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  11. 源平布引滝

源平布引滝

ジャパンナレッジで閲覧できる『源平布引滝』の新版 歌舞伎事典・日本大百科全書・世界大百科事典のサンプルページ

新版 歌舞伎事典

源平布引滝
げんぺいぬのびきのたき
 人形浄瑠璃。時代物。五段。正本の作者署名は並木千柳、三好松洛。番付には作者竹田外記の名も加わる。寛延二(1749)年一一月大坂・竹本座初演。三段目切は二世政太夫、実盛さねもりの人形は初世吉田文三郎初演。《平家物語》を題材とする人形浄瑠璃の代表作の一つ。《源平布引滝》の外題は、すでに享保一八(1733)年大坂・嵐三右衛門座で演じられているが、本作との内容的つながりは不詳。二段目切〈義賢よしかた最期〉には、立作者並木千柳(宗輔)が歌舞伎作者時代に書いた《大門口鎧襲よろいがさね》(寛保三年)における初世沢村宗十郎の斎藤庄九郎の芸が採り入れられている。
【初段】源義朝滅亡後、平清盛は暴威を振るい、重盛の諫言もきかず、帝を鳥羽離宮へ押し込める。
【二段】義朝の弟木曾先生せんじょう義賢は、娘待宵と多田蔵人行綱に、帝を離宮から奪い取り源氏再興を計るよう言い含め、懐胎の妻葵御前を、近江の百姓九郎助に託した上、平家の討手を引き受け、壮烈な死を遂げる。
【三段】九郎助の娘小万は、義賢から源家重代の白旗を預かり、平家方に追われて琵琶湖を泳ぎ、宗盛の御座船に引き上げられるが、平家の侍で源氏に心を寄せる斎藤別当実盛は、白旗が平家に奪われるのを恐れて、小万の片腕を切り落とす。小万は死に、念力通じて白旗は葵御前の手に戻る。平家方は九郎助が匿う葵御前の懐胎の子を殺そうとして、瀬尾十郎、斎藤実盛を詮議に遣わすが、実盛の情ある計らいで、無事に男子が誕生し、駒王丸と名付けられ、後に木曾義仲となる。瀬尾は小万の生みの親と知って、自ら小万の子手塚太郎に討たれ、実盛は手塚に、将来戦場で再会する時、白髪を染め、若やいで勝負しようと約束して別れる。三段目切〈実盛物語・綿繰馬〉は、無常観を主題とする渋い西(竹本座)風の名曲。歌舞伎の実盛は、〈生締なまじめ物〉の代表的な役で、人形浄瑠璃より派手な演出を見せる。菊五郎型、団蔵型などについて杉贋阿弥著《舞台観察手引草》に詳しい。
[内山 美樹子]


日本大百科全書(ニッポニカ)

源平布引滝
げんぺいぬのびきのたき

浄瑠璃義太夫節 (じょうるりぎだゆうぶし)。時代物。5段。並木千柳 (せんりゅう)、三好松洛 (しょうらく)作。1749年(寛延2)11月、大坂・竹本座初演。『源平盛衰記』などに取材して、源義朝 (よしとも)の滅亡後、その弟木曽先生義賢 (きそのせんじょうよしかた)の遺児駒王丸 (こまおうまる)が成人して木曽義仲 (よしなか)となり、多田行綱 (ただゆきつな)の加勢によって再挙するまでを脚色。題名は、摂州(兵庫県)布引滝に平家滅亡の神託が現れる話(初段)に由来する。二段目(義賢最期)は、清盛の追っ手に囲まれた義賢が、奴折平 (やっこおりへい)実は多田行綱に後事を託し、その女房小万 (こまん)に源氏の白旗を預けて自刃するまで。三段目は小万が琵琶 (びわ)湖を泳いで渡る途中、平家の船にみつけられるが、源氏にゆかりの斎藤実盛 (さねもり)が小万の腕を旗ぐるみ切り落とす「湖上御座船 (ござぶね)」のあと、有名な「九郎助 (くろすけ)住家」になる。義賢の妻葵 (あおい)御前が懐妊の身を小万の養父百姓九郎助にかくまわれていると、実盛と敵役 (かたきやく)の瀬尾 (せのお)十郎が詮議 (せんぎ)にくるが、実盛は誕生の駒王丸を機知によって見逃してやり、死んだ小万を実のわが子と知った瀬尾は、わざと孫の太郎吉に討たれる。捌 (さば)き役の実盛が小万を切った事情を、朗々たる台詞 (せりふ)回しと美しい型にのせて表現するところが眼目なので「実盛物語」ともよばれ、歌舞伎 (かぶき)でも人気のある演目。なお四段目には、行綱が琵琶法師松波検校 (まつなみけんぎょう)となって平家をねらい、娘小桜 (こざくら)が責められるのを耐えつつ琵琶を弾ずる「松波琵琶」がある。

[松井俊諭]



世界大百科事典

源平布引滝
げんぺいぬのびきのたき

人形浄瑠璃。時代物。5段。正本の作者署名は並木千柳(並木宗輔),三好松洛。番付には作者竹田外記の名も加わる。1749年(寛延2)11月大坂竹本座初演。三段目切は2世政太夫,実盛の人形は初世吉田文三郎初演。《平家物語》を題材とする人形浄瑠璃の代表作の一つ。《源平布引滝》の外題は,すでに1733年(享保18)大坂嵐三右衛門座で演じられているが,本作との内容的つながりは不詳。二段目切〈義賢最期〉には,立作者並木千柳が歌舞伎作者時代に書いた《大門口鎧襲(よろいがさね)》(1743)における初世沢村宗十郎の斎藤庄九郎の芸が採り入れられている。

 (1)初段 源義朝滅亡後,平清盛は暴威を振るい,重盛の諫言もきかず,帝を鳥羽離宮へ押し込める。(2)二段目 義朝の弟木曾先生(せんじよう)義賢は,娘待宵と多田蔵人行綱に,帝を離宮から奪い取り源氏再興を計るよう言い含め,懐胎の妻葵御前を,近江の百姓九郎助に託したうえ,平家の討手を引き受け,壮烈な死を遂げる。(3)三段目 九郎助の娘小万は,義賢から源家重代の白旗を預かり,平家方に追われて琵琶湖を泳ぎ,宗盛の御座船に引き上げられるが,平家の侍で源氏に心を寄せる斎藤別当実盛は,白旗が平家に奪われるのを恐れて,小万の片腕を切り落とす。小万は死に,念力通じて白旗は葵御前の手に戻る。平家方は九郎助がかくまう葵御前の懐胎の子を殺そうとして,瀬尾十郎,斎藤実盛を詮議に遣わすが,実盛の情けある計らいで,無事に男子が誕生し,駒王丸と名付けられ,のちに木曾義仲となる。瀬尾は小万の実父と知って,みずから小万の子手塚太郎に討たれ,実盛は手塚に,将来戦場で再会するとき,白髪を染め,若やいで勝負しようと約束して別れる。三段目までがしばしば上演される。三段目切〈実盛物語・綿繰馬〉は,無常観を主題とする渋い西(竹本座)風の名曲。歌舞伎の実盛は思慮分別に富み度量のある武士の役柄。〈生締(なまじめ)物〉(油で棒状に固めた髷(まげ)の〈生締〉という鬘(かつら)を用いるのでこう通称される)の代表的な役で,人形浄瑠璃より派手な演出を見せる。菊五郎型,団蔵型などについて杉贋阿弥著《舞台観察手引草》に詳しい。
[内山 美樹子]

[索引語]
並木千柳 並木宗輔 三好松洛 竹田外記 小万 斎藤実盛 舞台観察手引草
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検索コンテンツ
1. げんぺいぬのびきのたき【源平布引滝】
日本国語大辞典
浄瑠璃。時代物。五段。並木千柳・三好松洛合作。寛延二年(一七四九)大坂竹本座初演。「平家物語」「源平盛衰記」を素材とし、木曾義仲の生い立ちや斎藤実盛、多田行綱ら
2. 源平布引滝
日本大百科全書
浄瑠璃義太夫節じょうるりぎだゆうぶし。時代物。5段。並木千柳せんりゅう、三好松洛しょうらく作。1749年(寛延2)11月、大坂・竹本座初演。『源平盛衰記』などに
3. 源平布引滝
世界大百科事典
三段目切は2世政太夫,実盛の人形は初世吉田文三郎初演。《平家物語》を題材とする人形浄瑠璃の代表作の一つ。《源平布引滝》の外題は,すでに1733年(享保18)大坂
4. げんぺいぬのびきのたき【源平布引滝】
歌舞伎事典
実盛(さねもり)の人形は初世吉田文三郎初演。《平家物語》を題材とする人形浄瑠璃の代表作の一つ。《源平布引滝》の外題は、すでに享保一八(1733)年大坂・嵐三右衛
5. 源平布引滝(著作ID:174072)
新日本古典籍データベース
げんぺいぬのびきのたき 三好 松洛(みよし しょうらく) 並木 宗輔(なみき そうすけ) 浄瑠璃/義太夫 寛延二初演
6. 源平布引滝(著作ID:174094)
新日本古典籍データベース
げんぺいぬのびきのたき 脚本 寛延二初演
7. 源平布引滝(著作ID:174118)
新日本古典籍データベース
げんぺいぬのびきのたき 絵本番附 
8. 源平布引滝(著作ID:174129)
新日本古典籍データベース
げんぺいぬのびきのたき 勝川 春英(かつかわ しゅんえい) 画 黄表紙 寛政六刊
9. あい‐の・ぶ[あひ‥]【相述】
日本国語大辞典
〔他バ下二〕(「あい」は接頭語)「述べる」の改まった言い方。*浄瑠璃・源平布引滝〔1749〕三「御機嫌能御下向恐悦至極と相述(ノブ)る」*人情本・明烏後正夢〔1
10. あおち‐じに[あふち‥]【煽死】
日本国語大辞典
ゑん)は却って葉隠れたる、かたきの上に燃へかかり、一騎ものがれぬあおちじに」*浄瑠璃・源平布引滝〔1749〕二「無念無念のあをち死」*歌舞伎・天満宮菜種御供〔1
11. あおみ‐き・る[あをみ‥]【青切】
日本国語大辞典
〔自ラ五(四)〕ある物全体がすっかり青くなる。青一色を呈する。*浄瑠璃・源平布引滝〔1749〕三「ソリャ赦すなと大勢が一度にかかれば叶はじと、青(アヲミ)切たる
12. あくた‐ぐち【悪態口】
日本国語大辞典
み)を知らぬ我々が、入鹿公は悪王ぢゃと、譏(そし)り捨てたる悪口(アクタグチ)」*浄瑠璃・源平布引滝〔1749〕四「譏(そし)るかげ口あくた口、さらへ箒を取々に
13. あく‐にち【悪日】
日本国語大辞典
運のない日。あくび。〓吉日。*浄瑠璃・源平布引滝〔1749〕三「今日はいかなる悪(あク)日ぞ。死ぬる命を助りて、嬉しと思ふ間もなく、此修羅道
14. あさぎ‐ぼうし【浅葱帽子・浅黄帽子】
日本国語大辞典
8〕一〇「後家にてなけく芭蕉の女〈由平〉 浅黄帽子おもひにみたす風の月〈素敬〉」*浄瑠璃・源平布引滝〔1749〕二「目元口元取形(なり)も浅黄帽子(アサギボウシ
15. あさ=に なるとも[=を 蒔(ま)くとも]苧(お)になるな
日本国語大辞典
あるらん限りは、二条の若と筆捨つる。末の世までも桃ならず、麻は茂れど苧にならぬ」*浄瑠璃・源平布引滝〔1749〕三「此若君は継母(ままはは)の妬(ねたみ)により
16. 麻=になるとも〔=を蒔くとも〕苧になるな
故事俗信ことわざ大辞典
穴生(あなふ)の里のあるらん限りは、二条の若と筆捨つる。末の世までも桃ならず、麻は茂れど苧にならぬ」浄瑠璃・源平布引滝(1749)三「此若君は継母(ままはは)の
17. あだくち‐ば【徒口場】
日本国語大辞典
〔名〕むだぐちをたたく場所。むだなおしゃべりをするところ。*浄瑠璃・源平布引滝〔1749〕二「夜毎日毎に往来群集(くんじゅ)と、聞しに違(たが)はず此茶店も、参
18. あっこう‐ぞうごん[アクコウザフゴン]【悪口雑言】
日本国語大辞典
gon (アッコウザウゴン)〈訳〉言葉による侮辱」*浄瑠璃・源平布引滝〔1749〕一「何洛中の奴原が、悪口雑言とは皆帝の事よ」*浮雲〔1887~89〕〈二葉亭四
19. あばら【肋】
日本国語大辞典
*浄瑠璃・菅原伝授手習鑑〔1746〕二「油断太郎が弓ン手のあばら突込(つっこむ)刀に」*浄瑠璃・源平布引滝〔1749〕三「又廻り逢(あふ)印(しるし)にと相添置
20. あみのめ に 風(かぜ)=たまる[=とまる]
日本国語大辞典
網(アミ)の目に風とまる」(2)わずかばかりでも効果が期待できることの意にいう。*浄瑠璃・源平布引滝〔1749〕三「源五郎鮒打ちにいかれました。網(アミ)の目に
21. 網の目に風=たまる〔=とまる〕
故事俗信ことわざ大辞典
も人の心をいかが頼まん〈紀貫之〉」俳諧・毛吹草(1638)二「あみのめに風たまる」浄瑠璃・源平布引滝(1749)三「源五郎鮒打ちにいかれました。網(アミ)の目に
22. あやから・す【肖】
日本国語大辞典
〔他サ五(四)〕あやかるようにさせる。*浄瑠璃・源平布引滝〔1749〕二「汝等も死出の供、源氏の武士にあやからさん」
23. あやち【文道】[方言]
日本方言大辞典
36 東牟婁郡704下里町を中心とせる訛言方言迷信調査(下里尋常高等小学校)1931浄瑠璃源平布引滝一「あやちの知れぬしゃっ頬つら。滝壺で洗ふて見んと」《あゃー
24. あや‐ち【文道】
日本国語大辞典
やち、ありありと聞えしは、疑ひもない唖(おし)の一声、言始めの言納めであったか」*浄瑠璃・源平布引滝〔1749〕一「あやちの知れぬしゃっ頬(つら)。滝壺(つぼ)
25. あやま・る【謝】
日本国語大辞典
璃・嫗山姥〔1712頃〕一「喜之介ほろりと涙ぐみ、ヲヲあやまった、こらやこらや」*浄瑠璃・源平布引滝〔1749〕五「事新敷(あたらしき)一言(ごん)。誤れなんど
26. あら【荒・粗】
日本国語大辞典
阿努(あの)な行かむと墾(は)りし道阿努は行かずて阿良(アラ)草立ちぬ〈東歌〉」*浄瑠璃・源平布引滝〔1749〕二「心詞(ことば)も木曾育(そだち)、荒木を切て
27. あらそわ れ=ない[=ぬ・ん]
日本国語大辞典
高あしだをはきて、道をしっかに歩行(あゆみ)。さてもさてもあらそはれぬ事ども也」*浄瑠璃・源平布引滝〔1749〕三「全快の心通じ自然と孕(はらめ)るものならん。
28. あわ・す[あはす]【合・会・逢・遭】
日本国語大辞典
餌釣としては、中々大(おほき)いのが上った」(6)(顔を)互いに向ける。対面させる。*浄瑠璃・源平布引滝〔1749〕二「折平に逢(アハ)しくれよと申す故、暫く待
29. あわ を=吹(ふ)かせる[=吹(ふ)かす]
日本国語大辞典
*浄瑠璃・平家女護島〔1719〕五「見よ見よ平家にあはふかせ、源氏一統の御代となし」*浄瑠璃・源平布引滝〔1749〕二「清盛公へ言上し泡(アハ)ふかさんとかけ行
30. 泡を吹かせる
故事俗信ことわざ大辞典
浄瑠璃・平家女護島(1719)五「見よ見よ平家にあはふかせ、源氏一統の御代となし」浄瑠璃・源平布引滝(1749)二「清盛公へ言上し泡(アハ)ふかさんとかけ行(ゆ
31. あんがい‐せんばん[アングヮイ‥]【案外千万】
日本国語大辞典
ひどく無礼だ。*浄瑠璃・百合稚高麗軍記〔1742〕三「ヤアわっぱしめが案外千万」*浄瑠璃・源平布引滝〔1749〕一「手指(てざし)をひろがぬしほらしさに、見遁(
32. 案外千万
故事俗信ことわざ大辞典
ひどく無礼である。 浄瑠璃・百合稚高麗軍記(1742)三「ヤアわっぱしめが案外千万」浄瑠璃・源平布引滝(1749)一「手指(てざし)をひろがぬしほらしさに、見遁
33. い‐あわ・す[ゐあはす]【居合】
日本国語大辞典
用〔1692〕三・二「同じ奉公でも、こんなお家に居合すが其身の仕合(しあはせ)」*浄瑠璃・源平布引滝〔1749〕三「船に居合す飛弾左衛門」*当世書生気質〔188
34. いい‐きか・す[いひ‥]【言聞】
日本国語大辞典
頃〕愚痴文盲者口状之事「此知音の人、ひょうげた人にて、色々の事をいいきかされた」*浄瑠璃・源平布引滝〔1749〕二「潔き切腹と言聞して悦ばせよ」(2)「いいきか
35. いい‐はな・す[いひ‥]【言放】
日本国語大辞典
593〕イソポの生涯の事「ケンモホロロニ iyfanaite (イイハナイテ)」*浄瑠璃・源平布引滝〔1749〕三「覚もない事言かけて跡で難義を仕やんなとよはみ
36. いかつ‐がお[‥がほ]【厳顔】
日本国語大辞典
〔名〕いかめしい顔つき。武張ってやわらかみのない顔つき。*浄瑠璃・源平布引滝〔1749〕二「瀬尾の十郎兼氏、供人引連れ、いかつ顔、茶店にどっかと大あぐら」*浄瑠
37. いかもの‐づくり【厳物作】
日本国語大辞典
するりとぬいて」*日葡辞書〔1603~04〕「Icamonozzucuri (イカモノヅクリ)」*浄瑠璃・源平布引滝〔1749〕一「桶革胴の鎧着て、腰に帯せしい
38. いき‐せい【息精】
日本国語大辞典
〔名〕息づかいと精力。気力。意気込み。いきせ。*浄瑠璃・源平布引滝〔1749〕三「惣惣(そうぞう)の息精(イキセイ)でも、お産を安うさせますると、力付けても」イ
39. いき‐どおし[‥どほし]【生通】
日本国語大辞典
味線〔1732〕一・三「何時迄(いつまで)生通(イキドホ)しにしおらうと思ふて」*浄瑠璃・源平布引滝〔1749〕三「貴殿(きでん)も生き通しにもせまい。海とも山
40. いき を 吹(ふ)き返(かえ)す
日本国語大辞典
「足軽の子守して居る八つ下り〈孤屋〉 息吹かへす霍乱(くゎくらん)の針〈其角〉」*浄瑠璃・源平布引滝〔1749〕三「我子を慕ふ魂魄も御籏の徳にや立帰り、息吹き返
41. い‐じ[ゐぢ]【井路・井地】
日本国語大辞典
(めて)の田面(たのも)に打続く、井路(ヰぢ)のかけはしささやきの、橋も怨めし」*浄瑠璃・源平布引滝〔1749〕二「御座も吹ちる風に連(つれ)、辻堂の絵馬一枚深
42. いじ が=よい[=いい]
日本国語大辞典
*日葡辞書〔1603~04〕「Igino yoi (イヂノ ヨイ)、または、ワルイ ヒト」*浄瑠璃・源平布引滝〔1749〕二「お意路(ヰヂ)のよいはお顔で知れる
43. いだき‐と・る【抱取】
日本国語大辞典
葡辞書〔1603~04〕「Idaqitori, u, otta (イダキトル)」*浄瑠璃・源平布引滝〔1749〕三「水子是へといだき取、男子を女子にくろめんと心
44. いち‐じょう[‥ヂャウ]【一定】
日本国語大辞典
・折たく柴の記〔1716頃〕中「船なる物ども盗みし事は一定(イチヂャウ)なれど」*浄瑠璃・源平布引滝〔1749〕二「とっくと御賢慮をめぐらされ下さるべしと手をつ
45. いち と 言(い)って=二(に)とない[=二(に)と(は)くだらぬ]
日本国語大辞典
とびぬけていて、あとに続くものがない。また、二番に下がることがないという意を表わすことば。*浄瑠璃・源平布引滝〔1749〕三「七つの年から奉公せば、木曾の御内に
46. 一と言って二とない
故事俗信ことわざ大辞典
次につづく者がないほど、とびぬけてすぐれている。二番に下がることがない。 浄瑠璃・源平布引滝(1749)三「七つの年から奉公せば、木曽の御内に、一(いチ)といふ
47. 市村羽左衛門
世界大百科事典
た華麗な演技によって,大正・昭和を代表する二枚目役者となった。《近江源氏先陣館》の盛綱,《源平布引滝》の実盛などの生締(なまじめ)物,助六,与三郎などを当り役と
48. いちむらうざえもん【市村羽左衛門】
歌舞伎事典
容姿・口跡にすぐれた華麗な演技によって、大正・昭和を代表する二枚目役者となった。《近江源氏先陣館》の盛綱、《源平布引滝》の実盛などの生締(なまじめ)物、助六、与
49. いと‐さま【幼様】
日本国語大辞典
わやくおっしゃれずとしづかにおよれ」*浄瑠璃・大内裏大友真鳥〔1725〕三「いとさまの朝ぶさに」*浄瑠璃・源平布引滝〔1749〕三「お生れなされたいと様の、御家
50. うい‐ぼうこう[うひ‥]【初奉公】
日本国語大辞典
〔名〕初めての奉公。*浄瑠璃・源平布引滝〔1749〕三「瀬の尾が首取って初(ウヰ)奉公の手柄にせよ」*歌舞伎・彩入御伽草〔1808〕皿屋敷の場「まだ御勝手も知り
「源平布引滝」の情報だけではなく、「源平布引滝」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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秦・漢以前の古文辞に対する確固たる自信から孔子の言論を読みとく,論語の注釈のなかでもっとも論争的な注釈書。卓抜した孔子論を展開するとともに,徂徠自身の思想も開陳する。第1巻は,学而,為政,八佾,里仁,公冶長,雍也,述而,泰伯。1994年03月刊
近世和歌集(日本古典文学全集)
年内立春 去年と今年の二本の緒で縒り合わせて掛けて同じ年が一本にまとまらないように、こんがらがってなかなか理解できない春はやって来た。やや趣向倒れの感がある。長嘯子としては機知を働かせたのだろうが。鶯 軒端の梅が咲いていて、一晩中鶯の到来を
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