1. トップページ
  2. >
  3. カテゴリ一覧
  4. >
  5. 社会
  6. >
  7. 地域
  8. >
  9. 都道府県
  10. >
  11. 浜松市(静岡県)
日本歴史地名大系

浜松市
はままつし

面積:二五六・七四平方キロ(境界未定)

県西部、遠州灘に面する。東は天竜川を挟み磐田郡竜洋りゆうよう町・豊田とよだ町、磐田市、北は浜北市、引佐いなさ郡引佐町・細江ほそえ町、西は浜名郡雄踏ゆうとう町・舞阪まいさか町に接するほか、浜名湖に面する。市域西部から北部には洪積台地の三方原台地が広がる。南部は遠州灘に臨む海岸平野で、東部には天竜川が形成した沖積平野が広がり、馬込まごめ川などが流れる。南部を東西にJR東海道本線・東海道新幹線、国道一号・同一五〇号が通る。南北に天竜市と結ぶ遠州鉄道西鹿島にしかじま線が通り、道路は国道一五二号・同二五七号が走る。市域北端近くを東西に天竜浜名湖鉄道と国道三六二号が通る。北部を東西に横断する東名高速道路には浜松インターチェンジ・浜松西インターチェンジがある。「和名抄」高山寺本に敷智ふち浜津はまつ(東急本では浜松郷)がみえ、中世には浜松庄が成立した。市域の大部分は近世の遠江国敷智郡・長上ながのかみ郡に属し、一部が豊田とよだ郡および引佐郡に属した。

〔原始〕

市域には約三〇〇の遺跡が知られ、三方原台地の周辺と天竜川が形成した平野部に集中している。旧石器時代は遺跡・遺物ともにわずかである。縄文時代では北部に滝沢たきさわ洞穴遺跡、石斧製作地とみられる川山かわやま遺跡、環状集落跡として完掘された前平まえひらIII遺跡などがある。また東部の欠下平かけしたびら遺跡、西部の黄金こがね遺跡、南部の蜆塚しじみづか遺跡などが古くから知られる。蜆塚遺跡は貝塚を伴い、東海地方を代表する集落跡として名高い。弥生時代では三方原台地南縁直下で梶子かじこ遺跡・伊場いば遺跡を核とする伊場遺跡群や角江かくえ遺跡、市域東部の平野部にあるやまかみ天王中野てんのうなかの三和町村前さんわちようむらまえ宮竹野際みやたけのぎわの各遺跡、三方原台地東縁で八三基の方形周溝墓が営まれた下滝しもたき遺跡群、北部では都田みやこだ川流域で椿野つばきの遺跡や向山むかいやま遺跡などが調査された。宮竹野際遺跡では小区画の水田跡が検出されている。また北部の前原まえはら遺跡では埋納された銅鐸が発掘され、木船きぶね遺跡と三方原で古くに銅鐸が、梶子・松東まつひがし両遺跡と浜松南方海岸で銅鐸の破片が出土した。市域に前期古墳はなく、恩塚山将軍塚おんづかやましようぐんづか古墳・千人塚せんにんづか古墳・入野いりの古墳などの大型円墳が最も古い。三方原台地の周辺部に営まれた古墳は約一〇〇群六〇〇基に及ぶ。このうち台地東縁に千人塚古墳を盟主として南北に展開する古墳群は三方原古墳群とよばれる。市域北東部の平野部に、ただ一基蛭子森えびすもり古墳が築かれているのが注目される。見徳けんとく三号墳・恩塚山A六号墳・火穴ひあな古墳・弘法穴こうぼうあな古墳の四基には横穴式石室が完存する。四世紀の豪族居館跡を含む大平おおひら遺跡、同時代の中平なかひら遺跡、五世紀の祭祀跡としてやまはな遺跡などが調査されている。銅鐸が出た木船遺跡周辺は七世紀の寺院跡とみられる。

〔古代〕

市域は敷智郡の大部分のほか、一部は引佐郡・麁玉あらたま郡・長上郡・長下ながのしも郡に属したと推定される。「和名抄」にみえる敷智郡の赤坂あかさか郷・象島きさしま郷・小文おぶみ郷・竹田たけだ郷・海間あま郷・和治わじ郷・浜津郷・駅家うまや郷、引佐郡の京田みやこた郷、麁玉郡の覇田はた郷、長上郡の茅原かはら郷・碧海あおうみ郷・長田ながた郷・壱志いちし郷、長下郡の幡多はた郷・大楊おおやなぎ郷・老馬おいま郷などが市域に比定されるが、異説もある。敷智郡衙推定地の伊場遺跡からは赤坂郷・象島郷・小文郷・竹田郷・和治郷・浜津郷などの郷名や入野里(乙未年)栗原くりはら駅長・駅家などと記された木簡・墨書土器が出土している。古代東海道の栗原駅は伊場遺跡付近にあったとみられる。また浜名湖の南を通るルートと北側を通るルートがあったと推定されている。市域に比定される式内社としては、敷智郡の許部こべ神社(浜松八幡宮に比定)曾許乃御立そこのみたち神社・賀久留かくる神社、引佐郡の須倍すべ神社・〓おおせち神社(四所神社に比定)、長下郡の〓おおみか神社、長上郡の大歳おおとし神社・邑勢おうせ神社・服織はとり神社・子倉こくら神社(子安神社に比定)などがある。奈良・平安時代の遺跡では伊場遺跡から城山しろやま・梶子・梶子北遺跡にかけての遺跡群が注目され、七世紀後葉から一〇世紀頃まで地方官衙として機能していたとみられる。下滝遺跡群では奈良・平安時代の村落跡が広く調査され、掘立柱住宅が普及していたことが判明した。

〔中世〕

市域には平安時代後期から多くの庄園や御厨が成立・展開した。庄園には市野いちの(内蔵寮領、貞観寺領)羽鳥はとり(京都新熊野社領、延暦寺領)河勾かわわ(頭陀寺領、相国寺普広院領、高野山金剛寿院領)、浜松庄(室町院領、亀山院領、昭慶門院領)村櫛むらくし(最勝光院領、京都東寺領)などがあり、池田いけだ(京都松尾大社領)も市域に及んでいた。御厨にはかば御厨、都田御厨のほか、詳細は不明だが浜松御厨もあったとされる。蒲御厨は市域東部に広く展開し、鎌倉時代には北条氏が地頭職に補任されていたが、元弘三年(一三三三)に没収され、地頭職は岩松経家・高師泰の手を経て、明徳二年(一三九一)には足利義満が奈良東大寺に寄進した。南北朝内乱期には後醍醐天皇の皇子宗良親王が遠江国に入り、井伊氏らの加勢をえて当地方の北朝勢との間で戦闘が行われた。その拠点の一つが鴨江かもえ城で、同城は暦応二年(一三三九)七月二二日に高師泰・師冬によって攻められている。観応の擾乱期、浜松庄には三河吉良氏の代官が置かれたが、吉良氏は足利直義方であったため没収され、一時期細川清氏に与えられた。永享四年(一四三二)九月、将軍足利義教は鎌倉府牽制のため富士遊覧を行うが、その途次引間ひくま野を通過している。康正二年(一四五六)には蒲御厨百姓らが徳政一揆を起こし、一揆勢は引間市の土倉を襲撃した。中世東海道の宿駅であった引間は当地方における商業・流通の中心的な機能を担っていたとみられる。文明一七年(一四八五)九月に当地を通過した万里集九は「引間市富屋千区」と表現しており、当地の繁栄ぶりが知られよう。

戦国期には吉良氏被官飯尾氏や大河内氏が浜松庄奉行として当地を管轄したが、今川氏の遠江平定後はその被官となった飯尾氏が引間ひくま城に常住し、引間領を支配した。同領はあらかた浜松庄域に該当する。永禄六年(一五六三)末に飯尾氏は今川氏に対し反乱を起こしたが平定された(遠州〓劇)。しかし同一一年一二月徳川家康の遠州侵攻により今川領国は崩壊する。元亀元年(一五七〇)家康は居城を三河岡崎から浜松に移した。同三年一〇月二二日夜半には有名な三方原合戦があった。以後、天正一四年(一五八六)一二月に家康が駿府に移るまでの間、当地は名実ともに徳川領国における政治・経済の中心となった。こうして中世都市引間は近世的な城下町浜松へと転換する。

〔近世〕

遠江に進駐した徳川家康が永禄一二年に見付みつけ(現磐田市)で築城に着手したにもかかわらず、翌元亀元年に浜松に移ったことは当地域の中世と近世を画した。家康は商人に特権を付与しつつ、城下町建設に着手した。以後代々の浜松城主が城下整備を進め、一七世紀半ばまでにはほぼ完成したとみられる。東海道は浜松城大手前を通るように付替えられ、武家と町人の居住域や各宗寺院の境内の配置が整えられた。東海道の西側高台には五社神社と諏訪神社が建造された。浜松城下は東海道の宿駅に指定され、陸上交通の便は確保したが、海上交通には必ずしも恵まれなかった。馬込川河口付近に田尻たじり湊が営まれたといわれるが、浜松城下の外港としては機能しなかった。なお三方原台地を横断し市野村に宿場が設けられた本坂通は女性の旅人が東海道今切いまぎれ渡を避けて通行することもあったほか、今切付近が宝永地震に被災したときなどには東海道の迂回路として活用された。

市域には敷知郡の七五町村、長上郡の八四村、豊田郡の一七村、引佐郡の四村があり(天保郷帳)、多くは浜松藩領として推移したが、一部幕府領、旗本領も設定されていた。浜松城主は天正一八年に入封した堀尾氏が慶長五年(一六〇〇)に転出した後、慶長六年に入部した桜井松平氏以下、最後の井上氏まで一二家が入部しており、藩主の交替は頻繁であった。なお慶長一四年から元和五年(一六一九)まで遠江国は徳川頼宣領で、付家老の水野重仲が浜松城に置かれた。遠江国の浜松藩領はおおむね五万石ほどであったが、現浜松市域のほか、領地は現浜北市域、天竜川東岸や浜名湖西岸にも及んだ。浜松藩は地方支配のために組を編成した。組の数は時期によって三組から六組の間を推移したが(「下大瀬村年代記」浜松市博物館蔵)、一八世紀後半の井上氏支配下で国領組・万斛組・川東組・浜辺組・浜名組の五組に確定した(城附領分村々高帳写)。天保期(一八三〇―四四)には水野氏が領内五ヵ所に出張役所を設けて支配強化を図った。水野氏の転封直後の弘化三年(一八四六)有玉下ありたましも村と三島みしま村の出張役所管下の村々で打毀を伴う百姓一揆(浜松藩領打毀)が起こった。そこで代わって入部した井上氏は惣代制に基づく小組合を数ヵ村単位で設置した(竹山家文書)。一方、天竜川西岸域や浜名湖東岸には、中泉なかいずみ代官所(現磐田市)が支配する幕府領のほか、諸旗本の知行所があった。庄内しようない半島諸村を支配した大沢氏は敷知郡堀江ほりえ村に、服部氏は敷知郡大久保おおくぼ村に、五井松平氏は敷知郡志都呂しとろ村に陣屋を構えた。明治元年(一八六八)大沢氏は藩屏に列した。市域は浜松藩領や幕府領・旗本領が錯綜していたが、住民の生活や生業の場面では一体性もみられた。三方原入会地については現浜松市域の多くの村が権利をもち、天竜川流域の村々は領主の違いを超えて水防組合を結んだ。商業活動は浜松城下の商人が当地方一帯で優位な地位を保った。城下しお町・さかな町の商人は塩および魚、城下近くの龍禅寺りゆうぜんじ村の商人は麹の専売権を保持していた。市域の村々は舞坂まいさか宿(現舞阪町)、浜松宿の助郷や池田いけだ渡の助船役などを勤め、船越一色ふなこしいつしき村は天竜川渡船を生業とした。一八世紀に盛んになった綿織物業は、長上郡笠井かさい村の市場を拠点とする商人が各地の実綿栽培や紡織産業を組織した。一九世紀前半における当地方は、比較的自作農の層が厚かったとみられる。しかし市域北東部の積志せきし笠井かさい長上ながかみ方面では一〇〇石前後を所持する豪農も目立った。幕末、浜松諏訪神社の杉浦大学をはじめ、当地方の神官は遠州報国隊結成にあたりその中心となった。なお当地方に伝えられてきた遠州大念仏は、三方原合戦の戦死者供養と害虫駆除に由来するといわれる。

〔近現代〕

慶応四年(一八六八)駿府藩(のち静岡藩)が新設され、浜松藩は廃された。これに伴い旧幕臣が浜松城下にも移住し、浜松奉行所(のち浜松郡政役所、さらに浜松郡方役所と改称)を開設した。遠江諸藩が廃止されるなか、堀江藩だけは例外的に存続した。明治四年七月、廃藩置県によって静岡藩は静岡県になり、堀江藩は堀江県になったが、同年一一月に静岡県のうち遠江国にあたる分と堀江県とを併せて浜松県が成立した。同九年八月に浜松県は廃され静岡県に合併したが、浜松には静岡県浜松支庁が設置され、県西部の行政の拠点となった。同一二年の郡区町村編制法施行により浜松たか町に敷知長上浜名ふちながかみはまな郡役所が開設された。同一六年に浜松県再置運動が起こった。明治二二年の町村制施行により敷知郡一町(浜松町)一六村、長上郡一二村、豊田とよだ郡二村、引佐いなさ郡一村が成立した。同二九年には郡制施行によって、都田みやこだ村は引佐郡役所、他の町村は浜名郡役所の管轄下に入った。浜名郡役所は浜松町に設置された。浜松町の人口は明治二二年末には一万三千六三〇人であったが、同三七年に白脇しらわき村の一部、四一年には浅場あさば村の一部を合併して町域も拡大し、同四二年末には三万四千五二四人に増加、同四四年に市制を施行した。その後も人口増加は続き、大正一三年(一九二四)には一万六千六〇八戸、八万八千五八〇人に達した。同年の統計によると物品販売業が最も多く三千七四八戸を数え、次いで日雇稼が三千一六五戸、さらに職工の二千二二四戸、銀行会社員の一千一九五戸と続いた。

人口増加の背景には工業都市としての成長があった。なかでも明治二九年創業の帝国製帽株式会社(現テイボー)と、三〇年創業の日本楽器製造株式会社(現ヤマハ)、および三三年創業の日本形染株式会社は浜松の三大会社とよばれた。大正元年には鉄道院浜松工場(現JR東海浜松工場)が開業し、同六年創業の浜松紡績株式会社は同九年に東洋紡績株式会社浜松工場になった。一方、織布や織機製造などの分野では中小の工場が活躍した。大正一三年の統計によると、浜松市の工場数(官立工場は除く)は四六五を数え、職工数は一万二〇五人に上り、このうち織物関係の工場は三六四工場、職工数六千四三〇人であった。工業都市として成長するなか、大正一二年には現在の静岡大学工学部の前身である官立浜松高等工業学校も開校した。同校では昭和二年(一九二七)に高柳健次郎によって全電気式テレビジョン伝導実験に成功した。工業都市としての発展は、さまざまな社会問題を惹起し、なかでも大正一五年に起こった日本楽器争議は地方都市に広がった労働争議の代表例として知られる。この争議直後に行われた浜松市会議員選挙は、日本で初めて普通選挙法によって実施されたものである。

一方、農村部では綿作に代わって明治期からは養蚕業や茶業、生姜・糸瓜・蕃椒・落花生などの栽培が盛んになった。これらは販路を海外にも求めたもので、同業組合を組織して生産と流通の充実を図った。大正期からは浜名湖岸の白菜や遠州灘沿海部の玉葱が特産物として定着し、また天竜川流域では温室によるメロンなどの栽培に取組んだ。これらは東京や大阪の消費地を視野におさめた農業であった。工業都市としての発展と前後して軍事都市としての性格が加わった。日露戦争後の明治四〇年には歩兵第六七聯隊が新設された。軍縮のため大正一四年にこれが廃されると、昭和三年に高射砲第一聯隊が歩兵聯隊跡地に移駐した。また大正一五年には三方原に飛行第七聯隊が設置された。第二次世界大戦下、既存の各工場が軍需工場の色彩を強めるとともに、中島飛行機浜松製作所などが開業した。このようななか浜松市はしばしば連合軍による空襲を受けた。なかでも昭和二〇年六月の大空襲と七月の艦砲射撃によって浜松市中心部は灰燼となり、多数の市民が死傷した。浜松市は市制施行から敗戦までの間に五町村を合併していたが、戦後さらに周辺町村の合併を進め、平成三年(一九九一)可美かみ村を合併して現市域となった。浜松市の人口は昭和三二年に三〇万を超え、四一年には四〇万に、五七年には五〇万に達した。また明治・大正期に確立した工業都市としての性格も引継がれ、戦後は楽器製造と繊維工業に加えてオートバイの生産が盛んになった。昭和五五年に通産省が打出したテクノポリス構想を受入れたように、先端産業への取組みも積極的に行われている。飛行聯隊をはじめとする軍事施設は敗戦によって廃されたが、戦後には航空自衛隊浜松基地が設置された。市内には国立静岡大学工学部・情報学部、国立浜松医科大学、静岡県立大学短期大学部、浜松大学、聖隷せいれい学園浜松衛生短期大学、聖隷クリストファー看護大学、浜松短期大学などの大学があり、平成一二年には静岡文化芸術大学が開学した。交通では昭和三九年開業の東海道新幹線と、同四四年開通の東名高速道路によって、東海道沿線諸地域との結びつきを強めた。なお当市を拠点とする遠州鉄道株式会社は、昭和一八年に遠州電気鉄道・浜松自動車など六社が合併して設立された。浜名湖東岸、庄内しようない半島の付根に位置する舘山寺かんざんじ温泉は、昭和三三年に温泉が湧出して以降、県西部の観光拠点となった。五月の連休に開かれる浜松祭は、中田島なかたじま砂丘で行われる凧揚げ合戦が有名。

ジャパンナレッジは約1500冊以上(総額550万円)の膨大な辞書・事典などが使い放題のオンライン辞書・事典サービスです。
ジャパンナレッジについて詳しく見る

浜松市(静岡県)と同じ都道府県カテゴリの記事
上田市(日本大百科全書(ニッポニカ))
長野県中東部、上田盆地の中心都市。千曲川中流に位置し、1919年(大正8)市制施行。1921年城下村、1954年(昭和29)塩尻村、川辺村、1956年神川村、泉田村、1957年神科村、1958年豊殿村、1970年塩田町、1973年川西村を編入。上田盆地の大部分が市域になった。2006年(平成18)小県郡丸子町
函館(日本大百科全書(ニッポニカ))
北海道南西部にある市。渡島半島の南東部にあたる亀田半島に位置し、南は津軽海峡に臨み、西には函館湾をいだく。道南の政治、経済、文化の中心地であり、渡島総合振興局が置かれている。初めウスケシ(アイヌ語で湾の端の意)とよばれていたが、1454年(享徳3)ごろ
東京(日本大百科全書(ニッポニカ))
関東地方の南西部にあり、日本国の首都。東は江戸川を境として千葉県に、北は内陸県の埼玉県に、西端は関東山地を境として山梨県に、南は境川・多摩川などを境として神奈川県に、それぞれ接している。その面積は2187.65平方キロメートルで、香川県・大阪府に次いで全国では
山口県(日本国語大辞典)
本州西端部の県。周防・長門の二国にあたる。明治四年(一八七一)の廃藩置県により山口・豊浦・岩国・清末(きよすえ)の四県となり、同年末に山口県に統合されて現在の県域が定まる。県庁所在地は山口市。
京都(府)(日本大百科全書(ニッポニカ))
近畿地方の中央部から北部にかけて細長く伸び、東は福井・滋賀・三重の各県に接し、南は奈良県、西は兵庫県・大阪府と境し、北は日本海に面する。五畿内(きない)の山城(やましろ)一国と、山陰道の丹波(たんば)国の大部分および丹後(たんご)国全域からなる。
都道府県と同じカテゴリの記事をもっと見る


「浜松市(静岡県)」はおんな城主 直虎に関連のある記事です。
その他のおんな城主 直虎に関連する記事
犬居城跡(日本歴史地名大系)
[現]春野町堀之内 気田川の右岸、犬居の標高二九〇メートルの鐘打山の山頂にある。城山ともよばれた(遠江国風土記伝)。天野氏の本城と考えられ、同氏は鎌倉後期犬居に入部、土着したと思われる。南北朝期には一族のうちには南朝方に属した家もあったが主流は北朝方として活動し、室町期
鳳来町(日本歴史地名大系)
面積:二六五・五五平方キロ 県の東部に位置し、北は北設楽郡設楽町・東栄町、東は静岡県磐田郡佐久間町・天竜市・引佐郡引佐町、南は引佐郡三ヶ日町、新城市、西は作手村に接する。町の東部、静岡県との境は、赤石山脈の支脈の弓張山脈で、西には木曾山脈の末端が連なる。町のほぼ中央の
浜松市(静岡県)(日本歴史地名大系)
面積:二五六・七四平方キロ 県西部、遠州灘に面する。東は天竜川を挟み磐田郡竜洋町・豊田町、磐田市、北は浜北市、引佐郡引佐町・細江町、西は浜名郡雄踏町・舞阪町に接するほか、浜名湖に面する。市域西部から北部には洪積台地の三方原台地が広がる。南部は遠州灘に臨む海岸平野で
長篠城跡(日本歴史地名大系)
[現]鳳来町長篠 寒狭川と三輪川との合流点、標高六〇メートルの段丘上にある平城。扇城・末広城ともいう。天明年間(一七八一―八九)の長篠古城絵図(長篠城趾史跡保存館蔵)によれば、合流点を背に、北に向かって扇状に開く、面積約一〇町歩。北から流れる矢沢が、城を二分して寒狭川に落込む
国府・府中・城府・駿府(日本歴史地名大系)
古代に駿河国の国衙が置かれた地。静岡平野の中央、安倍川下流の左岸に位置する。現在の静岡市中心部とされる。古代の駿河国府の比定地については、現在の駿府城跡北方の長谷通の南側あるいは北側、駿府城跡の南東地区(城内中学校・青葉小学校などを含む一帯)、駿府城跡北東の横内・上足洗方面
おんな城主 直虎に関連する記事をもっと見る
ジャパンナレッジは約1500冊以上(総額550万円)の膨大な辞書・事典などが使い放題のインターネット辞書・事典サイト。日本国内のみならず、海外の有名大学から図書館まで、多くの機関で利用されています。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について見る
浜松市(静岡県)の関連キーワードで検索すると・・・
検索ヒット数 1149
検索コンテンツ
1. 浜松(市)画像
日本大百科全書
静岡県西部にある市。1911年(明治44)市制施行。1921年(大正10)天神町村、1936年(昭和11)曳馬(ひくま)町、富塚村、1939年白脇(しろわき)、 ...
2. 浜松[市]
世界大百科事典
ある。天竜浜名湖鉄道線が通り,西鹿島駅で浜松と結ばれる遠州鉄道に接続する。 浜北 浜松市中部南寄り,旧浜松市の北にある旧市。1956年浜名町と北浜村ほか3村が合 ...
3. はままつ‐し【浜松市】
デジタル大辞泉
⇒浜松  ...
4. はままつし【浜松市】静岡県
日本歴史地名大系
した。このようななか浜松市はしばしば連合軍による空襲を受けた。なかでも昭和二〇年六月の大空襲と七月の艦砲射撃によって浜松市中心部は灰燼となり、多数の市民が死傷し ...
5. はままつし【浜松市】[変更地名 2005年7月1日]静岡県(旧春野町・旧龍山村・旧佐久間町・旧水窪町・旧浜北市・旧天竜市・旧引佐町・旧細江町・旧三ヶ日町・旧浜松市・旧雄踏町・旧舞阪町)
日本歴史地名大系
2005年7月1日:浜松市が浜北市・天竜市、周智郡春野町、磐田郡龍山村・佐久間町・水窪町、引佐郡引佐町・細江町・三ヶ日町、浜名郡雄踏町・舞阪町を編入 ⇒【春野町 ...
6. はままつし【浜松市】[変更地名 2007年4月1日]静岡県(旧浜松市)
日本歴史地名大系
2007年4月1日:浜松市が政令指定都市となる ⇒【浜松市】[変更地名]静岡県  ...
7. きたく【北区】[変更地名 2007年4月1日]静岡県(旧浜松市)
日本歴史地名大系
2007年4月1日:浜松市の政令指定都市移行に伴い、中区・東区・西区・南区・北区・浜北区・天竜区を設置 ⇒【浜松市】[変更地名]静岡県  ...
8. てんりゆうく【天竜区】[変更地名 2007年4月1日]静岡県(旧浜松市)
日本歴史地名大系
2007年4月1日:浜松市の政令指定都市移行に伴い、中区・東区・西区・南区・北区・浜北区・天竜区を設置 ⇒【浜松市】[変更地名]静岡県  ...
9. なかく【中区】[変更地名 2007年4月1日]静岡県(旧浜松市)
日本歴史地名大系
2007年4月1日:浜松市の政令指定都市移行に伴い、中区・東区・西区・南区・北区・浜北区・天竜区を設置 ⇒【浜松市】[変更地名]静岡県  ...
10. にしく【西区】[変更地名 2007年4月1日]静岡県(旧浜松市)
日本歴史地名大系
2007年4月1日:浜松市の政令指定都市移行に伴い、中区・東区・西区・南区・北区・浜北区・天竜区を設置 ⇒【浜松市】[変更地名]静岡県  ...
11. はまきたく【浜北区】[変更地名 2007年4月1日]静岡県(旧浜松市)
日本歴史地名大系
2007年4月1日:浜松市の政令指定都市移行に伴い、中区・東区・西区・南区・北区・浜北区・天竜区を設置 ⇒【浜松市】[変更地名]静岡県  ...
12. ひがしく【東区】[変更地名 2007年4月1日]静岡県(旧浜松市)
日本歴史地名大系
2007年4月1日:浜松市の政令指定都市移行に伴い、中区・東区・西区・南区・北区・浜北区・天竜区を設置 ⇒【浜松市】[変更地名]静岡県  ...
13. みなみく【南区】[変更地名 2007年4月1日]静岡県(旧浜松市)
日本歴史地名大系
2007年4月1日:浜松市の政令指定都市移行に伴い、中区・東区・西区・南区・北区・浜北区・天竜区を設置 ⇒【浜松市】[変更地名]静岡県  ...
14. 浜松市楽器博物館[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
展示している。コンサートなども催され、講座では実際に楽器に触れることができる。写真はアジア展示室。静岡県浜松市 〓静岡県観光協会 ...
15. 浜松市教育文化会館
デジタル大辞泉プラス
静岡県浜松市中区にある文化会館。1961年開館。座席数は約1500席。愛称は「はまホール」。 2011年04月 ...
16. はままつし‐どうぶつえん【浜松市動物園】地図
デジタル大辞泉
静岡県浜松市にある動物園。昭和25年(1950)開園。園内からは浜名湖の景観を望める。  ...
17. 浜松市動物園
デジタル大辞泉プラス
静岡県浜松市にある動物園。1983年オープン。霊長類の展示は国内最大規模を誇る。愛称は「はまZOO」。 2010年12月 ...
18. 浜松市の行政区[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
1 中区 2 東(ひがし)区 3 西区 4 南区 5 北区 6 浜北区 7 天竜区 〓Shogakukan 作図/小学館クリ ...
19. 浜松市フルーツパーク
デジタル大辞泉プラス
静岡県浜松市北区にある農業公園。約43万m2の園内に、体験果樹園、熱帯果樹の温室、果物の形の大型遊具などがあり、東西にわかれた園を、汽車型のバスが結ぶ。 201 ...
20. 浜松市史[文献解題]静岡県
日本歴史地名大系
九冊 浜松市役所編 昭和三二年―五五年(昭和六八年復刊) 解説 通史編は1自然環境編・原始編・古代編・中世編、2近世編、3近代編の三冊、史料編は六冊。  ...
21. 浜松市史新編史料編[文献解題]静岡県
日本歴史地名大系
既刊一冊 浜松市 平成一二年―(刊行中)  ...
22. 浜松市の要覧
日本大百科全書
面積:1558.04平方キロメートル(磐田市との境界は一部未定)総人口:80万0866人(男:39万7146人、女:40万3720人)世帯数:30万0444戸● ...
23. イオン浜松市野ショッピングセンター
デジタル大辞泉プラス
静岡県浜松市にあるショッピングセンター。2005年オープン。 2011年05月 ...
24. 静岡県浜松市位置図[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
〓Shogakukan 作図/小学館クリエイティブ ...
25. 下水道 浜松市が下水道事業を民営化 日本初の試みに潜む不安=稲場紀久雄
週刊エコノミスト 2016-17
浜松市は、今年2月下水道条例を改正し、下水浄化施設1カ所と下水を揚水する中継ポンプ場2カ所を混合型コンセッション方式(運営権付与)と呼ばれる方式で、民営化に踏み ...
26. あおうみごう【碧海郷】静岡県:遠江国/長上郡
日本歴史地名大系
高山寺本に「阿乎宇三」、東急本に「安乎宇美」の訓がある。「遠江国風土記伝」が豊田郡大見村・長上郡笠井村(現浜松市中里町・笠井町付近)に比定し、「大日本地名辞書」 ...
27. 青崩峠
日本大百科全書
静岡県浜松市天竜区水窪(みさくぼ)町と長野県飯田(いいだ)市南信濃(しなの)地区との間の峠。標高1082メートル。地質構造上有名な中央構造線がこの峠を通り、南北 ...
28. あおやむら【青屋村】静岡県:浜松市/旧長上郡・豊田郡地区
日本歴史地名大系
[現]浜松市青屋町・飯田町 上飯田村の北に位置。上青屋・中青屋・下青屋の三集落が北東から南西に向けて並ぶ。上青屋は龍光村の北、中青屋は長鶴村の北西、下青屋は上飯 ...
29. あかうお【赤魚】[方言]
日本方言大辞典
蒲原稔治)1950(5)かさご(笠子)。 江戸※054御国通辞(服部武喬)1790頃 静岡県浜松市016実用魚介方言図説(田中茂穂)1941 愛知県名古屋市01 ...
30. あか‐うお[:うを]【赤魚】
日本国語大辞典
(4)おきあまだい(沖甘鯛)。《あかうお》高知県865 (5)かさご(笠子)。《あかうお》江戸†054 静岡県浜松市016 愛知県名古屋市016 三重県宇治山田 ...
31. あかさかごう【赤坂郷】静岡県:遠江国/敷智郡・敷知郡
日本歴史地名大系
「遠江国風土記伝」は鴨江・入野(現浜松市鴨江・入野両地区付近)などに比定、この地が赤土であることを地名の由来とする。旧版「静岡県史」は小字名として「赤坂平」があ ...
32. あかし【明・灯】[方言]
日本方言大辞典
・上越編(渡辺富美雄)1973 山梨県南巨摩郡463奈良田の方言(深沢正志)1957 静岡県浜松市062風俗画報(雑誌)1892~1916 愛知県北設楽郡054 ...
33. あかし【明・灯・燈・証】
日本国語大辞典
東京都八丈島038 神奈川県足柄上郡314 津久井郡317 新潟県347 382 山梨県南巨摩郡463 静岡県浜松市062 愛知県北設楽郡054 熊本県球磨郡0 ...
34. 赤電
デジタル大辞泉プラス
遠州鉄道が運行する鉄道路線「遠州鉄道鉄道線」の愛称。静岡県浜松市の新浜松駅から西鹿島駅を結ぶ。 2013年09月 ...
35. アカネズミ画像
日本大百科全書
体重は50~60グラム。離島では一般に大形化し、とくに隠岐島前(どうぜん)では80グラムにもなる。富山市と浜松市を結ぶ線を境に、東北本州のアカネズミは染色体数が ...
36. あがたい‐じんじゃ[あがたゐ:]【県居神社】
日本国語大辞典
静岡県浜松市東伊場にある神社。祭神、賀茂真淵。天保一〇年(一八三九)県居翁霊社として、真淵の出生地である賀茂神社境内にまつったのに始まる。大正一三年(一九二四) ...
37. あがたいじんじゃ【県居神社】
国史大辞典
静岡県浜松市東伊場に鎮座。旧県社。賀茂真淵を祀る。天保十年(一八三九)三月、真淵の出生地の賀茂神社の境内に県居翁霊社を建て、その霊を祀ったのが本社のはじまりで ...
38. 秋葉山画像
日本大百科全書
静岡県西部、浜松市天竜区に位置する山。標高885メートル。赤石山脈前衛の山地の一つで、天竜川と気田(けた)川に挟まれた尾根の南端にあたる。山頂部には秋葉(あきば ...
39. 秋葉山
世界大百科事典
〈あきばさん〉ともいう。静岡県西部,秋葉山地の中心にある山。標高約870m。浜松市の北東部に位置する。赤石山脈南西部の前山にあたり,三波川(さんばがわ)帯の片岩 ...
40. あきはさん【秋葉山】静岡県:周智郡/春野町/領家村
日本歴史地名大系
白山系の修験二諦坊(現浜松市)と可睡斎との間で秋葉寺支配をめぐっての争いが起こり、可睡斎側は開山以来元和八年(一六二二)まで秋葉寺は禅家持で、また兵火で焼失のの ...
41. 秋葉山(あきはさん)本宮秋葉神社
デジタル大辞泉プラス
静岡県浜松市にある神社。709年創祀。祭神は火之迦具土大神(ひのかぐつちのおおかみ)。上社は秋葉山山頂に位置する。秋葉神社の総本宮。 2015年06月 ...
42. 秋葉ダム画像
日本大百科全書
静岡県浜松市天竜区龍山(たつやま)町地区にあり、天竜川をせき止めたダム。貯水池は秋葉湖。上流の佐久間(さくま)ダムの水量調節機能をもち、下流部の二つの発電所は、 ...
43. 秋葉ダム[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
水力発電のほか、農業用水や上水道の水源としても活用されている。一帯は天竜奥三河国定公園域。静岡県浜松市 〓浜松観光コンベンションビューロー ...
44. あきはまち・はんとうまち【秋葉町・半頭町】静岡県:浜松市/浜松城下
日本歴史地名大系
[現]浜松市三組町 高町の西に位置する武家屋敷地。秋葉町は秋葉社の門前にあたる。江戸時代を通じ上級家臣の屋敷が多かった。享保五年(一七二〇)秋葉町分の見取場とし ...
45. 秋葉信仰画像
日本大百科全書
秋葉神社の祭神にかかわる信仰。根本社は静岡県浜松市天竜区春野(はるの)町の秋葉(あきは)山頂に鎮座。剣難、水難、火難に霊験(れいげん)あらたかであると『東海道名 ...
46. 秋葉神社画像
日本大百科全書
静岡県浜松市天竜区春野(はるの)町領家(りょうけ)、秋葉(あきは)山に鎮座。祭神は火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)で、古くは秋葉山三尺坊大権現(さんじゃくぼう ...
47. あきば‐じんじゃ【秋葉神社】地図
デジタル大辞泉
静岡県浜松市天竜区にある神社。祭神は火之迦具土神(ほのかぐつちのかみ)。全国の秋葉神社の総本社。防火の神として信仰される。秋葉山本宮秋葉神社。旧称、秋葉大権現。 ...
48. 秋葉神社の火祭り[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
に行われ、16日深夜には「弓の舞」「剣の舞」「火の舞」が奉納される。写真は「火の舞」。静岡県浜松市 〓静岡県観光協会 ...
49. あくたみむら【芥見村】岐阜県:岐阜市/旧山県郡・各務郡地区
日本歴史地名大系
井文書)に当村大庄屋篠田精兵衛の名がみえる。弘化四年(一八四七)当村内で遠江浜松宿(現静岡県浜松市)の普大寺と、甲斐乙黒村(現山梨県中巨摩郡玉穂町)の明暗寺の両 ...
50. アクトシティ浜松
デジタル大辞泉プラス
静岡県浜松市中区にある多目的ホール。1994年開館。大ホールの座席数は約2300席。 2011年04月 ...
「浜松市(静岡県)」の情報だけではなく、「浜松市(静岡県)」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る