解説・用例
第一次世界大戦に敗北したドイツ帝国の崩壊後、一九一九年、ワイマールに召集された国民議会で成立したドイツ共和国憲法。国民主権、男女平等の普通選挙の承認に加えて、新たに所有権の義務性、生存権の保障などを規定し、近代の民主主義憲法の典型とされる。一九三三年のナチスの政権掌握によって消滅。
第1次大戦後のドイツ革命によってドイツ帝政は崩壊し,それに代わっていわゆるワイマール共和国が成立した。1919年1月19日の総選挙によって選ばれた国民議会が,2月6日チューリンゲンの小都市ワイマールに新しい憲法の制定を主要任務として召集され,7月31日にドイツ共和国憲法Reichsverfassungを可決した。8月11日大統領がこれを認証し,8月14日公布,この日から実施された。そこで,この憲法をワイマール憲法と呼び,その時代のドイツをワイマール共和国というのが通例である。
ワイマール憲法は,法学者フーゴー・プロイスHugo Preuss(1860-1925)の起草に基づくもので,前文および本文181条からなる法典である。本文は2編に分かたれ,第1編はドイツ国の構成と任務,第2編はドイツ人の基本権と基本義務にあてられている。いずれも,きわめて詳細な規定からなるが,統治の機構としては,典型的な議会制民主主義体制を採用し,国民の権利については,一般的な市民的自由の保障のほかに,いわゆる生存権的基本権をも保障し,形式・内容ともに20世紀の新しい憲法として諸国に知られ,また大きな影響をあたえた。
この憲法の内容についてみると,その重要な特質とみなされるものとして,第1に国民主権主義を採用していることがあげられる。憲法はまずその前文でドイツ国民がこの憲法を制定した旨を宣言したのち,1条1項で〈ドイツ国は共和国である〉といい,また同条2項は〈国家権力は国民から発する〉と定め,国民主権主義を採ることを明らかにしている。国民は主権者として,議会の議員のほかに大統領も直接これを選挙する(22,41条)。議会の議員の選挙については,普通選挙,平等選挙,直接選挙,秘密選挙が保障されている(22条)。また,大統領は,任期満了前においても議会の提案に基づき国民表決によってこれを解職することができる(43条2項)。これは議会制民主主義に直接民主制的要素を採り入れたものとして注目されるべきであるが,この憲法の採用した直接民主制の制度的表現としてはさらに憲法改正の国民投票はもとより,国民発案や国民表決に基づく直接国民立法の形態が認められていたことも(73,74,76条)指摘されなくてはなるまい。ただ,これらの直接民主制的な制度は実際にはそれほど利用されなかった。
第2の特質は,議院内閣制を憲法上の原則として採用し,これを成文化していることである。ワイマール憲法は,権力分立の要請に基づいて,行政権と立法権とをいちおう分離したといえるが,民主主義の要請に基づいて,行政権に対する民主的統制を実現するために政府と議会との間に抑制と均衡が図られている。すなわち,一方において政府を議会の信任にかからしめ,大統領の任免する宰相および国務大臣は,議会に対して責任を負い(56条),議会の信任がその在職の要件とされ(54条),また議会には大統領解職の提案権があたえられている(43条2項)のに対し,他方,国民から直接選挙される大統領は議会の解散権をもち(25条),また議会の議決した法律について意見を異にするときには国民投票に訴えることもできる(73条1項)。このように,大統領と議会とは,互いに他を牽制する権限をあたえられ,それによって議会と大統領との間に均衡の関係を保たしめようとしているところに,著しい特質があった。そして,この制度のもとに議会政治の強力な展開が期待されたのであるが,憲法の実際の運用においては大統領の解散権,宰相および国務大臣の任免権が議会に優越する力を示し,また本来国内の治安の維持回復のみを目的として認められ,めったに適用されない〈伝家の宝刀〉とみなされていた大統領の緊急命令権(48条2項)が濫発され,その結果,議院内閣制とは対照的な大統領内閣ないしは大統領の独裁制に道を開くことになった。
第3の特質は,その権利の保障にあらわれた社会国家的傾向である。そこでは,第2編として,〈ドイツ人の基本権および基本義務〉という題名のもとに,個人(109~118条),共同生活(119~134条),宗教および宗教団体(135~141条),教育および学校(142~150条)および経済生活(151~165条)の5章にわたって,諸国の憲法に類例をみないほど詳細な規定が設けられている。そこには法律の前の平等(109条),人身の自由(114条),表現の自由(118条)など,19世紀的な自由主義原理に立脚するいくたの重要な自由権的基本権とならんで,精神的および肉体的の労働の権利(157,158条),労働者および被傭者の企業経営参加権(165条)など,それまでの権利章典や人権宣言にはまったくみられなかった各種の社会的基本権(社会権)が保障されている。しかし,社会的基本権の最も著しい典型とされているのは,なんといっても第5章〈経済生活〉の冒頭に掲げられた〈人間に値する生存ein menschenwürdiges Dasein〉を保障することをもって経済秩序の基本となすべきことを定める条項(151条)であった(生存権)。これは,これまでのような〈国家からの自由〉の保障に代わって,国家による積極的な干渉,社会的弱者への国家の保護を強く要請したものであった。だが,この規定はどこまでも立法者に対する指針を定めるにとどまるものであったがために,それほど大きな実際的意義をもつものとはなりえなかった。それは,社会的基本権のもつ宿命的な弱点でもあったというべきであろう。けれども,憲法にこのような社会国家の理念が宣言されたということの思想史的意義はきわめて重大であり,これが諸国の人権宣言に大きな影響をあたえたことはいうまでもない。
このような基本的特質をもつワイマール憲法は,20世紀における最も注目すべき典型的な憲法とみなされていた。しかし,1933年1月30日のヒトラーの政権掌握とともに開始されたナチス革命--いわゆる〈国民革命〉--によってワイマール憲法はその不幸なる運命をたどることになる。すなわち,同年3月24日の授権法(正称は〈国民および国家の困難を除去するための法律〉)は政府に広大な法律制定権をあたえ,ヒトラー独裁のための基礎をつくりあげた。こうしてヒトラー政権は,ワイマール憲法を正式に廃止することなく,しかも,それをまったく無視して,合法的な手段によるナチスの独裁体制を成立させた。それによって,ワイマール憲法は国家の基本法たる実質的意味を失い,実際上,その生命を断ったといってよい。
→基本的人権 →ワイマール共和国
1919年に公布されたドイツ共和国憲法。第一次世界大戦後のドイツ革命によってドイツ帝政が崩壊したのち、普通・平等・比例選挙によって選ばれた国民議会が1919年7月31日に議決し、翌8月1日に公布された。このときの国民議会がワイマールで開かれたのでこの名がある。ワイマール憲法はビスマルク憲法と異なり、民主主義の原理のうえにたったドイツ国民の強い統一を指導理念とし、さらに社会国家的色彩をもつ憲法で、その後の世界の民主主義諸国に強い影響を与えた。
国民主権主義に立脚し、普通・平等・直接・秘密・比例代表の原理に基づいた選挙による議院内閣制を採用しながら、同時に若干の直接民主制を認め、他方、19世紀的な自由主義に基づきながら、20世紀的社会国家の立場をとっている。所有権の義務性を認め、人間に値する生存(生存権)を保障しており、それらの点で20世紀民主主義憲法の典型とされる。この優れたワイマール憲法も1933年のヒトラー政権による「授権法」をはじめとする一連の立法によって形骸(けいがい)化され、事実上廃止された。
解説・用例
第一次世界大戦に敗北したドイツ帝国の崩壊後、一九一九年、ワイマールに召集された国民議会で成立したドイツ共和国憲法。国民主権、男女平等の普通選挙の承認に加えて、新たに所有権の義務性、生存権の保障などを規定し、近代の民主主義憲法の典型とされる。一九三三年のナチスの政権掌握によって消滅。
発音
ワイマールケンポー
[ケ]
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