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上野戦争

ジャパンナレッジで閲覧できる『上野戦争』の国史大辞典のサンプルページ

国史大辞典

上野戦争
うえのせんそう
明治元年(一八六八)五月、江戸上野で彰義隊と政府軍との間におこった戦争。彰義隊は前将軍徳川慶喜に一橋家時代からつかえた渋沢喜作・天野八郎ら旧幕臣が中心となって結成したもので、当初は浅草本願寺を屯所としたが、のち上野寛永寺大慈院に謹慎中の慶喜の護衛を名目として屯所を上野に移した。四月十一日江戸城開城が行われたが、これ以後関東地方では江戸を脱走した旧幕臣や反政府的諸藩脱走士らが反政府的抵抗戦をくりひろげた。一揆・打ちこわしも各地におこり、反政府的武士と農民とが合流する場合もしばしばあった。このなかで、彰義隊は政府にとってきわめて危険な存在であった。彰義隊は解隊命令に服さず、輪王寺宮公現入道親王への京都召還命令をも拒否し、しばしば政府軍兵士と衝突しこれを殺傷した。この時期には政府軍の権威は極度に低下し、政府内では困難のあまり江戸城放棄論をとなえる有力者もでるほどであった。だが江戸・関東に皇威を浸透させることは、政府の全国統一事業に不可欠のことであった。そこで大総督府は、上野彰義隊の討伐を決意し、五月十五日、軍務官判事大村益次郎の作戦計画に従って、薩摩藩兵らは黒門口の正面から、長州藩兵らは本郷団子坂方面から、その他の諸藩兵は他の方面から一斉に進撃し、わずか一日で彰義隊を撃滅した。輪王寺宮は覚王院義観らに護られて上野を脱し、のち奥羽越列藩同盟の盟主となった。上野戦争以後、関東や周辺地帯の反政府勢力は次第に弱まり、政府の権威は恢復していった。また政府軍は、関東地方の秩序の恢復に伴い東北征討に新兵力を増強し、陣容を整備し優位にたつことができた。さらに、上野戦争直後に政府は徳川氏の駿河移封と七十万石下賜を伝達し、江戸・関東支配のための新機関を設置した。こうして、関東経営、江戸の東京化などは上野戦争の勝利によって軌道にのせることができたのである。→彰義隊(しょうぎたい),→戊辰戦争(ぼしんせんそう)
[参考文献]
太政官編・東大史料編纂所編『復古記』四―六、山崎有信『彰義隊戦史』、大村益次郎先生伝記刊行会編『大村益次郎』、原口清『戊辰戦争』(『塙選書』二九)、石井孝『維新の内乱』(『至誠堂新書』五六)
(原口 清)
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検索コンテンツ
1. うえの‐せんそう[うへのセンサウ]【上野戦争】
日本国語大辞典
中心とする征討軍が攻撃、壊滅させた戦い。彰義隊戦争。*風俗画報‐二〇五号〔1900〕末広町「明治元年五月。上野戦争の際は、最初此辻番所の前に於て、両軍衝突して戦
2. うえのせんそう【上野戦争】
国史大辞典
整備し優位にたつことができた。さらに、上野戦争直後に政府は徳川氏の駿河移封と七十万石下賜を伝達し、江戸・関東支配のための新機関を設置した。こうして、関東経営、江
3. 上野戦争
日本史年表
1868年〈慶応4明治元(9・8) 戊辰④〉 5・15( 7・4 ) 新政府軍、上野の彰義隊を攻撃( 上野戦争 )。
4. とばふしみせんそううえのせんそう【鳥羽・伏見戦争・上野戦争】 : 戊辰戦争
国史大辞典
〔鳥羽・伏見戦争・上野戦争〕 慶応三年(一八六七)十二月九日の王政復古クーデターによって成立した新政府は、皇族有栖川宮熾仁親王が就任した総裁、公卿・諸侯を任じ
5. 上野戦争実記(著作ID:68928)
新日本古典籍データベース
うえのせんそうじっき 柳亭種彦三世(りゅうていたねひこ3せい) 編 小林永濯(こばやしえいたく) 画 実録 明治八
6. 上野戰爭碑記 (見出し語:上野[江戸])
古事類苑
宗教部 洋巻 第4巻 354ページ
7. 桜田雪の朝及上野戦争(著作ID:473961)
新日本古典籍データベース
さくらだゆきのあさおよびうえのせんそう 雑史 
8. あだちく【足立区】東京都地図
日本歴史地名大系
六八)七月、旧幕府領は武蔵知県事桑山圭助(桑山効)の管轄下となった。旧東叡山寛永寺領は五月の上野戦争後の経緯は不明ながら、同年九月に桑山に対し鹿浜村から村内の組
9. あらかわく【荒川区】東京都地図
日本歴史地名大系
てられ刑死者らの菩提を弔った。また同年火葬寺も置かれている。〔近現代〕慶応四年(一八六八)の上野戦争では谷中本村の善性寺が彰義隊の屯所となった。また敗走する彰義
10. いしかわ-とよたろう【石川豊太郎】
日本人名大辞典
鳥羽・伏見の戦いでは,藩の命令をまたず,薩長軍とともに幕府軍をうちやぶり,藩論も討幕にさだまったという。上野戦争,東北戦争にも功をたてた。明治5年陸軍大尉。明治
11. うえの【上野】東京都:台東区/旧下谷区地区地図
日本歴史地名大系
藩同盟軍の抵抗へと拡大し、慶応四年(一八六八)四月上野の山内に立籠った幕府方の彰義隊の反乱(上野戦争)もその一部であった。五月一五日、総勢二千人足らずの同隊員は
12. 上野(東京都)画像
日本大百科全書
元禄げんろくの大火で焼失したが、ただちに再建され、1868年(慶応4)の戊辰戦争ぼしんせんそう(上野戦争)で再度焼失するまでその威容を誇った。支配総祠堂しどうは
13. うえのおんしこうえん【上野恩賜公園】東京都:台東区/旧下谷区地区/上野公園地地図
日本歴史地名大系
れている。旧寛永寺黒門付近には高村光雲作の西郷隆盛の銅像、その背後には慶応四年(一八六八)の上野戦争で戦死した彰義隊士の墓所がある。山岡鉄舟筆の同墓碑は明治一四
14. うえのやましたちよう【上野山下町】東京都:台東区/旧下谷区地区地図
日本歴史地名大系
音堂、南は下谷町二丁目拝領屋敷、北は清水観音堂別当の普門院と堀を挟んで接していた。山下一帯は上野戦争でも戦火にあったが、明治二年瓦葺家屋の建築が認められ、町とし
15. 榎本武揚画像
日本大百科全書
幕府の注文した軍艦開陽丸に乗って帰国、同艦の船将となる。1868年(慶応4)海軍副総裁となる。江戸開城、上野戦争で幕府が崩壊したのちも、幕府軍艦の明治政府への引
16. 大倉喜八郎[文献目録]
日本人物文献目録
【書誌】:0件 【図書】:15件 【逐次刊行物】:7件 『還暦銀婚之記』田辺浩(編刊)『上野戦争の昔話』大倉喜八郎『致富の鍵』大倉喜八郎『奮闘成功録』岩崎錦城『
17. 太田広正[文献目録]
日本人物文献目録
【逐次刊行物】:2件 『太田君国事に鞅掌せられたる来歴』太田広正『太田広正君国事鞅掌来歴 附上野戦争』太田広正
18. おがさわら-ただはち【小笠原只八】
日本人名大辞典
山内豊信(とよしげ)にみとめられて大監察となり,土佐勤王党を弾圧。のち板垣退助らと討幕派の中心人物となる。上野戦争では大村益次郎を補佐して活躍。東北戦争に大軍監
19. おがわ-すぎた【小川椙太】
日本人名大辞典
天保(てんぽう)8年8月15日(一説に14年11月15日)生まれ。一橋家につかえ,彰義隊結成に参加。上野戦争後捕らえられ,明治2年恩赦。7年私財を投じ,上野公園
20. かつら‐ぶんじ【桂文治】
日本国語大辞典
四代の長男。前名、文楽(三代)。後名、楽翁。江戸の人。道具入り芝居噺(しばいばなし)を得意とし、「上野戦争」「高橋お伝」「西郷隆盛」などの際物(きわもの)を上演
21. 瓦版 36[別刷図版]画像
国史大辞典
幕府軍と討幕軍の戦端が開かれた。官軍の勝利により、歴史の歯車は大きく回りはじめた。以後官軍の東征戦、上野戦争、奥羽北越戦争と戦場は移り、江戸幕府は瓦解した。 8
22. 瓦版 37[別刷図版]画像
国史大辞典
93 「焼場方角附」 慶応4年5月 慶応4年(1868)5月15日朝、官軍と彰義隊との戦闘(上野戦争)で焼失した上野一帯の焼場図。大村益次郎の指揮で各藩の兵2,
23. かんえいじ【寛永寺】東京都:台東区/旧下谷区地区/上野桜木町地図
日本歴史地名大系
院を建立、住僧を派遣した。いわゆる蝦夷三官寺の一である。しかし寛永寺は慶応四年(一八六八)の上野戦争の折に幕府側にくみしたため朝敵並に扱われ、明治に入るとこうし
24. きしろ-はなの【木城花野】
日本人名大辞典
文政5年12月8日生まれ。菊池袖子,木村定良らにまなぶ。幕臣木城安太郎と結婚するが,慶応4年上野戦争で夫をうしなう。維新後,大教院女教導職をへて,栃木の模範女学
25. ぎかん【義観(3)】
日本人名大辞典
慶応4年能久(よしひさ)親王とともに新政府軍に徳川家の救済を嘆願するが失敗。以後主戦論に転ずる。上野戦争に敗れ,会津(あいづ),仙台へとのがれるが捕らえられ,明
26. くるめはん【久留米藩】
国史大辞典
隊員には筑後勤王党関係者が多く、その数約三百人。隊費は藩の援助と一般からの寄付によった。同年の上野戦争、東北戦争、さらに箱館五稜郭戦争で活躍。凱旋後藩内で力を増
27. けんきゅうし【研究史】 : 戊辰戦争
国史大辞典
なお『日本史の問題点』(昭和四十年)に原口・石井論争を整理した鎌田永吉「戊辰戦争」が収録されている。 →上野戦争(うえのせんそう),→東北戦争(とうほくせんそう
28. 講談落語今昔譚 226ページ
東洋文庫
種にして西南戦争を売物にして芝居噺に演じ、附髭などをして西郷隆盛に扮し、大に喝采を得た所から、引続いて上野戦争や高橋お伝などの際物を演じ、桜田事件などを演る時は
29. 講談落語今昔譚 2ページ
東洋文庫
306岩本亭(席名) 284因果話 119因縁つ父き物語 179駄駄妹背山(書名) 119う上野戦争 226右圓(松林) 253浮かれ節の元祖 160浮世床 1
30. さくま-みずえ【佐久間瑞枝】
日本人名大辞典
しょうざん)と結婚。象山が暗殺されたのちは順子から瑞枝と改名し,兄海舟の世話をした。慶応4年上野戦争で新政府軍の一隊が海舟をもとめて邸内に侵入した際,平然として
31. しづくじんやあと【志筑陣屋跡】茨城県:新治郡/千代田村/中志筑村
日本歴史地名大系
震による江戸屋敷の損壊、翌三年の暴風による大災害のため再び窮迫化する。本堂氏は明治維新の際の上野戦争や会津戦争などの功で明治元年(一八六八)に一万一一〇石に加増
32. しょうぎたい【彰義隊】画像
国史大辞典
また、品川沖の榎本武揚らの旧幕府艦隊に走った。これは上野戦争ともよばれる。昭和五十七年(一九八二)上野公園内には彰義隊資料室が開館された。→上野戦争(うえのせん
33. すずき-たけごろう【鈴木武五郎】
日本人名大辞典
。薩摩(さつま)鹿児島藩士。城下小銃一番隊長となり,戊辰(ぼしん)戦争では鳥羽・伏見の戦い,上野戦争,会津(あいづ)戦争などに活躍。凱旋(がいせん)の途中熱病に
34. すずき-ときのぶ【鈴木時信】
日本人名大辞典
文化13年生まれ。江戸上野寛永寺の輪王寺宮門跡(もんぜき)に4代にわたってつかえる。慶応4年の上野戦争のあと公現法親王(能久(よしひさ)親王)をまもり幕艦で海路
35. 随筆 明治文学 2 文学篇・人物篇 221ページ
東洋文庫
「江湖新聞」といふのを発刊して、佐幕開国の議論を公にした。新聞は大歓迎で、桜痴も中々得意だつたが、上野戦争の後、官軍に害ある議論を草して人心を煽動したといふ廉で
36. 随筆 明治文学 3 人物篇・叢話篇 147ページ
東洋文庫
しく仕付けられたものであつた。 それは後として、順序を追うて語ると、先生の生れた翌年の五月が上野戦争だ。弾丸の飛ぶ危い中を、お母様に負はれて浅草諏訪町の控家に立
37. 昔夢会筆記 徳川慶喜公回想談 357ページ
東洋文庫
田安亀之助(のち家達)に徳川家を相続せしめる旨の勅詫を伝える。・五月三日、奥羽越列藩同盟成立。・五月一五日、上野戦争起る。・五月二四日、徳川家を駿河府中七十万石
38. 昔夢会筆記 徳川慶喜公回想談 11ページ
東洋文庫
1838-1931幕臣。実業家。初名成一郎。武蔵の人。渋沢栄一の従兄。一橋家,ついで幕府に仕え,上野戦争の彰義隊の中心となる。のち振武軍を率い箱館で抗戦。維新後
39. 増補 私の見た明治文壇 1 113ページ
東洋文庫
なりと思ひて『江湖新聞』と題せる小冊新聞紙を編輯して世に出したるに頗る評判よかりしが其年五月上野戦争の後数日鎮守府の手に召捕へられ糺問所の獄に繫がれたり官軍に害
40. 増補 私の見た明治文壇 1 147ページ
東洋文庫
門人魯文京鶴等棺を舁ぎて荼毘所に送り其の遺骨を魯文が墓所谷中永久禅寺に埋葬し纔に標碑を残せしが、上野戦争の刻み砲丸飛び来りて其の小碑粉砕せり、依て這般魯文等二世
41. たいとうく【台東区】東京都地図
日本歴史地名大系
であったが、慶応四年(一八六八)五月の輪王寺宮を奉じて同寺に入った彰義隊と新政府軍との戦い(上野戦争)で諸堂宇を焼失した。〔中世・近世遺跡〕中世遺跡としては上野
42. たかだはん【高田藩】画像
国史大辞典
唱えて藩主榊原政敬の姓「榊」の字を分けた意味の神木隊を結成した。彰義隊に加わり、五月十五日の上野戦争では小浜藩の浩気隊とともに奮戦し、十七人の戦死者を出した。生
43. たけだ-ぶつま【武田仏磨】
日本人名大辞典
曹洞(そうとう)宗。江戸下谷円通寺の住持となる。慶応4年寛永寺の御用商人三河屋幸三郎とともに,上野戦争で戦死した彰義隊隊士の遺体を山王台で火葬し,円通寺にほうむ
44. ちゅうがいしんぶん【中外新聞】
国史大辞典
稿も多い。売行き好評で三版を重ねた。なお本紙の増刊号として『中外新聞外篇』巻一から二十三と、上野戦争を即日報じた号外の祖ともいうべき『別段中外新聞』をも発行した
45. 東京年中行事 1 262ページ
東洋文庫
明治元年一月十五日は上野の黒門の守の落ちた目である。その前日+四日には、毎年下谷通新町の円通寺に於て上野戦争殉難者の追悼法会が行なわれ、十五日には上野山王台の彰
46. とうこうのみことのり【東幸の詔】
国史大辞典
江戸を京都と同等に扱い、旧敵地で天皇が親政を行うという決意表明の意味が込められていた。東幸は上野戦争(同年五月)の終結後まもなく木戸孝允ら政府首脳の一部によって
47. 当世書生気質
日本大百科全書
1885年(明治18)6月~86年1月、全17冊、2月合本2冊、晩青堂刊。著者名は春のやおぼろ。維新の上野戦争で家族と離れ、流離の始まった娘お芳よしが王子権現近
48. 当世書生気質
世界大百科事典
温泉など,開化の東京の遊楽地に出没する書生たちの風俗をスケッチした滑稽本ふうの挿話がからむ。上野戦争に遭遇した家族の離散と兄妹の再会というように古風な趣向もすく
49. なべしまなおひろ【鍋島直大】
国史大辞典
同局権輔、三月横浜裁判所副総督となり、五月総野鎮撫の命を受け、藩兵を上野・東北戦争に送った。上野戦争では江戸城本丸で指揮をとり、藩兵らがアームストロング砲で活躍
50. 南洋探検実記 249ページ
東洋文庫
江戸開城の際孫四郎は幕府勘定所を官軍に引き継ぐ役目をはたす。五月一一日、彰義隊に加わり鼓手となる。一五日、上野戦争が始まり、会津に下向する輪王寺宮に扈従して警護
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