NHK大河ドラマ「光る君へ」特集
ジャパンナレッジは約1900冊以上の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のオンライン辞書・事典・叢書」サービスです。
➞ジャパンナレッジについて詳しく見る
  1. トップページ
  2. >
  3. カテゴリ一覧
  4. >
  5. 社会
  6. >
  7. 政治
  8. >
  9. 戦争・武器・軍隊
  10. >
  11. 白虎隊

白虎隊

ジャパンナレッジで閲覧できる『白虎隊』の日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典のサンプルページ

日本大百科全書(ニッポニカ)

白虎隊
びゃっこたい

戊辰 (ぼしん)戦争期における会津藩の少年正規軍。1868年(慶応4)正月の鳥羽 (とば)・伏見 (ふしみ)の戦いに敗れた旧京都守護職の会津藩主松平容保 (かたもり)は、維新政府への抗戦を主張、徳川慶喜 (よしのぶ)が恭順の態度を示すや、帰藩して軍事力の強化を図った。同年3月には軍制を洋式に改め、部隊を年齢別に編成して、18~35歳を朱雀 (すざく)隊、36~49歳を青龍 (せいりゅう)隊、50歳以上を玄武 (げんぶ)隊、そして16、7歳の少年で結成されたのが白虎隊であった。兵員数は300余名であった。主力は朱雀、青龍で、玄武、白虎はいわば予備軍であったが、新政府軍の攻撃にあい、白虎隊も従軍。8月23日、命を受けて出撃した白虎隊士20名が若松城北東の飯盛山 (いいもりやま)で自刃 (じじん)して果てたのは、会津戦争の有名な哀話である。

[井上 勲]



世界大百科事典

白虎隊
びゃっこたい

戊辰戦争に参加した会津藩の少年隊。戊辰戦争に参戦した会津藩は,軍制改革を行い,年齢によって藩士を,白虎(16~17歳),朱雀(18~35歳),青竜(36~49歳),玄武(50歳以上)の4隊に分けた。白虎隊は,身分によって上級藩士の士中,中級藩士の寄合,下級藩士の足軽に分かれ,計6中隊とされ,フランス式訓練を施された。征討軍が進入し会津藩が危機におちいると,白虎隊も越後口戦争や戸ノ口原の戦に参戦した。このうち,8月22日戸ノ口原の戦に激戦し,翌日,飯盛山に敗走した白虎2番士中隊士20名は,激戦のため黒煙に包まれた鶴ヶ城を見て,陥落したと判断して自刃した。飯沼貞吉のみ,後に生き返った。自刃した白虎隊士の死体は,しばらく放置されたが,官軍の許しを得て飯盛山に埋葬され,その後,白虎隊が忠義の少年隊と賛美されるとともに,明治から大正時代にかけて現在の形に墓が拡張された。
[井上 勝生]



国史大辞典

白虎隊
びゃっこたい
会津藩の少年兵士隊。戊辰戦争にあたって、明治元年(一八六八)三月会津藩は軍制を改革し藩兵を年齢層別に組織替して、玄武(五十歳以上)・青竜(三十六~四十九歳)・朱雀(十八~三十五歳)・白虎(十六~十七歳)の各隊に編成した。青竜・白虎・朱雀・玄武はそれぞれ東西南北の神を意味する。白虎隊は士中一・二番隊九十一名、寄合一・二番隊百七十三名、足軽隊七十九名の計三百四十三名よりなる。八月に入り政府軍を領内に迎えて戦争が始まると、白虎隊も前線に出動、寄合隊は主として越後口で戦い、他は城の内外周辺に配置された。八月二十二日、東方の要地十六橋に政府軍が迫った時、白虎士中隊三十七名が出撃を命じられ、戸ノ口原で戦闘したものの敗走、翌二十三日そのうち二十名が飯盛山にたどり着き、そこで市街の戦火を目撃、それを落城と誤認して集団自決した。その中の一名が蘇生して、白虎隊の悲劇の模様が後世に伝えられた。
(佐々木 克)
上記は、日本最大級のオンライン辞書・事典・叢書サービス「ジャパンナレッジ」のサンプル記事です。

ジャパンナレッジは、自分だけの専用図書館。
すべての辞書・事典・叢書が一括検索できるので、調査時間が大幅に短縮され、なおかつ充実した検索機能により、紙の辞書ではたどり着けなかった思わぬ発見も。
パソコン・タブレット・スマホからご利用できます。


白虎隊の関連キーワードで検索すると・・・
検索ヒット数 59
※検索結果は本ページの作成時点のものであり、実際の検索結果とは異なる場合があります
検索コンテンツ
1. 白虎隊画像
日本大百科全書
7歳の少年で結成されたのが白虎隊であった。兵員数は300余名であった。主力は朱雀、青龍で、玄武、白虎はいわば予備軍であったが、新政府軍の攻撃にあい、白虎隊も従軍
2. 白虎隊
世界大百科事典
隊に分けた。白虎隊は,身分によって上級藩士の士中,中級藩士の寄合,下級藩士の足軽に分かれ,計6中隊とされ,フランス式訓練を施された。征討軍が進入し会津藩が危機に
3. びゃっこ‐たい[ビャクコ‥]【白虎隊】
日本国語大辞典
会津藩が幕末に編制した少年隊の一つ。慶応四年(一八六八)三月、洋式兵制を採用した藩が青龍・朱雀・玄武とともに、年齢別に編制した四隊のうちの一つで、一六~一七歳の
4. びゃっこたい【白虎隊】
国史大辞典
南北の神を意味する。白虎隊は士中一・二番隊九十一名、寄合一・二番隊百七十三名、足軽隊七十九名の計三百四十三名よりなる。八月に入り政府軍を領内に迎えて戦争が始まる
5. びゃっこたい【白虎隊】
日本架空伝承人名事典
朱雀(一八~三五歳)、白虎(一六~一七歳)という各隊に編制された。同年八月、政府軍が領内に入ると、白虎隊も越後口などで戦い、同月二二日、戸ノ口原戦で敗れ、飯盛山
6. 白虎隊自刃の地[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
福島県会津若松あいづわかまつ市 飯盛山いいもりやま©公益財団法人福島県観光物産交流協会
7. 会津戦争画像
日本大百科全書
8月23日板垣退助が指揮する政府軍は若松城下に進撃、1か月にわたる激戦ののち、会津は落城、容保は降伏した。白虎隊びゃっこたいの悲劇はこのときのことである。これに
8. 会津戦争
世界大百科事典
会津領内に入り,列藩同盟諸藩もしだいに脱落した。8月21日猪苗代城が落城し,翌日,会津城外で白虎隊が全滅し,会津藩は籠城に入る。1ヵ月後,9月22日,米沢藩,仙
9. あいづ‐せんそう[あひづセンサウ]【会津戦争】
日本国語大辞典
、薩長から強硬な追討命令が出され、反発した東北三十余藩が奥羽越列藩同盟を結んで抗戦したもの。白虎隊の悲話などを生み、九月、会津の降伏により終結。東北戦争。アイズ
10. 会津藩画像
日本大百科全書
ふしみの戦いで始まる戊辰ぼしん戦争では、奥羽諸藩が次々と敗れるなかで最後まで抗戦し、同年9月白虎隊びゃっこたいの悲劇を残して降伏。翌年、隠退した容保の子容大かた
11. あいづはん【会津藩】
国史大辞典
鳥羽・伏見の戦に始まった戊辰戦争では、江戸城明渡し後も東北諸藩の中心として政府軍に抵抗した。白虎隊の悲劇はあまりにも有名である。同年九月若松城(鶴ヶ城)は落城し
12. 会津若松[市]
世界大百科事典
古墳の一つ大塚山古墳(史),若松城(鶴ヶ城)跡(史)のほか,会津松平氏庭園(史)(御薬園)や白虎隊墓のある飯盛山などの名所が多い。藩政時代から保護奨励された会津
13. 会津若松(市)画像
日本大百科全書
国の天然記念物に指定されている。白虎びゃっこ隊の自刃地飯盛山いいもりやまも参拝客が絶えない。白虎隊記念館、白虎伝承史学館がつくられている。飯盛山山麓ろくの旧正宗
14. いいぬま-さだきち【飯沼貞吉】
日本人名大辞典
1854−1931 幕末-大正時代の武士,官吏。嘉永(かえい)7年3月25日生まれ。慶応4年会津(あいづ)藩の白虎隊(びゃっこたい)編制のとき15歳を16歳とい
15. いいもり‐やま[いひもり‥]【飯盛山】
日本国語大辞典
【二】〔一〕福島県会津若松市の北東部にある小丘。戊辰(ぼしん)戦争の時、戸の口原の戦いに敗れた白虎隊が若松城を望んで自刃した地。標高三七〇メートル。弁天山。〔二
16. 飯盛山
世界大百科事典
堂(さんそうどう)(1796建立),および20名の白虎隊士が戸ノ口原の戦にやぶれ退いて来た時通った戸ノ口堰の洞門などがあり,その上手に白虎隊士の墓,イタリア首相
17. いいもりやま【飯盛山】福島県:会津若松市/旧一箕村地区/滝沢村
日本歴史地名大系
その南側に自刃後に蘇生した飯沼貞吉の墓もある。宇賀神堂には白虎隊士の木像が安置されている。墓地広場は佐原盛純作「漢詩・白虎隊」の碑をはじめ多くの碑がある。山麓の
18. 飯盛山(福島県)画像
日本大百科全書
会津若松市にある山。標高370メートル。この山の山麓さんろく部の緩斜地が、戊辰戦争ぼしんのとき会津藩の白虎隊びゃっこたい20名が自刃した地として知られる。若松城
19. 市川雷蔵
世界大百科事典
の養子となり,8世市川雷蔵を襲名した。本名,太田吉哉。映画には54年,勝新太郎とともに《花の白虎隊》でデビューし,以後,大映映画のスターとなる。溝口健二監督に抜
20. いちかわ-らいぞう【市川雷蔵(8代)】画像
日本人名大辞典
関西歌舞伎で初舞台。26年3代市川寿海の養子となり,8代雷蔵を襲名。29年大映にはいり「花の白虎隊(びゃっこたい)」で映画デビュー。連作「眠(ねむり)狂四郎」な
21. うしがはかむら【牛墓村】福島県:会津若松市/旧一箕村地区
日本歴史地名大系
当村のほかに天寧寺村・院内村の水田の用水としている(滝沢組村名由来堤山名帳)。戊辰戦争で飯盛山に自刃した白虎隊士を、当村肝煎吉田伊惣次が滝沢村妙国寺に埋葬した。
22. えりんじ【恵倫寺】福島県:会津若松市/旧門田村地区/北青木村
日本歴史地名大系
寺領一〇〇石を与えられていた。戊辰戦争の兵火により七堂伽藍が焼失した。寺宝として蒲生賢秀坐像などがある。白虎隊隊員五名の墓があり、柴四朗・五朗兄弟の墓もある。
23. おおのがはら【大野原】福島県:河沼郡/河東町/強清水新田村
日本歴史地名大系
翌朝二三日戸ノ口原の会津軍陣営を突破、滝沢峠(現会津若松市)を越えて若松城下へ殺到した。当地で白虎隊士中二番隊が対陣したが西軍の猛攻に抗しきれず、飯盛山(現同上
24. かつ-しんたろう【勝新太郎】画像
日本人名大辞典
昭和6年11月29日生まれ。若山富三郎の弟。中村玉緒の夫。長唄修業をへて昭和29年大映の「花の白虎隊」で映画デビュー。35年「不知火検校(しらぬいけんぎょう)」
25. 加波山事件 民権派激挙の記録 104ページ
東洋文庫
ほふり、翌日には若松城に迫った。戸の口原の一戦に敗れ、若松郊外飯盛山に籠った二十少年屠腹の悲劇、白虎隊の物語はこの時のことである。会津藩は、籠城死守を決意、徹底
26. かんぷくじ【観福寺】青森県:三戸郡/三戸町/三戸村
日本歴史地名大系
もって根城南部氏七代とされる信光に関係した仏像であろうとする説がある。境内に明治四年(一八七一)の白虎隊の供養碑がある。山門は同一六年三戸代官所の門を移築したも
27. きゅうせいしゅうじさんそうどう【旧正宗寺三匝堂】福島県:会津若松市/旧一箕村地区/滝沢村
日本歴史地名大系
[現]会津若松市一箕町八幡 弁天下 飯盛山の白虎隊墓所の下、厳島神社境内にあり、円通三匝堂とも、俗に栄螺堂ともいわれる。奇妙な形をした六角円堂形式の塔で、唐破風
28. 京都守護職始末 1 旧会津藩老臣の手記 240ページ
東洋文庫
浩より九歳年下の弟である。戊辰戦争では、少年隊である白虎隊に編入されたが、のち、年齢が規定より一年若いため隊からはずされて籠城したため、生命を全うした。白虎隊
29. 剣舞
世界大百科事典
乗って流行した。紋服,白鉢巻に袴の股立(ももだち)を取った扮装で演じる。《川中島》《城山》《白虎隊》などが有名である。柴崎 四郎
30. 剣舞(けんぶ)
日本大百科全書
居合術の形を基本とし、服装も紋服に袴はかま、白鉢巻というもので、『鞭声べんせい(川中島)』『白虎隊びゃっこたい』『棄児行きじこう』などをよく演じた。その前後に宮
31. ささやまはら【笹山原】福島県:会津若松市/旧湊村地区/篠山村
日本歴史地名大系
地形で、南より赤井川が北に流れ猪苗代町戸ノ口で銚子ノ口に注ぐ。この地は戊辰戦争の際に会津側の白虎隊や敢死隊が奮戦した所で、郡界に近い所に戸ノ口原古戦場碑があり、
32. 薩摩琵琶
日本大百科全書
音楽的には歌いながら楽器で伴奏せず、歌詞の句と句の間だけ奏するのが本来の形である。曲には『桜井の駅』『白虎隊びゃっこたい』『城山しろやま』などの悲壮な戦争物語を
33. さどりむら【佐取村】新潟県:五泉市
日本歴史地名大系
同年小松村(現北蒲原郡安田町)・石間村(現東蒲原郡三川村)と合併して小石取村となる。戊辰戦争の古戦場で、白虎隊の石碑が残り、天正元年(一五七三)元亀が中興したと
34. さわら-そばい【佐原蘇楳】
日本人名大辞典
がおき)とともにフランスを視察。維新後は郷里の陸奥(むつ)若松(福島県)で教育に従事。漢詩「白虎隊」の作者。明治41年12月4日死去。74歳。名は盛純(もりずみ
35. しのだ-ぎさぶろう【篠田儀三郎】
日本人名大辞典
1852−1868 幕末の武士。嘉永(かえい)5年生まれ。陸奥(むつ)会津(あいづ)藩(福島県)白虎隊士。11歳で藩校日新館にはいる。戊辰(ぼしん)戦争に際し,
36. しもあまやむら【下雨屋村】福島県:会津若松市/旧大戸村地区
日本歴史地名大系
薬師堂が村西の阿賀川河原近くに移転した。明治元年九月一七日、会津藩の朱雀隊と砲兵隊は薬師堂下の丘陵に陣を布き、白虎隊および西郷隊は堂後ろの山上で西軍と対戦し、西
37. じゅうろくきょう【十六橋】福島県:耶麻郡/猪苗代町/戸ノ口村
日本歴史地名大系
あまりに堅牢なために失敗、当橋を渡った戸ノ口原が戦場となった。しかし会津軍は戸ノ口原の戦にも敗れ、このうち白虎隊は戸ノ口堰伝いに飯盛山(現会津若松市)に逃れ、同
38. 増補 山島民譚集 271ページ
東洋文庫
以て之を普請場に運んだ。其跡に立てた寺である故に此の如き名がある。会津若松城の東北にある飯盛山は白虎隊の哀史に由って世に知られて居るが、此山の西麓には古くから宗
39. ちょうげつじ【澄月寺】青森県:十和田市/稲生町
日本歴史地名大系
会津藩士を供養するため明治二三年(一八九〇)当地の会津会員により建立されたもので、そのなかには白虎隊士も含まれていたという。漢方と蘭方の二つを身につけた十和田市
40. 東北合神ミライガー[新語流行語]
イミダス 2018
県)、背中には「ねぶた」(青森県)の絵、両腕には「チャグチャグ馬コ」(岩手県)の馬、ひざに「白虎隊」(福島県)のトラ、肩に「山伏の法螺貝(ほらがい)」(山形県)
41. とうほくせんそう【東北戦争】
国史大辞典
を結集して会津に進軍、八月二十一日の母成峠での戦闘を皮切りに会津戦争に突入した。翌々二十三日白虎隊の少年らが自刃。籠城に入った会津藩が降伏したのが九月二十二日で
42. 登録記念物
日本大百科全書
2019年3月時点。文化庁資料をもとに作成。2種での重複登録物件はそれぞれの種別に掲載。■遺跡関係会津飯盛山白虎隊士墳墓域(あいづいいもりやまびゃっこたいしふん
43. 日本のおもな博物館
日本大百科全書
〔休館日〕年末年始白虎隊記念館〔読み〕びゃっこたいきねんかん〔所在地〕会津若松市一箕町大字八幡字弁天下33〔電話番号〕0242-24-9170〔開館年〕1956
44. ハイゼ
日本人名大辞典
著作に「日本人の忠誠心と信仰」があり,親日家として知られた。1940年4月11日北京で客死。遺言で遺骨は白虎隊の墓のある福島県会津若松市飯盛山に埋葬された。70
45. ばくまつしょたい【幕末諸隊】 : 会津藩
国史大辞典
、茶紐以下浅黄紐以上の士は寄合組隊に、それ以下の者は足軽隊に編成し、そのおのおのを年齢別に、白虎隊(十六、七歳)、朱雀隊(十八~三十五歳)、青竜隊(三十六~四十
46. ばくまつしょたい【幕末諸隊】
国史大辞典
より藩軍的・農兵隊的なものに、桑名藩雷神隊・致人隊・神風隊、郡上藩凌霜隊、高田藩神木隊、会津藩白虎隊・奇勝隊・青竜隊・朱雀隊・敢死隊・新練隊・幼少隊、仙台藩烏組
47. 牧野省三
日本大百科全書
十二時忠臣蔵(1917)阿波十郎兵衛(1917)天一坊東下り(1917)名槍めいそう高田又兵衛(1917)白虎隊びゃっこたい(1917)大村益二郎(1917)仮
48. 間瀬源七郎[文献目録]
日本人物文献目録
【書誌】:0件 【図書】:1件 【逐次刊行物】:0件 『白虎隊士間瀬源七郎伝』甲斐山忠左衛門
49. みょうこくじ【妙国寺】福島県:会津若松市/旧一箕村地区/滝沢村
日本歴史地名大系
降伏する。同日藩主松平容保・喜徳父子は城を出て当寺に謹慎した。同年八月二三日飯盛山で自刃した白虎隊士は牛墓村の吉田伊惣次らによって当寺に仮埋葬され、明治七年飯盛
50. むつのくに【陸奥国】福島県
日本歴史地名大系
八月二三日西軍は戸ノ口原(現猪苗代町)の会津藩陣地を攻略した。その夜飯盛山(現会津若松市)では白虎隊二番士中隊の少年二〇人(うち一名は生存)が壮烈な自刃を遂げた
「白虎隊」の情報だけではなく、「白虎隊」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る▶

白虎隊と同じ戦争・武器・軍隊カテゴリの記事
太平洋戦争(国史大辞典・日本国語大辞典・世界大百科事典)
昭和十六年(一九四一)十二月八日から二十年八月十五日まで、日本と中国・アメリカ・イギリス・オランダなど連合国との間にたたかわれた戦争。国際的に見れば第二次世界大戦の一環であり、日本にとっては昭和六年の満洲事変以来の対中国侵略戦争の延長である
日米交渉(国史大辞典)
日米戦争の回避または延引を目的とした、真珠湾攻撃前約一年間にわたる非公式外交工作および開戦外交交渉。その背景にはヨーロッパからアジア・太平洋地域に伸展した第二次世界大戦に対する日米双方の政・戦略的駆引きが窺われる。なお日本側ではこの日米国交調整工作・交渉をN工作または日米交渉と称し
ナチス(世界大百科事典)
ドイツの政党。正称は国民社会主義ドイツ労働者党Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei(NSDAP)。国家社会主義ドイツ労働者党とも訳す。ナチスという呼称は,国民社会主義者Nationalsozialistの略称ナチNaziの複数形である。
第一次世界大戦(国史大辞典・世界大百科事典)
一九一四年(大正三)七月二十八日オーストリアのセルビアに対する宣戦布告に始まり、一八年十一月十一日ドイツの降伏によって終った戦争。欧州大戦ともいう。発端は、ボスニアの首都サラエボ(現ユーゴスラビア領)で、一四年六月二十八日に突発したセルビアの一青年に
第二次世界大戦(国史大辞典・日本国語大辞典)
第一次世界大戦につぐ二度目の世界戦争。日本・ドイツ・イタリアなど枢軸諸国の侵略によって始まり、これに対抗して結成された反ファシズム連合との間で一九四五年(昭和二十)まで戦われた戦争。地域的にはアジア・太平洋地域の戦争と、ヨーロッパ・北アフリカ
戦争・武器・軍隊と同じカテゴリの記事をもっと見る


「白虎隊」は戦争に関連のある記事です。
その他の戦争に関連する記事
日独伊三国同盟(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
1940年(昭和15)9月27日、ベルリンで調印された日本、ドイツ、イタリアの間の軍事同盟。三国同盟締結交渉は、最初、1937年に結ばれた日独伊三国防共協定を強化しようという目的で、第一次近衛文麿(このえふみまろ)内閣の末期に始まったが、1939年
満州事変(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
1931年(昭和6)9月18日の柳条湖(りゅうじょうこ)事件に始まった日本軍の満州(中国東北地域)侵略戦争。[君島和彦]▲前史満州、とくに南満州は、日本が日露戦争後に長春(ちょうしゅん)(寛城子)―旅順(りょじゅん)間の鉄道およびその付属の利権を獲得
乃木希典(日本大百科全書・世界大百科事典)
陸軍大将。嘉永(かえい)2年11月11日、長州藩士族乃木希次(まれつぐ)の三男として江戸藩邸に生まれる。萩(はぎ)(山口県萩市)の明倫館(めいりんかん)に学び、報国隊に属し、戊辰戦争(ぼしんせんそう)では東北を転戦。維新後、フランス式軍事教育を受け
サンフランシスコ講和条約(国史大辞典・世界大百科事典・日本大百科全書)
太平洋戦争開始以来の戦争状態を終結させるために、日本政府が英米をはじめとする四十八ヵ国と締結した講和条約。公式名は「日本国との平和条約」。「対日平和条約」とも呼ばれている。締結の相手国は、アルゼンチン・オーストラリア・ベルギー・ボリビア・ブラジル
盧溝橋事件(日本大百科全書・世界大百科事典)
1937年(昭和12)7月7日夜に始まる盧溝橋一帯での日中両軍の軍事衝突で、日中全面戦争の発端となった事件。中国では、「七・七事変」ともいい、日本政府は当時「北支事変」と称した。1935年、華北分離工作に本格的に乗り出した日本は、やがて支那(しな)
戦争に関連する記事をもっと見る


ジャパンナレッジは約1900冊以上(総額850万円)の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のインターネット辞書・事典・叢書サイト」です。日本国内のみならず、海外の有名大学から図書館まで、多くの機関で利用されています。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る▶