新版 日本架空伝承人名事典
日本近代文学大事典
落語家。江戸湯島切通し町生れ。本名出淵次郎吉。父は、音曲師橘屋円太郎こと長蔵。出淵家は、加賀大聖寺藩士だったが、祖父大五郎は妾腹のために葛飾新宿村で農業をいとなんで長蔵を得、彼を武士にするために本家にあずけたが、長蔵は、武家生活をきらって、放浪のすえ、左官職から芸人になった。次郎吉は、七歳で小円太と名乗って初高座をつとめたが、母おすみと次郎吉の義兄にあたる僧玄昌とは、次郎吉の芸界入りに反対し、下谷池の端の紙商兼両替商の葛西屋に奉公させた。しかし、次郎吉が病気になって帰宅したので、玄冶店の浮世絵師歌川国芳のもとで、画家として修業させた。この修業が、のちに、彼の売りものになった芝居咄の道具や背景をつくるさいにおおいに役立つことになるわけだが、彼は、ここでも病いを得て帰宅したので、ほかの職業には適せずと、当人も母も義兄もみとめたことから芸界に復帰し、父の師である二代目三遊亭円生に入門した。嘉永五年、義兄の住持する谷中長安寺に母と移り、その本堂で稽古し、兄のすすめで座禅を修業するなど、芸の基礎を形成した。安政二年、一七歳になった小円太は、初代円生の墓前において、衰微した三遊派の再興をちかい、決意もあらたに、従来、三遊派でもちいられていない円朝を名乗り、この年、真打ちに昇進した。六年、二一歳のとき、はじめての創作『累が淵後日怪談』を自演したが、これは、明治になって、『真景累が淵』(明31・2 真砂座初演)として完成した。道具をかざり、鳴りものをいれ、はでな演出をみせる円朝の自作自演の高座は、しだいに人気を呼んだが、それを嫉妬した師匠の円生は、円朝を冷遇し、断交するにいたった。文久元年、二三歳の円朝は、『怪談牡丹燈籠』を創作し、いっそう注目されたが、その翌年に、師円生と義兄とが世を去る不幸をむかえた。三年、山々亭有人、仮名垣魯文、瀬川如皐、河竹新七などが、多くの文人、粋人たちに呼びかけ、三題噺の自作自演のグループ粋狂連を組織したさい、円朝もこれに参加したが、各分野の人物たちとの交際によって、多くの知識を得、題材的にも演出の上においてもプラスするところが多く、落語界に新風をおこした。明治二年、三一歳のとき、柳橋の芸者お幸と結婚し、四年一月、『菊模様皿山奇談』(若栄堂)、五年一月、『今朝春三組盃』(青盛堂)を、いずれも山々亭有人の補筆によって刊行した。同年、あたらしい時勢にかんがみ、従来のはでな道具噺の道具を、すべて弟子の円楽あらため三代目円生にゆずり、みずからは、扇子一本の素噺に転向した。同年四月、教部省から、新時代における国民の生活指針ともいうべき「三条の教憲」が発令され、文学界、劇界でも、旧来の作風からの転換をはかっていたが、寄席演芸の分野でも、講談界では、白浪ものを得意としていた松林伯円が、歴史もの、実録ものなどを自作自演して、演史家伯円などと呼ばれる方向転換ぶりをみせていた。このうごきをみた円朝は、新聞記事を材料としたはなしを高座にかけ、実地調査にもとづいて、『榛名の梅が香(安中草三)』や『塩原多助一代記』などの実録的人情噺を自作自演して、新時代の要請にこたえた。八年四月、落語家を中心にした寄席芸人の統一団体睦連が結成されたさい、円朝は、六代目桂文治とともに、その相談役となった。一〇年、伊達自得居士に禅を教えられ、高橋泥舟、山岡鉄舟とも知った。とくに、山岡鉄舟とは交際深く、のちには、鉄舟のもとで禅に傾倒し、話術は、迫真軽妙をきわめ、無舌居士の号を付与されるにいたった。一二年四月、春木座において、円朝作の『業平文治漂流奇談』が上演されたが、以後、多くの円朝作品が劇化されるようになった。一七年、若林玵蔵、酒井昇造とによって、はじめて『怪談牡丹燈籠』が速記本として出版され、一八年にも、『塩原多助一代記』が刊行されるなど、つぎつぎに、その作品が活字化され、全国に普及して愛読された。それは、速記本のめずらしさも原因していたが、また、明治の新文学誕生寸前の低調な小説の代役を果たすことでもあった。一方、円朝のはなしの調子で小説を書けと、坪内逍遙にすすめられた二葉亭四迷が、『浮雲』の新文体によって、近代文学へのスタートをきったことからもあきらかなように、言文一致運動に貢献するところ大なるものがあった。一九年一〇月、「やまと新聞」が創刊されたさい、『松操美人生埋』『蝦夷錦古郷家土産』をはじめ、つぎつぎに新作ものを連載したが、この創作活動は、現在の大衆文学の源流といえる。二四年四月、井上馨邸における園遊会のさい、『塩原多助一代記』を明治天皇の御前で口演した。同年六月、五三歳で寄席出演をやめるようになったが、創作はつづけておこない、モーパッサンの『親殺し』から『名人長二』、サルドゥーの『トスカ』から『錦の舞衣』などの翻案ものもてがけている。三〇年一一月、五九歳のとき、弟子のすすめで、ふたたび寄席に出演するようになったが、三二年一〇月、木原店(日本橋通り)の高座における『怪談牡丹燈籠』の口演を最後として、ついには、下谷車坂町の自宅に没した。病名は、進行性麻痺兼続発性脳髄炎だった。墓地は、台東区谷中の全生庵。円朝は、人情噺、怪談噺、芝居噺など、江戸落語の各分野を集大成し、また、多くの後進を育成して、明治の東京落語界の隆盛をまねいた点において、芸能史上特筆されなければならないが、前記のように、文学界に果たした役割においても記憶されねばならない。明治にはいっては、いささか社会的名士の傾向があり、幕末における庶民的芸能人としての息吹きをうしなってしまった。
『円朝全集』全一三巻(大15~昭3 春陽堂)『三遊亭円朝全集』全七巻、別巻一(昭50~51 角川書店)。
代表作
代表作:既存全集
付記
日本大百科全書(ニッポニカ)
落語家。本名出淵 (いずぶち)次郎吉。2代三遊亭円生 (えんしょう)門人の橘家 (たちばなや)円太郎の子として天保 (てんぽう)10年4月1日江戸・湯島に生まれる。父と同じ2代円生に師事し、7歳で小円太と名のって寄席 (よせ)に出演したが、異父兄の臨済宗の僧玄昌の忠告で休席し、池の端の紙屋葛西 (かさい)屋へ奉公したり、玄冶店 (げんやだな)の一勇斎国芳 (くによし)に浮世絵を学んだりした。また、玄昌の住む谷中 (やなか)の長安寺に母と同居し、仏教の修学にも励んだ。これが後世における円朝の怪談噺 (ばなし)創作に強く影響した。のち、やはり落語家で身をたてることにし、2代円生門に復帰、17歳のときに円朝と改名して場末回りの真打 (しんうち)となった。くふうを重ねて道具入り芝居噺を演じ、自作自演でしだいに人気を獲得、1864年(元治1)26歳で両国垢離場 (こりば)の昼席の真打となり、以後年とともに名声をあげ、三遊派の実力者となった。72年(明治5)弟子の円楽に3代円生を継がせ、道具噺の道具いっさいを譲り、自らは扇1本の素噺 (すばなし)に転向した。
多数の円朝の創作のなかで代表的なものは、『真景累ヶ淵 (かさねがふち)』『怪談牡丹灯籠 (ぼたんどうろう)』『怪談乳房榎 (ちぶさえのき)』の長編怪談噺三部作をはじめ、芝居噺では『菊模様皿山奇談 (きくもようさらやまきだん)』『緑林門松竹 (みどりのはやしかどのまつたけ)』『双蝶々 (ふたつちょうちょう)雪の子別れ』、伝記ものでは『後開榛名梅ヶ香 (おくれざきはるなのうめがか)』(安中草三郎 (あんなかそうざぶろう))、『塩原多助一代記』『月謡荻江一節 (つきにうたうおぎえのひとふし)』、人情噺では『文七元結 (ぶんしちもっとい)』『粟田口霑笛竹 (あわたぐちしめすふえたけ)』『業平文治漂流奇談 (なりひらぶんじひょうりゅうきだん)』『敵討札所 (かたきうちふだしょ)の霊験 (れいげん)』『霧隠伊香保湯煙 (きりがくれいかほのゆけむり)』『熱海土産温泉利書 (あたみみやげいでゆのききがき)』『政談月の鏡』『闇夜 (やみよ)の梅』『松と藤芸妓 (げいしゃ)の替紋 (かえもん)』『操競女学校 (みさおくらべおんながっこう)』『梅若七兵衛』、翻案ものでは『名人くらべ』『西洋 人情噺英国孝子 (えいこくこうし)ジョージスミス之伝 (のでん)』『松操美人 (まつのみさおびじん)の生埋 (いきうめ)』『欧州小説黄薔薇 (こうしょうび)』『名人長二』などであり、『福禄寿 (ふくろくじゅ)』など北海道で取材したものもある。このほか『鰍沢 (かじかざわ)』『大仏餅 (もち)』『黄金 (こがね)餅』『死神』『心眼』『士族の商法』『にゅう』『笑い茸 (たけ)』など多くの落し噺も口演しているが、彼の高座にはすべて聴く者の胸を打つような技巧と手法が考案されているので、いずれも人情噺的な性格を具備している。
円朝は1891年(明治24)53歳のとき高座を退き、座敷専門の数年間を送った。98年に門弟支援のため高座に復帰したが、めぼしい寄席を巡回したのち発病し、明治33年8月11日下谷 (したや)車坂町の自宅で没した。62歳。辞世として「目を閉ぢて聞き定めけり露の音」という句が伝えられているが、谷中の全生庵 (ぜんしょうあん)にある墓碑には上五句が「聾 (みみし)ひて」と改作されている。『累ヶ淵』『牡丹灯籠』などで描写した因果応報や輪廻 (りんね)の思想を背景に、円朝が到達した解脱 (げだつ)の境地がこの句に示されている。円朝は、怪談噺、芝居噺、人情噺、落し噺など江戸落語を集大成し、近代落語発展への道を開いたが、ことに人情噺という高度な話芸を完成して落語の次元を高めた功績は大きい。また、山岡鉄舟 (てっしゅう)、井上馨 (かおる)らとも親交し、落語家の社会的地位を向上させた。なお、2代目は1924年(大正13)に初代三遊亭円右 (えんう)が襲名したが、高座に上らずまもなく病没した。
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