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コロボックル

ジャパンナレッジで閲覧できる『コロボックル』の日本大百科全書・世界大百科事典のサンプルページ

日本大百科全書(ニッポニカ)

コロポックル
ころぽっくる

アイヌの小人説話。コロボックルともいう。コロポックルは穴の中に住んでいる小さな人であったと伝える。1枚のフキの葉の下に10人入れるほどであった。ササの葉を縫い合わせてつくった小船で漁に出る。ニシンが釣り針にかかると、5艘 (そう)、10艘の船が力をあわせて陸に引き上げ、大ぜいで棍棒 (こんぼう)や槍 (やり)で殺した。大きなクジラもとる、神様のような人たちであったという。コロポックルとは、フキの葉の下に住む人を意味するといわれるが、本来は「下に住む人」ということで、穴に住む人をさしたものという。樺太 (からふと)(サハリン)ではトチ・ウン・グル(土の家に住む人)とよぶ。北海道にも、宗谷 (そうや)や釧路 (くしろ)などに、「土の家をもつ神」とよばれる穴に住む小人の伝えがある。宗谷では、小人は他の種族に会うことをひどく嫌い、しかもすばしっこいので、どんな顔をしているかわからないという。子供のような声を出し、アイヌの家の窓の下や入口にきて、魚や薪 (たきぎ)などを与え、ときにはアイヌの品物と交換した。あるとき、アイヌが小人の手をとって家に引き入れると、裸の女の小人で、口の周りや手にいれずみをしていた。樺太へでも渡ったのか、それ以来、小人は現れなくなったという。宗谷の泊内 (とまりない)には小人の築いた小屋の跡という所もあり、アイヌのいれずみは小人から学んだものであるともいう。各地の伝えもほぼ共通する。先住民の印象を伝える説話というよりは、むしろ、小人を森林の先住者とする伝承の一例とみるべきであろう。

 なお、日本人の起源をめぐって、明治時代中ごろに坪井正五郎らによってコロポックル論争が展開されたが、明確な結論は得られなかった。

[小島瓔〓]



世界大百科事典

コロボックル

アイヌの口碑伝承に先住民として出てくる〈蕗の下の人〉という意味の小柄な人々(〈蕗で拭いた屋根の下に住む人々〉との解釈もある)。すでに江戸時代末から日本の先住民の候補としてその名が取りざたされていたが,明治時代に入り,J.ミルンがコロボックルを日本の先住民であるとし,次いで渡瀬庄三郎が《人類学会報告》第1号(1886)で,札幌近郊の竪穴はコロボックルの住居だと発表し,坪井正五郎も同号で,日本の先住民である蝦夷はアイヌに限らないとして渡瀬に賛意を示した。アイヌを先住民と考える白井光太郎は,これらを論拠不足として厳しく批判し,後に小金井良精(よしきよ)らも加わってアイヌ・コロボックル論争と呼ばれる激しい論争を繰り広げた。この中で坪井が主張したコロボックル説は,E.S.モースのプレ・アイヌ説(日本にはかつてプレ・アイヌと呼ぶべき先住民がおり,それが後にアイヌと置換し,そしてそのアイヌがさらに日本人と置換した,とする考え)を引き継いだものともされるが,坪井は自身でも調査したアイヌの伝承などを基に,かつて北海道や内地には土器,石器を作りながら竪穴住居に住む小柄なエスキモーに似た人々(コロボックル)がいたが,後来のアイヌもしくは日本人に追われて姿を消した,と主張した。しかし,やがて鳥居竜蔵による北千島列島の調査によって,アイヌも最近まで土器や石器を作り,竪穴住居にも住んでいた事実が明らかにされてこの説は主たる論拠を失い,1913年に坪井正五郎がロシアのペテルスブルグで客死してからは急速に廃れた。
[中橋 孝博]

[索引語]
アイヌ 渡瀬庄三郎 坪井正五郎 アイヌ・コロボックル論争 コロボックル論争 プレ・アイヌ説 鳥居竜蔵
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検索コンテンツ
1. コロボックル
世界大百科事典
たが,明治時代に入り,J.ミルンがコロボックルを日本の先住民であるとし,次いで渡瀬庄三郎が《人類学会報告》第1号(1886)で,札幌近郊の竪穴はコロボックルの住
2. ころぼっくる【コロボックル】
日本架空伝承人名事典
姿を見られることを極端に嫌った。ある時、アイヌが蕗の葉の下に見えたコロボックルの手を取って家に引き入れると、裸の女のコロボックルで、口の回りや手の甲に入墨があっ
3. コロボックルせつ【コロボックル説】
国史大辞典
もつことから今日のアイヌとは異なる、これに対しアイヌの伝承にあるコロボックルはやはり竪穴に住み、土器・石器をもつ点で共通するとし、コロボックルの体型と生活を、土
4. アイヌじんせつ【アイヌ人説】
国史大辞典
イヌではなく、アイヌの伝説にあるコロボックルであると考えコロボックル説を唱えた。明治時代の後半においてはこの両説が対抗して論争されたが、大正時代にはコロボックル
5. いし‐きり【石錐】
日本国語大辞典
で作り、先端を鋭くとがらせ、穴をあけるのに用いる。せきすい。*風俗画報‐九九号〔1895〕コロボックル風俗考第六回「第一類に属するものを、打製石斧、石槍、石鏃、
6. いし‐さじ【石匕・石匙】
日本国語大辞典
江戸時代には天狗の飯匙(めしさじ)とよばれた。石小刀。せきひ。かわはぎ。*風俗画報‐九九号〔1895〕コロボックル風俗考第六回「第一類に属するものを、打製石斧、
7. いし‐やり【石槍】
日本国語大辞典
長さは六~二〇センチメートル。槍として用いたと思われる。せきそう。*風俗画報‐九九号〔1895〕コロボックル風俗考第六回「第一類に属するものを、打製石斧、石槍、
8. うずら‐がい[うづらがひ]【鶉貝】
日本国語大辞典
る。殻は貝細工の材料にする。学名はTonna perdix *風俗画報‐九五号〔1895〕コロボックル風俗考「貝塚より出でたる動物的遺物にして其軟部は食用に供さ
9. えぞ‐にゅう
日本国語大辞典
924〕〈宮沢賢治〉樺太鉄道「おお満艦飾のこのえぞにふの花、月光いろのかんざしは、すなほなコロボックルのです」エゾニュー
10. かいづかやまいせき【貝塚山遺跡】埼玉県:富士見市/鶴馬村地図
日本歴史地名大系
。これら東京帝国大学の調査と鉄刀・人骨の発見を記念して、貝塚がコロボックル人の残したものと記載した貝塚稲荷旧跡碑(通称コロボックルの碑)が大正元年(一九一二)に
11. ぎょろっ‐と
日本国語大辞典
ス〔1909〕〈森鴎外〉「ぢいさんもおれの方を見た。〈略〉目はぎょろっとしてゐて」*童謡・コロボックル〔1941〕〈巽聖歌〉「目ばかり、ぎょろっと 見てござらっ
12. げんにほんじんせつ【原日本人説】
国史大辞典
縄文時代人について、清野謙次が唱えた説で、混血説ともいう。それまで縄文時代人について、坪井正五郎のコロボックル説、小金井良精のアイヌ説があった。縄文時代人骨の計
13. 小金井良精
世界大百科事典
的文献のひとつとなっている。このアイヌ研究を基礎として,当時有力であった,日本石器時代人=コロボックル説を鋭く批判し,日本石器時代人=アイヌ説を唱道した。主要な
14. 小人(こびと)
世界大百科事典
矮人化されて天界を追放された神的存在。(2)太古の人類の生き残りとしての小人伝説。アイヌのコロボックル伝説やメキシコのツォツィル原住民のコンチャベティック伝説な
15. こまごめにしかたまち【駒込西片町】東京都:文京区/旧本郷区地区地図
日本歴史地名大系
の阿部家が町の土地の大部分を所有し、貸家経営を行った。住民には学者や官吏が多く、人類学者でコロボックル説を唱えた坪井正五郎、明治の文豪夏目漱石、工業教育を推進し
16. コロポックル
日本大百科全書
アイヌの小人説話。コロボックルともいう。コロポックルは穴の中に住んでいる小さな人であったと伝える。1枚のフキの葉の下に10人入れるほどであった。ササの葉を縫い合
17. コロポックル
日本国語大辞典
ポックル説を唱えた。*風俗画報‐九一号〔1895〕コロボックル風俗考「コロボックルの衣服に付きては口碑甚不完全なり。或地のアイヌはコロボックルの男子は裸体なりし
18. 佐藤さとる
日本大百科全書
それもしだいに忘れ、やがて青年となり迎えた終戦、僕は引かれるようにふたたび小山へ出かけ小人たち(コロボックル)の国を守るために力を貸していく。この作品は物語性に
19. さとう-さとる【佐藤さとる】
日本人名大辞典
1928− 昭和後期-平成時代の児童文学作家。昭和3年2月13日生まれ。平塚武二に師事。昭和34年「コロボックル物語」の第1作「だれも知らない小さな国」が本格的
20. しし‐がい[‥がひ]【─貝】
日本国語大辞典
〔名〕鳥貝のような貝の一種。〔日葡辞書{1603~04}〕*風俗画報‐九五号〔1895〕コロボックル風俗考「貝の類 〈略〉ほたてがひ ししがひ」貝、さるぼお(猿
21. じょうもんじだいじん【縄文時代人】
国史大辞典
日本人の直接の祖型と考えるのも無理ではないとしている。→アイヌ人説,→原日本人説(げんにほんじんせつ),→コロボックル説 [参考文献]鈴木尚『日本人の骨』(『岩
22. 縄文文化画像
世界大百科事典
会組織・構造などを反映しているものとみられる。 縄文人 坪井正五郎はアイヌの伝説に登場するコロボックル(フキの下の小人を意味する)こそが縄文文化の担い手であり,
23. じんしゅ【人種】 : 日本
国史大辞典
アイヌ人説がある。同じころ、坪井正五郎はアイヌのユーカラに出てくるコロボックルが、日本の先住民であるとするいわゆるコロボックル説を唱え、小金井良精のアイヌ人説と
24. せき‐ぞく【石鏃】画像
日本国語大辞典
石鏃六枚〓」*風俗画報‐九九号〔1895〕コロボックル風俗考第六回「第一類に属するものを打製石斧、石槍、石鏃、石錐、石匕等とす」*社会百面相〔1
25. せき‐ふ【石斧】画像
日本国語大辞典
みがき上げた磨製石斧の二種があり、用途に応じて形もさまざまである。*風俗画報‐九九号〔1895〕コロボックル風俗考・六「第一類に属するものを、打製石斧、石愴、石
26. だ‐せい【打製】
日本国語大辞典
〔名〕打ってつくること。石をたたきわって器具をつくること。*風俗画報‐九九号〔1895〕コロボックル風俗考第六回「器具 〈略〉製法(打製、磨製等)功用(利器、容
27. 坪井正五郎
日本大百科全書
、栃木県足利あしかが古墳の発掘で古墳研究の端緒を開いたこと、日本先住民はアイヌの伝説に残るコロボックル(コロポックル)であるとしてアイヌ説に対する論陣を張ったこ
28. 坪井正五郎
世界大百科事典
おもな業績としては,埼玉県吉見などの横穴群の研究や石器時代貝塚の研究がある。日本石器時代人=コロボックル説を唱え,小金井良精らのアイヌ説と対立したが,今日では過
29. つぼい‐しょうごろう【坪井正五郎】
日本国語大辞典
考古学、人類学を学び、人類学会を創設。のち会長となり、わが国の人類学の発展に寄与した。そのコロボックル説は有名。帝国大学理科大学教授。文久三~大正二年(一八六三
30. つぼいしょうごろう【坪井正五郎】
国史大辞典
講義したが、これは文科系の大学で考古学を講義した最初のものであった。研究発表の中、先住民族コロボックル説や吉見百穴住居論などを主張し学界を刺戟したが、『埴輪考』
31. つぼい-しょうごろう【坪井正五郎】画像
日本人名大辞典
明治17年東京人類学会を創設。欧米に留学後,帝国大学教授。人類学,考古学の発展につくし,日本先住民コロボックル説で知られる。大正2年5月26日死去。51歳。江戸
32. 坪井正五郎[文献目録]
日本人物文献目録
郎先生の生誕百年の記念行事にちなんで』斎藤忠『坪井正五郎博士の思い出』片口江東『坪井博士とコロボックル論』八木奘三郎『坪井理学博士より興学会員への書簡』-『理学
33. てみやどうくつ【手宮洞窟】北海道:後志支庁/小樽市/手宮村
日本歴史地名大系
「銘刻」が鋭利な道具もしくは石斧で施されたものであることを指摘している。明治一九年の渡瀬荘三郎の報告はのちコロボックル論争とよばれた日本列島石器時代の担い手をめ
34. 東京年中行事 1 3ページ
東洋文庫
あったということはそこに沢山の古墳があったことを証明する。すなわち太古の時代に於ていわゆるコロボックル人種が沢山に住まっていたという証拠はそこにあるという。 そ
35. 東京年中行事 1 4ページ
東洋文庫
。  三 コロボックル人種 コロポックルはアイヌ語で蕗    の下に住む人の意。坪井正五郎が、わが国の原住    民アイヌ説を否定して、別の民族を想定し、それ 
36. どうさかかいづか【動坂貝塚】東京都:文京区/旧本郷区地区/下駒込村地図
日本歴史地名大系
尊が修繕された際に縄文時代の遺物が発見された。このときには坪井正五郎が鑑定、日本太古の人類コロボックルが残したとして「太古の遺跡」碑も建立されている。しかしその
37. にほん【日本】
国史大辞典
アイヌ人説がある。同じころ、坪井正五郎はアイヌのユーカラに出てくるコロボックルが、日本の先住民であるとするいわゆるコロボックル説を唱え、小金井良精のアイヌ人説と
38. ぷいっ‐と
日本国語大辞典
〔副〕「ぷいと(2)」に同じ。*童謡・コロボックル〔1941〕〈巽聖歌〉「憤(おこ)ってぷいっと、どこかへ行ってしまはしゃったげな」
39. 妖精
日本大百科全書
スカンジナビアの醜悪・巨大なトロール、そしてわが国のすだま(木の精や山の霊)、アイヌ伝説のコロボックルなども妖精と考えられよう。 イングランドのロビン・グッドフ
40. 吉見百穴
世界大百科事典
表的な横穴墓群である。古くからその所在は知られていたが,1887年坪井正五郎が発掘調査し,コロボックルの住居跡として発表して以来,住居説,墳墓説の論争の舞台とな
41. 【総論】埼玉県地図
日本歴史地名大系
こうした巨大古墳に対比されるものに吉見町の吉見百穴に代表される横穴墓群がある。この穴は発見当初は、先住民コロボックルの住居跡ではないかとする説が一時流布された。
42. ワイドインタビュー問答有用 /832 “鉱物女子”=さとうかよこ・きらら舎オーナー
週刊エコノミスト 2021-22
 他にも、佐藤さとるさんの童話で、体重1グラムの男の子が主人公のコロボックルシリーズが好きで、絶対に私の周りにもコロボックルがいると信じるような空想癖が強い子
「コロボックル」の情報だけではなく、「コロボックル」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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