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辞典

ジャパンナレッジで閲覧できる『辞典』の日本大百科全書のサンプルページ

日本大百科全書(ニッポニカ)

辞典
じてん

ことばや文字をある視点から整理して配列し、その読み方、意味などを記した書物(日本国語大辞典など)をいう。辞書、辞彙 (じい)、字典、字彙、字引などともいう。

[彌吉光長]

種類

一般に文字または綴字 (てつじ)の標目を五十音またはアルファベット順に配列し、検索の便を図る。中国では漢字に配列の手段がないので、部首順または音韻順により、また字形、音韻および訓詁 (くんこ)(解釈)の3種の辞典に区別される。日本語の辞典の種類は、総合的辞典のほかに、古語(古典語、雅語)、方言(俗語)、隠語、現代語、外来語、類語対語、故事俚諺 (りげん)、語源、発音アクセント、文法、専門用語の諸辞典があり、さらに漢和辞典、2国語または数か国語対照辞典bilingual dictionaryがある。総合辞典には標目数四十数万の大辞典(完全辞典complete dictionary)、同十数万の中型辞典(机上辞典desk dictionary)、携帯用の袖珍 (しゅうちん)またはポケット辞典がある。総合辞典は古語中心の辞典から発展し、標準語中心から現代通用語中心になり、百科事典的な情報を収容していく傾向がある。

[彌吉光長]

辞典の利用

辞典は、西洋でラテン語の解釈を目的に自国語との対照から発展した。中国では字形や意味を知るためで、字典と訓詁の学がある。理想としてはあらゆる語彙 (ごい)と文字を解釈すべきであろうが、それは実現不可能なため、どんな階層の利用者のためかが目標とされる。したがって、その目的で語彙の通用の実態を調査し、語彙の選定と標目語の採択を第一義とするので、利用者は辞典の種類と傾向を知る必要がある。次に解釈も網羅的というわけにいかないので、語の使用階層、地方・学術などの差、用法と引用例、熟語・成句の取り入れの傾向を知ることが重要である。固有の和語はもちろん、外来語の語源にも注目すべきである。方言などは確実な資料によるものがよい。発音、アクセント、仮名遣い、品詞、変化、文字の異体にも注意が必要である。

[彌吉光長]

歴史――西洋

西洋文化と同じように辞典もギリシアに起源が求められる。紀元前2世紀アレクサンドリア図書館長アリストファネスはホメロスなどの原典批判を行うとともに『ギリシア語難語辞典』を編し、後1世紀になるとパンフィルスPamphilus of Alexandriaが集大成した辞典95巻を編した。また、ローマでは1世紀にフラックスMarcus Verrius Flaccusが『語義論』De verborum significatuというアルファベット順の辞典形式をつくった。中世にはラテン語全盛時代で多くの辞典がつくられたが、その一つに1286年バルビGiovanni Balbi of Genoaが編した聖書の辞典がある。1560年ごろにはグーテンベルクが『カトリコン』Catholiconを印刷した。また、1613(1612?)年には、イタリアのアカデミーが自国語の純化確立政策から『アカデミア・デラ・クルスカ辞典Vocabolario degli Accademici della Cruscaを編し、これは1920年代まで通用した。1694年になると、フランスのアカデミーも同じ目的で『アカデミー辞典Dictionnaire de l'Académie françaiseをまとめ、1935年に8版を重ねた。国語政策をとらなかったイギリスでは、コードリーRobert Cawdryが編した1604年の『アルファベット語表』Table Alphabeticallが最初のもので、ヘブライ、ギリシア、ラテン語等と英語を対照させた。

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イギリス

現代的辞典の祖先はベイリーNathan Bailey(?―1742)の『万有語源的英語辞典An Universal Etymological English Dictionary(1721)で、チョーサー、シェークスピアなど文学者の引用句を含み、1727年改修版2巻はサミュエル・ジョンソンの辞典出現までの権威であった。ジョンソンは正しい英語の確立を目ざして、1755年に『英語辞典A Dictionary of the English Languageを出版し、英語学と辞典の権威と認められた。これは、語数4万で、語釈の明確さと引用句の豊富適確さで知られていた。しかし言語学の進歩により主観的すぎるという非難がおこり、1836~1837年リチャードソンCharles Richardson(1775―1865)は、語の意味の時代変化を明らかにした『新英語辞典A New Dictionary of the English Languageを出版した。大英哲学会は英語の歴史的変遷を明らかにした辞典の必要を討論の結果、1858年、編集委員にコールリッジHerbert Coleridge(1830―1861)とファーニウェルFrederick J. Furniwell(1825―1910)に委嘱したが、兼職のため進行が遅れ、オックスフォード大学出版会(OUP:Oxford University Press)が1879年補助金を申し出て進捗 (しんちょく)を図り、言語学の権威マーリSir James A. H. Murray(1837―1915)を専任として編集を進め、1884年『新英語辞典A New English Dictionary on Historical Principles第1巻を出版、1928年13巻を完成(1933年『オックスフォード英語辞典Oxford English Dictionary〈OED〉と改称。12巻・補遺1巻、1972年補遺7巻刊)。これは、チョーサーのころからの英語42万、引用句200万を超え、言語学に徹し、現代辞典の典型といわれる。

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アメリカ

アメリカではウェブスターが1828年に『アメリカの英語辞典An American Dictionary of the English Language大型2冊を完成し、アメリカ的綴字と発音を付し、今日80万語に発展した。現代語辞典には『ランダムハウス英語辞典The Random House Dictionary of the English Language(1966、28万語)がある。アメリカ的英語にはクレーギーWilliam Craigie(1867―1957)、ヒュルバートJames R. Hulbert共編『アメリカ的英語辞典A Dictionary of American English on Historical Principles(1938~1944・4巻)と、マシューズMitford M. Mathews(1891―1985)の『アメリカニズム辞典A Dictionary of Americanisms on Historical Principles(1951)がある。

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ドイツ

ドイツは南北多くの地方語に分かれ、統一がなかった。最初の辞典には1477年ケルン版のシュエレンG. van der Schuerenの『ドイツ・ラテン語双解辞典Teuthonista oder Duytschlenderがある。しかしドイツ語全体を取り入れて科学的に編集する大事業はグリム兄弟によって行われた。兄ヤーコプは「グリムの法則」で音韻変移の科学的原則をたてた言語学者で、弟のウィルヘルムとともに科学的に母国語辞典編集を企て、ドイツ語通用地域の辺境まで採訪に奔走し、巨大な言語資料を実態調査した。その採訪の民話を整理したのが『グリム童話』Kinder-und Hausmärchen2冊(1812、1815)になったが、それらの巨大な資料の編集に苦心した結果、1854年に『ドイツ語辞典Deutsches Wörterbuch第1巻を発行。しかし、兄弟相次いで没して未完成に残された。何人もの言語学者がその後を継いだが、ついに東西ドイツ・アカデミーの協力で100年後の1960年、企画から1世紀半ののち32巻を完成した。その間の言語学の進歩で今後改訂を要するが、それら基本的資料は輝かしい言語学の金字塔である。また、グリム兄弟に批判的立場からハナンPaul Hannan(1846―1921)は1897年『ドイツ語辞典Deutsches Wörterbuchを発行した。ハイネMoritz Heyne(1837―1906)にも『ドイツ語辞典Deutsches Wörterbuch3巻(1904~1906)がある。トリュブナー社はゲッツAlfred Götze(1876―1946)とミッカWilhelm Mitzka(1888―1976)共編の『トリュブナードイツ語辞典Trübners Deutschen Wörterbuch8冊を1939~1957年に出版した。

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フランス

フランス語とラテン語との対照辞典が初めで、1539年エスチエンヌRobert Estienne(1503―1559)は『ラテン・フランス語対照辞典Dictionnaire latin-françaisを出版した。また、1690年には、作家フュルチエールがアカデミーの宮廷用語中心の編集を非難、国民の国語を目ざして10余年の苦心の結果『万有フランス語辞典Dictionnaire universel, contenant généralement tous les mots françoisをジュネーブで刊行した。現代的フランス語の辞典は、1863~1873年のリトレによる『フランス語辞典Dictionnaire de la langue française4巻(補遺1巻、1877)であり、のちにアシェット社が補遺を付して七巻本を発行した(1956~1958)。これに対抗しうるのはラルース社新版の『大ラルースフランス語辞典Grand Larousse de la langue française7巻(1971~1978)である。同社はまた、辞典編集者オージュClaude Auge(1854―1924)改編『小図解ラルース』Le petit Larousse illustréを1906年に発行、広く愛用されている。

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スペイン

スペイン語には『アカデミー辞典Diccionario de la lengua castellana1726~1739年版(1936~1939改修)がある。コバルビアス・イ・オロズコSebastián de Covarrubias y Orozco(1539―1613)の『カステラ語宝庫』Tresora de la lengua castellana1611年版もある。

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歴史――東洋

中国

東方文化の起源は中国にあった。紀元前2世紀に前漢の学者は五経の解釈をまとめて辞典の形式をつくった。『爾雅 (じが)』19編は分類した難語の注釈であり、古文の引用を含むので、類書の萌芽 (ほうが)ともみられる。これを発展させたのが、後漢 (ごかん)の劉煕 (りゅうき)編『釈名 (しゃくみょう)』8巻であり、これは語釈だけであるから訓詁 (くんこ)と称せられる。字形とその読みと語釈を備えた完全な辞典は字書といい、その典型は後漢の許慎 (きょしん)のつくった『説文解字 (せつもんかいじ)』15巻であり、9300余の漢字を解釈して後世文字学の原典と尊ばれ、清 (しん)末、段玉裁 (だんぎょくさい)らの研究で考証学派が生じた。梁 (りょう)の顧野王 (こやおう)(519―581)はこれを展開して『玉篇 (ぎょくへん)』(543)30巻とした。唐の孫強 (そんきょう)の増補と宋 (そう)の陳彭年 (ちんほうねん)(961―1017)の修訂を経て盛んに利用された。日本でも唐の『玉篇』を盛んに利用し、室町時代に『和玉 (わごく)篇』がつくられ、明治初年にも印刷されている。清初1716年に張玉書 (ちょうぎょくしょ)(1642―1711)らは勅撰 (ちょくせん)で『康煕 (こうき)字典』42巻をつくり、親字4万7000余の字数を収め、『説文解字』以来の字書を集大成し、その後刊行された字書の範となった。日本では明治時代にも利用され、これによって漢和字典の類が発達した。

 韻書のおこりは隋 (ずい)の陸法言 (りくほうげん)(560ころ―?)らの『切韻 (せついん)』(601)であり、これを、唐の孫愐 (そんめん)が増訂して『唐韻』としたが、これらは現存しない。また、宋の戚倫 (せきりん)は宋韻によって改めて『広韻』5巻を編し(1008)、元度 (げんたく)(990―1053)らは1037年に『集韻』10巻を完成した。清初の1711年、張玉書らは『佩文韻府 (はいぶんいんぷ)』106巻を勅撰し、さらに1716年にはこれを大増補し、最終的には444巻となった。脚韻によって106韻に親字を配列し、脚韻で熟語を親字に集め、語釈も例詩文を並べたもので、作詩には盛んに利用された。

 中華民国の時代になって、西欧と日本の辞典の影響で種々の辞典が現れた。陸爾奎 (りくじけい)らは1915~1931年に『辞源』正続3巻を編したが、これは百科事典の要素が多い(1945合冊)。朱起鳳 (しゅきほう)は1934年に『康煕字典』によって『辞通』2巻を編した。また、同年に舒新城 (じょしんじょう)(1893―1960)らは『辞海』3巻を刊行、百科事典を兼ねたものとした。その翌年に徐元佶 (じょげんきつ)らは『中華大辞典』4巻を編した。『康煕字典』より、中国語文の意義の変遷に力を注ぎ、例文も多く、また百科事典の要素も多い。

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朝鮮

朝鮮語の代表辞典としては『大辞典』6巻があげられる。日本の「同化政策」によって母国語の荒廃するのを正すため1929年から着手され、1936年朝鮮語学会が担当して、標準語彙の設定、綴字の統一を行い、編纂 (へんさん)にかかった。しかし、総督府の検挙にあい、1947年第1巻発行をみたが、朝鮮戦争で中断、苦心の結果1957年にようやく完成した。語数16万4000語、百科事典的要素も含んでいる。

[彌吉光長]

日本

日本では古代に中国の辞典を盛んに使った。『玉篇』は中国では逸書になったが、石山寺や早稲田 (わせだ)大学には古写本の一部が現存する。また『楊氏 (ようし)漢語抄』や『弁色立成』が奈良時代につくられ、『東宮切韻』が菅原是善 (すがわらのこれよし)の編であることは『日本国見在書目録』にみえている。850年(嘉祥3)に空海が『篆隷万象名義 (てんれいばんしょうめいぎ)』30巻を編し、『玉篇』の省略に日本人に必要な注釈と読みを加えて、偏旁 (へんぼう)配列にした。昌泰 (しょうたい)年間(898~901)になると、僧昌住 (しょうじゅう)(856―901?)は『新撰字鏡』12巻を編し、『玉篇』などから2万1300余字を収め万葉仮名の訓を付した。平安末につくられた『類聚名義抄 (るいじゅみょうぎしょう)』(著者不詳)10巻は、漢字3万2000字で忠実に和訓1万余を付している。

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和語辞典の出現

和語最初の辞典は、源順 (したごう)が承平 (じょうへい)年間(931~938)ごろ編した『倭名類聚抄 (わみょうるいじゅしょう)』であり、十巻本(24門分類)と二十巻本(32門分類)とがある。種々の名詞を分類して和訓と解釈に引用文を付したもので、辞書であるとともに百科事典(類書)の初期形式をなしている。江戸末期、狩谷棭斎 (かりやえきさい)の考証により(1883年印刷局版)学界に知られた。橘忠兼 (たちばなのただかね)は天養 (てんよう)~治承 (じしょう)(1144~1181)に初めて、いろは順の『色葉字類抄 (いろはじるいしょう)』2巻をつくるが、やがて三巻本となり、さらに『伊呂波字類抄』十巻本に拡大された。これは、和語に漢語をも加え、いろは順にしたものである。

 中世になると、類書式分類の『下学集 (かがくしゅう)』2巻(1444)が東麓破衲 (とうろくはのう)によって著わされたとされ、江戸時代になって流行した。室町中期には『節用集』がつくられて、伊勢 (いせ)本は古くて盛んであり、ほかにも乾 (いぬい)本と印度 (インド)本の3系統に分かれて発展し、類書や重宝記として、庶民に愛用された。『玉篇』を日本的な『和玉篇』3巻に改めたのは文明 (ぶんめい)(1469~1487)以前らしく、慶長 (けいちょう)刊本以後、江戸に流行した。五山の学僧虎関師錬 (こかんしれん)は、1306年(徳治1)序の『聚分韻略 (しゅうぶんいんりゃく)』5巻で本邦最初の詩作韻書を編して流行した。

 江戸時代になって、ようやく言語学的・科学的な国語辞典が出現する。谷川士清 (ことすが)は『和訓栞 (わくんのしおり)』93巻を編したが、これは、古語から現行語までの語彙を収め、五十音順に配列して解説を加え、引用句を配したものである。1777年(安永6)に前編を刊行して中絶、1877年(明治10)後編が刊行され、1898年に、井上頼囶 (よりくに)・小杉榲邨 (こすぎすぎむら)(1834―1910)共編で改修して『増補和訓栞』を刊行した。石川雅望 (まさもち)は1826~1849年(文政9~嘉永2)に『雅言 (がげん)集覧』を編したが、中島広足 (ひろたり)の行った改訂版は1887年に57冊で完成した。これは、古代語をいろは順に配列し、解釈に出典を記している。太田全斎の『俚言集覧 (りげんしゅうらん)』26巻は稿本で伝わり、1899年に井上頼囶・近藤瓶城 (へいじょう)(1832―1901)校訂『増補俚言集覧』となった。また、越谷吾山(1717―1787)は『物類称呼』5巻で全国の方言辞典を編した。貝原益軒 (かいばらえきけん)の『日本釈名 (しゃくみょう)』3巻(1700刊)、新井白石 (あらいはくせき)の『東雅 (とうが)』20巻(1717完成)は、ともに優れた語源辞典である。

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明治以降の辞典

明治維新後、活版印刷の盛行とともに辞典も多く印刷された。まず、文部省が木村正辞 (まさこと)ら10人の学者に編集させた『語彙』であるが、これは初編13冊で財政窮乏のため中絶。しかし大槻文彦 (おおつきふみひこ)が西洋言語学の辞典に倣って、その事業を継ぎ1889~1891年(明治22~24)に刊行するが、これが『言海』であり、百数十版に達した。その増補は死後も大久保利男 (としお)らに継がれ、東京大学国語学科の応援で『大言海』5巻となり、1932~1937年(昭和7~12)に刊行した。ほかにも、物集高見 (もずめたかみ)編『日本小辞典』、高橋五郎(1856―1935)編『漢英対照いろは辞典』(1886)などがある。新形式の金沢庄三郎 (しょうざぶろう)の『辞林』(1907)は朝鮮語を語源に引くなど新機軸も多い。これより遅れて、新村出 (しんむらいずる)編『辞苑 (じえん)』(1935)が出版された。松井簡治 (かんじ)は上田万年 (かずとし)に計って『大日本国語辞典』5巻を1915~1919年(大正4~8)に刊行、国語の厳正な科学的解釈を行い、引用文の適正で高く評価される。芳賀矢一 (はがやいち)は落合直文 (なおぶみ)の『ことばの泉』5巻(1898)を増訂して、『日本大辞典言泉 (げんせん)』(1921~1929)6巻に拡大し、固有名詞も倍加した(27万語)。平凡社編『大辞典』26巻は1934~1936年に60万語を集成して百科事典的要素を加えた。さらに小学館は『日本国語大辞典』20巻を1972~1976年(昭和47~51)に完成、62万語を収録、百科事典的要素も加え、200万の引用句と用例をあげている。『辞林』は『広辞林』(1925)に増訂され、『辞海』に拡大され、現代語を主として『明解国語辞典』に展開された。『辞苑』も中型辞典で百科的要素をもつが『広辞苑』(1955)に発展していった。古語には三省堂の『時代別国語大辞典 上代編』(1967)、松岡静雄(1878―1936)編『日本古語大辞典』(1929)、丸山林平(1891―1974)編『上代語辞典』(1967)、また長島豊太郎 (とよたろう)編『古字書綜合 (そうごう)索引』(1958~1959)は『新撰字鏡』ほか8点の古辞典の親字索引である。ほかにも、東条操 (みさお)編『全国方言辞典』(1951)、荒川惣兵衛 (そうべえ)(1898―1995)編『外来語辞典』(1941、1977増訂)、楳垣実 (うめがきみのる)(1901―1976)編『隠語辞典』、『朝日現代語辞典』(1972・朝日新聞社編)など種々の辞典がある。

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漢語辞典

漢語の辞典は江戸時代には中国の『康煕字典』『玉篇』が用いられたが、明治時代に漢和辞典となって発展した。1868年(明治1)の荻田嘯 (おぎたしょう)編『新会字解』、1885年の猪野中行 (いのちゅうこう)編『明治字典』はまだ『康煕字典』の親字に熟語を加えたにすぎないが、1903年(明治36)に重野安繹 (しげのやすつぐ)・三島毅 (こわし)(中洲)(1830―1919)・服部宇之吉 (はっとりうのきち)監修、三省堂編『漢和大字典』は『佩文韻府 (はいぶんいんぷ)』系で、漢和辞典の形式を創出した。浜野知三郎 (ともさぶろう)(1869―1941)編『新訳漢和大字典』(1912)は、初めて熟語を初字で配列し、尾韻配列を改め、語釈を平易にしたが、これに次いで、特色のある漢和辞典が相次いで出版された。すなわち、服部宇之吉・小柳司気太 (おやなぎしげた)(1870―1940)編『詳解漢和大字典』(1916)、上田万年・栄田猛猪 (さかえだたけい)(1879―1962)編『大字典』(1917)、簡野道明 (かんのみちあき)編『字源』(1923)、小柳司気太編『新修漢和大字典』(1932)などである。このうち『大字典』は説文に語釈を求め、検索に大改変を行った。諸橋轍次 (もろはしてつじ)編『大漢和辞典』全13巻(12巻・索引1巻)は1927~1960年にかけて完成した(1943年に第1巻刊行後、空襲による焼失で中断し、1955~1960年に全13巻を刊行)。親字5万で『康煕字典』をしのぎ、熟語52万、故事各句の引用約200万、多年の苦心の結果である。

[彌吉光長]

西欧系日本語辞典

耶蘇 (ヤソ)会(イエズス会)士をはじめ西欧人の日本語研究は、言語学の立場から重視されている。耶蘇会士の辞典は布教の必要のために編せられ、まず1595年(文禄4)天草のコレジオで耶蘇会版『羅葡日 (らほにち)辞書』Dictionaricum Latino-Lusitanicum, ac Iaponicumが刊行された。これは、カレピノAmbrosio Calepino(1440ころ―1510)の『ラテン・イタリア対訳辞典』にポルトガル語と日本語をはめ込んだものであった。この辞典は1630年マニラでドミニコ会編『日西 (にっせい)辞書』に、1632年ローマでコリャド編『羅西日対訳辞書』に改められている。耶蘇会は1598年(慶長3)『落葉集』を行書漢字・平仮名活字で刊行。810ページで漢語・和語に分け、『小玉編』を付した。1603年(慶長8)には、『日葡 (にっぽ)辞書』Vocabulario lingua de Iapam com adeclaraça em Portuguesが完成、翌1604年補遺版が刊行されたが、これは『下学集』『節用集』などからのほか、当時の通用語を集めた画期的著述である。これらの事業の中心人物はロドリゲスであった。残念ながら現存しているのは世界中で1、2部にすぎない。また、パジェスはローマ版から『日仏辞典』(1862~1868)を編し、ヘボンも有名な『和英語林集成』を完成、1867年(慶応3)上海 (シャンハイ)の長老派布教会印刷所American Presbiterian Mission Pressで印刷、横浜で発行した(1872再版/1886 3版・丸善)。

 オランダ系では『ハルマ和解 (わげ)』がみごとに結実した。すなわち、稲村三伯 (さんぱく)は1796年(寛政8)にハルマFrançois Halma(1653―1722)編『蘭仏辞典Woordenboeck der Nederduitsche en Fransche Taalen(1708)に拠 (よ)って元オランダ通詞 (つうじ)の石井庄助(恒右衛門)(1743―?)、宇田川玄随らと苦心して日本語に訳し、『ハルマ和解』13巻を30部印刷した。これが『江戸ハルマ』といわれるものである。1798年には森島中良 (なから)(万象亭)は『類聚紅毛 (こうもう)語訳』をつくり、日本語を20種に分かち蘭語を片仮名書きで印刷したが、1848年(嘉永1)に『改正増補蛮語箋 (ばんごせん)』と改名して出版した。長崎ではドゥーフが吉雄権之助 (よしおごんのすけ)(1785―1831)ら通詞と前述のハルマの辞典を翻訳して、『道訳法爾馬 (ドゥーフ・ハルマ)』8巻を1816年(文化13)幕府に献上し、さらに訂正に努力するよう内命を受け、通詞11人が加わった。これを『長崎ハルマ』という。これにウェイランドPetrus Weiland(1754―1841)の辞典を参照して、桂川甫周 (ほしゅう)が『和蘭字彙 (オランダじい)』12巻をつくり、1855~1858年(安政2~5)に出版した。

[彌吉光長]

英語辞典

英語辞典は初期はオランダ系、のちにはアメリカ系となっている。通詞本木庄左衛門 (もときしょうざえもん)(1767―1822)は幕命でブロンホフJan C. Blomhoff(1779―1853)の援助を受け、『暗厄利亜 (アンゲリア)国語和解』を編し、1814年(文化11)に増訂して『暗厄利亜語林大成』と改題した。村上英俊 (ひでとし)は1854年(嘉永7)『三語便覧』を刊行し、英語・フランス語・オランダ語3語に日本語を対照させ、同年さらにラテン語を加えて『五方通語 (ごほうつうご)』3巻に増訂した。1862年(文久2)、蕃書調所 (ばんしょしらべしょ)で堀達之助(1823―1894)らは『英和対訳袖珍 (しゅうちん)辞書』を同調所版とし、1867年(慶応3)に再版を行ったが、この原本はピカールH. Picard(1810―1858?)編『新英蘭・蘭英袖珍辞典』1857年版であった。次にイギリス系は、バタビアで宣教師メドハーストWalter Henry Medhurst(1796―1857)が『英日・日英辞典An English and Japanese and Japanese and English Vocabularyを1830年(天保1)に発行したのが最初である。彼は日本にきたこともなく、ただ文献で研究したのであった。メドハーストの辞典は1857年に『英語箋』として前編3巻が井上修理 (しゅり)校正で、また1863年に後編4巻が室岡東洋ら校正で翻刻された。アメリカ系では、柴田昌吉 (しょうきち)(1841―1901)と子安峻 (こやすたかし)(1836―1898)共訳『英和字彙』を1873年(明治6)日就社版で出版し、挿画入りで有名になった。原本はオージルビーJohn Ogilvie(1797―1867)編『総合英語辞典Comprehensive English Dictionary(1863)であった。次にイーストレーキF. Warrington Eastlake(1858―1905)と棚橋一郎共訳『ウエブスター氏 新刊大辞書 和訳字彙』を1888年三省堂から出版、さらに和田垣謙三 (わだがきけんぞう)(1860―1919)編『新英和辞典』(1901)、神田乃武 (ないぶ)他編『新訳英和辞典』(1902)、斎藤秀三郎編『熟語本位英和中辞典』(1925)、岡倉由三郎 (よしさぶろう)編『新英和大辞典』(1927。研究社は1980年に23万語の大辞典とした)と続いた。

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ドイツ語辞典

ドイツ語は、1871年(明治4)の中村雄吉訳『普語 (ふご)箋』に始まり、木村謹治・相良守峯 (さがらもりお)編『独和辞典』(1940)から、相良守峯編『大独和辞典』(1958年版14万語)となった。また、もっとも新しいものとして国松孝二(1906―2006)他編『独和大辞典』(1985年版15万語)がある。

[彌吉光長]

フランス語辞典

フランス語は、1871年(明治4)ニュジャンThomas Nugent(?―1772)編・好樹堂 (こうじゅどう)(岡田好樹、1848―1926)訳『官許・仏和辞典』(上海美華書院)に始まった。野村泰亨 (やすゆき)(1852―1935)訳『仏和字彙』4巻は、1886~1889年にリトレの簡約版を訳したもの。白水社版『模範仏和大辞典』(1931)は『小図解ラルース』を拡大したものであった。また鈴木信太郎・朝倉季雄 (すえお)(1909―2001)他編『スタンダード仏和辞典』は約10年の苦心の結果、1957年(昭和32)に出版された(7万語弱)。そのほか、伊吹武彦他編『仏和大辞典』(1981年版8万語弱)がある。

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検索コンテンツ
1. ことば‐てん【辞典・言葉典】
日本国語大辞典
〔名〕(「辞典(じてん)」を「事典(じてん)」と区別するために言い出した語)国語辞典や漢和辞典のように、言葉の意味や用法などの説明を中心にした辞典のこと。→事典
2. 辞典画像
日本大百科全書
発音アクセント、文法、専門用語の諸辞典があり、さらに漢和辞典、2国語または数か国語対照辞典bilingual dictionaryがある。総合辞典には標目数四十
3. 辞典
世界大百科事典
辞書ともいう。英語のディクショナリーdictionaryにあたり,主として単語を配列してそれぞれの発音,語形,語義などを解説した書をさすが,ひろくは事物の名や用
4. じ‐てん【辞典】
日本国語大辞典
明治一一年(一八七八)の「日本小辞典(物集高見)」、同二一年の「和漢雅俗いろは辞典(高橋五郎)」、同二九年の「日本大辞典(大和田建樹)」、同四五年の「大辞典(山
5. じてん【辞典】
数え方の辞典
▲冊、▲巻 複数の本から成るものはそれぞれを「巻」で数え、「第〜巻」といいます。
6. 【辞典】じてん
新選漢和辞典Web版
①ことばが正しくみやびやかなこと。 ②字引。
7. 辞典(著作ID:1566309)
新日本古典籍データベース
じてん 辞書 
8. アカデミー辞典
世界大百科事典
担当し最古の歴史をもつアカデミー・フランセーズが,その主要な任務のひとつとして編集・発行してきた国語辞典(フランス語辞典)。初版はアカデミー発足以後60年の歳月
9. 悪魔の辞典
日本大百科全書
。なお、ビアスを日本に最初に紹介したとされる芥川龍之介の『侏儒しゅじゅの言葉』は、この『悪魔の辞典』になんらかの影響を受けて書かれたのではないかといわれている。
10. えいえい‐じてん【英英辞典】
日本国語大辞典
〔名〕英語の単語や熟語などに英文で語釈をほどこした辞書。英英。
11. 『英語辞典』
世界文学大事典
れぞれの意義を説明する英語辞典。付録,英語の歴史と文法」が示すごとく,これは従来のチェインバーズやベイリーの各種の難語や専門語を数多く集めたいわば単語集のような
12. えいわ‐じてん【英和辞典・英和字典】
日本国語大辞典
英和字典の編纂で十五円、是が道也の極まった収入である」*人形愛〔1976〕〈高橋たか子〉二「それは厚い英和辞典であった」エ
13. オックスフォード英語辞典
世界大百科事典
現在までのところ最高最大の英語辞典。OEDあるいはNED(A New English Dictionary on Historical Principles)と
14. オックスフォード‐えいごだいじてん【─英語大辞典】
日本国語大辞典
English Dictionary の訳語)イギリスで編集・発行された、最大の英語辞典。NED(新英語辞典)として一九二八年に全一〇巻で刊行したものを一九三三
15. 『カトリック大辞典』
日本史年表
1940年〈昭和15 庚辰〉 この年 上智大学・独逸ヘルデル書肆共編 『カトリック大辞典』 第1巻刊(~昭和35年)。
16. カトリックだいじてん【カトリック大辞典】
国史大辞典
カトリシズムに関する日本で唯一の百科辞典。上智大学・独逸ヘルデル書肆共編、東京神田冨山房発行。全五巻。第一巻昭和十五年(一九四〇)、第二巻同十七年、第三巻同二
17. 漢和辞典
日本大百科全書
漢字の音おんと訓よみを示し、熟語を解釈した辞典。標目の漢字を親字といい、部首索引を基本とし、音訓索引、総画索引を付しているのが近代的索引の漢和辞典である。親字に
18. かんわ‐じてん【漢和辞典・漢和字典】
日本国語大辞典
日本語で解説した辞典。現代の普通のものは、漢字を見出しとして解説をほどこし、さらにその漢字を用いた漢語の訳や用法を示す。漢和。*若い人〔1933~37〕〈石坂洋
19. 逆引き辞典[新語流行語]
情報・知識 imidas
「さくら」を「らくさ」のように逆読みして50音順に並べた辞典。韻を踏む詩歌の発達した英語、仏語、中国語などには伝統がある。92年から日本でも各出版社から出され
20. グリム・ドイツ語辞典
世界大百科事典
ドイツのグリム兄弟によって始められた膨大なドイツ語大辞典(1854-1960)。全16巻32冊。兄弟の生前にはFの途中(Frucht)までしか進まず,遺業は代々
21. げんごだいじてん【諺語大辞典】
日本国語大辞典
諺(ことわざ)辞典。一冊。藤井乙男編。明治四三年(一九一〇)刊。諺をはじめ故事、俗伝、隠語、地口、謎、俳語、異名など三万余を収めて簡単な解釈を加えたもの。巻末に
22. 国語辞典
日本大百科全書
その国の国語の語彙ごいを、必要に応じて集めて解釈した辞典。国語辞典を代表するのは大辞典で、50万語以上も集め、精密な解釈を行うので「完全な辞典」complete
23. こくご‐じてん【国語辞典】
日本国語大辞典
同三二年刊の『ことばの泉』には「日本大辞典」と冠せられている。その他、辞書名に「日本辞典」を使ったものには明治一一年刊の『日本小辞典』(物集高見、吉川半七他)、
24. 『国史辞典』
日本史年表
1940年〈昭和15 庚辰〉 2・11 三上参次・辻善之助監修 『国史辞典』 第1巻刊(5巻以降未刊)。
25. こくしじてん【国史辞典】
国史大辞典
興亜国策に沿うと称しているが、そのために複雑になり過ぎた嫌いがある。 [参考文献]坂本太郎「国史辞典の歴史」(『日本歴史』三七〇) (坂本 太郎)
26. 『国史大辞典』
日本史年表
1908年〈明治41 戊申〉 この年 八代国治・早川純三郎・井野辺茂雄共編 『国史大辞典』 初版刊。
27. こくしだいじてん【国史大辞典】
国史大辞典
四六倍判、本文二四〇〇頁。別冊に二三〇頁の年表、四十六葉の参考附図を加える。この種の辞典としては最初に出た本格的の大辞典であり、広く学界に迎えられた。幾たびか版
28. このじてんのこうもくへんせい【この辞典の項目編成】 : 近世
国史大辞典
〔この辞典の項目編成〕 近世に関する項目は、人名・事項名など個別の多数の項目から成るとともに、それらを総合するものとして、この「近世」の項目を設け、全体の総説
29. このじてんのこうもくへんせい【この辞典の項目編成】 : 中世
国史大辞典
〔この辞典の項目編成〕 中世に関する項目は、人名・事項名など個別の多数の項目から成るとともにそれらを総合するものとして、この「中世」の項目を設け、全体の総説に
30. 「渋谷語辞典2008」[新語流行語]
情報・知識 imidas
社・東京都渋谷区)が2008年8月1日に発売した、渋谷のギャルや若者が使用しているという言葉の辞典。「ギャル語・略語」「KY語」「ネオ漢字」の3ジャンルで、約2
31. じんめい‐じてん【人名辞典】
日本国語大辞典
〔名〕「じんめいじしょ(人名辞書)」に同じ。
32. 『姓氏家系大辞典』
日本史年表
1936年〈昭和11 丙子〉 この年 太田亮 『姓氏家系大辞典』 出版。
33. せいしかけいだいじてん【姓氏家系大辞典】
国史大辞典
氏の名、苗字を五十音順に記した辞典。太田亮著。三巻。昭和十一年(一九三六)全稿完成。姓氏家系大辞典刊行会出版。同三十八年角川書店再版。本辞典は大正九年(一九二
34. 『ゾナラス辞典』
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広く普及したビザンティンのギリシャ語辞典。13世紀成立。ヨアンネス・ゾナラスの著とするのは誤り。写本が50以上残るが,大半は著者名を載せず,いくつかはヨアンネス
35. 『大漢和辞典』
日本史年表
1955年〈昭和30 乙未〉 この年 諸橋轍次 『大漢和辞典』 刊(~昭和35年)。
36. 大漢和辞典
世界大百科事典
諸橋轍次(もろはしてつじ)(1883-1982)の著になる代表的な漢和辞典。大修館書店発行。全13巻(本文12巻,索引1巻)。B5判約1万5000ページ。親文字
37. だいかんわじてん【大漢和辞典】
日本国語大辞典
漢和字典。本文一二巻と索引一巻。諸橋轍次著。大修館書店刊。昭和一八年(一九四三)に一巻を出して、戦争で中絶。同三〇年に復刊第一巻を出し、同三四年に一二巻完結。同
38. だいかんわじてん【大漢和辞典】
国史大辞典
大修館書店発行。全十三巻(本文十二巻、索引一巻)。昭和三十年(一九五五)―三十五年初版出版。漢字・漢語辞典としては日本・中国を通じて最大で、漢字文化・東洋学術の
39. だい‐じてん【大辞典・大字典】
日本国語大辞典
平成五年(一九九三)、現代表記を採用するなどの改訂を行ない、「新大字典」となる。〔二〕(大辞典)国語辞典。二六巻。昭和九~一一年(一九三四~三六)平凡社刊。縮刷
40. 『大辞典』
世界文学大事典
ビザンティン時代のギリシャ語辞典。エウスタティオス(1194頃没)が利用していることから,12世紀前半ごろに成立したと推定される。『ゲヌイヌム大辞典』(9世紀末
41. 『大日本国語辞典』
日本史年表
1915年〈大正4 乙卯〉 10・‐ 上田万年・松井簡治 『大日本国語辞典』 刊。
42. 大日本国語辞典
日本大百科全書
中世の語は比較的簡略であるが、空前の優れた国語大辞典として、後刊の『大言海だいげんかい』(1932~37年、冨山房刊)とともに、不朽の価値を有する。『日本国語大
43. 大日本国語辞典
世界大百科事典
めて,同じく解説し出典をあげる。《大言海》が語源に及んで著者大槻文彦の特色が著しいのに比し,本辞典は語源は確実かつ必要なもののみを記すことを方針としている。規模
44. だいにほんこくごじてん【大日本国語辞典】
日本国語大辞典
外来語、その他ことわざ、成句などを集録。豊富な用例を挙げて出典を示し、「大言海」とともに以後の国語辞典の範となった。ダイニホンコク
45. だいにほんこくごじてん【大日本国語辞典】
国史大辞典
国語辞書。初版本篇四冊大正四年(一九一五)十月―同八年十二月、冨山房・金港堂発行、索引一冊昭和四年(一九二九)刊。修訂版五冊昭和十四年、冨山房発行。縮刷版一冊
46. デジタル辞典[カタカナ語]
情報・知識 imidas
reference book]【IT関連用語】【コンピューター】国語・英和・和英辞典,百科事典など,膨大なデータ量の辞典をデジタル化したもの. CD-ROM や
47. とうよう‐じてん[タウヨウ‥]【当用辞典】
日本国語大辞典
〔名〕日常の必要を満たすための簡便な辞書。トーヨージテン〓[ジ]
48. どくわ‐じてん【独和辞典】
日本国語大辞典
日本語の訳語・説明をつけた辞書。独和。*自然といふこと〔1965〕〈唐木順三〉「いま簡単な独和辞典によってnatüralich の解を誌せば」
49. 『日本経済史辞典』
日本史年表
1940年〈昭和15 庚辰〉 この年 日本経済史研究所編 『日本経済史辞典』 刊。
50. にほんけいざいしじてん【日本経済史辞典】
国史大辞典
日本経済史の分野に限定した最初の辞典。日本経済史研究所編。全三巻。昭和十五年(一九四〇)刊。昭和四年に本庄栄治郎・黒正(こくしょう)巌・菅野和太郎らは日本経済史
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