページ一覧

核兵器(日本大百科全書)
核分裂や核融合など、原子核反応によるエネルギーを爆発的に発生させ、大量破壊や殺傷のために用いる兵器。▲核兵器の種類世界最初の核兵器は核分裂兵器で、1945年(昭和20)7月に完成し、8月6日には広島に、9日には長崎に投下され、二つの都市は壊滅した
玉音放送(日本大百科全書・世界大百科事典)
1945年(昭和20)8月15日正午から、昭和天皇自らが太平洋戦争終結の決定を国民に伝えるために行った録音放送。それまでは、天皇は神聖なものであるからラジオに出ることはなかった。この年7月26日に日本の無条件降伏を要求するポツダム宣言が出されたが
上野戦争(国史大辞典)
明治元年(一八六八)五月、江戸上野で彰義隊と政府軍との間におこった戦争。彰義隊は前将軍徳川慶喜に一橋家時代からつかえた渋沢喜作・天野八郎ら旧幕臣が中心となって結成したもので、当初は浅草本願寺を屯所としたが、のち上野寛永寺大慈院に謹慎中の慶喜の護衛を
彰義隊(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
戊辰(ぼしん)戦争の佐幕派の軍事集団。鳥羽(とば)・伏見(ふしみ)の戦いに敗れた将軍徳川慶喜(よしのぶ)が江戸に帰り上野に謹慎した1868年(慶応4)2月12日、旧一橋(ひとつばし)家家臣17名が江戸雑司谷(ぞうしがや)に会合して慶喜の復権と薩摩
白虎隊(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
戊辰(ぼしん)戦争期における会津藩の少年正規軍。1868年(慶応4)正月の鳥羽(とば)・伏見(ふしみ)の戦いに敗れた旧京都守護職の会津藩主松平容保(かたもり)は、維新政府への抗戦を主張、徳川慶喜(よしのぶ)が恭順の態度を示すや、帰藩して軍事力の強化を
原子爆弾(世界大百科事典)
ウラン235,プルトニウム239などの原子核分裂の連鎖反応のさい放出される核分裂エネルギーを破壊目的に利用した核兵器。原子爆弾が人間の殺傷,住宅の破壊に実際に用いられたのは1945年8月6日広島市,8月9日長崎市においてだけであり,投下したのは
ポツダム宣言(日本大百科全書・世界大百科事典)
1945年(昭和20)7月に開かれたポツダム会談で協議されたうえ、同年7月26日、米英中三国政府首脳の連名で日本に対して発せられた降伏勧告の宣言。この宣言は全部で13項からなり、日本がこのまま戦争を継続すれば日本の国土は完全に荒廃してしまうこと(3項
鳥羽・伏見の戦(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
戊辰(ぼしん)戦争最初の内乱。王政復古後、新政府内部において、討幕派は公議政体派を抑え、前将軍徳川慶喜(よしのぶ)に辞官納地を命じた。慶喜は大坂に退いて主導権回復を策したが、討幕派の関東での挑発、攪乱(かくらん)工作にのり、江戸薩摩(さつま)藩邸を焼
戊辰戦争(国史大辞典・世界大百科事典・日本大百科全書)
明治元年(一八六八)正月三日に始まる鳥羽・伏見戦争(鳥羽・伏見の戦)から上野戦争、そして北越(北陸)戦争・東北戦争、さらに翌二年五月に終る箱館戦争までの戦争の総称。明治元年が干支で戊辰の年にあたるので、この呼称がつけられている。〔鳥羽・伏見戦争・上野
沖縄戦(日本大百科全書・世界大百科事典)
太平洋戦争の最終段階で沖縄諸島を舞台に戦われた日米両軍による地上戦。「日米最後の戦闘」「沖縄決戦」と称されるときもある。[高良倉吉]▲戦闘前夜戦局も押し詰まった1944年(昭和19)3月、本土決戦の防備ラインとして南西諸島を守備すべく第三二軍
オスマン帝国(世界大百科事典・日本大百科全書)
中央アジアから移住したトルコ族によって建国され,西アジア(イランを除く),北アフリカ,バルカン,黒海北岸,およびカフカス南部を支配したイスラム国家。1299-1922年。正称アーリ・オスマンĀl-ı Osman(〈オスマンの家〉の意)
ロシア帝国(世界大百科事典)
18世紀初めから1917年のロシア革命までのロシア。帝政ロシアともいう。正式には1721年にピョートル1世(大帝)が皇帝(インペラートルimperator)の称号をとってから,1917年の二月革命でニコライ2世が退位するまでをいう
ドイツ帝国(世界大百科事典・日本大百科全書)
ドイツで帝制をとった国家は史上2度あり,第1は神聖ローマ帝国(962-1806),第2がビスマルクのドイツ統一により実現したドイツ帝国(1871-1918)で〈第二帝国〉ともいう。ヒトラーのナチス国家(1933-45)もこれに次ぐものとし
ロシア革命(世界大百科事典・日本大百科全書・日本国語大辞典・文庫クセジュ)
20世紀世界史において最も巨大な意義をもった社会変革。マルクス主義者をユーラシア大陸に広がる大国の権力の座につけ,社会主義の名のもとに新しい社会体制をつくり出す一方,反資本主義,反帝国主義の革命運動を全世界に拡大する火元を生み
日英同盟(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
日露戦争前から第一次世界大戦後のワシントン会議直後まで日英間に結ばれていた同盟条約。〔由来〕明治三十一年(一八九八)三月十七日イギリス植民相チェンバレンは、ロンドン駐在の日本公使加藤高明を招き、ロシアの進出に直面する極東の国際情勢について
三国同盟(世界大百科事典・日本大百科全書)
1882年から1915年まで存続したドイツ,オーストリア・ハンガリー,イタリア間の秘密軍事防御同盟。英仏露三国協商と対立し,第1次世界大戦の一方の陣営を形成した。ドイツ帝国成立後のビスマルク外交の目標は,フランスを孤立させ,その対独復讐戦争を
九ヵ国条約(世界大百科事典・日本大百科全書)
1922年2月6日,アメリカ,ベルギー,イギリス,フランス,中国,イタリア,日本,オランダ,ポルトガルの計9ヵ国の間でワシントン会議の一環として調印された条約。中国の主権・独立・領土的行政的保全の尊重,中国における商工業上の機会均等
ワシントン会議(国史大辞典・日本大百科全書)
大正十年(一九二一)十一月十二日から翌年二月六日まで、アメリカの提唱によりワシントンで開催された、海軍軍縮および極東・太平洋問題に関する国際会議。この会議で締結された一連の広範な諸条約・決議からなる「ワシントン体制」は、欧州における
ベルサイユ条約(日本大百科全書・国史大辞典)
第一次世界大戦に終結を与えた講和条約。1919年6月28日パリ郊外のベルサイユ宮殿「鏡の間」で連合国とドイツとの間に調印された。中国代表は講和会議には参加したが、山東問題の処理に反対して、この条約に調印しなかった。また、アメリカ合衆国は
三国協商(世界大百科事典・日本大百科全書・国史大辞典)
1891-94年にかけて成立した露仏同盟,1904年の英仏協商,07年の英露協商により生じたイギリス,ロシア,フランス3国間の友好関係の総称。三国協商についての特定の規約はない。フランスはドイツ帝国宰相ビスマルクの外交政策(三帝同盟)によって
サライエボ事件(日本大百科全書・世界大百科事典)
1914年6月28日、オーストリア・ハンガリー帝国の皇位継承者フランツ・フェルディナント大公夫妻が狙撃(そげき)暗殺された事件。第一次世界大戦の導火線となった。大公夫妻は、1908年以来オーストリアに併合されていたボスニアの州都サライエ
南北戦争(日本大百科全書・世界大百科事典・日本国語大辞典)
1861~65年のアメリカ合衆国の内戦。当時34州を数えた合衆国が「南部」11州と「北部」23州とに分かれて、文字どおり国を二分して同胞が相争った南北間の内戦であった。したがって、この戦争は「諸州間の戦争」War between the Statesとよばれることもある
長州征伐(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
1864年(元治1)、1865~66年(慶応1~2)にかけて行われた幕府による征長出兵。長州藩では第二次征長を四境戦争とよぶ。[吉本一雄]第一次 1864年7月の蛤御門の変(禁門の変)によって長州藩追討の名目を得た幕府は、尊攘派に打撃を与える意図もあって、征長を表明し出軍した。
方広寺鐘銘事件(国史大辞典)
豊臣秀頼による方広寺大仏殿再興に際しひき起され、大坂冬の陣の原因の一つとなった事件。豊臣秀頼は、亡父秀吉追善供養のため、慶長七年(一六〇二)、方広寺大仏殿(東山大仏堂)の再建に着手したが、年末の失火で頓挫、あらためて片桐且元を奉行に七年後に事業を再開、同十五年六月
関ヶ原の戦い(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
1600年(慶長5)9月、徳川家康の率いる東軍と、石田三成を中心とする西軍によって、美濃国関ヶ原(岐阜県不破郡関ヶ原町)で行われた「天下分け目」の戦い。 [岡本良一]三成挙兵 1598年(慶長3)豊臣秀吉が死ぬと、豊臣政権はたちまち内部分裂の兆しをみせ始めた。秀吉は生前から、家康の
島原の乱(島原・天草一揆)(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
江戸時代初期、松倉勝家領の肥前国島原と同国唐津寺沢堅高領の肥後国天草の領民が連帯し、少年益田(天草)四郎時貞を盟主に蜂起し、島原の原城にたてこもって幕府・諸藩兵と戦い、全員誅殺された大農民一揆。天草一揆ともいう。この一揆に対する
生田万の乱(国史大辞典・日本大百科全書)
天保八年(一八三七)六月一日の明け方、平田篤胤の元塾頭生田万らが桑名藩領柏崎陣屋(新潟県柏崎市)に乱入した事件。柏崎騒動ともいう。柏崎陣屋は桑名藩の越後領四郡六万石の総支配所で、大役所・預役所・刈羽会所の三役所があり、郡代以下五十数名で領政を担当していた。
大塩平八郎の乱(日本大百科全書・国史大辞典)
江戸後期、大坂で大塩平八郎らが救民のため挙兵した反乱。1828年(文政11)の九州大洪水より、断続的に天災による諸国異作が続き、36年(天保7)は未曽有の大飢饉であった。この打ち続く凶作・飢饉により米価高騰し、大坂市中には飢餓による死者が続出する。
天狗党の乱(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
幕末期水戸藩尊攘激派(天狗党)による筑波山挙兵とそれを契機に起った争乱。天狗の呼称は水戸藩藩主徳川斉昭が天保度の藩政改革を実施した際、改革を喜ばない門閥派が改革派藩士を批難したところから発したもので、改革派には軽格武士が多かったから
禁門の変(蛤御門の変)(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
元治元年(一八六四)七月、京都での尊攘派の勢力挽回を策した長州軍と京都を守る会津・薩摩藩を中心とする公武合体派軍との軍事衝突。元治甲子の変または蛤御門の変ともいう。文久三年(一八六三)八月十八日の政変は、それまで京摂間で猛威を
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