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  11. 藤原頼通

藤原頼通

ジャパンナレッジで閲覧できる『藤原頼通』の改訂新版 世界大百科事典・日本大百科全書のサンプルページ

世界大百科事典
藤原頼通
ふじわらのよりみち
992-1074(正暦3-承保1)

平安中期の公卿。摂政道長の長男。母は左大臣源雅信の女倫子。15歳で早くも従三位に昇り,累進して1017年(寛仁1)26歳で内大臣に進み,さらに父道長の譲により摂政となった。以後,後一条,後朱雀,後冷泉3代50余年にわたって摂政あるいは関白の座を占めた。その間,女子を天皇の後宮にいれて,外孫皇子の誕生を期待したが,ついにその実現をみず68年(治暦4)藤原氏を外戚としない後三条天皇の践祚を目前にして,関白を弟の教通に譲って宇治に隠退した。72年(延久4)出家,法名を〓華覚(のち寂覚)と号したが,その翌々年の2月2日没した。世に宇治殿と称し,その宇治の別業を寺とした平等院は,道長の建てた法成寺と並んで,永く摂関家の氏寺として重んぜられた。
[橋本 義彦]

[索引語]
宇治殿 平等院


日本大百科全書(ニッポニカ)
藤原頼通
ふじわらのよりみち
[992―1074]

平安中期の公卿(くぎょう)。摂政(せっしょう)道長の長子。母は左大臣源雅信(まさのぶ)の女(むすめ)倫子(りんし)。幼名を田鶴(たづ)君という。1009年(寛弘6)権中納言(ごんちゅうなごん)、13年(長和2)権大納言、15年には左大将となった。17年(寛仁1)3月4日内大臣に任ぜられ、父道長が摂政を辞し、後を譲り受けて同16日摂政となった。19年関白、21年従(じゅ)一位に叙せられ、左大臣となった。後一条(ごいちじょう)、後朱雀(ごすざく)、後冷泉(ごれいぜい)天皇の3代にわたって摂関となり、37年(長暦1)養女嫄子(げんし)が後朱雀天皇に入内(じゅだい)し、また、具平(ともひら)親王の女との間に生まれた寛子(かんし)が51年(永承6)後冷泉天皇の皇后となり外戚(がいせき)の地位を築こうとしたが、いずれも皇子が生まれなかった。61年(康平4)太政(だいじょう)大臣となったが、翌年辞した。これより先、1052年には宇治の別業を平等院としていたが、67年(治暦3)後冷泉天皇の行幸をここに迎え准三后(じゅさんごう)となった。翌年後三条(ごさんじょう)天皇が即位。師実(もろざね)へ将来譲渡する約束のもとに弟教通(のりみち)に関白を譲り宇治に隠遁(いんとん)した。師実は天皇の信任厚く、師実の養子賢子が皇太子妃となり外戚としての地位を得た。しかし関白は頼通生前中には師実に譲られぬままに72年(延久4)出家、法名は蓮華覚(れんげかく)、のちに寂覚(じゃくかく)と称し、延久(えんきゅう)6年2月2日83歳で没した。宇治殿という。
[山中 裕]

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1. 藤原頼通
日本大百科全書
平安中期の公卿(くぎょう)。摂政(せっしょう)道長の長子。母は左大臣源雅信(まさのぶ)の女(むすめ)倫子(りんし)。幼名を田鶴(たづ)君という。1009年(寛弘 ...
2. 藤原頼通
世界大百科事典
992-1074(正暦3-承保1) 平安中期の公卿。摂政道長の長男。母は左大臣源雅信の女倫子。15歳で早くも従三位に昇り,累進して1017年(寛仁1)26歳で内 ...
3. ふじわら‐の‐よりみち【藤原頼通】
日本国語大辞典
平安中期の公卿。道長の第一子。後一条・後朱雀・後冷泉の三朝にわたり摂政・関白となり、父道長とともに藤原氏全盛時代を築いた。天喜元年(一〇五三)宇治平等院鳳凰堂を ...
4. ふじわらのよりみち【藤原頼通】
国史大辞典
承保元年(一〇七四)二月二日、八十三歳で没した。 [参考文献]高群逸枝「藤原頼通」(『平安鎌倉室町家族の研究』所収)、槇道雄「藤原頼通政権論」(『年報中世史研究 ...
5. 藤原頼通
日本史年表
1067年〈治暦3 丁未①〉 12・5 藤原頼通 、関白を辞任、勅により辞任後も政事諮詢に与らせる(公卿補任)。 1072年〈延久4 壬子⑦〉 1・29 藤原頼 ...
6. ふじわらの-よりみち【藤原頼通】
日本人名大辞典
992−1074 平安時代中期の公卿(くぎょう)。正暦(しょうりゃく)3年1月生まれ。藤原道長の長男。母は源倫子。治安(じあん)元年(1021)従一位,左大臣と ...
7. 藤原賴通(ふじわらよりみち)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 1578ページ ...
8. 藤原賴通奉仕三朝(見出し語:藤原賴通)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 1607ページ ...
9. 藤原賴通建平等院 (見出し語:藤原賴通)
古事類苑
宗教部 洋巻 第3巻 1080ページ ...
10. 藤原賴通驕慢 (見出し語:藤原賴通)
古事類苑
人部 洋巻 第2巻 631ページ ...
11. あかぞめえもん【赤染衛門】
国史大辞典
中古三十六歌仙の一人で『拾遺集』以下に作品をとどめる。家集に流布本・異本二種の『赤染衛門集』があり、前者は藤原頼通の需めに応じた奉献本である。歌風は温厚典雅な人 ...
12. あかぞめゑもんしふ【赤染衛門集】
全文全訳古語辞典
[書名]赤染衛門の家集。一巻。藤原頼通に献上するために一〇四一年(長久二)から寛徳・永承年間(1044~1053)の間に成立か。流布本系統と異本系統の二種がある ...
13. あがたじんじゃ【県神社】
国史大辞典
長の霊ともいう。その位置は平等院西門址の傍で、もとその鎮守であり、永承年中(一〇四六―五三)藤原頼通の勧請するところという。六月五日の県祭は裸祭としても知られ、 ...
14. あがりうま【騰馬】
国史大辞典
騎乗用の癖馬(くせうま)の一種。『古事談』亭宅諸道に、藤原頼通が花形という「あがりうま」に乗り、御随身の兼時の注意によって下馬したことを伝え、『続古事談』諸道に ...
15. 阿弥陀堂画像
日本大百科全書
個々に阿弥陀堂建立にいそしんだ。藤原道長の法成寺無量寿院(ほうじょうじむりょうじゅいん)阿弥陀堂はその代表で、藤原頼通(よりみち)の宇治平等院鳳凰堂(ほうおうど ...
16. 阿弥陀堂
世界大百科事典
ら発展したとも考えられる。その左右に翼廊を付し,前面に苑池を設けた形は1053年(天喜1)に藤原頼通が造営した平等院阿弥陀堂(鳳凰堂)で,白河天皇の法勝寺(10 ...
17. あみだどう【阿弥陀堂】
国史大辞典
が多い。藤原道長の建てた法成寺無量寿院阿弥陀堂は最も立派なものであったと思われるが、現存する藤原頼通の建立した平等院阿弥陀堂(鳳凰堂)はこれに匹敵するものであろ ...
18. あゆかわうら【鮎川浦】福井県:福井市/旧丹生郡地区
日本歴史地名大系
衛家所領目録(近衛家文書)にも高陽院領内に「越前国鮎河庄長範」とあって、前摂政家領、すなわち藤原頼通の宇治殿領から藤原忠実の近衛家に伝来した荘園であったことが知 ...
19. ありまおんせん【有馬温泉】
国史大辞典
七)に行幸され、以来湯治場として栄えた。平安時代の末には白河法皇や後白河法皇も行幸され、関白藤原頼通も湯治に訪れた。また鎌倉時代には歌人藤原定家がたびたび湯治に ...
20. ありまおんせん【有馬温泉】兵庫県:神戸市/北区/湯山町
日本歴史地名大系
集めるようになる。万寿元年(一〇二四)には藤原道長(「小右記」同年一〇月二五日条)、長久三年(一〇四二)には藤原頼通(「百錬抄」同年閏九月二三日条)が下向してい ...
21. いえきのしょう【家城庄】三重県:一志郡/白山町/北家城村
日本歴史地名大系
郎」とみえる。建長五年(一二五三)一〇月二一日の近衛家所領目録(近衛家文書)によれば、当庄は藤原頼通の子師実の家領であったが、当時は近衛家が荘務権を有し、預所は ...
22. いしだどのあと【石田殿跡】京都市:伏見区/石田村
日本歴史地名大系
園城寺平等院等領〓」と記され、宇治殿(藤原頼通)の求めに応じて覚円僧正(頼通の四男、平等院僧正)に譲られたことが知られるが、その後の経緯は不明 ...
23. いずみおおつし【泉大津市】大阪府地図
日本歴史地名大系
かすめる熊野街道は貴顕・庶民の参詣者の往来で賑った。永承三年(一〇四八)一一月一二日には、関白藤原頼通が高野参詣の途次、「曾禰御借屋」で休憩している。大津川流域 ...
24. いせのたゆう【伊勢大輔】
国史大辞典
合」「正子内親王絵合」「祐子内親王家歌合」「皇后宮春秋歌合」などに参加。康平三年(一〇六〇)藤原頼通主催の志賀大僧正九十賀の際の賀歌が作歌年代のわかる最後の歌で ...
25. いちざのせんじ【一座宣旨】
国史大辞典
宣下されたのを初例とし、以後その数は多いが、中には逆に、治安元年(一〇二一)八月、関白左大臣(藤原頼通)が太政大臣(藤原公季)の下に列なるべき由の宣旨が下された ...
26. 一条院内裏
日本史年表
1059年〈康平2 己亥〉 1・8 一条院内裏 焼亡、天皇、2月8日に藤原頼通の三条第に遷る(百練抄)。  ...
27. いち-の【一の】
全文全訳古語辞典
最初の。 「一の舞には関白殿君とこそはせさせ給ひしか」〈大鏡・道長・下〉最初の左舞は関白殿の君(=藤原頼通)にお舞わせになりました。❷いちばんよい。最もすぐれた ...
28. うしまきのしょう【牛牧庄】山口県:萩市
日本歴史地名大系
(近衛家文書)に「長門 牛牧 京極殿領内」とみえ、近衛家の所領となっている。同目録によれば、藤原頼通から師実―忠実―泰子―忠通―近衛基実と伝領された所領の一部と ...
29. 宇治[市]
世界大百科事典
といえば宇治橋周辺の地を称した。平安時代には京都の近郊として史上にしばしば見えており,とくに藤原頼通が父道長の別荘を寺として平等院と称したことは著名。軍事的にも ...
30. うじ[うぢ]【宇治】
日本国語大辞典
歌によく詠まれた。平安時代から貴族の別荘地として知られ、平安中期以降の末法思想の普及によって藤原頼通(よりみち)が別荘を平等院に建て替えたことは有名。「源氏物語 ...
31. 宇治関白高野山御参詣記[文献解題]和歌山県
日本歴史地名大系
年高野山御参詣記 平範国著 成立 永承三年 写本 国立国会図書館・内閣文庫ほか 解説 藤原頼通一行が永承三年一〇月一一日出発、同二〇日に帰洛するまでの日記 ...
32. うじごう【宇治郷】京都府:山城国/宇治郡
日本歴史地名大系
治郡宇治郷が中心であったと考えられている。しかし左岸久世郡宇治郷に源融の別業が営まれ、やがて藤原頼通により仏寺平等院となるに及んで、繁栄の中心は左岸へと移ること ...
33. うじし【宇治市】京都府
日本歴史地名大系
堂浄妙寺が藤原道長によって営まれる。宇治川谷口部左岸の別業宇治院は、源融―源重信―藤原道長―藤原頼通と伝領され、永承七年(一〇五二)頼通によって仏堂とされ、平等 ...
34. 宇治拾遺物語 23ページ
日本古典文学全集
現存しない説話集。源隆国(一〇〇四~七七)。俊賢の次男、顕基中納言の弟。後冷泉天皇の寵臣で、宇治の関白藤原頼通を補佐した。『安養集』十巻を編述。源高明(九一四~ ...
35. 宇治拾遺物語 42ページ
日本古典文学全集
堀川の東、南北方二町の地にあった。ここは、治安元年(一〇二一)の藤原頼通による大改築の折をさす。その新邸は壮麗をきわめたといわれる。藤原頼通(九九二~一〇七四) ...
36. 宇治拾遺物語 73ページ
日本古典文学全集
おもねっていた、ご機嫌伺いをしていた、の意。大臣である人に対する敬称。『今昔』によれば、宇治殿。とすれば、藤原頼通の本宅であった高陽院をさすか。→第九話。頼通の ...
37. 宇治拾遺物語 126ページ
日本古典文学全集
、伏見の邸宅は数寄をこらした豪邸であったという(→第七一話)。『後拾遺集』以下に十二首入る。藤原頼通。→四二ページ注二。大和守橘俊済の子。讃岐守、従四位下。子に ...
38. 宇治拾遺物語 161ページ
日本古典文学全集
寂照の在宋活躍譚。源祇子(?~一〇五三)。因幡守種成の娘(一説には、父は敦平親王で、種成は養父とも)。藤原頼通の母倫子に仕え、頼通に愛され、師実、覚円、寛子らを ...
39. 宇治拾遺物語 440ページ
日本古典文学全集
異水干着かへてぞありける。 大陸との交易港があった福岡市東区箱崎の地。大宰府の役人・秦則重。伝未詳。藤原頼通、摂政・関白。道長の子。→四二ページ注二。「故」と ...
40. うじ‐そうじょう[うぢソウジャウ]【宇治僧正】
日本国語大辞典
平安時代の天台宗の僧、覚円の通称。宇治関白藤原頼通(よりみち)の子。明尊の弟子。園城寺長吏。長元四~承徳二年(一〇三一~九八)ウジソージョー ...
41. うじのかんぱく【宇治関白】
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藤原頼通(ふじわらのよりみち)  ...
42. うじ の 花園(はなぞの)
日本国語大辞典
京都府宇治市にあったという花園。菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)の庭園の跡とも、藤原頼通(よりみち)の庭園の跡ともいう。*梵燈庵主袖下集〔1384か〕「宇治の花 ...
43. 歌合
世界大百科事典
から摂関政治に危機が訪れると,摂関藤原氏各家は一転して協力態勢を取り始め,後朱雀・後冷泉朝の藤原頼通(よりみち)時代には,内裏・後宮・内親王家の遊宴的な歌合が空 ...
44. 歌合
世界大百科事典
る。近世以来《伝宗尊(むねたか)親王筆歌合巻》と呼ばれていたが,その成立ははるかに古く,関白藤原頼通(よりみち)が主宰し,源経信が監修した史上初の歌合証本集成事 ...
45. 栄花物語 85ページ
日本古典文学全集
資の違いに言及する文脈とみる。これまでの御禊供奉より格段に優れた様子に言葉がついていかない。藤原頼通。二十五歳。任左近衛大将→〔一一〕。藤原実資。六十歳。任右大 ...
46. えいしょう【永承】
日本国語大辞典
平安時代、後冷泉天皇の代の年号。寛徳三年(一〇四六)四月一四日代始により改元。関白藤原頼通の時代。永承八年(一〇五三)正月、天喜と改元された。出典は「尚書」の「 ...
47. えぐち・えぐちのしゅく【江口・江口宿】大阪府:大阪市/東淀川区/江口村地図
日本歴史地名大系
の住吉詣の際に江口の遊女が妍を競って群参する様子は「栄花物語」に華麗に描写され、このとき関白藤原頼通は遊女中君を寵している(遊女記)。また延久五年(一〇七三)二 ...
48. えんえん【延円】
国史大辞典
花山院が退位して出家のおり、延暦寺の飯室で僧となった。その子の延円は飯室におり、飯室阿闍梨といわれた。藤原頼通とは又従兄弟になり、治安元年(一〇二一)に頼通が高 ...
49. えんおうのまる【鴛鴦丸】
国史大辞典
六花形の中に双翼をあげた鳥の丸の形象から、近世はこれを鴛鴦丸と呼んでいる。『駒競行幸絵巻』には、藤原頼通の高陽院の第に行啓された東宮敦良親王着御の黄丹色の縫腋( ...
50. えんしゆうじあと【円宗寺跡】京都市:右京区/龍安寺門前村地図
日本歴史地名大系
平安時代中期に建立された四円寺の一。所在地について「扶桑略記」延久二年(一〇七〇)一二月二六日条に「仁和寺之南傍」とあり、「山城名勝志」は「仁和寺説曰、旧蹟今曰 ...
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