能の開演から終演まで

楽屋と鏡の間

 能楽堂の楽屋は、舞台の真裏にある。橋掛リ側から切戸側にかけて、シテ方・ワキ方・狂言方・囃子方の順に部屋が位置し、楽屋と橋掛リとのあいだには鏡の間がある。開演に先立ち、立方(シテ・ツレ・子方・ワキ・ワキヅレ・アイ)は楽屋で装束を着る。ただし、面おもてだけは楽屋でつけずに、鏡の間に行ってからつける。
 立方以外の各役、囃子方・地謡・後見も楽屋で紋服と袴をつけ、囃子方は楽器の準備をする。大鼓の演者はとりわけ早く楽屋入りをして、皮を焙ほうじる。後見は小道具や作り物などを点検する。
 紋服と袴は、催会が特別な記念能とか祝賀能であったり、演目が習物であったりするときは上下に替わり、重習おもならいの能であれば長上下をつけることもある。
 シテは、楽屋での準備が整うと鏡の間へ行く。床几に腰かけ、鏡に向かう。面を用いる役は、ここでつける。
 囃子方も鏡の間に来て座り、楽器の調子を調べるために、短く簡単な演奏をする。これを〈調ベ〉という。能会では、開演のベルやブザーを鳴らさないことが多いので、観客にとっては、これが開演の合図にもなる。
 〈調ベ〉が終わると囃子方が、笛・小鼓・大鼓・太鼓の順に橋掛リを出る(このときは幕を揚げず、幕の横から幕を分けて出る。これを片幕という。囃子方と後見は片幕で出るが、後見は切戸から出ることが多い)。同時に地謡も切戸から出る。囃子方・地謡は所定の位置に座る。
 作リ物(据え道具)を要する曲の場合は、ここで後見が橋掛リから運び出し(このときは本幕といって、立方の登場と同じく、幕を高く引き揚げる)、脇座とか大小前など、曲ごとに定められた位置に据える。
 シテ、ツレ、子方などが出シ置(開演前に黙々と出て舞台上の所定の位置に着座すること)で登場する場合も、ここで橋掛リから出る。
 以上のことが終われば、大鼓と小鼓の演者は床几に腰をかける。

能の構成

 いよいよ能が始まる。能の作品には、もちろん、いろいろなタイプがあるが、脚本構成の面で、ある種の類型が見られる。

 たとえば能《井筒》は、つぎのような各段(場面)から、成り立っている。

  • 一――ワキの登場――旅僧が在原寺に立ち寄り、在原業平をしのんでいる。
  • 二――前ジテの登場――里の女が現れ、仏道に帰依する心を述べ、古塚に回向する。
  • 三――シテとワキの応対――古塚についての説明。秋の在原寺の叙景。
  • 四――シテの物語――業平と紀有常の娘の恋物語。
  • 五――シテの中入――女は自分が紀有常の娘であることを明かして、井筒の蔭に消える。
  • 六――アイの物語――里の男による恋物語の再説。
  • 七――ワキの待受け――僧は夢に出会うことを期待しつつ、その場で夜を明かす。
  • 八――後ジテの登場――業平の形見の衣装を着た紀有常の娘の霊が現れる。
  • 九――後ジテの舞事――霊は、ありし日を追想しつつ、舞を舞う。
  • 十――後ジテの立働と退場――井筒にわが身を映して業平を追慕する。

 また、たとえば《景清》は、つぎのような各段から成り立っている。

  • 一――ツレ・ワキヅレの登場――景清の娘人丸と従者が、鎌倉から宮崎に着く。
  • 二――シテの詠嘆――庵(作リ物)の中での景清の独白。
  • 三――ツレ・ワキヅレとシテの応対――従者は庵の内へ景清の所在を尋ねるが、景清は娘と知りつつ、欺き帰す。
  • 四――ワキの登場、ワキヅレとの応対――人丸と従者は、里人から、庵の主が景清と知らされる。
  • 五――ワキとシテの応対、シテの詠嘆――里人は景清の名を呼ぶ。昔のわが名を思い出させられた老残の武士の、怒りと悲しみと誇り。
  • 六――シテとワキの応対、ツレとシテの応対、シテの詠嘆――父と娘の対面。
  • 七――シテの物語――屋島の合戦での功名譚。
  • 八――結末――景清と人丸の別離。

 《井筒》のような曲を二場物、《景清》のような曲を一場物ということができる。

 二場物とは中入のある能である。中入を境に前場と後場に分かれ、前場のシテを前ジテ、後場のシテを後ジテという(一人の役者が前後を通して演ずる)。これに対し、一場物は中入がない。人物は順次登場し、退場したときが一曲の終りである。

 二場物のほうが圧倒的に多く、現行曲の七〇パーセントを占めるから、構成上の特徴もさまざまである。もっとも典型的なのは複式夢幻能などと呼ばれてきた一群の能。前ジテが化身(里の女とか老人)、それが中入して、後ジテが本体(井筒の女とか源三位頼政の霊)として再登場する構造で、《井筒》もそうだが、《高砂》《八島》《頼政》《忠度》《定家》《芭蕉》《江口》《融》《鵺》《野守》等々、名曲の数々がこれに属する。

 ところが、前ジテ・後ジテが化身・本体の関係でなく、まったく別個の役柄である能もある。ポピュラーなのは《船弁慶》で、前ジテは静御前、後ジテは平知盛の怨霊。《藤戸》の前ジテは老母、後ジテはその息子の霊。《朝長》の前ジテは青墓の宿の女主人、後ジテは源朝長の霊、という類である。この場合も一人の役者が前後のシテに扮する。

 また、前ジテ・後ジテが化身・本体の関係でなく、単に、まったくの同一人物という能もある。《桜川》《花筐》《班女》《夜討曾我》《大仏供養》《正尊》など、狂女物や斬組物に多いが、劇中の時間経過、場面転換に応じて、いったん退場したシテが扮装を変えて再登場するわけで、現在能に固有の作劇法である。

 中入するのはシテだけではない。《俊寛》《通小町》《羅生門》《輪蔵》など、ワキとかツレが中入する二場物の能もある。

 一場物は、夢幻能でいえば《経政》《清経》《松風》《雪》など、現在能でいえば《景清》《隅田川》《百万》《自然居士》《邯鄲》《安宅》などが代表的である。


人物の登場と退場

 能といえば、初めにワキが登場して場面や状況の設定がなされ、そこへシテが登場して両者の応対となり、やがてシテの独演によって中心的な物語や主題が展開し、ワキはそれを黙って受け容れ、シテの退場をワキが見送って終わる、という形が一般的なようだが、すでに《景清》の例でも明らかなように、曲ごとにいろいろな登場順が見られる。

 登場の形式は、地謡の謡につれてとか、ワキに呼びかけながらとかいうのもあるが、多くの場合、囃子の演奏をともなう。〈次第〉とか〈一声〉とかいうのがそれで、どの能でも演奏されるが、ほかに役種・役柄・曲柄・段ごとに、各種の登場の音楽がある。退場の場合も、登場ほど多くはないが、囃子の演奏をともなうことがある。

 一曲の終り近くなると、シテの所作は動きが多くなり、舞事・働事なども加わって、盛り上がりを見せる。シテがシテ柱のそばで足拍子を踏んで一曲を終わることが多いが、シテが立ち去ったあとでワキが足拍子を踏んで終わる形もある。

 曲が終わると、まだ舞台に残っている立方がまず幕に退場し、つぎに後見が作リ物を運び去り、最後に囃子方が幕へ、地謡が切戸へ退場し、舞台がもとの空白に戻るとすべて完了である。


狂言の場合

 狂言の上演形式には、いろいろ能と違う点がある。

 狂言には、囃子や地謡の入らない曲が多い。そこで、まず本幕で立方が登場する。初めに出てくるのがシテであるかアドであるかは、もちろん、曲によってさまざまだが、いずれにせよ、第一の人物の名ノリで始まる曲が圧倒的に多い。名ノリをする位置は、いわゆる名乗座(常座の少し高め)が多く、大名など格式ばった役は正面先である。

 そして、第二・第三の人物が登場することで会話劇が成り立っていく。第二・第三の人物の登場のしかたには、つぎのような形式が多い。

  • 一――第一の人物と同じように名乗座で名ノリをする。
  • 二――あらかじめ第一の人物に続いて舞台に出てきているが、大小前とか太郎冠者座(大鼓座と太鼓座との中間)に控えていて、第一の人物に呼び出されて初めて観客の前に現れたことになる。
  • 三――第一の人物に呼び出されて、幕から登場し、受け答えをする。
  • 四――筋がある程度まで進行しているところへ、幕から登場して橋掛リ一ノ松で名ノリをする。

 一般に、二人の人物が対話をかわすときは、名乗座と脇座で向き合う。また道行(みちゆき)という、外出や旅行を表す演技は、独白を言いながら名乗座→(すみ)→脇座→名乗座と舞台を三角ないし半円形に回る。前述の大小前とか太郎冠者座、笛座の上、橋掛リのアイ座などに座っているときは、観客の前から姿を消していることを意味する。

 囃子や地謡の入る曲も少なくない。旧来の慣行では、能と狂言とを交互に上演するのがふつうなので、狂言に囃子を要する場合は、その直前の能に出ていた囃子方がそのまま居続けて、演奏する。昨今のように、しばしば狂言と能を一番ずつ鑑賞する(すなわち番組の最初に狂言を上演する)催しの場合も、旧来の慣行に準じて、まず囃子方だけで素囃子などを演奏してから、そのまま引き続き狂言に出演する。囃子方は、狂言に出演するときは、クツロイで(横向きで)演奏する。

 曲によって地謡も出るが、狂言の場合、囃子と地謡とが常に共演するとは限らない。囃子も地謡も要する曲、囃子は要しても地謡は要さない曲、囃子は要さないが地謡は要する曲、囃子も地謡も要さない曲、の四とおりがあるわけである。

 狂言の地謡は、通常四人。《翁》(《式三番》)の地謡や仕舞の地謡と同じく、かならず後座に座る。

羽田 昶

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