立法行為をはじめとする国家の諸機関の行為について,それが憲法に適合するか否かを審査し,違憲の場合にはその行為を無効と宣言する権限を裁判所に与える制度。司法審査制とか法令審査制ともいう。国家の最高法規である憲法が国家機関によって侵害されるのを防ぐために設けられる憲法保障の制度の一つであり,違憲立法審査権(法令審査権)を裁判所に与えることにより,裁判所を憲法の番人たらしめる。日本国憲法は,その81条で,〈最高裁判所は,一切の法律,命令,規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である〉と定め,この制度の存在を明らかにしている。明治憲法にはそのような定めがなく,裁判所は,法令についての形式的審査権をもつが,法令の内容の不備について審査する実質的審査権をもたないと理解されていた。日本国憲法は,その実質的審査権を明文で定めたのである。
このような違憲審査の権限を裁判所におく制度には二つのタイプがある。一つは,通常の裁判所がこの権限をもち,具体的争訟事件の裁判に付随してその事件にかかわる法令の合憲性を審査する方式である。付随的違憲審査制とよぶ。アメリカでは1803年のマーベリー対マディソン事件以来,判例法上この方式が確立しており,カナダ,インド,オーストラリアなどの国々でも採用されている。ほかに,憲法問題のみを扱う特別の裁判所(憲法裁判所)を設け,それが具体的事件の解決のためでなく抽象的に法令の合憲性審査を行う方式がある。抽象的違憲審査制とよぶ。それは,オーストリアに始まり,ドイツ,イタリアなどヨーロッパ大陸の国々で採用されている。これら二つの場合のように司法権が合憲性の統制を行うのと異なり,政治的統制の方式をもつ国もある。ソ連その他の社会主義諸国では,全権力の源である人民と直結した最高機関が憲法秩序の統制を行うことにし違憲審査制の考えは排除されたが(ただし,ソ連末期に憲法監督委員会が設置され,1991年10月にロシアでは憲法裁判所が新設された。〈ソビエト連邦〉の[法制]の項参照),自由主義国家においても,フランスのように憲法評議会Conseil Constitutionelleという政治機関が立法行為の合憲性の統制を行う場合がみられる。そこでは,立法過程に司法部が干渉することは権力分立の原理に反するとの考えが働いている。また,イギリスにおいては,1688年の名誉革命後,議会優位の原理が確立して立法の有効性に対する裁判所による統制は排除されている。
このような諸国の例をみて明らかなように,違憲立法審査権を裁判所がもつことは論理必然的なものとはいえず,権力分立や民主制の原理のもとで,国家のどの機関が憲法秩序の最終的維持にあたるのが適当か選択されたことの結果によるものだといえる。そこで,これらの制度の主要な特質をみると,アメリカ型の付随的違憲審査制は,人権保障のための有効な働きをし,社会における少数派にとって憲法の保障する自由や権利の保護が求めやすいのに対し,立法部や行政部と政治的対立を引き起こすような問題について裁判所がその権限を抑制するという傾向を生む。これは,フランス型が憲法保障の関心を人権保障とは別のところにおいているのと対照的である。さらに,ドイツの連邦憲法裁判所Bundesverfassungsgerichtの役割には,憲法問題に含まれる政治的要因を司法的に解決させるという特徴をみることができる。ところが,その体験の過程で,通常の裁判所における事件の解決のために法律の合憲性判断が必要となると,憲法裁判所の活動を促す方法が採用され,人権保障の役割をも十分期待できるようになっている。また,アメリカにおいても,個人の権利や利益の救済にとどまらず違憲状態におかれた不特定多数人の自由や権利の保護を裁判所に求め,あるべき憲法秩序の実現をめざす訴訟方法やそれに対応した判決方法が生じており,合衆国最高裁判所Supreme Court of the United Statesがドイツの連邦憲法裁判所と近似した憲法保障の役割を果たすようになっていることも注目される。このように,諸国の制度は,その歴史的体験から異なる制度をもつが,憲法保障という共通の目的をもっており,違憲立法審査権の役割を諸外国の例と比較して検討することは意義深い。
日本国憲法の定める違憲立法審査権がアメリカ型の付随的違憲審査制に属するものだとの理解は,今日では定着しているといってよい。最高裁判所は,警察予備隊の設置を憲法9条に違反し無効だとの判断を具体的事件と無関係に,抽象的に直接同裁判所に求めた訴訟に対し,日本の違憲審査制がドイツ型でなくアメリカ型であることを明示したし(1952年10月8日の判決),下級裁判所も具体的事件の裁判において違憲立法審査権を行使することができると理解され,実際にしばしばそれを行使している。また,最高裁判所がこの権限を行使して法律を違憲・無効とした例もある。刑法200条(1995年削除)の尊属殺重罰規定が憲法14条の法の下の平等に違反し無効とした判決(1973年4月4日),薬事法の薬局開設距離制限規定を憲法22条の保障する職業選択の自由に違反し無効と宣言した判決(1975年4月30日)がその典型例である。また,公職選挙法の議員定数配分規定が憲法14条に違反すると判断したが,その規定のもとで行われた選挙を無効とは宣言しなかった判決がある(1976年4月14日)。その判決にも表れているように,最高裁判所は,その憲法判断が最終のものであり判決の及ぼす影響力の重大であることにてらし事件の慎重な解決に配慮する。たとえば,事件の内容が高度に政治的な性格をもつことを理由に,提起された憲法問題を裁判所による審査の対象外におく手法を用いることがある(統治行為論または政治問題の法理という)。この手法に疑問をもつ学説もあるが,最高裁判所は,衆議院の解散の有効性を争う訴訟や日米安全保障条約の合憲性を争う訴訟(砂川事件)において,そのような手法によったと思われる判決を下しており,少なくとも違憲立法審査権の行使に限界があることは認めてよいであろう。また,具体的事件を解決することが裁判の目的であり,憲法判断をしなくともその目的が達せられるならば,裁判所は憲法判断を回避すべきであるという原則も存在する。あるいは,憲法判断は回避しないが,法令の解釈として複数の可能性がある場合,憲法の規定や精神に適合するような法令の解釈のほうをとるべきだとする手法(合憲限定解釈)もある。さらに,経済・社会立法の領域については政治的部門の判断を尊重し,精神的自由の制限立法に対してはそのような合憲性の推定を働かせるべきでないとの〈二重の基準double standard〉の考え方も認められる。このように,裁判所は,違憲立法審査権の行使のため種々の原則や法理論を形成しており,それらは基本的には権力分立の原理のもとで司法部が他の政治部門と権力の均衡を保ちつつ,憲法保障のためにその権限をいかに適切に行使すべきかという課題にこたえているものだといえよう。
裁判所が政治の動向や社会の状況とは無関係に法令を違憲と宣言するならば,それは説得力に欠け正しい権限行使とはいえない。そのことを違憲判決の効力との関係でもみることができる。付随的違憲審査制においては,判決の効力は当該事件についてのみ及び,違憲無効とされた法令はその事件についてのみ適用を拒否されるのである。その意味で違憲判決の効力は個別的効力をもつのであり,その法令が判決により廃止されたのと同じ一般的効力をもつとはいえない。しかし,実際には,その判決をうけて,行政・立法の両部門が対応処置をすることが望ましい。上記の尊属殺重罰規定違憲判決以後,検察は刑法200条の適用をした起訴をしなかったし,薬事法の違憲判決に対しては国会が直ちにその規定の廃止をした。このように,違憲判決の効力は個別的効力ではあるが,それに対応した政治的部門の行為によって判決の意義が生かされ,一般的効力にひとしい効果が生み出されるのである。
違憲立法審査権の行使のされ方をみて,司法の積極主義・消極主義という性格づけをする論議がある。訴訟において提起された憲法問題に入念な審査を加え裁判所の憲法判断を十分展開させた理由を示す場合を積極主義,立法府や行政府の判断を尊重し裁判所独自の判断を控える場合を消極主義とするのが妥当な性格づけだと思われるが,裁判所は,憲法問題に対処するとき,事件の性格,審査する法令の目的や手段,社会・政治の状況など種々の要素を憲法の趣旨とよくつき合わせて,そのような意味の積極主義・消極主義を巧みに採択して,違憲立法審査権の適切な行使をすることが求められている。日本の最高裁判所は,そのような適切な権限行使をしているか,あまりに消極主義の立場をとりすぎているのではないか,ということをめぐって盛んな論議が展開されている。
©2024 NetAdvance Inc. All rights reserved.