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ジャパンナレッジで閲覧できる『辞書』の世界大百科事典・日本国語大辞典・国史大辞典・デジタル版 集英社世界文学大事典のサンプルページ

世界大百科事典

辞書
じしょ

単語を,ある基準にそって整理配列して,その表記法,発音,品詞名,語源,意味,用例,用法などをしるした書。ただし実際にはこのすべてを集成していないものがあり,また百科事典のように,単語の意味よりもむしろ事柄の内容を主としたものや,索引のように,たんに用例を示すだけのものをも含めていう場合もある。辞典,字書,字典,字引などともいう。

種類

(1)分類配列の基準によって,(a)文字(ローマ字,漢字,仮名など)を基にして,それから発音や意味などを知りうるようにしたもの,(b)発音を基にして,それから文字や意味などを知りうるようにしたもの,(c)意味によって分類して,それから文字や発音などを知りうるようにしたもの,に大別できる。(2)見出し語と説明語とが,(a)同一の言語であるもの,(b)異なった言語であるもの(対訳辞典,方言辞典など)に二分できる。(3)収録語の性格によって,(a)普通辞典(一般辞典,一般の語を扱うもの)と(b)特殊辞典とに分かれ,さらに(b)は品詞辞典,語源辞典,古語辞典,現代語辞典,発音辞典,アクセント辞典,文法辞典,外来語辞典,標準語辞典,方言辞典,難訓辞典,類語辞典,熟語辞典など,また特殊な分野ごとに言語学辞典,文学辞典,歴史辞典,宗教辞典,地名辞典,民俗語彙(ごい),隠語辞典などがある。

効用

文字や発音や意味や用法などが不明な場合,そのうちの一つを知るだけで,他を知るのに役だつ。自国語について知ろうとする場合,自国語に該当する外国語を知ろうとする場合,術語を詳しく知ろうとする場合,また,ある種の知識を体系的に得ようとする場合などに用いられる。また,古語の研究のために,過去の時代に編集された辞書が,当時の言語資料や文化史の資料となることが多く,また文献の索引は,古語研究の目的で用いられることが多い。

日本

用字に漢字,平仮名,片仮名,ローマ字の4種があり,語彙の種類が豊富なので,辞書の性格は複雑である。形態の上から分類すると,(1)漢字を手がかりにして引くもの(この中には偏旁(へんぼう)や字画など漢字の形から引くもの,韻など漢字の発音から引くもの,漢字の意味によって分類したものなどがある),(2)仮名を基にして,それにあたる漢字や意味を知るもの,(3)語の意味によって分類したものなどがある。また,(4)ローマ字から引くようにしたものは,対訳辞書ばかりでなく,国語辞書にもある。現代では一般に,漢字の字形から引くものを漢和辞典と呼び,仮名・ローマ字から日本語を引くものを国語辞典と呼んでいる。

沿革

最も古く現れたのは,漢字を手がかりとして引く辞書で,これは輸入された中国の辞書を模倣することから始まり,また,そのさい音義(漢籍や仏書の注釈付要語集)や訓注(文中に語句の注釈を加えたもの)や,古訓点(漢文に付した古代の訓点)や先行の辞書などを参照することが多かった。また編者はほとんど僧か漢学者かであった。この種の辞書では,ことにその後の増補や改編が多い。仮名が発明され,発達するにつれて,12世紀ころから,仮名を基にして漢字や意味を引くものが現れた。これらはたぶん漢字や漢文(純粋の漢文も和化漢文も含む)を読解したり,それに訓点を書き加えたり,また,漢字や漢文をつづったりするために作られたものであろうが,19世紀前半までは,漢字漢文が正格の文字文章とされていたので,漢字を読み書きする辞書が,歴代の言語生活に果たした役割はひじょうに大きい。11世紀ころから,和歌や和文の語について注釈した辞書が公家や僧などによって作られるようになる。和歌や和文の用語や文法は,10世紀以来あまり変化しなかったが,口語はしだいに変化したため口語との差異が広がり,それを解釈する必要が生じたためとみられる。

 ヨーロッパ式の体裁を備えた辞書は,近世初期に日本に渡来したキリスト教宣教師たちが,布教のために作った日欧対訳辞書が最初である。以後禁教で中絶したが,幕末以後ふたたび起こり,その形式は国語辞典や漢和辞典にもとり入れられて現在に至った。以上の辞書は,いずれもその成立時代の語彙,語法,音韻,文字などの研究資料となり,また,当時の人々の文化生活を知るための好資料ともなっている。

平安時代まで

漢字や漢文を読み書きする辞書が主であった。古くは中国から多くの辞書を輸入して使用したとみられるが,さらにすすんでこれらを要約,模倣,集成して編集したものが現れた。記録にみえる最初の辞書は,天武天皇11年(682)の成立という《新字(にいな)》44巻であるが,現存せず,内容は未詳である。8世紀(奈良時代)の成立という《楊氏漢語抄》《弁色立成》なども逸文が知られている。日本で編述した現存最古の辞書は空海の《篆隷万象名義(てんれいばんしようめいぎ)》30巻で,830年(天長7)以後の成立である。これは《玉篇》にもとづいて要約し,一部に篆書を併記してあるもので,漢字の字形から音や意味を引く辞書だが,漢文の注記だけで,和訓はない。菅原是善(これよし)(道真の父)の《東宮切韻(とうぐうせついん)》は847-850年(承和14-嘉祥3)の間に成立したといわれ,中国の14種の《切韻》を集成し,漢字を韻によって分類し,その音や意味をしるし,和訓はないようであるが,これも原本は散逸した。つづいて出たのが《新撰字鏡(しんせんじきよう)》12巻で,僧昌住の著,昌泰年間(898-901)に増補が成立した。漢字を字形によって偏旁に分類したものであるが,漢文の注のあとに,万葉仮名で和訓を書き添えてある点は現存する最古のものである。《和名類聚抄(わみようるいじゆうしよう)》(《和名抄》と略称される)は源順(みなもとのしたごう)の著で,承平年間(931-938)に醍醐天皇の皇女勤子内親王に献じられた。おもに物の名を集め,意味によって分類し,出典,発音,意味,万葉仮名による和訓などを書き加えたもので,百科辞書的な要素が濃い。権威ある辞書として広く行われ,後出の辞書に大きな影響を与えた。《類聚名義抄(るいじゆうみようぎしよう)》(《名義抄》と略称される)は,漢字の部首引き辞書で,法相宗の僧の著とみられ,1081年(永保1)以後の成立である。この辞書は先行の諸書から材料を多くとり入れており,当時の和訓の集大成の観を呈していて,古語研究資料として重視されている。

 平安時代の韻書には《東宮切韻》のほかにも《季綱切韻》《孝韻》《小切韻》などがあったようであるが,散逸した。また,院政時代には《色葉字類抄(いろはじるいしよう)》が出た。異本が多いが,3巻本(〈前田本〉〈黒川本〉など)は橘忠兼の著で,天養~治承期(1144-81)ころの間に成立したといわれている。これを増補したのが10巻本(〈学習院本〉など。《伊呂波(いろは)字類抄》と書く)であるが,3巻本の前に原撰本や2巻本があったようであり,《節用文字》《世俗字類抄》などもこの異本とみられている。この辞書は発音からそれにあてるべき漢字・漢語を求めるためのもので,第1次分類として第1音節によってイロハの47部に分け,各部をさらに意義分類してある(ヲとオとはアクセントの高低によって区別している)。

 またこの時代には和歌の学問がさかんになって,古歌の語が研究されるようになり,多くの歌論書が作られた。その中で,能因法師の《能因歌枕(うたまくら)》1巻,藤原仲実(なかざね)の《綺語(きご)抄》3巻,藤原清輔(きよすけ)の《奥儀(おうぎ)抄》3巻(天治~天養期(1124-45)ころ成立),顕昭の《袖中(しゆうちゆう)抄》20巻(文治期(1185-90)ころ成立),藤原範兼(のりかね)の《和歌童蒙(どうもう)抄》10巻(1135-55(保延1-久寿2)の間に成立)などの中には,歌語を集めて意味分類をし,それに解釈を加えた部分が含まれている。

鎌倉・室町時代

平安時代の辞書の影響を受けながら,多くの辞書が新しく編まれた。ことにこの時期から版本の辞書もあらわれ,広く用いられるようになった。漢字・漢語に関するものとしては,まず部首引きのものに《字鏡(じきよう)》(原本は院政時代の成立か),《字鏡集》(菅原為長著。寛元期(1243-47)ころ,またはそれ以前に成立)が現れ,ついで,室町中期に《和玉篇》が出た。古写本,版本とも多種あって,《元亀字叢(げんきじそう)》《玉篇略》などの異称をもつ本もある。漢字1字ごとに,片仮名で音訓を示した平易なもので,以後広く行われた。

 韻引きのものでは,虎関師錬(こかんしれん)が《聚分韻略》を著した。嘉元4年(1306)と記した序があり,まもなく開板流布したものとみられる。漢字1字ごとに,片仮名で音訓を示したもので,中国で新たに作られ伝来した韻書(《広韻》など)の影響がみられる。これが,のちには平声,上声,去声を上中下3段に配した〈三重韻〉に改編され,大いに行われた。当時さかんになった漢詩作詩の助けのために作られたものである。作詩用には,このほかに《平他字類抄(ひようたじるいしよう)》がある。意義分類に四声・イロハの分類を加味したもので,嘉慶2年(1388)書写の奥書をもつ本が伝わっている。

 日常所用の語彙の辞書としては,まず意味分類のものに《下学(かがく)集》がある。著者は建仁寺の僧かといわれ,1444年(文安1)の成立である。このほか《頓要集》(室町初期成立),《撮壌集(さつじようしゆう)》(飯尾永祥著。1454(享徳3)成立),《類集文字抄》(室町時代に成立か。文明18年(1486)書写奥書の本がある)などがある。またイロハ引きのものに《節用集(せつようしゆう)》(〈せっちょうしゅう〉ともいう)があるが,下位分類は意味によっている。文明期(1469-87)より少し以前の成立である。異本がはなはだ多く,また古写本,古刊本も多い。このほか語源辞書の《名語記(みようごき)》10巻(経尊著。1275(建治1)成立),類書の《塵袋(ちりぶくろ)》11巻(文永~弘安期(1264-88)ころ成立か),最古の五十音引き辞書として《温故知新書(おんこちしんしよ)》(大伴広公著,1484(文明16)成立),イロハ分類だけで意味分類のない《運歩色葉集》(1548(天文17)成立)などが現れたが,これらの中で《和玉篇》《下学集》《節用集》は最も広く行われ,江戸時代におよんだ。

 和語の語釈の辞書としては,上覚の《和歌色葉》3巻(1198(建久9)成立か),順徳院の《八雲御抄(やくもみしよう)》6巻などがある。これらは和歌を読み,作るためのものであるが,中世,《源氏物語》の研究がさかんになるにつれて,《源氏物語》の語彙を分類配列して語釈を加えた辞書が現れた。長慶院の《仙源(せんげん)抄》はイロハ引き国語辞書として最古のものであり,そのほかに竺源恵梵の《類字源語抄》(1431(永享3)成立)などもある。また連歌のための辞書として,応其の《無言抄》(1580(天正8)成立),著者未詳の《匠材集》(1597(慶長2)成立)などが現れた。

 このほか,室町時代以降,ヨーロッパから来日したキリスト教宣教師たちによって出版されたものがある。日本語自体のものとしては《落葉集(らくようしゆう)》があり,漢字の部首引きの部分,音引きの部分などから成るが,所収語彙は《節用集》などと出入りが多い。また日欧対訳辞書もはじめて現れた。《日葡(につぽ)辞書》(1603,のちパジェスLéon Pagèsが《日仏辞書》に改編した),《拉葡日(らほにち)辞典》(1595・文禄4),《羅西日(らせいにち)辞典》などがあり,いずれもヨーロッパ式の体裁を整えたものである。これら〈キリシタン版〉はローマ字,表音的仮名遣い,詳しい語釈などがあるので,当時の日本語研究に有益である。

江戸時代

漢字の辞書としては,前の時代にできた《和玉篇》《下学集》《節用集》の類がこの時代にも増訂改編されて,多くの新しい内容の異本を生じた。このほか中国から新たに伝えられた《大広益会玉篇》《康煕(こうき)字典》などもそのままか,または加筆改編されて広く行われた。

 イロハ引きの国語辞書には,和歌連歌のために松永貞徳の《歌林樸樕(かりんぼくそく)》その他が現れ,また国学などで上古・中古の研究がさかんになるにつれ,古語を集めた辞書が作られるようになった。海北若冲(かいほくじやくちゆう)の《和訓類林》(1705(宝永2)成立),五井純禎の《源語梯(てい)》(1784・天明4),石川雅望(まさもち)の《雅言集覧》(1826(文政9)以後の刊行)などがある。《雅言集覧》は用例集に近いもので,語釈は少ない。谷川士清(ことすが)の《和訓栞(わくんのしおり)》93巻(1777(安永6)以後の刊行)は古語のほか俗語方言なども収め,五十音順であり,太田全斎の《俚言(りげん)集覧》(増補本は1900)は俗語を集めたもので,アカサ…イキシ…の順で並べてある。

 このほか特殊辞書には,語源辞書として松永貞徳の《和句解》(1662・寛文2),貝原益軒の《日本釈名》(1700・元禄13),新井白石の《東雅》(1717(享保2)成立),契沖の提唱した歴史的仮名遣いを整理増補した楫取魚彦(かとりなひこ)の《古言梯》(1764(明和1)成立),方言辞書で越谷吾山《物類称呼》5巻(1775・安永4),類書として寺島良安の《和漢三才図会(ずえ)》105巻(1712(正徳2)成立),山岡浚明の《類聚名物考》(1903-05)などがある。

明治時代以後

ヨーロッパの辞書の影響を受けて,その体裁にならった辞書が生じた。漢字の辞書は中国の《康煕字典》が中心となり,それに字解,熟語,注釈などを漢字仮名交りでしるしたものが多く現れ,《漢和大辞典》(三省堂編集部編。1903),《詳解漢和大字典》(服部宇之吉・小柳司気太共編。1916),《大字典》(上田万年・岡田正之・飯島忠夫・栄田猛猪・飯田伝一共編。1917),《字源》(簡野道明編。1927),《新修漢和大字典》(小柳司気太編。1928),《新字鑑》(塩谷温編。1938),《大漢和辞典》13巻(諸橋轍次編。1955-60),白川静《字統》(1984)などがある。この類に属するものには,べつに検索法にくふうを加えたものもある。

 国語辞書では,維新後まもなく,文部省が木村正辞,横山由清らに編集させた《語彙》(1871-81)が中絶したのち,さらに大槻文彦に命じて編集させ,それが《言海》として刊行(1889-91)された。これが近代的体裁をそなえた国語辞書として最初のものである。山田美妙の《日本大辞書》(1892)はアクセントを注記した最初のものであり,この後,落合直文《ことばのいづみ》(1898),金沢庄三郎《辞林》(1907),上田万年・松井簡治《大日本国語辞典》(1915-28),金沢庄三郎《広辞林》(1925),大槻文彦《大言海》(1932-37),新村出《辞苑(じえん)》(1935),平凡社編《大辞典》(1934-36),金田一京助《明解国語辞典》(1943),新村出《言林》(1949),金田一京助《辞海》(1952),新村出《広辞苑》(1955),日本大辞典刊行会編《日本国語大辞典》20巻(1972-76)など,数多くの辞書があるが,この中で《大日本国語辞典》と《大言海》とは,語釈や古典の用例などが詳密であり,《大辞典》は固有名詞を含むのが特色である。

 特殊辞書では,類義語を集めた志田義秀・佐伯常麿《日本類語大辞典》(1909),広田栄太郎・鈴木棠三《類語辞典》(1955),方言では東条操《全国方言辞典》(1951)および《標準語引分類方言辞典》(1954),外来語を集めた上田万年・高楠順次郎・白鳥庫吉・村上直次郎・金沢庄三郎《日本外来語辞典》(1915),荒川惣兵衛《外来語辞典》(1941),アクセントを示した神保格・常深千里《国語発音アクセント辞典》(1932),日本放送協会編《日本語アクセント辞典》(1943),漢字の故事熟語を集めた簡野道明《故事成語大辞典》(1907),池田四郎次郎《故事熟語大辞典》(1913),隠語を集めた楳垣実《隠語辞典》(1956)などがある。このほか,ある時代,またはある種の文学作品の古語についての辞書として松岡静雄《日本古語大辞典》(1929),金田一京助《明解古語辞典》(1953),沢瀉久孝(おもだかひさたか)ほか編《時代別国語大辞典》上代編(1967),折口信夫《万葉集辞典》(1919),佐佐木信綱《万葉辞典》(1941),佐藤鶴吉《元禄文学辞典》(1928),上田万年・樋口慶千代《近松語彙》(1930)などがある。

 新語辞典の類は最近はきわめて多数刊行されている。また古語・古文学の科学的研究のために,索引もしだいに刊行された。松下大三郎《国歌大観》正続2編(1901-03,1925-26。正編は渡辺文雄と共編)は和歌の句引き索引であり,1983年から《新編国歌大観》が刊行されている。その他正宗敦夫《万葉集総索引》(1929-31),吉沢義則・木之下正雄《対校源氏物語用語索引》(1952),池田亀鑑《源氏物語大成索引編》(1953-56)のほか,《古事記》《日本書紀》《竹取物語》《宇津保物語》《紫式部日記》《更級(さらしな)日記》《栄華物語》《今昔物語集》《平家物語》《徒然草(つれづれぐさ)》などの索引が刊行されている。

 類書には《古事類苑》(1889-1914成立),物集高見《広文庫》(1916)があり,ヨーロッパ式の百科事典には,田口卯吉編《日本社会事彙》(1888-90),三省堂編《日本百科大辞典》(1908-19),平凡社編《大百科事典》(1931-35)などがあり,ほかに日本文学,国語教育,国史,仏教,民俗学などの辞典も数多い。なお対訳辞書ではヘボン編《和英語林集成》(1867)などがなかでも古いものである。
[築島 裕]

中国

〈字書〉の概念

中国の古い書誌学の用語では〈字書〉という。全体としていえば辞書類,辞典類というのが最も近い。その場合,書誌学的にまず分離しておかなければならないのは〈類書〉である。〈類書〉は〈事を類するの書,四部を兼ね収め,経に非(あら)ず史に非ず,子(し)に非ず集に非ず〉として《四庫全書総目》でもどこに所属させるべきかが論ぜられている。要は事項別事典なのだが,《佩文韻府(はいぶんいんぷ)》のような詩文用例辞典をも含む。これらは仏家の経典理解のための辞書である《一切経音義》なども同じだが,要するに,歴史的に〈字書〉とは見なされていないのである。それに,これもそうした歴史的な慣習の問題だが,そういうふうに,現在的意味で確実に辞書,辞典でありうるものを含まぬ反面,この〈字書〉という分類は,逆に現在普通にいう辞書とはやや遠いものを含むこともある。《四庫全書総目》の〈小学〉類は,第1類〈訓詁〉,第2類〈字書〉,第3類〈韻書〉の3類に分かれているが,〈字書〉というときこの第2類に含まれる(1)識字教科書としての分類語彙集=《史籀(しちゆう)篇》《蒼頡(そうけつ)篇》《急就篇》など,(2)字形によって文字を分類解説したもの=《説文解字》《字林》《玉篇》《竜龕手鏡(りようがんしゆきよう)》《類篇》《字彙》《正字通》《康煕字典》など,(3)字体についてその正俗等を規定しようとするもの=《干禄(かんろく)字書》《五経文字》《九経字様》など,等々が〈字書〉と呼ばれるほか,1類から3類まで〈小学〉類に属するもの全体を〈字書〉ということもある。〈字書〉は,したがって広狭2様の場合があることになる。

 〈小学〉類に属するものが全体として〈字書〉と呼ばれることがあるのは,〈小学〉とは現在の〈言語学〉などにほぼ相当する概念であるといっていいのだが,古代中国の学問は言語を言語として抽象的に論ずるというようなことがほとんどなく,言語の学問とは主として古典がそれによって書かれているその言語,実際には《五経》などを個々の場合についてどう読み取り,どう理解していくかということであったため,結果としてそれは,古典読解のためのマニュアルといった形を取ることになる,つまり〈字書〉的なものに自然なっていくためであった。

 こうした広い意味での〈字書〉,また《四庫全書総目》での下位分類としての〈字書〉,いずれの場合でもことさらに〈字〉書という言い方で〈字〉を表面に出してくるのは,中国語の意味や音(おん)の単位が普通ただ一つの音節,いわゆる単音節によってあらわされ,それを形象化するのが一つ一つの文字つまり漢字であるため,〈字〉についてその意味,音を語ることが,すなわち中国語の意味や音の,少なくとも単位について語ることになるからである。主として意味を論ずる〈訓詁〉学書,たとえば《爾雅(じが)》《小爾雅》《方言》《釈名》《広雅》《埤雅(ひが)》《爾雅翼》《〓雅(べんが)》《通雅》など,また,すでに例をあげた〈字書〉類,次に詩文の押韻の基準を示すことをおもな目的とし,副次的にはある文字について訓詁を知りたいときもその音によって引ける構造になっている〈韻書〉類,たとえば《切韻》《広韻》《集韻》《礼部韻略》《古今韻会挙要》《洪武正韻》《佩文詩韻》《音韻闡微(せんび)》など,以上いずれもそうである。
→訓詁学

親字と熟語

しかし,中国語において意味や音の単位が単音節であるといっても,実際にはひじょうに古い時代から,単音節を二つ以上組み合わせたもの,つまり二つ以上の音節,したがって二つ以上の意味の単位を組み合わせて一つの合成された新しい意味をかたちづくるという現象が見られた。日本で〈熟語〉などと呼ばれるものの多くがそれである。たとえば〈春〉と〈秋〉という二つの音の単位でもあり意味の単位でもあるものを組み合わせ,〈春秋(しゆんじゆう)〉という語を合成した場合,合成された〈春秋〉はすでに単なる〈春と秋と〉ではなく,〈春〉と〈秋〉,すなわち〈春耕〉と〈秋収〉という二つの,当時の人間生活にとって最も重要な作業に従事すべき季節を取り上げることによって〈春夏秋冬〉の四季の交替,つまりは〈一年の時の流れ〉,さらに抽象的には〈時間〉〈時の推移〉といった拡張された意味にまで,本来それは行き着くべきものであった。その場合〈春秋〉の全体は,明らかに単位たる〈春〉と〈秋〉とがそれぞれに示しうる意味の単なる並列の範囲を超えているのであって,したがって本来中国の辞書,辞典の類は,そうした合成された結果としての新しいことばについても,その意味を語らなければならないはずであった。

 現実にはしかし,古い中国の〈字書〉類がそうした複音節の語,熟語の意味を解説することは,むしろきわめてまれであって,たとえばこの〈春秋〉の場合,それが単に〈春と秋と〉なのではなくて〈一年という時〉というような意味であることを教えるのは,《詩経》魯頌(ろしよう)・閟宮(ひきゆう)の詩の中で〈春秋匪解(春秋解(おこた)らず)〉というその〈春秋〉は,〈なお四時と言うがごとし〉と後漢の鄭玄(じようげん)のいわゆる《鄭箋(ていせん)》がいうように,読書の際の,そのときどきの指摘であることが多かった。ただ,この〈春秋〉のような場合,〈春秋おこたらず〉を,〈春も秋も〉おこたることなく,ということだと考えることで〈一年中〉という気もちが伝わらないわけではなく,たとえばまた〈春秋〉が〈これからの長い年月〉をあらわすであろう〈陛下富於春秋(陛下は春秋に富ませたもう)〉(《史記》李斯(りし)列伝)のような場合,この〈春秋〉を,〈春も秋も〉まだまだたくさんおありです,と受け取ることで,それ以上特別な解説はなくてすむ,といえばいえる。解説なしですまないのは,連ねられた二つ以上の音と意味とが,そのように連ねられた結果できあがる新しいことばの意味と,まったく関係がないか,あるいは,あったとしても関連するところがきわめて少ないという場合で,そういう場合があることも,中国語について,きわめて古い時代から知られていた。

 中国の辞書として最も古い,少なくとも最も古い部分を含んでいると思われる《爾雅》でも,その巻頭第一《釈詁(しやつこ)》上篇の冒頭に〈初,哉,首,基,肇,祖,元,胎,俶,落,権輿,始也〉というのは,いずれも最後の〈始〉がそうであるように,日本語でいえば〈はじめ〉であるような文字を並べたものであるが,そのうち〈権輿(けんよ)〉というのは〈初〉以下の10字がいずれも1字で〈はじめ〉であるのとちがって,この2字あわせて〈はじめ〉であり,かつこれが〈はじめ〉であるのは,その合成単位である〈権〉とも〈輿〉とも本来関係がなく,それら二つのこの順序での連なりだけが〈はじめ〉という意味をもったことばを形づくるのであった。《爾雅》はこの〈権輿〉のほか2字のものを主とするかなりの数の複音節の語を含む。動植物の名を集めた部分には特に多い。そうしてそれらはしばしばいまの〈権輿〉の例のように,それ以上意味の単位には分割できないものである。

 このように,単に〈字〉を解説するだけでは足りない複音節の語を処理するためには,〈字〉を単位とする〈字書〉方式は少なくとも不便である。後漢の許慎の《説文解字》の場合,同様のものを処理する方式は,たとえば〈珊瑚(さんご)〉の例について見ると,まず〈珊〉の字を取り上げたうえ,〈珊瑚なり〉といい,〈色赤く,海に生じ,或(ある)いは山に生ず〉という。ついで〈瑚〉の字をすぐ続けて取り上げ,ここでは単に〈珊瑚なり〉という。ヨーロッパ系の言語を外来語として取り入れたうえ,それを漢字化したものと考えられている〈葡萄(ぶどう)〉になると,その古い表記は〈蒲桃〉などであるため,〈蒲〉には〈蒲〉の原義があり,〈桃〉には〈桃〉の原義があって,字の原義を説くことを仕事とする《説文》が,〈蒲桃〉すなわち〈葡萄〉に触れることはありえない。〈葡〉にも〈ぶどう〉とは無縁の〈草なり〉と訓ぜられる本義があるのである。

〈ことば典〉の成立

ところで中国語は,意味や音の単位としては依然単音節的でありながら,実は語彙としては漢字にして2字以上の複音節語の全体の中に占める比重をふやしつづけてきた。現在ではむしろごく少数の基本単語の中にしか単音節語,漢字でいえばただ1字だけで表しうるものは見当たらないといってもいい。そうして,ふえてきた複音節語は〈珊瑚〉〈葡萄〉のように意味の要素には分解できないものよりも,むしろ〈春秋〉式の,意味組合せ式のものがずっと多いのは事実だが,その〈春秋〉でさえ,それが《五経》の一つとして固有名の《春秋》であるときには,〈春秋なる者は魯の史記の名なり。事を記す者は,事を以て日に繫(か)け,日を以て月に繫く。月を以て時に繫け,時を以て年に繫く。遠近を紀(しる)し,同異を別(わか)つ所以(ゆえん)なり。故に史の記す所,必ず年を表して以て事を首(はじ)む。年に四時有り。故に錯(たが)えて挙げ,以て記す所の名と為すなり。……孟子曰(いわ)く,楚(そ)これを檮杌(とうごつ)と謂(い)い,晋(しん)これを乗(じよう)と謂い,而して魯これを春秋と謂う,其の実は一なり〉(〈春秩序〉)というほどの解説はどうしても必要なことであった。つまり〈春と秋と〉ということで〈年〉をあらわし,ひいてはそれが〈歴史〉となり,一般名詞としての〈歴史〉が結局さらに魯の国の年代記の固有名ともなった,ということをいっているのだが,いまもこういう解説を,晋の杜預(どよ)の〈春秋序〉から引用したように,こうした解説は,通例〈字書〉以外の場所で行われるものとされていた。《五経》をはじめとする経典の読解について,今日的意味からすれば明らかに〈辞書〉である唐の陸徳明の《経典釈文》が,〈音義〉書として〈諸経総義〉類に属するなどの扱いを受けるのもそれである。

 こうしたものをまで含めて,〈字書〉が扱うようになるのは,1915年に出版された商務印書館の《辞源》である。その編集が開始されたのは1908年,まだ清の光緒年間であったというから,これは清末とくに日清戦争以後内外の事ようやく多端となった時期,それに対応すべく企画されたものであろう。直接には1903年,熟語をも加えた《漢和大辞典》が三省堂から出版されたのが刺激になっていようという清水茂の説は聞くべきである。明治維新によってひとまず先に新時代に入った日本がヨーロッパ語の翻訳として作り出し,あるいは旧来の漢語に新しい意味を付与する形で取り上げた多くの新漢語は,しばしば大量に中国にも逆輸出され,それは中国社会に対する大きな言語的インパクトになったと考えられるような時代であった。

 たとえば〈社会〉という語は,歴史的にはまず郷党の〈社〉の祭りでの縁日を示すことばとして,ついで同好同志のものの結社を示すことばとしてすでに存在していた。それらの記憶を伴ってであるにせよ,それがヨーロッパ語societyその他の訳語としても使われるようになり,定着してやがてその意味で使われることのほうが多くなると,〈辞書〉はそれを避けて通ることができなくなる。《辞源》がその序文の中で,〈字〉ではなく〈辞〉を扱う辞典,つまり文字すなわちletterを扱う〈もじ典〉ではなく,〈語〉すなわちwordを扱う〈ことば典〉であることを強調したのはそのためであった。以後,中国でも〈字書〉は通例こうした〈辞典〉あるいは〈詞典〉であり,比較的小型でなお〈字典〉を名のるものの場合でも,〈字〉解を補うかたちでその〈字〉を含む熟語をあげたり,熟語によっては特別に解説をほどこしたりするのが普通である。

 その場合の親〈字〉は,古典読解用にも使うという種類のものでは《康熙字典》式,このごろではときにそれを改訂した方式の部首別画数順の配列が普通だが,やや古くは注音字母の順,新しくはアルファベット順として音により〈字〉を検索させ,ついでそれを第1字とする熟語をそれぞれの方式に従って配列するというのが,現代語用の詞典としては一般的である。旧来の〈字書〉と〈韻書〉との合体だということもできよう。いずれの場合でも,画引き詞典なら発音順の,発音引きなら画引きその他の,他種の索引が付録されて検索の便をはかっているのは,現在の日本の漢和辞典と同じである。部首別詞典としてはその後《辞源》をライバルとして1937年中華書局の《辞海》が作られた。両者ともその後次々に形を変えながらともに健在で,いま《辞源》は古典読解用,《辞海》は小百科的なものを目ざしていると見える。〈親字〉を利用しない完全な発音引き辞典は,中国の著作としては《漢語拼音詞彙》(1958)など,解説を伴わぬ語彙集以外には,まだない。
[尾崎 雄二郎]

西洋

西洋における辞書の歴史は古く,前7世紀ごろ作られたアッカド語の単語集が最古の辞書の一つに数えられている。そのほか前5世紀以降ギリシア・ローマを中心に,簡単な語注を加えた用語解的なものが種々作られているが,これら古代の辞書に共通していえることは,いずれも難語を中心にしたもので日常語がほとんど取り上げられないという点であり,この傾向は近代初期の辞書編集においても依然認められるものである。

中世イギリスにおける辞書の発達

イギリスにおける辞書の起源は7,8世紀ごろのラテン語用語解にさかのぼる。当時ヨーロッパの公用語・学術語であったラテン語読解の便を図るため,難解な語を取り上げてこれに平易なラテン語または古期英語で語注を施したものが,初学者用に作られていた。この種のものでイギリス最古の用語解としては,8~9世紀ころ作られた《エピナル・グロッサリー》《コーパス・グロッサリー》等が知られている。前者はテキストごとにまとめてあるが,後者では全部をアルファベット順に配列している。このようなアルファベット順用語解に対して,主題ごとに意味・内容上関連するラテン語類義語を記載し,これに意味上対応する古期英語の語句を添えたラテン語類語集があるが,その代表的なものは10世紀ころのカンタベリー大主教エルフリックÆlfric(生没年不詳)の編に擬せられるものである。しかし,1066年のノルマン・コンクエスト後は,国語としての英語の衰微とともにこの種の辞書類の編集も不振となり,断片的な類語集が数編見られるにとどまった。その中の一つ,著名な神学者・文法学者・錬金術師として知られたガーランドJohn Garland(1202ころ-52)の類語集は,イギリス人の著した英語文献で初めてdictionarius(英語のdictionary)というラテン語を用いたものとして注目されるが,付記された英語の対応語はごくわずかにすぎない。

 けれども14世紀末になると,国家意識の高揚とともに英語が国語としての地位を回復し,15世紀の間に数種の羅英辞典が現れた。1440年ころに活躍したドミニコ会士ガルフリドゥスGalfridus Grammaticus(ジョフリーGeoffrey the Grammarian,生没年不詳)の編と伝えられる英羅辞典《初学者用学習宝庫》は,名詞・動詞を主として約1万2000の英単語を取り上げ,これにラテン語の対応語を加えたもので好評を得,99年にはイギリスで最初の印刷本辞書として刊行された。ちなみに,1477年ベネチアで出版された《伊独語彙(ごい)集》は最初に印刷された近代語2ヵ国語辞典であり,また81年にニュルンベルク出版の《ドイツ語彙集》には約1万語の見出し語が収録されている。こうしてしだいに次のルネサンス期における近代的辞書成立への準備が整えられていく。

近代の英語辞書

16世紀に入ってまもない1502年に,イタリアのレッジョで出版されたカレピーノAmbrogio Calepino(1435-1511)の《博言辞典》はラテン語のほかイタリア語など数ヵ国語を収め,1590年版では11ヵ国語に及んでいる。この《博言辞典》が象徴しているように16~17世紀は〈外国語辞書〉の時代であり,ルネサンス期における古典研究熱,世界的な通商・交流の結果として,ラテン語・ギリシア語以外にフランス語・イタリア語等の近代諸国語辞典が相次いで刊行された。イギリスではクーパーThomas Cooper(1517ころ-94)の《羅英辞典》(1565)をはじめ,フローリオーの《伊英辞典》(1598),コトグレーブRandle Cotgrave(1634ころ没)の《仏英辞典》(1611)等をあげることができる。また1573年出版のバレットJohn Baret(1580ころ没)編《蜜蜂の巣箱》は英・羅・仏の3ヵ国語辞典であった。

 16世紀を通じ,英語は古典語をはじめ多くの外国語から借入を行い,一時は〈外来語の洪水〉のような現象を呈し,一般の人々には理解しがたい〈インキ壺くさい〉衒学的な用語が氾濫(はんらん)したため,そのような難語を集めて説明した難語辞典を要求する声が強かった。これにこたえ,独立した形での最初の英語辞典の誉れを担うのはコードリーRobert Cawdrey編《英語アルファベット表覧》(1604)である。一方,17世紀の間にブラントThomas Blount(1618-79)編《語誌》(1656)のように,語義のほかに不十分ながら語源的説明を加えたものも現れた。このように,17世紀は難語辞典の時代ということができるが,次の18世紀は真の意味で英語辞書が成立した時代である。まず,カージーJohn Kersey編と推定される二つの英語辞典,《新英語辞典》(1702)と《アングロ・ブリタニカ辞典》(1708)とは,難語や特殊語のみならず日常用語も多く取り入れ,一般的な英語辞典の編集に一歩を進めた。この一般辞書としての性格をさらに推し進めるとともに,小規模ながら同時代の作家からの用例を加えることによって,本格的な英語辞典の編集に寄与したのがベーリーNathaniel Bailey(1742没)の《万有英語語源辞典》(1721)である。収録語数約4万,語源を重視した一般英語辞典として注目を浴びた。ベーリーは1730年新たに《英国辞典》を刊行したが,収録語数6万,図解を含み,当時最大・最良の英語辞典として,やがてS.ジョンソン博士(S.ジョンソン)が辞書を編集するに当たり,その底本として用いられることになる。

 18世紀はヨーロッパを通じ合理主義が風靡(ふうび)し,フランスやイタリアではアカデミーが設立されて,国語の純化と標準語確立のための辞書の編集が行われていた。イギリスでは結局,国語問題に携わるアカデミーは成立しなかったけれども,標準的な新辞典の編集は,S.ジョンソンという偉大な個性によって,ほとんど独力で完成されたのである。この《英語辞典》2巻(1755)は従来の英語辞典の集大成というべきもので,収録語数約4万3000,ようやく固定しかけてきた綴字法を整理し,語源を不十分ながら与え,語の意味用法をおもに17世紀以降の文学作品からの引用例によって説明し,ほぼ近代的な国語辞典に仕上げることに成功した。

 ジョンソン博士の辞書は,収録語彙の選定や定義等において主観的な好悪に左右されることがまれではなかった。しかし19世紀に入ると,言語の科学的研究の勃興に呼応して,後述するグリム兄弟の《ドイツ語辞典》(《グリム・ドイツ語辞典》)をはじめとし,辞書編集についても客観性・歴史性が求められることになった。聖職者で言語研究に深い関心を寄せていたトレンチRichard Chenevix Trench(1807-86)は1857年の言語学協会の会合で,〈英語辞典にみられる若干の欠陥について〉という報告を行い,その中で従来の英語辞典が各語の成長の歴史につき不十分な情報しか与えないことを指摘し,〈歴史的原理〉による大規模な英語辞典編集の必要性を強調した。その主張はやがて《歴史的原理による新英語辞典》として結実することになる。しかし,この大辞典の実現には幾多の障害があり,マレーJames Augustus Henry Murray(1837-1915)が編集主幹となって第1分冊を刊行したのが1884年,その後3名の編集者を加え,本巻の完成をみたのは44年後の1928年であった。その後33年には本文12巻に補遺1巻を加え,《オックスフォード英語辞典》(OED)として揺るぎない地位を占めている。収録語数約42万,1150年以後の語はすべて収録し,16世紀以前については当時利用できる全作家の作品から用例を収集することを目標としたという。語義もほぼ歴史的順序に分類・配列し,各語義について初出の例を,また廃語については最終用例を記している。語の成長を克明に記録した歴史的辞典として最も権威ある英語辞典であるのみならず,ひろく世界各国の国語辞典の中でも傑出したものといわれる。1933年の補遺版以後の新語・新語義を補うため新補遺全4巻が刊行された。

アメリカの辞書

アメリカでは小学校における国語教育の必要から作られた《スクール辞典》(1798)が最初の英語辞典である。編者は,奇しくもイギリスのジョンソン博士と同姓同名のサミュエル・ジョンソンという学校教師であった。その後18世紀末から19世紀初にかけて,アメリカに特有の語や語義に多少とも注意を払った英語辞典が数種刊行されたが,ジョンソン博士のものに匹敵する本格的辞典は,すでに綴字教本等で声名の高かったN.ウェブスター編《アメリカ英語辞典》2巻(1828)である。収録語数約7万,アメリカ特有の語や語義・用法を収め,用例もアメリカ人の著作から多数引用し,合理的な綴字法を採用するなど,アメリカにおける英語辞典の先駆となった。ウェブスターに続き,ウースターJoseph Worcester(1784-1865)による3種の英語辞典が現れた(1830,46,60)。そして革新的な傾向をもつウェブスター辞典と保守的で柔軟・穏健な立場をとるウースター辞典との間にいわゆる〈辞書戦争〉が起こったが,結局ウェブスター辞典の改訂版が勝利を収めた。ウェブスター辞典の地位は,19世紀末相次いで刊行された大辞典,言語学者W.D.ホイットニー編《センチュリー辞典》6巻(1889-91。改訂版12巻,1911)やファンクIsaac Kauffman Funk(1839-1912)編《標準英語辞典》2巻(1893-94,改訂版1913)等の出現によっても揺るがず,その新版《ウェブスター新国際英語辞典》(1909,第2版1939,第3版1961)はアメリカにおいて最も権威ある大辞典の座を独占している。

 上記1961年出版の《ウェブスター新国際英語辞典》第3版は構造言語学の理論を背景とし,〈辞書は言語の現実をありのままに記述すべきで,規範を与えるべきものではない〉という記述主義の立場から,従来誤用とされていた語法を少なからず容認した。これに対して〈辞書は言語の管理者としてその言語に表現の正確さとともに洗練を与える導きとなるべきである〉との編集理念を掲げて,反《ウェブスター》の先頭に立ったのが《アメリカン・ヘリティッジ英語辞典》(1969,改訂版1982)である。この〈客観的記述性〉対〈規範性〉は,辞書編集の過程でしばしば問題となるものである。

 従来,イギリスの辞書は,固有名詞や風物誌的なものは母国語話者に自明ということでほとんど取り上げず,もっぱら語の意味・用法に重点をおく〈ことば典〉的性格に徹し,一方アメリカの辞書は百科事典的性格も備え〈こと典〉的傾向をもつといわれてきた。そのことは,イギリスの《簡約オックスフォード英語辞典》(COD。1911,第7版1982)とアメリカの各種カレッジ版辞書を比較してみれば明らかである。しかし最近では,イギリス系のものにも豊富な図解入りの《新オックスフォード図解辞典》(1978)や固有名詞等を多く取り入れた《コリンズ英語辞典》(1979)等が現れ,一方アメリカ系の《ウェブスター》大辞典は〈ことば典〉的性格に徹するというように,一概に割り切れなくなっている。

ドイツ,フランスの辞書

近代における科学的な辞書編集に大きな影響を与えたのは,前にもふれたグリム兄弟の《ドイツ語辞典》である。グリム以前のものとしては,ジョンソン博士の《英語辞典》に比較されるアーデルングJohann Christoph Adelung(1732-1806)編《高地ドイツ語文法的・批判的辞典》5巻(1774-86)等がある。《グリム童話集》の編者でもあるグリム兄弟が,ドイツ語の純化を目的としてその編集に着手し第1分冊が刊行されたのは1852年であったが,その後の刊行は遅々として進まず,全16巻32冊の完成を見たのは100余年後の1960年であった。この年を経た《グリム・ドイツ語辞典》の現代化を目ざす新版は,分冊の形で1966年に刊行を開始している。一方,現代ドイツ語の生きた慣用を重視する辞書として,東ドイツ科学アカデミー付属言語学研究所編《現代ドイツ語辞典》6巻(1964-78),西ドイツから《ドゥーデン・ドイツ語大辞典》6巻(1976-81)が刊行されており,また《ブロックハウス=ワーリヒ・ドイツ語辞典》6巻が1980年以来刊行中である。

 フランスにおける最初の国語辞典は,難航したアカデミー・フランセーズ刊行の辞書に先駆けて出版されたリシュレCésar Pierre Richelet(1631-98)編《フランス語辞典》(1680)であった。アカデミー・フランセーズ版はようやく1694年に日の目を見たものの不備の点が少なくなく,とくに当代の語法を正しく反映せず,独断に流れる弊が指摘されていた。批判者の一人プージャンCharles Pougens(1833没)は,ジョンソン博士の《英語辞典》をしのぐフランス語辞典の編集を独力で計画したが,不幸にも完成をみずに終わった。しかしその資料は後にリトレの辞書編集に利用されることになった。はじめ医学を志したリトレは苦心の末《フランス語辞典》4巻(1863-72,補遺1878,改訂版1958)を著し,フランス語辞典編集史に画期的な貢献をした。最近のものとしては,ロベールPaul Robert(1910- )編《フランス語大辞典》6巻(1960-64,補遺1970)と《ラルース大フランス語辞典》7巻(1971-77)が本格的な国語辞典であり,またリトレの新版の計画から生まれたフランス国立科学研究所刊行の《フランス語宝庫》はコンピューター利用の時代別歴史的辞書で,19~20世紀編の第1分冊が1971年に刊行されたが,当初の計画があまりに遠大であったため,規模縮小が図られている。
→百科事典
[寺澤 芳雄]

[索引語]
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日本国語大辞典

じ‐しょ 【辞書

解説・用例

〔名〕

(1)ことばや文字をある観点から整理して排列し、その読み方、意味などを記した書物。外国語辞書・漢和辞書・国語辞書などを含めていう。国語辞書の中には、普通のもの以外に、百科辞書や地名辞書・人名辞書、また、時代・ジャンル・作品などを限ったもの、各学問分野別に専門用語を中心に集めたもの、方言・隠語・外来語など語の性質別にまとめたもの、表現表記に関するものなど、内容上多くの種類がある。辞典。字引。字書。字典。

*和蘭字彙〔1855~58〕「woordenboek 辞書

*西洋道中膝栗毛〔1870~76〕〈仮名垣魯文〉七・上「三人よれば文字の智恵、辞書(ジショ)と地理書を便りとし、英人『モテル』の案内にひかれ」

*舞姫〔1890〕〈森鴎外〉「我母は余を活きたる辞書となさんとし、我官長は余を活きたる法律となさんとやしけん」

*或る女〔1919〕〈有島武郎〉前・九「辞書でも繰り当てたやうに、自分の想像の裏書きをされたのを」

*侏儒の言葉〔1923~27〕〈芥川龍之介〉文章「文章の中にある言葉は、辞書の中にある時よりも美しさを加へてゐなければならぬ」

(2)コンピュータの仮名漢字変換システムで、入力した仮名に対応する語句を登録しておくファイル。また、自動翻訳システムで、語と語の対応や文法などが登録されているファイル。

(3)辞職するむねを書いて差し出す文書。辞表。じそ。

*続日本後紀‐承和四年〔837〕一二月丁酉「然今進れる辞書〓御意〓として左近衛中将従四位下和気朝臣真綱を差〓使返給と宣」

*小右記‐長和三年〔1014〕二月一四日「大弐辞書〓侍従中納言之許〓

*栄花物語〔1028~92頃〕見はてぬ夢「『世はかうこそは』と見思ふ程に、この頃大弐辞書奉りたれば、有国をなさせ給へれば」

*栄花物語〔1028~92頃〕玉の村菊「かかる程に、大弐辞書(ジショ)といふ物、公(おほやけ)に奉りたりければ」

*台記‐仁平四年〔1154〕正月一二日「去年献〓辞書〓之後、未〓返給〓、不〓〓結番〓者、雑人可〓結番〓乎」

(4)新帝が先帝に太上(だいじょう)天皇の尊号を贈るに際し、先帝がこれを辞退する意を述べる書状。御辞書。御報書。

(5)ことばや文章。

*蘭東事始〔1815〕下「蘭学は、実事を辞書に其まま記せし者故、取り受けはやく、開け早かりし歟」

発音

〓[ジ]〓[ジ]

辞書

言海

正式名称と詳細

表記

辞書言海




国史大辞典

辞書
じしょ
語(事項名を含む)・文字などを、ある基準によって蒐集し、一定の方式に従って分類配列して、それぞれに解説を加えたものを、広く辞書と称することができる。その多くが、ものを読み、または書くに際して、不明・不確実な、語や文字の意味・発音あるいは用法・表記法などを確かめるという、言語生活上の必要から編纂されることは、古来変りがない。漢字を韻によって分類した韻書と呼ばれるもの(例、『聚分韻略』、虎関師錬著、嘉元四年(一三〇六)序)なども、作詩の際に役立てられたものであるし、語(事項名)を意義・内容によって分類配列したものも、単なる分類の興味だけから編纂されたのではなく、その方式が、問題の語の検索や理解に便であると同時に、また表現に際して適切な語を求めるのに役立つという実用面をも有したものと思われる。仏典や漢籍の「音義」、あるいは『日本紀私記』のようなもの、また、たとえば『仙源抄』(長慶天皇著、弘和元年(北朝永徳元、一三八一)跋)や『類字源語抄』(竺源恵梵著、永享三年(一四三一))のように『源氏物語』という一作品の語彙のみを配列解説したものも、広義における辞書の一種で、同じく読解に役立てようとしたものである。しかし、普通に辞書と呼ばれるものは、採録する語彙の出典を特殊のものに限定しない。もっとも、その中にも、語彙の種類や解説の目的を限定するものはあって、たとえば歌語を中心とするもの(例、『歌林樸〓』、松永貞徳著)、古訓を集めたもの(例、『倭訓類林』、海北若沖著)、方言を中心とするもの(例、『片言』、安原貞室著、慶安三年(一六五〇)刊)、あるいは語源解釈を主とするもの(例、『日本釈名』、貝原益軒著、元禄十三年(一七〇〇)刊)等々、この種の特殊辞書は、ことに近代以後、各専門分野に応じて夥しく刊行されている。それらには、読解や表現に直接役立てるというよりは、むしろ研究上の目的から編述されたと見るべき面も多いが、しかし、一般辞書・特殊辞書を通じて、辞書なるものの効用は、現に疑問とし問題とすべき語や事項や文字に関する知識を、諸書を渉猟する手数を省いて、直ちにまとまったかたちで獲得し得る点にある。それだけに、その編述にあたっては、各項目ごとに適切な根拠・出典を選ぶことがはなはだ大切となり、また、最も効果的な検索の手段が、利用目的に応じて種々工夫されなければならないことになる。
 わが国の辞書の編纂は、舶来の中国辞書の模倣から始まっている。それ以前は中国の辞書をそのまま利用していたはずで、辞書を必要とする一部知識階級の読み書く文章が、もっぱら漢文に限られていた当時には、それで十分に事足りたわけである。漢文を正式の文章とする伝統は、その後も長く続き、したがって一般に辞書といえば漢字を検索するものであるのが、中世までの大勢であった。もっとも、漢字を主とするといっても、その文字のみを問題とするわけではなく、読み方・意義・用法を併せ説くのであって、語を表わす記号としての漢字を問題にするのであるから、その意味でこれは、やはり「辞書」なのである。ただ、漢字をまず検索の手懸りにするという意味で、これを「字書」と呼ぶこともできる。
 その歴史をやや具体的にたどると、『日本書紀』天武天皇十一年(六八二)三月条にみえる『新字』四十四巻なるものは疑わしいのでしばらく措き、わが国の現存最古の辞書である『篆隷万象名義』(前半部空海撰、天長四年(八二七)―承和二年(八三五)の間か)は、なお中国辞書『玉篇』の縮約版の域を出ないが、平安時代中期の『新撰字鏡』(昌住著、昌泰年中(八九八―九〇一))に至って、はじめて日本人のための辞書が成立した。漢字の音と意義とを漢文で注する形式は、中国辞書に倣っているが、かなりの文字に和訓を付し、多数の国字を収録しているところにも、それが窺われる。もと読むための辞書であることはもちろんであるが、偏旁によって漢字を分類し、その偏旁の配列に意義分類を加味している点などには、書くための辞書としても役立て得ることを意図したかと思われる。一方、やや遅れて成立した『和名類聚抄』(源順著、承平四年(九三四)ころ)は、中国の類書に倣って諸般の事物名を内容によって分類配列し、それぞれに漢文の注を加えるとともに、その訳語(和名)を示している。それらの典拠として多数の漢籍を引くと同時に、『日本紀私記』『延喜式』などのほか、『弁色立成』『楊氏漢語抄』といった、現在すでに散佚した辞書類の注や訓を引用しているのも、辞書史上興味あることである。しかし、漢字・漢語の使用が日本人の言語生活の中にさらに拡大し浸透するにつれて、その意味を、前述のような漢文注を介してではなく、もっと端的に、それぞれの訳語、すなわち訓として把握することが必要になり、辞書にもそういう注解のしかたをとることが要求されてくる。すでに平安時代末期の成立かと思われる『類聚名義抄』(原撰本、法相宗の僧か、十二世紀前半)では、次第に和訓が漢文注に対して対等の重みを持つものになっているが、これを改撰した広益本では、出典の注記や漢文注をすべて省き、それぞれの漢字に対して諸書から集められた和訓を片仮名で列挙する方式に改められている。こういう漢和対訳辞書形式のものは、その後も『字鏡』(十三世紀ごろか)、『字鏡集』(菅原為長著か、寛元三年(一二四五)以前)や室町時代の『和玉篇』など多数に編纂されるが、『類聚名義抄』をはじめ、これらは、その書名からも窺われるように、先行辞書を模倣・引用した点が多々ある。このように先行辞書の記述を利用することは、この種のものに限らず、現在に至るまで、わが国の辞書一般に見られる傾向である。『和名類聚抄』のような意義分類体のものとしては、その後、室町時代の『下学集』(文安元年(一四四四)自序)、『撮壌集』(飯尾永祥著、享徳三年(一四五四)序)、『頓要集』などが一般に行われたが、書くための辞書としての性格をはっきり持つものとして現われてきたのが、『色葉字類抄』(二巻・三巻、橘忠兼著、十二世紀後半)である。漢語を、その語頭音によってイロハ四十七部に分け、その中をさらに意味によって分類して、語から、それを表記すべき漢字が求められるようになっている。すなわち、漢文体ないしは記録体の文章を書くのに役立てようとするもので、このような辞書が要求されるほどに、この時代には、漢字を用いて文章を書く層が広がってきたことを意味している。鎌倉時代に入ると、この辞書は、要求に応じてその実用性を一層強め、大幅に増補されて十巻本の『伊呂波字類抄』となる。
 この系統を引いて、基本的にその体裁を踏襲しながら、実用面への考慮をますます高めていくのが、室町時代の『節用集』(十五世紀中ごろ)で、「節用」とは、日常折節の用にあてるの意味であるという。こうしてイロハ引きが、以後、辞書の検索法の定型となり、『運歩色葉集』(天文十七年(一五四八))といった名称の辞書も現われたが、その中で『温故知新書』(大伴広公著、文明十六年(一四八四))が、早く五十音引きを採用しているのは注目されよう。一方において、たとえば前述の韻書のごとき特殊辞書ないしは専門辞書も現われないわけではないが、このような実用辞書の盛行が何といっても辞書史上、室町時代以後を特色づける。その中で、いま一つ、この時代に、はなはだ異色ある辞書として現われたのが、『拉葡日対訳辞書』(一五九五年(文禄四))および『日葡辞書』(一六〇三年(慶長八))である。吉利支丹宣教師の日本語学習という特殊な目的を以て編纂され、したがって通行の範囲も狭いものであったが、特に後者は、採録語が当時の口頭語を中心に広範囲にわたり、ポルトガル語による詳しい語義の説明が付せられているなど、従来の漢和辞書の欠を補って余りある画期的な日本語辞書である。近世に入って、読み書き能力を持つ人口の増加とともに、日常座右に備える実用書としての辞書の需要はますます増大し、それに応えるべく『節用集』には、つぎつぎに増補・改編が試みられて、「〇〇節用集」と称するものが、夥しく出版された。その勢いは明治時代にまで及び、「節用集」という語が、直ちに辞書を意味して用いられるほどであった。必ずしもイロハ順を先とせず、意義分類を先とし、日常接する各種の語のみならず事項名をも多数に収録して詳しい説明を施すものも現われる。『和漢音釈書言字考節用集』(槇島昭武著、享保二年(一七一七)初版)などはその代表的なもので、一種の百科辞典的性格を帯びたものになっている。百科辞典的な書物としては、すでに中世にも『塵添〓嚢抄』(天文元年)のごときがあり、近世にも『和漢三才図会』(寺島良安著、正徳二年(一七一二)自序)のごときがあるが、それらに比べて、これは、ずっと通俗的に、利用しやすいものになっている。ところで、以上に見て来たものは、日本の辞書とはいいながら、『日葡辞書』の類を除き、いずれも漢字との関連において日本語を説くものであった。それに対して、純粋の日本語(和語)を日本語で説く辞書が、近世に至って現われる。たとえば『倭訓栞』(谷川士清著、安永六年(一七七七)―明治二十年(一八八七)刊)、『雅言集覧』(石川雅望著、文政九年(一八二六)・嘉永二年(一八四九)刊、一部未刊)、『俚言集覧』(太田全斎著、村田了阿ら一部補)などをその代表とするが、しかし、収録語の種類は限られている。和語を和語で説明する辞書というようなものは、一般の人々にとってはあまり必要がなかったわけで、いきおいこれらは専門家向きの特殊辞書的性格を持ったのである。ただ、このうち『倭訓栞』は五十音順の配列をとり、語彙採録の基準や解説の方法にもすでに近代辞書の趣を備えようとしている点が注目される。
 明治維新ごろから以後、わが国の辞書史もまた、新しい展開の時期を迎える。西洋文化の移入に応じるべく、蘭語・英語・独語・仏語などを読むための、たとえば、『和英語林集成』(ヘボン著、慶応三年(一八六七)刊)のごとき対訳辞書が編纂され出して、その勢いは現在に続くとともに、国語辞書にも、官撰の『語彙』(明治四年―十七年、ただし中断)を嚆矢として、やがて『言海』(大槻文彦著、明治十七年成稿、同二十二年―二十四年刊)、『日本大辞書』(山田美妙編、明治二十六年完)その他の近代的な辞書がつぎつぎに出現するようになる。『言海』は、やがて『大言海』(昭和七年(一九三二)―十二年)へと成長し、『大日本国語辞典』(上田万年・松井簡治著、大正四年(一九一五)―八年)とともに、大正から昭和期にかけて大型国語辞書の双璧とされ、その影響は、現在新しく編纂される辞書にまで及んでいる。これらにも漢語は多数に収められているが、漢和辞典としても、『大字典』(栄田猛精著、大正六年)などの優れたものが出るようになった。昭和初期に出た平凡社の『大辞典』(昭和九年―十一年)は、第二次世界大戦前における辞書を集大成した観のある大著であるが、昭和十年代に入って、現代語研究がようやく進展するとともに、はじめて真の現代語辞典と称すべきもの(たとえば、『明解国語辞典』、金田一京助編、昭和十八年)が編纂されるようになり、語釈の方法なども大いに進んだ。それに対応して「古語辞典」なるものも種々刊行されてくるが、その多くは、なお学習用の小型辞典である。方言辞典・アクセント辞典の類から各種専門用語辞典に至るまで、特殊辞典もますます多きを加えてきたが、それらをもある程度吸収し、多くの人数を動員して成った『日本国語大辞典』(昭和四十七年―五十一年)は、戦後最大の国語辞典として、同じく大型の漢和辞典である『大漢和辞典』(諸橋轍次著、昭和三十年―三十五年)と並び称せられる。しかし、一般への普及度からいえば、『広辞苑』(新村出著、昭和三十年)を以て、現在最も普及した国語辞書とすべきであろう。
→百科辞書(ひゃっかじしょ)
[参考文献]
『古辞書叢刊』、『古辞書大系』、橋本進吉『古本節用集の研究』、山田孝雄『国語学史』、岡井慎吾『日本漢字学史』、山田忠雄『近代国語辞書の歩み』、同編『本邦辞書史論叢』、山田俊雄『日本語と辞書』(『中公新書』四九四)、見坊豪紀「日本語の辞書」二(『(岩波講座)日本語』九所収)、亀田次郎「国語辞書史」(『日本文学講座』一六所収)、吉田金彦「辞書の歴史」(『講座国語史』三所収)、岡田希雄「部首分類漢和辞書の沿革概説」(『国史と国文』所収)
(阪倉 篤義)


デジタル版 集英社世界文学大事典

辞書
古代ギリシア・ローマ
〔ギリシャ・ローマの辞書
 古典期のギリシャの子供たちは学校でホメロスを習うのが常であったので,ホメロスに出てくる難解な語(グロッサglōssa)を説明した難語辞典が必要とされた。ホメロス研究が盛んになったヘレニズム時代にはこうした難語辞典を基に数多くの注釈書が書かれた。アレクサンドリアの図書館長になったビザンティウムのアリストパネスは本格的な難語辞典を作成し,以後の辞典の模範となった。またこのころから多数の方言辞典が作られた。古典期アテナイの文体に帰ろうとするアッティカ主義の流行に伴い,アッティカ方言の語彙(ごい)と用例を集めた辞書の編集が盛んになった。そのほか,タルソスのアルテミドロスによる料理用語集など専門用語を集めた辞典も現れた。ヘレニズム時代はさまざまな学者によって膨大な知識が蓄えられていったが,ローマ帝政期になると前の時代の縮刷版を作ろうという傾向が顕著になった。ギリシャ人の辞書編纂(へんさん)への熱意に比べ,ラテン語の辞書は奮わなかった。アウグストゥス期のウェッリウス・フラックスは難語と古代ローマの慣習をアルファベット順に解説した。これはフェストゥスとパウルス・ディアコヌスの要約で伝わっている。もう一つ,4世紀ごろのノニウス・マルケッルスは『学識要覧』で共和政期の作品の古語を集成した。語の配列が出典の順番のままだったり,かなりずさんな面もみられるが,失われた作品の例文が多数引用されているので貴重である。(谷栄一郎)
〔中世以降の辞書
 ここでは,西欧の辞書が,(1)どのようにして近代的な形式を得るに至ったのか,(2)また,それが文学史とどのような関わりをもつのか,という2つの問題を扱う。
〈歴史〉 西欧における辞書の起源の一つとして,まずセビーリャのイシドルスの『語源集』(7世紀)が考えられる。これは,古代の学芸の簡便な百科全書として作られた書物で,自由七学芸から自然学や神学に至る諸分野ごとに用語を列挙し,語源にこじつけてその意味を説明している。ただ,用語の配列は各分野の学問体系に依拠し,一語一語の検索の用はなさずに通読を前提としている。その意味で,古代ローマの時代に作成された〈摘要〉epitomeの流れをくむものであるが,こうした辞書的な〈大全〉summaは中世を通じて行われ,代表例に,ペトルス・コメストールの『教会史』(12世紀)やジョヴァンニ・バルビの『カトリコン』(13世紀)がある。
 一方,7~10世紀のころには,各地でしきりと〈用語解〉glossariumと呼ばれる小冊子が作られた。これは,例えば聖書など,特定の書物にあらわれる難解なラテン語を集め,より平易な常用のラテン語,ないしは各国語で言い換えた用語集である。『ライヒナウ用語解』(9世紀)のように貴重な言語史の史料となっているものが多いが,その見出し語の配列はアトランダムであるか,意味上の連関を追った連想式であることが大部分であった。
 この見出し語の配列から意味上の連関を断ち切り,脈絡のないアルファベット順を取り入れること。それによって通読のための書物を,検索のための書物に変貌(へんぼう)させること。アルファベット順の〈用語解〉の例もないわけではないが,こうした辞書の第一条件が広く一般化するのは,やはりルネサンス期になってあらわれる古典語辞書と外国語辞書を待たねばならない。
 いうまでもなく,古典語辞書ルネサンス人文主義の成果であって,15世紀のイタリアにおけるギリシャ学の興隆に伴い,その学習用の便宜のために編まれた。〈用語解〉がすでに当該言語の知識を有する者を対象としていたのと異なり,こちらはいわば初学者を対象とするので,基本語をはじめとしてあらゆる語を含み,しかも検索に便利である必要があった。したがって1480年ごろ,最初のギリシャ語辞書がカルメル会修道士クラストンによって刊行された当初から,語彙(ごい)の包括性が顧慮され,アルファベット順が採用されていた。この方式は,16世紀に入って古典ラテン語辞書にも取り入れられた。ロベール・エチエンヌ(エチエンヌ家)による『ラテン語宝典』(1532)がそれで,古典学の進展を反映して,それぞれの項目には古典作家からの規範的な用例が添えられている点が新しい。
 一方,ルネサンス期は,中世ラテン語の汎用(はんよう)性がしだいに弱まり,代わって近代諸国語が台頭した時代でもあった。そのため外国語を学ぶ必要が増し,多くの国で外国語辞書が刊行されたが,これも実用性を目的とし,包括的語彙とアルファベット順を取り入れている。すでに15世紀に二国語対照語彙集があらわれているが,その代表格はカレピーノの『多国語対照辞典』(1502)であって,16世紀中に各国で増補を重ね,最後は11カ国語辞書に拡張された。
 自国語の辞典は最も遅れ,ヨーロッパ諸国で次の17世紀以降に発達した。
 例えばフランスでは,上に掲げたロベール・エチエンヌが,1540年,初学者用に『フランス語=ラテン語辞典』を出版しているが,これがアルファベット順のフランス語語彙集の嚆矢(こうし)とされる。次いで,ニコの『フランス語宝典』(1606)は,この『フランス語=ラテン語辞典』のラテン語部分を極力切り詰め,代わりにフランス語の語釈や熟語を補った辞典で,自国語辞書への歩みを一歩進めた。古典主義の時代に創設されたアカデミー・フランセーズは,当初から自国語辞書の作成を活動目的の一つに定めていたが,その『アカデミー辞典』は1694年に完成。教養人の用いるべき典雅なフランス語の姿を示すという,規範的な性格を強く押し出す反面,良質の言葉とは無縁であると判断された俗語や専門領域の術語は省かれている。
 この規範性は,17~18世紀の自国語辞書にしばしば見られる性格であり,語の意味内容を豊富な文学作品からの引用によって説明することに成功したジョンソン博士の『英語辞典』(1755)も,語彙の選定や語釈部分において,やはり主観的な好悪の判断から免れていない。
 しかし,19世紀に入ると言語の科学的な研究が進み,その成果に呼応する形で辞書にも客観性と歴史性が求められた。歴史的原理に基づき,近代語の形成期にあたる数世紀分の言語資料にあたり,実際の用例をもとに語義の生成と変化を記した大がかりな辞書が,次の20世紀にかけて各国で計画され,刊行された。フランスではリトレの『フランス語辞典』(1863−73),イギリスでは『オクスフォード英語辞典』(1884−1928),ドイツではグリム兄弟の『ドイツ語辞典』(1854−1961)などが代表的なものだが,最近でもコンピューターを利用して,『トレゾール・フランス語辞典』(1971−)が刊行中である。
 また,そのかたわらで,20世紀後半には構造主義言語学の理論を背景に,言語の現時点での現実をありのままに伝えるべきだとする現用主義も有力となり,その立場から,誤用とされる語法まで含めて記述する辞書が多くあらわれている。
〈文学作品との関わり〉 辞書は語の正しい綴りを示し,その意味を的確に定義する。この規範性は文学史とも深い関連を有しているが,例えば多くの作家を巻き込んだ16世紀のフランスの綴字(ていじ)論争の渦中では,ロベール・エチエンヌの『フランス語=ラテン語辞典』の綴りが,結局のところ標準的な綴りとして採用された。また,その定義の簡潔な的確性は,おそらくアフォリズム文学とつながりをもち,17世紀フランスのプレシオジテラ・ロシュフコー,さらにはビアスの『悪魔の辞典』などにも影響を与えていると考えられる。
 だが,より本質的な部分で文学に関わるのは,近代の辞書が例外なく採用したアルファベット順の見出しという形式である。この形式が,辞書を通読の書物から検索の書物へと変貌させたのだが,また,始まりから終わりに向かって脈絡をたどるという線形性の桎梏(しつこく)から逃れるヒントを,文学作品に対して与えたとも思われる。
 例えば,フロベールの『紋切り型辞典』は,19世紀のブルジョワ社会に流布していたさまざまな紋切り型の決まり文句を集め,それによってブルジョワ社会の愚劣さを告発しようとした作品である。ただ,何事につけ脈絡をつけて最後まで言い切れば,すべてが紋切り型の愚劣さを免れないと見通していたフロベールにとって,それらの決まり文句をなんらかの観点から配列し,始まりから終わりへと進む物語を仕立て上げるのは,同じ紋切り型の愚劣さに陥ってブルジョワに加担することを意味していた。その矛盾を逃れるため,彼は決まり文句からそれぞれテーマ語を抜き出し,そのテーマ語のアルファベット順に決まり文句を配置するにとどめた。その結果,作者の姿はみごとに消え去り,一つ一つの決まり文句の愚かしさを強烈に浮かび上がらせることに成功したのであった。
 実際,材料の〈配列〉dispositioは古典修辞学の一部門を形成し,言述の意味に深く関与する問題である。自身も『旧修辞学便覧』によって十分にこの問題を意識したロラン・バルトは,恋の諸相についての省察を集めた『恋愛のディスクールの断章』において,省察を恋の生起する順番に展開する代わり,「苦悩」「肉体」「追憶」といったテーマ語のアルファベット順に配列した。これによって恋の諸断面が,その前後に生起するはずの他の出来事から切り離され,とりとめのない不安な様相を新たにあらわすのであるし,また,全編を通じてみれば,あくこともなく恍惚(こうこつ)と焦燥を繰り返す恋の深層が強く印象づけられる。
 辞書の歴史が開発したアルファベット順は,作者から〈配列〉というかなり意味性の強い作業を免責し,それによって作品に意味の無償性という新しい可能性を与え得るのだということができる。
(月村辰雄)
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1. 辞書
世界大百科事典
書き加えたもので,百科辞書的な要素が濃い。権威ある辞書として広く行われ,後出の辞書に大きな影響を与えた。《類聚名義抄(るいじゆうみようぎしよう)》(《名義抄》と
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日本大百科全書
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日本国語大辞典
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1862年〈文久2 壬戌⑧〉 12・‐ 洋書調所 『英和対訳袖珍辞書』 刊。
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24. こ‐じしょ【古辞書】
日本国語大辞典
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28. さつまじしょ【薩摩辞書】
日本国語大辞典
英和辞書。高橋新吉、前田献吉等編「改正増補和訳英辞書」の通称。序に「日本 薩摩学生」とあることによる。開成所の「慶応再版英和対訳辞書(改正増補英和対訳袖珍辞書
29. さつまじしょ【〓摩辞書】
国史大辞典
『(改正増補)和訳英辞書』とその改訂版『(大正増補)和訳英辞林』の俗称。薩摩学生、高橋新吉(良昭)・前田正穀共編。明治二年(一八六九)刊、改版は同四年刊。英和
30. 『薩摩辞書』
日本史年表
1869年〈明治2 己巳〉 この年 高橋新吉・前田正穀共編 『薩摩辞書』 刊。
31. しゃくじ‐しょ【釈辞書】
日本国語大辞典
〔名〕ことばの読み方、意義、語源などを解説した書物。辞書。*蘭学階梯〔1783〕下「今より百年以前、刊行の釈辞書にはZの部にzee 〔海〕と云ふ語一語あるのみな
32. じんめい‐じしょ【人名辞書】
日本国語大辞典
記・倫敦市の歓迎「デオシー君、ひたひたと近づき来て、余に囁きて曰ふ、見よ、是れ全く生きたる人名辞書(ジンメイジショ)の口画(くちゑ)と」ジンメ
33. だいにほんじんめいじしょ【大日本人名辞書】
日本国語大辞典
人名事典。四冊。田口卯吉編。明治一八~一九年(一八八五~八六)刊。古代からの日本人名を集録し、解説したもの。のち増補しつつ二冊本、一冊本を刊行した。ダイニホン
34. 大日本地名辞書
日本大百科全書
まりをなすことによる。 本書は「地名辞書」と題しているが、その内容は巻頭の序言にみられるごとく「地誌」であり、地名を索引しやすい体裁をとっているので地名辞書とし
35. だいにほんちめいじしょ【大日本地名辞書】
日本国語大辞典
地名事典。六巻七冊。吉田東伍著。明治三三~四〇年(一九〇〇~〇七)刊。地方地域別に国郡の区分に従って地名の由来・史跡・地形・事物の興廃をはじめ、その地に関係ある
36. だいにほんちめいじしょ【大日本地名辞書】
国史大辞典
本篇の補遺にあたる『大日本地名辞書余材』を含め五百四十五冊に達するが、すべて早稲田大学図書館に蔵されている。昭和四十四年(一九六九)から四十七年にかけ『大日本地
37. 『大日本地名辞書』
日本史年表
1900年〈明治33 庚子〉 3・‐ 吉田東伍 『大日本地名辞書』 刊(~明治40年10月)。
38. なかつばんオランダじしょ【中津版オランダ辞書】
国史大辞典
、江戸時代に成立した日蘭対訳辞書としては最も充実した内容のものとなっている。中津版オランダ辞書には、もう一つ『バスタールト辞書』がある。これはABC順蘭日対訳辞
39. 『中津版オランダ辞書』
日本史年表
1810年〈文化7 庚午〉 この年 中津藩主奥平昌高、 『中津版オランダ辞書』 刊。
40. にちふつじしょ【日仏辞書】
日本国語大辞典
「日葡辞書」を、レオン=パジェスがフランス語訳したもの。「日西辞書」によって補いながら、一八六二~六八年刊行。内容は「日葡辞書」とほぼ同じであるが、見出しを初め
41. 日葡辞書
日本大百科全書
キリシタン宣教師の日本語修得のため、日本イエズス会が刊行した辞書。本篇ほんぺん1603年(慶長8)、翌年補遺刊行。口語を中心に文書語、詩歌語、仏教語、婦人語、幼
42. 日葡辞書
世界大百科事典
どをあげる。当時の日本人の作った辞書に比べてきわめて優れており,利用価値も非常に高い。スペイン語訳《日西辞書》(1630)およびパジェスのフランス語訳《日仏辞書
43. にっぽじしょ【日葡辞書】
日本国語大辞典
れる。ドミニコ会のスペイン語訳「日西辞書」(Vocabvlario de Iapon 一六三〇年マニラ刊)があるほかレオン=パジェスによる仏訳「日仏辞書」(D
44. にっぽじしょ【日葡辞書】
国史大辞典
、同「日葡辞書の成立に関する一考察」(山田忠雄編『本邦辞書史論叢』所収)、同「日葡辞書の太平記引用文について」(土井先生頌寿記念論文集刊行会編『国語史への道』上
45. 『日葡辞書』
日本史年表
1603年〈慶長8 癸卯〉 この年 『日葡辞書』 (本編)成る。
46. にほん‐じしょ【日本辞書】
日本国語大辞典
〔名〕日本語の辞書。国語辞典。日本辞典。*言海〔1889~91〕〈大槻文彦〉ことばのうみのおくがき「八年二月二日、本省報告課(明治十三年に、編輯局と改められぬ)
47. ハルマ辞書
日本大百科全書
オランダの書籍商・出版業者であるフランソア・ハルマFrançois Halma(1653―1722)が、ユトレヒトで出版した『蘭仏らんふつ辞典』Woordenb
48. ひゃっか‐じしょ[ヒャククヮ‥]【百科辞書】
日本国語大辞典
〔名〕「ひゃっかじてん(百科事典)」に同じ。〓[ジ]
49. ひゃっかじしょ【百科辞書】
国史大辞典
百科はあらゆる学科という意味で、万物百般の知識を集積した辞書のことをいう。百科辞書、百科字典などのことばは、エンサイクロペディアの訳語として、近代になって一般
50. ふつう‐じしょ【普通辞書】
日本国語大辞典
〔名〕主として普通語を対象として説明を施した辞書。専門語の辞書や百科辞書などに対していう。*言海〔1889~91〕〈大槻文彦〉本書編纂の大意「此書は、日本普通語
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