1. 国定忠次
世界大百科事典
》(行友李風作,沢田正二郎主演で,この一座の代表的演目となる),また1932年初演《国定忠次》《続国定忠次》(真山青果作)では貧農を救恤(きゆうじゆつ)する内省
2. くにさだ‐ちゅうじ【国定忠次】
日本国語大辞典
江戸末期の博徒。本名長岡忠次郎。上野国国定村(群馬県佐波郡東村)の人。義理、人情と侠気に富む人物として、実録物、講談、戯曲などに取り上げられた。嘉永三年(一八五
3. くにさだちゅうじ【国定忠次】
国史大辞典
一八一〇―五〇 江戸時代後期の侠客。本名長岡忠次郎。文化七年(一八一〇)上野国佐位郡国定村(群馬県佐波郡東村)に生まれた。父は与五兵衛もしくは与五左衛門。富農
4. 國定忠次(くにさだちゅうじ)
古事類苑
法律部 洋巻 第3巻 18ページ
5. くにさだ-ちゅうじ【国定忠次】
日本人名大辞典
1810−1851* 江戸時代後期の侠客(きょうかく)。文化7年生まれ。生家は上野(こうずけ)(群馬県)佐位郡国定村の富農。博徒の親分となり,島村の伊三郎殺しを
6. くにさだちゅうじ【国定忠次】
日本架空伝承人名事典
』(行友李風作、沢田正二郎主演で、この一座の代表的演目となる)、また一九三二年初演『国定忠次』『続国定忠次』(真山青果作)では貧農を救恤(きゅうじゅつ)する内省
7. 国定忠次[文献目録]
日本人物文献目録
』松永安左衛門『国定忠次の首実験』-『国定忠次の墓』新井桂風『国定忠次の為人』子母沢寛『国定忠次の為人に就て』豊国覚堂『国定忠次の風貌』石井鶴三『国定忠次捕縛の
8. 国定忠治
日本大百科全書
江戸後期の博徒ばくと。上野こうずけ国佐位さい郡国定村(群馬県伊勢崎市国定町)の旧家、長岡与五左衛門よござえもんの長男。19歳のころから博奕ばくちに手を出し、21
9. 国定忠次義名高嶋(著作ID:4371735)
新日本古典籍データベース
くにさだちゅうじぎめいのたかしま 川上 鼠辺(かわかみ そへん) 作 歌川 国貞 三世(うたがわ くにさだ 3せい) 画 合巻 明治一三序
10. 伊勢崎[市]
世界大百科事典
団地が造成され,中小工場も多い。1970年ころから人口が増加している。北部の国定は幕末の俠客国定忠次の出身地。千葉 立也 伊勢崎 伊勢崎市西部の旧市。1940年
11. 伊藤 大輔
日本近代文学大事典
一五年日活に入社し、『長恨』で注目され、ことに昭和二~三年の『忠次旅日記』三部作は落ちていく国定忠次の感傷と慟哭を描いて無声映画時代劇の最高傑作とされる。さらに
12. おおどせきしょあと【大戸関所跡】群馬県:吾妻郡/吾妻町/大戸村
日本歴史地名大系
この時大戸・萩生・本宿・須賀尾・大柏木・三島村の六ヵ村から各三名ずつの警固人足(鉄砲方三人を含む)が固めた(「国定忠次郎仕置人足其外控」唐沢文書)。処刑一二年目
13. きくち-とくこ【菊池徳子】
日本人名大辞典
1816−1889 江戸時代後期の女性。文化13年生まれ。国定忠次の子分,上野(こうずけ)(群馬県)五目牛村(ごめうしむら)の菊池千代松の妻。夫の死後忠次とであ
14. きざきしゅく【木崎宿】群馬県:新田郡/新田町/木崎村
日本歴史地名大系
けたいという訴えも出されている(天保一三年「親村離願」中島文書)。嘉永三年八月中風にかかった国定忠次が捕らえられ、九月には木崎宿の牢へ移された。忠次には昼夜人足
15. くどき【口説】
国史大辞典
ある。その歌詞は叙事的であり、曲節は一定の旋律を繰り返して歌いあげるもので、たとえば八木節の国定忠次や鈴木主水、白石踊(岡山県)の賽の河原や那須与一・お夏清十郎
16. くにさだむら【国定村】群馬県:佐波郡/東村
日本歴史地名大系
にあしく皆砂場なり、この辺人気風俗ともによろしからざる様子なり」などとみえる。江戸後期の博徒国定忠次は当村の出身。明治九年(一八七六)新田郡久仁村を合併した。同
17. ぐん‐し【軍師】
日本国語大辞典
撰大阪詞大全〔1841〕「ぐんしとは もくろみする人」*入れ札〔1921〕〈菊池寛〉「上州の国定忠次で御座いと云って歩くには、駈引万端の軍師がついて居ねえ事には
18. 上野国画像
世界大百科事典
年の絹一揆など,運動は広域化し,天明飢饉につづく天保や慶応の一揆は世直しの傾向をもっていた。国定忠次など博徒の横行もこうした時代背景の所産といえよう。 文化 地
19. 講談落語今昔譚 246ページ
東洋文庫
事、医者風に髪をくわいの取手に結び、相当素養もあった男で、俳句は宗匠をしていた程であった。 国定忠次の読物も、いろくの種本のある中で「嘉永水潜伝」を多く用いて居
20. 講談落語今昔譚 247ページ
東洋文庫
落つく、生れたのが即ち国定忠次と、女を配剤して意気なものに作り上げた。芝居には此方が向くので、三世河竹新七氏は、この伯圓の種によって「上州織時好大縞」を脚色した
21. 講談落語今昔譚 9ページ
東洋文庫
305,319楠の泣男 260口合23,177愚痴拾遺物語(書名) 17口拍子(咄本) 75国定忠次 246配りびら 56首ふり南窓 266久保田米倦 200,
22. ごめうしむら【五目牛村】群馬県:佐波郡/赤堀町
日本歴史地名大系
奈良・平安時代の水田跡が発見された五目牛・清水田・中田の遺跡では人・牛の足跡が検出された。五目牛南組遺跡からは国定忠次に縁のあったおとくの屋敷跡などを検出。
23. さわぐん【佐波郡】群馬県
日本歴史地名大系
関係を背景に、幕末には上州無宿と称される博徒・侠客が多かった。郡内では国定村(現東村)出身の国定忠次、その子分三ッ木文蔵、忠次の宿敵島村伊三郎などが知られる。近
24. 新国劇
世界大百科事典
ゆきともりふう)(1877-1959)の《月形半平太》で大当りをとった。続いて同じく行友の《国定忠次》も成功し,テンポの早い演技と激しい立回りで,剣劇という一ジ
25. たけい-あさじ【武井浅二】
日本人名大辞典
?−1842 江戸時代後期の侠客(きょうかく)。国定忠次の養子。長槍をたくみにつかい,また日に40里(約157km)をはしることができたという。忠次を役人に密告
26. たんどむら【丹土村】兵庫県:美方郡/温泉町
日本歴史地名大系
死者供養のための所作事踊で、県指定無形民俗文化財。芸題には毛谷村六助・鈴木主水・平井権八・宮城野信夫・国定忠次などの曲があり、その型は歌舞伎に由来する。演目によ
27. 忠次旅日記
世界大百科事典
き〉と呼ばれて時代劇のスタイルに新風を吹き込むことになる名コンビの第1作である。 上州の博徒国定忠次(大河内伝次郎)が,役人に追われて流浪し,周囲の人間に裏切ら
28. とば‐あらし【賭場荒】
日本国語大辞典
〔名〕他の勢力範囲にある博打(ばくち)場にはいり込んで荒かせぎをすること。*閑耳目〔1908〕〈渋川玄耳〉国定忠次「賭場荒(ドバアラ)しなンて実際ソノ容易に能(
29. ど‐ば【土場】
日本国語大辞典
あれよりゃアおたびの又五郎が借えで、おいらが方によく出来るぜ」*閑耳目〔1908〕〈渋川玄耳〉国定忠次「賭場(ドバ)の真光景を一部分だに想像し能はぬ者には」(3
30. にっこうの-えんぞう【日光円蔵】
日本人名大辞典
江戸時代後期の博徒。享和元年生まれ。下野(しもつけ)(栃木県)の僧で晃円(こうえん)とよばれる。寺をでて国定忠次(くにさだ-ちゅうじ)の子分となり,忠次の軍師と
31. 博徒
世界大百科事典
分の関係に組織され,なわばり(寺銭を徴収できる勢力範囲)の拡大に努めた。博徒の親分としては,国定忠次,清水次郎長らが有名であるが,芝居や講談によって,実像とは著
32. 牧野省三
日本大百科全書
4)宮島大仇討(1914)牡丹燈籠ぼたんどうろう(1914)石川寅次郎(1914)国定忠次(日光円蔵と国定忠次)(1914)夏祭団七九郎兵衛(1914)山王の化
33. 真山青果
世界大百科事典
名作がある。史劇は《大塩平八郎》《償金四十万弗》《坂本竜馬》をはじめ,《江藤新平》4部作,《国定忠次》《人斬り以蔵》や《江戸城総攻》3部作など数多く,その頂点が
34. 真山 青果
日本近代文学大事典
勤王浪士の一件を水に流した。辰五郎はただ頭をさげた。 この戯曲は晩年の作であるが、青果は『国定忠次』『鼠小僧次郎吉』『荒川の佐吉』など、きわめて底辺の講談的な
35. まやませいか【真山青果】
歌舞伎事典
も書いた。復活後の史劇には《大塩平八郎》《償金四十万弗》《坂本龍馬》、《江藤新平》四部作、《国定忠次》《人斬り以蔵》、《江戸城総攻》三部作など数多く、その頂点が
36. みつぎむら【三ッ木村】群馬県:佐波郡/境町
日本歴史地名大系
一・寺二)・人数一二四、牡馬五、生業は農・桑業であった(郡村誌)。当地内新義真言宗真福寺には国定忠次の子分三ッ木文蔵の墓がある。曹洞宗香林寺には石仏群がある。
37. みんぞくげいのう【民俗芸能】 : 口説/(三)
国史大辞典
ある。その歌詞は叙事的であり、曲節は一定の旋律を繰り返して歌いあげるもので、たとえば八木節の国定忠次や鈴木主水、白石踊(岡山県)の賽の河原や那須与一・お夏清十郎
38. 山崎 紫紅
日本近代文学大事典
有楽座で栗島狭衣一座が、一一月『加藤左衛門』を帝劇で幸四郎一座がそれぞれ上演。大正二年六月『国定忠次』を歌舞伎座で市村羽左衛門、尾上菊五郎が上演、一〇月『お吉吉
39. ようじゅじ【養寿寺】群馬県:佐波郡/東村/国定村
日本歴史地名大系
[現]東村国定 寺内出 早川左岸、緩やかな台地上に位置。天台宗。本尊は阿弥陀如来。境内に国定忠次の墓があることで知られる。寺伝によると、承暦年中(一〇七七―八一
40. りん‐かく【隣客】
日本国語大辞典
〔名〕隣にいる客。*閑耳目〔1908〕〈渋川玄耳〉国定忠次「中入の少時を起つ者、坐る者、飲む者、食ふ者、がやがやの間に隣客(リンカク)の話し声」
41. 1850年〈嘉永3 庚戌〉
日本史年表
制限(幕末御触書集成)。 11・‐ 京都の心学講舎で粥施行(京都の歴史)。 12・21 幕府、国定忠次を磔刑(田村栄太郎『やくざ考』)。 この年 高野長英