1. 解体新書画像
日本大百科全書
その内容は簡単な本文とやや詳しい注記からなり、27枚の図譜を付した初学者向きの医書である。『解体新書』は全文漢文で記述され、原書の本文だけを訳出し、注記は訳して
2. 解体新書
世界大百科事典
の銅版画を面相筆で丹念に写したものを木版画にしている。のち大槻玄沢が本書を改訳増補して《重訂解体新書》(1826)とした際,付図も銅版画(中伊三郎刻)に改められ
3. かいたいしんしょ【解体新書】
日本国語大辞典
江戸後期の西洋医学翻訳書。四巻。解体図一巻。前野良沢、杉田玄白他訳。安永三年(一七七四)刊。ドイツ人クルムスの「解剖図譜」のオランダ語訳「ターヘル‐アナトミア」
4. かいたいしんしょ【解体新書】
国史大辞典
四巻より成り、別に序文と付図をのせた序図巻がある。原書蘭訳本にいうところと『解体新書』本文中にみられるところと比較検討すると、『解体新書』の文は原書蘭訳本中の正
5. 解體新書(かいたいしんしょ)
古事類苑
方技部 洋巻 第1巻 962ページ
6. 『解体新書』
日本史年表
前野良沢 ら、千住小塚原で刑死体の解剖を見、 『解体新書』 の翻訳を始める(蘭学事始)。 1774年〈安永3 甲午〉 8・‐ 前野良沢・杉田玄白ら 『解体新書』
7. 解体新書(著作ID:126807)
新日本古典籍データベース
かいたいしんしょ 前野 良沢(まえの りょうたく) 大槻 玄沢(おおつき げんたく) 重訂 小田野 直武(おだの なおたけ) 画 中川 淳庵(なかがわ じゅんあ
8. 【解体(體)新書】かいたい しんしょ
新選漢和辞典Web版
《国》書名。ターヘル=アナトミアの訳本。オランダの解剖学の本を、杉田玄白らが翻訳したもの。
9. 前野蘭化 1 解体新書以前
東洋文庫
『ターヘル・アナトミア』の翻訳をリードして『解体新書』を実現した前野良沢(蘭化)を中心に,黎明期の蘭学にするどくせまる基本文献の復刊。第1巻は,『解体新書』以前
10. 前野蘭化 2 解体新書の研究
東洋文庫
『ターヘル・アナトミア』の翻訳をリードして『解体新書』を実現した前野良沢(蘭化)を中心に,黎明期の蘭学にするどくせまる基本文献の復刊。第2巻は,同書にメスを入れ
11. 解体新書聞記(著作ID:4372950)
新日本古典籍データベース
かいたいしんしょもんき 小森 桃塢(こもり とうう) 説 医学
12. 『解体新書』[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
クルムス著 杉田玄白げんぱく・前野良沢りょうたく・中川淳庵じゅんあん・桂川甫周かつらがわほしゅう訳 小田野直武おだのなおたけ画 1774年(安永3)刊国立国会図
13. 重訂/解体新書(著作ID:33238)
新日本古典籍データベース
じゅうてい/かいたいしんしょ 大槻 玄沢(おおつき げんたく) 重訂 杉田 玄白(すぎた げんぱく) 等 訳 クルムス‐ ヨハン‐ アダム(くるむす よはん あ
14. 重訂/解体新書銅版全図(著作ID:1056719)
新日本古典籍データベース
じゅうてい/かいたいしんしょどうばんぜんず 重訂解体新書附図 南小柿 寧一(みなみこがき やすかず) 摸写 医学
15. 青木昆陽
世界大百科事典
をはじめ,6種のオランダ語入門書を著した。彼のオランダ語知識はのちに前野良沢に受け継がれ,《解体新書》の訳述となって結実した。その意味で,彼のオランダ語研究のも
16. 明石町画像
日本大百科全書
西欧文明の玄関口となった。聖路加病院せいろかびょういんもその名残なごりの一つで、杉田玄白げんぱくらが『解体新書』の翻訳をした所でもある。東隅から佃つくだ大橋が通
17. あかしちょう【明石町】
国史大辞典
この川にかかっていた小田原橋のそばに、旧赤穂浅野家鉄炮洲屋敷跡の碑があり、またその三叉路に『解体新書』訳出の所の碑と福沢諭吉の慶応義塾開設の碑がある。それは現在
18. 秋田(県)画像
日本大百科全書
1789)にかけて展開された。直武は1773年から1779年まで江戸に滞在し、杉田玄白訳の『解体新書』木版付図の下絵を描いた。明治になってこの伝統は平福穂庵ひら
19. あきたは【秋田派】
国史大辞典
荻津勝孝らにも伝えられた。直武は同年十二月銅山方産物吟味役に命ぜられて江戸に上り、翌年には『解体新書』の挿図を描いた。直武や曙山の洋風画制作は、江戸でオランダ学
20. 秋田蘭画
日本大百科全書
彼は江戸で正式に源内に師事し、西洋の図書や銅版画によって西洋画法の研究を深め、翌1774年の有名な『解体新書』の翻訳出版に際しては、杉田玄白の依頼で挿絵を描いて
21. 秋田蘭画
世界大百科事典
制作は,おもに江戸において同地の蘭学者と密接な関係をもって行われた。小田野直武が杉田玄白訳《解体新書》(1774)の挿絵を担当したことは,それを象徴している。ま
22. アキレス‐けん【─腱】
日本国語大辞典
する。ギリシア神話の英雄アキレウスに由来する名。踵骨腱(しょうこつけん)。→アキレウス。*重訂
解体新書〔1798〕一・名義解・下「
23. アフリカ【阿弗利加・亜弗利加】
日本国語大辞典
*火浣布略説〔1765〕「凡世界を四つにわり、ゑろっぱ、あぢや、あふりか、あしりかといふ」*
解体新書〔1774〕一「分
之為
24. アメリカ【亜米利加・亜墨利加】
日本国語大辞典
(America )【一】〔一〕南北アメリカ大陸の総称。米州。*
解体新書〔1774〕一「分
之為
25. 医学
世界大百科事典
する程度のことを出なかった。それらの乏しいオランダの知識をもつものが,協力して訳出したのが《解体新書》5巻(1774)で,4年間に11回も原稿を書きかえてできあ
26. いがく【医学】
国史大辞典
一致することに感激し、さっそく翻訳にとりかかり、苦心惨憺の末、安永三年(一七七四)の八月、『解体新書』の出版に成功した。蘭学がこれをもって興り、日本人の一部がオ
27. 医学史
日本大百科全書
さらに長崎を通して輸入された驚くばかりに正確なオランダ解剖図譜の訳出へと発展する。杉田玄白らによる『解体新書』の刊行(1774)を契機に蘭学らんがくは興隆し、蘭
28. い‐ご[ヰ‥]【維護】
日本国語大辞典
〔名〕(「維」はつなぎ止める意)守り続けること。*
解体新書〔1774〕三「蓋下膈膜者、主
維
29. いしかわげんじょう【石川玄常】
国史大辞典
クルムスの解剖書訳読の同人に加盟。したがって、訳読事業の当初より参加していたとは認められないが、少なくとも『解体新書』出版の前より参加して、所蔵の洋書を供覧に付
30. いしかわ-げんじょう【石川玄常】
日本人名大辞典
蘭方医。延享元年2月28日生まれ。京都でオランダ医学をまなび,江戸で前野良沢,杉田玄白らの「解体新書」翻訳に参加。のち一橋家の侍医にまねかれた。文化12年1月2
31. い‐しき【意識】
日本国語大辞典
哲学では中心課題であり、特に観念論では自然や物質の独立性を否定し、これを根源的なものとする。*
解体新書〔1774〕二「夫頭者。円居
一身之上
32. 医者
世界大百科事典
もとに,千住小塚原で腑分け(人体解剖)の観察を行い,その正確さに感嘆して1774年(安永3)これを《解体新書》と題して翻訳すると,蘭医学が急速にはやりだした。桂
33. いちのせきじょうあと【一関城跡】岩手県:一関市/一関城下
日本歴史地名大系
建部清庵・佐々木仲沢ら藩蘭方医一六名による腑分(解剖)が行われており、その経験が玄沢の「重訂解体新書」や仲沢の「解体存真図腋」に結集された。一方、和算では藩家老
34. い‐べん[ヰ‥]【胃弁】
日本国語大辞典
胃の蠕動(ぜんどう)運動によって送られてくる食物がここで反転逆行し、攪拌(かくはん)される。*
解体新書〔1774〕三「胃弁。懸
腸之上
35. い‐やく【意訳】
日本国語大辞典
和製漢語と考えられる。現代と同じ内容の「意訳」はすでに幕末の蘭学関係の書にも見られるが、当時は、「義訳」(「解体新書」凡例など)が一般的だったようである。(2)
36. いん‐き【陰器】
日本国語大辞典
〔名〕生殖器。*
解体新書〔1774〕四「夫陰器者、前陰也」*黄帝内経素問‐熱論「陰脈循
陰器
37. いん‐けい【陰茎】
日本国語大辞典
易病〈略〉陰茎腫(はれ)睾丸(こうぐはん)縮(しじ)まりて腹に入る」*
解体新書〔1774〕四「廷孔、是無
与
38. いん‐のう[‥ナウ]【陰嚢】
日本国語大辞典
「Inno
(インナウ)」*
解体新書〔1774〕四「陰嚢、従
腹内
39. いん‐もう【陰毛】
日本国語大辞典
惣勘定〔1754〕中「彼客の云、陰毛(インモウ)長し。此故に里を出る事不日ならんと思へり」*
解体新書〔1774〕一「従
陰毛際
40. いん‐もん【陰門】
日本国語大辞典
〔名〕女子の生殖器。特に外陰部。陰阜(いんぷ)、大陰唇、小陰唇、陰核、大前庭腺などからなる。*
解体新書〔1774〕四「陰門、在
其上辺
41. うかい‐こつ【烏喙骨】
日本国語大辞典
特に鳥類では翼の運動を助ける。単孔類以外の哺乳類では退化して烏喙突起となる。烏啄骨(うたくこつ)。*
解体新書〔1774〕一「烏喙骨、尖起如
烏喙
42. うだがわげんしん【宇田川玄真】
国史大辞典
多くの弟子を指導した。西洋解剖学書数種をまとめて訳定した『医範提綱』は特に有名で、『解体新書』『重訂解体新書』とならんで日本の解剖学の基礎を築いたものとして知ら
43. うらまち【裏町】秋田県:仙北郡/角館町/角館城下
日本歴史地名大系
出、同六年に角館へ帰ったが、蘭画を描く藩主佐竹義敦の命で久保田(現秋田市)に移った。直武は「解体新書」のさし絵も描いている。
44. え‐いん[ヱ‥]【会陰】
日本国語大辞典
大便前小便後
両陰之間。俗云蟻乃壟渡」*
解体新書〔1774〕一「尻胯、其属之者、肛門及会陰也」
45. 江戸参府紀行 317ページ
東洋文庫
八〇三)を盟主と仰ぎ、杉田玄白ら数人のグループがいわゆる『ターヘル・アナトミア』を翻訳し、『解体新書』と銘打って一七七四(安永三)年に刊行したことは、
46. 江戸参府紀行 318ページ
東洋文庫
はじめとし、天文暦学・地理学・兵学など実用的な学術の分野に新知識を導入する役割を担ったのである。『解体新書』刊行の少し前のころであった。奥州一関の医官建部清庵由
47. 江戸参府紀行 319ページ
東洋文庫
また一方玄白の命をうけ旧訳の誤りをただすべく、一〇年の歳月を費して一七九八(寛政一〇)年には『重訂解体新書』を訳了したほか、彼自身の著作もきわめて多かった。彼の
48. 江戸参府随行記 370ページ
東洋文庫
ツユンベリーが来日した一七七五年は、杉田玄白訳、中川淳庵校、石川玄常参、桂川甫周閲『解体新書』が出版された翌年にあたる。『解体新書』は、ドイツ人クルムスの著した
49. 江戸参府随行記 382ページ
東洋文庫
いうことができよう。 ケンペルは、来日して、整って隆盛な元禄の日本をみた。ツユンベリーは、『解体新書』公刊直後の日本に来て、蘭学熱に燃える草創期の蘭学者と交流を
50. 江戸参府随行記 388ページ
東洋文庫
関係を保ち、江戸の蘭学者、長崎の阿蘭陀通詞に医術を教授、親交を結んだのである。幸いなことに『解体新書』公刊直後の来日で、このたび来日の医師がひときわ学殖を備えた