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  11. 聖教要録

聖教要録

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日本大百科全書(ニッポニカ)

聖教要録
せいきょうようろく

江戸前期の儒者・兵学者山鹿素行 (やまがそこう)の著書。3巻。1665年(寛文5)成立、翌年刊行。本書に先だち素行の門人たちによって『山鹿語類』が編纂 (へんさん)されていたが、本書はその巻33から巻43までの「聖学篇 (へん)」を抜粋要約したもの。刊行により、本書は幕府から「不届成 (ふとどきなる)書物」とされ、素行は播磨 (はりま)赤穂 (あこう)に配流されることになる。本書において、かつて自らも信奉したこともある朱子学は批判され、「周公・孔子を師として、漢 (かん)・唐 (とう)・宋 (そう)・明 (みん)の諸儒を師とせず」とする古学転回後の素行学が体系的に展開され、「聖人」「道」「理」「徳」「誠」「天地」「性」「心」「道原」など28の重要語句に対して、簡にして要を得た説明がなされている。天地に則 (のっと)り、人物の情にもとることなく、事業・法礼を廃棄せず、性心をもてあそぶことなく具体的な教えを述べるもの、と自ら示した「聖学」(素行学)の核心はほぼ本書に尽きているのであり、その意味において本書は「素行学原論」とでも称すべきものである。

[佐久間正]



世界大百科事典

聖教要録
せいきょうようろく

江戸前期の儒者山鹿素行の著書。3巻。1665年(寛文5)刊。朱子学批判を含む文献としては日本で最初のもの。本書は後世の儒者の意見を退けて直接聖人の言葉につくことを眼目として〈聖学〉(儒学)について説いたものであるが,その朱子学批判が山崎闇斎を通じて朱子学を奉じていた将軍補佐役保科正之の怒りを買い,翌年〈不届きなる書物〉を著したとして赤穂浅野家に預けられ,その後の10年を赤穂で送ることを強いられた。《素行全集》《日本思想大系》所収。
[田原 嗣郎]

[索引語]
山鹿素行
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1. 聖教要録
日本大百科全書
江戸前期の儒者・兵学者山鹿素行やまがそこうの著書。3巻。1665年(寛文5)成立、翌年刊行。本書に先だち素行の門人たちによって『山鹿語類』が編纂へんさんされてい
2. 聖教要録
世界大百科事典
江戸前期の儒者山鹿素行の著書。3巻。1665年(寛文5)刊。朱子学批判を含む文献としては日本で最初のもの。本書は後世の儒者の意見を退けて直接聖人の言葉につくこと
3. せいきょうようろく[セイケウエウロク]【聖教要録】
日本国語大辞典
江戸前期の儒学書。三巻。山鹿素行著。寛文五年(一六六五)成立。「山鹿語類」四五巻からの抜粋で、漢唐の訓詁学、宋の性理学、陽明学を排して、経書を直接に解釈して孔孟
4. せいきょうようろく【聖教要録】
国史大辞典
意向にもとづくものであったと推測されている。→山鹿素行(やまがそこう) [参考文献]広瀬豊『聖教要録』解題(『山鹿素行集』六)、堀勇雄『山鹿素行』(『人物叢書』
5. 『聖教要録』
日本史年表
1665年〈寛文5 乙巳〉 この年 山鹿素行 『聖教要録』 刊。
6. 聖教要録(著作ID:340669)
新日本古典籍データベース
せいきょうようろく 山鹿 素行(やまが そこう) 漢学 寛文五序
7. あこうじょうあと【赤穂城跡】兵庫県:赤穂市/赤穂城下
日本歴史地名大系
素行が禄一千石で仕官した。この間「武教要録」「修教要録」「治教要録」を執筆し、寛文六年には「聖教要録」等の著書で幕府の禁忌に触れて浅野氏に預けられ、著述に励みな
8. 江戸時代(年表)
日本大百科全書
このころ陶工の野々村仁清活躍1665(寛文5)山鹿素行『山鹿語類』『聖教要録』。このころ浅井了意『京雀』刊行1666(寛文6)10月 山鹿素行『聖教要録』の筆禍
9. 甲子夜話三篇 2 117ページ
東洋文庫
者に候間、覚悟如レ左記置候。蒙当三千歳之今→大明周公孔子之道→猶欲レ糺二吾誤於天下→開二板『聖教要録』一之処、当時俗学腐儒、不レ修レ身、不レ勤二忠孝→況天下国家
10. 甲子夜話三篇 2 119ページ
東洋文庫
朱⑯年四十後、有レ疑二於理気心性之説4以二先レ是所レ著経解数種→悉焼レ之。寛文六年春、著二『聖教要録』三巻→刊二行干世→非二斥程朱→弁駁排諺、無忌憚岨其意蓋在レ
11. 甲子夜話三篇 2 120ページ
東洋文庫
御草案如レ例拝覧仕候。おもしろき事ども多く珍  重仕候。御文辞聯も可二申上一儀無二御坐一候。  一、『聖教要録』は定めて御収蔵可レ被レ成御坐候  と奉レ存候。い
12. 甲子夜話三篇 2 202ページ
東洋文庫
用みしと云。〔畜 極月(天保六)の中ば、響に林子の請に因ること育て、八世洲河岸の愛日楼を訪ひ、素行が『聖教要録』を携へ示したる。語話の中に、主人〔捨蔵〕の日。会
13. 甲子夜話三篇 2 207ページ
東洋文庫
全く堀内の祖師に祈願の霊験なり連、是よりして感応寺新建も創りしと云。思ふに邪説耳。〔一〇〕 響に素行の『聖教要録』のことを、著書に録
14. 甲子夜話三篇 2 208ページ
東洋文庫
此ことを肥州 とも談決して、林子に書を遣し、誰そ代として来ら しめよと云たれば、其答に、  『聖教要録』之儀に付、八之助差上候様にとの事  承知仕候。近日さし上
15. 甲子夜話三篇 2 209ページ
東洋文庫
林子の自書あり。日〔先予が書を挙て、彼の書を次に記す〕。 扱は先頃より御沙汰被レ下候山鹿之『聖教要録』 云云、頃日追々申述候通之処、一斎え御示被レ下候 御旨、昨
16. 甲子夜話三篇 2 211ページ
東洋文庫
『残筆』の所レ記、素行御轡を蒙しは、其六年〔丙午)十月なり。『先哲叢談』の所載は、寛文六年春、著一『聖教要録』三巻一刊一一行子世4これ等に拠れば、前年冬より其業
17. きんせい【近世】画像
国史大辞典
ていたことも、その研究の発展にとって有利な条件であった。ただしこの点に関しては、山鹿素行が『聖教要録』を著わして朱子学を批判したため寛文六年(一六六六)に幕府の
18. きんせいしゃかいけいざいがくせつたいけい【近世社会経済学説大系】
国史大辞典
・物価余論・物価余論簽書・復古法・垂統秘録・混同秘策 山鹿素行集(内田繁隆解題) 謫居童問・聖教要録・山鹿語類・中朝事実・配所残筆 二宮尊徳集(八木沢善次解題)
19. 近世の日本・日本近世史 52ページ
東洋文庫
あるが、朱子の説にも穏当ならざる所あるを悟り、晩年に『大疑録』を著わした貝原益軒、ならびに『聖教要録』を著わして、孔子没して聖人の統ほとんど尽くと唱えた山鹿素行
20. 近世の日本・日本近世史 54ページ
東洋文庫
すなわち日本を中心として考えていたという事、それからして彼が『聖教要録』のために罪を受けた次第などをもよく説かれております。素行の『聖教要録』、益軒の『大疑録』
21. 近世の日本・日本近世史 237ページ
東洋文庫
ぶもの。後の二著にくらべて小篇であるが、内容は充実していて少しも遜色はない。素行全集のほか『聖教要録』と共に岩波文庫にも収められている。本書の刊本は数種あるが、
22. 慊堂日暦 3 146ページ
東洋文庫
十六歳にて北条安房守氏長に従って韜略を学ぶ。氏長は小幡勘兵衛景憲の弟子なり。四十以後は程朱理気心性の説を疑い、聖教要録を著してこれを非斥す。禄千石を以て赤穂侯浅
23. こくみんせいしんぶんかけんきゅうじょ【国民精神文化研究所】
国史大辞典
長) (二)武教全書・武教要録 (三)修教要録 (四)・(五)武教七書諺義 (六)中朝事実・聖教要録・謫居童問 (七)家譜年譜・年譜資料・東海道日記・東山道日記
24. 新編 日本思想史研究 村岡典嗣論文選 448ページ
東洋文庫
~1942.9.30)。津田左右吉の後任。聴講者に丸山真男。六月十八日 校訂書・山鹿素行著『聖教要録・配所残筆』(岩波文庫) 十月二十八日『増訂日本思想史研究』
25. じだいのとくしょく【時代の特色】 : 近世
国史大辞典
ていたことも、その研究の発展にとって有利な条件であった。ただしこの点に関しては、山鹿素行が『聖教要録』を著わして朱子学を批判したため寛文六年(一六六六)に幕府の
26. せい‐じょう[‥ジャウ]【性情】
日本国語大辞典
之所〓之也。性情也。雅正也」*聖教要録〔1665〕下・心「古人指〓性情
27. 先哲叢談 201ページ
東洋文庫
その外此赦  に逢ふもの若干なり」o (5) 山鹿素行(元和八・=ハ…1貞享二・一六八五)。  『聖教要録』(寛文五年刊)により配流。第三条遷庵、博学にして著書
28. 増補 世界の一環としての日本 1 151ページ
東洋文庫
の主張をねらつてゐるといふことを見落としてはならぬ。学者が学問に泥み、「学の蔽」(山鹿素行「聖教要録」)を覚らず、学が「知の戦」(西周「知論」)であることを忘れ
29. たっきょどうもん【謫居童問】
国史大辞典
仮名交り文で書かれているが、児童を対象とする初学者用の平易な啓蒙書ではなく、三年前に成った『山鹿語類』『聖教要録』よりも古学的、実学的聖学が要領よく明快に説かれ
30. にち‐よう【日用】
日本国語大辞典
日用之常を行を礼と云」*清原国賢書写本荘子抄〔1530〕七「日用の間命をもて、規矩法度とせず」*聖教要録〔1665〕中・道「道有〓
31. にほんかがくこてんぜんしょ【日本科学古典全書】
国史大辞典
『日本科学古典全書』」が収められている。刊行巻の収載書目は次のとおりである。 1科学思想篇 聖教要録(山鹿素行)・多賀墨郷君にこたふる書(三浦梅園)・戯示学徒(
32. 日本教育史 2 23ページ
東洋文庫
純粋の朱子学者にあらず。徳川氏にては、専ら朱子学を尊び、霊元天皇の寛文六年には、山鹿高祐が、聖教要録を著し、朱子の学を駁し、之を刊行するを以て、幽囚せられ、光格
33. にほんしそうたいけい【日本思想大系】
国史大辞典
(中国弁(同)・中国論集(佐藤直方))・学談雑録(同)・雑談筆記(若林強斎) 32山鹿素行 聖教要録・山鹿語類(巻二一・三三・四一)・配所残筆 33伊藤仁斎・伊
34. にほんりんりいへん【日本倫理彙編】
国史大辞典
大塩中斎(平八郎)『古本大学刮目』『儒門空虚聚語』など四種を収録。古学派の部の第四巻は山鹿素行『聖教要録』など四種、第五巻は伊藤仁斎『語孟字義』『童子問』『仁斎
35. はんこう【藩校】 : 弘前藩
国史大辞典
古所・漢英学寮・医学校の設置など時勢に応じた学問が奨励された。儒学教科書のほか『中朝事実』『聖教要録』『稽古館暦』などが刊行されている。
36. 筆禍
世界大百科事典
あるように,木版印刷が盛行する江戸時代初期から,出版物の取締りがはじまっている。山鹿素行が《聖教要録》,林子平が《海国兵談》により,それぞれ幕府から処罰をうけた
37. ひろさきはん【弘前藩】画像
国史大辞典
古所・漢英学寮・医学校の設置など時勢に応じた学問が奨励された。儒学教科書のほか『中朝事実』『聖教要録』『稽古館暦』などが刊行されている。 [参考文献]『弘前市史
38. 山鹿素行
日本大百科全書
『語類』聖学篇へんの要約ともいえる1665年(寛文5)に著された『聖教要録』では、古学転回後の素行学が体系的に展開された。しかし『聖教要録』は「不届成ふとどきな
39. 山鹿素行
世界大百科事典
過ぎるころから,当時の儒学の主流であった朱子学に疑問をもつようになり,65年(寛文5)には《聖教要録》を著して朱子学を批判したが,〈不届なる書物〉を刊行したとの
40. やまが‐そこう【山鹿素行】
日本国語大辞典
大名・旗本に兵学の弟子が多かった。赤穂藩江戸屋敷に仕えて朱子学を奉じたが、後、古学を提唱し、朱子学を批判した「聖教要録」によって赤穂に配流された。延宝三年(一六
41. やまがそこう【山鹿素行】
国史大辞典
聖学あるいは聖教とよび、翌年から門人に大部の『山鹿語類』を編集させるとともに、その新しい学問の理論を『聖教要録』にまとめ、同五年に刊行した。このため翌年十月には
42. やまが-そこう【山鹿素行】
日本人名大辞典
のり),北条氏長に武芸,兵学をまなぶ。「武教全書」などをあらわし山鹿流兵学を完成。寛文5年「聖教要録」で朱子学を批判し,播磨(はりま)(兵庫県)赤穂(あこう)藩
43. 山鹿素行[文献目録]
日本人物文献目録
行の国体観』納富康之『近世日本経済倫理思想史』東晋太郎『「聖教要録」 解説』三枝博音『山鹿素行 経済道義の創建者』東晋太郎『聖教要録』宇野哲人『山鹿素行』堀勇雄
44. やまがりゅう【山鹿流】
国史大辞典
離れなかった。素行の学は古学といわれ、日本の古代、中国の易学にさかのぼって、その深源を探究した。著書『聖教要録』は朱子学を基準とする幕府の忌諱に触れ、寛文六年(
45. ゆうほうどうぶんこ【有朋堂文庫】
国史大辞典
中江藤樹文集 翁問答・鑑草・藤樹先生精言・文武問答・藤樹先生遺稿・藤樹先生書簡雑著 山鹿素行文集 聖教要録・武教小学・士道・中朝事実・配所残筆 集義和書(熊沢蕃
46. れい‐ちょう[‥チャウ]【霊長】
日本国語大辞典
ni (レイチャウニ) ツクリタマイ」*聖教要録〔1665〕上・知至「人者万物之霊長也。有
47. 【山鹿素行】やまがそこう(かう)
新選漢和辞典Web版
学び、北条氏長(ほうじょううじなが)に兵学を学んだ。朱子学を疑って、赤穂(あこう)に流された。「聖教要録」「中朝事実」などの著がある。(一六二二~一六八五)
48. 1665年〈寛文5 乙巳〉
日本史年表
朱舜水 を招請(水戸紀年)。 近衛基熙、 『基熙公記』 を記す(~享保7年8月)。 山鹿素行 『聖教要録』 刊。 【死没】 3・20 黒田長興(56、筑前秋月
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聖教要録(日本大百科全書・世界大百科事典)
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