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  11. 第二次世界大戦

第二次世界大戦

ジャパンナレッジで閲覧できる『第二次世界大戦』の国史大辞典・日本国語大辞典のサンプルページ

国史大辞典
第二次世界大戦
だいにじせかいたいせん
第一次世界大戦につぐ二度目の世界戦争。日本・ドイツ・イタリアなど枢軸諸国の侵略によって始まり、これに対抗して結成された反ファシズム連合との間で一九四五年(昭和二十)まで戦われた戦争。地域的にはアジア・太平洋地域の戦争と、ヨーロッパ・北アフリカ・大西洋地域の戦争の複合した戦争であり、前者に視点をおけば大戦の開始年代は満洲事変、日中戦争の始まった一九三一年、一九三七年ともいえ、後者を重く見れば一九三九年に大戦が開始されたという通説が成立する。

〔起源〕

満洲事変は日本国内の軍部ファシズム運動と密接に関連していたが、やがて一九三七年には全面的な日中戦争に発展した。戦争は華北から華南にまで拡大したが、抗日民族統一戦線に結集した中国の民族的抗戦の発展により日本の軍事的勝利の道はゆきづまった。このころから日本の支配層は独伊との枢軸を強化して前途を打開しようとしたので、大戦のアジアにおける起源はヨーロッパの戦争と結びつくようになった。大戦のヨーロッパにおける起源の一つは、一九三五年十月三日に始まるイタリアのエチオピア侵略である。翌年イタリアはエチオピアを併合(五月九日)するとともにスペイン内戦に積極的に介入し、さらに三九年四月七日にはアルバニアを併合するなど、ムッソリーニのめざす「ローマ地中海帝国の復活」を目標に侵略を拡大した。ドイツでも大恐慌に伴う深刻な危機のなかで三三年一月三十日ヒトラー政権が成立、三五年三月十六日には再軍備を宣言、翌年三月七日にはラインラント非武装地帯に進駐したので、第一次世界大戦後のベルサイユ体制は完全にくずれた。この年十月独伊の間に了解が成立して、いわゆるベルリン・ローマ枢軸が生まれた。同年十一月二十五日ドイツは日本と防共協定を結び、翌三七年十一月六日イタリアもこれに加盟したので枢軸は東京にまで延長された。

〔戦争の勃発〕

通説ではヒトラーの戦争目的は、ソ連を含むドイツの東方の地域に一大植民帝国を樹立し、ドイツ民族の生存に不可欠な「生活圏」Lebensraumを獲得するにあった。ドイツの東進は三八年三月十三日のオーストリア併合に始まり、ついでチェコスロバキアに対し領土割譲の要求をつきつけた。チェコはフランス・ソ連と相互援助条約を結んでいたので、ドイツの東進は世界戦争の危機を誘発するものとなった。この間英仏はドイツに妥協的な宥和政策に傾きつつあったが、三八年九月二十九―三十日には、イタリアを加えてドイツとの間にミュンヘン会談を開き、ドイツの要求したチェコのズデーテン地方をドイツに与えることに同意して、戦争の危機を一時回避した。しかし三九年三月になると、ドイツはチェコの残りを解体し大部分の領土を併合し、さらに同月二十一日ポーランドに対し領土割譲を要求したので再び国際関係は緊張した。この危機に英仏は宥和政策を捨てポーランドの共同防衛にあたることを宣言したが、ポーランドの共同防衛のためにはポーランドと国境を接するソ連の参加が不可欠であった。そのためソ連との間に具体的な軍事とりきめを結ぶ交渉が始まったが、英仏の態度が不明確であったので、ソ連は英仏の意図がソ連のみをドイツに当たらせることにあるのではないかと疑うようになった。ミュンヘン会談以来のソ連の英仏に対する不信は、この段階において急速に独ソの接近をまねいたと思われる。八月二十三日には、世界の意表をついて独ソ不可侵条約が成立し、ソ連は自国の国境の安全を計ることに専念するに至った。ドイツのポーランド攻撃開始はその一週間後の九月一日であり、三日にはイギリスとフランスがドイツに宣戦布告をしたので、ついに第二次世界大戦の勃発を見た。

〔戦争の拡大〕

ドイツの電撃戦によりポーランドは数週間で壊滅したが、その後翌年春まで戦線に目立った動きはなく、「奇妙な戦争」とよばれる状態が続いた。その間ソ連の動きのみ活溌で、ドイツの進撃に呼応してポーランドの東半分を占領したほか、フィンランド・ルーマニアから一部の領土を獲得し、エストニア・ラトビアにも駐兵権を得て西方における防衛態勢を強化した。一九四〇年四月九日ドイツは突如行動をおこしデンマーク・ノルウェーに侵入、ついで五月十日にはオランダ・ベルギー・ルクセンブルクに侵入、これら中立国を占領して対仏攻撃の態勢を整えた。三十万をこす英仏軍の主力はダンケルクに追いつめられ英本土に退却した。六月、フランスに対する総攻撃により十四日にはパリが陥落し、二十二日にはフランスは正式に降伏した。イタリアはその直前に参戦(六月十日対英・仏宣戦布告)したので、枢軸は西欧を制覇した観があった。ヒトラーはその後英本土に対する爆撃を強化する一方、ひそかに対ソ戦準備を整えた。九月二十七日には、日独伊三国同盟を結び、翌月にはルーマニアを占領、バルカンに進出し、四一年四月にはユーゴスラビア(十七日)・ギリシャ(二十三日)も枢軸軍により占領された。同月十三日ソ連は日ソ中立条約を結んで背後を固めた。フランス降伏後重要となったのはアメリカの役割であった。ドイツの対英攻撃が成功すればナチの脅威は大西洋をこえてアメリカの勢力範囲である西半球に及ぶことは明らかであった。日本が三国同盟によってアメリカを牽制しつつ武力南進を行う構えを示したこともアメリカにとって脅威であった。このような考慮からルーズベルト大統領は四〇年九月にはイギリスにドイツのUボートに対抗しうる駆逐艦五十隻を与えたが、翌四一年三月になると、ファシズム諸国とたたかう国々に武器を事実上無償供与することを規定した武器貸与法を成立させ(十一日)、すすんで「民主主義の兵器廠」となった。四一年六月二十二日、ドイツ軍はソ連国境になだれこんだ。そして同年秋にはモスクワ・レニングラードの前面にせまったが、十二月にはソ連軍もようやく反撃に転じたので、ドイツ軍の進撃は食いとめられた。ソ連は産業施設の多くを後方にうつして抗戦体制を整え長期戦にそなえた。この間イギリスはソ連と単独不講和・相互援助を約した同盟を結び(七月十二日)、アメリカもソ連に武器援助法を適用したので(十月一日)、戦争はファシズム諸国と反ファシズム連合との戦争という性格を強めた。八月十四日にはルーズベルトとチャーチル英首相によって大西洋憲章が発表され、ナチ打倒の目的と戦後の世界機構の構想などに関する共同の目的が明らかにされた。独ソ戦が始まると日本は南部仏印進駐を行い(七月二十八日)、武力南進の構えをいっそう強く示した。アメリカは在米日本資産の凍結(七月二十六日)と石油の対日輸出禁止(八月一日)でこれに応じたので日米対立はいよいよ険悪となり、戦争は太平洋にも拡大する傾向を強めた。四一年十二月八日、日本軍がハワイ真珠湾を奇襲攻撃するとアメリカは日本のみならず独伊にも宣戦して交戦国の一員となった。一九四二年一月一日には二十六の連合国によって連合国宣言が出され、大西洋憲章を骨子とする共通の戦争目的が発表され、正式に反ファシズム連合が成立した。連合国宣言では連合国の筆頭に英・米・中・ソの国名が示されて四大国の指導的役割が明示されたが、このころには枢軸諸国の占領地域のほとんどすべてで民衆レベルの抵抗運動が発展した。

〔連合国の反攻〕

太平洋戦争が始まると、日本軍は東南アジアにも戦線を拡大したが、一九四二年六月五―七日ミッドウェー海戦で大敗し海上航空勢力に重大な打撃を受けた。この年後半から世界的に連合国の反攻が始まった。太平洋では日本軍のガダルカナル撤退(四三年二月)が転機となったが、ヨーロッパでも同じ四三年二月、スターリングラードでドイツの大軍が敗れたことが転機となって、ソ連軍が反撃に転じた。この間ソ連は英米に対してもっとも切実な要求として、北フランスに連合軍が上陸して「第二戦線」を開設することを求めたが、一九四二年十一月に実施されたのは、英米連合軍による北アフリカ上陸作戦であった。一九四三年五月、北アフリカの枢軸軍は降伏したが、これに先立って同年一月十四日から開かれたカサブランカ会談で、英米の首脳は枢軸諸国に無条件降伏を要求することとともに次の作戦としてシチリア上陸作戦を決定したので、またもや第二戦線の開設は延期された。スターリンは六月十日コミンテルンを解散して英米の誤解をとくことにつとめた。七月連合軍はシチリア、ついでイタリア本土に上陸するとまもなく、ムッソリーニは罷免され、九月八日にはイタリアは無条件降伏した。

〔戦争の終結〕

一九四三年十一月二十二―二十六日カイロ会談が開かれ、英米華三国によって対日処置が決定されたが、その直後にイランのテヘランで英米の首脳にソ連のスターリン首相を加えて、初の三大国巨頭会談が開かれ(十一月二十八日―十二月一日)、第二戦線問題に結着がつけられた。その結果、四四年六月六日に英米軍を主力にノルマンディー上陸作戦が行われ、八月二十五日にはパリが解放された。この夏から秋にかけて、ソ連軍はソ連全土を解放し、南東ヨーロッパの国々や、フィンランドなどがつぎつぎに枢軸の支配を離れた。一九四五年二月四―十一日には米英ソの三巨頭によりヤルタ会談が開かれ、敗戦国や、枢軸の支配から解放された国々に対する政策が調整されるとともに、戦後の安全保障機構として国際連合を設置するための具体策が決定された。また対独戦終了三ヵ月以内にソ連が対日参戦することを約した秘密協定も成立した。この年ベルリンへの進撃が東西から始まり、四月三十日ヒトラーはソ連軍の侵入したベルリンで自殺し、五月八日にはドイツは無条件降伏した。日本はこのころまでに太平洋上の拠点をつぎつぎに失っていたが、四五年にはいると、東京都に属する硫黄島(二月十九日)や、沖縄県(三月二十六日から)にも米軍が上陸した。前年来からB29による本土空襲も盛んになっていたが、八月にはいると広島(六日)・長崎(九日)に原子爆弾が投下され、九日にはソ連も対日参戦した。これより先、七月十七日―八月二日トルーマン米大統領・チャーチル(のちアトリー)英首相・スターリンによる巨頭会談がポツダムで行われ、ドイツ処理問題を検討する一方、日本に無条件降伏を勧告し、連合国の最終条件を明らかにしたポツダム宣言が発表された(七月二十六日)。日本政府がポツダム宣言を受諾して無条件降伏をしたのは八月十五日であり、第二次世界大戦はようやく終結をみた。
→太平洋戦争(たいへいようせんそう),→日独伊三国同盟(にちどくいさんごくどうめい),→ファシズム,→ベルサイユ体制,→ポツダム宣言,→ヤルタ協定
[参考文献]
荒井信一『第二次世界大戦』(『UP選書』一一二)、ソ連共産党中央委員会附属マルクス・レーニン主義研究所編『第二次世界大戦史』(川内唯彦訳)、A・J・P・テイラー『第二次世界大戦―目で見る戦史―』(古藤晃訳)
(荒井 信一)


日本国語大辞典
だいにじ‐せかいたいせん 【第二次世界大戦

解説・用例

世界経済恐慌後ファシズム政治体制を確立した日・独・伊などの枢軸国と、米・英・仏・ソなどの連合国との間で行なわれた世界的規模の戦争。一九三九年九月、ドイツのポーランド侵入によって開始され、英・仏の対独戦争、独ソ戦争、太平洋戦争と拡大した。はじめ、枢軸国が優勢であったが、一九四二年頃から連合国側の総反撃が始まり、一九四三年二月の日本軍のガダルカナル撤退、スターリングラード(ボルゴグラード)におけるドイツ軍の壊滅で枢軸国側の敗色が濃厚となり、同年九月にイタリア、一九四五年五月にはドイツが降伏。そして日本もソ連の対日参戦とアメリカの広島・長崎への原子爆弾投下によって同年八月一五日に降伏、大戦は終結した。第二次大戦。

*最新百科社会語辞典〔1932〕「だいにじせかいたいせん 第二次世界大戦〔政〕国際経済が確立されてゐる現在では、帝国主義戦争は避け得られないものとされてゐる。〈略〉この近き将来に起るべく予想されてゐる世界大戦を過般の第一次世界大戦に対して第二次世界大戦といふのである」

発音

〓[タ] [ダ]=[タ]〓(ニ)=[タ]


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