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彫刻家。江戸に生まれる。本名幸吉、旧姓中島。仏師高村東雲(とううん)(1826―1879)の門に入って木彫を学び、1874年(明治7)東雲の姉の養子となり、高村姓を継いだ。1877年内国勧業博覧会に東雲の代作として『白衣観音(びゃくえかんのん)』を出品、最高賞を受けた。明治初年の木彫衰退期に、写生を取り入れた新しい作風を開き、近代木彫の展開に大きな業績を残した。1889年東京美術学校(現東京芸術大学)の開設とともに彫刻科の指導者となり、翌年帝室技芸員、東京美術学校教授に任命され、1891年光雲と号した。東京美術学校に依頼された『楠公像(なんこうぞう)』『西郷隆盛像(たかもりぞう)』の銅像を木彫の原型から完成させ、1893年のシカゴ万国博覧会では『老猿(ろうえん)』が妙技二等賞を受賞した。1907年(明治40)の文展開設後は審査員を歴任し、1919年(大正8)には帝国美術院会員となり、文字どおり官展系木彫の重鎮であった。1926年東京美術学校教授を退いて名誉教授となった。長男の光太郎(こうたろう)は彫刻家・詩人、三男の豊周(とよちか)は工芸家として名高い。著書に『光雲懐古談』がある。