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幕末明治期の英学者。別名ジョン万次郎。土佐国中浜(なかのはま)村(高知県土佐清水(しみず)市)の漁夫の家に生まれる。1841年(天保12)、出漁中遭難漂流し無人島(ぶにんとう)(鳥(とり)島)に漂着し、アメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号に救助され、同国に渡り教育を受けた。1850年(嘉永3)サラ・ボイド号でホノルルから帰国の途につき、翌年8月鹿児島に上陸、長崎で取調べを受けたのち故郷に帰された。1852年12月藩庁に召され、徒士(かち)格に登用されて藩士に列し、1853年幕府に招聘(しょうへい)されて普請役(ふしんやく)格に列し韮山(にらやま)代官江川英龍(ひでたつ)の手付(てつき)を命じられた。ペリー来航時には重用され、外国使臣の書翰(しょかん)の翻訳や軍艦操練所教授、鯨漁(くじらりょう)御用を勤め、1860年(万延1)新見正興(しんみまさおき)の遣米使節には通弁主務として随行した。1861年(文久1)小笠原(おがさわら)島の調査、1864年(元治1)薩摩(さつま)藩に聘せられ軍艦操練・英語教授を委任された。1868年(明治1)土佐藩に召され、翌年徴士として開成(かいせい)学校二等教授として英学を教授した。1870年、プロイセン・フランス戦争観戦のため品川弥二郎(やじろう)、大山巌(いわお)らとともに渡欧を命ぜられたが、翌年病を得て帰国した。以後悠々自適の生活を送った。