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伊吹山

ジャパンナレッジで閲覧できる『伊吹山』の世界大百科事典・日本大百科全書・日本歴史地名大系のサンプルページ

世界大百科事典

伊吹山
いぶきやま

滋賀県と岐阜県の県境を南北にのびる伊吹山地の主峰で,標高1377m。地質は古生代石灰岩よりなり,山麓の古生層は石灰岩が少ない。その地質構造は,巨大な石灰岩が低角度の衝上面で石灰岩の少ない古生層の上に衝上したものとされていたが,褶曲に衝上を伴ったものであることがわかった。伊吹山の西側と南側には敦賀湾-伊勢湾構造線の一部である柳ヶ瀬断層が通って,地塁山地をなし,西側を姉川の谷が刻み,南側は関ヶ原地峡部に対して伊吹山断層崖が臨んでいる。西側の山地斜面には崩壊地形が著しい。山頂付近にはカルスト地形であるカレンフェルト(石塔原)がみられる。伊吹山地の北には金糞岳,横山岳,土蔵山などの標高1000mをこえる峰が連なる。伊吹山の石灰岩はセメント工業用に2億tの埋蔵量があるといわれ,南西の山麓で採掘され,南麓の大阪セメントの工場に運ばれている。伊吹山は山麓に針葉樹林がみられるほかは,全山が草原をなし,雨量や日照の関係で伊吹もぐさなどの薬草や高山植物,昆虫の種類が豊富で,生物学上貴重な地域である。織田信長がポルトガル人宣教師に命じて植えさせたと伝えられるもぐさは,かつて中山道の柏原宿(現米原市,旧山東町)の客に売られた。山頂には伊吹山測候所があり,冬季は雪が多くスキー場としてにぎわう。南麓から三合目までリフトが通じ,また岐阜県の関ヶ原町からドライブウェーも通じ登山者が多いが,夏は直射日光を避けるため夜間登山が一般的である。
[水山 高幸]

信仰

伊吹山は中央にも古くから知られており,伊吹山の山の神は《延喜式》にあるように,近江国坂田郡伊夫岐神と美濃国不破郡伊福岐神の2座に分かれており,877年(元慶1)にはそれぞれ従三位,従四位上に叙せられている。また毎年春秋に各49日の間天下の五穀豊穣を祈願して薬師悔過を修する七高山の一つともなり,沙門三修を開祖とする伊吹山護国寺が定額寺となっている。中世期には弥高,大平,観音,長尾の伊吹山四護国寺を中心として修験道の山として栄えた。しかし伊吹山の信仰は,その古い歴史と修験者たちの活躍にもかかわらず,必ずしも広範囲の信仰圏を形成するに至らず,むしろこの山に伝わる伝説のほうがよく知られている。その一つは記紀にみえるもので,伊吹山中に白猪(大蛇)が現れて日本武尊の正気を失わせたという伝説である。伊吹山の神が荒振(あらぶる)神として意識されていたことがわかる。もう一つは,〈近江国風土記逸文〉にある夷服岳と浅井岳の丈競べの伝説で,浅井岳が一夜にして高さを増したため,怒った夷服岳が浅井岳の頭を切り落とし,琵琶湖の竹生島ができたというものである。
[宮本 袈裟雄]

[索引語]
伊吹山地 柳ヶ瀬断層 七高山 護国寺(滋賀) 竹生島


日本大百科全書(ニッポニカ)

伊吹山
いぶきやま

滋賀県米原市 (まいばらし)と岐阜県揖斐 (いび)郡揖斐川町との境界にある山。膽吹山、伊富貴山、伊服(夫)岐山、夷服岐山などとも書く。伊吹山地の主峰。標高1377メートル。古くから信仰を集めた霊峰で、奈良時代に役行者 (えんのぎょうじゃ)によって山岳仏教の聖地として開かれたという。平安時代には七高山の一つに数えられた。周辺に伊吹山寺、式内社伊夫岐神社などがある。古来、歌枕 (うたまくら)としても有名で、藤原実方 (さねかた)の「かくとだにえやは伊吹のさしも草さしも知らじな燃ゆる思ひを」(『後拾遺集』『小倉百人一首』)はよく知られる。また日本武尊 (やまとたけるのみこと)の伝説もある。山麓 (さんろく)は針葉樹林や広葉樹林で覆われるが、三合目以上は草地で1700種類もの植物がみられる。織田信長はポルトガルの宣教師に薬草園を開かせたという。実方の詠んだ「さしも草」も薬草で、江戸時代には山麓の中山道 (なかせんどう)柏原 (かしわばら)宿で「伊吹もぐさ」を売り、全国的に知られた。植物だけでなく動物や先史遺跡など学術上の価値も高い。琵琶湖国定公園 (びわここくていこうえん)に属す。JR東海道本線近江 (おうみ)長岡駅から登山口までバスが通じ、また関ヶ原から山頂までのドライブウェーを利用して訪れる人は多い。大垣駅、関ヶ原駅から山頂までの直行バスも運行している。山頂部にはみろく石像、日本武尊石像がある。山麓には石灰岩を原料とするセメント工場があり、中腹の上野には民宿が多い。

[高橋誠一]



伊吹山[百科マルチメディア]
伊吹山[百科マルチメディア]

米原(まいばら)市側からの眺望。琵琶湖(びわこ)国定公園域。滋賀県米原市/岐阜県揖斐(いび)郡揖斐川町©公益社団法人びわこビジターズビューロー


日本歴史地名大系

岐阜県:揖斐郡春日村 > 伊吹山
伊吹山
いぶきさん

伊吹山地の南端にある主峰で、山頂部は春日村と滋賀県坂田さかた郡伊吹町にわたる。同町域にある最高点は標高一三七七・四メートル。古来より山岳信仰の対象とされ、山名にかかわる式内社が両県にみえ、また伊吹山・伊吹の峰などは歌枕として知られる。胆吹・伊富貴・五十葺・伊服岐・伊夫伎などとも書く。地質は古生代石灰岩からなり、山頂付近にはカルスト地形のカレンフェルトがみられる。山麓の針葉樹林を除けば全山が草原をなし、伊吹もぐさを代表とする薬草や高山植物、また多種の昆虫など生態学上貴重な地域となっている。一帯は伊吹県立自然公園。

〔信仰〕

すでに「古事記」や「日本書紀」あるいは鎌足・武智麻呂の伝記「藤氏家伝」に、伊吹山の「荒神」によって倭建命(日本武尊)が命を落す山として登場し、奈良時代以前の頃から荒ぶる神が支配する山として中央にも知られていた。このことは「伊吹」という名前からもうかがえ、「古事記」「日本書紀」「延喜式」「三代実録」などで伊服岐・胆服・伊夫伎・伊富伎・伊吹と記されるのは「息吹き」を意味し、当山には山気や霊気を吐き息づく山神がいるという古代人の山岳観を表す名称である。このような伊吹山に対する山岳観から神が祀られるところとなり、仁寿二年(八五二)に美濃国伊吹神(現不破郡垂井町)が官社に指定され(「文徳実録」同年一二月二日条)、貞観七年(八六五)に従四位下、元慶元年(八七七)には従四位上を授けられ(「三代実録」貞観七年五月八日条など)、また近江国伊吹神(現伊吹町)には嘉祥三年(八五〇)一〇月に従五位下(文徳実録)、元慶元年一二月には従三位が授けられ(三代実録)、中央に知られた名神として平安時代の記録にみられるようになる。また日本七高山(「三代実録」元慶二年二月一三日条、「口遊」など)の一つに数えられ、「枕草子」伝後光厳院宸翰本の「山は」の段に日本の名山の一つとして記されるが、その背景には伊吹山で「験力」を得た山林修行者の活動があったことが考えられる。当時は修行する山に荒々しい神が祀られ、名山であればあるほど、知名度の高い験者としてもてはやされた時代であった。

そうした山には当然山岳寺院が発生するが当山においては仁明天皇時代(八三三―八五〇)に「一精舎」が建てられ、そこで薬師念仏が行われたという記録(「三代実録」元慶二年二月一三日条)が早い。薬師念仏が行われた目的や理由は記録されていないが、薬草との関連が考えられる。伊吹山の薬草は織田信長の時代に宣教師によって植えられたという伝承があるが、「延喜式」典薬寮諸国進年料雑薬条によれば、平安時代中期に全国五三ヵ国から収納された薬草のうちで、近江国から七三種、美濃国から六二種が納められ、ともに全国一、二位を占め、両国にまたがる当山の薬草が古代から自生していた様子がうかがえる。山林修行者にとって山野の薬草は験力を発揮するための重要なものであった。仁寿年中に沙門三修(八九九年没)が伊吹山に入山して以後、堂舎の数が増え、元慶二年二月一三日に近江国坂田郡伊吹山護国ごこく(所在地不明)が国の保護を受ける定額寺に指定されている(三代実録)。沙門三修は当山の山林修行者の指導者的存在であったと思われ、その弟子として安祥房・道鏡・名超童子・敏満童子などの名前を伝え(坂田郡大原観音寺文書)、伊吹山護国寺の開基とされる人物である。「今昔物語集」巻二〇には三修禅師の話が載る。同護国寺は鎌倉時代中期になると近江側の文書(大原観音寺文書など)に具体的な姿で登場してくる。すなわち伊吹山中の観音護国寺(現坂田郡山東町)弥高やたか護国寺・太平たいへい護国寺・長尾ながお護国寺(跡地は現伊吹町)の四護国寺である。この四ヵ寺は中世当山修験道の中心となり、山中の行導ぎようどう(平等岩)阿弥陀あみだヶ磯・七高山しちこうざん石・常動じようどう石などの行場で峰入山伏を指導する先達山伏が多くいた。その一人円空は北海道洞爺とうや観音かんのん島の観音像背銘に自らの手で「江州伊吹山平等岩僧」と寛文六年(一六六六)に刻んでいる。

中世の修験道における伊吹山は女人禁制で、大乗峰とよばれ、近江・美濃両国を中心に多くの山伏が活動していたが、彼らが民間に唱導したのは、当山での修行(伊吹禅定)を果すことにより極楽往生や弥勒往生が約束されるという信仰であった。第二次世界大戦頃までの伊吹山頂には多くの五輪塔や石仏・宝篋印塔が乱立し、かつて山頂で死者供養が行われていたことがうかがえ、大原観音寺文書からは写経(如法経)による死者供養であったことが裏付けされている。また山頂や阿弥陀ヶ磯などから金銅仏や刀子・古銭などが出土しており、死者供養を目的とした経塚も造営されていた。伊吹山の修験道は、江戸時代以降に衰えてしまっているが、現在、木曾御嶽修験道の修行場として復活し、御嶽おんたけ山が眺望できる山頂近くに多くの霊神碑が建立されている。なお「日本書紀」景行天皇四〇年条にみえる、日本武尊が正気を取戻したという「居醒泉」は現不破郡関ヶ原町たまであるとも、坂田郡米原まいはら醒井さめがいであるともいう。

〔歌枕〕

伊吹山・伊吹の峰・伊吹の嶽は「八雲御抄」などにみえる歌枕。

かくとだにえやはいぶきのさしもぐささしも知らじな燃ゆる思ひを  藤原実方(後拾遺集)

百人一首にもとられた有名な歌であるが、もぐさの産地伊吹については古くから近江・美濃国境説のほか下野国説があり、詠歌事情が明らかでない限り断定は難しいが、都に近い関係から歌学書では多くは近江に、あるいは両国に入れ、景物としてさしもぐさをあげる。不破関とのかかわりで詠むものはむろん美濃の歌。藤原康光の歌に「吹きすてて風は伊吹の山のはをさそひて出づる関の藤川」(夫木抄)がある。伊吹山に風を詠むことが多いのは「古事記」で白猪に形象され、山名の起源とも考えられている風を、神の息吹きとみなすからであろう。江戸時代、池田いけだ中山なかやま村ではひそ木・漬蕨・炭・茶・真綿などとともにもぐさを産し、小物成として大垣藩に納めている(寛政八年「西山筋村々明細帳」所文書)。中山の南、当山東の古屋ふるやにはかつて伊吹百草湯があった。現在も伊吹薬草は栽培され、イブキという名で売られている。古屋からは登山道があったが、昭和四〇年(一九六五)に伊吹山ドライブウェーが関ヶ原町側から建設されてマイカーやバスで頂上まで登れるようになってから、古屋からの登山者は減少した。

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1. いぶきさん【伊吹山】岐阜県:揖斐郡/春日村
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2. 伊吹山画像
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3. 伊吹山
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修する七高山の一つともなり,沙門三修を開祖とする伊吹山護国寺が定額寺となっている。中世期には弥高,大平,観音,長尾の伊吹山四護国寺を中心として修験道の山として栄
4. いぶき‐やま【伊吹山】
日本国語大辞典
たともいわれる)滋賀・岐阜県境にある伊吹山地の主峰。日本武尊が東征の帰途、あらぶる神のたたりを受けたという伝説がある。高山植物、薬草が豊富。山頂には伊吹山測候所
5. いぶきやま【伊吹山】
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上代から薬草の自生地として知られる。この山から採れる蓬が灸のもぐさの原料として名高く、「さしも草」と「伊吹山」とを結びつけて、「言ふ」や「燃ゆ」の掛詞・縁語とし
6. いぶきやま【伊吹山】
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滋賀県坂田郡、岐阜県揖斐郡・不破郡の県境にある伊吹山地の最高峰。海抜一三七七メートル。胆吹山とも書く。琵琶湖国定公園に属し、山頂に大正七年(一九一八)気象観測
7. いぶきやま【伊吹山】滋賀県:坂田郡/伊吹町
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れている。〔伊吹山の産物〕「後拾遺集」所収の藤原実方の歌に「かくとだにえやはいぶきのさしもぐささしも知らじな燃ゆる思ひを」とある伊吹山の艾については、古くから当
8. 伊吹山(いぶきやま)
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9. 伊吹山[百科マルチメディア]画像
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米原まいばら市側からの眺望。琵琶湖びわこ国定公園域。滋賀県米原市/岐阜県揖斐いび郡揖斐川町©公益社団法人びわこビジターズビューロー
10. 伊吹山地画像
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11. 伊吹山絵詞(著作ID:97905)
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12. 伊吹山薬草園のこと(著作ID:2435678)
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13. 切支丹実記(著作ID:2373935)
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14. 日本武尊伊吹山にて大蛇を跳越給躰(著作ID:330212)
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15. あおのがはらのたたかい【青野ヶ原の戦】
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16. あさいぐん【浅井郡】
国史大辞典
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17. あさいひめのみこと【浅井比〓命】
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18. あさま【浅間】
日本国語大辞典
からるべきにて、近国の侍にふれられ候」*雑俳・柳多留‐三八〔1807〕「浅間よりひろくけむるは伊吹山」【二】〔名〕(1)「あさまもの(浅間物)」の略。*雑俳・柳
19. あじゃり【阿闍梨】
国史大辞典
に任ぜられる例を開いた。天台宗では七高山阿闍梨とて承和三年(八三六)近江比叡山・比良山、美濃伊吹山、山城愛宕山、摂津神峯山、大和金峯山・葛城山に阿闍梨が置かれた
20. あすかだじんじゃ【飛鳥田神社】岐阜県:各務原市/古市場村
日本歴史地名大系
祀ったものとも考えられる。旧蘇原地区には古市場・宮代(「みやしろ」とも読み、古代の社地の意)・伊吹(伊吹山、あるいは古代各務郡に居住した伊福部氏との関係を示すか
21. 熱田神宮
日本大百科全書
のち東国平定の帰途、尾張おわり(愛知県)国造くにのみやつこの館にとどまり、その娘宮簀媛命を妃きさきとしたが、伊吹山いぶきやまの賊を平定に行くときこの剣を館に置い
22. あつたじんぐう【熱田神宮】画像
国史大辞典
東夷平定の後、尊は尾張国造の館にとどまり、その女宮簀媛(みやずひめ)を妃とし、神剣をそのもとに置いて近江伊吹山の妖賊を討伐したが、病を得て没した。ここにおいて媛
23. 姉川
世界大百科事典
滋賀県北部の川。伊吹山地の新穂(しんぽ)山(1067m)付近に源を発し,伊吹山の西麓を南流して谷口の米原市の旧伊吹町付近で西に方向を転じ,草野川,高時川の支流を
24. あね‐がわ[‥がは]【姉川】
日本国語大辞典
滋賀県琵琶湖東岸に注ぐ川。伊吹山地を源とし、高時川を合わせて養蚕地帯の三角州をつくる。元亀元年(一五七〇)姉川の戦いの古戦場。アネ
25. あねがわ【姉川】滋賀県:東浅井郡
日本歴史地名大系
伊吹山地の南東部、坂田郡伊吹町甲津原の北方新穂山(一〇六七メートル)に水源をもつ一級河川で、全長は五三キロ。水量は県下で最も多い。甲津原の瀬戸山谷・中津又谷など
26. あねがわのたたかい【姉川の戦】
国史大辞典
・旗本の順に、丹羽長秀を横山城の押えに置き、十二段の編成で二十八日早朝行動を開始した。姉川は伊吹山の山麓を西南に流れ琵琶湖にそそぐ川であって野村・三田付近は比較
27. あぶれもの【〓者】
国史大辞典
自害事に「安宅・篠原・日夏(中略)其外伊吹山ノ麓、鈴鹿河ノ辺ノ山立・強盗・溢者共二三千人」とあるのは群盗となって落人を襲撃した類である。こ
28. あまの‐かわ[‥かは]【天野川】
日本国語大辞典
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29. あまのがわ【天野川】滋賀県:坂田郡
日本歴史地名大系
伊吹山地と鈴鹿山脈からなる池溝帯を西流する、流路延長約一九キロ、流域面積約一一一平方キロの一級河川。霊仙山地北麓の山東町柏原にある菖蒲ヶ池を水源とし、上流で奥出
30. あみだじあと【阿弥陀寺跡】滋賀県:近江八幡市/北津田村
日本歴史地名大系
を中心に当寺など五ヵ寺所属の山伏が比良山系修験道集団を構成しており、奥島山や鶴翼山・比良山・伊吹山などを行場として活動している。文献上での当寺の存在は、永禄一〇
31. 荒振神
世界大百科事典
火の光(かがや)く神〉とある邪神,日本武(やまとたける)尊が征服した近江の胆吹(いぶき)山(伊吹山)の神などもこの類である。また,邪悪のため,人々の生活に災いを
32. い【胆】
日本国語大辞典
複合してでなくては用いられない。例、クマノi (イ)」(1)「日本書紀」に「伊吹山」「生駒山」を「膽吹山」(景行四〇年)「膽駒山」(神武即位前紀)と表記する借訓
33. いかぐん【伊香郡】滋賀県
日本歴史地名大系
東は岐阜県揖斐郡坂内村、南は東浅井郡浅井町・湖北町と琵琶湖、西は高島郡マキノ町・福井県敦賀市。北部から中部は伊吹山地に連なる高山で、これら山地に発する高時川・余
34. 池田[町](岐阜)
世界大百科事典
はじめ多くの古墳が点在する。また山麓の霞間ヶ渓(かまがたに)公園の桜は名勝・天然記念物に指定され,一帯は伊吹山県立自然公園に属する。上田 雅子 池田荘 池野
35. いさきじ【伊崎寺】滋賀県:近江八幡市/白部村
日本歴史地名大系
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36. 十六夜日記(中世日記紀行集) 275ページ
日本古典文学全集
地名に現世の執着・煩悩から覚醒する意を掛ける。この歌、『夫木抄』雑八・井に入る。岐阜県南部。伊吹山を水源とし、不破の関趾の傍らを流れ、牧田川に合流して揖斐川に入
37. 泉
世界大百科事典
日本では湧水を利用したマス類やアユ類の大規模養殖が,岩手山麓,那須山系,アルプス山系,富士山麓,伊吹山麓,阿蘇山麓,霧島山系などで行われている。間欠的に湧出する
38. 泉(湧泉)画像
日本大百科全書
ため、マス類やアユ類の養殖に適しており、岩手山麓、那須なす山系、日本アルプス山系、富士山麓、伊吹山麓、阿蘇あそ山麓、霧島山系などで大規模な養殖が行われている。山
39. いずみ-すけゆき【泉亮之】
日本人名大辞典
明治-大正時代の彫刻家。天保(てんぽう)9年1月11日生まれ。どくろ,蛇の作品を得意とした。伊吹山(滋賀,岐阜の県境)頂上にある日本武尊(やまとたけるのみこと)
40. いせひがしかいどう・いせにしかいどう【伊勢東街道・伊勢西街道】岐阜県:不破郡/関ヶ原町
日本歴史地名大系
安江村を通って伊勢に入る道がみえ、これが東街道に相当するものと考えられる。伝承に、日本武尊が伊吹山から伊勢に帰るとき通過したといい、また霊亀三年(七一七)などの
41. いちかわもんのすけ【市川門之助】[付録]
歌舞伎事典
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42. いっぽう‐あじゃり【一法阿闍梨】
仏教語大辞典
密教修法のうち、特定の修法一つを修する阿闍梨をいう。嵯峨天皇の時、七高山(比叡山・比良山・伊吹山・神崎山・愛宕山・金峰山・葛木山の七山)において薬師法だけを修す
43. いとう-はんえもん【伊東半右衛門】
日本人名大辞典
慶長5年(1600)関ケ原の戦いで敗走した敵将小西行長(ゆきなが)を近江(おうみ)(滋賀県)の伊吹山中で捕らえた。
44. いなりじんじゃ【稲荷神社】青森県:弘前市/弘前城下/新寺町
日本歴史地名大系
信政は病気となった。そのため、宝永五年現在地へ堂社を建て尊像を移し、貞昌寺の良仙を別当職に任じ、別当寺として伊吹山白狐寺を建立し、社禄三石六斗を寄付した。明治三
45. いぬかみぐん【犬上郡】滋賀県
日本歴史地名大系
郡内は佐々木京極氏の勢力下にくみ込まれ、とくに京極導誉から大きな影響を受けた。甲良庄内には導誉の住居が伊吹山麓から移築され、建武四年頃には勝楽寺山に城郭が構えら
46. 揖斐川[町]
世界大百科事典
イモやシイタケが栽培され,春日茶の特産がある。村の一部は揖斐関ヶ原養老国定公園,伊吹山県立自然公園に属し,伊吹山は高山植物や薬草の宝庫である。峠を越え垂井町に抜
47. いびがわ【揖斐川】岐阜県:総論
日本歴史地名大系
流域面積一八四〇平方キロ、幹川流路延長一二一キロ。一級河川。〔流域とその地形の特徴〕流域の地形は美濃越前山地・伊吹山地・養老山地・鈴鹿山地などの壮年期山地、鈴鹿
48. 揖斐川(町)画像
日本大百科全書
広く県外に販売網をもつ。米麦作のほか、ダイズや野菜栽培が行われ、また、良質な揖斐茶を産する。このほか、伊吹山麓さんろくは薬草の宝庫として知られる。三輪神社の揖斐
49. いびがわちょう【揖斐川町】岐阜県:揖斐郡
日本歴史地名大系
西は小島山(八六三・六メートル)などの山嶺を挟んで春日村と接する。町の西部はこの山嶺が南部に連なって伊吹山地の東端部をなし、中央部から東部にかけては揖斐川の形成
50. いびぐん【揖斐郡】岐阜県
日本歴史地名大系
同県伊香郡木之本町・余呉町、北部は福井県南条郡今庄町・今立郡池田町・大野市と接する。北部および西部は伊吹山地が占め、南部はその谷々の水を集めて南流する揖斐川の扇
「伊吹山」の情報だけではなく、「伊吹山」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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町境にそびえ、標高四九七・一メートル。山麓には宝登山神社・玉泉(ぎよくせん)寺、山頂には宝登山神社奥宮があり、古くから信仰の山であった。山名の由来は、弘法大師が山頂に宝珠の翻るのをみて名付けたとか、凹地・窪地をあらわすホドに因むなどといわれる。
御嶽山(日本大百科全書(ニッポニカ))
長野・岐阜県境にそびえる複式の成層火山。木曽御嶽ともいう。中央火口丘の剣ヶ峰(けんがみね)が最高峰で標高3067メートル。外輪山(摩利支天山、継母岳)、寄生火山(継子岳、三笠山)、噴火口跡(一ノ池~五ノ池)などが南北に連なり、これらを総称して御嶽山とよぶ。頂上周辺の一ノ池
槍ヶ岳(日本歴史地名大系)
標高三一八〇メートルの北アルプス第二の高峰で、その峰が槍の穂先のようにとがっていることから命名された。長野県側からは常念岳・燕岳などの北アルプスの前山や美ヶ原などに登らないと見えないが、飛騨側からは高原川の上流地域から望むことができる。
御岳山(日本歴史地名大系)
大岳山から北に延びる御嶽尾根にある高山。御岳山は標高九二九メートル。金峰山・武州御嶽山ともいう。北の大塚山の東手を大沢川が流れ、南西の鍋割山の手前に奥院があり、東に日の出山がそびえる。古くから御嶽山信仰の山として知られ、山頂に吉野金峰山より蔵王権現の分霊を勧請した
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富士山宝永噴火(国史大辞典)
宝永四年(一七〇七)十一月二十三日に始まり、十二月八日まで続いた富士山南東側中腹付近での大噴火。大量の火山弾、火山灰が降ったため「宝永の砂降り」ともよばれる。被災地域は駿河・相模・武蔵三国に及び、江戸でも降灰があり雪が降るようであったという(新井白石
伊吹山(世界大百科事典・日本大百科全書・日本歴史地名大系)
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アルデバラン(日本大百科全書・世界大百科事典)
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