小説家。明治18年5月6日大分県臼杵(うすき)町に酒造家小手川角三郎・マサの長女として生まれた。明治女学校高等科卒業。英語の家庭教師として知遇を得た野上豊一郎(とよいちろう)と結婚、夏目漱石(そうせき)の門下であった豊一郎の啓発により創作に着手。漱石の懇切な指導のもとに写生文で出発。処女作『縁(えにし)』(1907)。創作のかたわらギリシア・ローマ神話『伝説の時代』を翻訳、漱石の序を付して出版(1913)。書き下ろし児童文学「愛子叢書(そうしょ)」に起用されて出版した『人形の望(のぞみ)』(1914)は、人間が生きるうえでもっともたいせつなのは知恵であるという生涯を貫いた理念が描かれ、野上文学の原点をなす。『新しき命』(1916)が表明する母親・主婦作家の域を、人肉食問題を実話に基づいて創(つく)った『海神丸』(1922)によって超えると、以後、飛躍的に社会的視野を拡大し、マルキシズムが知識人を襲った昭和初年の疾風怒濤(しっぷうどとう)下で苦悩する青年の姿を、『真知子(まちこ)』(1928~1930)、『若い息子』(1932)、『迷路』(1936~1956)と三部作的構成で発表した。これらは歴史的記念碑としての価値高い作品であるが、とくに『迷路』は、昭和史のなかでももっとも厳しい時節をスケール大きく描いた、戦後文学の代表作である。その後、80歳間近にして発表した『秀吉と利休』(1962~1963)は、政治家対芸術家の対立関係を、芸術家の内面葛藤(かっとう)に力点を置いて描いた、作者畢生(ひっせい)の傑作である。完結を目前に中絶した『森』(1972~1985)は、87歳時起筆作とは思えぬ精気で、明治女学校を舞台に明治30年代前半期が、文化史的感興をそそる方法で書かれている、この作者の掉尾(とうび)を飾るにふさわしい作品である。文芸界がこぞって白寿を祝った席で、なお盛んな意欲を披瀝(ひれき)して驚嘆されたが、昭和60年3月30日、満100歳の誕生日を前に長い生涯を閉じた。以上の道程が示すように、自己の理念に忠実に、最後まで生々発展し続けた類稀(たぐいまれ)な作家である。翻訳、評論も多く領域は広い。読売文学賞(1958)、女流文学賞(1964)、文化功労者(1965)、文化勲章(1971)、朝日賞(1981)、日本文学大賞(1986)を受けた。