1947年,占領政策の一環としてなされた財閥解体等の経済民主化政策の成果を恒久的に日本に定着させるために,アメリカのアンチ・トラスト法(反トラスト法)を範にとって制定された法律。市場における公正で自由な競争を促進することにより,一般消費者の利益を確保し,同時に,国民経済の民主的で健全な発達を促進することを目的としている。正式名称は,〈私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律〉。独禁法と略称。
性格と各国の状況
資本主義経済体制は,ヨーロッパにおける市民革命によって確立した個人主義と自由主義とに基づく市民法体系をその法的な基盤としている。市民法は〈見えざる手〉の予定調和を前提として,個人の利潤動機に基づく自由な経済活動が,国家の介入を受けずに,市場の非人為的な機能の下でなされるようにする法的基礎となるもので,社会が国家から相対的に独立した夜警国家の理念に基づくものであった。しかし19世紀の欧米諸国の資本主義発展の歴史が示したのは,事業者の自由の完全な放任が,カルテル等の人為的な市場の独占と消費者への不当な高価格をもたらしたり,非倫理的な競争手段によって形成された独占が社会のごく少数の者への富の偏在をもたらし,社会全体としての貧富の差を激化させるという現実であった。
この現実に対し,協調的なギルドの体質を歴史的に社会に内在させ,国内市場も狭小なヨーロッパ諸国では,繰返しおそった不況の対応策として国がむしろ積極的にカルテル等の独占を利用したこともあり,大勢としては,国家の手によって事業者に自由競争を行わせるための規制を加えるという政策は取られず,社会の主たる関心は,一定の限度で独占を容認しつつ,国家がその価格を監督したり,社会政策によって経済的な弱者を救済するという,経済社会への国家の介入を増大させる方向へ進んだ。
これに対し,アメリカにおいては,19世紀を通じて存在したフロンティアと広大な国内市場の存在とを背景に,自由競争が適切に行われさえすれば,個人の努力と才能に応じた成功の道がつねに開かれ,このような各人の自由な営為によって社会も進歩発展していくという,自由企業体制の理念が建国以来の伝統として定着していた。そのために,19世紀後半に激化したトラスト等による独占の進行に対して,国家がなんらかの対応をなすべきだという社会的な要求が強まったが,それは自由競争,自由企業体制を否定する国家の全面的な経済への介入を要求するものとはならず,あくまでも自由競争を前提にするものであった。このような社会的な要求が農民のグレンジャー運動等と結びつき,紆余曲折を経た後に,1890年にアメリカで最初の反トラスト法であるシャーマン法Sherman Actが成立した。同法は,政府が国民の経済的競争の手段・方法の審判者として限定的・消極的に経済活動に介入し,このような政府の監視の下で一定のルールにのっとった自由競争を行わせることを意図するものであった。その後,1914年にシャーマン法の不備を補うためにクレートン法Clayton Actと連邦取引委員会法Federal Trade Commission Actとが制定されることにより,日本の独占禁止法のモデルともなったアメリカのアンチ・トラスト法制が整った。
第2次大戦後,敗戦国たる日本や西ドイツが,アメリカの占領政策の下で独占禁止法制を有することとなったのをはじめとして,ヨーロッパの各国もアメリカの経済的・政治的な影響の下で,それぞれの国情にあわせて独占禁止法制を整備するようになった。現在では,自由主義経済体制をとる国のほとんどは独占禁止法制を整えており,OECDにおいても制限的商慣行委員会が設けられて,先進資本主義国間の競争政策,競争法制の調整を行っている。
日本における沿革
1947年に制定された独占禁止法は,アメリカのニューディール政策にたずさわったいわゆるニュー・ディーラーたちが,アメリカで実現しえなかった理想的なアンチ・トラスト法を実験的に導入しようとしたもので,カルテルの絶対的禁止や事業能力の不当な格差の存在のみで営業の譲渡を命じうるなどの厳しい,ある意味では非現実的な内容を有するものであった。1949年に一度小改正を施された後に,53年にはアメリカの対日政策の変更を受けて,日本の経済の実態にあわせて47年法を大幅に緩和する大改正が行われた。この改正によって,それまで独立の法律であった事業者団体法が廃止されて独占禁止法8条に統合され,事業能力の格差に基づく排除措置の規定は削除され,合理化カルテルや不況カルテル等の適用除外制度が設けられた(カルテル法)。その後,昭和30年代の高度成長期には,多くの個別適用除外立法が制定されるなど,独占禁止法の運用は必ずしも活発にはなされなくなった。昭和40年代に入って,物価問題が重要な政策課題として認識されるにつれて,独占禁止法の運用も徐々に活発になり,1973年の第1次石油危機を契機にした企業批判のたかまりの中で,77年に独占禁止法の歴史上初めての強化改正が行われ,市場構造にウェイトをおく企業分割規定である,〈独占的状態に対する措置〉の制度や,カルテルに対する課徴金の制度,大規模会社の株式保有総額の規制,同調的値上げの届出制度等々が新設された。
1990年代に入り財政赤字の拡大が深刻化し,その対応策としての行政改革が大きな政治課題となった。従来の経済的規制の多くを撤廃し,許認可行政権の縮小による小さな政府の実現を目ざす行財政改革は,日本経済の公正の達成を政府の主導によるのではなく,市場への自由な参入と自由な競争によって行うという市場理念の再確認と,その理念の日本社会への実質的な定着を目指すものであり,この方面からの独禁法の運用の改善,法改正も90年代後半の特徴として指摘される。
このような一連の独禁法の改正の動きの主要なものは,課徴金額の算定方法の変更による増額(1991),法人に対する罰金の増額(1992),適用除外カルテル制度の原則廃止に向けての見直し(1996,1997),公正取引委員会の組織強化の改正(1996),持株会社の全面禁止から原則自由への変更等(1997)である。
概要
独占禁止法の目的は,冒頭に述べたように,公正かつ自由な競争を促進することによって消費者の利益を確保するとともに国民経済の民主的で健全な発展を促進することである。この目的を達成するために,同法は,実体的規定として,一定の取引分野における競争の実質的制限(市場集中)を防止し是正するための諸規定と,市場における集中に限定せずに広く経済力の集中を防止する(一般集中の防止)ための諸規定とをもつ。このほかに同法は,その運用主体である公正取引委員会の組織を定め,公正取引委員会による法の適用手続を定めている。
市場集中
市場集中の防止に関する諸規定は,独占禁止法の中心をなすもので,事業者と事業者団体に対して(8条に事業者団体の禁止行為がまとめて列挙されている),〈不当な取引制限〉(3条),私的独占(3条),一定の取引分野における競争を実質的に制限することとなる株式保有(10,14条),役員の兼任(13条),合併(15条),営業の譲受(16条)と,〈不公正な取引方法〉に該当する行為(19条)をなすことを禁ずるものからなる。同法の違反行為がある場合には,公正取引委員会が事前の審判手続を経て決定する排除措置を命じうるほか,3条違反行為を中心とするいくつかの行為には刑事罰が科されることもある(89条等)。
不公正な取引方法
〈不公正な取引方法〉に関する規定は,放置しておけば私的独占や〈不当な取引制限〉に発展するであろう行為をとらえ,それを早いうちに規制することを意図するものである。これは合併等の規制が,具体的に市場集中が発生する前にこれを未然に防止することを目的とするのと同様の,予防的な規定としての性格を持つ。またすでに述べたように,1977年の改正によって,事業者の行為よりは,現に成立している市場の構造に着目して,一定の市場構造の下で事業者の非競争的な経済成果が見られるときに,公正取引委員会がその営業の一部の譲渡等を命じうる,〈独占的状態に対する措置〉の規定(8条の4)が導入されている。なお,〈不当な取引制限〉の禁止を補完するために,カルテルによって事業者が得た不当な利益を一定の方法によって算定し,その国庫への納入を命ずる課徴金の制度(7条の2,8条の3)も,77年改正で新たに設けられた。
経済力の集中
経済力の集中に関する規定は,戦前の財閥による経済支配と占領政策によるその解体という日本固有の歴史に由来する,持株会社の絶対的な禁止(9条),77年改正で導入された,総合商社の株式保有の制限を目的とする大規模会社の株式保有総額の制限(9条の2),金融会社による経済支配の防止を目的とする株式保有の制限(10条)が主たるもので,ほかに,〈不公正な取引方法〉の中の優越的地位の濫用に関する規定(一般指定13項)を経済力の集中規制の中に含めて理解する説もある。
しかし,1990年代中葉以降,日本社会の規制緩和の動きの中で,制定後50年間の日本社会の構造変化,とりわけ即時的な情報通信の手段の普及による各国市場の世界的一体化,各種の流通手段の改善による物流や人の移動の速度と規模の質的な変化等々の条件を前提にして,持株会社の設立の自由化を求める動きが強まり,97年の法改正で,持株会社の設立は原則自由化されることとなった。
適用の除外
社会に発生する経済問題のすべてが競争的な解決になじむものではない以上,競争政策の当然の限界として,ないしは本来競争政策が妥当するにもかかわらず,他の経済政策上の考慮によって独占禁止法の適用が除外される場合がある。独占禁止法はみずからの法体系の中に自然独占に固有の行為(21条),事業法令に基づく正当な行為(22条),無体財産権の行使(23条),一定の組合の行為(24条),公正取引委員会の指定を受けた再販売価格維持行為(24条の2),不況カルテル(24条の3),合理化カルテル(24条の4)をそれぞれ適用除外として定め,22条を受けて〈私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律の適用除外に関する法律〉(1947公布)を定めている。この中で,21~24条は独占禁止法の制定当初からある規定で,競争政策の本来の限界に基づく適用除外として理解されており,立法の当初はこの法律(私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律の適用除外等に関する法律)以外には,個別の立法として適用除外を定める法律がその後も定められることはないと考えられていた。この意味で独占禁止法は,まさに,将来の日本の経済政策立法の規範となる経済憲法たることが予定されていたのである。しかし24条の2~24条の4が1953年の改正のときに導入されたことをきっかけとして,他の政策的な必要性から,本来競争政策が妥当する場合ないしは領域であるにもかかわらず,競争原理を停止する適用除外が出現してきた。日本の経済が高度成長段階に入った昭和30年代には,個々の産業政策上の必要から,個別法において独占禁止法の適用除外を定める規定を置くものが増加し,このような実態について,独占禁止法が法形式上はカルテルの原則禁止主義をとりつつ,その実,ヨーロッパの諸国と同様のカルテル弊害規制主義に近づいているとの評価もなされた。しかし昭和40年代後半以降は,日本の経済が安定的低成長期に入り,物価問題が深刻化したこともあって,カルテルの適用除外法の見直しが進められ,その数は縮小した。
昭和50年代になって,第2次石油危機以後適用除外に関して問題となったのは,アルミニウム,石油化学等の構造的な不況産業において,産業構造の改善を図るための事業者の共同行為等を独占禁止法の適用除外等とする特定不況産業安定臨時措置法(1978公布)とその後継法である特定産業構造改善臨時措置法(1983公布)の制定である。おりしも諸外国が日本の欧米諸国に対する輸出超過を問題として,日本の産業政策に対する批判を強めていた中で,OECDの特別グループの報告書が,国際的な競争の公正といった観点から各国の産業政策の調整をなすために,積極的産業調整政策positive adjustment policy(PAP)をあるべき産業政策として評価し,衰退産業に対する保護政策には厳しい基準を当てはめるべきだとする見解を公表したこともあり,これらの法律の制定が過度の,外国事業者に不利な国内事業者の保護になりうるとして,内外に大きな議論を呼んだ。いずれにしても今日では,適用除外を含めた独占禁止法制全体の運用について,国際間の競争の影響を無視しえなくなっている。国際的問題に関しては,独占禁止法6条に特定の国際的協定または契約の禁止と届出義務の定めがある。
同調的値上げ
このほかに,独占禁止法は1977年の改正の際に,同調的値上げの報告義務(18条の2)の規定を設けた。これは,伝統的な競争政策の枠からは説明が困難な,物価抑制の政策手段としての性格を色濃く有する規定である。また独占禁止法違反行為による損害を受けた者は,審決の確定後,加害者に対して無過失損害賠償責任を追及しうるものとされており(25条),訴訟例もいくつかあるが,原告にとって因果関係の立証が困難であるため,損害賠償を勝ち取るのは非常に難しい状況となっている。
石油危機後,一方で独占禁止法を強化し,他方で構造改善のために適用除外制度を新設する動きが見られたが,日本の貿易黒字が増大し,財政赤字解消のために行政改革が大きな政治課題となる1980年代以降は,独占禁止法の適用除外の見直しが急ピッチで進み,1996年から97年にかけて,従来の適用除外立法を原則的に廃止する方向での立法作業が進められた。現在では,独禁法以外の個別立法で適用除外カルテル制度が残されたものは,中小企業の保護関係を中心に非常に少数になり,法制度的にも市場における競争中心の体系が取られるようになった。
以上見てきたように,現在の独占禁止法はさまざまな政策的考慮の中で,単に競争政策を実施する法手段という以上の,多様な性格の法に変容しつつあるといってもよい。しかし,伝統的な競争政策の枠組みの中においても,独占禁止法が実現すべきは競争の効率性か多数の競争者の存在という状態かという点での理解が対立していることもあり,経済政策の法である独占禁止法は,その時代の社会的な要請との関係で,ときに,経済的な弱者保護を主眼にした運用がなされたり,ときには逆に,効率を重視する運用がなされることとなるのは避けられず,ある幅でゆれ動く宿命の下にあるといえよう。
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