ジャパンナレッジ
ソプラノ歌手。旧姓柴田(しばた)。明治17年2月22日、東京に生まれる。1903年(明治36)東京音楽学校在学中、同校の奏楽堂で、日本人による最初のオペラ公演、グルックの『オルフェオとエウリディーチェ』でエウリディーチェ役を歌った。翌年卒業後、母校の助教授となるが、11年、帝国劇場歌劇部の主席歌手として迎えられる。13年(大正2)三浦政太郎と結婚。翌年5月渡欧し、ロンドンで指揮者ウッド卿(きょう)にみいだされ、同年秋、同地で演奏会を開き人気を博した。15年、ロシアの名歌手ロージンとプッチーニ作曲『蝶々夫人(ちょうちょうふじん)』を歌い大好評。以後、欧米各国で20年間に2000回にわたり蝶々さんを演じた。その明澄甘美な歌声は、作曲者のプッチーニに「わが夢」と激賛されるほどであった。35年(昭和10)帰国し、翌年、2001回目の『蝶々夫人』演奏会を歌舞伎(かぶき)座で開催。以後、死去までの10年間は日本で演奏・教育活動を行い、昭和21年5月26日、東京で死去した。