1. 足利学校画像
日本大百科全書
廃し、学校は蔵書とともに栃木県に引き継がれた。1876年足利町に返却、1903年(明治36)足利学校遺蹟いせき図書館が開かれ現在に至っている。国指定史跡。前田元
2. 足利学校
世界大百科事典
,儒典研究を目的とする独自の学風を生んだ。1897年足利学校遺跡保存会が成立。1903年学校跡に足利学校遺跡図書館が開設された。《足利学校遺跡図書館古書分類目録
3. あしかが‐がっこう[‥ガクカウ]【足利学校】
日本国語大辞典
えて僧侶や武士に、易学、漢籍、兵法、医学などを教えた。明治五年(一八七二)廃校。附属の文庫は、同三六年、足利学校遺跡図書館となる。国史跡。アシカ
4. あしかががっこう【足利学校】
国史大辞典
[参考文献]須永弘編『足利学校年譜』、川瀬一馬『足利学校の研究』、結城陸郎『金沢文庫と足利学校』(『日本歴史新書』)、長澤規矩也編『足利学校遺蹟図書館古書分類目
5. 足利学校
日本史年表
版 『文選』 を 足利学校 に寄進。 1668年〈寛文8 戊申〉 4・30 幕府、 足利学校 を再建(実紀)。 1728年〈享保13 戊申〉 4・18 徳川吉宗
6. 足利學校(あしかががっこう)【篇】
古事類苑
文學部 洋巻 第2巻 1091ページ
7. 足利学校[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
学校門。奥に杏壇門きょうだんもんと孔子廟こうしびょうが見える。国指定史跡 栃木県足利市©史跡足利学校事務所
8. 【足利学(學)校】あしかががっ(がく)こう(かう)
新選漢和辞典Web版
《国》鎌倉(かまくら)時代初期、足利に創設された、わが国最古の学問所。
9. 足利學校所藏易書 (見出し語:足利學校【篇】)
古事類苑
方技部 洋巻 第1巻 492ページ
10. 足利學校藏書 (見出し語:足利學校【篇】)
古事類苑
文學部 洋巻 第3巻 374ページ
11. 足利學校釋奠 (見出し語:足利學校【篇】)
古事類苑
文學部 洋巻 第2巻 1407ページ
12. あしかががっこうあと【足利学校跡】栃木県:足利市/足利町/足利五ヶ村
日本歴史地名大系
[現]足利市昌平町 足利氏館跡(鑁阿寺)の東南に隣接する学問所兼図書館跡で、国指定史跡。現在、跡地内に足利学校遺跡図書館がある。「鎌倉大草紙」によると承和六年(
13. あしかががっこうせいどう【足利学校聖堂】 : 孔子
国史大辞典
〔足利学校聖堂〕 下野国足利学校(栃木県足利市)は慶長七年(一六〇二)に徳川家康によって再建され、寛文八年(一六六八)改築、元禄年間・享保十三年(一七二八)・
14. 足利学校旧蔵書考(著作ID:4397277)
新日本古典籍データベース
あしかががっこうきゅうぞうしょこう 書目 考証
15. 足利学校見聞記(著作ID:604728)
新日本古典籍データベース
あしかががっこうけんぶんき 足利紀行 広瀬 旭荘(ひろせ きょくそう) 紀行 天保一四
16. 足利学校書籍奥書(著作ID:604740)
新日本古典籍データベース
あしかががっこうしょじゃくおくがき 足利学校書籍奥書以下三種絵図 書誌
17. 足利学校事蹟考(著作ID:261472)
新日本古典籍データベース
あしかががっこうじせきこう 田崎 草雲(たざき そううん) 画 川上 広樹(かわかみ ひろき) 著 教育 明治
18. 足利学校蔵書附考(著作ID:604762)
新日本古典籍データベース
あしかががっこうぞうしょふこう 足利学校蔵書并附考 足利学校書目附考 吉田 篁墩(よしだ こうとん) 編 書目 考証 天明四自跋、文政七大草明序
19. 足利学校蔵書目録(著作ID:604773)
新日本古典籍データベース
あしかががっこうぞうしょもくろく 足利学校旧蔵書目 足利旧蔵書目 足利学校書目 足利学校書籍目録 足利学蔵書目録 足利学校由来付蔵書目録 新楽 閑叟(にいら か
20. 足利学校由来記抜書(著作ID:2457036)
新日本古典籍データベース
あしかががっこうゆらいきぬきがき
21. 足利学校流古筮伝授要説(著作ID:1923326)
新日本古典籍データベース
あしかががっこうりゅうこぜいでんじゅようせつ 占卜
22. 足利學校【篇】 (見出し語:學校)
古事類苑
文學部 洋巻 第2巻 1091ページ
23. 足利學校校則 (見出し語:校則)
古事類苑
文學部 洋巻 第2巻 1107ページ
24. 足利學校聖廟 (見出し語:聖廟)
古事類苑
文學部 洋巻 第2巻 1095ページ
25. 足利學校藏書 (見出し語:藏書)
古事類苑
文學部 洋巻 第2巻 1093ページ
26. 時習館(じしゅうかん)[足利學校]
古事類苑
文學部 洋巻 第2巻 1108ページ
27. 大成殿(たいせいでん)[足利學校]
古事類苑
文學部 洋巻 第2巻 1108ページ
28. 上杉憲實再二興足利學校一 (見出し語:上杉憲實)
古事類苑
文學部 洋巻 第2巻 1092ページ
29. 小野篁草二創足利學校一 (見出し語:小野篁)
古事類苑
文學部 洋巻 第2巻 1091ページ
30. 僧徒爲二足利學校校主一 (見出し語:僧)
古事類苑
文學部 洋巻 第2巻 1102ページ
31. すいがんせいしゃりゅうし【翠巌精舎劉氏】(Cuìyánjīngshè Liúshì)
世界人名大辞典
中国の出版家.福建建陽(現,建甌)の人.劉氏は,宋代著名な出版家,劉叔剛(一経堂,《附釈音毛詩注疏》(史蹟足利学校蔵,重文)を出版)の子孫.劉君佐(1250?~
32. あいば-ともあつ【相場朋厚】
日本人名大辞典
用人格に登用され,維新の際藩政にたずさわる。廃藩後西洋画を研究し,また田崎草雲に文人画をまなんだ。足利学校の遺跡保存に力をつくした。明治44年6月22日死去。7
33. 足利[市]
世界大百科事典
しており,中心市街地は主として渡良瀬川の北岸,旧国道50号線に沿って商店街が形成されている。足利学校跡,足利氏の居館跡の鑁阿(ばんな)寺,西の丘上に織姫神社があ
34. あしかが【足利】
日本国語大辞典
中世から政治・文化の一中心地として発展。早くから絹織物は知られ、銘仙(めいせん)は特に有名であった。足利学校跡、鑁阿(ばんな)寺、織姫神社などがある。大正一〇年
35. あしかが【足利】
国史大辞典
幕府・鎌倉公方・関東管領上杉氏と管轄を変動した。永享年間(一四二九―四一)上杉憲実が足利学校を再興したことは有名である。足利学校の創建については、諸説あるが、足
36. 足利(市)画像
日本大百科全書
合成樹脂などの機械、化学工業の生産が増加して、繊維の単一工業都市の性格は薄くなってきた。 中世唯一の学校施設の足利学校跡、足利氏の居館跡の鑁阿寺ばんなじ(本堂は
37. あしかがぐん【足利郡】
国史大辞典
足利の名を高からしめたのは、足利学校における文運の隆盛である。足利学校の創建については、国学の遺制、小野篁の創建、足利義兼の創建などの諸説があるが、上杉憲実は足
38. あしかがごかむら【足利五ヶ村】栃木県:足利市/足利町
日本歴史地名大系
宝永二年(一七〇五)足利藩領となり、幕末に至る。慶安郷帳では田高八四六石余・畑高九九八石余、ほかに足利学校領一〇〇石・鑁阿寺領六〇石がある。寛永三年の検地帳(福
39. あしかがし【足利市】栃木県
日本歴史地名大系
だ。永享の乱後、当地の支配には上杉憲実とその子孫山内上杉氏があたった。憲実によって再興された足利学校は、フランシスコ・ザビエルによって「坂東の大学」としてヨーロ
40. あしかがし【足利氏】画像
国史大辞典
義兼は足利の邸内に持仏堂を営み、堂僧をして講筵を開かしめたが、これがのちの鑁阿(ばんな)寺および足利学校の基となったという。その子義氏のころは子弟多く幕府に出仕
41. あしかがし【足利氏】 : 足利氏/(一)
国史大辞典
義兼は足利の邸内に持仏堂を営み、堂僧をして講筵を開かしめたが、これがのちの鑁阿(ばんな)寺および足利学校の基となったという。その子義氏のころは子弟多く幕府に出仕
42. あしかがはん【足利藩】
国史大辞典
延宝七年(一六七九)七月老中に昇進した。天和元年(一六八一)二月致仕したが、この間に四万石に加増された。足利学校の造営につとめ、渡良瀬川のいわゆる古河堤の修築を
43. あしかがはん【足利藩】 : 足利藩/(一)
国史大辞典
延宝七年(一六七九)七月老中に昇進した。天和元年(一六八一)二月致仕したが、この間に四万石に加増された。足利学校の造営につとめ、渡良瀬川のいわゆる古河堤の修築を
44. あしかがはん【足利藩】 : 足利藩/(二)
国史大辞典
本庄氏の領地でなくなったと思われる。宗資が領主であった関係上、桂昌院は鑁阿(ばんな)寺および足利学校の修理を行なっている。
45. あしかが‐ぶんこ【足利文庫】
日本国語大辞典
足利学校付属の文庫。現在、
足利学校遺跡図書館となっている。アシカ
ブンコ
46. あしかが‐ぼん【足利本】
日本国語大辞典
或は宋板、或は古鈔本、みな奇世の珍巻秘冊なり」(2)足利学校第九代庠主元佶(げんきつ)が徳川家康の命をうけて京都伏見で出版した活字本。足利学校の印行と誤って伝え
47. あしかがまち【足利町】栃木県:足利市
日本歴史地名大系
千三八六人、新田町五二五軒・一千八一八人、本町三四九軒・一千二二五人、横町七四軒・三三〇人、足利学校領九五軒・二八五人、鑁阿寺領二六〇軒・八三一人、五・九の日に
48. 足利義兼
世界大百科事典
り上総介に任官,勢威を誇った。95年(建久6)出家,法名鑁阿(ばんな)。足利市鑁阿寺の開基。足利学校の創設者ともいわれる。青山 幹哉
49. あしかがよしかね【足利義兼】
国史大辞典
利氏は養和元年滅亡したので、その所領も確保して、勢力を増大した。足利鑁阿(ばんな)寺の開基。足利学校の創始者については諸説があるが、義兼説が最有力視されている。
50. あしかが-よしかね【足利義兼】
日本人名大辞典
頼朝に信頼され,北条時政の娘(政子の妹)を妻とした。のち出家し,下野(しもつけ)(栃木県)足利に隠居。足利学校の創設者ともいわれる。建久10年3月8日死去。通称