1. 『大日本史』
日本史年表
徳川光圀、江戸神田邸内に 史局 を置き、 『大日本史』 の編纂に着手(水戸紀年)。 1672年〈寛文12 壬子⑥〉 この年 徳川光圀、 『大日本史』 の編纂局を
2. 大日本史
日本大百科全書
振袖ふりそで大火の直後、江戸の水戸藩駒込こまごめ屋敷に史局を開き、修史事業を始めた。これが『大日本史』編纂の始めである。ときに光圀は30歳、まだ世子の時代で、当
3. 大日本史
世界大百科事典
水戸藩で編纂し,明治維新後も水戸徳川家で事業を継続して,1906年に完成した漢文の日本史。神武天皇から南北朝時代の終末すなわち後小松天皇の治世(1382-141
4. だいにほんし【大日本史】
日本国語大辞典
歴史書。三九七巻。水戸藩主徳川光圀の命により、明暦三年(一六五七)藩に史局を設立して編纂事業が行なわれ、明治三九年(一九〇六)に完成した。神武天皇から後小松天皇
5. だいにほんし【大日本史】
国史大辞典
れた十六冊本(別に大日本史後付・大日本史紀伝人名索引一冊を付す)があるほか、田中正義訳解『訓蒙大日本史』四冊(神武紀から天皇大友紀まで。明治七年刊)、山路愛山の
6. 大日本史(だいにほんし)
古事類苑
文學部 洋巻 第2巻 875ページ
7. 【大日本史】だいにほんし
新選漢和辞典Web版
《国》書名。三百九十七巻。神武天皇から後小松天皇までの歴史で、徳川光圀(みつくに)らの編著。
8. 大日本史(著作ID:43210)
新日本古典籍データベース
だいにほんし 徳川 光圀(とくがわ みつくに) 編 通史 文化三‐嘉永五刊
9. 『大日本史料』
日本史年表
1901年〈明治34 辛丑〉 2・‐ 東京大学史料編纂所編 『大日本史料』 刊行始まる。
10. だいにほんしへんさんきろく【大日本史編纂記録】
国史大辞典
『大日本史』編纂の過程において、江戸と水戸の彰考館の間で、あるいは史料調査のために出張した館員と彰考館との間で取りかわされた書状の案文を主体とした諸記録。京都
11. 大日本史料
日本大百科全書
日本史のもっとも包括的で基本的な編年体の史料集。東京大学史料編纂へんさん所編。勅撰ちょくせんの国史である六国史りっこくしの後を受けて、887年(仁和3)から明治
12. 大日本史料
世界大百科事典
東京大学史料編纂所が毎年編纂出版している日本史の編年史料。887年(仁和3)から1867年(慶応3)まで。ただし1651年(慶安4)以降については未定稿。既刊分
13. だいにほんしりょう[ダイニホンシレウ]【大日本史料】
日本国語大辞典
史料集。東京大学史料編纂所編。明治三四年(一九〇一)以来刊行中。政治・経済・社会・文化などあらゆる分野の歴史事実を年月日の順を追って掲げ、その後にその史実に関す
14. だいにほんしりょう【大日本史料】画像
国史大辞典
さらに十五ヵ年を期して稿本を増訂して『大日本史料』を出版する計画が立てられ、明治三十三年からこの計画が進められることとなった。このとき定められた『大日本史料』の
15. 大日本史/引用書目(著作ID:358123)
新日本古典籍データベース
だいにほんし/いんようしょもく 水戸藩(みとはん) 書目
16. 大日本史/修史例(著作ID:358156)
新日本古典籍データベース
だいにほんし/しゅうしれい 修大日本史例 水戸藩(みとはん) 歴史
17. 大日本史/食貨志稿(著作ID:43243)
新日本古典籍データベース
だいにほんし/しょっかしこう 豊田 天功(とよた てんこう) 経済
18. 大日本史/神祇志稿(著作ID:3330685)
新日本古典籍データベース
だいにほんし/じんぎしこう 神祇志 青山 延彝(あおやま のぶつね) 神祇
19. 大日本史/神祇志抄(著作ID:241101)
新日本古典籍データベース
だいにほんし/じんぎししょう 神祇志 藤田 東湖(ふじた とうこ) 神祇
20. 大日本史/善射列伝(著作ID:4126765)
新日本古典籍データベース
だいにほんし/ぜんしゃれつでん 善射列伝 弓術
21. 大日本史月晦杞憂(著作ID:358145)
新日本古典籍データベース
だいにほんしげっかいきゆう 中村 不能斎(なかむら ふのうさい) 史論
22. 大日本史賛藪(著作ID:43254)
新日本古典籍データベース
だいにほんしさんそう 大日本史論賛 安積 澹泊(あさか たんぱく) 史論 享保元
23. 大日本史跋(著作ID:4385880)
新日本古典籍データベース
だいにほんしばつ 中井 竹山(なかい ちくざん) 歴史
24. 大日本史名称訓(著作ID:358167)
新日本古典籍データベース
だいにほんしめいしょうくん 伊能 穎則(いのう ひでのり) 考証 慶応二刊
25. 大日本史蒙求(著作ID:1067045)
新日本古典籍データベース
だいにほんしもうぎゅう 吉川 全節(よしかわ ぜんせつ) 注釈
26. 大日本史目録(著作ID:358178)
新日本古典籍データベース
だいにほんしもくろく 水戸藩(みとはん) 通史 目録
27. 大日本史類標(著作ID:358189)
新日本古典籍データベース
だいにほんしるいひょう 索引
28. 進大日本史表(著作ID:358134)
新日本古典籍データベース
だいにほんしをたてまつるひょう 奉大日本史表 大日本史上表 大日本史題言表文 大日本史表序 徳川 治紀(とくがわ はるとし) 通史 文化七
29. 『大日本史料』[図版]画像
国史大辞典
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30. 『大日本史料』内容一覧1[図版]画像
国史大辞典
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31. 『大日本史料』内容一覧2[図版]画像
国史大辞典
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32. 『大日本史料』内容一覧3[図版]画像
国史大辞典
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33. 『大日本史料』内容一覧4[図版]画像
国史大辞典
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34. 安積澹泊與二大日本史編修一 (見出し語:安積澹泊)
古事類苑
文學部 洋巻 第2巻 876ページ
35. 塙保己一校二大日本史一 (見出し語:塙保己一)
古事類苑
文學部 洋巻 第3巻 469ページ
36. しゅしゅんすい【朱舜水】(Zhū Shùnshuǐ)
世界人名大辞典
撰述したほか,光圀の求めで《学宮図説》を作り,彰考館をはじめとする水戸藩学の興隆にも貢献する.光圀の命による《大日本史》の編纂を中心とした前期水戸学の形成に対し
37. 会沢正志斎
世界大百科事典
後期水戸学の大成者。名は安,字は伯民,正志斎は号。水戸藩下級士族の子。藤田幽谷に師事し,彰考館に入り《大日本史》編纂に携わるかたわら,斉昭ら藩主の子の侍読を務め
38. あいざわせいしさい【会沢正志斎】
国史大辞典
寛政三年(一七九一)十歳の時、藤田幽谷の門に入り、儒学・史学を学び、その高弟となった。同十一年彰考館に入って『大日本史』の編纂に従って以来、実力を認められて昇進
39. あいざわ-せいしさい【会沢正志斎】
日本人名大辞典
1782−1863 江戸時代後期の儒者。天明2年5月25日生まれ。常陸(ひたち)水戸藩士。藤田幽谷にまなび,「大日本史」編修に従事。徳川斉昭(なりあき)を藩主に
40. あおうまのせちえ【白馬節会】
国史大辞典
初見とし(『類聚国史』)、持統朝のころには恒例化されていた(『大日本史』)。青馬御覧は仁明天皇承和元年(八三四)の記事を初見とし(『大日本史』)、弘仁二年(八一
41. あおねごう【青根郷】滋賀県:近江国/犬上郡
日本歴史地名大系
「和名抄」は諸本とも訓を欠く。郷名は古代文献に所見がない。郷域は「大日本史」国郡志・「大日本地名辞書」は青根浦ほか青根の地名を多く残す現彦根市の八坂、「日本地理
42. あおの-しゅくげん【青野叔元】
日本人名大辞典
れ。京都の人。博識をもって知られ,貞享(じょうきょう)3年徳川光圀(みつくに)にもちいられ「大日本史」編修にあたり,常陸(ひたち)水戸藩に20年間つかえた。宝永
43. あおみごう【碧海郷】愛知県:三河国/碧海郡
日本歴史地名大系
「和名抄」東急本に「阿乎美」と訓ずる。郷域は諸説紛紛である。「大日本史」国郡志は西尾市西南部の旧巨海村とするが、地域的に無理であろう。「日本地理志料」は「季瓊日
44. あおみごう【青海郷】新潟県:越後国/蒲原郡
日本歴史地名大系
「和名抄」高山寺本は「阿乎美」、東急本は「安乎美」と訓を付す。「延喜式」神名帳に「青海神社二座」を載せる。「
大日本史国郡志」は「今青海荘賀茂町有
青海社
45. 青山拙斎
日本大百科全書
通称は量助(量介)、号は拙斎また雲竜。家学を受け、立原翠軒たちはらすいけんに学ぶ。1823年(文政6)『大日本史』編集事業の責任者彰考館総裁となる。1840年(
46. あおやま‐のぶみつ【青山延光】
日本国語大辞典
承けて、詩文・史学に長じ、彰考館の編修、藩校弘道館の教授頭取となり、徳川斉昭の信任が厚く、「大日本史」の校刊と藩政に携わる。著「国史記事本末」「野史纂略(さんり
47. あおやまのぶみつ【青山延光】
国史大辞典
同十四年家督を継ぎ(百五十石)小性頭で教授頭取を兼ねた。弘化三年(一八四六)再び彰考館に入り『大日本史』の校訂作業に尽力、嘉永二年(一八四九)の紀伝上木に際して
48. あおやま-のぶみつ【青山延光】
日本人名大辞典
青山延于(のぶゆき)の長男。常陸(ひたち)水戸藩につかえ,天保(てんぽう)14年藩校弘道館教授頭取となる。「大日本史」の校訂につくした。明治2年大学中博士。明治
49. あおやま‐のぶゆき【青山延于】
日本国語大辞典
父延彝は朱舜水の祠を掌っていた。立原翠軒(すいけん)に師事し、彰考館総裁、藩校弘道館の教授頭取となって「大日本史」の編纂(へんさん)に従う。著「皇朝史略」「文苑
50. あおやまのぶゆき【青山延于】画像
国史大辞典
編修となった。文政六年(一八二三)小納戸役上座格で江戸彰考館総裁に任ぜられ、館員を督励して『大日本史』の校訂と上木の作業を促進した。同九年からは藩主徳川斉修の命